よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2015-10-24 19:45:31

【連載記事】一人チケットパーティ、私も。(中島彩)

一人チケットパーティ、私も。 中島彩

 余所見企画のチケットパーティ初回には参加していないのだけど、面白そうだなと思っていて、いつか第二回目が行われることを期待して、チケットを残しておくようにしている。
 今回はその中から、2015年に見に行った映画のチケットを取り出した。
 映画は好きで、家でもよく見ているけれど、映画館がやっぱり良い。
 ミニシアターも良いけれど、最近お気に入りは最新シネコン・大阪ステーションシネマ。
 見終わった後に、屋上公園でぼんやり映画の余韻に浸るのです。


(見た日・タイトル・簡単な紹介(私意的)・感想の順に書いています。俳優さんの敬称略。)


2月15日 「悼む人」
天童荒太の同名小説を原作に堤幸彦が映画化。主人公の青年が日本各地を旅しながら、亡くなった人の痕跡を探しては「彼(彼女)はどんな人でしたか」と聞いて回り、その死を悼む。それは、彼自身の再生の旅でもある。という感じなのですけれど、期待していたほどの感動はなく。主人公が、「悼む」ときのポーズ(自分なりにやっているうちにそうなってきたという、両手を開き、片手ずつゆっくり胸にあてる)がなんだか儀式っぽくて、気になって仕方なかった。テーマは良いと思うんだけど。

3月22日 「アメリカン・スナイパー」
イラクに派兵された狙撃手クリス・カイルの自伝をクリント・イーストウッドが監督して映画化。
もう予告動画からして気になってた!!(主人公が爆弾らしきものを抱えた子どもを狙撃するか逡巡するシーン)
主人公はアメリカ同時テロの発生を契機に、義勇心に狩られ出兵。けれど、大勢の敵兵の命を奪い、「英雄」と称される一方で、自分にも子どもが生まれ、家族を育み、敵兵にも家族があることを思い、本当にそれが正義であるのかの葛藤が生まれていく。
クリント・イーストウッドさすがやなあ。よくできた映画やなあ。アメリカはこの映画も公開できるんやなあ。なんて感心しながら見てたんだけど、ラストシーンで答えを出しちゃってて、ああ、残念!!

6月24日 「あん」
河瀬直美監督、主演は樹木希林と永瀬正敏。樹木希林演じる老女は若い頃にハンセン病を煩い、今も小さな療養施設に暮らしながら、「一度働いてみたかったのよね」と、永瀬正敏が店主を演じるどら焼き屋のアルバイトに応募する。永瀬正敏もまた事情を抱え、生きながら死んだように静かにただ毎日を暮らしている。老女と店主、そしてどら焼き屋に出入りする少女の3人が交わることで、それぞれが少しずつ変化していく。しかし、社会には未だハンセン病への偏見が残っていて…
やっぱ樹木希林はすばらしい役者なんですけれども、河瀬監督の撮り方や脚本もよくて。
ラスト辺りの、カセットテープに録音された樹木希林/老女から永瀬/店主と少女へのメッセージがとても素敵。
「この世に生まれたからって、何かを成し遂げなくても良いんじゃないかしら。この世界を見て聞いているだけで、私たちには生まれた意味がある」
みたいなことを話していて、その間に流れる農村の景色は、風の音や太陽の光やそこにある生命を映し出している。
河瀬監督は、そこにあるのに見えていない景色を映像にすることのできる人だなあと思います。

5月20日 「龍三と七人の子分たち」
藤竜也演じる元・ヤクザ龍三率いる老年元ヤクザ軍団が、現代のインテリヤクザに喧嘩を挑む。
北野武監督も老境か!?
映像の斬新さや、目新しい展開はなし。ただただ、藤竜也はじめ超ベテラン俳優陣のさすがの存在感は見物。カメラの前に何十年も立ち続けている人は、それだけで顔や立ち振る舞いに説得力があるよなーと思う。

