余所見
見たり聴いたりした事について書く雑誌「余所見」ウェブ版のRSS
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2022-01-04T05:00:05+09:00
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2020-12-06T01:08:00+09:00
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山本握微
【連載記事】クリームを添えて
http://yosomi.jp/article.php?id=374
<h2>クリームを添えて</h2><p class='author'>山本握微 / 2020-12-06 10:08:00</p>僕は、その見た目通り、甘いものが好き。ということで、クリームが好き。そこに意外性はない。カスタードクリームも、まあ良いけれど、やはり白いクリームが好き。生クリーム、と、ホイップクリームの違いについては今調べたけれどよくわからなかった。ここでは単純に「クリーム」としておきましょう。
さて、本記事は「肉を焼いて」 <a href="http://yosomi.jp/article.php?id=366" target="_blank">http://yosomi.jp/article.php?id=366</a> 「肉を焼いてってば」 <a href="http://yosomi.jp/article.php?id=367" target="_blank">http://yosomi.jp/article.php?id=367</a> の続きのようなものです。余所見限定スペシャル作文。これらはつまり「何故もっと素直にどんどん肉を焼いていかないのか」という話でありまして、最近クリームについても同様のこと思います。
まず、かつてクリームを味わうといえば、ケーキ、は非日常のこととして、普段は「クレープ」でした。勿論、普段もクレープをそんな食べるわけじゃないのだけど。イトーヨーカドー堺の四階といえば、過日遂に倒産した天牛堺書店ですが、僕にとっては「クレープコペ」でもありました。小さい頃、家族でヨーカドーを訪れた際は決まって「生クリームバナナチョコ」を買ってもらいました。一人で行くようになってからは、まあそんな頻繁に買えるものでもないですが、たまには買っていました。美味しかったですね。今は時折、ディッパーダンでクレープを買いますが、これは包み方が無粋な円柱タイプ、コペの方が美味しかったと思います。
コペは、ヨーカードー自体がなくなるよりも一足先に閉店しました。え……クレープといえば永遠の鉄板料理では、と大変なショックを受けましたっけ。クレープ、実は流行品。よく知らないけど何時だったか原宿でヒットして? それから全国に普及したけれど、それも束の間のブームで廃れただけに過ぎない。タピオカのようなものなのでしょうか。
最後にコペでクレープを食べたのはいつだっけ。覚えているのは高校生の時。或る日ふらふらコペに食べにいくと、違うクラスなので直接的に話したこと無いが、友人のバンドでドラムをやっているすごく格好良い女性が、そこでバイトをしていたのでした。「生クリームバナナチョコひとつ……」何となく気まずい感じでお互い気付かないふりしましたが、あれは恥ずかしかった。方やバンドもバイトもやってる高校生にして大人な女性、方や親からもらった小遣いでクレープを一人で食べにきた文字通りの太ったガキ……甘いクリームにまつわる苦い思い出と言えましょう。
ということで現在、クリームを日常的に食べようと思ったら、コンビニの菓子パンに活路を見出すことになります。が、これがご存知の通り、意外とない。クリームパン、といえばこれも鉄板ですが、カスタードクリームのこと。いやそれも美味しいですけどね、白いクリームの持つ背徳感とは全く別物と考えてよいでしょう。
で、探せばあるにはあるのです。クリーム使ったパンが。しかし、それは何故か、クロワッサンに砂糖をまぶした中にクリームを入れる形だったり、ただでえさえ甘ったるいメロンパンの間に挟んだり、あんこと一緒にしたり。何故か「単体で身体に悪そうなくらい甘い菓子パン」に、更に駄目押しする形でクリームを付加するばかり。おいおいちょっと待てよと。余計なことはせんでええんや。これがたまたまと思いきや、最近意識的に探していますが、各社ともこの有様。クリーム単体の純粋性を損ねるパンばかり。
以前、普通のカスタードクリームパンのように、単に中身がホイップクリーム、みたいな一本独鈷の商品がヤマザキパン辺りから出てたように思うのだけれど、それが無い。
で、先日、ローソンでやっと「ホイップサンド」パンが出ました。期間限定っぽいやつ。いや、そんなスタンダードが期間限定ってなんでやねん!と言いたくなりますが、まあ良いでしょう。もこもこしたふつうのパンにホイップクリームが挟まれている。そうそう、これこれ……と手に取ると……
「やりすぎ!」
という装飾文字が語頭に附加されていることを発見します。正式名称「やりすぎ!ホイップサンド」……なんでや。なんで素直に、普通に、ただ適量のクリームを入れるだけですませられんのや……。
まあ、これは3回くらい食べましたが。でもまた見掛けなくなりました。こんなんでも、まあ、今思えば、あるだけ良かった。実際のところ、量が多い分には別に重要な問題はない。そもそも適量がわかんないし。それでも「やりすぎ!」と言われるのは余計な気がするので何も言わずにそうしてほしかった。
ということで現在、再びクリーム難民となりました。一縷の望みをかけて、ここに情報を募集する次第です。美味しいクリーム(白いふわっとしたやつ。練乳は除く、練乳もいいけどね)を日常的に食べるルートがありましたら、山本までご連絡お願い致します。<br />
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2018-03-15T12:54:46+09:00
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山本握微
【連載記事】三国ヶ丘にて
http://yosomi.jp/article.php?id=373
<h2>三国ヶ丘にて</h2><p class='author'>山本握微 / 2018-03-15 21:54:46</p> 盆踊りは極めて普遍的な楽しみですが、関西各地の盆踊りをあれこれと踊り較べて楽しむのは、少し特別な楽しみ。特別といっても気張った遠征などでなく、飽くまで隣町へ遊びに行く、ごくささやかなこととして(と自分に言い聞かせ)。これが可能なのは、偶然にも実家という宿泊拠点が堺にあるという地の利によるところ多し。例えば伊丹は盆踊り盛んですが、そこから同じく盛んな橋本まで行くのは容易ではありません。以前より、堺を一つの元ネタとして、作品に地名を登場させたり、又は阪堺線をテーマにした短編劇を作ったりしてきたけれど(地元への愛着というより、これといった特徴なく普通に寂れた町に親近感あるから)、斯くして最近の盆踊り趣味からもまた一つ、堺に新しい意義を見出すことができました。
そも堺とは、三つの国の「境」に由来し……というのは皆様ご存知の通りですが、本当に恥ずかしながら、サカイサカイとこれまで言うてきた割には、具体的にその境が何処か、あまり気にしてこなかった(これまで興味の中心は、左海に面した大浜界隈だったこともあり)。
ということで、先ずは復習。その三つ国とは摂津、河内、和泉(泉州)。なるほど……どれもざっくり、大阪、ってイメージはありましたが違いがよくわからなかった。今ではもう少しはっきりわかります。何故なら摂津音頭、河内音頭、泉州音頭と、いづれも国名冠した「音頭」があるから。河内音頭が盛んな河内、はそのまんまですが、摂津は大阪府北中部の大半と兵庫県南東部だから「録音頭(ご当地の音頭だけでなくレコードを用いて各地の民踊や歌謡曲を踊る都市型の盆踊り)が盛んな地域」即ち大阪市内から淀川、尼崎、伊丹など、特徴と地域がピタリ当てはまります(尚、摂津音頭と呼ばれる民踊は伊丹市の旧川辺郡に限られます)。
まあ、それは多分にこじつけ。再び三つ国の境、堺が堺たる境の「一カ所」とは何処なのか? ……ああ「三国ヶ丘」という地名がそうだったんですね。三国ヶ丘は昔から聞き慣れた地名で、特別な感じがない。最初は市内有数の進学校の名前として、次は南海高野線と阪和線が接続する微妙な乗り換え駅として(二十年程前、阪和線は三国ヶ丘駅に急行の類は停まらなかった。高野線は今も通らない)。単に、あのへん、としか印象のなかった地名。
地理的にも境界という感じがない。現在の市境である、わかりやすい大和川のような区切りもない。そのかわり「境」の象徴としてあるのが、府道12号線沿いにある方違神社。あー……なるほど……。あの神社、結構有名とだけ聞いたことあるけれど、寺社仏閣玉姫殿の類にあまり興味なく、スルーしていた。まさしくあそこが「堺」だったとは。意外。そして我が家も、まさしく方違神社のすぐ近く(いや、すぐではないけど、まあわりと近く)にあり。
ということで新年は、生まれて始めて自主的に、初詣をしてきました(正に、初、詣)。秋頃にも行ったのだけど、その時は社が建て替え中でした。方除けの神社ですが、前述のことから勝手に盆踊りの神社と決め込んで、今年も一年、色んな踊りができますよう、また界隈の踊り子たちが無事過ごされますよう、と祈願してきました。
三国の境界故に何処でもない場所が「無」でなく「境」でもなく又「全」でもなく「方違」と表現されるのも、なんか良い。これは「方違え」の風習に由来するからで、この場所自体が何かしら「違う」という否定的な意味ではない、のだけれど。
たがい、は「違い」だけでなく「互い」とも音が通じる。字源も語源も別だろうけど、かみあわない「違い」も、かみあう「互い」も、いづれも重なり合い、干渉し合い、真逆の様相のようでいて、実はよく似ている状態なのかもしれない。ただ、とても不安定である。そわそわとする。すっきりとは収まらない。そんな場所が「方違」と名付けられているなら、そう、と思う。
実際、たがえた「堺の盆踊り」は少し謎めいている。まずそれは堺独自のご当地ものでなく、河内音頭や江州音頭などが流入したもの。他所でも多くはそうだけれど、それがパッケージのままその名で呼ばれるわけでもなく(外部から来たものは、帰って名前が固定されやすいと思うのだけれど)、太鼓の宮入に付随する形で、他の地域に較べて少し変形した足取りで踊られる(金岡神社)。盆踊り巡りに至便な堺、けれど堺そのものは余所に較べてはっきりとした盆踊り文化があるわけじゃない。いや、むしろ夏場は盛んで音頭会も多数あるのだけど、「堺の盆踊り」なるものが一つのパッケージとして余所で披露されたりはしない。不思議なことに、より南の岸和田や貝塚までくれば、今度は泉州音頭として明確な特色となっていく。中心、故の微妙さ。
三国ヶ丘、というイメージをごく私的に流用すれば、私の家族が巡って来た中国、韓国、日本という三つ国にも重なる。これまでは前述の通り、木製洋式燈台が照らす「港」としての堺にそのイメージを委ねて来たけれど「丘」としての堺でも良かったわけか。とはいえそれはやはり、境界線のように明確でなく、横断できるような自由さもなく、また何処でもない場所というほどニュートラルでもなく、方違。その辺りに今現在、私の実家はあり、年老いた両親は、経営する殆ど客の来ない中華料理屋と婦人服屋という隣り合わせるには相性の悪い組み合わせの店舗付住宅の奥で、中国経由で字幕のついた韓国ドラマをネットで観ながら夕飯を食べている。泉州や紀州からの盆踊りの帰り、私もそこに同席する。<br /><a href='file/large/1521118403.jpg'><img src='file/thumb/1521118403.jpg' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1521118410.jpg'><img src='file/thumb/1521118410.jpg' alt='' /></a><br />,<br />
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2018-01-28T12:27:27+09:00
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山本握微
【連載記事】今だッ、弁当を使え!
http://yosomi.jp/article.php?id=372
<h2>今だッ、弁当を使え!</h2><p class='author'>山本握微 / 2018-01-28 21:27:27</p> 先日まで大都会此花区に勤務していたが、栄転と相成り現在は孤島大正区の南端に毎日長距離バスで通勤している。社屋は新しく快適だが、昼休み、近隣に飲食店があまり無いため苦労する。なので、会社が利用している弁当配達サービス(給食)を僕も利用することにした。
最初から利用すれば良かったのだけれど、正確には僕はこの会社の職員ではなく常駐出入業者なので仕組みがわからなかった。また、内勤の多くは弁当を持参していたので、この給食を使う人自体が数人しかいない。誰が窓口・担当なのかもよくわからない。
「そこにマルしときゃいいんだよ」
利用者はそう言う。入口通路の横に表が書いた紙が無造作に置かれてある。日付の行と名前の列。要らない日もあるかもしれないので、毎朝、マルをつける。この表を元にして、後日集金がある。でも突然、ここに名前を連ねてマルしても大丈夫かな。
「いいんじゃない?」
と軽く言うけれど、やはりよくわからない。毎朝、誰かがこれを給食会社にファックスしているんだろうか。何時までに? 一応、その人にも断りを入れる必要があるんじゃなかろうか。先方にも。突然増えたら困らないか。……てなことをウダウダと話したり考えたりしてたら、別の人が教えてくれた。
「あれはね、弁当を車に沢山積んでるの。集計してから配達するんじゃなくて。だから大丈夫」
ああ、なーるほど! そっかそっかー。そりゃそっかー。
配達の人は、ここに来て、初めて必要な数量を確認する。もうその時点で弁当を多数抱えている。当然、他にも色々行っているから、日々増減するだろうし、それをいちいち集計しても仕方無い。廃棄前提で充分な数を用意して、それで必要な数を置いていく、と。合理的(廃棄は宿命的に出るけど)。
よく考えればごく当然の話だけれど、想定していた商流・物流が違うと楽しい気分になれるので、それだけのお話でした。
この給食、味はまあ普通だけれど、おかずの種類はとても多い。これで一食、360円だったか。勿論、普通の弁当屋じゃできないし、配達もしてくれない。まさしくセントラルキッチンの為せる技。
だとすれば。僕がこうして給食の常連利用者になることにより、理論上、コストがまた一つ軽減したと思われる。事実、僕が注文する前は「あんまり美味しくないよ」とみんな言っていたけれど、僕が注文し始めてから、そんなに美味しくない、ものにはあたってないもの。質が上がったのではないか。
給食は、一種類だけ。近隣で利用する会社も、きっとこれ。だからとにかく、単純に注文量が増えれば、より品質が上がる、という計算になる。社内で、社間で、利用者である我々が給食の更なる普及を呼びかけることでどんどん美味しくなるのではないか。それって、売り手と買い手が対立して駆引きするのとかでなく、シンプルでいいじゃん。美味しいおかずに当たるたび、何処かで誰かが僕のように、新しく弁当を使い始めたのだと思うことに。<br />
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2018-01-06T05:43:26+09:00
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山本握微
【連載記事】ベルサイユの天子の闇、日出処のばらの影
http://yosomi.jp/article.php?id=371
<h2>ベルサイユの天子の闇、日出処のばらの影</h2><p class='author'>山本握微 / 2018-01-06 14:43:26</p> 最近はあまり本を読む気分にならないが、実家に帰った時は、寝入る前に適当な漫画を読む。主に姉が残した少女漫画で、僕も小さい頃から既に繰り返し読んでいるから、頭を使わずにすむ。と言ってもさすがに飽きたので、今までなかなか手が出ず未読のままだった「ベルサイユのばら」(池田理代子)を読むことにした。
姉が中学生の頃、宝塚狂いで「ベルサイユのばら」の舞台映像を繰り返し観ていた為、歌や固有名詞、せりふの断片、概ねの話は、同じ部屋にいた僕にも刷り込まれている。姉の影響で少女漫画は昔から好きだが、「ベルサイユのばら」については舞台版の絢爛な印象が強く、特に読みたいとは思わなかった。宝塚はやはり少年の趣味としては難しい。しかし後々、古典的名作には違いないので何時かは読みたいとは考えていた。
斯くしてこの夏このタイミングで、特に必然性のないまま「ベルばら」を集中して読んだのだけど、やはり面白かった、です。宝塚で強く印象づけられた「おめめキラキラむかしの少女漫画」はさぞクドかろう、と覚悟していたけど、全くそんなことはない。快男児オスカルの気っ風良さ、町娘ロザリーの可憐さ、スールスルと入ってくる。
で、読み進める内に「日出処の天子」(山岸凉子)を思い出した。以前、山型浩生の古い書評を読んで興味を持ち、こちらは何年か前に、満を持して読んだのだった。
■ CUT 1994.04 Book Review / ニヒリズムと孤独と「もう一つの道」。
<a href="http://cruel.org/cut/cut199404.html" target="_blank">http://cruel.org/cut/cut199404.html</a>
舞台は6世紀の日本と18世紀のフランス、場所と時間に大きく差はあるが、まあざっくり「歴史もの」に違いなく、物語の中心を為す人物がトランスジェンダーであること、なども共通する(オスカルは、トランスどころかジェンダーに縛られまくっている、ともいえるけど)。
この二つの漫画については最早語り尽くされているので今更何を言っても、なので逆に「浅読み」……実家の本棚にたまたまあったから暇潰しに読んだだけでも得れたこと(但し前述の山形浩生の書評を援用しつつ)、について、ここに書きとめておく。
それは要するに、人生(?)には「公」と「私」2つの領域があるナー、ということ。
人は、まず「公」……社会、制度、生活、政治、理想、役割、使命、倫理、慣習に従って奔走し、それぞれの成果を出す(又は出せない)。かくて革命は成就し、高貴な人々は尊厳を全うし、雨乞いを成し遂げ、夢殿を建立し、政治の実権を握る。
一方「私」……とは、この二作の場合、即ち「愛」で、とにかく愛が歴史と政治の隙間を縫うようにして各方面に乱れ飛び、その多くは(多く「公」が阻害する形で)達成されない。この点が、時代物でありながら、どちらも王道の「少女漫画」たる所以かもしれない。
この「公私」は、表裏や右左といった単純で対称的な二大分類、ではない。
まず、1)登場人物たち自身には通常、公私の区分は容易に見分けがつかない。当たり前だが、普段から公私の区分をわけて考え行動しているわけではない。
そして、2)全体における公私の「割合」が大きく違う。人は通常、多くの時間と思念と行動を「公」のために割く。「私」が差し込む量感的な割合は少ない。意図できる「公」と違って「私」は多くの偶然性(仮面舞踏会の出会いや、水浴びの目撃)よって発生するため、自ずと稀少となる。
それでいて、3)結局、世の中で大切で重要なのは「私」(つまり愛)の方「だけ」である。「公」の積み重ねは「私」の足しにもならない。逆に「私」があれば「公」は実はどうでもよい(「貧しくとも愛があれば」)。
だが、1)の通り、その区分は自明ではないので、4)「私」の欠落を埋めるためにも人々は「公」の営みへと駆り立てられる。アントワネットは心の空白を埋めるために社交会で遊び散財する、という描写があるし、厩戸皇子も全能でありながら、毛人の愛を得るために裏で策略を尽くし、結果的には深い孤独に陥る。そして再び(所詮は無駄な)「公」へと向かわせる(本来は関心が無いはずの俗世の政治に深く介入もする)。
そして、5)「公」は合理的であり、その実現はたとえ困難なれど、道筋は明確に示されている。一方、「私」は不合理で突発的で運命的で、操縦不可能であり、その性質は「公」に属さないだけでなく、逆に「公」と相反する。愛は常に(!)背徳的である。
少女漫画の場合「私」は主に「愛」だけど、同様の構図は少年漫画他にも無くはない。それは「血縁」だったり「絆」だったりする。例えば現代少年漫画の代表「ワンピース」(尾田栄一郎)の主人公、ルフィはどうか。ビブルカードを通じて(義理だけど)兄のエースがピンチと最初に知った時は「エースにはエースの冒険がある」と割り切り、放っておいた。これは海賊である二人の「公」的判断で、潔い。しかし、いよいよエースが処刑されそうになったことが報道されると、ルフィはあらゆる危険を冒し、離散した仲間(「公」的な冒険によって得た)との再会より優先して、別チームの海賊であるが「私」にとって大切なエースの救出に向かう(そして失敗する)。
他には「信念」が相当するか。「ドラゴンボール」(鳥山明)では悟空ら戦闘民族サイヤ人の「より強い敵と戦いたい」という信念(私)により、何度も敢えて強敵を逃し、地球(公)を巻き込んだ窮地に陥る。「あしたのジョー」(ちばてつや,高森朝雄)では、拳闘と力石徹の亡霊(私)に取り憑かれ、無理な減量を経て、パンチドランカー症状を発症し、最後 は「真っ白に燃え尽きる」。紀子によって示された平和な道(公)を無視して。
(例が恣意的ですが)こうした展開はジャンルに限らず多くあり、物語を駆動する根底にもなれば、時に読者をイライラさせ、批判をも招く。(公として)万事丸く収まりそうなところ、(私として)『やっぱり行きます』と書き置きだけ残して去り、「あのバカっ!」と周囲から心配され、案の定一人で勝手に窮地に陥るような。このパターンは漫画等で非常に多くある。
以上。……で? この構図は繰り返す通り定番、「よくある話」であり、別に新しい発見でもない。公より私が大事。ともすれば「モノより思い出」程度の、わかりきった話だ。また漫画独特の話でもない。「本当に大切なことは、実は全体の中の僅か」ということであれば、それこそビジネス書や自己啓発書でよく言及される「パレートの法則」(80対20の法則。成果の8割は、全体の2割に過ぎない優秀な要因が生み出す云々)なんてのもある。
そこでもう一作、同じく実家の本棚にあった漫画「海の闇、月の影」(篠原千絵)を読んでみる。これも特に意味は無く繰り返し読んでいる。ホラー・サスペンス少女漫画の名作で、僕も読み始めた頃は面白く読んだ。が、最近になって読み返すと、人気連載継続の都合(殆どの日本の漫画が持つ構造的宿命だが)によって絶え間なくホラー演出がだらだらと続く「だらしない物語」(ひたすら「哀れ流風はとらわれの身、方や克之は絶体絶命、果たして二人の運命や如何に? 続き次第はまた来週!」で読者の興味を繋ぎとめる、街頭紙芝居的な)の典型とも思うようになった(それ故に面白いのだけれど)。
しかし「ベルサイユのばら」「日出処の天子」に横たわる「公私」の枠組みにあてはめると、少し違って見える。まずは以下(前2作に較べれば知名度が下がるので)あらすじ。
物語は主人公・流風(るか)に、憧れの陸上部の先輩である克之が、告白するシーンから始まる。
しかし流風には双子の姉、流水(るみ)がいた。顔は勿論あらゆる点で二人は似て、克之への想いも同じだった。遠慮する流風を、流水は自身の気持ちを抑えて応援する。
その翌日。流風と流水ら陸上部一行は、部の送別旅行で海岸を散策中、偶然にも古い墳墓に迷いこむ。そこで古代より封じられた謎のウイルスに感染、居合わせた他の部員は全員死亡、双子だけ生き残るが、その作用で強大な超能力を身につけることになる。
こと流水にとって大きな変化は超能力だけでなく、妹を思って封じ込めていた悲しみが増大し、途轍もない憎しみへと変わったこと。流水は超能力を駆使して、流風を殺害し、克之を得ようとする。流水はウイルスを他者へ感染させて操る能力があり、使い方次第では世界をも支配できる。かくて話の規模は大きくなり、天才科学者ジーンをはじめとした多くの第三者も介入し、そして死んでいく。
時に共通の敵を巡って、手を組むこともある流風と流水。二人してウイルスを治療し平常に戻り、和解する可能性も探っていく。しかしそれも失敗し、多数の人を殺害してきた流水を庇いきれなくなった。決別する二人は最後、命をかけて直接対決、流水は敗れ、流風の手によって、幕がひかれる。
様々に流転し、ひたすら引き延ばされる物語だが、この「公私」の構図で解析してみれば……この物語は序盤どころか、最初の一頁目で完全に終了している。克之の愛は最初から流風に向けられ、それは最後まで覆らない。実は何も引き伸ばされていない。
物語は流水の死で終わる。埒外の流水が、埒外で暴れて死んだ、だけ。克之も流風も死なないし変わらない。たとえ物語が、流水の意図通り流風を殺して世界を支配しても(「私」の欠落を埋めようとする「公」の積み重ね)、克之の心(「私」が望むもの)は手に入らない。物語がだらだら続くどころか、実は何も始まりさえしないのがこの作品の正体ではないか。
「流風、あんたは全ての美徳を手に入れた。優しさ、素直さ、愛情。だからせめて世界くらいあたしが手に入れる!」
最終回、悲痛な流水のせりふが象徴する。流水の言う「美徳」は「私」の領域だが、しかし流風は別に「手に入れた」わけではない。それは運命的に流風に備えられ、流水には無かった。代償として流水は「世界」という「公」を手に入れようとするが、その無意味さと虚しさは、物語中で流水も自覚している。
「ベルサイユのばら」に戻れば、流水に相当するのはご存知フェルゼン伯爵だろう。色んな意味で、元より叶わぬ「私」(王妃アントワネットとの愛)のために、あらゆる「公」的な行動に奔走する。アントワネットの死後は冷徹な政治家として振る舞い(これも「私」の欠落による「公」の領域にある)、最後には民衆に撲殺される。
「モノより思い出」「パレートの法則」と大きく違うのは、公私という領域の対象と、その割合である。「公」の領域は広く、「私」の領域はごく僅か。パレートの法則が8対2とするなら、公私は9対1か、或は99%と残り1%か? ……無論、そのような具体的な数値は無い。が、まさしく「公」と「私」で考える通り「世界の広さ」と「自身の小ささ」がその割合比とも考えられる。
意図的にコントロールできる(可能性がある)方が外部である「公」の領域であり、全く理屈も操作も及ばない方が「私」の領域である、というのは皮肉かもしれない。
「オルタナティブ(代替)など無い」というのが少女漫画の世界観かもしれない。今の世の中、例えば二、三十年程度の期間で考えても結構良くなっていて、個人の多様性がそれなりに認められつつあり、且つ自己責任ばかり求められるわけでもない。なので、困っていれば様々な対案や代案が用意される。 しかし、そんなものには意味が無い、という感性。運命的に訪れる、ただ唯一の代替不可能な「私」が無ければ。
或いは、時列的に考えれば、こうした旧来の少女漫画の感性を反省・対抗するために、オルタナティブが叫ばれたと考えるのが妥当かもしれない。では最近の漫画はどうか。例えば映画化で再び大きな話題となった「この世界の片隅に」(こうの史代)。ここでは中身でなくタイトルだけで考えても、これも尚「この世界(公)」と「片隅(私)」の構図が活きている。「この世界の片隅に うちを見つけてくれてありがとう」見つけれらた主人公のすずは、物語のラストで一人の戦災孤児を、今度は見つける。戦中という過酷な「この世界」での創意工夫もこの作品の見所だけれど、勘所はやはり、その「公」世界との対比となる偶然、故に稀少で脆い「私」性となっている。
「(……)これ以降、日本史の教科書に登場する出来事は、すべてがつけたしでしかない。法隆寺も、奈良や平安の世界も、そしてこの平成の御世の現代日本ですら。
(……)王子が最後に落ち込む深いニヒリズムと孤独は、そのまま今の日本を色濃く染め上げている病でもある
(……)男たちには、自分を包む孤独すら見えていない。だがそうした男たち、女たちが、幾世紀をかけて今の日本を築き上げてきたのだ。」
( CUT 1994.04 Book Review / ニヒリズムと孤独と「もう一つの道」 )
「日出処の天子」読んだだけでは、山形浩生の書評におけるこの壮大な射程については理解できなかった。「ベルサイユのばら」を経て少し理解できたような気はする。かくて歴史上の人物たちの奮闘により(勿論、数多の問題はあるけれど)傷つきにくい社会、は目出度く誕生した。それはもしかしたら、「私」が欠落した人々による、虚しい代償行為「公」の営み、つけたし、程度のこととして。しかしこの、良く出来た傷つかない社会をしても、「私」の運命を突如として不合理に左右する天災や事故と、制御も予想も理解できない誰かの「私」が暴走するテロだけは防ぐことはできない。
不意にこの構図を確認することになり、今夏、思わず深いダメージを受けてしまった。いや、この構図自体は従前より認識していたのだけれど、僕が採用したのは「公」こそに重きを置く方だった。それだって、別に進んで選び取ったわけじゃない。様々な経緯と屈折によって、時間をかけて折り合い、ようやく持たざることについては諦めをつけて、そうした中でも持ち得ることについて、僅かながら選んできたもの。それは例えば、芸術や文化を通じて、感性と理知により世界と交流すること、その手立てを創意工夫すること。その背景にある倫理を考察すること。稚拙ながらでも、それならば、できなくもないし、とても大切なことではある。偶然でなく、自分の意思ひとつでできるからこそ、と。そうしたここに至るまでの苦しみも、結果としては必要な営みだった、として一種の美化までなされている(その挙句が、高校の時分より用いる「握微」という名前である)。
が、そうして慎重に切り分けた一切合財も、区分を変えれば所詮は「公」の領域に含まれる、無意味な代償行為に過ぎない、ということか。これが人生の約半分を費やした後で、ようやく気付いたことである。何が間違っていたのか。いや、だから間違えるも間違えないも何も無い、というのが、私の内にあって私ではどうしようもない「私」の領域である。勿論、寝しなに読んだ「ベルばら」一冊だけで、突如この境地に至ったというわけでは無いのだけれど。<br />
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2017-10-19T07:40:33+09:00
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山本握微
【連載記事】本質は沈思黙考するのみ
http://yosomi.jp/article.php?id=370
<h2>本質は沈思黙考するのみ</h2><p class='author'>山本握微 / 2017-10-19 16:40:33</p> 僕は現在、溶接機(及び部品や材料などの溶接関連商品)を販売する会社で働いている。数年前は本に関係する仕事をしていたが、押し寄せる出版不況の影響で、こちらへ転職した。
以前は取り扱い商材が「本」ということで(右から左へ流すだけとはいえ)、それなりに自分の興味と仕事が重複していた。しかし現在の仕事である溶接には、殆ど興味が無い……勿論、金属が繋がってすごい、それって大切、と人並みには思うけれど……。また飽くまで販売なので、自分で溶接したことも無ければ、実際の溶接作業を見たことすらない。
興味外の、しかもそれ自体をするでもなく売るだけ、という仕事。比較的に言えば、あまり面白くない状況。でも何とか、それによって得る「感覚」みたいなものが、何か自分の役に立つ……までは無くても、その感覚自体が面白い、ことがあればと思う。例えば表題のように、何か意味ありげな。その感覚の話。
以下、溶接機の話になりますが、端折りつつ要点のみ、でも長々、しかも正確ではない話なので何卒諸々ご理解の上、ご寛恕下さいませ。
「溶接」という作業はプロ向け。超お気軽な簡単溶接、といのは、あんまし無い。「はんだづけ」がそれに近いかもだけど、あれ正確には「溶接」とは別らしい(溶着)。ちょい溶けて再び固まるだけ。溶接は、より高度な化学反応(らしい)。
それよか何が「プロ向け」かって、まずそもそも一般家庭用の電源では溶接機は扱えないこと(例外あります)。要200V単相電源。掃除機みたいに、あのコンセントがついているわけじゃない。
で、ごく基本的な「アーク溶接機」について(正確には「被覆アーク溶接」です)。それがどんな溶接かはさておき(よう知らん)、そのアーク溶接機を買ったとします。でも、それ本体だけじゃ使えない。作業に用いるホルダー(及びアース)ケーブルが、本体にはついていない。スーパーファミコン本体で例えるなら(カセットは勿論)「コントローラー」がついてない状態。
何故かというと、必要なケーブルの「長さ」等が使用者や現場によって異なるから。なので、ホルダー(コントローラー)は必要なのを別に自分で用意してね、という。この辺が如何にもプロ向けっぽいですね。難しいことに「標準添付品」すらない。そりゃスーパーファミコンだって、プレイヤー次第で、6ボタンレバー式だったり、連射機能付きだったり、ニーズにあわせて必要なもの別売や非純正品で用意する、というのはわかる。でも、基本のコントローラーがついているので取り急ぎ遊べる。でも、アーク溶接機にはそれすらが無い。
話は変わりまして、溶接機の種類の中には「発電機兼用溶接機」というものがあります。なるほろ。発電もできて溶接もできる。そりゃいいや。じゃあ「ガス湯沸かし器兼溶接機」とかは? 僕が知る限りそれは無い。「音楽プレーヤー兼用溶接機」も。何でやろう。数多ある実用品の中で、何故、発電機が兼用のパートナーとして選ばれたんだろう。そも何故兼用? 発電機兼用スーパーファミコンとかは?
