よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2010-12-01 01:21:02

【連載記事】友達が少ないので一人でよく飲む(山本握微)

友達が少ないので一人でよく飲む 山本握微

アーケードのある商店街を歩いていると、両脇に賑わう店構えに情緒を感じるわけですが、しかしながら、それは氷山の一角に過ぎず、逆か、氷山であるならその底に過ぎなかったりも、ありうるわけですよね。ちまり、アーケードが覆うことで、実はそこそこ高いビルディングの二階辺りより上が、誰にも見えなくなる。一方、視覚的に露な一階、せいぜい二階ぐらいは、まるでそこまでしかありません的暢気な佇まいで、店など構えている。でも、ふとした瞬間、例えば、高架線路の電車に乗って車窓から商店街を眺めた時など、アーケードを突き抜けて天高く伸びるビルを見たとき、何だかもやもややもした気持ちになる。その空間では一体、何が行われているのか。利便性が高い立地ながらも、存在自体が外部から認知されにくいその場所で。何してるの。まあ、ただのマンションであるってことも多いけれど。
アーケードでなくとも。これはこの前、広島の破茶滅茶繁華歓楽街、薬研掘界隈で一週間ほど滞在した折、犇く雑居ビル群をひたすら歩き回りながら、きらびやかな門構えの各種おみせやさんに心を奪われながらも、薄暗い上空の方、曇りガラスに閉ざされた数多の部屋に、同じような印象を受ける。一体全体そんなところで、何があるのか。その部屋で、街の来訪者でなく、街の住人たちが、寛いでいるところを想像する。そんな部屋、ないと思うけど。そんな余裕も。でも、事務所でもなく、物置でもなく、まして誰かの私的な住居でなく、どうせ外部の人間には知りえないところ、わけのわからない空間が広がったりはしていないか。雑居ビル如きに、そんな余地はないのか。
建物は、普通、在処を明確にするためにある。よくわからんけど。郵便、という「機能」が詰まるところとしての郵便局、というのがある。外から誰でも確認できてしまう。でも、建物が建物を囲って隠してしまえば、それは、何だか、よほどおかしな空間として、成り立つような気がする。

四方を建物で囲まれてしまった建物、ってのが、日本にどれくらいあるんだろう?あるんだろうか?


余所見