よそみ余所見

余所見は、見たり聴いたりした事と、それについて考えた事などを書くウェブサイトと紙の雑誌です。

第1号(249版)
2017年10月19日 16時40分33秒 発行

連載記事 

掲載日:2017-10-19 16:40:33

【連載記事】本質は沈思黙考するのみ(山本握微)

本質は沈思黙考するのみ 山本握微

 僕は現在、溶接機(及び部品や材料などの溶接関連商品)を販売する会社で働いている。数年前は本に関係する仕事をしていたが、押し寄せる出版不況の影響で、こちらへ転職した。

 以前は取り扱い商材が「本」ということで(右から左へ流すだけとはいえ)、それなりに自分の興味と仕事が重複していた。しかし現在の仕事である溶接には、殆ど興味が無い……勿論、金属が繋がってすごい、それって大切、と人並みには思うけれど……。また飽くまで販売なので、自分で溶接したことも無ければ、実際の溶接作業を見たことすらない。

 興味外の、しかもそれ自体をするでもなく売るだけ、という仕事。比較的に言えば、あまり面白くない状況。でも何とか、それによって得る「感覚」みたいなものが、何か自分の役に立つ……までは無くても、その感覚自体が面白い、ことがあればと思う。例えば表題のように、何か意味ありげな。その感覚の話。

 以下、溶接機の話になりますが、端折りつつ要点のみ、でも長々、しかも正確ではない話なので何卒諸々ご理解の上、ご寛恕下さいませ。

 「溶接」という作業はプロ向け。超お気軽な簡単溶接、といのは、あんまし無い。「はんだづけ」がそれに近いかもだけど、あれ正確には「溶接」とは別らしい(溶着)。ちょい溶けて再び固まるだけ。溶接は、より高度な化学反応(らしい)。

 それよか何が「プロ向け」かって、まずそもそも一般家庭用の電源では溶接機は扱えないこと(例外あります)。要200V単相電源。掃除機みたいに、あのコンセントがついているわけじゃない。

 で、ごく基本的な「アーク溶接機」について(正確には「被覆アーク溶接」です)。それがどんな溶接かはさておき(よう知らん)、そのアーク溶接機を買ったとします。でも、それ本体だけじゃ使えない。作業に用いるホルダー(及びアース)ケーブルが、本体にはついていない。スーパーファミコン本体で例えるなら(カセットは勿論)「コントローラー」がついてない状態。

 何故かというと、必要なケーブルの「長さ」等が使用者や現場によって異なるから。なので、ホルダー(コントローラー)は必要なのを別に自分で用意してね、という。この辺が如何にもプロ向けっぽいですね。難しいことに「標準添付品」すらない。そりゃスーパーファミコンだって、プレイヤー次第で、6ボタンレバー式だったり、連射機能付きだったり、ニーズにあわせて必要なもの別売や非純正品で用意する、というのはわかる。でも、基本のコントローラーがついているので取り急ぎ遊べる。でも、アーク溶接機にはそれすらが無い。

 話は変わりまして、溶接機の種類の中には「発電機兼用溶接機」というものがあります。なるほろ。発電もできて溶接もできる。そりゃいいや。じゃあ「ガス湯沸かし器兼溶接機」とかは? 僕が知る限りそれは無い。「音楽プレーヤー兼用溶接機」も。何でやろう。数多ある実用品の中で、何故、発電機が兼用のパートナーとして選ばれたんだろう。そも何故兼用? 発電機兼用スーパーファミコンとかは?

 ……って、大それた問題じゃなく。前述の通りアーク溶接にはそもそも工業用の電源を確保する必要がある。なので、工場とか設備があればいいけれど、屋外の工事現場だと電源が確保できず溶接ができない。なので、ガソリンエンジンで発電して、溶接する、そのための発電機。で、折角発電するのだから、じゃあコンセントもつけて他の工具も使えるようにしよう、と。ふむ。

 これって「そういえば町中に信号機が沢山あるけど、あれどっから電源とってるんだろうね?」「街灯っていたるところにあるけど、コンセントはどこにつながっているんだろう」みたいな話にも近い。いやそれは電柱、というような、素人らしい見落とし(僕だけですが)。発電機能、というより、機能の前提となる発電(でも機能でもある)。

 さて、こっからが本題です。溶接って要は、強い電気を金属に流して行う。仕組みとしては単純。で、我々業界人は、溶接機本体のこと自体を「電源」と呼びます。スーパーファミコンで「電源」つったら、本体のことじゃなくて、後から伸びているケーブルやACアダプター、またはそれを差し込むコンセント、あたりのところをイメージします。又は、電源ボタンの部分。そうじゃなくて、本体のことを「電源」と呼ぶ。

 それもそうで、強い電気を流す装置だから、溶接機=電源、なんです。電源で、電の源で、その目的は? って話だけど、電源から電気を流したら、結果として金属が溶接していたという話で。だから、あれは、まず「電源」。

 つまり、溶接機を買うってことは「電源」を購入すること。青白い火花が飛び散る……といった溶接のイメージを実践するのは、後で別に買うホルダーや材料の方で、溶接機買ったぞー!つっても、なんかブーンって唸る、パワーだけは秘めてそうな何か、を買ったことになる。

 でもそれって、スーパーファミコンでも同じですね。スーパーファミコン買ったぞー、つっても、あのカラフルな4ボタンのコントローラーは周辺機器、きらびやかな画面はそもそも我が家のテレビ、ゲームの中身はカセット。「スーパーファミコン」だけでいえば、ブーンって唸る(唸らないが)、パワーだけは秘めてそうな何か、に過ぎない。電源、だ。溶接機と違って、複雑な計算はできるのでしょう。しかし、それをどこかで入出力しなければ、それが演算処理とも知られず、やはり電気が唸るだけ。

 それは溶接機やスーパーファミコン特有のことじゃなく。例えば「心臓」もそうだ。中心やや左にずれて肋骨に守られて堂々鎮座し、それは単に生命だけじゃなく、時にその精神までも象徴する。ハート。では、あの心臓が何をしているのかといえば、ドックンドックンと脈を打って血液を運ぶポンプ役。ドックンドックン……あれ、意外と地味な。いや、そんなら全身に必要なその「血液」の方が象徴的じゃないかしら。そんな風に心臓を軽んじたら、止まりそうで怖いけど。

 いや、人のこころ、は実は心臓じゃなくて、脳にあり。脳はどうでしょう。あれも「ドグラ・マグラ」(夢野久作)に拠れば、"脳髄は一種の電話交換局に過ぎない"とのことです。大切な機能を持つ臓器のひとかたまり、じゃなくて、神経の交錯する拠点が肥大化しているに過ぎず、思考しているのは細胞全体、という解釈。

 こうした構造、が何処まで有効かわかりませんが。ある物事の中心にして象徴たる本質は、意外と多機能ではなく、機能や運動としては極めて地味で単調である。地味であるどころか、それ自体は殆ど感知できない。逆に言えば、周辺の末端こそが、その物事自体を実働し、イメージを担う。

 いや……そうした「中心」と「末端」の対比や構図よりも。ただ、中心が、実は地味、というその佇まいに何故かしら惹かれます。電源は唸るだけ。心臓は脈打つだけ。脳は交換するだけ……本質は沈思黙考するのみ。


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