よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2013-01-05 19:03:35

【連載記事】時計・時計・時計(山本握微)

時計・時計・時計 山本握微

 仕事始めの、事務所。ああ早く帰りたい、と柱を見遣ると、そこにかかっているはずの時計がない。あれ、と思って反対の柱を振り向くも、そこにもない。ほこりを払っているのか、誤差を修正しているのか、ほんとなら仕事納め、の時にやるべきであろうことをするため、総務の人が手元に下ろしていたのだった。

 時計、と思った。とけい。普段、トケー、みたいな感じで発音しているけれど。トケイ。時の、計り。時の、ケイ、なわけだ。トケー、なんてことでは、文字通り、音が溶けて意味がわからない。「トケ」でワンセットで、あとは伸びているだけって感じだ。ト・ケイ。でも、時、トキは、消えている。キが消えて、ト。トの計。トを計るもの。時が、ト、と呼び捨てられているその様は、例えが思いつかないけれど、何となくこなれた職人肌の人たちが、その言葉を呼び過ぎて、訛っているのが常になった、みたいだ。妖怪、モノノケ、のことを、怪、け、と呼ぶ村人たちみたいに。そして実際、時は、ト、と呼ぶ方が本来のような気すらする。掴みどころのない、でも誰もが暗黙のうちに、それがものすごい勢いで流れていると知っている。「ほら、そうこうしているうちにも、トが……ね」みたいに。時に、長々とした名称は危うい、それが例え、トキのようにたった二文字でも。漢字の読みとして、ジ、という一文字もあるけれど、これは目立ちすぎる。目立たなさそうで、ちゃんと耳に引っかかる、ト、がいい。「これはね、見えないトが見えるようになる計り。そう、だいたいの仕組みは台所にある計りと同じ、ト・ケイという」時計ってのは、ああ、時計のことだったか。

 だいたいツイッターに書くぐらいの軽い気持ちで、余所見の記事を書いてしまう試み。あと、どうでもいいですけど、時計、と連発していると「計」の字がそのまま、ゲシュタルト崩壊?して、時計の文字盤に見えてしまいます。「言」の部分が、10時と11時辺りの文字に見え、「十」が時針と短針の交差に見え。


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