よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2016-10-05 02:09:57

【連載記事】9月に見たもののメモ2(中島彩)

9月に見たもののメモ2 中島彩

◎9月9日
 アサダワタルさんは、たとえば私のFacebookでつながっている人にはほぼ100%名前が知られているだろうけれど、私の職場ではほぼ知られていないだろう人で、まずこの余所見でどう書くべきかを悩んでしまう。とりあえず、職場で「アサダさんってどんな人?」って聞かれたら、私のお兄ちゃんになってほしい人、いや、家族だと面倒かも知れない、いとこのお兄ちゃんになってほしい人だと答えよう。
「親類の集まりにたまに顔を出すお兄さんは、外の風をふっと運んできてくれます。」
 小説に登場させるなら、そんな感じである。
 そしてたぶん、そんな風に思っている人がたくさんいるから、この企画が生まれたんだろう。「アサダワタルの極つき十三夜」は、そんな彼にいろんな人と話をさせて、彼自身や彼の見てきた外の世界を見せるイベントで、今回のゲストは細馬宏通さん。この人もまた、説明しにくい人だ。
 シブい親戚のおじちゃん、かな。親類の集まりでは自分からはあまりしゃべらないのだけど、なんとなくみんな認めていて、遺産相続の話の時なんかにはさっと状況を整理してくれそうな、そんなおじちゃん。「何をやっている人なの?」と聞いてみたら(トークが始まったら)、思いのほかしっかりと話しだしました。

 細馬さんは、人間の行動をつぶさに観察しているとのこと。そのつぶささと言ったら、たとえば「だるまさんが転んだ」。
 このフレーズは、「だるまさんが転んだ!!」と1秒でも言いきれるし、「だるまさんがーこーーろんだー」と大分と間をもたせても言える。その「だ」音と「る」音の間、あるいは「ん」っていう詰まった音と「だ」を言い切るまでの間に、どれだけ鬼役と逃げ役の相互行為が行われているだろうか、というようなことを、ビデオで撮影し、コマ送りで見ながら解析しようとするような、つぶささ。
 そんなまなざしで、細馬さんはこの10年は介護の現場を見ているらしい。
 とある認知症の老人の施設で、ひとりの高齢女性が車椅子からベッドへの移乗する。女性職員が「よいしょ」と声を掛けながらそれを手伝う。スムーズにいくか、いかないか。一連の動作が行われる時に、二人の身体にどんなことがおこっているのか。細馬さんはそれらをビデオを用いて解説する。コマ送りで見て秒単位の変化がある。その見方って言うのはほんと面白かった。

 それはそれとして、私の仕事は福祉職だ。その立場から細馬さんの話を聞いてると、ぞっとしない。今回のトークイベントで成功事例として紹介されたことと、正反対のことを私はあえてやることがある。たとえば、相手と目をそらしたり、相手とタイミングをわざと合わさなかったり。理由は簡単に言うと、スムーズにいくこと、障害を取り除くことが最善とは限らないと思うからだ。(相手の心身の健康を損なわない限りにおいて)
 それが正しい支援か、というのは相手にもよるし、私も悩み悩み。本当に正しい支援なんて、何が正しい人生かっていうくらいの命題だろう。答えは出ない。あくまで細馬さんの話は、観察者の立場からで、当事者(支援する者/支援される者)本人による話ではない。
 細馬さんの示唆してくれた視点はすごく解像度の高いカメラのようなもので、けれどそれで何を撮影するか、どんな心持ちで眼差しを向けるかは、あくまで私たちそれぞれに委ねられている。

 そんなところも、なんだか親戚のおじちゃんっぽいかもしれない。
「おじちゃん、かっこいいいけど、そのまま生き方を真似したって無理だよ、別の人間なんだから。」
 そしてアサダさん。今回においては終始聞き手に廻っていた。それもやっぱりいとこのお兄ちゃんっぽい。
「おじちゃん、お兄ちゃんがいると口数が増えるよね。」

 たぶん、そんなイベントだったと思う。


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