よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2011-07-11 00:23:15

【連載記事】蟲(ひろゆりか)

 ひろゆりか

漫画「蟲師」を初めて本屋で見たとき、虫と言う字が3つになると、風流さえ感じる雰囲気のいい漢字だと思った。しかし、やはり、それは漫画の雰囲気だったのだ。
実際、虫が三匹、三種類、三つ巴…  となると、正直見たくない夏の風物詩となる。

今年春から働き始めた住之江区にある会社の帰り道、会社から駅までの数分の間に、そんな光景をみてしまった。


異常な速さでゴミ捨て場と足下を駆け抜けていった虫。(伊坂幸太郎風にいうと、「せせらぎ」。コックローチです。)。

誰かがプッと吐き出していったあとの路上の飴玉の周りにうごめく、無数の小さい、でも、蟻ではなさそうな虫。

横断歩道の傍で見た、色の黒い、巨大な、しかし全く飛ばないバッタ。

これから、彼らをみるのが常態化しそうだ。

今や黒くて小さい動きの早い虫にヒステリー反応さえ起こす私は、実は、小さい頃、昆虫大好き少女だった。バッタやコオロギ、蝉、カブトムシなど、夏になると、炎天下の中、昆虫網片手に出かけていた。蝶はとらなかった。鱗粉が手に着くのと、網で捕まえた時に一度、網から出す際に翅がもげてしまい、残酷な子供時代の事とはいえ、心が痛んだからだ(あと、一緒にいた友人に「動物虐待!」と散々からかわれたのにムカついたから)。蝉なんかは、目玉や脚が網にひっかかったり、大変可哀想な目にあわせてしまった。当時、私は、友人らとママゴトで「セミ捕り会社」を作り、毎週のようにセミをとるという活動をしていたほか、昆虫図鑑丸写しの豆本を手書きでかいて、それを同級生に売っていた。100円とかで。

蝉を見ると、その頃を思い出す。

今日、飴に群がる無数の小さい虫を見たとき、思わず、もう蝉の亡骸に虫が群がるのか、と勘違いしてしまった。季節的にはもう少し先のはず。でも、思わず確認してしまった。
と、いうのも、蝉の亡骸に小さい虫がうごめく、その食物連鎖な風景が、子供心の生理的感覚を刺激し続けていたからだ。気持ち悪い、ではなく、何故か惹かれた。もうそろそろ、またよく見る季節になるんだろう。

書きながら、セミの脱け殻に着色してニスコーティングして作った何かを夏休みの宿題に提出したことも思い出した。今や、蝉やカブトムシは今でもさわれるけど、何故かバッタが触れない。血吸いバッタと名付けた、赤い粘液を出すバッタが家の近所にいて、よくとって遊んだものだけど。


去年に引き続き、家の前の飲食店からコックローチが流れてくる事を思うと、少し憂鬱になる季節がやってきた。


余所見