よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2014-06-01 13:46:27

【連載記事】魔法と序法(山本握微)

魔法と序法 山本握微

 魔法の「魔」の字は複雑なので、手書きだと广の中、木・木・鬼の部分を「マ」と略すことがある(風の中を「ム」と略されたりするように。「機」の旁をキと略されたりするように)。手書きのファンタジーゲーム設定資料集にあった「魔法使い」の魔がそのように略されて、それを読んだ中学二年生の僕は「魔」を「序」と誤読した。「序法使い」だ。
 序法……。ふーん、このゲームには、魔法使いの他にも序法使いなる者が存在するのか。知らなかったな。序法……なかなか魅力的な言葉に思えるけれど、どのようなものだろう? と想像した。

 魔法使いは、古代から伝わる呪文を詠唱して、世界に満ちる不思議な力を呼び起こし、例えばドラゴンをも一蹴する強大な火球や吹雪、稲妻を生み出す。または非力なカエルに変身させてしまう。魔法使いになるためには、修学と、何より生来の素質が必要であるが、それは古代より伝わる技を継承する「稽古」に属する。実際のところ、どうしてそのようなことが可能になるのか、魔法使いにも実はわからない。どうしてヒヨコではなくカエルになるのかも。
 対して序法使いは……その根源に疑問を呈し、「魔法」を解析してきた。「世界に満ちる不思議な力」を元にするのは同じだけれど、それを主体的に操れないか、を試みた。そして「序法」を独自に組み立てた。序法使いは、魔法使いのような火球や吹雪、稲妻を生み出すことはできないが、木片を発火させたり、水を冷やして氷にしたり、静電気を発生させることはできる。カエルに変身させるには力には今は足りないが、いつかきっとヒヨコにも変身させられる。また、微妙な加減で調整することができる。それも長々とした詠唱はなく、合理的な手続きで、疲労や秘薬の代償少なく。また、生まれ持った素質はなくとも、修学のみで行使が可能だ。
 その世界では、(きっと)魔法使いと序法使いは反目している。魔法使いは序法使いの小賢しいと、序法使いは魔法使いを野蛮だと。ゲームとしては「強大だが行使する代償が高く抑制が効かない魔法」か「非力だが手軽に行使できて小回りが効く序法」の長短でバランスがとられている。

 誤読から生まれた「魔法」と「序法」の概念だが、これは今も有効に使っている。
 魔法は、主に所謂「ファンタジー」的な世界の産物だけれども。そのフィクションの舞台によって「魔法」に相当するものは変わる。例えば現代物なら、魔法の代わりに超能力や霊能力などがそれに相当するかもしれない。「超常的な力」が背景となる世界によって名称が変わるだけだ。
 その中でも、魔法的なものと序法的なものがある。例えば透視・瞬間移動・念動などを駆使する超能力は「魔法」と思える。でも、それは今のところ生来の素質だけが可能とする不可思議な能力なだけであって、ソ連の超能力研究所では、合理的な解析が進んで、人工エスパーが育成されているかもしれない。霊能力なんかも、それが証明できないだけで、死後の念が霊となって……とむしろ根拠は合理的に説明されている。
 こう考えると、フィクションにおいて、本当の意味で「魔法」であるものは少ないわけだ。そもそも、最初の設定である魔法使いと序法使いにしても、将来的には序法が魔法を解析し尽くせば、魔法は序法の偶発的ショートカットに過ぎない。
 そこで僕がよく例に出す「魔法」の例は「セーラームーン」。(あんまりしらないけれど)天体の名を冠する正義の味方が宿命を背負って超常的な力を行使する、までは序法で説明できる。しかし、それが「セーラー服」を模したコスチュームを纏う点だけは無理でしょう。何故宇宙規模の戦いで、セーラー服がシンボルになるのか。
 まあ、宇宙にセーラー服がある以上、何らかの必然性で宇宙規模の戦いにおける標準服になる序法的可能性も見出せなくはないけれど。
 勿論、魔法が悪いわけではなく、序法に還元されてしまいがいなフィクションの設定の中で、魅力的な魔法というのは希有です。童話なんかだと変な「魔法」が出てきますね。例えば昨日「としょかんライオン」という絵本を読みましたが、図書館にライオンがやって来た理由は一切不明。魔法的です。
 「神話」もヘンテコ祭りで、魔法の宝庫と言えますが、一方あれは古代の人達が寧ろ世界の序法を解析しようとする試みでもありますから、微妙なところです。

 他にも、魔法と序法という概念が役に立つ(?)こともあります。
 赤瀬川原平の「トマソン」。非作為によって偶然生まれる一定の趣を持った明確な作者なき街頭の造形物……これを「超芸術トマソン」(野球選手の名前が由来)と名付けるのがまさに魔法的。これにより「トマソン」の概念は「強力に」普及するわけですが。
 まあ、それはいいんだけれども、こういう芸術の視線というのは魔法的な鋭角の切り口がセンセーショナル過ぎて、僕としてはもっと汎用的であって欲しいと思います。
 それはつまり「作者無き芸術」を発見した時、そこに凄みを感じて特別視するだけでなく、既存の芸術を「作者有る芸術」と発見し直すこと、「作者無き芸術」の突飛さだけを強調せず、「作者有る芸術」と並列に捉えること。
 他にも「アウトサイダーアート」は魔法か序法か、などあります。
 
 創作における魔法は魅力的だが、批評においては序法が大切……という結論も面白みに欠けますが、魔法めいた批評も魅力的ですが、時々は序法使いのことを思い出してやってください。序法使いの門戸は、魔法使いに比べれば開かれているのだから。


補足 一

 そうそう、今や「セーラームーン」より遥かにメジャーな「魔法」があった。ワンピースの「悪魔の実」。あれは「魔法」に属しますね。悪魔の実自体には何かと定まったルールがありそうですが、種類や効果は自然や状態だけでなく、例えばドアドアの実など、人工物をイメージしたものがある。単に、ゴムとか炎とかなら序法的かもしれませんが。ニキュニキュの実が一番わけわかりません。

補足 二

 魔法を単に受け入れるのではなく、序法的な態度で解析へ……と思いきや、根源が「魔法」であることもあります。或は、それが全てかもしれません。
 例えば、「漢字」。日常使用しているだけでも、その合理さは感じられますが、これをただ単に使うだけでなく、序法的に解析してみよう、と勉強したところで、その根源は「呪い」なわけです。
 今、混沌に見えている事柄も、序法的な成果かもしれません。根源に遡れば序法が見えてくるとは限らず、寧ろ意図的に組み上げて果たして序法が出来る……。さすれば序法こそが、反自然的な魔法かもや。まあ、ある種の人々が既に使っている文法ですが。


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