……って、大それた問題じゃなく。前述の通りアーク溶接にはそもそも工業用の電源を確保する必要がある。なので、工場とか設備があればいいけれど、屋外の工事現場だと電源が確保できず溶接ができない。なので、ガソリンエンジンで発電して、溶接する、そのための発電機。で、折角発電するのだから、じゃあコンセントもつけて他の工具も使えるようにしよう、と。ふむ。
これって「そういえば町中に信号機が沢山あるけど、あれどっから電源とってるんだろうね?」「街灯っていたるところにあるけど、コンセントはどこにつながっているんだろう」みたいな話にも近い。いやそれは電柱、というような、素人らしい見落とし(僕だけですが)。発電機能、というより、機能の前提となる発電(でも機能でもある)。
さて、こっからが本題です。溶接って要は、強い電気を金属に流して行う。仕組みとしては単純。で、我々業界人は、溶接機本体のこと自体を「電源」と呼びます。スーパーファミコンで「電源」つったら、本体のことじゃなくて、後から伸びているケーブルやACアダプター、またはそれを差し込むコンセント、あたりのところをイメージします。又は、電源ボタンの部分。そうじゃなくて、本体のことを「電源」と呼ぶ。
それもそうで、強い電気を流す装置だから、溶接機=電源、なんです。電源で、電の源で、その目的は? って話だけど、電源から電気を流したら、結果として金属が溶接していたという話で。だから、あれは、まず「電源」。
つまり、溶接機を買うってことは「電源」を購入すること。青白い火花が飛び散る……といった溶接のイメージを実践するのは、後で別に買うホルダーや材料の方で、溶接機買ったぞー!つっても、なんかブーンって唸る、パワーだけは秘めてそうな何か、を買ったことになる。
でもそれって、スーパーファミコンでも同じですね。スーパーファミコン買ったぞー、つっても、あのカラフルな4ボタンのコントローラーは周辺機器、きらびやかな画面はそもそも我が家のテレビ、ゲームの中身はカセット。「スーパーファミコン」だけでいえば、ブーンって唸る(唸らないが)、パワーだけは秘めてそうな何か、に過ぎない。電源、だ。溶接機と違って、複雑な計算はできるのでしょう。しかし、それをどこかで入出力しなければ、それが演算処理とも知られず、やはり電気が唸るだけ。
それは溶接機やスーパーファミコン特有のことじゃなく。例えば「心臓」もそうだ。中心やや左にずれて肋骨に守られて堂々鎮座し、それは単に生命だけじゃなく、時にその精神までも象徴する。ハート。では、あの心臓が何をしているのかといえば、ドックンドックンと脈を打って血液を運ぶポンプ役。ドックンドックン……あれ、意外と地味な。いや、そんなら全身に必要なその「血液」の方が象徴的じゃないかしら。そんな風に心臓を軽んじたら、止まりそうで怖いけど。
いや、人のこころ、は実は心臓じゃなくて、脳にあり。脳はどうでしょう。あれも「ドグラ・マグラ」(夢野久作)に拠れば、"脳髄は一種の電話交換局に過ぎない"とのことです。大切な機能を持つ臓器のひとかたまり、じゃなくて、神経の交錯する拠点が肥大化しているに過ぎず、思考しているのは細胞全体、という解釈。
こうした構造、が何処まで有効かわかりませんが。ある物事の中心にして象徴たる本質は、意外と多機能ではなく、機能や運動としては極めて地味で単調である。地味であるどころか、それ自体は殆ど感知できない。逆に言えば、周辺の末端こそが、その物事自体を実働し、イメージを担う。
いや……そうした「中心」と「末端」の対比や構図よりも。ただ、中心が、実は地味、というその佇まいに何故かしら惹かれます。電源は唸るだけ。心臓は脈打つだけ。脳は交換するだけ……本質は沈思黙考するのみ。
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2017-09-26T06:58:07+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】おしらせ
http://yosomi.jp/article.php?id=369
<h2>おしらせ</h2><p class='author'>山本握微 / 2017-09-26 15:58:07</p> 全国一千万のよそみなさま、こんにちは。
僕がこれまで当「余所見」に書いた記事を、別途「文踏」というウェブログに控えました。
<a href="http://fmfm.kiwamari.org/" target="_blank">http://fmfm.kiwamari.org/</a>
今後も余所見(がある限り)に投稿しつつ、同じく文踏にも控えとしてほぼ同じ内容を投稿しますので、縦書き派は余所見にて、横書き派は文踏にて、斜め書き派は斜に構え、変わらぬご愛顧賜りますよう宜しくお願い致します。
過去記事については文踏の方が参照しやすいと思いますので、この機会にそちらもお読みいただければ幸いです(肉を焼く云々等、一部内容があんまりなものは控えず、また一部書き換えもしています)。
文踏は「ふみふみ」とお読み下さいませ。こちらは「作文の練習」ということで、余所見以外の作文も書く予定です。
以上、宜しくお願い申し上げます。<br />
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2017-08-15T07:52:12+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】似姿論
http://yosomi.jp/article.php?id=368
<h2>似姿論</h2><p class='author'>山本握微 / 2017-08-15 16:52:12</p>※ この作文は、(かなり)以前に発行した余所見の何かしら小冊子に収録したものです。発掘したので、ここに再録します。
こんにちは。似姿研究室へようこそ。それでは今日も早速「物語における似姿」について楽しい議論を交わしましょう。
何? 物語における似姿、がどういう意味かわからない? なるほど、貴方は偶然、この研究室に迷い込んできたのですね。何、ご心配はありません。すぐにあなたもめくるめく似姿の世界の虜になるでしょう……。
似姿とは文字通り、似ている姿。つまり「そっくりさん」のことですね。物語、主に漫画における登場人物の、そっくりさん、が私の研究対象です。しかも、ただ、そっくりさん、なだけでなく、
「登場人物が主に死亡するなどして退場した後、唐突に登場してその後釜を担うそっくりさん」
が対象です。何言っているのかわからない?
つまり……「物語を盛り上げるために、どうしても登場人物の死が必要だが、一方でこいつが死んじゃうと、後々の展開に困る……そうだ、じゃあ、こいつに兄弟か何かがいたことにして、その後の役割を継ぐことにしよう! 顔もそっくりにしておけば、違和感もないだろう……これで物語も盛り上がるし、破綻しないし、一挙両得、三方良し、そっくりさんさまさまや!」……これです。
そんなご都合主義がまかり通るのか? とにもかくにも、そんな似姿たちの実例を見て行きましょう。
先ず、一番有名どころはご存知「金田一少年の事件簿」に出てくる、佐木竜太と竜二です。
竜太は金田一少年の同級生で、レギュラーメンバーとして一緒に事件へ巻き込まれます。彼は映像機器を扱う店の息子であり、彼自身もビデオカメラを常に携行し、撮影しています。それが証拠として活きることもあり、まさに探偵ものにうってつけなキャラクター。そんな彼自身の出自もまたご都合主義と言えるかもしれませんが、そんな性格・役割が災いし、ある事件で偶然トリックをといてしまい、犯人に口封じのために殺害されてしまいます! 週刊少年漫画で、レギュラーメンバー、しかも主人公と同じ学生が、殺されてしまう……。なんだかんだいってレギュラーは安泰でしょ、という暗黙のお約束を反故にしており、かなりショッキングでした。
が! その後、彼の弟である竜二が後を継いで、レギュラーメンバーになります。性格も見た目もそっくり。兄と同じく映像機器を携行し、物語における役割も同じように果たします。
事件後、佐木家では悲痛な葬儀が行われたと想像しますが……そっくりな弟がこんなに元気なんだから、ま、いっか、兄のことはまあ、しゃあなかったわな、という気になります。
思い切ってお約束を破る、まるでその反作用として生じたご都合主義……。やはり少年誌では、彼は死にました、それだけです、じゃすまなかったのでしょうか。その後も、常に埋め合わせることの決してできない彼の不在を痛感しながら物語を進めることは、できなかったのでしょうか(あらゆるエピソードのラストを「いくら事件を解決しようが竜太は戻ってこない……」で結ぶ)。
でも、そっくりの弟がその跡を継ぐことで済む話、なのでしょうか。
次に紹介しますのは、似姿といえば、の「静かなるドン」です。つい先日、とうとう二十年以上に渡る連載が終了し、単行本にして百八巻を予定している大長編。ですが、その物語は精密に練られたプロットというより、古き良き週刊漫画といった感じで、極めて行き当たりばったり、でたとこ勝負。でもこれがべらぼうに面白い!
「憎しみの連鎖」が大きなテーマですが、連鎖というより「連載」と言い換えた方がいいでしょう。人気がある故に続く、続く故に憎しみが断ち切られない、新たな戦いが常に起きる……結局、登場人物の殆どが死に絶えることによってしか、物語を終わらせることができませんでした。
登場人物が新陳代謝するこの物語は、似姿のオンパレード。死んでしまったヤクザには、実は双子の弟がいて(万間正造、万間猛)と、復讐劇に暇なし。
面白いのは、そっくりなのに、似姿の所以が兄弟とは限らないことです。近藤の側近の一人、沖田は、渋い役どころですが、抗争のうちに悲惨な死を遂げます。その跡を継いだのは、引田。名前も顔も性格そっくり。姓が違うので血縁でもないはず。でも、そっくり。この引田、結果的にはほんの序盤で死ぬ沖田に比べて長く活躍しますが、最後の抗争では沖田同様、あっさり死亡します。
静かなるドンに欠かすことのできないコメディリリーフ、生倉新八。その配下で、戦闘隊長の小林秋奈。この二人の遣り取りは、ああ「静かなるドン」だなー、という気分になる名シーン。小林は、銃弾を避ける、という特殊能力があります。避けた後「チッチッチ」と指を振って挑発するのがお決まり。この特殊能力のおかげで、血なまぐさい物語でも、ギャグキャラクターとして生きながらえるだろう……と思いきや! とうとう敵に囚われの身となり、避け切れないほどの銃弾を浴びせられ、絶命してしまいます。
ええ! こいつ殺しちゃうの? と、誰もが思ったに違いありません。もう、あの二人の遣り取り見られないじゃん……。しかし、その後を、今度は「大林」なる人物が現れ、引き継ぎます。これもまた、似て非なる名前。ただし、完全にそっくりというわけではなく、小が大になったという感じで、小林に比べ大林は体格がずっしりしています。でもやっぱり髪型など、キャラクターデザインはそっくり。大林は、「危険を察知する」という特殊能力があり、危険が迫ると辺りをうろつき叫び回る、という滑稽なシーンも。あの銃弾避けほどインパクトはないが、まあこれで安心か……と、思いましたが、やはり小林に及ばず、その後影が薄くなり、登場しなくなります。似姿の失敗作。
え、何ですって? 所詮、似姿は、週刊漫画誌程度の安っぽい、いわばパルプフィクションの産物に過ぎず、議論に値しない、ですって?
では、とっておき、バリバリのアート方面から、似姿の例を紹介しましょう。
あの蓮実重彦も絶賛した映画、ヴィターリー・カネフスキー監督のロシア映画「動くな、死ね、甦れ!」。カンヌ国際映画祭のカメラドール賞受賞の、文句なしのアート系ですね。
観たのだいぶ前なので、どんなんか忘れましたが。終戦直後、ロシアの村に生きる、反抗的な少年ワレルカが起こす度の過ぎた悪戯。そんな彼を、ツンツン見守る魅力的な少女ガリーヤ。何故か忘れましたが、ガリーヤはラストで死んじゃいます。可哀想に。その死に衝撃を受けた彼女の母親が全裸で狂乱する、という衝撃的なシーンが映画のラストです。
これだけのことをやらかしておいて!……続編の「ひとりで生きる」では、実は彼女にワーリャという妹がいて、死んだ姉に成り代わり、ワレルカを見守るのです! 演じるのは、同じ俳優、ディナーラ・ドルカーロワ。同一人物だから、まごうことなき似姿です。というか、殆ど、前作の死だけが無かったことにされて物語が続くような状態。勿論、第一作ではワーリャの存在は一言も触れられません。
それってどうなの?(ソ連だけに)。フェミニズム的にいえば、滅茶苦茶です。男の主人公を可憐に見守り続ける少女、例え死んでも今度はそっくりの妹が用意されている。
このように、似姿の問題というのは、単なる「ご都合主義」だけの問題でなく、その根底には倫理的な問題が潜みます。いてほしい、という「生」と、いなくなってしまえばいい、という「死」を、フィクションならではの手法「似姿」によって折り合いをつける。現実的には不可能だからこそ、この物語の表現は、看過できない違和感を持つ。
それにしても……普通に考えれば手法として「似姿」は下の下でしょう。いわば夢オチに類するような。それでもしばしば用いられる似姿の妖しき魅力。もし、他に似姿の例がありましたら教えて下さい。
追記
CLAMPの漫画って、敢えて「似姿」がモチーフになっていましたっけ。「X」でそんなシーンがあったような。<br />
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2017-07-26T07:44:56+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】肉を焼いてってば
http://yosomi.jp/article.php?id=367
<h2>肉を焼いてってば</h2><p class='author'>山本握微 / 2017-07-26 16:44:56</p> 前回記事の続きです。それを書いた直後に盆踊り等に行きました。そこで出会った「肉」についてご紹介致します。
まずは一枚目の写真。これは阪急宝塚線服部天神駅より西へ伸びる商店街にあったお店。前回の記事でも書いた、軒先で気軽に食べられそうな、ホルモン屋さんですね。今写真を見ると豚足も売っているみたい。と言うか豚専門? こんな店が近所にあればいいのだけど(その日は通りかかっただけです)。
続きまして二枚目。小学校の校庭で開かれる夏祭り、そこで焼かれる豚肉串です。とてもとてもいいですね。今回は豚ですが、次回は牛でお願いしたい。不思議なことに、他にも屋台は幾つかありましたが、ここと並ぶ「焼そば」屋台の方が圧倒的人気。ふーむ。焼そばもいいけど、やはりダイレクトに豚、肉、串にもっと殺到していいのでは?
とは言え、こちらも大人気。しかし……豚だから丁寧に焼かないとならない関係もあってか、なかなか列が進まない。並んでいて「もっとまとめて焼いて!」と思う。なんてったって、あなたは豚の肉を焼いているわけでしょう。とうもろこしじゃなくて、肉を。みんなそれ欲しいに決まっているのだから、もっとじゃんじゃん一度に焼くべきだ、と(写真の鉄板部分を見ていただければこの焦燥が伝わるのではないかと思います)。とはいえ、本職の方ではなく、ご近所の方が好意で焼いてくれているもの。文句は言えません(鉄板のスペース配分に理由があるのかもしれません)。しかし、隣では盆踊りが進んでいきます。あんまり好きじゃない「きよしのズンドコ節」が流れるたびに列へ並び直すも大好きな「ズンパ音頭」が流れてまた抜ける、の繰り返し(他の踊っていた人に「あ、帰ってきた」と言われた)。
かくしていよいよ注文。その前に多少の駆け引きがありましたが。僕の前を並ぶ少年は500円玉を手に持っています。価格は1本200円、3本でお得な500円。そして目の前の鉄板で焼きあがっていそうな豚肉串は、現在5本。僕は勿論3本買う予定(一人で食べる)。目の前の少年は? ……もしありったけの500円を費やして3本買うなら、残りは2本、1本足らないので再び焼き上がりを待たねばならぬ。並んでいる途中、少年のお母さんやってきて「何本買うの?」「う?ん、焼そばは食べたし、もうこの残り500円で3本買おうかな!」。いや確かに、僕もそちらをお勧めしますが……。でも、最終的には少年が注文したのは一本だけ。ごめんね(別に向こうが気を遣ったわけではないでしょうが)。
かくて三枚目の写真。これがすごいボリューム! 少年、一人で食べるなら一本で正解だったよ。まあ、僕はまだ何も食べてないので。缶ビールも買いました(300円、これで800円というわけで、こんな散財してっから……! でも、この串3本で500円というのは安い)。美味しい! 肉を、塩コショウで味付けして焼けば、斯くの如し。
そもそも、こうした、「屋台で肉」ってのも、以前は無かったような。まずもって粉物ばかり。まあそもそも利益率が良い、ってことなのでしょう。具だけで売る、みたいな話ですものね。
変わりまして後日、別のお祭り。これは神社で行われるので本職テキ屋ですが、数は少ない。はしまき、ゲソ焼、焼とうもろこし、カキ氷……うーん、肉は……あ、一軒だけありました! 焼鳥屋が。……鳥かあ……でも美味しそう。一本300円のお祭り値段ですが。
で、四枚目の写真。塩かタレか選べます。これもなかなかのボリュームです。やっぱり焼きたては美味しい。
しかし、やっぱり「牛肉」はなかなか無い。うーん……。
日付を今度は前に戻しまして、園田競馬場の夏祭り。写真を撮るのを忘れましたが、牛肉、ありました! しかも、ステーキです。串焼きでなく、鉄板で焼いたステーキを、スッスッと切って紙皿に出すスタイル。
「ステーキください」「ハラミステーキかサーロインステーキの二種類あるけど、どっち?」
……? よくわかんないけど、語感から考えたらサーロインステーキですよね。同じ価格(500円)だし。ハラミ、って勿論好きですが、赤味でありながら実はホルモンの一種という説も聞いたことあります。やや輪郭が不明な柔らかい歯ごたえ。サーロインステーキかハラミステーキかっつったら、サーロインになりますわな。サーロインの意味知らないけど。
でも、僕はそれほどグルメなわけではないので、このタイミングで重要なのは、牛肉、って感じ。同じ価格でも、ハラミステーキの方が量が多いのではないかしら。
「じゃあ……サーロインステーキで……」まあ仕方無い。そんな考え込むわけにはいかないし、ハラミステーキの量が多い保証はないのだから。
まあ、それにしても。何故、肉は斯くも遠きものなのかしら。価格が高いから、利益率の問題。狂牛病問題、というのがありましたねえ。ありましたというか、当然今もあって、あれどうなったのかしら。以前はもっと、安かったのか。
あと、煙の問題があるでしょうね。そこら辺で焼くとしたら。牛肉を焼くと、とにかく煙が出る。あれなんで? 単に肉を焼いたらいいってんなら、勿論、自分で焼くのが安上がり、ということでコンロ用の網焼き装置を買い、給湯室で牛肉を焼いたところ、煙がとんでもないことになりました。火災報知器が鳴ってしまう! ということで丁度すっぽりはまる菓子箱を報知器にかぶせたり。とはいえ、煙や匂いどうしようもなく、共同の給湯室で牛肉を焼くのは向いてないと知りました。で、色々工夫をしまして、自室にいながらにして牛肉を焼いてもあんまり問題のない装置を開発しました。装置の仕様自体にはかなり問題がありますが、果たしてどのような装置かお察し下さい。
誰にも煙で迷惑をかけることない空間で、気兼ねなく思い切り肉を焼きたい……あああああ! 人それバーベキューという……。文化圏が……。まあ面倒ですね。
中国では牛肉はないですが、羊肉串はそこら中で焼かれています。元はイスラム圏、ウイグル料理(なので羊)、ですが今は中国全土で人気みたい。中華料理といえばラーメンに天津飯!……というのは正にファンタ・チャイナで、中華料理といえば、実は羊肉串。ただこれも、流行り過ぎて煙害がかなり問題となっているみたいです。この羊肉串、日本でも華僑系の中華料理屋で食べることができます。また毎週日曜日、鶴見区と大東市の境界で開かれる中国人朝市では軒先で焼いているので一本百円でもっと気軽に食べることができます。
しかし、日本人はそもそも牛肉を食べなかった。牛肉を焼く焼肉、それだけでもう隣国韓国料理。牛はいたのか。牛乳も昔は飲まなかったよね。西洋化する前は、牛はただのその辺にいる動物だったのか。でも牛車、ってあったよな。これだけの食材でありながら、長い間ただの友達だったんか……。
たった今、wikipediaで調べたところ、昔々は牛肉食べてたけど、朝廷やら幕府が農耕に牛を活用するために禁じたのか。それで長らくタブーとなって、明治維新からやっと、という。なるへそ、いやー……現代に生まれて良かった。いや、もうちょっと手前が良かったのか?