7月26日 「バケモノの子」
細田守監督のアニメ映画。
孤独を抱える少年が、現実世界と並行して存在する神の世界に迷い込み、そこでフウテン生活を送る熊男に弟子入りする。熊男も少年を育てる中で成長を遂げ、っていうストーリーが前半。後半は成長した少年が再び現実世界に戻り、そこで神の世界で育ったものの人間の悪の気持ちに捕われた別の少年と対決する。
親と子の絆(血縁に関わらず)、アイデンティティ、現代社会の閉塞感、ファンタジックな世界観、メルヴィルの白鯨の現代的な描き方、ちょっと恋愛もして、、、要素がテンコ盛りな気もする。ま、見ている分にはスルスルと見れちゃう。技のデパートだね。
細田守は「夏休みにアニメ映画を観るのはすごく子供にとって重要な事だと思う。」なんて言ってらして、それには私も共感する。子どもの時に見たアニメはやっぱりすごくドキドキさせられて、あのワクワク感は成長期の大切な糧だったんじゃないだろうか。
子どもの頃の映画館といえば、ドラえもん映画の上映には、オマケのおもちゃがついていた。映画も気になるけれど、それもすごく大切で。ある年は、足の下にコマがついていて走るドラえもんをもらった。それを座席の手すりでコロコロしていて、どこかに転がっていってしまい、暗い映画館の足下、見つからない(探せない)状況に泣きそうになりながら、上映時間を過ごした。たぶん5〜6歳のころのことだけど、そのことは映画の内容よりも心に残っている。

9月13日 「キングスマン」
英国紳士スパイ!!
すごく真剣に丁寧にB級映画を作ってる感じで、とてもよござんした。

10月6日 「蘇ったフィルムたち 東京国立近代美術館フィルムセンター復元作品 短編集1」
「なまくら刀」(大正6)に始まる日本アニメ黎明期の作品をデジタル復元し公開!
日本でアニメーションを最初に制作したとされる寺内純一・北山清太郎に始まり、影絵アニメの大藤信郎、切り絵の村田安司、日本アニメーションの父・政岡憲三の作品etc…と、戦後数年までの日本のアニメーションの発展状況がよくわかる。アニメーションを通じて、日本の政情なんかも伺える。さすが近美フィルムセンターです。
あえていうならば、大藤信郎作品の割合が多くて、それはそれでいいんだけど、戦時中に多産された美術的ではないけれど世相を反映しているようなアニメをもうちょっと入れてほしかった。



10月9日 「フリーダ・カーロの遺品ー石内都、織るように」
メキシコの女流画家・フリーダ・カーロの遺品(衣服を中心に)を、写真家・石内都が写真に収める過程を捉えたドキュメンタリー。
フリーダ・カーロはその画風や自身の肖像画(眉毛がつながってる!!)から個性的で強い女性というイメージだったけれど、映画を通じて紹介されるは彼女は、病気がち・片足を切断した障害者であり、そこから生者と死者の境界を象徴する存在として描かれる。その彼女が残した遺品から、自身の母の遺品やヒロシマの被爆者の遺品を撮影してきた石内都が、彼女の生(性)を読み取っていく。それは同時に、過去から現在に至るメキシコの女性たちの物語でもある。メキシコの女性たちが身にまとう服には、花の刺繍が施されていて、それは死者の祭りが盛大に行われ、死が常に隣り合わせであるメキシコにおいて、一瞬の生をとどめるように一針一針刺された紋様である。彼女たちの服は、祖母から母、母から娘と、何世代にも引き継がれていくのである。
映画のクライマックスは語ることなかれ。
生と死。第二の皮膚としての衣服。民族衣装。メキシコ・日本・パリ。
なかなかいろんなことを考えさせられる映画でした。


**こうして一挙に並べ思い返すのは、見るたびに感想を書くのと、また違いますね。
これらの映画を見ている人物が見えてくる。それがチケットパーティか。


余所見