よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2011-12-10 17:35:14

【連載記事】見に行った話ではないけれど(永田芳子)

見に行った話ではないけれど 永田芳子

よく道を歩く。なにか見に行って余韻をもう少し残しておきたいとき、ちょっと太ったかというとき、とにかく行く所も帰る所も欲しくないとき、その他その時で色々。たいがい一人でうろうろしているが、誰かと歩くのもそれはそれで面白い。
たとえば、「決まらない事態」というのがある。なにか食べようか、という話になってちょうどいい店を探すのだがまるで見つからない。いや、実際には店はいくらでも並んでいるのだ。米なら米、ケーキならケーキ、さっさと決めればいいものを、どうしてかそうしない。さんざんどうしよう、と歩き回ってやっと入るに至っても、ほとんどの場合何の変哲もない店だったりする。「帰れない事態」もそう。お互い明日には何かしら用があるのに、駅から遠くも近くもない辺りでぐるぐる歩く。あの、分からない時間はなんだろうと思う。普段そこまで優柔不断ではないし、特定の相手とだけそうなるといった話でもない。なにかの弾みで、そのような事態になってしまうのが面白い。

時間があれば方向音痴に付き合うのも楽しい。一人なら大して迷わないが、人が居るとつい道を任せてしまうクセがあるので、相手がそのような質だとそうなる。いつだったか旅先で、目的地ときっちり真逆の方向へ40分ほど歩いたりした。さすがにそろそろ言った方がいいかな、と思って違うんじゃないか?と聞いたら 『寄り道は人生のよろこび』 と返された。間違った論ではないにしても「故意に違う道を選ぶ」と「うっかり迷子になる」のは別だ。言った人がこれを読むかどうか知らないが、ここでもう一度書いておく。

ともあれ、ここ、どこ?といい大人が途方にくれるのは状況として可笑しい。なんとなくあったであろう意向もなにも吹っ飛んでチャラになるのはわりと気分がいい。そうした事にイラつくような相手ならそもそも一緒に出かけない。ここでGPSなど出すのは仕事や約束があるならスマートだが、単にぶらぶらしてるときなら野暮に思える。どうせなら、さんざんおかしな方へ曲がりまくって、自分一人なら通る予定すら無かった場所をたくさん見せて欲しい。


余所見