気軽に牛肉を食べられる何かがあったら教えてください。<br /><a href='file/large/1501054998.JPG'><img src='file/thumb/1501054998.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1501055002.JPG'><img src='file/thumb/1501055002.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1501055006.jpg'><img src='file/thumb/1501055006.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1501055010.jpg'><img src='file/thumb/1501055010.jpg' alt='' /></a><br /><br />
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2017-07-22T04:32:47+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】肉を焼いて
http://yosomi.jp/article.php?id=366
<h2>肉を焼いて</h2><p class='author'>山本握微 / 2017-07-22 13:32:47</p> 僕の体重は丁度百キロ。覚えやすいですね。覚えてしまいましたね。どうでもいいことを。どうでもいいというよりむしろネガティブな情報ですが。さて、その見てくれの通り、僕は「食べること」が好き。とは言え、大盛り、とかはあんまりしません。近所の定食屋で注文時「ごはん大盛り無料ですけどどうします?」「普通でいいです」配膳前「ごはんは大盛りでしたっけ?」「普通にしてください」配膳後「ご飯大盛りでーす!」「…………」みたいなことよくあり、その点は誤解されがちです。たまに昼食を他人とともにした時も「そんなんで足りる?」とよく言われます。僕も「こんなに小食なのに何故こんなに太るのだろう?」と考えたこともありますが、話としては単純で、一回辺り摂る量は普通だけれど、間食を沢山する。良くないことです。僕は煙草を吸いませんが、ニコチン中毒者が絶えず煙草を吸う如く、コンビニで巻寿司を買って咥える。チェーンスモーカーならぬ、チェーンイーター。所謂「食中毒」というわけです。所謂食中毒とは意味が違ってきますが。例えお腹が減っていなくても、一服するために、何かを食べる。
斯くて絶えず小腹を満たそうとするわけですが、この日本において、それはなかなか難しい問題。まあ、コンビニでおにぎりやらサンドイッチやら買うことが多い。しかし、悲しいこと、コンビニの食べ物ってあんまり美味しく無い。味付けとかの話でなく、単に出来合のものばかりだから。出来立てがない。出来立てなら、味付けなんかざっくりでも美味しいはず。でも、コンビニの品質が進化するとしたら味付けの種類ばかり。
日本には屋台が(普段)無い。出来立てのものを食べようと思ったら、お店に入ってがっつり食べるしか無い。少し食べよう、と思ったら、コンビニの出来合に限る。海外だと、まあこれも地域によりますが、そこら中に屋台があって、現在進行形で焼いたり煮たりしている。それを小銭でポイポイ食べられる。我らが経済大国日本には、それがない。何で!
あと、僕は見た目通り、「肉」が好きです。鶏肉も、豚肉も、羊肉も。でもやっぱり牛肉が一番好き。そのまんまですが、それは仕方無いこと。たまに食べると「これはやりすぎやろう」という美味さ。豚肉なんかは、ブタミン、とかいって、何か肉だけど栄養も悪くない、みたいな感じありますが、牛肉は圧倒的な美味さと、圧倒的な身体には悪そうな感じ。まあ、駆引きがなくていい。
しかしじゃ。何やろう、この「牛肉」へのアクセシビリティの悪さ、というのは。焼き鳥は、居酒屋の代名詞じゃないかというほど普及している。あと、例えばコンビニでは「カラアゲくん」みたいに揚げたてが食べられないことも無い。豚肉も、豚肉料理沢山あるから言うまでもない。
そりゃお金があったら、焼肉屋さんへいく。でも、前述の通り、僕は間食として焼きたての「牛肉」を食べたいのです。
しかし……無い。出来合のものすら。スーパーやコンビニ行くと、総菜としての、鶏肉味つけたものがある。豚肉もある。しかし、牛肉はない。何故だ。しかし例えば、牛カルビ弁当、なんかはあったりする。別に品質は問わないから、そのカルビ弁当に載っている牛カルビだけ気軽に買えるように売ってくれ。
後は……たまにだけど、たこ焼き屋さんみたいな店構えで、というか兼用で、ホルモン煮込みを売っている店は、たまにあるな。あれは、数少ない「出来立ての牛肉料理を気軽に間食として食べられる」やつ。でも、部位はホルモンだし、煮込みだし、と少しづつ外してきやがる!
今のところ、その意味で牛肉を気軽に食べられるのは、僕が知る限り一カ所のみ。道頓堀にある焼肉屋、軒先で牛肉串を売っているところがある。一本三百円。まあ、そも何故牛肉が気軽に売られていないかという点でいえば「牛肉は高いから」なので、これはかなり良心的な値段と思われます。できるじゃん。もっと、牛肉を焼こうぜ、そこら中で。
そして最近。「立ち食いスタイルでステーキを気軽に安価で提供する新発想の店が人気!」だとか。この件について僕は、非常に怒っています。牛肉を焼いて気軽に安価で提供したら、そりゃ人気出て当然やろ! それを大層に、なーにを今更! で、「おお、そりゃ気付かなかったわ!」と、今は雨後の筍の如く、ステーキ店が多数………。おい、ってなもんや!
(怒りのあまり、その手の店には行ったことありません)<br />
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2017-06-23T08:14:31+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】もちかぶ
http://yosomi.jp/article.php?id=364
<h2>もちかぶ</h2><p class='author'>山本握微 / 2017-06-23 17:14:31</p> 田中さんは小さい頃からお菓子を作るのが趣味で、大人になって実家のガレージを利用してお菓子屋さんを開きました。毎朝、早起きして近所のスーパーに行って食材を仕入れ、台所でお菓子を作り、お店に並べます。「おかしの田中」という看板を作って軒先に立てました。大層な評判で、お店は大繁盛。スーパー買い出しでは間に合わなくて、業者と契約して日々食材を配達してもらうことにします。お店も2号店、3号店と増えて、工場と販売所をわけることにしました。従業員もたくさん雇いました。と言った按配で、多額のお金を様々なところと遣り取りするようになったので、各専門家と相談して、お店を株式会社として立ち上げます。「田中製菓株式会社」の誕生です。経営は順調で、工場も店も日本に留まらず、世界各地に。その過程で系列子会社も沢山できました。それらを効率的に統制するために、事業は全て子会社に分配し、最初の会社である田中製菓株式会社はそれら子会社の株を保有する、所謂持株会社となりました……。
……という話があったとする。最初は田中さんの趣味であったお菓子作りが、仕事になって、会社になって、どんどん発展していく、というもの。田中製菓株式会社という、巨大な会社になっても、それは田中さんの趣味からはじまる思いの結晶、その発展、「おかしの田中」の後継に違いない。しかし、最終的には田中製菓株式会社それ自体は「持株会社」となり、遂にお菓子を作らなくなる(!)。
この流れに区切りを設けるなら、趣味が仕事になった瞬間でなく、個人店から株式会社になった瞬間でなく、田中製菓株式会社が持株会社になる瞬間、としたい。
人が行う事業を、より社会的に円滑に進めるために株式会社の制度を作り出したとして、しかしその制度を突き詰めていくと、制度によって事業を行わない会社が生まれる……。概念の「のりこし」の一種一例でしょうか。
もちかぶ……名前からしてヘンテコリンだ、と思っていたけど、ああ、よく聞く「ホールディング」って、ホールドしてる、持っている、って意味か。なんか、大きな会社につく名称だから、何と言うか、立派なホールを持っている感じだと思っていた。屋号に「何々堂」みたいな、建築が末尾につく、みたいな感じだと思ってた。そんだけ。<br />
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2017-02-11T17:11:27+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】のりこし
http://yosomi.jp/article.php?id=363
<h2>のりこし</h2><p class='author'>山本握微 / 2017-02-12 02:11:27</p> 先ずは末尾に記載した写真を御覧下さい。これは大阪駅の改札付近にある「のりこし精算機」です。堂々とした「のりこし精算機」の青い看板が目立ちます。さすが日曜日の夕方ともあって、行列が出来ていますが、充実の2台体制。勿論、駅改札口は他にも複数あり、当然、のりこし精算機はこれ以外も多数あります。
いや素晴らしい。駅によってはのりこし精算機の位置が微妙で、わかりにくかったりする。改札の直前まで来て、のりこし精算機何処!ってなって、そっちかいやと、わざわざ引き返せねばならなかったり。そういう時は、もっと目立つ看板でも置いて! と思う。のりこし精算機、とても大切なんだから。
そういえば、ちょっと前から、ICカードで10円単位でチャージができるようになり、のりこし精算がスムーズになった(のりこし精算というより、のりこした分だけチャージですが)。ソフトウェアも進化している。以前は、折角ICカードで乗っているのに、乗り越したら、別途、出場のためだけの精算券が発行されたりしたのだった。余計なゴミは出ないし、素晴らしい。
この看板を見て思ったんだけど、のりこし精算機のこと英語で「Fare Adjustment」と言うのか。ふーん。アドジャストメント……きっちりする、って感じか? 海外に行った時のために覚えておこうっと。
ふむ。
……あれ?
小さい頃、のりこし精算機の意味がわからなかった。
いや、意味はすぐわかった。
「あれは何?」「のりこし精算機」「なにそれ」「のりこした時に精算する機械」「のりこし?」「買った切符よりも、乗り越した時に差額を払うの」「……何で、最初から切符を買わないの」
そりゃ確かに、そういうことあるかもしれない。乗っている途中で気が変わって、もっと遠くへ行こうとしたり。うっかり乗り過ごして、まあいいか、ここで降りる、となった場合。
でも何で、そういうイレギュラーな事態のために、そんな大層な機械が用意されているのか。わからない。しかも、かなり重要なものとして、目立つ位置に設置され、大きく案内されている。そして多くの人が、実際にのりこし精算機を利用する。
勿論、今はわかる。のりこし精算機の、意味や機能だけでなく、その位置付けと、運用の実際。と言うか、僕は毎回といっていいほどのりこし精算機を利用する。券売機より利用する。
のりこし精算機についてはわかった。しかし、世の中には「こういうこと」が結構ある。本質から、ズレているようで、実際的には重要なことが。券売機が重要なのはわかるけど、のりこし精算機が重要ってのは……。それについて、何故そこが重要なの、と問うても、そっち側の人にとっては当たり前過ぎて、疑問に思うこと自体が想定されない。「いや、のりこししたら精算が必要でしょ?」と。
そういう事態に直面した時、いつも咄嗟に例えが出ずにいるので、今日ふと、のりこし精算しながら思い出し、メモする次第。つまり、時に概念が「のりこし精算」を必要とするわけだ。<br /><a href='file/large/1486832566.jpg'><img src='file/thumb/1486832566.jpg' alt='' /></a><br /><br />
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2017-01-21T18:45:10+09:00
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中島彩
【連載記事】沈黙
http://yosomi.jp/article.php?id=362
<h2>沈黙</h2><p class='author'>中島彩 / 2017-01-22 03:45:10</p> 遠藤周作の小説「沈黙」がマーティン・スコセッシ監督により映画化されて、今日が公開初日。
見てきた。
結論から言うと、素晴らしくよくできていたけれど、私は今とても複雑な気持ちだ。
そもそも、原作の小説がすごく好きだ。いや、好きとはちょっと違うかも知れない。それは私にとってひどく心を揺さぶられる小説だった。
キリスト教徒が迫害された江戸時代の日本を舞台に、ポルトガルから密入国してきた宣教師を主人公においた物語である。私は江戸時代を生きてきたわけでもないし、キリスト教にも縁もゆかりもない。けれど私は「沈黙」を読みながら、そして読んだ後も、この作品に書かれていることを考えていた。それは信仰(といっても宗教に限らず、何かを信じること。あるいは信念のようなもの)とは何か、自分の軸となるものは何か、それは社会の中で変わるものなのか、道徳とは、正義とは、そういったこと。それは、読むまではモヤモヤと感じていた自分に対する違和感に、明確な命題が与えられたような感覚だった。
映画は本当によくできていた。映像は美しい。ひとつひとつのショットも、ライティングも、カメラワークも、これこそが映画だと思えるような美しさ。ロケーションもいい。いい、というか合ってる。というのも、私は「沈黙」の舞台となる五島や長崎に行ったことがある。旅の前後に遠藤周作の本を読み、今も残っている教会や切支丹墓地を廻っていた。私の見た海の暗さや、島の端の鬱蒼とした森。それは同じ目で見たものではないけれど、確かにこの映像なのだ。
そして、俳優のキャスティングと、それぞれの演技も素晴らしかった。
若い宣教師ロドリゴ役(アンドリュー・ガーフィールド)は彫りの深い顔立ちで、表情が豊か。確かに、この話の中では、この顔立ちであるべきなのだ。それが一層日本人の薄っぺらい顔を引き立たせる。
裏切り者のキチジロー役は窪塚洋介で、彼の斜視の目が気味悪さや得体の知れなさを醸し出し、切支丹弾圧を先導する筑後守役のイッセー尾形も、その声や仕草にひょうきんさを感じさせるのに、一瞬の表情に冷酷さを覗かせる。
それから名も無い漁師や農民たちの顔。原作には彼らの顔についての印象的な描写が幾つかある。若い宣教師には、日本人の薄い顔は、骨格の違いと言うより、苦しみを押し込め表情を張り付かせた仮面の様に見えるのである。そしてその仮面の奥に不気味なものを感じている。そこで描かれている顔は、確かにこの顔なのかも知れないと、映像を見ながら思った。
実体のロドリゴが、キチジローが、農民たちがいる…
「沈黙」の映像化として、マーティン・スコセッシのこの映画は完璧だ。きっと彼は原作を何度も読み返し、ひとつひとつ丁寧に作り上げていったのだろう。私はそこに敬意を抱くし、共感を感じる。
だけれど、見終わったあと、私の胸にはポカリと穴があいたような寂しさがあった。
本を手に、白い紙に印刷された文字を追っている間、私の頭の中で登場人物たちはもっとぼんやりとした顔で、だからこそそれは時々私自身の顔にもなった。私はロドリゴの中に自分と同じ生真面目さを見つけ、だからこそ一緒に迷い苦しんだし、キチジローの弱さを自分の弱さの様に悔い、筑後守の政治的判断にも一理あるとシンパシーを感じた。時には拷問を見守る農民となって、悲しみと同時に、拷問されるのが自分ではなかったと安堵を感じもした。
しかしその感覚が、映画の中では感じられなかった。俳優の演技は素晴らしく、だからこそロドリゴはロドリゴでしかなく、キチジローはキチジローでしかなかった。映画の中のことは映画のことでしかなく、自分自身がスクリーンに投影されることがない。そんな疎外感を感じたのである。
それは、文学と映画と言う芸術の特性によるものかも知れない。言葉の選び方や句読点の打ち方まで、作家の息づかいを感じながら自分の脳裏に描き出して味わう文学と、映像や音声の圧倒的な情報量を前に、観客として享受する映画。
あるいはこの映画を、自分のものとして消化吸収することもできるかも知れない。例えば本を読む時は独りであるように、映画館の観客席を独り占めできたら。(というのはこの映画中のサウンドトラックもすごくよくて、タイトルの通り無音の場面や小さな音の効果が効いていた。それで余計に他の観客の気配が気になる)
もしくは何度も何度も、セリフ回しを覚えるくらいに映画館に足を運んだら。
そうしたら、この映画は私の血肉となってくれるだろうか。
これは原作あっての映像化にまつわる、よくある話の様に聞こえるかも知れない。けれど、そうじゃないと言いたい。
大概の映像化は、「原作をうまく描けていない」か、「別の作品として成功している」かのどちらかだ。前者の場合は、「ここが違う」「と言えることで、自分の中の原作像を保つことができる。後者の場合は単純に別物として享受すればよく、やはり原作像は保たれる。そうでなくて「沈黙」はそのままに正しく映像化されているのだ。だからこその寂しさ。
私は、私の「沈黙」を独り占めしたかった。
(感動は共有すると増幅する、なんてよく言われるけれど、それって本当?というのは、このところ疑問だ。人に話すうちにどんどん失われていく気がして、私はできるだけ話したくなくて、それは余所見の記事を書く時にも、どうしたら消費ではなく、かといって人の心に残したいわけでもないけれど、ただあるように書けるだろうか。)
この映画でひとつだけ違うと主張できる点は、ラストシーンによって、「沈黙」がキリスト者のための映画になってしまったことだ。映画が時間を伴う芸術である以上、ラストの印象的なショットは当然のことかも知れない。
けれど遠藤周作の「沈黙」は決してキリスト者だけのためのものではなかった。小説「沈黙」の制作ノートと言える「切支丹の里」というエッセイに、遠藤周作は切支丹弾圧への関心が踏絵を踏んだもの、裏切り者を想うことから始まったと書いている。遠藤周作は、文学者だけができることとして、徹底的に弱者に目を向け、声を聞き、描こうとしたのだ。そのためにも、ラストはドラマチックであってはならず、小説のラストは切支丹屋敷役人日記という資料を引用した形で、淡々と終わっている。だからこそこの小説は誰もがに訴えかける力を持つのだ。
それでも、マーティン・スコセッシ監督のこの映画は素晴らしい。
ただ、誰もがに見られたくはない。原作の小説を読んでいない人にはもちろん、読んだ人にも全員には見てもらいたくない。「分かる人」だけというのではない。ただ、消耗される映画ではあってほしくないのだ。興行の失敗を祈りながら、私はこの記事を書いている。<br />
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2016-10-23T09:08:38+09:00
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中島彩
【連載記事】9月に見たもののメモ6
http://yosomi.jp/article.php?id=361
<h2>9月に見たもののメモ6</h2><p class='author'>中島彩 / 2016-10-23 18:08:38</p>◎9月18日
百舌鳥八幡宮から出るくらいから、自分の足下からぺたんぺたんと音がするのに気がついた。見下ろすと、サンダルのソールが本体からはがれかかっていた。靴の消耗を目にするのは嬉しい。自分がこの数日は閉じこもらずに歩き回っていたことを証明してくれるような気がする。とはいえ他の人にも聞こえるくらいの音だし、このままでは完全にはがれて歩くのに困ってしまう。ぺたんぺたんと引きずりながら、ようやく駅前にコンビニを見つけ、アロンアルファを買う。駅のホームで接着剤を塗り、足の裏をぎゅうっと地面に押し付け、間もなくやってきた電車内でも圧力をかける。降車する頃にはサンダルは元に戻り、足音を鳴らすこともなく電車に乗り換える。阪急線に揺られてウトウトし、あっという間に河原町。地下駅から地上にでると土砂降りの雨だった。
久しぶりの木屋町。ゲリラ豪雨といっていいくらいの激雨で、人通りは少ない。地面で跳ね返った雨で、ズボンの裾が濡れ、足下にまとわりつく。アバンギルドに到着し、カウンター席に落ち着いてから裾をクルクルとまくる。ステージを正面にして左手の壁は、店を作る時にスタッフかその知り合いかが塗ったとかいう、抽象絵画のような微妙なテクスチャ。ぼんやりと見ながら、以前にこの席で見た別のライブのことをふと思い出したりする。
正直に言うと、百舌鳥八幡辺りでスタミナ切れで、ライブを見る集中力が尽きていた。
でも音楽のライブって、そもそもどうやって見ればいいんだったっけ。好きなアーティストのライブだからといって、行ってあんまりだったことが何度かある。自分の部屋や移動中、行動の主導権が自分にある時に、ヘッドフォンで聞く音楽はすごく心地よく私に寄り添ってくれたのに、ライブハウスやクラブで、複数の人がいる中だと、自分がどう振る舞っていいのか分からなくて、盛り上がる観衆や集中するアーティストから置いてけぼりをくらったような気になる。
このところ祭を見に行った時にiPhoneのボイスメモで周囲の音を録音している。太鼓や囃子のリアルタイムの演奏。境内であったり氏子域だったりを練り歩きながらの演奏は、録音を聞き返すとその時の自分がどこにどんな風に立っていたか、歩き回っていたかを思い出させてくれる。寝る前のひととき、iTuneを起動させるより、ボイスメモを再生することのほうが多くなった。祭の音楽は自分の記憶と結びついて、より心地よく私の手元に存在している。
たぶん私は、ライブハウスの中での、演奏する人と自分との距離感がまだ掴めていないのだ。この日のライブは激雨のせいか客の入りが少なかったが、その分他の客の様子がよく窺えた。くつろいだり、知人や出演者と時折言葉を交わしたり。自分がうまくできないことをできている人って、すごいなと思う。
世界音痴、という穂村弘の本のタイトルを思い出す。周囲の人間たちとチューニングが合ってない感じ。私はライブハウスの中ではひときわ世界音痴だ。
ライブが終わってから出演者の一人に「つまらなさそうにしているように見えた」と言われて、そんなこともなかったけれどと思いながら、少し納得する。演奏がつまらないというのではなくて、ライブハウスでの振る舞い方が本当に分からない。<br />
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2016-10-10T16:50:25+09:00
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中島彩
【連載記事】9月に見たもののメモ5
http://yosomi.jp/article.php?id=360
<h2>9月に見たもののメモ5</h2><p class='author'>中島彩 / 2016-10-11 01:50:25</p>◎9月18日
いいイベントに遭遇しやすい人は、アンテナを張ってるとか、嗅覚が鋭いとかってよく言われるけれど、私はそんな感じじゃない。というより、視点がはっきりしだしたときは、わりとなんでもいいイベントに思える。この日は祭を見に行こうと思っていて、祭ならなんでもよかった。最終的な決め手は、文学フリマの会場と近いことで、それは当日の朝に新聞記事を見て、「お、ここなら文フリとハシゴできるやないか」と思ったからだ。そんな経緯で、文学フリマの会場である百舌鳥から、20分弱歩いたところに、百舌鳥八幡宮月見祭にやってきた。
大阪の太鼓台と言えば、布団太鼓か枕太鼓。今年の夏は大阪市内で枕太鼓をよく見たけれど、堺市内では布団太鼓が主流のようだ。百舌鳥八幡宮には、氏子の町会ごとに布団太鼓を持っていて、全部で九基が伝わっている。九基ともに布団太鼓としては最大級(高さ約四メートル、重さ約三トン、担ぎ手は七・八十名)、それぞれの町ごとに競って華やかな装飾が施されている。その華やかさは繊細というより勇壮。刺繍はギラギラと、文字は太筆で力強く、房飾りはブワサッと、綱は金糸でずっしりと、何に似ているかと言えば、デコトラ(デコレーショントラック)の感じ。乗り込む台のテッペンに乗るあんちゃんたちもイカツイ野郎ばっかりだが、太鼓周りのお稚児さんたちはお化粧されて可愛らしい。
町の人たち、祭に集う人たちも、ヤンチャそうで威勢がいい。それでいて人懐こい。案内係のおじさんからはパンフレットを8部ももらい(「持ってき、持ってき」と手渡された)、的屋のお兄さんにはライターを貸借りしながら「のど乾いたらうちで飲んできや」、ほかにも所々で声をかけられた。
それだけでも楽しかったんだけれど、宮内での布団太鼓のお練りが始まって、興奮した。掛け声が、「べえら、べえら、べらしょっしょい」だったのだ。
べえら。ああ、べえらだ、べえら…
といっても何のことだか、ですよね。
「べえら」というのは、「平楽じゃ」がなまったもので、住吉大社の神輿担ぎでうまれた掛け声だそう。私は他の祭では聞いたことがなくて、今年の夏に住吉大社で初めて聞いて、それきりだった。そしてその時初めて知ったことなのだけれど、住吉の神輿担ぎは大和川を境界に、堺の町衆へとバトンタッチされている。最終的に神輿は堺の宿院まで行く。そこから百舌鳥までは距離はあるんだけれど、「べえら」っていう掛け声は、人を媒介に伝わってきたのだろう。住吉では単調な節回しで、「べえら、べえら、べえら」とかけながら担ぐのに、百舌鳥では「べらしょっしょい」となっている。
担ぎ方も違う。住吉では担ぎ手の歩き方に目立った特徴はなかったが、百舌鳥の場合は右脚を動かすときは右斜め前、左足のときは左斜め前に摺り足で足を運ぶ。それは田植えの時の足の運びを真似ながら、さらに発展させていった感じだ。(半分は推測だけれど、パンフにも祭の起源が豊作祈願と、法生会と、満月を祝う風習の習合とある)
それだけのことかもしれない。けれど、このところ私の中でじわじわと祭に対しての考え方が変わってきている。伝統、町の歴史、コミュニティの形成、そういう堅苦しいイメージではなくて、祭を見れば見るほど、そこには自由な創造性があるように見えてくる。言葉、特に掛け声や唄の伝わり方は、一人一人の人間を媒介にしていく。その一人一人には身体も心もある。聞く耳が違って、脳の受け取り方も違い、声の高さも調子もそれぞれ違うし、思いの込め方も違う。体格が違えば歩き方も異なり、産業が変化すればそれにあたっていた身体の使い方も変わってくる。どうしたって同じように伝えていくことは不可能で、むしろ、もっと華やかに、もっと粋にと、一瞬一瞬を積み重ねてきたのではないだろうか。百舌鳥での布団太鼓を見た時に私の胸に広がっていったのは、そうした人々の生き生きとした営みのイメージだった。
