よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2016-10-23 18:08:38

【連載記事】9月に見たもののメモ6(中島彩)

9月に見たもののメモ6 中島彩

◎9月18日
 百舌鳥八幡宮から出るくらいから、自分の足下からぺたんぺたんと音がするのに気がついた。見下ろすと、サンダルのソールが本体からはがれかかっていた。靴の消耗を目にするのは嬉しい。自分がこの数日は閉じこもらずに歩き回っていたことを証明してくれるような気がする。とはいえ他の人にも聞こえるくらいの音だし、このままでは完全にはがれて歩くのに困ってしまう。ぺたんぺたんと引きずりながら、ようやく駅前にコンビニを見つけ、アロンアルファを買う。駅のホームで接着剤を塗り、足の裏をぎゅうっと地面に押し付け、間もなくやってきた電車内でも圧力をかける。降車する頃にはサンダルは元に戻り、足音を鳴らすこともなく電車に乗り換える。阪急線に揺られてウトウトし、あっという間に河原町。地下駅から地上にでると土砂降りの雨だった。
 久しぶりの木屋町。ゲリラ豪雨といっていいくらいの激雨で、人通りは少ない。地面で跳ね返った雨で、ズボンの裾が濡れ、足下にまとわりつく。アバンギルドに到着し、カウンター席に落ち着いてから裾をクルクルとまくる。ステージを正面にして左手の壁は、店を作る時にスタッフかその知り合いかが塗ったとかいう、抽象絵画のような微妙なテクスチャ。ぼんやりと見ながら、以前にこの席で見た別のライブのことをふと思い出したりする。

 正直に言うと、百舌鳥八幡辺りでスタミナ切れで、ライブを見る集中力が尽きていた。
 でも音楽のライブって、そもそもどうやって見ればいいんだったっけ。好きなアーティストのライブだからといって、行ってあんまりだったことが何度かある。自分の部屋や移動中、行動の主導権が自分にある時に、ヘッドフォンで聞く音楽はすごく心地よく私に寄り添ってくれたのに、ライブハウスやクラブで、複数の人がいる中だと、自分がどう振る舞っていいのか分からなくて、盛り上がる観衆や集中するアーティストから置いてけぼりをくらったような気になる。

 このところ祭を見に行った時にiPhoneのボイスメモで周囲の音を録音している。太鼓や囃子のリアルタイムの演奏。境内であったり氏子域だったりを練り歩きながらの演奏は、録音を聞き返すとその時の自分がどこにどんな風に立っていたか、歩き回っていたかを思い出させてくれる。寝る前のひととき、iTuneを起動させるより、ボイスメモを再生することのほうが多くなった。祭の音楽は自分の記憶と結びついて、より心地よく私の手元に存在している。

 たぶん私は、ライブハウスの中での、演奏する人と自分との距離感がまだ掴めていないのだ。この日のライブは激雨のせいか客の入りが少なかったが、その分他の客の様子がよく窺えた。くつろいだり、知人や出演者と時折言葉を交わしたり。自分がうまくできないことをできている人って、すごいなと思う。

 世界音痴、という穂村弘の本のタイトルを思い出す。周囲の人間たちとチューニングが合ってない感じ。私はライブハウスの中ではひときわ世界音痴だ。
 ライブが終わってから出演者の一人に「つまらなさそうにしているように見えた」と言われて、そんなこともなかったけれどと思いながら、少し納得する。演奏がつまらないというのではなくて、ライブハウスでの振る舞い方が本当に分からない。


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