よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2012-01-17 04:09:43

【連載記事】その街の辺りのこどもだったこと(境隼人)

その街の辺りのこどもだったこと 境隼人

意識的にあまり振り返ることの無い事。
1995年10歳の私は兵庫県西宮市に住むこどもだった。

人の誘いに便乗して映画「その街のこども」を観た。
NHKによるドラマの放映時も、劇場公開時も、気にはしながら結局自分で触れる事が出来なかった。特別な理由があるわけでは無かったけれど、割り切り相対化して観るのも、自分の記憶に感傷的になるのも嫌だな、みたいなことだと思う。

内容は割愛するが、物語はあくまで「その街のこども」に充てられていて、主演二人の話に終わらないよう関係が上手くはかられていた。台詞と言葉の境が妙で、変な言い回しかもしれないけど、ぎこちなさが自然な感じ。
二人から語られる素朴とも言える会話を呼び水に、自分の姿が駆り出される。

そもそも、とても久しぶりに震災の映像を見た。TVをつける習慣も久しく、毎年いくらかあるであろうドキュメントや追悼式の模様の中継やらも目にする機会がなかった。身のまわりの人も出自がばらけていて、それほど自分たちの体験した震災の事をどうこう言う機会もなかったので、もっぱら毎年1月17日という暦が周期と私の年齢を伝えるくらいだった。
何が変わったとも言えないし、正直未だに距離の取り方が解らない。


2階が沈んで抜けなくなったシャッターのレール。割れて扉を外したままの食器棚。倒壊し、更地になったまま何も建たない隣の敷地。ほとんど脱がなくなった帽子。手放さなくなったラジオ。いつでも背負い何でも入れておいて安心する為の鞄。今もそのまま全部抱えて生きていることを、静かな神戸の夜を歩く二人の映像に連れられながら確認した。


余所見