ほんとうにこの日は祭ならなんでもよくて、ついでに見ていこうか、くらいの気持ちだった。それが予想外にもってかれている。もし朝に新聞を読まなければ、5センチ平方くらいの記事に目を留めなければ、この祭を見に来なかっただろう。その偶然はあまりにも素敵で、新聞をめくった時の感触はまだ生々しく手に残っている。<br /><a href='file/large/1476118176.JPG'><img src='file/thumb/1476118176.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1476118185.JPG'><img src='file/thumb/1476118185.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1476118191.JPG'><img src='file/thumb/1476118191.JPG' alt='' /></a><br />,<br />
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2016-10-07T18:31:56+09:00
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中島彩
【連載記事】9月に見たもののメモ4
http://yosomi.jp/article.php?id=358
<h2>9月に見たもののメモ4</h2><p class='author'>中島彩 / 2016-10-08 03:31:56</p>◎9月17日
友人・知人たちと、これまで集めてきたチラシを見る会をした。この会については、人に説明して面白さを伝えられるようなものではないが、この記事を見た人には、集めたチラシを振り返ってみることをぜひおすすめする。何人かで集まれればさらによい。人それぞれの関心ごとがあらわになり、過去の記憶が思い起こされ、自分とは接点のなかったある場所ある時代の潮流を疑似体験できる。
インターネット上に情報が氾濫する現代、チラシをわざわざ作らなくとも、WEBサイトやSNSを活用すれば充分じゃないか、なんて考えはじめていた私は、紙のチラシの偉大さにノックアウトされた。
◎9月18日
その会場の熱気には毎年驚かされる。まるで朝イチの魚市場のように、ずらりと商品が並び、買えや買えやと怒号が飛び交う。文学フリマ。文学とは何ぞや。配られたパンフレットには、大枠に小説・詩歌・評論・ノンフィクションの4区分、そこからさらに、小説ーエンタメ・大衆小説・純文学・児童文学・絵本・短編・掌編・ショートショート・ファンタジー等々と細分化されていく。ほんとにいろいろな種類の本があり、ほんとにたくさんの本が並んでいる。中にはコピー紙ホッチキス止めの冊子もあるけれど、ほとんどは高いクオリティの製本で、本屋に並んでいてもおかしくないような仕上がりだ。自費出版対象の印刷・製本業者が数件あって、ツヤツヤの表紙の文庫本まで、個人で作れるようなのだ。パソコンでデータを作って、ネットで入稿。ほんとに普及してるんだなあと実感する。
それから、こんなにも多くの人々が、文章を紡いで何かしらを描き出したいと思っているんだなということに驚く。
とはいえ、出展者は大学文芸部や社会人サークル、同人会などのグループが多くて、キャッキャと言葉を交わす売り子たちや、盛り立てられた販売促進のPOPなんかを見ていると、それぞれのブースに並ぶ本たちの何割かは、まず部活動ありきの副産物なのではないかと思えてこなくもない。
そんな私が興味を惹かれるのは、基本売り子は一人、飾り付けはシンプルで、一人の著者によるもの、と思わしきブースだ。文学フリマに行くのは今回で三回目だが、回数を重ねる毎に目当てが絞られていった。確か最初は、何週も廻ってこんなのもある、あんなのもある、と目移りしながら、サークルで制作されているものも買ってみたし、それはそれで面白かったんだけど。
本はコミュニケーションツールだ、っていう考え方がある。ZINEなんかは特にその性質が強くて、交換会も積極的に催される。ワイワイと作って、ワイワイと交換・配布して、作者と読者が(その立場はしばしば反転する)顔を合わせて楽しむ。文学フリマに出展されるものもやっぱり、コミュニケーションツールっていう感覚は強いんだろう。
文学フリマの賑やかな様子を目の当たりにすれば、本がコミュニケーションツールであることは否定できない。けど私は、本 イコール コミュニケーションツールではないと思っている。だから、それぞれのブースで積極的な交流が行われている中、ひとりポツンとたたずむ人と、その目の前の本っていうのが気になる。この人は、書かずにはいられなかったんじゃないだろうか。その先にある誰かに見せるっていうことより、まず、書くことが必要だったんじゃないか。そんな風に見える、私の気になってる人は4人。
一人目、高森純一郎さん。毎回文学フリマに出品しておられる。スーツ姿で誠実そうで、前を通るとにこやかに自作の説明を書いたチラシを渡してくれる。それによると、近現代のアジア史を咀嚼した長編小説を書いているとのこと。気にはなっているけれど、ブースに置かれた実物はほんとに長編っぽくて、買ったことはない。高名な作家の定評のある超大作ならともかく、文学フリマで買うにはちょっと勇気がいる。しかしながらあとでWEBサイトを検索したところ、この日3作品中2作品が売り切れたとのこと。好評らしい。
二人目、ふしぎあんさん。柔らかい雰囲気の青年。堺の怪談噺とか、大阪の近世史を調べて、物語を書いているよう。「大阪市内 謎の狸地蔵巡り」という本を買った。コピー紙ホッチキス綴じB6サイズで80円。タイトルの通り、大阪市内で祀られている狸地蔵(狸の形の石像)の紹介という内容で、そのうちの一つの狸地蔵が近所にあることもあって、なんだか共感した。巡りたいよね、巡ったら、記録したいよね。
三人目、おおたやすひとさん。おっとりした感じの青年。残念ながら、今回は出展していなかったのだけど、初回の文学フリマでその作品に出会い、慕っている。「梅子と僕」というタイトルが付けられた絵日記集で、うめちゃんという女の子と僕の日常を描いている。まず絵が何とも味わいがある。文章は毎回「今日は」からはじまり、うめちゃんがどうだったとか、うめちゃんとどこにいったとか、小学生の日記みたいな書き方なんだけど、じんわりと優しい。ちょっと繊細で気難しいうめちゃんと、それをおろおろしながら見守ってる僕の関係がなんとも優しい感じなのだ。作者のおおたさんがほんとに「僕」で、うめちゃんという人がいてほしいと思うんだけど、実際はどうなんだろうか。イラストは手書き感溢れているんだけど、節々に見せ方がうまいなと思うところがあって、もしかして全部意図的な創作なのかも知れないとも思う。そうだとしても、この人は作ることが好きなんだろうと思えて、好ましい。
上記の三人は、ブースには一人だけど、制作物はなんだか楽しそうだ。書くことが好き、そこから出発して、見てもらったらなお嬉しい、そんな感覚なんじゃないだろうか。
ところが四人目、舘正樹さん。この人は一番理解しがたくて、気になってもいる。六十代後半くらいの白髪まじりのおじさんが、まるで苦行かのようにうつむき加減でパイプ椅子に座っていたら、それが彼だ。本は「八ヶ岳散人」というタイトルで、第5号まである。ブースの前に言っても、無言。「これ下さい」と声をかけても、ぼそぼそと値段を言われるだけで、まったく嬉しそうじゃない。なのに第一回から連続して文学フリマに出展している。そこがまず分からない。
「八ヶ岳散人」は舘さんが定年退職後に八ヶ岳に家を買い、移住生活を送ってからの散文集。自由な身となった今は趣味三昧、若い頃から愛好している文学の世界を深めようと、自らも文章を書きはじめたとのこと。創刊号はご友人からの寄稿もあって、本を作ることの楽しさが見て取れる。
ところが第5号では、文章は日記が中心になる。八ヶ岳での生活は温泉とグルメ巡りで端から見ると羨ましい限りだが、よくよく読むとあそこのランチは値段の割にボリュームが少ないとか、あそこの温泉は源泉掛け流しじゃないとか、やたら不満が多い。ついにあとがきには八ヶ岳の暮らしに限界を感じはじめ、家を売って町の生活に戻ろうとしていることが書かれていた。その流れは「定年後の田舎暮らしの失敗談」として別の興味は惹かれるが、読んでいて楽しいものではない。日記から窺える舘さんの人間性は、ちょっと気難しがりやさん。物事を前向きに楽しむ姿勢はなく、思い通りに行かないことがあるのが気に食わない。高齢にさしかかり、積年の経験から、自分の基準から反れるものをなかなか受け入れられない。それほど楽しくないなら、書かなくていいのに、出展しなくていいのに、と思うんだけど、きっと彼は書くこと、出展することを彼なりの理屈で自身に課していて、それは揺るがせないんじゃないだろうか。その理屈は、分からない気もするし、分かるような気もする。面倒くさそうとも思うし、強い意志を感じて尊敬できなくもない。
ただ、ふと思うのは、これは文学フリマのような機会がなければ、なかなか目にすることのできなかったものなんじゃないかということ。書かずにはいられなかったのだろうし、それはパソコン上にデータとして残るだけじゃなく、製本して形あるものにしてみたかったのだろう。けれど、そこから不特定多数の人に見てもらうことへは、だいぶ距離があるんじゃないだろうか。
誰もが簡単に何かを発信することができる。そんな現代には、情報発信ありきの経験も増えているんじゃないだろうか。かくいう私も、何かを経験しながら、「これは余所見に書けるかな」「これはSNSに載せようかな」と考えてしまうことがある。そう意識してしまうと、経験がどんどん鮮度を欠いていく。経験は現在進行形であるはずなのに、それを書く未来を想定して、同時進行で振り返っている感じ。その感じはつまらない。
SNSのタイムラインに流れるトピックを見ながら、たくさん情報を挙げる人がとり挙げなかった情報とはどんなものだろうと、私はよく考えている。それは人の共感を呼ぶような、見ててほっこりするような、情報ではないかもしれない。「いいね!」はひとつもつかないかも知れない。けれど、そこにあるレアな(ナマの)経験や情動を、見てみたいなと思う。
ところで、今回の「9月に見たもののメモ」シリーズは、普段は余所見に書かないくらいのまとまった感想のない「見たもの」をともかく書いてみようとしていて、できるだけレアな状態を保ちたいと思っている。書くほどに失われていく生々しさをなんとか保ちたいと思いながら。
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2016-10-05T17:35:37+09:00
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中島彩
【連載記事】9月に見たもののメモ3
http://yosomi.jp/article.php?id=357
<h2>9月に見たもののメモ3</h2><p class='author'>中島彩 / 2016-10-06 02:35:37</p>◎9月11日・12日
「見っけ!このはな」と私はつかず離れず。最初に近寄ったのは2012年で、このときは事務局ど真ん中で全体のサポート。その時に人に触れ過ぎた反動で、翌年は遠巻きに、事務局(イベントは「見っけ!このはな」ではなく、「このはなの日」として行われた)から依頼されたイラスト地図を自宅でこつこつと描いた。
2014年は少し手伝いながら、当日、エッセイ集を作成して販売する。販売場所は受付の隣りで、なんだかんだで全体のことを手伝った。どうせ巻き込まれるなら、最初からしっかり関わっていた方が把握しやすいと、2015年は再び事務局で、広報や企画を担当する。そしてやっぱり人疲れして、今年2016年は運営に関わらず、単独で写真集をつくってこっそり配布していた。写真集のテーマは「夏祭」。ひと夏、大阪市内各地で行われる夏祭を見に行って、目にした光景。いろんな町と人の姿。そして感じたことを文章で綴った。此花区内の祭も見たけれど、それについては触れなかった。
「見っけ!このはな」も、祭なんだと私は思っている。祭には神事と神賑行事とがあって、神事は神へと意識がまっすぐに向けられているもの。神賑行事では、人の意識は人同士に向けられていて、その土地で賑やかに楽しむことで、間接的に神を喜ばせる。エスカレートすると、神の存在は希薄になり、その土地でのコミュニティの組織の形成や、活性化といった潜在的機能がむしろ重要になってくる。その延長線上にあるのが、現在まちなかイベントといわれるものだと考えている。
私は去年のイベントの時に、自分がコミュニティの一員じゃないように思った。というのも、ミーティングなんかの集まりの際に、一度も笑った覚えがないからだ。そして笑いのツボが近いかどうかは、祭を行うコミュニティにとってすごく重要なポイントなんじゃないかと思っている。(夏祭の場で、人の笑った顔を見るのが好きだ。集う人々の笑顔を見ていると、ここでは悪いことは何も起こらないんじゃないかと思う)
そんなわけで、今年は脱コミュで、「見っけ!このはな」を見ていた。
そんな目で見ると、「見っけ!このはな」は面白かった。なんだ、笑えるじゃないか。歩いてまわれる小さなエリアに点在したスペースはどれも個性的。その中に入った途端に、すうっと異空間にトリップできる。まるでいろんな本が並んだ、本棚のようである。著者もジャンルもバラバラで、読み古した文庫本もあれば、新品のペーパーバックもあり、手作りのアルバムもあるような。本棚の前をうろつくように、地図を片手に町をさまよう。そしてそのことを許容できる町というのは、本棚のたとえで続けるなら、几帳面な司書が選定した図書館ではなく、いろんな旅人が持ち込んだ本を無造作に置いておく、安宿の共有スペース。そんな気楽さが町の魅力なのだと、脱コミュしてあらためて感じた。
ところで、このまちなかイベントという本棚で、本当に幾つかの本に出会った。ひとつはむろん、私の作った「夏祭」。そして私はこの本を、この日に作られたあと2冊の本と、それぞれ交換したのだ。その2冊。
ひとつは「働楽のきてみて!このはなNOTES」というもので、表紙には「NPO法人・地域活動支援センター働楽が発信する[働楽のきてみて!このはな]が、大阪屈指のカルチャーエリアこのはなについて勝手にまとめた非公式ガイドブック。」とある。地域活動支援センターとだけ聞くと、まちづくりの拠点かともとれそうだが、支援している地域活動は障害者の地域活動。同地域に住む障害者の社会参加(おもに仕事)をサポートする福祉施設である。「見っけ!このはな」には2011年から参加していて、ふれあい喫茶に始まり、アコースティックギターのライブとか、けん玉道場とか、人が集まって笑顔が出るような、祭の神賑行事の基本、みたいな企画を毎年してる。そんなところが発行した本は、分かりやすくフラットに町のことを紹介した、人に向けられた本だった。(そしてあくまで、「非公式」ガイドブック。)
もうひとつは、余所見でおなじみの山本握微くんによる短編小説集「脚立/ゴルフ/コールスロー/虐殺を待つ私」。(正確には、イベントには参加してないので、本棚の上に乗っかっていたとでもいうべきかも知れない)
内容は、ぜひ実物を読んでほしいので、ここでは言及しない。
本を作るというのは、孤独な作業だ。ましてまちなかイベントの日につくってしまうと、既存の建物を拝借した展示や、土地性を利用したツアーより、依って立つものの少ない、逆境のなかの創作なのだ。
私はふわふわとコミュニティの周縁に漂いながら、同じように漂った2冊の本に出会って、そのことはなんだかとても嬉しかった。
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2016-10-04T17:09:57+09:00
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中島彩
【連載記事】9月に見たもののメモ2
http://yosomi.jp/article.php?id=356
<h2>9月に見たもののメモ2</h2><p class='author'>中島彩 / 2016-10-05 02:09:57</p>◎9月9日
アサダワタルさんは、たとえば私のFacebookでつながっている人にはほぼ100%名前が知られているだろうけれど、私の職場ではほぼ知られていないだろう人で、まずこの余所見でどう書くべきかを悩んでしまう。とりあえず、職場で「アサダさんってどんな人?」って聞かれたら、私のお兄ちゃんになってほしい人、いや、家族だと面倒かも知れない、いとこのお兄ちゃんになってほしい人だと答えよう。
「親類の集まりにたまに顔を出すお兄さんは、外の風をふっと運んできてくれます。」
小説に登場させるなら、そんな感じである。
そしてたぶん、そんな風に思っている人がたくさんいるから、この企画が生まれたんだろう。「アサダワタルの極つき十三夜」は、そんな彼にいろんな人と話をさせて、彼自身や彼の見てきた外の世界を見せるイベントで、今回のゲストは細馬宏通さん。この人もまた、説明しにくい人だ。
シブい親戚のおじちゃん、かな。親類の集まりでは自分からはあまりしゃべらないのだけど、なんとなくみんな認めていて、遺産相続の話の時なんかにはさっと状況を整理してくれそうな、そんなおじちゃん。「何をやっている人なの?」と聞いてみたら(トークが始まったら)、思いのほかしっかりと話しだしました。
細馬さんは、人間の行動をつぶさに観察しているとのこと。そのつぶささと言ったら、たとえば「だるまさんが転んだ」。
このフレーズは、「だるまさんが転んだ!!」と1秒でも言いきれるし、「だるまさんがーこーーろんだー」と大分と間をもたせても言える。その「だ」音と「る」音の間、あるいは「ん」っていう詰まった音と「だ」を言い切るまでの間に、どれだけ鬼役と逃げ役の相互行為が行われているだろうか、というようなことを、ビデオで撮影し、コマ送りで見ながら解析しようとするような、つぶささ。
そんなまなざしで、細馬さんはこの10年は介護の現場を見ているらしい。
とある認知症の老人の施設で、ひとりの高齢女性が車椅子からベッドへの移乗する。女性職員が「よいしょ」と声を掛けながらそれを手伝う。スムーズにいくか、いかないか。一連の動作が行われる時に、二人の身体にどんなことがおこっているのか。細馬さんはそれらをビデオを用いて解説する。コマ送りで見て秒単位の変化がある。その見方って言うのはほんと面白かった。
それはそれとして、私の仕事は福祉職だ。その立場から細馬さんの話を聞いてると、ぞっとしない。今回のトークイベントで成功事例として紹介されたことと、正反対のことを私はあえてやることがある。たとえば、相手と目をそらしたり、相手とタイミングをわざと合わさなかったり。理由は簡単に言うと、スムーズにいくこと、障害を取り除くことが最善とは限らないと思うからだ。(相手の心身の健康を損なわない限りにおいて)
それが正しい支援か、というのは相手にもよるし、私も悩み悩み。本当に正しい支援なんて、何が正しい人生かっていうくらいの命題だろう。答えは出ない。あくまで細馬さんの話は、観察者の立場からで、当事者(支援する者/支援される者)本人による話ではない。
細馬さんの示唆してくれた視点はすごく解像度の高いカメラのようなもので、けれどそれで何を撮影するか、どんな心持ちで眼差しを向けるかは、あくまで私たちそれぞれに委ねられている。
そんなところも、なんだか親戚のおじちゃんっぽいかもしれない。
「おじちゃん、かっこいいいけど、そのまま生き方を真似したって無理だよ、別の人間なんだから。」
そしてアサダさん。今回においては終始聞き手に廻っていた。それもやっぱりいとこのお兄ちゃんっぽい。
「おじちゃん、お兄ちゃんがいると口数が増えるよね。」
たぶん、そんなイベントだったと思う。
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2016-10-03T17:35:18+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】9月に見たもののメモ1
http://yosomi.jp/article.php?id=355
<h2>9月に見たもののメモ1</h2><p class='author'>中島彩 / 2016-10-04 02:35:18</p>いろいろ見に行っていて、それぞれに考察を深めたいけれど、ともかくの走り書き。誤字脱字駄目駄目文章お見逃し下さい。
list:
「彦八まつり」(落語ファン感謝祭)
「アサダワタルの極つき十三夜 第八夜 ゲスト:細馬宏通」(トークイベント)
「みっけ!このはな2016」(まちなかイベント)
「チラシパーティ」(チラシの会)
「第四回 大阪文学フリマ」(文学フリマ)
「百舌鳥八幡宮 月見祭」(祭)
「サラウンド」(音楽)
「見世物大博覧会」(博物館企画展)
「禁じられた歌声」(映画)
「新日本プロレス DESTRUCTION in KOBE」(プロレス)
「君の名は。」(映画)
◎9月3日・4日
「彦八まつり」は上方落語の始祖・彦八さんを讃え、発祥の地・生国魂神社で催される落語ファンの感謝祭。「始祖」・「発祥」については長い長い謂れがあるのだけど、目下勉強中。なので現行の彦八まつりについてだけ。
いや、素晴らしいです。現役の落語家さんたちが、学園祭のようにそれぞれ模擬店を出しています。模擬店は、落語の噺にかけた出し物や、今はなき師匠が作ってくれた定番の焼うどんの屋台とか。で、それを落語家さんが店頭に立って、来場者をもてなす。それから奉納落語会。特設舞台では、富くじや落語家バンドの演奏や、地車囃子がお披露目されたり、みんなで綱引きしたり。
来場者は2日間で1万人とか。入場無料なので、熱心な落語ファンばかりとは限らない。祭の喧噪に惹かれてくる人もいるだろうし、潜在的に落語に親しみのある人がそんなにいるだなんて。そしてこの日に間近で落語家さんと触れ合うことで、より上方落語への愛着がわいていく。すごくポジティブなスパイラルで、他のジャンルでこういうファン感謝祭ってないんじゃないかしら。
地車囃子や住吉踊りを落語家さんたちが披露するっていうのも、見ていてすっきりした。そうそう、かつては今程に芸能が区分分けされてなくて、噺家が噺の前の客寄せ景気付けに踊ったり、旅芸人がいろんな芸を持っていて、旅をしながら広めたり、そういうことが芸能も町人の生活も活気づけていた、らしい。民俗芸能、無形文化財、そういう大義名分でもって保護することは重要だし、今はそうしないと消えていってしまうことは確かなんだろうけれど、本来は自由に演じたり誰もがやってみたりするなかで、良いものも生まれていったんだろう。
私個人の出来事としては、奉納落語会で笑福亭福笑さんにときめき(福笑さんとたまさんの師弟関係が気になりますが、それはおいおい)、桂九雀さんにうなり、ざこばさんを追いかけ、待望の露の一門より紫さんを目撃し、文枝さんを初めて見ました。それから、森乃福郎さんと、桂ひろばさんとツーショット写真を撮りました。あと、仁福さんのモッチャリーズのユニフォームに萌えた。
地車囃子を見ていた時に、他の地の夏祭りで見かけた祭ファンのおじさんと再開したのもちょっと嬉しかった。
さらに個人的なこととしては、浴衣を着ていったこと。私にとっての「祭」は今までのところ見物に行くものだったり、観察対象だったりで、動きやすい格好(まるで撮り鉄のような)か、きれい目の服装(いろいろ親切に教えてもらえる)を意識していたのだけど、彦八まつりへは異なる参加意識があって。 とはいえ、ほんとはイカリ柄の浴衣が着たかった。上方落語の夏の噺にイカリ柄の浴衣が落ちにかかってくるものがあるのだ。私はこの噺が好き。そしてこの日、奉納落語会でその噺を九雀さんがやってくれて、キュン死にするかと思いました。
ともかく、上方落語界っていう芸能が、大阪っていう土地に深く根付いていて、今現在もすごくダイナミックに動いてて、それを支えるのに祭っていうイベントがうまく機能している感じ。感動。さらっと書くけど、ほんとに感動したのだ。<br /><a href='file/large/1475515109.JPG'><img src='file/thumb/1475515109.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1475515280.JPG'><img src='file/thumb/1475515280.JPG' alt='' /></a><br />,<br />
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2016-08-14T03:42:41+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】様々なものの行方
http://yosomi.jp/article.php?id=354
<h2>様々なものの行方</h2><p class='author'>山本握微 / 2016-08-14 12:42:41</p> 何かを始めるのに遅すぎることはない、とは思うけれど、この年齢になると、最初からその終わりについて想像を巡らせないわけにはいかない。もう幾つかの終わりを経験したのだから。そう思うと、何かを新しく始めることに、少し躊躇する。
既に終わってしまったそれら、は結局のところ、何だったのだろう、と思う。勿論、如何なるものにも終わりがある。問題はその終わり方か。いや、例えみっともない終わり方だとしても、終わった後に後悔を経て忘却されたとしても、その「最中」に少しでも意味があったのなら、始めた甲斐はあったのだろう、というか、それが全てではないか、とも。それに、始めなくては、そも何も無い。けれど、終わりが、その過去である今現在も塗り替えてしまうような感覚に恐れる。
この当「余所見」も、既に終了した代物だ。このように書き込み可能なウェブサイトは残って、ドメインの維持に主宰がお金を支払い続け、つい先日も不具合のメンテナンスがあったけれど。まあ、元はウェブも活動の一角という位置づけだったので、当初の目論見からは外れ、終了している。
こうした終わり方は決して想定外だった、というわけではない。終わりについて想像すれば、高い確率で頓挫はあり得ることだと簡単に想像できる。けれど、これについては始めた頃は、如何なる終わりについてもそも考えが及ぶことは無かった。今から約7年前のこと。
僕は思春期の頃よりずっと芸術が最大の関心ごとなので「芸術、芸術ー」とばかり言ってこの年齢まで過ごしてきた。今この瞬間死ぬなら、「む……芸術」と考えて死ぬだろう。ただこの先、生活が困窮し、更に年をとって、日々に精一杯となり、その中でもそれなりの幸せや楽しみを見つけ、押し寄せる細やかな問題に対処し続け、やがて「芸術、芸術ー」といっていた気楽な期間よりも長く切実な日々を過ごしたとなると、死の間際、芸術のことを思い出すだろうか。その時には、「芸術、芸術ー」という思い自体が、そんなこともあったっけかな、遠い若い頃の何やかんや、と一緒くた、老いた今となっては、だけでなく、人生を通じて別に大したことでもなかった、と思うかもしれない。結局のところ、そういう風に終わってしまうなら(その確率はすごく高い)、この今だって、何のために考えているのだろうか。
「既に終わってしまったが事実として確かにあった過去」があるとしても「思い出せる過去」と、「もう思い出さない過去」にわかれる。この区分は果たして重要か。よくわからない。終わるにしても、後に参照されるならいいけれど、思い出されることすらない過去がやがて待ち構えているのなら、まだ終わっていない現在、その事実の最中にいることも虚しくなる。
最近は折りに触れ、「様々なものの行方」というフレーズが浮かび上がってくる。どこから来て、いや、来歴は問わない、それは既に通りかかったのだから、しかし一体、どこへ行く?
