よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2016-06-28 01:07:46

【連載記事】ちょっとした夢と絶望の学習机(中島彩)

ちょっとした夢と絶望の学習机 中島彩

 実家の自分の部屋を片付けなければならなくなった。それで最近、ちょこちょこと帰省しては、ぬいぐるみやらお手紙やら落書き帳やらを片付けている。いま現在、大体のものが判断できて、とっておくなり捨てるなりの道順がついた。しかし、学習机につまづいている。

 私の学習机は、いわゆるキャラクターもので、「魔法使い サリー」がテーマ。机上の棚部分の垂直面にはサリーちゃんのイラスト板があって、裏返すと時間割を書き込める様になっていたけれど、それはとっくの昔に捨ててしまった。付属の椅子は、背もたれと座面の布部分にサリーちゃんがプリントされていたけれど、実家を出て数年後に椅子ごと捨てられてしまって、事務椅子に取って代わっている。そんなわけで、サリーちゃんの名残をとどめるのは、机とセットになっていたシェルフの棚板のみである。

 「キャラクターものの学習机は飽きるよ」「でもわたし(ぼく)はこれがいいの」、なんてかつてはどこの家庭でも繰り広げられた議論なのではないかと思うのだけど、私もやはりその議論の果てに、サリーちゃんを勝ち取り、サリーちゃんに飽きて、外せる部分は取り外し、上からステッカーを貼ったりした類いだ。
 いや、本当のことを言うと、勝ち取ってはいなかった。小学校就学前の私は、いま以上に内気で、自分の気持ちを表現するのが苦手だったし、親や周りの大人の顔を窺うタイプの子どもだった。そして、こんなことを今さら親には聞かせられないけれど、私はサリーちゃんが特に好きというわけではなかった。ただ、家具店に親と、そして確か母方の祖父母とでかけたときに、「女の子らしい可愛いものをほしがらねば」と思ったのだ。こうして私のところにやってきた、サリーちゃんの机。ポイントカラーはもちろんパステルピンク。

 本当は好きではないサリーちゃんのイラストを、私はいつも面映ゆく見ながら、その中に好きなポイントを見つけようと、なかでもまだ好感の持てたサリーちゃんの飼っている紫色の猫「ダブダブ」について空想を広げて、好きになろうとした。それから、机の下に潜り込んで、本を読んだり、お気に入りのぬいぐるみを持ち込んで探検ごっこをしたりしては、過ごした。
 机の下に潜るには大きすぎる小学校高学年にもなると、抽き出しには、集めた文房具(特に動物などの形をした消しゴムが好きだった)や、落書きがびっしりと入る様になった。机の上でせっせせっせと消しゴムたちの世界を作り、空想世界の登場人物たちを紙に描いては、抽き出しに放り込んだ。
 中学校に入ると、交換日記やプリクラなど、少しは他者も関わる物も放り込まれる様になった。それでもやはり、机は誰にも触らせたくない、自分だけの秘密基地だった。
 女子高生ともなると、できるだけ格好よくしようとステッカーを貼ったり付属品を外したりしだすのだけど、うまくいかなくて、初めて履いたルーズソックスのたるみ具合みたいに微妙な状態になっていた。
 そう、いつだって、微妙だったのだ。
 「私はこんな風になりたい」と思っていても、なりきれない自分や意識過剰な自分や空想に耽ってばかりいる自分を再確認して、ちょっと絶望する。まあこんなものかと、自分の身の丈に気づいてちょっと大人になる。
 そう、学習机に僅かながら残っているサリーちゃんは、いつも私に「あなたはこんなもの。魔法なんてないのよ、変身なんてできないのよ」といいながら、でも一緒にいてくれる存在だったのだ。

 ところで、キャラクターものの学習机といえば、同級生同士で何のキャラクターを聞き合う、というのも定番のやりとりである。女子の友人たちは、ハローキティやキキララが多く、小学生の時分には「それもよかったな」とうらやましく思った。「キャラクターのじゃないねん」という答えは少しかわいそうだった。
 中学生以上になると、キャラクターのではない人の「長く使える様にってシンプルなんにしてん」って答えが頭が良さそうに見えて、本当のところは親に説き伏せられただけじゃないかと思いつつも、なんにせようらやましかった。逆に成績のいい子がキャラクターものだったりすると、妙に好感を持ったものだ。


 さて。
 こうして、学習机に思いを馳せるあまりに、昨今の学習机事情はどうなのだろう、と、興味がわいて、現在調べ中である。
 いわゆる学習机(子どもの成長にあわせて。ランドセルなどが収納できる)が誕生したのは、昭和39年、日本は高度経済成長期にあり、子どもへの教育の関心が高まったころのようだ。ひとりひとりに子供部屋や机が与えられるというのは、住宅事情や家族形態の変化も関係があるだろう。当時のものは現在のような木製のではなくて、スチール製の、事務机をもう少し軽快で柔らかくしたようなデザインのものだ。
 キャラクターものに関しては、はしりと見られるのは昭和48年の「ピンポンパンデスク」で、当時人気の「ママとあそぼう!ピンポンパン」という子ども向け番組とのタイアップ商品である。学習机の普及というのは、メディアとの関わりも多分にありそうだ。
 その後、木製のデスクが登場し、ハローキティやキキララがイラストボードにあらわれる様になる。しかし、このキティやキキララと同シリーズの男児版は鉄道やロケットであり、キャラクターを全面に押したものではない。いわゆるキャラクターものは昭和61年の「キキララデスク」と「スーパーマリオデスク」である。その後、キャラクター全面押しはバブル経済の終焉とともに消沈し、現在はほとんど見られない。あるとしても、抽き出しユニットやデスクマットなど、取り外せる部分にキャラクターがあしらわれているものである。
 景気のいい時には「また買ったらいいやん、いまがいちばん」と思えた気運が、「長年使えるシンプルで質の良いものを使い倒そう」となっていったことは想像に難くない。
 さらにこの頃はシンプルライフだとか、断捨離だとか、フランス人は10着しか服を持たないだとかが肯定的にもてはやされる時代である。シンプルこそが美徳、電話だって1台何役スマートなフォンなのである。ゴテゴテとしたデザインの一時の流行キャラクターがデーンとかまえるわけにはいかない。というのは、よくわかる。
 よくわかるのだけど、同時につまらないなとも思う。

 物心ついて間もないくらいの、判断力も先を見通す力もない齢のこどもが、勢いでものを選び、そのことを反省したり葛藤したり複雑な心情を抱えながら、大人になるまで使わざるを得ない、というのは実はそれほど悪くないんじゃないだろうか。だからこそ、複雑な心情を抱え込むことのできる懐の広い大人になるんじゃないだろうか。(そういう私の懐は深くはないけれど、少なくともややこしいものに対してすぐに答えを出さずにつきあっていく忍耐力くらいはあるつもりだ)
 最初からシンプルに生きるではなく、後悔を経てからのシンプライズ、あるいは複雑なままに、というのもありなんじゃないだろうか。

 とまあ、思ったものの、複雑なものを抱え込むのも考えものでもある。私が実家の部屋を片付けなくてはならなくなった理由は、物を捨てられない終戦直後に生まれた世代の、ジャングル状態の父の部屋を片付けるために、空き部屋が必要になったからなのだから。


(学習机については、株式会社くろがね工作所のホームページを主に参考にしました。学習机に特化した資料はなかなか見つかりません。もし詳しい人がおられたら教えて下さい)
http://www.kurogane-kks.co.jp/home/museum.html


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