第五福竜丸展示館にいった(続き) 蛇谷りえ と、27歳にして行って初めて理解したこの事件。でも、「福竜丸」っていう名前は知っていた。ヤノベケンジが、岡本太郎が、作品の中でモチーフにしていることは知っていて、でもその意味はなんとなく、原子爆弾に関係しているんだろう的なぐらいで、それ以上に説明していた機会がトークだったり、テレビ特集だったりであったのかもしれないけど、私はそこまで受け取れてはいなかった。 だから、友人に福竜丸の展示館って聞いて、それと一致して、そんなのあるんだと興味が湧いて、足を運んだんだけど。アートで初めに知ったのは、私のひとつの大事な経験だったんだと思う。それがないと、「ふくりゅうまる?」ってなってるところだったし。アートで、展示館の役割全部を背負う必要もきっとない。 展示館があるってことが重要で、大阪、東京のアートの現場で「福竜丸」という言葉を流れることが重要で。しかもそれが、都会の真ん中で言葉にされたことはやっぱりとても効果的なんだと思う。まあ、もっと地方とよばれる町でもあればなおいいんだけど。 福竜丸展示館は、決してやな感じがしない。やな感じっていうのは、息苦しさというか原爆推進!っていえない空気ではない。大きな声でしゃべってもいいし、微笑んでもいい空気が流れてる。ときに、こどもたちが大騒ぎして遊んでいたり、ベンチで寝てるおじさんもいるみたい。とてもニュートラルで、敷居が低い感じがやな感じじゃない気にさせているのかもしれない。 メモリアルではないのよ、触ってはいけない封印したい空気はない。むしろ「いま」として捉えやすいようにしてる気がする。展示館といいながらも、展示に留まってない、アーカイブ(収集・保存資料)とか言葉もあるけど、それともまた違う、生き物に触れているような気がしました。資料が死んでない。 学芸員さんがいて、企画などをたまにやっているんだけど、こういう場所での「学芸員」ていう役割は楽しそうだなあと、いきいきとお話されているのを聞いていて感じました。