未来は、未だ来ていない、わけではない。それは「必ずやって来る」と既に決まっている。なら、未来というものは既に決まりきった過去の出来事と割り切った方が良い。
そう考えると、始めよりも、過程よりも、それがどう終わるのか、どのように着地したのか、が一番の興味となってくる。
これは勿論、組んだバンドが花咲かず解散して今はトラック運転手で家族もいて幸せです、といった話だけではない。そこかしこで行われている議論など。激しく言い争っていたあの二人は結局どうなったんだろう、と懐かしく思って調べたら、別にどうにもなっていなかった、というような。
***
小学五年生の頃。いわばクラスのガキ大将だった小森君に、或る日、反撃したことがあった(小森事件)。キッカケはふとした拍子、おいどけよ、ドン、とちょっと押しのけられたくらいだが、日頃の横暴を含めて「おまえはいつもッ!」といって敵意を露わにして掴み掛かろうとした(このシーンは目撃したクラスメイトによって後に何度も再演された)。が、向こうは仮にもガキ大将、咄嗟に反撃、正確に顎へ一発を見舞われる、慣れない痛みひるんだ僕は距離をとり……といったところですぐさま先生の仲裁が入った。一時的に代理で来ていた先生だった(教育実習だったかも)。
怪我を覚悟した、どう転ぶかわからない、熱い時間はすぐに終了した。ここからは、学校で何度も繰り返された、見飽きた風景だ。先生がお互いの言い分を聞いて裁き、お互いごめんねと謝り合い、終息。この、意を決した反撃も、結局のところそうして終わることは、もうこの瞬間にわかった。
放課後のことだったので、一定の事情聴取が終わった後、家に帰された。その後、それぞれの保護者に連絡があったのだろうか。小森家から家に電話があった。最初は保護者同士の、どうもどうも、で、小森君の親もガキ大将っぷりを多少は認識しているだろうから、小森君が謝る形となった。小森君が謝るから、と僕に電話がかわられた。
「ごめんな、いままで」
小森君は誠実に謝っていた。それは声でわかった。お互いの保護者も交え、完全な「終わり」のムードだ。でも、それで筋金入りのガキ大将ぶりと横暴が無くなるわけじゃない。結局、しばらくして何も無かったように着地する。僕は、そこで終わらせることに抵抗して、何とか声を絞った。
「そんなんで許せるか!」
慌てて母が電話を代わり、フォローする。かなり譲歩したつもりの小森君は電話の向こうで怒りを倍増させる。僕はスカッとした……わけはない。息も絶え絶え、目には涙が溜まる。しかし向こうの負けすら認めず、戦争を継続させようとした。とにかく、まだ争い続ける。根っこから解決するまで。
翌日、どのように再度話し合ったか詳しいことは覚えていない。根っこからの解決ができたわけでは勿論無い。でもまた再び、先生の仲介によってリアルに対峙し、そこで終わることしか出来なかった。
しかしこの一件は、或る意味では終わらずに、今の僕の行動にも深く根を下ろしている。
***
「今ここで終わるくらいなら、そもそも何故始めた?」
これはアメリカ同時多発テロに至るアルカイダとアメリカの動向を追った本「倒壊する巨塔」(ローレンス・ライト、白水社)にでてくるセリフ。アイマン・ザワヒリがアルカイダ内で意見が分かれるなか放った言葉として登場するけれど、この部分は著者の創作だろう。止まれない原理主義者を表していて、劇的にはなかなか格好良い一節。劇のフライヤーに引用した。
取り敢えず、ではあるが「終わらせない」ということは僕の方法論の一つとしてある。継続は力なり、という話ではなく。
最も嫌なのは、ただ終わるだけでなく、「卒業した」などと称して、終わりを誤魔化すためにわざわざ砂をかけるような態度だ。
いや、「次へ進むために終わりにする」という潔い態度にしても。何故、それを終わらせるのか。やはりそれも、続けることを女々しさと貶める。嘘でも、続けておけば、続く。
中学生の頃に作ったゲームサークル「デイターク」は、転校後に知り合った人達と別途結成した「エルドリンクス」と後に合併し「游演工房」となった。これは今でも劇団で公演活動する際は、制作の名義として使用している(実際に、稽古場を借りる時も登録したこの名義を使用する)。
今でもファミコンで遊ぶ。週刊少年ジャンプを読む。FM-TOWNSのエミュレーターを走らせる。山本正之を聴き続ける。更新される限りは読み始めたウェブログを読み続ける。実際にゲームを遊ぶ機会は少なくなったけれど、ゲームについて楽しく考える。余所見にも投稿する。
まあ、これはただの超保守的な考え方なだけとも言える。ある種の傾向に見受けられる、こだわり行動に過ぎない気もする。というか単に、何時までたっても子供じみている。子供の頃、大人ぶって過去を切り捨てる様子が嫌だったから、ああはなるまい、と実際に実践すると、このていたらく。
ともあれ過去ばかりをひたすら引きずって、新しいことに興味が向きにくい。
***
本好きの女性四人が発行するフリーペーパー「はちほんあし」今月の特集は「はまっているもの」だった。この特集、ものすごおく、何でも無い、複数人が執筆するフリーペーパーの特集としては大定番、第一号にだけ許されそうな、単にそれぞれの興味を述べる、ありきたりに思うけれど、なかなか面白いと思った。
これは語感から感じる勝手な定義だけれど「はまっている」のは正に今現在のことで、やがて醒める、飽きる、抜け出す、終わる、ことが最初から織り込み済み、なこと。生涯の仕事と信じることを「はまっている」とは言わないだろう(間違ってはいないけれど)。
こういうテーマが与えられたら、むしろ一瞬で醒めそうなものを選びたいぐらい。むしろ変わり種、変化球の特集とも。そう考えると、少し気が楽だ。何かをこれから始めるにあたっても。
僕が今ハマっているのは(そしてもうすぐ醒めるのが)「カスターニャtanatan!!」という新婚夫婦漫才師。ネクタイの代わりにカスタネットがついた衣装を着て、なんでやねん、と突っ込むたびに、タン! と鳴る……いやそんな馬鹿な、と童話の世界から出てきたような可愛らしさ。ネタも「中華料理屋ですべって転んだ!」とか「ヘソクリが旦那にばれた!」など、ほんわかふわふわ平和的なもの。妻のたまちぇる(という芸名)は、容姿端麗とてもキュートでありながら、謎の人妻感がにじみ出、MCではよく「ホンマに夫婦なん?」と言われるけれど、一瞬で納得させられる。
単に愛らしいだけでなく。NSCを卒業したて、芸歴、夫婦歴とも一年未満の超若手ながら、完成度が高い。ネタが爆発的に面白いわけでは決してないけれど、世界観が完結して淀みが無い(実はネタ全体が一曲のカスタネット演奏として全体を制御されていることもあるだろう)。確信をもってやっている、といった感じ。というか、NSCを卒業してもコンビを組んでは解消し、が珍しくない若手芸人において、迷いが無さ過ぎる、結婚という大いなる初手。試行錯誤する気なし(そもそも、若手の多くはやがて消えて行く)。そのせいか、既に複数のコンテストで好成績を収めたりと、テレビ出演など引き合いも多い(これ観るためにワンセグの受信できる場所を探し深夜の街を彷徨った)。お昼の番組リポーターとしてとても使いやすそう。戦略的ですらある。
単純に、はまっているもの、を時には気軽に示して終わりにしようと思ったけれど、ここまで書いて、カスターニャtantan!!の魅力は、若手なのに安易に「終わり」を感じさせないところにあるのか、と思いました。
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2016-08-13T16:40:35+09:00
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山本握微
【連載記事】猫猫にゃんにゃんにゃん
http://yosomi.jp/article.php?id=353
<h2>猫猫にゃんにゃんにゃん</h2><p class='author'>山本握微 / 2016-08-14 01:40:35</p> 終電での帰り道。私鉄から地下鉄への乗り換えに約20分ほど時間があったので、大阪市内の、と或る下町を散歩することにした。
夜なので駅前商店街の店は閉まって誰もいない。昼になっても幾つの店が開くのかもよくわからない。この辺は初めてだけど、思った通りの古びた下町だった。
猫が多い。活発に商店街を動き回っている。それ自体は珍しくない。うちの近所の商店街にも沢山猫がいる。けれど明らかに、ここにはそれより多くの猫がいる。「餌をやらないで、通報します」の貼紙も見かける。が、近所の商店街とここでは、猫を忌避する人と猫に餌を与えたい人の割合が少し違うのだろう。ここでは比較的、猫が求められている。察するに、猫に餌をやることで孤独を癒す、高齢者が多い。必然と猫の数にも反映される。
そう思うと、目前を行き交う猫が、役割を持った一種の機械的な装置のように思えた。街をくまなく巡回するよう放たれた、寂しさを吸い込むルンバ(と言いたかっただけ)。<br />
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2016-07-09T15:55:22+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】あばらかべっそん
http://yosomi.jp/article.php?id=352
<h2>あばらかべっそん</h2><p class='author'>中島彩 / 2016-07-10 00:55:22</p> このところ月に一度は、落語寄席に通う様にしている。もっぱら動楽亭が多いけれど、そうでなくてもいい。
現在、上方落語家協会には270人程の噺家が在籍しているらしい。270というと、月に一度、毎回異なる6人ずつの席を見れば、3年9ヶ月で全員を見終えることができる人数だ。実際のところは、よく出る人もいればそうでない人もいて、そううまくはいかないのだけど、少し忍耐強く見続ければコンプリートできる可能性は高い。そうなれば、ちょっとした感想を言っても(たとえば「イマドキの上方落語家はさ…」なんて言っても)知ったかぶりと言い切れないだけの説得力があるだろう。これが音楽家だったり、ポケモンだったりしたら、次から次に増えていって切りがないし、6、7年かかるとなると、飽きてしまうかも知れない。3年9ヶ月っていう、中学・高校に通うよりは長く、一般の大学よりは短いくらいで、もしかしたら留年するかなくらいの、なんともそそる感じ。
そんなわけで、今日も動楽亭に行った。6人のうち、4人はすでに見たことのある人で、すでに留年の気配がしているのだけど、このところ噺家だけでなく演目もかぶりがちで、「遊山船」は3ヶ月連続で聞くこととなった。先々月の桂ざこば、先月の桂南天に続き、今日は4番手に桂わかばの「遊山船」である。浪花橋から川に浮かぶ屋形船を見下ろしての場面を描いていて、いかにも大阪の夏らしく、この時期に重なるのは致し方ない。とはいえ、さすがに3ヶ月続くと次から次への笑いどころもサゲをほとんど覚えていて、話の筋だけでは笑いにくい。ところがそれでも笑ってしまったり、聞いてしまったりするところがある。
なぜだろう。なぜ私は笑うのだろう。なぜ私は落語を聞きに行くのだろう、とあらためて考えた。
知ったかぶりになりたくない、全体を見渡したい、なんて欲求だけではないだろう。
それは、ひとえに落語は人が魅せる芸だからだ。
ジャズと同じ様に、同じ演目を誰がどう演じるかが面白いのだ。いや、見ている最中はそんなことは考えない。知っている演目だから、「聞き漏らすまい」と耳をそばだてるでもなく、ぼんやりと眺めているのである。それでもふつふつとおかしみがこみ上げてくることがある。たとえば噺家のちょっとした仕草や癖に、その人だけがもつ味わいを感じて。落語用語ではそれを「フラ」と呼び、一般には「キャラ」というような呼び方もするが、それだけでは言い表せないような、ふつふつとしたおかしさ、愛おしさ。そういうのを感じることが好きで、そもそも私は人間が好きなのだろう。しかも、270人を見たいのだ。かなりの人間好きじゃないだろうか。
しかし、とつまづいた。
しかし、私はひとりで見に来ていて、この後もひとりで一人暮らしの家に帰る。せっかくの休みの日に、誰かと会って話をする予定はない。ひとりで過ごすのが好きなことと、落語を聞きに行くのが好きなことは、なんだか矛盾していそうだ。
けれど、そうではない。人間が好きだということを、少なくとも愛おしく感じることがあるということを、思い出したくて、落語を見に行くんじゃないだろうか。
と、考えると、会場に来ているお客さんの、とりわけ常連の人たちも、きっと普段はあまり笑わない人なのかもしれないと思えてくる。そうだ、普段から人と笑っていれば、お金を出してあらためて笑いに行く必要なんて、あんまりない。そう考えると、ここで聞く笑い声はとても貴重な笑い声に聞こえてくる。
中入(休憩)を挟んで5番手にざこばの「笠碁」。マクラから笑い通しで、隣客らの笑い声と自分の笑い声とが混じり合う。
トリは米輔の「住吉駕籠」。米輔さんはざこばさんとは対照的な噺家で、静かで滑らかな語り口。滑らか、というよりは途切れない、という方が正確だろうか。客席がどっと笑いに沸く、ということはない。じっと話に聞き入って、私はその感じも好きなのだけど、他のお客さんはどうなのだろう。笑い声はそれほど聞こえず、わからない。わかるのは、客席を向いて客の表情が見える、米輔さんだけだ。噺家もまた、孤独な職業だ。
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今日の演目、他3つは「桃太郎」團治郎、「いたりきたり」吉の丞、「明石飛脚」しん吉でした。<br />
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2016-07-06T01:39:25+09:00
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山本握微
【連載記事】まちは燃えているか
http://yosomi.jp/article.php?id=351
<h2>まちは燃えているか</h2><p class='author'>山本握微 / 2016-07-06 10:39:25</p>各種の話題に「まちづくり」というのが、たまにある。僕にとってはたまにだが、むしろそれが好き、最大の関心事、という人も多いだろう。行政から、又は建築から、文化から等々ハードからソフトまで色んな分野における「まちづくり」の話というのがある。なので意識せずともたまには聞くことになる。話として聞くのは大抵、遠い町の成功実例で、まあ聞いていて楽しいし、そりゃ良い話じゃん、とよく思う。専門家の知見と采配を導入しつつ、町の住人たちが話し合って、町を作る、素敵だな、と。
しかしながら。
自分自身にそれを当てはめることはできない、と思う。平日の日中は仕事に出かけ、それ以外は家の中か、何処かに出かけているか、だ。灯台下暗し、照らす先(出先)と灯台の中(家)は明るけれど。よく考えてみれば「住んでいる町」には何の関心も無い。いや、関心を持つにしても、自身の生活と直接関係しない。まちがつくられるとして、結局とのころ、一体、何が?
自分が住む町への一番の関心は、先ず駅に近いか、その駅は便利か。それはつまり、違う町への接続しやすさ。住む町の様態とは関係ない。後はスーパーやらコンビニが近いか、とかだけれど、それは折りよくそういうお店ができるかという民間の商業的な都合なので、まちづくり、とも違うような気もする。
よく、ドラえもんなんかで、子供たちが罰ゲームに「逆立ちで町内一周」を課したりする。これ小さい頃から「へー、こいつらには「町内」の一言で通じるような地域感覚があるんか」と不思議に思ったりしたもんだ。別にうらやましいほどではないけれど、無いもの持ってやがる、と。他の地域ではもっと「まち」の範囲が明確なのかしら。これはただの物語における便宜的な表現に過ぎないのか。
もしかしたら、実は我が町でも……堺市北区東浅香山町でも……まちづくり、の専門家を招いて住民と話し合いが行われているかもしれない。ポストに入った案内を見逃したりしているだけで。平日の昼下がり、住人たちが話し合って、好ましい形へと何かが決まっていく。まちはつくられる。それを僕はたまたま出向いたシンポジウムで登壇者が紹介する一例で知る……そんなことを想像すると、悲しい気持ちになりますね。<br />
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2016-06-27T16:07:46+09:00
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中島彩
【連載記事】ちょっとした夢と絶望の学習机
http://yosomi.jp/article.php?id=350
<h2>ちょっとした夢と絶望の学習机</h2><p class='author'>中島彩 / 2016-06-28 01:07:46</p> 実家の自分の部屋を片付けなければならなくなった。それで最近、ちょこちょこと帰省しては、ぬいぐるみやらお手紙やら落書き帳やらを片付けている。いま現在、大体のものが判断できて、とっておくなり捨てるなりの道順がついた。しかし、学習机につまづいている。
私の学習机は、いわゆるキャラクターもので、「魔法使い サリー」がテーマ。机上の棚部分の垂直面にはサリーちゃんのイラスト板があって、裏返すと時間割を書き込める様になっていたけれど、それはとっくの昔に捨ててしまった。付属の椅子は、背もたれと座面の布部分にサリーちゃんがプリントされていたけれど、実家を出て数年後に椅子ごと捨てられてしまって、事務椅子に取って代わっている。そんなわけで、サリーちゃんの名残をとどめるのは、机とセットになっていたシェルフの棚板のみである。
「キャラクターものの学習机は飽きるよ」「でもわたし(ぼく)はこれがいいの」、なんてかつてはどこの家庭でも繰り広げられた議論なのではないかと思うのだけど、私もやはりその議論の果てに、サリーちゃんを勝ち取り、サリーちゃんに飽きて、外せる部分は取り外し、上からステッカーを貼ったりした類いだ。
いや、本当のことを言うと、勝ち取ってはいなかった。小学校就学前の私は、いま以上に内気で、自分の気持ちを表現するのが苦手だったし、親や周りの大人の顔を窺うタイプの子どもだった。そして、こんなことを今さら親には聞かせられないけれど、私はサリーちゃんが特に好きというわけではなかった。ただ、家具店に親と、そして確か母方の祖父母とでかけたときに、「女の子らしい可愛いものをほしがらねば」と思ったのだ。こうして私のところにやってきた、サリーちゃんの机。ポイントカラーはもちろんパステルピンク。
本当は好きではないサリーちゃんのイラストを、私はいつも面映ゆく見ながら、その中に好きなポイントを見つけようと、なかでもまだ好感の持てたサリーちゃんの飼っている紫色の猫「ダブダブ」について空想を広げて、好きになろうとした。それから、机の下に潜り込んで、本を読んだり、お気に入りのぬいぐるみを持ち込んで探検ごっこをしたりしては、過ごした。
机の下に潜るには大きすぎる小学校高学年にもなると、抽き出しには、集めた文房具(特に動物などの形をした消しゴムが好きだった)や、落書きがびっしりと入る様になった。机の上でせっせせっせと消しゴムたちの世界を作り、空想世界の登場人物たちを紙に描いては、抽き出しに放り込んだ。
中学校に入ると、交換日記やプリクラなど、少しは他者も関わる物も放り込まれる様になった。それでもやはり、机は誰にも触らせたくない、自分だけの秘密基地だった。
女子高生ともなると、できるだけ格好よくしようとステッカーを貼ったり付属品を外したりしだすのだけど、うまくいかなくて、初めて履いたルーズソックスのたるみ具合みたいに微妙な状態になっていた。
そう、いつだって、微妙だったのだ。
「私はこんな風になりたい」と思っていても、なりきれない自分や意識過剰な自分や空想に耽ってばかりいる自分を再確認して、ちょっと絶望する。まあこんなものかと、自分の身の丈に気づいてちょっと大人になる。
そう、学習机に僅かながら残っているサリーちゃんは、いつも私に「あなたはこんなもの。魔法なんてないのよ、変身なんてできないのよ」といいながら、でも一緒にいてくれる存在だったのだ。
ところで、キャラクターものの学習机といえば、同級生同士で何のキャラクターを聞き合う、というのも定番のやりとりである。女子の友人たちは、ハローキティやキキララが多く、小学生の時分には「それもよかったな」とうらやましく思った。「キャラクターのじゃないねん」という答えは少しかわいそうだった。
中学生以上になると、キャラクターのではない人の「長く使える様にってシンプルなんにしてん」って答えが頭が良さそうに見えて、本当のところは親に説き伏せられただけじゃないかと思いつつも、なんにせようらやましかった。逆に成績のいい子がキャラクターものだったりすると、妙に好感を持ったものだ。
さて。
こうして、学習机に思いを馳せるあまりに、昨今の学習机事情はどうなのだろう、と、興味がわいて、現在調べ中である。
いわゆる学習机(子どもの成長にあわせて。ランドセルなどが収納できる)が誕生したのは、昭和39年、日本は高度経済成長期にあり、子どもへの教育の関心が高まったころのようだ。ひとりひとりに子供部屋や机が与えられるというのは、住宅事情や家族形態の変化も関係があるだろう。当時のものは現在のような木製のではなくて、スチール製の、事務机をもう少し軽快で柔らかくしたようなデザインのものだ。
キャラクターものに関しては、はしりと見られるのは昭和48年の「ピンポンパンデスク」で、当時人気の「ママとあそぼう!ピンポンパン」という子ども向け番組とのタイアップ商品である。学習机の普及というのは、メディアとの関わりも多分にありそうだ。
その後、木製のデスクが登場し、ハローキティやキキララがイラストボードにあらわれる様になる。しかし、このキティやキキララと同シリーズの男児版は鉄道やロケットであり、キャラクターを全面に押したものではない。いわゆるキャラクターものは昭和61年の「キキララデスク」と「スーパーマリオデスク」である。その後、キャラクター全面押しはバブル経済の終焉とともに消沈し、現在はほとんど見られない。あるとしても、抽き出しユニットやデスクマットなど、取り外せる部分にキャラクターがあしらわれているものである。
景気のいい時には「また買ったらいいやん、いまがいちばん」と思えた気運が、「長年使えるシンプルで質の良いものを使い倒そう」となっていったことは想像に難くない。
さらにこの頃はシンプルライフだとか、断捨離だとか、フランス人は10着しか服を持たないだとかが肯定的にもてはやされる時代である。シンプルこそが美徳、電話だって1台何役スマートなフォンなのである。ゴテゴテとしたデザインの一時の流行キャラクターがデーンとかまえるわけにはいかない。というのは、よくわかる。
よくわかるのだけど、同時につまらないなとも思う。
物心ついて間もないくらいの、判断力も先を見通す力もない齢のこどもが、勢いでものを選び、そのことを反省したり葛藤したり複雑な心情を抱えながら、大人になるまで使わざるを得ない、というのは実はそれほど悪くないんじゃないだろうか。だからこそ、複雑な心情を抱え込むことのできる懐の広い大人になるんじゃないだろうか。(そういう私の懐は深くはないけれど、少なくともややこしいものに対してすぐに答えを出さずにつきあっていく忍耐力くらいはあるつもりだ)
最初からシンプルに生きるではなく、後悔を経てからのシンプライズ、あるいは複雑なままに、というのもありなんじゃないだろうか。
とまあ、思ったものの、複雑なものを抱え込むのも考えものでもある。私が実家の部屋を片付けなくてはならなくなった理由は、物を捨てられない終戦直後に生まれた世代の、ジャングル状態の父の部屋を片付けるために、空き部屋が必要になったからなのだから。
(学習机については、株式会社くろがね工作所のホームページを主に参考にしました。学習机に特化した資料はなかなか見つかりません。もし詳しい人がおられたら教えて下さい)
<a href="http://www.kurogane-kks.co.jp/home/museum.html" target="_blank">http://www.kurogane-kks.co.jp/home/museum.html</a><br />
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2016-06-03T04:27:32+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】ヨタモノ
http://yosomi.jp/article.php?id=349
<h2>ヨタモノ</h2><p class='author'>中島彩 / 2016-06-03 13:27:32</p>環状線の車内は人がまばらで、窓から差し込むは初夏の日差しが心地よかった。
ふと誰かが口笛を吹いているのに気がついた。
電車のガタンゴトンという音にまざり、何かの機会音かとも思われたが、しかし確かに何かのメロディである。気づくと割に大きな音であったが、誰も気にした様子はなかった。
新今宮の駅に到着する前に、口笛はふと途切れた。降り際に他の乗客の顔を伺ったが、口笛を吹きそうな人は見当たらなかった。
動楽亭に着くと、すでにかなりの客が入っていたが、前から3列目の席がひとつ空いており、ひとりもののこれ幸いとばかりに席を取る。入り口で配られたチラシをそぞろに眺めるうちに、出囃子が始まった。
前座は若手らしいくりくりとした頭に、なんとも丸い顔の桂慶治朗「みかん屋」。前月と同じネタだったが、より多くの客を前にして、勢いよく話しだす。ところが肝心の金勘定を言い違え、若手らしい失敗に客席から暖かい失笑がもれる。
二番手は桂ひろばの「禁酒番屋」。扇子を銚子や一升瓶に見立て、咽喉をならせて酒を呑む仕草がなんとも上手い。
桂南天「遊山船」は納涼の屋形船を眺める橋の上が舞台の、夏の演目。そういえば、噺家たちの着物も涼しげな夏の着物にすっかり変わっている。鳴り物入りの華やかなネタに、話す方もさぞかし楽しかろうなと、「自分もやってみたい」という気持ちが沸き上がる。
桂千朝「植木屋娘」。さすがの滑らかな語り口を堪能し、中入りとなる。
トイレに並んだ行列の脇をすり抜け、外出券をもらって、外に出る。階段を降りると、柵の向こうに警官が数人。なにやら怒鳴っている男性と対峙している。野次馬らしい人だかりもあり、危険な状態ではないと、一服しながら見学する。この地域ではよく見かける光景だ。そういえば以前の動楽亭の寄席で、誰かは忘れたが噺家がマクラで交番のことを「ポリボックス」と呼んでいたことを思い出した。ガラの悪い、と言ってしまえばそうだが、芸人のアウトローな雰囲気がこのあたりにはよく似合っている。
中入りが終わり、桂米紫の「秘伝書」はまさにアウトローな商売、的屋が主役の話だった。
トリのざこばは、預かった師匠の財布から小遣いを掠め取った思い出話に始まり、演目は「天災」で、主人公の与太者(=ならず者。やくざ。なまけもの。役に立たないもの。)を、生まれもっての与太者ざこばが演じるのはなんともおかしい。しかし、与太者を諭す年配者の威厳も、なかなかに演じ分ける。
落ちは客席がどっと沸いたところで、「そろそろえやめときます」。「アドリブしすぎて収集つかんくなった」とつけくわえた。
席を立とうとしたときに、隣の席にいた2人組の50代くらいの女性客から、「よく来られるんですか?おひとりですか?」と声をかけられ、適当に返事をする。平日の昼間に、働き盛りがおんなひとりで少しは目立つことを自覚しなくもない。
帰り際、駅までの道で彼女たちを追い抜いた。これから夜勤の仕事があるのだ。これでもそんなに与太ってないのよ、と声にはださずにつぶやいた。<br />
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2016-05-26T04:56:41+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】アメリカン・ヒーロー対決
http://yosomi.jp/article.php?id=348
<h2>アメリカン・ヒーロー対決</h2><p class='author'>中島彩 / 2016-05-26 13:56:41</p>(内容に言及するので、まず映画を見たい人は読まないで下さい)
今春公開のヒーロー映画を2本見ました。
ひとつは『バットマンvsスーパーマン』、もうひとつは『シビルウォー/キャプテンアメリカ』。片方はDCコミック原作、もう片方はMARVELが原作。DCコミックに所属するヒーローチームはジャスティス・リーグと称されていて、MARVELはアべンジャーズって言われています。それはそれは奥が深くてコアなファンがいる世界なのだけど、前提として、私はコアなファンでもなく、その道に通じてるわけでもない。そして、ファンの方たちからしたら「あのキャラクターのあの事実を知りもしないくせに!」みたいなことになってしまうかも知れないけれど、そんなことはいいのです。
まずこの2本の映画の主題には共通するところがあって、それは「複数のヒーロー(自分の正義とすることを実践する人)がいて、それぞれの思うところの正義がかみあわないときに、どうするのか」ということ。
『バットマンvsスーパーマン』では、まずスーパーマンが世間からの槍玉に挙げられます。悪者を倒してくれるのはありがたいけど、その時にビルを壊しちゃったり、巻き添えを食らわしちゃったりで、結局彼がしていることは独りよがりなのではないか?と、逆風が吹くのです。スーパーマンは自分で正しいと思うことをやってきたので、アイデンティティの危機です。一方でバットマンは、正義を自称してもいませんが、私怨に発するところから町に巣食う悪者たちを追いつめています。それはちょっとやりすぎなくらいで、成敗した悪者にコウモリ印の焼印をいれてしまったりする。そんなわけだから、スーパーマンとバットマンはそりが合わない。
映画の前半は、己の信じるところを超人的なパワーで実践するスーパーマンと、ひとりの超人的なパワーを持つ人間が単独で行動し、大勢は救っても犠牲者を伴うスーパーマンの存在に疑問を持つ世間(裁判所)、私情を絡めながら暗躍し世間を救うこともあるバットマンの、3者の対抗がメインです。
