よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2010-12-23 01:56:57

【連載記事】大学に行ってきた。(ひろゆりか)

大学に行ってきた。 ひろゆりか

 前日に友人とやりとりをしていたら、「ちっちゃい火を囲む」ミーティングが大阪大学である、ということを知った。「ちっちゃい火を囲む」は、私の先生でもある小山田徹氏の「作品」。「ちっちゃい火」を囲みながら、皆でいろいろ持ち寄ったりお話したりして、ゆっくり過ごす時間をつくる、というもの。以前から気になってたのに、これまで行けてなかった。今回はミーティングから参加してみたくなった。

 ミーティングは夕方から始まっていたようだけど、私は卒業式の振袖なんかを見繕いに行ったり、家の諸用を済ましていたら、遅くなってしまった。卒業できるかどうかがまずは心配。

 7時ごろ、友人と石橋駅で待ち合わせて初めて大阪大学のキャンパスに足を踏み入れる。

 私が通ってる大学は、とても小さいので、大阪大学のような総合大学に行くと、それだけでもの珍しくて何だかウキウキしてしまう。私の大学はひと学年200人足らずで、講義を受ける机は高校生が使ってるものと変わらない。ふたつの講義室だけが、「大学!」って感じの講義室だ。建物自体のつくりも、5年も通えば愛着がわくけれど、なんだか、寒々しいし、いまどきエレベーターもついていないので、大阪大学のそれぞれの棟にエレベーターがついているという話を聞いて、心底驚いてしまった。私の大学の教授達は、4階の自分の研究室まで、毎日階段を駆け上がっている。
 今まで行ったことあるのは、センター入試で地元の大学や神戸女学院大学、神戸大学、京都精華大学、遊びに行ったのが、京都造形芸術大学、東京藝術大学、授業受けに行ったのが、京都大学、京都工芸繊維大学。どの大学も大きくて、掃除が行き届いている。でも、ところどころに大学生の落書きやチラシがあふれている(神戸女学院はそうでもなかったけど)。先日、定点観測の取材で京都精華大に行ったときには、教官用の研究室が並んでる光景に驚いた。

 要するに、ついつい自分の通う小さな大学と比較してしまうのだ。小さいというのは悪いってことではなく、必要最小限(京都市の予算的にも)ってことだと解釈している。そこに在籍している人たちのことは別として、大学という入れ物の必要最小限を私の大学は地でいってるのではないか。そこから大きくしていく、キレイにしていく、ってことには本当に際限がないのだなぁと他の大学を見ながら思った次第。大学の校舎の設計とか面白そうだ。

 小学校なんかは勝手に入ると怒られてしまうけど、大学はそんなこともなく、ウェルカムな感じ。今更だけど、他の大学、それもなるだけでっかいとこ、を勝手に探検してみたくなった。


 そうそう、肝心なミーティングは、用意された薪に火がつくかどうかの実験(薪割りしないとダメっすね。)とチラシ制作などが主な内容。出前のピザを食べつつ、ちゃっかり「部外者」の意見をあーだこーだ言ってきました。大学にピザの出前を頼むということにも驚いた。


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