よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2014-03-14 23:39:52

【連載記事】11年ぶりのお水取り(中島彩)

11年ぶりのお水取り 中島彩

東大寺2月堂で行われる修二会、通称「お水取り」のお松明を見に行ってきた。
あわせて、奈良国立博物館で催されている「お水取り」という展示も見てきた。

この展示では、お水取りに関わるさまざまな文献資料や絵画、法具などが紹介されている。
例えば、修二会の本行に参加する11人の練行衆(れんぎょうしゅう)と言われる僧たちの着る衣装や、食事の献立などもあり、お松明以外あまり知られていない修二会の全貌を伝えようとしている。
それらによると、お水取りは西暦752年に始まり、毎年欠くことなく開催され、今年で1263回目。練行衆は前年の12月16日に選ばれ、2月20日より前行に入る。それから、和紙をあわせて衣装を作ったり、法螺貝の音合わせをしたり、仏前を飾る椿の造花作りなど準備を進め、3月1日からは本行として六時といわれる一日に6つの行事をこなす。
修二会の目的は本尊・十一面観音菩薩にわれわれが日頃に犯しているさまざまな罪過を懺悔するというものらしく、行事の中には、板に右膝を打ち付けるというような痛そうなものもあって驚いた。
また、法螺貝だけでなく錫杖や鈴など音の出るものをそれぞれの練行衆が持ち、お経とは異なる独特の節回しで過去帳を読み上げるのだが、その合わさった音色はなんとも不思議な音楽だった。
他にも知らないことばかりでフムフムと感心した。活字で紹介されると馴染みない用語が多すぎて、足踏みしてしまうのだが(東大寺の公式ホームページにもいろいろと解説してあるので、興味ある方はご覧下さい。http://www.todaiji.or.jp/contents/function/02-03syunie1-1.html)、実物や音声、映像を交えて展示してあるので、なんとかついていける。
こうして付け焼き刃程度ではあるが前知識をつけて、17時半、いざ、二月堂へ。

近づくに連れて、焚き火のような、お香を焚いたような匂いが立ちこめる。
東大寺参道の土産物屋は夕方におおかた閉店しつつあったが、二月堂近くの売店は団子やらうどんやらがまだこれからとばかりに販売されている。韓国人の観光客相手に、売店の女性が「団子は2本から販売よ」と交渉していた。
二月堂舞台下の芝生にはもう大勢の人が詰めかけていて、予想はしていたけれど、少し離れたところから見るしかなさそうだ。それも、後から来る人々に封じられて、いちど立ち位置を確保すれば移動するのは困難。前に灯籠があって、視界は少し遮られるのだけど、あきらめて、時間を待つ。
警備の男性がスリ被害や押合いなど人混みでの注意点を呼びかける。
辺りが徐々に暗くなり、舞台下に消化隊が控え、徐々に期待が高まる。
お松明が始まるのは18時半。まだ、10分ある…。

ここに、16歳の時から2年続けて来たことがあった。
その頃通っていた芸大受験のための画塾の先生が、奈良に縁のある人で、お水取りを何度も描いている画家だった。その人が「ぜひ見に行きましょう」と生徒を連れて来てくれていたのだ。
しかし、その頃は何と言っても16歳。
奈良の東大寺やら、仏教儀礼やらの響きに興味が持てず、前を歩く先輩たちは何の話をしているんだろう(16歳の私には18歳の彼らがとても大人に見えた)、同級生たちと帰りに何を食べようか、この寒さはなんとかならないものか、そんなことばかり考えていた。
それから11年。
私は自分の意志でここに来ている。
博物館で西暦752年という年号を見たとき、それが判然としなくて、
「啼くよ(794)ウグイス平安京?ということは平安時代?あ、でもその前だから平城京?」
なんて人に聞けないようなことをなんとか思い出そうとしていて。11年前ならそれが奈良時代であることや、どういう時代であったかなど高校の歴史の授業でさんざん聞かされパッとわかっただろうに。
よくある話だが、10代の頭が柔らかいうちにはたくさんのことを習うのだけど、それは面白いことではなくて、いろいろなことを実際に経験してきて知りたいと思ったときには記憶力はずいぶん落ちている。学習に適したとされる年齢と、学習を欲する年齢は合致していない。
それでも、知識としてのみ与えられていたことが、ある程度の経験を得た後に自分の関心に繋がったり、それによって腑に落ちる感覚が少しでもあるのなら、まあそれでもいいのかも知れない。
なんて言っても、1200何年も続いている行事の前では恥ずかしくなる程のわずかな時間なのだけど。

そんなことを考えているうちに、お松明の行は始まり、無事、終わった。
遠目で見た松明は迫力にこそ欠けていたものの、燦々と火花が降り注ぐ様子がきれいだったのと、ちらりとしか見えなかったが、走り終えた練行衆の男性の達成感あふれる表情が印象的だった。


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