『シビルウォー/キャプテンアメリカ』でも状況は似ていて、いかにも誠実なあんちゃんタイプのキャプテン・アメリカや、理性的で技術面や資金面でも下支えをする縁の下の力持ちアイアンマンはじめ、複数のヒーローたちはすでに団結しているわけだけど、彼らの正義の実践には常に少数の犠牲がつきまといます。超危険な生物兵器や、侵略者から大きな地球は守ったけど、その時にビルも壊しちゃったよね、倒壊したビルの下に、生来有望な若者が巻き込まれちゃったよね、というわけです。そもそも、ヒーローは強くなればなるほど、悪者たちも凶悪化してないか、なんて話もあったりする。
そこで世界の首脳たちは、彼らの活動を国連の監視下に置き、必要に応じて出動を要請するべきだと考えるのです。
アイアンマン派のヒーローたちは、自分たちの存在をパブリックにも認めてもらうためにはそれに従うべきだと考える。キャプテン・アメリカ派のヒーローたちは、責任や判断をパブリックに委ねることに不安を感じ、常に自分で判断したいと考える。
なのでこちらも、アイアンマン派とキャプテン・アメリカ派と世間の3者の対抗がメイン。
中盤以降で、2つの映画は少しずつ描き方が変わってきます。
『バットマンvsスーパーマン』で象徴的なのは、裁判所のシーン。スーパーマンは正義といえるのか、ついに彼は法廷に呼び出されたのです。どんな質疑応答が繰り広げられるのか!?と、思いきや、裁判は結局行われることがありませんでした。第4者によって、裁判所は丸ごと爆破されてしまうのです。そしてじわじわと黒幕的第4者の存在が大きくなってくる。その正体は己の力を過信してしまった若者であり、なおかつ彼は地球外生命体やら化学やらを駆使して、モンスターを作り上げる。その絶対的な悪役を前に、スーパーマンとバットマンは、結局手を組み、絶対正義となります。
とはいえ簡単に手を組むわけではなくて、スーパーマンとバットマン、どっちが強いの的な戦闘シーンがあるわけだけど、和解のきっかけになったのは、スーパーマンとバットマンのお母さんの名前が一緒だったっていう、とっても偶然によるところ。説得力がない。
一方、『シビルウォー』でも対話を一度諦めてしまい、飛行場でのシーンにてアイアンマン派とキャプテン派とは、全面対決となります。しかし決着はつかず、キャプテン派は密かに追っていた第4者らしき絶対悪が潜むであろうロシアへと飛び立っていく。アイアンマンも、その黒幕的な存在に気づき、彼らの後を追いかけます。ところが、ロシアで待っていたのはモンスターでも絶対悪でもありませんでした。第4者である元大佐は、かつてアイアンマンの正義活動によって父親と妻子を失われた被害者でもありました。そしてモンスターによってアイアンマンたちを倒すことではなく、アイアンマンの両親を殺したのは、キャプテンの友人だったという、秘めていた過去を暴くことで、彼らが自滅するきっかけを与えるだけなのです。
アイアンマンとキャプテンは再び闘うことになりますが、決着はつきませんでした。
(一応、アイアンマンの方が先に動けなくなりますが、キャプテンに「その盾を作ったのは俺の親父じゃねえか、返せよ」と言って痛み分け。)
しかし、元大佐を前に、父親を殺害され復讐に駆られていたあるヒーローは、「みんな復讐に駆られている。俺は復讐を放棄する」と、憎しみの連鎖を断ち切ることを宣言します。
また、アイアンマンとキャプテンは物別れに終わるけれど、ラストにはキャプテンの方から「別々の道を歩こうとも、何かあれば駆けつけるよ」と携帯電話が送られてくるのです。
そんなわけで、『バットマンvsスーパーマン』が結局悪役を出しちゃって、旧来の強いヒーローvs地球を脅かす悪者の構図に収まっちゃったのに対し、『シビルウォー』は絶対正義を作らず、和解の余地を残すし、対話を続けること、復讐の連鎖を断ち切ることを描きました。
最初の主題に戻ります。
「複数のヒーロー(自分の正義とすることを実践する人)がいて、それぞれの思うところの正義がかみあわないときに、どうするのか」
ところで、私は福祉職についていて、それはヒーロー的な仕事では絶対になくて、賃金をもらって利用者にサービスするというだけなのですが、でも生身の人間が生身の人間を相手にする以上、これをすることが相手にとって良いか悪いか、ということを考える場面が多くあります。それは職員同士でもかみあわなかったり、第3者の意見を必要としたりすることもあって、それでも最終的に良かったかどうかの答えはきっとでることがない。
けれど、対話を続けることが必要だし、どちらが正しいとか善をなそうとかいう話でなくて、「困ったことがあって、自分にできることなら手伝うよ」的なことが、福祉職の前提なのかなと思っていて。
そんなわけで、行き詰まった仕事帰りに見るなら、『シビルウォー』をオススメします。
それに、そんな主題を描くのにも、『シビルウォー』は圧倒的な映像的軽さがあって、映画っていいよね。
追記
『バットマンvsスーパーマン』で残念だったのは何と言っても裁判所の爆破で、話し合いや、第3者の視点をまるまる切り捨ててしまったこと。もういっそ、スーパーマンが法廷で問われる、っていう『それでも僕はやってない』位の感じの裁判映画にしたらどうか、って思った。けど、そんな映画はきっとそれほどの興行収入は見込めないだろう。自己言及しすぎちゃって、映画が作れない状態になっちゃったって落ちになる。映画は娯楽でもあるべきだし、少なくとも『スーパーマン』の名のつく映画なら、なおさらだ。
『シビルウォー』では裁判こそ行われていなかったものの、悪役かと思われた元大佐は実は裁判官でもあった。あくまで裁定者としてではなく、彼がいることでそこが示談の場ではなく、客観性をもって真偽を問う裁判所となる、という意味で。その場合、観客は陪審員ともいえるかもしれない。
『シビルウォー』は娯楽アクション映画らしさをもって、ポップに軽快に、私が想像していたよりもずっと楽しいヒーロー裁判を描いてくれたのだ。
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2016-05-05T03:03:46+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】アートの時間だぜベイベー
http://yosomi.jp/article.php?id=347
<h2>アートの時間だぜベイベー</h2><p class='author'>山本握微 / 2016-05-05 12:03:46</p> タカハシ‘タカカーン’セイジ個展「やってみたかったことを売ります買います展」へ行った(以下、売買展と略す)。事前にSNS等に流れていた関連テキストを読みつつ、当たりをつけつつ、職場帰りに寄った。他に客が一人「やってみたかったこと」を売買交渉をしていて、僕は展示だけを観て、去った。
<a href="http://20160411-0503.tumblr.com/" target="_blank">http://20160411-0503.tumblr.com/</a>
滞在時間は短かったが、面白かった。テメエの話になるけれど、僕の「運動展」とあまり変わらない(なので、面白いという他は無い)。ある種類の、一掴み程度の、思念が書かれたテキストの展示。運動展の場合は、単に「僕が面白いと思うこと」が掲示されている。売買展はもう少し凝っていて、タイトル通りのコンセプトのもと、「やってみたかったこと」という思念は実際に売買された契約書の体裁で書かれている(なので、契約書独特の文法やリズムが効いている)。書かれている思念が、実現性とは一旦、無関係な点も共通している。どちらも「個展」であることが、思念を引き出す動機付けになっているが、売買展の方が、更に金銭を介す体裁をとることで、作家又は来場者の思念を引き出す仕組みとなっているので、こちらの方が美術的な企みに満ちている、とも云える(故にこそタカハシさんの方は良くも悪くもごく普通のあってきたる美術で、ギャラリーが当初期待した?枠組みを問いかけたり揺るがすようにはなっていない。片や俺様の運動展は普通であるが故に美術という枠組みを揺さぶる傑作となっている)。また、明快でもあるし、詩的な余白もある。加えて契約書に添えられたレシート、コンビニで契約書をコピーした際に生じるものだが、一見内容と無関係ながら、アナログな手書き契約のタイムスタンプをデジタルなレベルで果たし、この使い方は造形的な見た目も含めて秀逸だと思う。
あるコンセプトのもと生成された契約書を美術となす作品自体は既に多数ある。と言いつつ的確な例を挙げられないが、先ず想起したのは「隣の部屋〜日本と韓国の作家たち」(国立新美術館,2015年)における韓国人アーティスト、イ・ウォノの「浮不動産」というインスタレーション。展示場に入ると先ず目にするのはシンプルだが巨大なダンボールハウス。ここに入って通り抜けると、展示場壁面には額装された契約書が多数掲示されているのが見える。脇にはモニターがあり、アーティストがホームレスと交渉し、ダンボールを買い取ろうとする様子の記録が放映されている。先ほど入ったダンボールハウスは、日韓のホームレスが実際に「家」として使用したダンボールを買い集めて再構成したものだとわかる。面白いのは映像中、困窮しているだろう多くのホームレスが、お金は別にいいよ、と譲ろうとするところ。それでは作品が成立しないので、その家に、それを集めるために費やされた労働に対してお金を支払う、と説得する作家。また当初「ダンボールが欲しいならあそこで手に入る」と教えてくれたが「ああ飽くまで家として使用されたダンボールが欲しいわけか」と、抽象的なコンセプトに歩み寄ろうとしてくれるホームレスなど。ともあれ、本作において、こうして出来上がった巨大なダンボールハウスもさることながら、契約書が重要であることは言うまでもない。契約は、国立新美術館の名義が記され、ひいては国が税金で購入したことになり、ホームレスは美術史に組み込まれる。
さて、売買展は面白いが、幾つかの粗はある。第一に、氏は音楽を軸にライブやパフォーマンスをやってきて、今回、美術に沿うにあたり「ものとして残る」点に着目したと、どこかで書いていた。なるほろだけど、今回の作品もまた殆どがパフォーマンスだ。その行程は間違っていないけど、展示はその先にあった方が良い(その際、売買時の映像も添えれば尚、今時の美術っぽくなるでしょう)。勿論「その制作過程を作品として展示しているのだ」でも良いんだけれど、前述のような意図があるのであれば、展示の位置づけをそうした方がお互い良いのではと思った。会期の最後に「総括」のトークイベントがあったと思うが、普通は「総括」したものを展示するのである。
(話は逸れるが過日、某アートNPOのイベントで、そこは各種で行われるアートイベントの映像記録を業務の一つとしているけれど、それについて客席から「記録の活用は為されているのか」と質問があった。これに対しNPO側は「今すぐ活用されることを目的に記録しているのではなく、何十年後かのために記録している(勿論、現在の活用にも効率良く供されることは大事だという前提で)」と応えた。アーカーイヴに関する理想的な答ではあるが、僕はザッと以下のことを考えた。アートにおける映像アーカイヴの勘所は「記録の対象となる」ことで「記録される程のことである」と周囲に知らしめ、対象自体を権威付ける、という点だろう。その後の活用は三日後だろうが三十年後だろうがあまり関係はない。記録されている「さま」こそ重要で、極端な話、カメラマンとカメラがあればテープは無くても構わない。何が言いたいのかと言うと、パフォーマンスでもモノでも、残らないものは残らない。次から次へと目移りする現代において、アーカイヴを参照する余裕など普通は無く、だとしたらその瞬間をより強く印象づける方が良い)
第二に、第一と関連するが、肝心のテキストが少ない。展示終了前日で数件程度なのだから、況やをやをや。売買ということで、この個展はある種の小売店を開店するようなものだが、まるで見通しの甘いただの読書好きが立ち上げた古書店のよう。店を開けば在庫は捌け、魅力的な本が多数買取りされるような。その志は認めるとしても、そこはもう少し、各種の技術を駆使して在庫にせよ買取にせよ豊富になるよう仕向ける必要があるだろう。例えば、先ずは作家が販売用に「やりたかったこと」を多数羅列しておくとか。
そして一番まずいのは、ギャラリー側との不和を開示してしまった点だろう。デュシャンが便器を展示してから早百年、個展と称して例え何もしなくても充分成り立ってしまうほど(寧ろ気が利いた展示だと云える)、現代美術は既に倒錯してくれているのに、比較的コンセプトも明確なこの展示で、画廊における責任だの意義だの云々しょうもない話を表に出すことは無い。そもそもどこに問題なのかよくわからない。
この件については、議論がまとめられているフェイスブックのページがログインしないと参照できないようなので、別途ばらばらに引用されているテキストを追うのみであるが、まあ、ギャラリストが端的に悪い。内部的にどちらが良い悪いか別として、最終的な責任はこの場合、ギャラリー側にある。展示はそのギャラリーで実際に行われているのだから。ギャラリー側が「単にギャラリーの見る目が無かったのかもしれません」とコメントを出したように、話はそれで終わる(複眼なのに目が無いとはこれ如何に)。そのお祖末な見る目を飲み込んで、結局のところどう落とし込んで行くか(不和を開示するぐらいなら中止の方がマシだろう。そして中止を背負い込めばいい。作家ではなくギャラリー側が展示をしながらこうして不和を唱える構図は他に見たことが無い。勿論、独特で良いという意味はなく、筋が通っていないからだ。どちらが領収書を発行するかという戸惑いに似る)。
それを前提とした上で敢えて外野が内部事情を覗き込み、タカハシ氏について思うのは、勿体無い、ということ。僕はタカハシさんをよく知るわけではないが、才能溢れる人だと思う。でも、それを真正面から発揮せず、また引き受けず、パフォーマンス(アサダワタル)、音楽(米子匡司)、演劇(岸井大輔)、文藝(仲俣暁生)、と各ジャンルで既に実績を持つ人物と次々に交流・対談するなどして、本人は常におどけて見せるのが主な芸風となっている。
彼に直接・間接的に影響を与えたであろう少し年上の界隈の人間、アサダワタルとか蛇谷りえとか米子匡司とか岩淵拓郎とか、の立ち振る舞い、日常再編集だとか町の道具だとかメディアピクニックだとか一般批評だとかうかぶだのしずむだのひらがな数文字で名付けるセンスとか、を真に受けて、こういう作風になったのだろう。彼奴等界隈の背景には技術も戦略も文脈も歴史あり極めてしたたかなのだが、なるたけそれを表に出さず無邪気無垢な一小市民として世間と対峙するのが共通したルールとなっている。これを表面だけ真似て、裸一貫、自分の素朴な感性のみを「信仰」し、しかもその文法は肯定文でも否定文でもなく、主に疑問文によって構成される。
僕如きからでも氏に届くよう罵倒語を慎重に選ぶなら、氏の芸風は(あんまりこういう言葉は使いたくないが)「赤ちゃんプレイ」と似る。常に「ママ」役を対置させ、自らはバブーと洒落込んでみせる。ママは、それに対してヨチヨチとあやしてみたり、時にめっ!と叱ってみせ、周囲はそれを暖かく微笑ましく見守る。赤ちゃんは時々、赤ちゃんであるが故にママや周囲の大人をひやりとさせる言動を放つ。こうした赤ちゃんの振る舞いから大人もまた多くのことを学ぶのも確かだ。しかし、それは本当の赤ちゃんから学べばいい。赤ちゃんプレイも時には良いだろうが、それは閉ざされた空間でやるべきで、周囲から眺めて気持ちの良いものではない。悪趣味な見世物に過ぎない。
今回の敗因は、ママ役のギャラリストが既にリアルなママだったせいか、何時もの甘えが通用しなかったことに尽きるだろう。
「僕が最も嫌なのは、「この展覧会を、いつでも中止してやるぞ」というトリガーを、僕のこめかみに銃口を当てたまま脅すような言動や態度」とは穏やかでないけれど、アーティストの戦いは普通、そこから始まる。ベイベー。<br />
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2016-04-09T12:37:29+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】「焼肉ドラゴン」(店は継がない)
http://yosomi.jp/article.php?id=346
<h2>「焼肉ドラゴン」(店は継がない)</h2><p class='author'>山本握微 / 2016-04-09 21:37:29</p> 新国立劇場制作の舞台「焼肉ドラゴン」(鄭義信の作・演出)を観た。初演が読売演劇賞を受賞したという新聞記事を数年前に読んだこと、名前の語呂の良さで覚えていて、今回、再々演ということで観に行くことにした。また、たまたま今現在「社会的・政治的問題を背景とする作品」に意識的に興味を向けていて(自発的に興味津々というわけではないが)先日観た青年団の「冒険王」「新冒険王」(特に新冒険王には韓国人俳優が多数出て来る)に続けて、丁度良かった。
<a href="http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150109_006141.html" target="_blank">http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150109_006141.html</a>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E8%82%89%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3
久しぶりにごく普通の演劇を観た気がした。俳優は大袈裟に喋り、動き、わざとらしいギャグを合間に入れて、暗転で時間は経ち、雰囲気を盛り上げるBGMが流れ、二幕で途中休憩もあり、ラストは桜吹雪が舞い落ちる。
普通過ぎる劇だ……と、言いつつ、その終幕ではぼんろぼんろ泣いた。
ただ、ちょっと戯曲に納得行かないことがあるので、それをここに記しておく。
家族の末っ子である時生の扱いだ。血縁が少しづつ重なり合う家族で、再婚者同士の唯一の子供。彼は中学生で私立の進学校に通っているが、在日であることを理由に激しいいじめに遭って失語症になり、殆ど不登校状態にある。劇中、彼は店の隣にある物置小屋のトタン屋根にのぼり、そこを自分の居場所として町の喧噪を見渡している。周囲の登場人物に公立への転校を薦められたりもするが、父は頑に進学校へ通わせようとする。
劇の中盤、父が同席する学校の三者面談で、中学留年がほぼ決定だと告げられる。それでも父は、母の反対も押し切って引き続き進学校へ通わせようとする。追いつめられた時生は、普段通り物置小屋の屋根に上がり、そして、身を投げる。
戦争で左腕を失い、四・三事件で家族を失い、渡った日本で困窮に耐え家族を養う、しかしそれを無闇に嘆かず、寡黙に淡々と生きるこの父が、こうも息子の進学校に拘る……その気持ちはよくわかる。高度経済成長を揶揄して語る、同じく貧しい登場人物たちがいる中、しかし一人息子にはこの日本の、その流れに沿って安定して生活して欲しいことへの願い。
しかし、それが時生を追いつめた。そして彼の人生は若くして終わってしまった。その時点で。あまりにも早すぎる死。
そこまでは(物語の展開として)良いとして、この戯曲で不満なのは、その時生が、この集落に対するノスタルジーを語ることだ。失語症の時生が長科白を話すのは、劇中の会話ではなく客席に向けた語りとしての言葉で、冒頭と、ラストの主に2回。時生が、いわば作品の鍵括弧を、開いて、閉じる。最後の最後、家族が離散していき、夫婦もまた長年過ごした地を去る際、時生は物置小屋の屋根の上で力一杯手を振って両親を送り出す。
……時生が、いじめられつつも何とか生きてさえいれば、それが美化であれノスタルジーであれ、ここでの日々もそうして思い出すことが出来たかもしれない。でも、時生は失意の最中、自らの命を絶った。家族を恨んでいてもおかしくない状況……では無い、としても、この町に対し、思い出を美化する時間すら無かったはずだ。
劇の中心は、三人姉妹とろくでもない男たちの、割合どろどろした恋愛模様に割かれ、時生は目立たないばかりか、そこにはあまり関わることもない。時生についてはあまり語られることも無いまま、中盤に自殺し、それも暗転が過ぎれば再び姉妹のドタバタ物語に舞い戻る。せめて、もう少し時生について描写があれば、と思う。
……と、書きつつ、でもまあ、思い出しても涙が出てくる。特に最後の最後、父がリヤカーで坂道を一気に上るシーン。あれは、本当、すごく良い意味で「演劇的」だと思った。唐十郎のテント芝居のラスト、テントが開いて外の世界を借景し、というのはお約束で、物語上、テントが開く必然性は無い(と思う)。あのシーンも、プロット的に言えば、最後のちょっとしたギャグのため、母が突如リヤカーに荷物とともに乗り込んで、幾らなんでも右腕しかない老いた父に自分ごとリヤカーをひかせる、ってのはあんまりだ。……と思ったけれど、あそこで父が気合い一閃、リヤカーで駆け上っていく幕切れは、一度は想像した「そのまましんみり去っていく」情景を完全に書き換えて、ああ、終わった、この作品における「終わり」は、演劇に必要な、そして結局は全てを象徴することになる「閉幕」はこれだった、と納得する。あの、寡黙な父の気合い一閃こそが、この劇の全てであったと。「物語」が物語らしく終わるのではなく、ちゃんと「演劇」として終わる。
それだけに、時生を失ったことは本当に悲しいし、それもまた人生、というには辛い。
何より、それもまた人生、と時生自身に語らせるのは(そう直接語っているわけじゃないけど)惜しい。
そもそも「語らせる」こと自体が、現代口語演劇でなくとも悪手だろう。この劇は、すんなり人情劇とはいかない皮肉が多数ある。三人姉妹たちは、ドタバタの末、ろくでもない男たちと結ばれて、恐らくは悲惨な未来が待ち受けていることがわかる。観客は素直に気持ちを落ち着かせることができない。それがこの芝居の良いところでもあるのに、何処かで「それもまた人生」と登場人物が語り、音楽が鳴ることにより、そのうやむやが処理されて「その程度のこと」に留まってしまう。
と、話は欠点に向いてしまうが、後は……三女役の俳優(チョン・ヘソン)が良かったね(きっと観た人はみんなそう思っていることでしょう)。舞台上をくるくる跳ね回り、遠目もあって、漫画のキャラクターみたいだった(浦安鉄筋家族に出てきそう)。特に「歌手になりたい!」と駄々をこねるシーンは良かった。と言うか、流暢な日本語で韓国人とは思わなかった。役的にも、一家の中で一番流暢に日本語と英語を喋ることができる。格好良いー!
そうそう、この劇の魅力は何と言っても、日本語と韓国語が入り交じるところ。字幕に慣れると「やっぱり僕、韓国語も結構わかるんや」と誤解してくる。青年団の「新冒険王」も多言語が入り乱れるが、舞台からして「焼肉ドラゴン」はより日常の話で、日本語話者、韓国語話者、に分かれず、同じ人間が「使い分ける」感覚が強い。
蛇足だが、この劇について、私的な所見。
実家が中華料理屋だと言うと、よく「継げへんの?」と聞かれる。今では聞き慣れたが、当初は、え? なんで? と思った。父に「継げ」と言われたことも無いし「継ぎたい」と言ったことも無い。特に昔はそんなこと、そもそも思いにも寄らなかった。
当家は、祖父の代から中華料理屋で、父も同じ屋号で店を出したが、多分、継ぐ、という感覚は無かったように思う。そして元を辿れば祖父も「念願の中華料理屋を開業」したわけではない。この劇にも明らかなように、ある種の飲食店というのは、故郷から逃れた人が、生きる手段として開業するもの。
僕の父自身も、本当は電気屋をしたかった、と時折言う。電気屋とは抽象的だが、要するにパソコン関係のことらしい。ポケコン、マイコン時代から趣味で触って、おかげで僕も小学生の頃に父からBASICの基礎の基礎を教わることができ、同世代では早くからネットワークを体験することが出来た(最低限のこととは言え、今に至るまで役立っている)。父はきっと若い頃コンピューターに触れて興味を持ち、やがて来るIT革命に何らかの形で乗りたかったに違いない。でも、そういうわけには行かず、日本で中華料理屋を開業し、一家を養うことになった。ともあれ、息子である僕には、こんな身体を酷使する飲食店でなく、ごく普通のホワイトカラーになってほしかったはずだ。僕も、中華料理屋になりたいとは思わなかった(勿論、継ぐのは嫌だとか、そういうドラマ的な展開もなく、考えることすら無かった)。
ということで「焼肉ドラゴン」において父が時生に抱く教育への思いは、本当によくわかります。今度「何で家継げへんの?」と聞かれたら「まず「焼肉ドラゴン」って芝居を観てくれ……(約3時間後)……観た? これ父が息子に、俺の店を継げ、って話じゃ、全然無いでしょ」と答えよう。演劇だからわかりやすいでしょう。
とは言え……例えば長年の修行を経て独立して、又はサラリーマンが脱サラして、念願の店を構えて一国一城の主、としての「飲食店」もあるわけで……。その辺、不思議な気はするね。<br />
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2016-02-11T03:55:21+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】差異と同一
http://yosomi.jp/article.php?id=345
<h2>差異と同一</h2><p class='author'>山本握微 / 2016-02-11 12:55:21</p> 自分で何か考えたり、或は他人と議論したりするときに「差異」と「同一」の概念を駆使することがよくある。
「それとこれとは全く違うこと」というのが差異で、「それとこれとは全く一緒のこと」が同一だ(ですよね?)。差異も同一も、普通はそこにただ認められるだけ、なのだけれど、考えごと次第によっては「差異である」「同一である」という見地が、時に思考や議論を大幅に加速させる。
その加速度の高さ故、特に議論においては事故も起こりやすい。そもそも「差異である」という意見は同一に対して反旗を翻すわけだし、「同一である」という意見は差異に対する通り魔なわけだ。
当たり前のことつらつらと書いているけれど、そもそもそういうことあるよね、とただ認識することによって、事故を減らそう、という目論見(余所見じゃないな)。
差異の例。これはよくある。同一よりも差異を見出す方が寧ろ思考として一般的か。多分、昔々は、ぼけーっと世界があって、全てが同一であったろう。ある日、太陽と月は違う、肉と麦は違う、自分と他人は違う、と次々と差異を見出していった、のだろう。
先日、実際にあった議論の一例。
良い書棚(という商品開発)、について話し合っていて、僕は今、壁面の書棚を設えて使っているけれど、以前は小箱を多数作ってそれを積み重ねて使っていた。この小箱は、古本屋さんが古本市に使う小箱を参考にして作成した。運ぶのにも便利だし、積み重ねれば即席で店の出来上がり。市が終われば店でもそれで陳列できる。運搬良し、収納良し、拡張性良し、汎用性良し。理想的な書棚の最有力候補だ。これを売り出そうぜ。
と、僕が提案したら「ああ、ブックキューブみたいなものか」と切り返された。
<a href="http://www.bookcube.jp/" target="_blank">http://www.bookcube.jp/</a>
ブックキューブについては僕もよく知っている。でも、それとは全く違う、という話になった。確かに形状は似ている。それが長方形か正方形か、という細やかな差異で違うと言っているのではなく。片や「綺麗に見せる陳列のため」片や「多量の本を効率よく保管、運搬、陳列するため」。陳列、という点においては共通するけれど、ブックキューブはその陳列に特化している。ブックキューブは寧ろ収納量を減らして、綺麗に見せる使い方をする。多量の収納を効率良く持ち運びできるために用いられる小箱とは設計思想が全く違う。
それに「昔から古書店で用いられている」というバックストーリーが商品としては重要だ。業務用の什器が、日常でも質実剛健なものとして使えるものとして見出される、という流行もある。単に日常でもオゲー、というだけでなく、古書店で使われていた、というストーリーによっておしゃれさも加わる。勿論、それが実際に古書店で使われていた中古品という話でなく、設計思想としてそれはあればいい。対してブックキューブはベンチャー企業(?)が、新刊書店の陳列のために編み出したもの。
そこまで僕がまくしたてた後、相手は一言。
「いや、すまん、俺にはどう考えても、ブックキューブと同じに見えるんだが……」
同一の例。差異の方が一般的だが、同一もまた重要だ。同一性を見出せば、参照できる事例が広がる。
が、議論において具体例がすぐに上げられない。なので架空の例。
おにぎり会社の業績が悪化して役員が責任をとって退任、とうとう外部から経営立て直しに新役員がやってきた。おむすびの会社からだ。これについて古株の社員たちは猛反発。「おむすびに、おにぎりのこと、わかるわけない!」
そこを偶然通りかかったおむすび出身の新役員。古参社員に優しく語りかける。「ああ田中さん、わかります。確かにおむすびとおにぎりは違います(どこが違うかよくわからないけれど)。でもね、結局『安く仕入れて、付加価値をつけて、高く売る』という商売の基本は同じなんですよ。おにぎりもおむすびも同じなんです。(というか、ぼく、ホントは銀行出身なんで、おにぎりもおむすびもどっちも知りません)」
差異に拘り複雑化して袋小路、こういう時「同一」を見出すことが光明になる。どんなものにも差異を見出せるからこそ「同一」は知的でもあり勇気である。
***
どちらが良いことか、は勿論、状況によって異なる……だけでなく、困ったことに同じ状況下で同じ対象でも(そして時には同じ人でも)「そこに(敢えて)差異/同一を認める」ことがあり得る。
***
作品批評の際には、褒めるために細やかな差異を見出し、貶めるために既存の概念と所詮同一と看做す、ことが多いか。(※)
***
「言葉の暴力」という言い回しがある。言葉、の、暴力。それは、言葉の中では暴力に位置する、ということなのか、暴力そのものになった言葉なのか。
例えば、酷い悪口を言って、言われた人や回りの人が「それは言葉の暴力だ!」と非難する。それは、言葉の中でも特に酷いこといって傷つけたよ、ということなのか、本当にぶん殴られるのと同じダメージを与えたのか。
……「ぶん殴られるのと同じダメージを与えたのだ。 言葉の暴力を用いるってのはそういうことだ」……それは、ホントのホントに拳でぶん殴られるあの暴力と「同一」なのか。血が滲み、目が眩む、そして何より「痛い」……痛い痛い、あの肉体の痛さ、苦しさ。それと同一なのか?
