よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2011-09-27 12:58:34

【連載記事】チェルフィッチュ「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」を鳥取でみた(蛇谷りえ)

チェルフィッチュ「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」を鳥取でみた 蛇谷りえ

鳥取にある鳥の劇場という演劇場が、自分の拠点から車で50分のところにあって、以前からDMが来ていたのもあって、ちゃんと行ったことはないけど、存在だけは知っていた。山の向こうで今ごろ演劇祭がやっていることが知っていて、いつか行こうと住人と話をしていた。

ほんとは23日にアンドロイド演劇をみようとしてたんだけど、相変わらずのぎりぎりスケジュールでは、車の移動速度までは計算できておらず、上演時間に間に合わず、悔しいから鳥の劇場内に設置している「まる達コーヒー」を堪能する。劇場内には、演劇祭というのもあって、こういった臨時カフェもあるし、劇場スタッフが運営してるカフェ食堂、キッズルーム、セレクトショップなどがあり、劇場といってもそんなにたくさんを観たことはないけれど。廃校になった場所をこんな風に過ごせる機能があるなんて、演劇って意外と身近なのねと親しみやすくなった。その日は、正直演劇もみてないし、珈琲一杯飲んだだけなんだけど、それをよしとしてくれる空間はすごいと思った。帰りは鹿野温泉を立ち寄って、のんびり過ごした。

で、やっぱり悔しいから見よう。そして、よくよく考えると、やっぱり、「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」がもう一回観たい。実は去年渋谷で見たけど。なんだかもっかい。ということで、アンドロイド演劇はやめてソレをみることにした。

予約は前日までで、当日ははやめにお越しくださいということで、余裕をもって再度鳥の劇場へ訪れる。会場は鳥の劇場ではなく、近くにある集会所?ホールみたいなところで。鳥の劇場のある町・鹿野は、町家造りで有名で、補修したり、保存の活動が盛んで、町家をそのままに若い人たちがカフェしたり、休憩所にしたり、いろいろな使われ方をしている。その中に、あの劇場がある。

当日券は早めに来たのも甲斐あって、無事にチケットをゲット。待ち時間の間また珈琲を飲みにいく。夜も19時すぎても、校庭は車でいっぱいで島根、大阪、姫路、鳥取ナンバーがある。

開演時間が迫り、会場に戻る。前列に、見上げるように座る。鳥の劇場の代表より今夜最後の公演です。とさわやかな挨拶。会場内に初めから音楽はなかったけど、照明が一度暗転し、明るくなり、始まりを表す。役者が3人出て来て、テーブルにつく。一度見ているので初めてみたときよりもさほど衝撃は軽いけど、ディティールがじっくりみれて楽しい。

「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」は、それぞれ1章ごとの短編になっていて、話の軸はつながっている。派遣社員の話なんだけど、しゃべり方は、どこかで聞いたことがあるような口語体の、日本人のよくあるまわりぐどい、意見があるようで、ないようで、あるような、曖昧な話し方。「〜があるじゃないですか」「〜みたいな」「そういうのも、いいとは思うんですけど」など。自分もつい口走ってるような気がして、ドキドキする。それに付け加えて、身体の振り付けがまた独特で、派遣社員の女性、男性それぞれ性格があって、その性格もどこかで知ってる雰囲気で、かつ、その人たちの振り付け(振る舞い)も、見た事ある。それが、言葉で発しているのとは、分解されたタイミングで、身体が動いていて、違和感があるんだけど、それが言葉、身体、それぞれに表現の意味がなくなっていく瞬間があって、でも、意味がわかる。という、不思議な感覚に陥る。ストーリーはもちろん、送別会は何料理にするか、クーラーの温度設定が低すぎる、エリカ先輩のお別れの挨拶、とそれぞれに論点は一点張りで、そこから何も話は進まないのだけれど、その中での言葉や身体の意味が、それ以上のことを伝えていて、くすぐったくなる。

あれは一体なんなんだろうなあ。もはや(私の知ってる中での)演劇じゃない気がする。演劇っていうのが何なのかは知らないけれど、私が数少ない見てきた演劇とは全然違うところの感覚で受け止めてる感じ。演劇じゃない、っていうのは言葉としての受け止め方であって、否定してるんじゃないけど。今までに見た事無い感覚の、パフォーマンスだった。音楽と、言葉、振り付けがリンクしている瞬間なんて、ダンスのようにも見える。これはビデオではきっと感じれない。写真でも。ライブじゃないと、この感じは味わえないと思うから、また次の作品が見れるときがあったら是非行こうと思う。他の過去の作品も、再演してほしいなあ。新しい作品も見たいなあ。何度でも、作家が生きている限り見れる可能性があるという、現代の表現、鑑賞の在り方はほんとにすごいと思う。


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