エンディングノート 藤井菜摘 10月1日は映画の日だそうです。余所見のメンバーに教えてもらったので、私も何か映画を見ることにしました。大阪でその日上映している映画を一通りチェックして、そのなかから「エンディングノート」という映画を選びました。(多少、内容にかかわることを書くかもしれません。知りたくない方はこれ以降は読まないほうがいいかもしれません。) ステージ4のがんを宣告された父の死ぬまでを、娘の監督が撮っているドキュメンタリー映画です。父は元来段取り屋な気質で、自分の死ぬまでの日も段取りを決めて過ごす事に決めます。 この映画の感想は、「直後はとても感動して少し後にこれについて考えたときはなんだかわからないもやっとした感じ(少し否定的なニュアンスを含む)を覚えた」というのが初期の感想でした。 その経緯が不可解で、けれど何かしらアウトプットしたい気持ちだったので、余所見のメンバーを誘って別の映画の感想とからめて話しをしてみました(録音が記事としてUPされています)そう感じた要因の候補にあがるような事柄はいくつか上がりましたが、その時点でもいまいちはっきりしませんでした。 すっかりそのことは忘れてたんだけど、別の記事を書こうとして管理画面を開いたらこの事について書いた下書きが残っていて、読んでるうちになんかふと腑に落ちる結論が出ました。 私がこの映画から受け取った見所は大きくわけて二つでした。 お父さんのキャラクターについてと、お父さんの死についてです。 おそらく私はこの二つを一つの映画の見所としてうまくつなげられなかったのではないかと思います。 お父さんはとても聡明でウィットに富んでいて、言葉や行動も魅力的でした。編集もうまくできていて場内から笑いが起きるような場面もありました。お父さんのキャラクターについてはお父さん個人の唯一無二の事柄です。それに対して、お父さんの死ももちろんお父さんだけの死なのですが、最後お父さんが本当に死んでしまうとき、その際になると私の中にあったのは普遍的な感動で、もうそれがそのお父さんかどうかということをおしのけていたと思います。無茶な言い方をすると、死に方は普通だったと思います。いや、どんな死に方であったにせよ、「死」が普遍的な事柄なのでその時点で、それに揺さぶられるときはその個人の事柄から切り離されるのではないでしょうか。録音のなかで私は、「普遍的なものをあえて撮るのはなぜか」というようなことを言っていましたが、普遍的なものを撮ったのではなくて、結果的に普遍的なものになったというのが正しいような気がします。 結局、ずっとお父さんのキャラクターによる唯一無二の事柄を見ていたのに、最終的に揺さぶられたのはお父さんではなく「死」であることから、ストーリーの一貫性が私のなかで無くなってしまったように感じたのではないかと思います。お父さんのキャラクターについて、本当にうまくそれを際立たせるような演出や編集ができていて、その良さも必要な部分もわかるのですが、それゆえに実際の死に際におこった普遍化といまいち繋がらない感じがあったのだと思います。 そんなわけで、私の中で見所が乖離してしまっていたため「監督が何を伝えたかったかわからない」というようなことになってしまっていたのですが、編集はさておきすべて実際に起こったことなのでそのまま見たらいいかと腑に落ちました。ドキュメンタリーにしてはかなり演出された映画なんじゃないでしょうか。 あー。なんかひとまずすっきりした!