高校生の頃、人権系の研修で、被差別部落出身の人が「差別の言葉を投げつけられること。それは例えば言葉でも、とんかちで殴られたように痛い」と言っていた。その真実性は一旦保留しつつ、僕は(折角「研修」という場で聞いたので)その「同一」を敢えて信じることにした。言葉は時に、暴力に匹敵する。言葉でさえそうなのだから様々なことは暴力になり得る……。ならば、暴力的な様々なことに対抗するため、時に黙って暴力を振るう、振るわれることも、それほど無茶苦茶な話ではない。
***
※ 追記
「同一」で作品を褒める、という例を思い出した。「これ、実はダンテ『神曲』と同じ構造を持つんですね」的な、過去の古典になぞらえるやつ。これは結構多い、というか、むしろこっちがスタンダードか。<br />
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2015-10-24T12:23:26+09:00
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中島彩
【連載記事】一人チケットパーティ、私も。2
http://yosomi.jp/article.php?id=344
<h2>一人チケットパーティ、私も。2</h2><p class='author'>中島彩 / 2015-10-24 21:23:26</p>なんだかんだでイベント事にはよく行っています。溜まったチケットを整理するがてら振り返りましょう(チケットがないものもありますが)。読者のみなさまの何かの参考になれば幸いです。
(今年の晩夏から秋)
「第二回 織田作まつり」生国魂神社
10月中旬
・・・織田作之助をまつる祭りです。オダサク倶楽部という織田作之助ファンが主催。
オダサクが氏子だった生国魂神社の境内でひっそりと開かれていました。
オープニングセレモニーはオダサク像の前で。生国魂神社のあの裏側、本殿の右側の森っぽいところです。それほど人が多くなく、「マイナーなイベントなのか」と思っていましたら、記念講演と寄席の会場の社務所内は入りきらんばかりの人に溢れていました。
・・・今年はオダサク生誕102年目。ということは、長寿社会の日本、生きていてもおかしくない、なんて講話があり、ぐっとオダサクが身近に感じられます。
それからオダサクや同時代の近代日本文学作家がいかに落語と密接していたかの話があり、寄席ではオダサクが好きだった演目が行われました。
・・・
月亭秀都「ちはやふる」
笑福亭飛梅「軽業」…昔の口上が多くて、聞き取れないところが多かった!そういうのってどんどん上演される機会が減っていくのだろうな。見れてよかった。
月亭文都「鴻池の犬」…アフタートークでされた話が興味深かった。大阪では鴻池家(大坂の豪商)のところを、東京では岩崎家(三菱財閥の創業者一族)に置き換えたけれど、全然ウケなかったという話。同様に豪商といえど、町人との関係は異なる有様だったんでしょうね。
・・・まあまあ、といってもマイナーなイベントです。「夫婦善哉」が好きな大阪のおじちゃんおばちゃんが圧倒的に多い。そんな中で隣り合わせになった人がどうも私と同世代くらいの女性で、連れもいないようです。きちんとお化粧もして、スカートにハイヒール、堅実なOLさんという雰囲気。
イベントが終わってからタイミングあって声をかけてみたところ、寄席に出演していた月亭文都さんのファンとのこと。ふうむ。女性ひとりで落語を見に来てる人って、落語そのもののファンというより、特定の落語家さんのファンの人が多いような気がする。ファザーコンプレックスからくる、貫禄のある年上男性に対する憧れみたいなのがあるのかな。なんて考えながら帰りました。
「みんぱくゼミナール 言語の遺伝子をたどる ほか常設展示」国立民族学博物館
10月中旬
・・・歴史言語学の入り口の話。オセアニア諸島の言語を例題に、言語の変遷の調べ方(変化のどこを見るか)などの話。世界には驚く程の言語がある。7000語以上だという。
・・・みんぱくゼミ。いつも感心させられるのは、講義が始まる前に常連受講者の表彰式が行われることだ。200回受講したツワモノなんかもいらっしゃる。講義内容は毎回異なり、民族学と一口にいうても分野は多岐にわたる。200回、といったら、元からの興味の有無に関わらず関心を持てる態度が必要だ。年配の方が生涯学習にと通っておられる場合が多いようだけど、その知識欲や学習態度には頭が下がる。
・・・常設展示場は、オセアニアとアメリカをじっくり見た。じっくり見ると、本当に時間がかかる。全部見ようと思えば一年がかりになるかも知れない。今回は電子ガイドも借りてみた。よくできている。研究者の人が「これはこの音声ガイドを聞いてる人だけの内緒話ですよ」なんてことを言うこともある。
・・・みんぱく、ほんと奥が深い。吹田市に住んでいなくてよかった。住んでいたら、きっと入り浸ってしまっていたことだろう。
「ウォルフガング・ティルマンス / 他人の時間」国立国際美術館
9月下旬
・・・現代ドイツを代表する写真家ティルマンスの展覧会。大阪でこの規模の個展は初めてかな。うん、まあいいのだけど、私の好きなシリーズは展示されてなかったり、点数が少なかったり。まあまあ、いいや。
・・・他人の時間。ミヤギフトシの作品が良かった。久しぶりに美術館で良いなと思える作品に出会った。他の作品もまあまあ。
・・・大きな美術館だと、やっぱり作品の組み合わせが気になるな。
「彦八まつり」生国魂神社
・・・9月上旬
上方落語の始祖・彦八さんをまつる祭り。落語家さんがうようよしていて、高座に上がってない同じ目線で来場者らとやりとりしてる。ファン感謝祭みたいなものなのかな。
・・・富くじ以外のイベントは見物できず。富くじは、当選発表の上位に近づくにつれ、客席からのため息が大きくなり、当選番号を読み上げる人が、ため息や非難めいた眼差しを浴びながらも笑いをとろうとする姿が痛ましく、好ましかった。
「別府現代芸術フェスティバル」大分県別府市
9月上旬
・・・同時開催の混浴温泉世界のツアーに参加したかったのだけど、定員に達していて参加できず。展示を見て回る。
・・・ラニ・マエストロの作品がよかった。今回は再展示で一度見たことがあったのだけど、あらためて見ると、言葉にならない言葉の片鱗、火の痕跡、揺らぎのある作品だなと思った。
・・・鉄輪地区で蒸し風呂に入る。由布の山へドライブする。夜の別府で友人と飲む。行きは飛行機、帰りは船旅。別府は強いなーと思った。土地自体の吸引力が強い。
「九多の松上げ」
8月下旬
・・・松上げ、つまり、上げ松明。13メートルある松明のテッペンに、投げ松明を振り回し投げ入れ、点火させる。火祭りの中でも、「点火」に重きをおいている。
事前に見た写真のイメージからは、高いところ(天に近いところ)から降り注ぐ火の粉で災厄を振り払うイメージなのかと思っていたが、違ったようだ。地面から松明を投げ上げることに意味がある。
・・・九多は京都の北方の山奥。交通の便は悪く、冬は雪が降り積もる、厳しい土地である。だからこそ集落内に引き継がれていく祭りがあるんだろうな。
<br /><a href='file/large/1445689318.JPG'><img src='file/thumb/1445689318.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2015-10-24T10:45:31+09:00
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中島彩
【連載記事】一人チケットパーティ、私も。
http://yosomi.jp/article.php?id=343
<h2>一人チケットパーティ、私も。</h2><p class='author'>中島彩 / 2015-10-24 19:45:31</p> 余所見企画のチケットパーティ初回には参加していないのだけど、面白そうだなと思っていて、いつか第二回目が行われることを期待して、チケットを残しておくようにしている。
今回はその中から、2015年に見に行った映画のチケットを取り出した。
映画は好きで、家でもよく見ているけれど、映画館がやっぱり良い。
ミニシアターも良いけれど、最近お気に入りは最新シネコン・大阪ステーションシネマ。
見終わった後に、屋上公園でぼんやり映画の余韻に浸るのです。
(見た日・タイトル・簡単な紹介(私意的)・感想の順に書いています。俳優さんの敬称略。)
2月15日 「悼む人」
天童荒太の同名小説を原作に堤幸彦が映画化。主人公の青年が日本各地を旅しながら、亡くなった人の痕跡を探しては「彼(彼女)はどんな人でしたか」と聞いて回り、その死を悼む。それは、彼自身の再生の旅でもある。という感じなのですけれど、期待していたほどの感動はなく。主人公が、「悼む」ときのポーズ(自分なりにやっているうちにそうなってきたという、両手を開き、片手ずつゆっくり胸にあてる)がなんだか儀式っぽくて、気になって仕方なかった。テーマは良いと思うんだけど。
3月22日 「アメリカン・スナイパー」
イラクに派兵された狙撃手クリス・カイルの自伝をクリント・イーストウッドが監督して映画化。
もう予告動画からして気になってた!!(主人公が爆弾らしきものを抱えた子どもを狙撃するか逡巡するシーン)
主人公はアメリカ同時テロの発生を契機に、義勇心に狩られ出兵。けれど、大勢の敵兵の命を奪い、「英雄」と称される一方で、自分にも子どもが生まれ、家族を育み、敵兵にも家族があることを思い、本当にそれが正義であるのかの葛藤が生まれていく。
クリント・イーストウッドさすがやなあ。よくできた映画やなあ。アメリカはこの映画も公開できるんやなあ。なんて感心しながら見てたんだけど、ラストシーンで答えを出しちゃってて、ああ、残念!!
6月24日 「あん」
河瀬直美監督、主演は樹木希林と永瀬正敏。樹木希林演じる老女は若い頃にハンセン病を煩い、今も小さな療養施設に暮らしながら、「一度働いてみたかったのよね」と、永瀬正敏が店主を演じるどら焼き屋のアルバイトに応募する。永瀬正敏もまた事情を抱え、生きながら死んだように静かにただ毎日を暮らしている。老女と店主、そしてどら焼き屋に出入りする少女の3人が交わることで、それぞれが少しずつ変化していく。しかし、社会には未だハンセン病への偏見が残っていて…
やっぱ樹木希林はすばらしい役者なんですけれども、河瀬監督の撮り方や脚本もよくて。
ラスト辺りの、カセットテープに録音された樹木希林/老女から永瀬/店主と少女へのメッセージがとても素敵。
「この世に生まれたからって、何かを成し遂げなくても良いんじゃないかしら。この世界を見て聞いているだけで、私たちには生まれた意味がある」
みたいなことを話していて、その間に流れる農村の景色は、風の音や太陽の光やそこにある生命を映し出している。
河瀬監督は、そこにあるのに見えていない景色を映像にすることのできる人だなあと思います。
5月20日 「龍三と七人の子分たち」
藤竜也演じる元・ヤクザ龍三率いる老年元ヤクザ軍団が、現代のインテリヤクザに喧嘩を挑む。
北野武監督も老境か!?
映像の斬新さや、目新しい展開はなし。ただただ、藤竜也はじめ超ベテラン俳優陣のさすがの存在感は見物。カメラの前に何十年も立ち続けている人は、それだけで顔や立ち振る舞いに説得力があるよなーと思う。
7月26日 「バケモノの子」
細田守監督のアニメ映画。
孤独を抱える少年が、現実世界と並行して存在する神の世界に迷い込み、そこでフウテン生活を送る熊男に弟子入りする。熊男も少年を育てる中で成長を遂げ、っていうストーリーが前半。後半は成長した少年が再び現実世界に戻り、そこで神の世界で育ったものの人間の悪の気持ちに捕われた別の少年と対決する。
親と子の絆(血縁に関わらず)、アイデンティティ、現代社会の閉塞感、ファンタジックな世界観、メルヴィルの白鯨の現代的な描き方、ちょっと恋愛もして、、、要素がテンコ盛りな気もする。ま、見ている分にはスルスルと見れちゃう。技のデパートだね。
細田守は「夏休みにアニメ映画を観るのはすごく子供にとって重要な事だと思う。」なんて言ってらして、それには私も共感する。子どもの時に見たアニメはやっぱりすごくドキドキさせられて、あのワクワク感は成長期の大切な糧だったんじゃないだろうか。
子どもの頃の映画館といえば、ドラえもん映画の上映には、オマケのおもちゃがついていた。映画も気になるけれど、それもすごく大切で。ある年は、足の下にコマがついていて走るドラえもんをもらった。それを座席の手すりでコロコロしていて、どこかに転がっていってしまい、暗い映画館の足下、見つからない(探せない)状況に泣きそうになりながら、上映時間を過ごした。たぶん5〜6歳のころのことだけど、そのことは映画の内容よりも心に残っている。
9月13日 「キングスマン」
英国紳士スパイ!!
すごく真剣に丁寧にB級映画を作ってる感じで、とてもよござんした。
10月6日 「蘇ったフィルムたち 東京国立近代美術館フィルムセンター復元作品 短編集1」
「なまくら刀」(大正6)に始まる日本アニメ黎明期の作品をデジタル復元し公開!
日本でアニメーションを最初に制作したとされる寺内純一・北山清太郎に始まり、影絵アニメの大藤信郎、切り絵の村田安司、日本アニメーションの父・政岡憲三の作品etc…と、戦後数年までの日本のアニメーションの発展状況がよくわかる。アニメーションを通じて、日本の政情なんかも伺える。さすが近美フィルムセンターです。
あえていうならば、大藤信郎作品の割合が多くて、それはそれでいいんだけど、戦時中に多産された美術的ではないけれど世相を反映しているようなアニメをもうちょっと入れてほしかった。
10月9日 「フリーダ・カーロの遺品ー石内都、織るように」
メキシコの女流画家・フリーダ・カーロの遺品(衣服を中心に)を、写真家・石内都が写真に収める過程を捉えたドキュメンタリー。
フリーダ・カーロはその画風や自身の肖像画(眉毛がつながってる!!)から個性的で強い女性というイメージだったけれど、映画を通じて紹介されるは彼女は、病気がち・片足を切断した障害者であり、そこから生者と死者の境界を象徴する存在として描かれる。その彼女が残した遺品から、自身の母の遺品やヒロシマの被爆者の遺品を撮影してきた石内都が、彼女の生(性)を読み取っていく。それは同時に、過去から現在に至るメキシコの女性たちの物語でもある。メキシコの女性たちが身にまとう服には、花の刺繍が施されていて、それは死者の祭りが盛大に行われ、死が常に隣り合わせであるメキシコにおいて、一瞬の生をとどめるように一針一針刺された紋様である。彼女たちの服は、祖母から母、母から娘と、何世代にも引き継がれていくのである。
映画のクライマックスは語ることなかれ。
生と死。第二の皮膚としての衣服。民族衣装。メキシコ・日本・パリ。
なかなかいろんなことを考えさせられる映画でした。
**こうして一挙に並べ思い返すのは、見るたびに感想を書くのと、また違いますね。
これらの映画を見ている人物が見えてくる。それがチケットパーティか。<br />
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2015-08-20T20:05:03+09:00
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藤井菜摘
【連載記事】謎水分
http://yosomi.jp/article.php?id=342
<h2>謎水分</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2015-08-21 05:05:03</p>蝉が大の苦手で、この間その話を友達にしていたら、どんなところが嫌なのかみたいな話になって。鳴き声がいやなのか、姿がいやなのか、死んでいるやつはどうなのか、などなど。それで、「じゃあ、蝉のおしっこなんてかけられたらすごくいや?」と聞かれたので、私は少し考えて「うーん、それはでも空から水分が落ちて来ても蝉のおしっこかどうかわからないし、ていうか、なんか道歩いてると謎の水分落ちてこん?」と答えた。すると友達は「あるある!今日も駅から歩いて来る途中なぞの水分顔にあたった!」と答えた。
私が言う謎の水分っていうのは、前日雨だったとか今まさに雨が降りそうとかそいう雨の気配がないのに、なぜか街中でふいに顔にあたる水分のこと。雫にもみたないようなほんとに顔にあたったのか気のせいなのかさえも確認できないような水分の粒。その、ときどき顔にあたる謎水分は確認の術もないし、そもそも気のせいかもしれないし、ていうかその程度の小さな小さな衝撃だから自分のなかでも意識するでもない無意識に近い位置にある事柄で。わざわざ言葉にして表に出すほどのことでもなかったし、ましてや人に話すことでもなかった。それがたまたま話の流れで表にでてきて、しかも人と共感できてしまって。そのときの、表に出るはずじゃなかった事柄を言葉にするふいの生っぽさとしかもそれを人と共有できてしまった快感がなんかこそばゆい気持良さっていうか。ちょっと不思議な感覚で。
無意識に考えていることを意識的に探してみて言葉にするようなことは、何か考えを深めるときなんかにはよくやってみる方法だけど、とりわけこんなふうに表に出しても特に意味のないような事柄は、表に出て来る可能性は低い。そんなのがぽいっと出て来て、無防備なまま共感出来たのがなんかとてもよかった。
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2015-06-07T11:45:47+09:00
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蛇谷りえ
【連載記事】佐治アストロパークへいった
http://yosomi.jp/article.php?id=341
<h2>佐治アストロパークへいった</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2015-06-07 20:45:47</p>「宇宙ーそのひろがりをしろう」という絵本を買って、宇宙に想いを馳せるこの感覚、どっかで見覚えあるなあーと考えていたら、昔にプラネタリウムにいったときの感動に似てることに思い出し、鳥取、プラネタリウム検索をする。
久しぶりの休日前日。本当は犬サービスのために、どこかドッグランをしに出かける予定だったけど、ここ最近の天候は雨か、晴天で犬が熱中症になるのでドッグランに連れていくのは微妙な気持ちになる。うんうん、微妙だ。最近の暑さで体調よくなかったし。と自分や周りに言い聞かせる。明日雨だったらプラネタリウムにいこうと約束してたヘルパーたちに告げる。
休日の朝、雨であることを確認。布団の中で鳥取、プラネタリウム検索をして出た「佐治アストロパーク」の営業日、プラネタリウムの時間などを確認したら、「団体貸し切り」と書いてあって、ダメもとで電話で交渉してみる。
蛇「どうしても3名入場できませんかね。端っこの椅子でいいので…」
スタッフ「プラネタリウムは小学生の授業の一環なので、ワンピースじゃないですけどいいですか?」蛇「ワンピースってなんですか?」
スタッフ「普段は特別企画で漫画のワンピースが解説する映像が流れる予定なんです」
蛇「ワンピースじゃなくて大丈夫です!」
頼んでみるもんだな。しかも、あやうくワンピースの映像を見るところだった。スタッフによる解説の方が断然いいもん(たぶん)と興奮しながら、出発ぎりぎりまで犬を愛でつつ、さよなら!といって車に乗り込む。雨上がりの蒸し暑い車内。窓をあけて、音楽を流す。ナビのいわれるとおりに、車を操作し、三朝町をとおりすぎ、人形峠を下り、山道に入っていく。どこを見ても山。杉の木が三角に尖って青々と並んでる。木と木の間になぞの白い花が咲いてる。山と空しか見えない道をくねくね曲がりながら運転する。山ばっかりで車内は圧倒される。
山に飽きてきたころ、ようやく佐治アストロパークの看板が見えて左に曲がる。それでも山道は続き、「佐治町へようこそ!」の看板がでてきて、ようやくここが佐治町だということがわかる。町役場らしい建物、郵便局などを通過し、町を横切ると、再び佐治アストロパークの看板が出てきて、山頂の方へ誘導される。山のてっぺんらしいが、開けた場所になっていて、牧場っぽいものが続く奥に、建物が見える。駐車場をおりると半球体の屋根、の横に民家がくっついたような建物が2.3個みえる。白い大きめの建物に入ると、受付があり、電話の一件を話すと通してもらえた。ちょうどこどもたちは会議室で先生の挨拶を聞いてるところで、入場を待つ。
プラネタリウムへ案内される。小さい。スカイマークの飛行機みたいな天井の高さ、隣の人との距離感。日本最小のサイズらしい。これで天体ショーが見れるのも逆にすごいわ。と期待しつつ、期待しすぎて大人気ないなと冷静になりつつも、星の話が始まる。(つづく)<br />
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2015-05-09T03:09:37+09:00
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中島彩
【連載記事】始末の極意
http://yosomi.jp/article.php?id=338
<h2>始末の極意</h2><p class='author'>中島彩 / 2015-05-09 12:09:37</p> 数年前から、気に入った靴下は同じ物を二足以上買うようにしている。片足に穴が空いたら、空いた方だけを捨て、もう片足は残しておく。そして買い置きの分から、片足分だけをおろし、両足そろえてまた履く。また片方に穴が空けば、空いた方だけ捨て、片足分をおろす、を繰り返す。そうすれば、穴が空いてるのは片足だけなのに、両足分捨てなきゃならない、なんてことにはならない。一足の靴下を、二枚の靴下と考えるのだ。普通に履くより長持ちじゃないかと、貧乏臭い話だが、実践している。
ところで二年程前から、「冷えとり靴下健康法」的なものを取り入れるようになって、新たな発見があった。これは肌に近い方から、絹の五本指靴下、綿の五本指靴下、絹の先丸靴下、綿の先丸靴下を重ねて履くというものなのだけど、問題は絹の五本指靴下だ。それまであまり店頭でお目にかかったことがなく、もちろん私のタンスにも入っていなかった。
早速、買った。
先に述べたまとめ買い節約法を、もちろん実践した。インターネットで同じ物を七足まとめて注文した。
…どうでもいい話だけど、絹の五本指靴下は割と高い。一足千円前後とブランド靴下並みである。けれど、重ね履きの内側になるので、靴や床との直接の摩擦は起こらず、長持ちする。
ただし、温泉に履いて行くには注意が必要だ。泉質によっては、絹との相性が悪いのか、風呂上がりに履いていたら、一週間の湯治の間に絹の五本指靴下が全滅するという事件が起こった。それも、指先ではなく、足裏部分にぽっかり巨大な穴が空くという大惨事。…という話は他に聞かず、もしかしたら足裏から体内の毒素が排出されたのかも。うむ。
余談さておき、発見の話である。
先が丸い靴下と、五本指靴下の、大きな違いは何と言っても左右が決まっているかいないかだ。(※注)
絹の五本指大人買いから約二年が経過し、タンスにはなんと見事に右足の五本指靴下ばかりが残っているではないか。どうやら私は左足に負担をかけて歩いているらしく、先に穴があくのは決まって左足だったのだ。これでは、あらたに左足分だけを買い足さない限り、右足の五本指靴下を再雇用することができない。しかし、そんな売り方はどの店でもしていない。
落とし穴だ。
いくらかくたびれて、しかしまだ引退するには早いと出番を待ち構える右足靴下たちが並ぶ抽き出しは、まるでシルバー人材派遣センターのようである。
さて、同じような抽き出しが実はもうひとつあって、そこには左手の手袋ばかりが入っている。
成り立ちは少し違っていて、両手に手袋をはめて外出。外出先で、財布からお金を出したり、メモを取ったり、携帯をいじったりに利き手である右手の手袋のみをはずす。そして、気がつけば右手だけがなくなっているという風。
これもまた同じ側だけなので、残った物同士を合わすことができない。
というようなタンスを整理していて、落語の「始末の極意」という話に挿まれる小咄を思い出した。
ある吝嗇家が、両目で物を見るのがもったいないと、片側の目を外してとっておき、使っていた方の目が老眼で見えづらくなった時に、とっておいた方の目をはめてみた。すると初めて見る物ばかりで、知っている人が誰もいなかったというようなものである。
節約の工夫は楽しいが、成功するとは限らない。
※注・先丸でも左右が決まっているものや、足袋靴下など例外もあります。<br />
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2015-05-06T13:28:11+09:00
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中島彩
【連載記事】火をまつる
http://yosomi.jp/article.php?id=337
<h2>火をまつる</h2><p class='author'>中島彩 / 2015-05-06 22:28:11</p>町の方々から松明を担いだ人々の群れが、神社へ集まってきた。
松明が通った後は、火の粉が振り落ち、天の川のようだ。
ときどき風にあおられ、松明はごうっと息を吹き返す。
太鼓はずっと鳴り響いている。
雨がぽつぽつと降り出し、傘を持った人はそれを広げはじめた。
傘をどこかに置き忘れてきた。
雨は本格的に降り出し、上着が水を吸って重みを増してくる。
逃れようと、木陰に入った。
松明のまわりにはまだ人が集まっている。
そうだ、レインコート代わりにゴミ袋だと、さきほどドリンクを買った露店に向かい、店のお兄さんに袋をわけてもらえないか尋ねてみる。
いかにもやんちゃで、整えられた眉毛はまるで中国美人の蛾眉のようで、けれど子どもたち相手の話し方がとても優しかったお兄さんは、袋は「小さいのしかないねん」と申し訳なさそうに隣の露天商のおじさんにも聞いてくれたのだけど、結局手に入らなかった。
あきらめて、神殿の軒下に移動した。
すでに雨宿りをしていた人の中に、濡れ鼠で割り込んで申し訳ないと思いつつ、何とか場所を確保する。
神殿では、神事の装束を身につけたおじさんたちが、煙草をくゆらせ、「今年はあかんな」と、雨を嘆いていた。
神社の境内の中央で何かが始まっている。
人混みと傘の隙間から、巨大な松明を10人程の男性陣が神輿担ぎし、振り上げながら練り歩いているのが見えた。
太鼓は変わらず鳴り響いている。
その音に合わせて、松明神輿は何度も上下する。
「いつまでやんねん」と、神殿のおじさんたちは楽しそうに笑う。
巨大な松明は境内を何度も巡回し、神殿前に立てられた。
雨がおさまりかけてきた。
傘を畳もうかと人々がそわそわしだしたとき、打ち上げ花火が始まった。
よく見える場所に移動する。
出資者と花火屋と玉名が読み上げられ、一発ずつ打ち上げられる。
7号玉と10号玉があわせて35発。
先ほどまで傘で覆われていた頭上を、誰もが広々と見上げている。
千輪が咲き、禿が降り注ぐ下に、鎮守の森があり、人々がいる。
玉が終わると仕掛け花火。
まずは洋火(外国から輸入された色彩豊かな花火)。アナウンスがあり、「号砲をお願いします」のかけ声の後、轟音が鳴る。
号砲というにはあまりな爆発音に、ワッと驚きの声、続いて笑いが起こる。
そして、神殿に向かい鳥居のように掲げられた花火が、綱火で点火されごうっと燃え上がる。
火が落ち着くと、カラフルな絵柄が浮かび上がる。
モチーフは海外で活躍中の誰もが知る日本人野球選手。
「応援してね」とメッセージが書かれている。
近江八幡にゆかりがあるのかないのか。なんで彼を選んだのか。
いろいろわからないけど、なんだかやさしい気持ちになる。
次はナイアガラ。
洋火の仕掛け同様に、地上から5メートル程の高さで鳥居のように綱が渡されている。
端から点火され、火が渡り、勢いを増していく。
ふと、先ほどまで会場に張り巡らされていた結界がなくなっているのに気づく。
もしやと思い近づくと、限界がない。
そうか。
「火まつりは、火の粉を浴びて一年の災厄を振り払う神事です。火傷しても知りません」
そんなことが書かれた看板があった。こういうことか。
遠くから眺める人もいれば、滝をくぐりかねない勢いで近づく者もいる。
横に10メートルも満たないナイアガラは、先の雨で火薬が湿ったのか、途中で途切れてしまった。
それでも眼前に降り注ぐ火の粉の滝を、人々はそれぞれに楽しんでいる。
そしていよいよ和火の仕掛け花火。
アナウンスが流れ、沸いている会場にすっと緊張が走ったかと思うと、綱火がシュッと空を切る。
エンターテインメントじゃない、土地の祭りの花火は、ちょっとせっかちだ。
ナイアガラの余韻が残る中、集中力を和火の仕掛けに切り替える。
しかし、着火しない。
例年は綱火が走った後、すぐに火がつくはずだ。
けれど今年は、仕掛けにすんでのところで、シャーッと火花を飛ばしている。
「イケーッ」という威勢よい言葉があちこちから発せられる。
しかし、つかない。火の勢いが弱まり、消える。
「今年はあかんな」「雨でやられたか」という嘆息まじりの声。
「イケーッ」の言葉も相変わらずあちこちで叫ばれている。
次第にそれに、切望のニュアンスが混ざっていく。
「イケーッ」「イケイケーッ」「まだイケルッ」「まだまだっ!!」
一度消えたかと思った種火は、線香花火のように赤くチリチリと燃え、こちらをじらす。
「いったれーッ」「いかんかーッ」
…ふと火が静まり、と思うと綱火は逆方向に噴射した。
湿った火薬にようやく火がついたのだ。
バンッ!バンッ!バンッ!
