よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2013-09-23 09:04:19

【連載記事】村川拓也「ツァイトゲイバー」を観た(蛇谷りえ)

村川拓也「ツァイトゲイバー」を観た 蛇谷りえ

鳥取県の鹿野町を拠点にしているNPO法人鳥の劇場が、毎年開催している「鳥の演劇祭」は国内外の演劇が観るができて楽しい。パフォーマンスもあれば、劇、サーカスなどもあって、当日予約でもふらっと見れるのがよい。会場キャパもほどよくて、おいしいコーヒーが飲めるカフェがあったり、劇場のまわりにある静かな町家もいい。

村川拓也「ツァイトゲイバー」は、鳥の演劇祭パンフレットの中で、写真が演劇っぽくなかったので、気になっていた。村川さんの年齢も近いし。鳥の劇場で開かれる演劇は、古典だったり、パブリックなテーマが多いので、どこかマンネリしていたけれど、この「ツァイトゲイバー」は、それとは違うかもしれない、と期待をよせた。あんまり期待をもちすぎてもアレなんで、前情報も入れずに、予約もせずに会場にかけこんだ。

大きなキャパのある、鳥の劇場では開催されず、飲食店のフラットなスペースだった。膝下ぐらいの高さのステージが8m×8mぐらいあって、観客はそれにほぼ同じ高さで座る。ステージには、ピンクのパーカーとスピーカー、マイクだけがころがっていて、照明は上からあてられていて、ステージ内でしか、空間がないようにみえて、密室っぽい。観客は30名ぐらいの、まあまあな入り。主催者の挨拶がはじまってすぐに、演出家の村川さんから、「説明」と「お願い」がはじまった。

村川さんの説明によると、この演劇は、重度の身体障害をもっているフジイさんと介護ヘルパーのお話で、フジイさんは、目だけでしか自分の意思で動かすことはできない。この演劇は、介護ヘルパーさんとフジイさんの日常の出来事です。というもの。介護ヘルパーの役は、ふだんから介護ヘルパーをしている清水さんて人だそうだ。

村川さんのお願いは、1名役者が足りないので参加してほしいとのこと。一瞬みんなドキっとして、誰がやるの〜って雰囲気がでてたけど、声をだして質問した一人のおばちゃんが、「じゃあわたしが」と元気に挙手した。おばちゃんすごい根性や。次に村川さんが4つの約束をおばちゃんに言った。「目をあけておくこと」「体を楽に寝かせること」「下を向かないこと」「願いごとを3回演劇中に発すること」。この願いごとは、今ここで決めましょう。ということで、参加者が告げた「余生を健康にくらしたい」という言葉をみんなで共有する。

それでは、始めます。と合図があった後、照明が落ちて、ステージだけが浮かびあがる。参加者のおばちゃんは、ピンクのパーカーをきて、ステージ中央に目をあけて寝転がっている。介護ヘルパーの清水さんが登場し、参加者のおばちゃんを介護していく。目だけでしか会話できないので、基本一方的にヘルパーが目をみながら、お世話をする。たまに「何かありますか?」「それではいきますね、あ、か、さ、た、な、ナ行。な、に、ぬ、ね「ね」ですね。」といったように、機械的に、フジイさんの目をみて、言葉をきいていく。フジイさんの役をする参加者は、声をかけられるたびに、目だけでなく、首もうなずいてしまっていて、ヘルパーに声をかけられるたびに、首や顔で思いを表していたが、ヘルパー役の清水さんは、まるで見えてないかのように、実際のフジイさんとのやりとりを再現する。私たち観客は次第に、おばちゃんの表情はあまり気にしなくなり、ヘルパーの洗練された機械的行為(身振り)をみて、おばちゃんを通して、いるはずのないフジイさんの目を想像する。

終始、ヘルパーとフジイさんとの接触する様子をみていると、目だけで相手の思いをすくいあげないといけないし、相手はどこまで何を思っているかなんて、気にしたら、もう時間なんてあっというまに過ぎてしまう。わかんないことを保留しながら、前にものごとを進めていくんだけど、そのものごとは、車いすまで運ぶのにフジイさんを持ち上げることや、料理をいっしょにつくるのに、相手の好みやペース、わがままをきくことなど、普通に大変そうである。わからない相手に、物理的に接触するその感覚。大変な仕事だなーと、尊敬の気持ちさえ芽生えるし、いつかこの劇中ででもいいから、二人が通じ合う機会が生まれるといいな、と期待してしまう。

でも、見ている観客には、あとひとつ心残りがあった。参加者が「余生を健康にくらしたい」を3回言わないといけないことだ。このヘルパーと被介護者のディスコミュニケーションな空気の中で、それを言うことで、この劇がどんな変化をもたらすのだろう。もしかしたら、二人が通じ合うのかしら?など、ドキドキしながら観ていたけれど、参加者は、劇が終わるまで一言も発しなかった。ただただつながらない二人のやりとりをみて、すっきりしないままに公演が終わった。

照明が消えて、拍手があがり、参加者がコメントした。「発するタイミングがわからなかった、説明不足じゃない?」と演出家に問うが、「演劇中、どのタイミングでもいい。」という説明を受けていたのは観客のわたしたちも知っていたので、その言い分が違うことは確かなんだけど、参加者のおばちゃんの気持ちもわからなくはない。観客のわたしたちは、今日、たまたま見にきて参加した、おばちゃんの達成感のないやりきれない思いに共感しつつも、観客として目撃し、被介護者のフジイさんの目つきを想像した。フジイさんは、ヘルパーさんは、どんな気持ちなんだろう。ヘルパー役の人は登場せずに、淡々と質問に答える演出家の話をききながら、想像の続きは、答え合わせできずに観客の中に残された。

久しぶりにもやもやできる作品で私は大満足。村川さんの話を聞くと、作品に対して全然ちがうこと考えてたりして、もう一回みても楽しめそうな、映画的ともいえる。もともと村川さんが、ドキュメンタリー映画も作品にしていた経験があったり、創作するよりもドキュメント手法を好んでいるあたりが、現場好きな私にとっては共感しやすかったのかもしれない。

言葉で書いても、全然書ききれない思いがあるので、ぜひ機会あるときは観にいってみてください。「KYOTO EXPERIMENT 2013」のフリンジ企画で参加されてます。http://kyoto-ex.jp/


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