パン屋 永田芳子 4、5年前だったか、よく行くパン屋があった。いつものようにお盆とトングを持って店内へ向き合うと、急に薄皮1枚ズレたような感覚に襲われた。なんだろうこの感じ、と原因を探すが、模様替えしたわけでもないし、新商品もない。パンの並べ方も変わっていない。店員さんもおんなじ。なのに、なにかが絶対におかしい。グラッとくる。 どうしたことかと思いながらうろうろしていたらレジの近くにはり紙があった。文面はもう忘れてしまったが、そこには『原料である小麦粉の価格が高騰しているが当店としてはどうにか値上げを避けるため、すべてのパンを従来よりサイズダウンする対策を採った。了解願いたい』という事柄が書かれていた。あわてて棚をふりかえると、言われてみれば、なレベルで全体的に小さい。違和感の理由はこれで明らかになったが、その感じの記憶ごと解消される訳ではない。きっとサイケデリックというのはこういう状態を指すのだな、と1つ賢くなったような気持ちで店を出た。 先日ニュースを見ていたら、当時よろしく小麦の価格が上がったらしい。大手メーカーも7月からパンの値段を引き上げるとのこと。 件のパン屋は本業のケーキ屋に専念するために閉店してしまった。けれど、まだまだパン屋はたくさんある。上記と同じ方法でやりくりする主人もいるだろう。いつかの昨日と同じようにうかうかと買い物へいく客もいるだろう。そうしたらその中の、何人かは、多分、グラッと。