よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2013-05-02 00:05:30

【連載記事】めためたドロップスと短歌男子(藤井菜摘)

めためたドロップスと短歌男子 藤井菜摘

文学フリマというのが4月の半ばに大阪で開催されて、私は行けなかったのだけど、ツイッターなんかで見てるととても盛況だったようで、参加できなくて残念。数日後、出店していたというお友達から「めためたドロップス」という冊子を頂いた。私がこの冊子をもらったのは、迫り来る納期にむけてひたすらにミシンを踏んでいた時だった。なんとなく、その柔らかい感じとセンシティブさが不思議とその時の私の癒しになったようで、ミシンの横に置いて作業の途中途中で手に取って開いた。

女の子ばっかりで作った短歌の冊子。レトロ印刷の蛍光ピンクや黄色やブルーと、小さなイラストたち。それと「めためたドロップス」というタイトルでその冊子がどういうものなのかなんとなく分かるような、女の子な佇まいに仕上がっている。各筆者の扉にある小さなイラストは、陸奥A子を思い出させた。

センシティブな感覚は、多分どれだけ言葉にしようと思っても変換しきれないものなのかなと思った。ここに書かれた短歌やエッセイはなにかそういうものをアウトプットしているんだけど、でもやっぱり言葉はそれのまわりをやんわりと包むような状態でそこにあって。それの周りをなぞることでなんとかその存在を確認させるような。そのなぞり方がとても「女の子」。言葉の組み合わせでそうなっているものもあれば、例えば、「なに」ではなくて「なあに」だったり、「窮屈」ではなくて「きゅうくつ」だったり「テモテモ」だったり、ひらがな一文字単位のイデアとでもいうかなんかそういったものからでも女の子的な要素を引き出していて、それは女の子が書いたからそうなってしまうのか、それともデザインや「女の子」というくくりがそうさせてるのか何にしろその全体のまとまりがとても良くできていて。
そのまとまりの話でいえば、この本を持ってきた彼女の振る舞いにも現れていた。文学フリマの数日後に突然やってきて、「前に、約束をキャンセルしてしまったので、お詫びにこの冊子を渡したくて。これを口実に来てしまいました。」と言ったそのセリフ。そのあと、彼女の仕事の時間まで少しガールズトークのような話をしていたのだけど、その感じ。読んでから振り返ると、この冊子の導入的なやりとりに思えて、それも含めてなんていうか、良くできている。
内容は特に恋愛のことばかり書いてあるわけでもないし、限られた言葉での表現だから抽象的なものも多いんだけど、読んでいる感覚は恋愛ものの少女漫画を読んでいる感じに近くて。感情移入、同調、共感、といったことが起こっているからだと思うんだけど、それは恋愛漫画ほど具体的なディティールでなくて、全体として「女の子」な部分で起こっている感じがして、これは男の子が読むとどういう感じがするんだろう。

と、いうふうに「めためたドロップス」についての感想を書いていたら、また彼女に会う機会があって、今度は「短歌男子」という本を貸してもらった。その本を読むと、また別の視点から「女の子」について浮かび上がって来て面白い。そして「短歌男子」も面白い。

「短歌男子」は男の子、というか男性ばかりで作られた短歌の本。女の子、男子、男の子、男性、語感の違いに言及するのはめんどうだけど、なんとなくしっくりくるほうで書いてます。こっちの本がおもしろいのは、各筆者ごとにグラビアがついていて、筆者のビジュアルがわかるようになっているところ。もうなんか、「男子」というくくりや、本人の顔まで見てしまうとぜんぜんフラットに短歌を読めなくて。でも逆にいうと、何かを見るとき、作者の情報が先にありきで作品を見るのは別に特別なことでもないので、それはそれでいいのか。そう思うと、短歌は今まで作者を知って読んだことってあまりなくて、なんていうか自分のなかで匿名性の高いものだったんだなと思った。

「めためたドロップス」を読んで読む前の予想と少し違った点がいくつかあって。そのうちの1つに、なんていうか、ポエム的なものに特有の恥ずかしさみたいな感じをもっと感じるんじゃないかと思っていたんだけど、それは読んでみるとあまり感じなくて。センシティブさとポエミーな感じとはギリギリのところで近い位置にあるのかもしれないけど、そういう心の動きは実際に起こっているから外に出すまではそれ自体はまだただそれとしてあるだけのはずで、あとはそれをどういうふうにアウトプットするかなんだろうけど、そのときにポエミーにならないようにかつセンシティブな部分を表現するのは、ちょっと難しそうだなと思った。

逆に、「短歌男子」についてはなんていうか読んでてちょっとお腹の上がこちょこちょする感じというか上あごがすっぱくなる感じというか、上に書いたポエミーな感じを少し受けて、でもそれは書かれていることがそうっていうよりも男子が書いてて、読む私が女子だからかもしれないと、そこで思って。それでいくと、「めためたドロップス」に対して感じたセンシティブだけどポエミーじゃない感じって結局同調によるフィルターがかかっているからなんだろうか。それとも、男子がそういうものを書くことへの抵抗感ていうか、私の中の許さなさみたいなことなんだろうか。

「めためたドロップス」を読んでいるときのシンクロ感と「短歌男子」を読んでいるときの俯瞰した感じは比較するととても面白くて、それはそのまま私の男性に対するわからなさとか、その手前の女の子と男の子は別のものだという思い込みだとかがそのまま反映されている気がして。もしこの二冊の中にある短歌をシャッフルしてフラットに読んだら「女の子」とか「男子」とかいうくくりがもたらす作用は感じられなかったかったかもしれなくて、そういうふうにまとめられた二冊を同時に読むのはとても面白かったです。


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