よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2015-03-12 21:03:33

【連載記事】占いへ行ってみた(永田芳子)

占いへ行ってみた 永田芳子

占いをしてもらったことがある。その時期、気分がシケシケだった。シケてるときに出来ることってなんだろうと考えていたら、占いってのはどうだと思いついた。それまでの経歴なども知らず、身近でもない誰かが自分に関する諸々について、どんなことをどんなふうに言うのだろう。しかも、よく知らない方法で。

〈その1〉
たまたま良さそうな占い師の方を見つけたので訪ねた。方位や易を組み合わせて運を見るのだという。名前と誕生日を言ってから、まず仕事運について占ってもらう。中にサイコロの入った箱をカチャカチャと振った後「あなたのお家に、骨があるでしょう?」と聞かれた。ある。祖母の遺骨だ。人の物でも魚の物でも、家の中に骨があるのは良くないらしい。なぜ骨があると分かったのか聞いてみると、そういう環境の人に出やすい卦が立ったからという答えだった。そういう種類の卦というのが成り立つ程度には、家に骨を置きっぱという状況はポピュラーだったりするのだろうか。
続いて「かくかくしかじかな亡くなり方をした身内の方がいませんか?」とも聞かれた(その故人に関わる人の事情があるので詳細は伏せたい)。いる。というか、いたらしい。祖母から聞いたことがある。こちらも、そういう卦が立ったとのことだった。「遺骨は納骨して、故人はあらためて供養をして。そうすると運が動きますからね。それから、誰か人に会うこと」と、供養の仕方を含めたいくつかのアドバイスをもらって帰った。骨と故人については気になっていたことではあったので、ちょうどいいやと教わったとおりにした。
ほどなくして忘年会に誘われた。シケた顔をして出席するのは迷ったが、行った。友人が来ていたので声をかけると、新しい仕事に誘われた。職種は未経験のものだったが、面白そうなので乗った。

〈その2〉
ある日、パーティ仲間が占い師として開業した。こちらはタロットだ。十代のころ、澁澤龍彦経由で神秘学っぽい本をふーんと読んでいたので、なんとなくカードの象徴なり意味合いなどは情報として知っている。けど、それを占いとして使うことについてはよく知らない。こちらは〈その1〉と違って、身近な人が占いというツールを通して接したときにどんなことを言うのかという興味がわいた。
依頼は人生相談的なものが多いそうなので、その路線で観てもらうことにした。席に着くと、見たことのないカードを広げた。タロットといっても様々な種類や、応じた目的があるらしい。裏返したカードを指定の枚数選んで、順に絵柄を見る。
どう?と尋ねると、私の性格の面倒な部分(引っ込み思案・ビビり・ほか多数)に関して、とある人との関係があまりよくない形で影響している、とのこと。確かに仲は良くなかった。そして、あらためてカードを広げ、その人との間にこういう感じの出来事はなかったかと聞かれた。そういえば、当てはまるエピソードがあったような。カードをきっかけにいろいろと思い出しながら、それをメモに書き留める。こうした作業を何度かくりかえし、少しずつストーリーを作っていく。最後にこれから目標にすると良いというカードをめくった。ふんわりにこにこした女性の姿が描かれている。こちらについては、未だにそうなれているのか自分では分からない。


さて、易についてはなにせ知識がないし、アドバイスを実行しなかった場合の【その後】を検証できない。だから、行為と結果の因果関係についてはハテナマークのままだ。ただ、なにかしらその人固有の運と呼ばれるラインがあり、そこへ似合った手段で繋ぎなおすという視点は、パラレル感がある。アドバイスも、思わぬところから球が飛んできた感じで面白かった。
こちらを「占い」のイメージに近いものとすれば、タロットは精神分析の「お話し療法」に似ているな、という感想を持った。どちらにせよ、いったん目先は変わるし、偶然を多分に含んでいるがゆえに、「占いでゆってたもーん」くらいの気の軽さが担保されている。そのあたりが占いの人気の理由かと思う。まぁ、世間にはタチの悪い占い師や、依存といったこともあるようなので、ぜひ、とは言いにくいが。
ひとまず私の出会った占い師がそういうのではなかったのが一番のラッキー、としておくのがこの作文のオチとして適当なような。


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