縦6メートル、横16メートルの板状の仕掛けが一気に火花に包まれる。
シューッ!
と車火が回転する。
シャッ!シャッ!シャッ!
地面からも花火が沸き上がる。
一面が火の色に染まったあと、板に線状に塗られた火薬がバチバチと黄色い火花を上げながら燃え始める。
激しい燃焼があって、しずまり、青白い静かな炎が残る。
ゆっくりと燃焼することで、ようやく絵柄が判然とする。
青白い火薬で描かれた絵柄は「ヤマトタケルノミコト」
今年は何の絵柄にしようかと、きっと悩み抜かれての選択で、ゆかりや理由の説明も聞いた。
けれど、きっと題材はなんでも気にならない。
青い炎に彷彿と眺め入る。
炎の青白色は硫黄が原料だ。
少しして、そのガスがふんだんに混ざった空気に、肺がチリチリと苦しくなる。
ゴホゴホと咳き込むのは私だけでない。
いちど、退散しよう。
新鮮な空気を求め、神殿裏に行った。
そこで嫌な状況に遭遇する。
「足踏んだやろ」といちゃもんつけるブルドッグみたいな中年男性。相手は脅えた老夫婦。
後で考えれば人を呼んでくるのが賢明だったのだろうけど、私は向こう見ずなところがある。
「まあまあ」と間に入ってしまい、一悶着。
ブルドッグ「せっかく花火見に来とんのに、足踏まれて、なんで嫌な思いせなあかんねん」
私「まあまあ、にいさん。ここは運が悪かったと思って」
ブルドッグ「運が悪いてなんやねん。お前なんやねん。ほんであいつら逃げとるし」
私「まあまあまあ、にいさん。そんなもんやで」
まあまあ棒(ドラえもんの道具)になれんかな、せやけどあれ最後に爆発するな。
なんて内心思ってるうちに最後の神事、神殿前に立てられた巨大松明に火が灯される。
「私もくべられたりして」と呆れ半分、ブルドッグ相手に問答が続く。
雨でびっしょりと濡れた体がぶるぶると震えてくる。
その間もパチパチと松明は燃え盛る。
しかし、まあ、なんとか。
ふとしたきっかけに和解の糸口を見つける。
ブルドッグがハチ公の表情に近づいたタイミングで、
「にいさん、私、あれ近くで見たいねんけど、いいかな」
「いいでいいで。見といで」
ようやく開放、どころか笑顔で送り出された。
囲炉裏の効用。焚き火の効用。お盆に火を焚く理由。
火は血を騒がせ、また、気を鎮める。
大きな松明が燃え尽きて、公示されていたプログラムは終了した。
けれど、終わりの雰囲気はない。
氏子たちが小さな松明を持って、境内の外の空き地に向かう。
そこには見たことのない形の松明がいくつかあって、今度はそれに火がともされていく。
「ついでに服乾かそ」
「これも湿気っとるなあ」
「ちゃうちゃう、それは最後や」
地元の祭りはどうやらまだまだ続くらしい。
*近江八幡に篠田神社の祭礼で、国の選択無形民俗文化財にも指定されている「篠田の火まつり(篠田の花火)」を見に行きました。伝統的な製法で作られる火薬を用い、淡い青紫色で杉板に絵を描き出す仕掛け花火は、全国的にも珍しいものです。<br /><a href='file/large/1430968473.JPG'><img src='file/thumb/1430968473.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1430968543.JPG'><img src='file/thumb/1430968543.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1430968594.jpg'><img src='file/thumb/1430968594.jpg' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1430968714.JPG'><img src='file/thumb/1430968714.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1430970406.JPG'><img src='file/thumb/1430970406.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1430970647.jpg'><img src='file/thumb/1430970647.jpg' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1430970868.JPG'><img src='file/thumb/1430970868.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1430969063.JPG'><img src='file/thumb/1430969063.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1430970852.JPG'><img src='file/thumb/1430970852.JPG' alt='' /></a><br />,<br />
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2015-05-05T02:49:16+09:00
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山本握微
【連載記事】「どろぼうがっこう」の卒業生と「跡」のかわいらしさ
http://yosomi.jp/article.php?id=336
<h2>「どろぼうがっこう」の卒業生と「跡」のかわいらしさ</h2><p class='author'>山本握微 / 2015-05-05 11:49:16</p> かこさとしの絵本「どろぼうがっこう」を初めて知ったのは、小学校三年生くらいの時、先生の読み聞かせだったか。もっと低年齢が対象の本だと思うけど、比較的中学年から高学年にかけて体験したような……記憶があやふやで、肝心要の筋も忘れたが、何せ泥棒の教師たる「くまさか先生」と、ラストに出てくる刑務官の、造形デザインがインパクトあった。冒頭に出てくる、みみずく、も。滑稽な「筋」よりも、絵の「ヤバさ」が印象に残っている。「なんで絵本って、こう、必要以上に、アレなんだ……」と、思ったのは確か。それで後に、図書館で絵面を確認しにいったものだ。
……ということで、先日、我が家にも泥棒がやってきた。イベントのため昼夜を逆転させた土日を経て、ぐっすりベッドで眠った後の、月曜日の朝。出勤の準備をしていると、洗濯機を回しに風呂場の脱衣所に行った母が、半笑いで「泥棒に入られたみたい」と叫んだ。
何かの思い過ごしでは、と思ったけれど、コードを切られたレジが、風呂場に置いてあった。引き出しはこじあけられれ、5円玉を残して中の釣銭は空(泥棒にとってゴエンは御免なのでしょう)。これはもう思い過ごしではなく、火を見るより明らかに、やられた。
実家は所謂、店舗付き住宅。父のラーメン屋と母の服屋の二種類があり、どちらのレジもやられた。犯人は、家の裏手、風呂場の窓から侵入したらしい。二階にあがった形跡はない。寝室は三階で、誰も気付かなかった。僕は深夜1時頃まで、表に面した二階の部屋で灯をつけて本を読んでいた。恐らく、その消灯を確認してからの犯行であったのだろう。
被害はレジの釣銭だけではなかった。母のカバンも無くなっていた。中には財布があり、現金は2万円程度だが、日常使うカード類が入っている。急いでカード類を止める手続きに入った。
が、このカバンはすぐに見つかった。表のゴミ箱に捨てられていた。カード類は全て無事で、札だけ抜かれていた。
ということで、被害は比較的少なめ(現金十数万円程度……)で済んだ。カード類には目もくれない、昔気質の泥棒だった。そもそも、夜、に、抜き足差し足忍び足、で来る泥棒は実際には珍しい。この界隈に出てくる泥棒は(結構いると聞く。でも今回は久々の登場だったみたい)いずれも日中の犯行が多い。これ確かにテレビのワイドショーでも聞いた覚えがある。財布も、一度手に取ったものをわざわざ捨てて行くなんて、例えカードを使わないにしても、親切な話だ(持って帰った方が危険というのもあるだろうけれど)。
そんで、僕は「どろぼうがっこう、の卒業生みたいなやつの犯行だ」だと思いました。以上。
また、風呂場に置かれたレジを見て、そのシュールさに、不思議とかわいらしさ、を覚えました。勿論、この件には家族一同、ガックリきたけれど、ポツネンと置かれたレジ、には独特の風味がある。
記憶に残る、小さい頃の情景のひとつ。中華料理屋の厨房、ステンレスの台に、ちょこんと置かれた餃子の「あん」のみ。「ネズミが皮だけ食べていった」と父は言った。本当に、皮だけを残して、中のあんこは包まれた時の丸みを帯びた形で、置かれていた。何だかシュールでかわいらしかった。
(しかし、この記憶は偽記憶か。ネズミが皮だけ食べるとも考えにくし、仮にそうだとしてももっと荒らされているだろう)
不思議と「跡」というのは可愛い。メジャーなところでは、犬や猫の「足跡」なんかがそうでしょう。そのまま絵記号になって、はんこにもなるような。どういうメカニズムだろう。<br />
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2015-03-30T14:31:10+09:00
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櫨畑敦子
【連載記事】卒業式を見た
http://yosomi.jp/article.php?id=335
<h2>卒業式を見た</h2><p class='author'>櫨畑敦子 / 2015-03-30 23:31:10</p>縁あって小学校の卒業式に行った。
わたしは泣くつもりだった。
きっと泣くだろうと予想していた。
ざわめくあの子たちは浮足立ち
よそよそしく登校している。
いつもの顔、ちょっと大人びたような。
「卒業生、入場。」
いつもの豊かな表情、うるうる。
「卒業生、着席。」
ザッ(一斉に座る)。
ここから先に、あの子たちの笑顔はない。
「一同、起立。」
ザッ(全員一斉に立つ)。
「国家、斉唱。」
(一同、歌う)。
「一同、着席。」
ザッ(一斉に座る)。
「卒業生の言葉」
ザザザッ(一斉にフォーメーションが変わる)。
ザザザッ(一斉に定位置に戻る)。
「在校生の言葉」
ザザザッ(一斉にフォーメーションが変わる)。
ザザザッ(一斉に定位置に戻る)。
?一連の流れ?
途中から、言葉を失った。
白黒映画のように色を失っていた。
完全に誰もが、何もかも
誰かの思い通りになっていた。
式は滞りなく運び、最後までなんの問題もなく終わった。
結局最後までわたしは泣けなかった。
先生や保護者は感動していた。
ホッと胸をなでおろしていた。
ただただ恐ろしかった。
まるで軍隊のよう、いや、軍隊そのものだった。
ロボットのように表情は強張り、同じ制服に身を包んでいる。
靴下は予告された通り白で統一されている。
式が終わった後のあの子たちはいつもの顔をしている。
泣いていたり、笑っていたり、話したり、している。
そしてさわやかに、帰っていく。
誰かのために静粛に行われる、そんな式を見た。
ただ、それだけの話。
そう、それだけの話。<br />
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2015-03-29T03:39:44+09:00
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永田芳子
【連載記事】丸くて透けててぐるぐる
http://yosomi.jp/article.php?id=334
<h2>丸くて透けててぐるぐる</h2><p class='author'>永田芳子 / 2015-03-29 12:39:44</p>写真のガラス玉はハンドメイド・マーブルと呼ばれている。あまりにハイカラだったので手頃で売られていたときに少しずつ集めた。いつごろ製造されたものかは分からない。
ハンドメイド・マーブル(以下、マーブル玉)には陶や石のものもある。中でも人気が高いのはガラス製だ。当初は子供のおもちゃだったが、年代を経てコレクターズアイテムとなった。現在では国内外のガラス作家が美術工芸として制作したりもする(いわゆるビー玉、ラムネ玉にも愛好家がいるが、またちょっと違う世界のようなのでここでは省く)。
マーブル玉のムック本を見ていると、洋書なのできちんとは読んでいないが、意匠や中の具によって名前があるらしい。例えば、外側に色ガラスの筋が巻いているものはSwirl、白いレース状の具はLatticino Core、銅などの金属粉が使われたものはLutzといった具合に。他にも、材質や地になるガラスの色などでそれぞれ分類されている。ちなみに、写真のはLatticino Core Swirl、Solid Core Swirl、Divided Core Swirl、Coreless Swirlの4種と思われる。多分。
こういう名前はいつ付けられるんだろうと思う。一説ではガラス職人が余ったガラスを使い、自分の子供へのおみやげとして作ったのが初めらしいので、いちいち名前はなかったんじゃないかと想像する。
「前作ってた、なんか、ぐるぐるしたやつってどうやったんだ」
「ネジネジのあれか」
「いや、ネジネジっていうか、なんかこう、ふわっと」
要領が悪い。あげく口ベタ同士だったりした場合、現物持ってくるなり絵を描くなりしない限り、一致までにはほど遠いだろう。こんな会話はなかったにしても、いつかのアレ、という状況になったとき、何らかの「アレ」を指す名前が必要になったんじゃないか。
また、その名前がどういう経緯を経て共有されたのかも気になる。
「隣の工場な、このミチッとしたやつをソリッド・コアって呼んでるらしいぞ」
「え、そんなん言ってるのか。じゃあ俺たちはこのネジネジしたのを今日からディヴァイデッド・コアって呼ぶぞ」
「よしきた、教えてくる」
あくまで想像なのでそんな負けず嫌い的な展開ではなかろうと思うが、というか、私の頭の中では「村に古来からなんとなく伝わる漬物を作り続けている名人とそれを商品化したいバイヤーの攻防」が展開しつつあるがキリがないのでよす。<br /><a href='file/large/1427600078.JPG'><img src='file/thumb/1427600078.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2015-03-22T14:54:24+09:00
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山本握微
【連載記事】初手で!
http://yosomi.jp/article.php?id=333
<h2>初手で!</h2><p class='author'>山本握微 / 2015-03-22 23:54:24</p> 「初手で」は、合言葉であり、鍵言葉だった。
主宰する劇団の稽古、その初日。僕は筆が遅いので、俳優が予め渡された脚本を読んでから稽古場に臨む、ということはない。俳優は稽古場で初めて渡された脚本を読むことになる。また、脚本は本番まで完成しないことが多いため、稽古のたびごとに、少しづつ、そこまで書き上がったばかりの脚本を渡されることになる。
時間がないので、まあ取り敢えず読み合わせましょう、ということになる。先ずは黙読で下読みしてもらって、という時間はない。読む前に、このせりふはこういう意味でして、こういう風に読んでください、と事前に説明する時間もない。取り敢えず、読む。
勿論その出来は、たどたどしい。全くの初見なので、文字を読み切ることすら難しい。そのせりふを言い始めた時には、肯定で終わるのか否定で終わるのかもわからない。ともあれ、読み終えて、流れは理解できた上で、注釈や注文をつけ再び読みあわせる。
先ほどより良いものができる。そして更に細かい演出をつけていく。次に読む時は、更にせりふに慣れ、且つ演出の意図も汲みつつ、より良くなっていく。
……と、これはまるで彫刻のようだ。ただの無骨な木材を、荒削りして、何となく全体の形が見えてきて、細部に手を入れ、こういう作品かとわかるようになり、研磨することによって、よりより完成度が磨かれていく。
ただし、完成品は最初の木材より小さい。接ぎ木をしない限り、どんな熟練の彫刻家によっても大きくなることはない。彫れば(どんな彫り方であれ彫る以上は)、必ずその分、小さくなっていく。斜に見れば、最初の無骨な木材そのままの方が、その小さな仏像より、味があって良かった、という主張も成立し得なくはない。
演劇の稽古においても同様のことがいえるかもしれない。より良くなっていくことで、少しづつ失われていくものがある。より完成度は高まっていくが、小さくなっていく。あれ、小さいぞ、と思って慌てても、大きくすることは出来ない。ともすれば、最初にたどたどしく読んでいた時の方が良かった、と思う時さえある。勿論、わざとたどたどしく読んでも、それは違う角度でノミを入れることに過ぎず、こうなると泥沼。
しかし「だんだん小さくなっていく」ことも問題だけれど、「だんだん良くなる」ということこそ問題ではないか。一回目より二回目、二回目より三回目。小さくなっていく、のは仕方ないとしても、まあ良くなっていく。しかし、何だこれ。良くなっていくことには限りが無い。ただ、現実的には本番がある。どこかのタイミングで、現時点を提示しなくちゃならない。
だんだん良くなる、ということがとても不誠実に思えてくる。どこかに、品質の責任を置き去りにしてきたような。だんだん良くなる以上、今あるものは、次よりも良くないもの、だ。それをわかって、何故それを提示する? だんだん良くなると知っているなら、何故、今、良くしない? 何を、出し惜しんでいる?
そこで「初手で」だ。今、渡した脚本を、俳優は初めて演じる。試し読みの機会すらない。全くの一発目。でも、この初手が全て、と思ってやろう。初見だから上手く出来ない、というのは一体、誰に対して、何を担保にできる言い訳だ。完成が無い以上、それは本番中でも稽古に過ぎず、最初の稽古でも本番に等しい。程度問題でしかない。それが本番である以上、初見だろうが百回目だろうが、程度の差、とにかく「成り立たせて」しまわなくては。
もしそれが「成れば」大きいままで、完成度の高い作品が出来る。
……最早、精神論をも超越した、オカルト的演技指導。斯くて、読み合わせの前は「初手で行きましょう」と声をかけるのが常となった。まあ、その具体的な成果はさておき……ともあれ、これは日常の、色んなところにも使える。
例えば銭湯に入っている時。僕は、チャキチャキの現代ッ子なので、おっかなくて水風呂には普段、入らない。なんでわざわざ、あんな冷たい風呂に! まあ、健康? なんだろうけど……。でもま、ちょっとチャレンジしようかな……と思ったその瞬間!
「初手で!」
心で唱える。もう逡巡は無しだ。今から身体が動く。最短距離で水風呂へ真っ直ぐに。そして、全くのためらい無く、水風呂に浸かる。一切の動きに淀みなく。そこに水すらないように、歩き、腰掛ける。恐る恐る手をつけて「つめた!」とかいいながら手を引き様子を探る、なんてわけはなく、その対極。
そして僕は水風呂に浸かる。
様子見でも、牽制でもない、初手、王手。
慣れない料理。だが、慣れた人みたいに、生卵を、両手でなく片手で、中身を落とし、綺麗に殻を捨ててみたい。今迄、そんなことはしたことない。が、やってみよう。何個か練習すれば、出来るだろう。卵に体する力加減、指の開き。小さい頃、両手を使っても失敗した、けど、今はできる。片手でも、何個か割ってみせれば……と思ったその瞬間!
「初手で!」
心で唱える。試し、ではなく、完璧な、力加減を想像、いや仮定、いや断定せよ。それは、わからなければ難しいことだろうが、わかれば難しいことではない。なら、わかれ! 最初から。わからなくても。わからなければ、必ず失敗する。わかってやれば、それが当たっていれば成功する。そしてそれは、根拠のない数値当てじゃない。自然な流れがあるはず。自然な流れを、掻き乱すとしたら、自分が蒔いた要らぬ恐れのみ。
そして僕は卵を片手で綺麗に割ってみせる(それぐらい、誰でも初手でできますか)。同じ方法で、野菜の千切りもできるようになった。
取り敢えずビール、ではなく、駆けつけ一番お会計、の精神。
2012年に国立新美術館で開催された『「具体」?ニッポンの前衛 18年の軌跡』展を観た時も「初手」について考えた(この作文はただの戯言ではなく、余所見の原則通り、ちゃんと作品評でございます)。
「具体」は初手が良い。仔細は忘れたけれど、具体結成前に、どこかの展覧会にメンバーがみんな「具体」という作品名で揃えてそれぞれ作品を展示した……これが具体の初手。その後、メンバーが「具体」を結成する。結成前から、足並みが揃って並々ならぬ。
また結成後に刊行された機関誌は、創刊号から海外に向けても発信された。数号出して「そろそろ海外にも送ろうぜ」ではなく、創刊号から。
これもって「具体」だけでなく、一見、相対に過ぎない、各種芸術の価値判断も出来る。初手が、効いているか。
「初手で」は、謂はば気持ちを締めるための、良い言葉なのだけれど、逆に言えば、残酷で、疲れる言葉でもある。初手が駄目なら、最早駄目、ということだ。終わりよければ全てよし、の反対で、始め悪ければ、全て悪し。しかもただの反対ではない。「終わりよければ」は、何時でも修正可能だが、「初手で」は、後で気付いても、今更反省しても、悔やんでも、挽回不可能。
今まさに、動こうとするその一歩、それが「初手」だと気がつける幸運はあまりない。
芸術大学に入ることが決まった頃。同じく芸大を志望する知人が「俺の将来は、卒業してから、ではない。今これから、この瞬間から、何かを成し遂げてみせる」と息巻いた。「そうか。がんばってな」と言いつつ。いや、遅いんだよ、お前も、俺も。俺たちは春から晴れて大学生だが、もう既に手遅れなんだ、これからでなく、高校生の時点で……。才気溢れる同世代を見てきた僕はそう思った。一体、何時、何を、間違えて、今に至るのか。三十路も半ばへ差し掛かる、あまりにも手遅れな問いだ。
平穏な住宅街における通り魔の不意打ちにすら先んじる、初手を!<br />
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2015-03-12T12:03:33+09:00
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永田芳子
【連載記事】占いへ行ってみた
http://yosomi.jp/article.php?id=332
<h2>占いへ行ってみた</h2><p class='author'>永田芳子 / 2015-03-12 21:03:33</p>占いをしてもらったことがある。その時期、気分がシケシケだった。シケてるときに出来ることってなんだろうと考えていたら、占いってのはどうだと思いついた。それまでの経歴なども知らず、身近でもない誰かが自分に関する諸々について、どんなことをどんなふうに言うのだろう。しかも、よく知らない方法で。
〈その1〉
たまたま良さそうな占い師の方を見つけたので訪ねた。方位や易を組み合わせて運を見るのだという。名前と誕生日を言ってから、まず仕事運について占ってもらう。中にサイコロの入った箱をカチャカチャと振った後「あなたのお家に、骨があるでしょう?」と聞かれた。ある。祖母の遺骨だ。人の物でも魚の物でも、家の中に骨があるのは良くないらしい。なぜ骨があると分かったのか聞いてみると、そういう環境の人に出やすい卦が立ったからという答えだった。そういう種類の卦というのが成り立つ程度には、家に骨を置きっぱという状況はポピュラーだったりするのだろうか。
続いて「かくかくしかじかな亡くなり方をした身内の方がいませんか?」とも聞かれた(その故人に関わる人の事情があるので詳細は伏せたい)。いる。というか、いたらしい。祖母から聞いたことがある。こちらも、そういう卦が立ったとのことだった。「遺骨は納骨して、故人はあらためて供養をして。そうすると運が動きますからね。それから、誰か人に会うこと」と、供養の仕方を含めたいくつかのアドバイスをもらって帰った。骨と故人については気になっていたことではあったので、ちょうどいいやと教わったとおりにした。
ほどなくして忘年会に誘われた。シケた顔をして出席するのは迷ったが、行った。友人が来ていたので声をかけると、新しい仕事に誘われた。職種は未経験のものだったが、面白そうなので乗った。
〈その2〉
ある日、パーティ仲間が占い師として開業した。こちらはタロットだ。十代のころ、澁澤龍彦経由で神秘学っぽい本をふーんと読んでいたので、なんとなくカードの象徴なり意味合いなどは情報として知っている。けど、それを占いとして使うことについてはよく知らない。こちらは〈その1〉と違って、身近な人が占いというツールを通して接したときにどんなことを言うのかという興味がわいた。
依頼は人生相談的なものが多いそうなので、その路線で観てもらうことにした。席に着くと、見たことのないカードを広げた。タロットといっても様々な種類や、応じた目的があるらしい。裏返したカードを指定の枚数選んで、順に絵柄を見る。
どう?と尋ねると、私の性格の面倒な部分(引っ込み思案・ビビり・ほか多数)に関して、とある人との関係があまりよくない形で影響している、とのこと。確かに仲は良くなかった。そして、あらためてカードを広げ、その人との間にこういう感じの出来事はなかったかと聞かれた。そういえば、当てはまるエピソードがあったような。カードをきっかけにいろいろと思い出しながら、それをメモに書き留める。こうした作業を何度かくりかえし、少しずつストーリーを作っていく。最後にこれから目標にすると良いというカードをめくった。ふんわりにこにこした女性の姿が描かれている。こちらについては、未だにそうなれているのか自分では分からない。
さて、易についてはなにせ知識がないし、アドバイスを実行しなかった場合の【その後】を検証できない。だから、行為と結果の因果関係についてはハテナマークのままだ。ただ、なにかしらその人固有の運と呼ばれるラインがあり、そこへ似合った手段で繋ぎなおすという視点は、パラレル感がある。アドバイスも、思わぬところから球が飛んできた感じで面白かった。
こちらを「占い」のイメージに近いものとすれば、タロットは精神分析の「お話し療法」に似ているな、という感想を持った。どちらにせよ、いったん目先は変わるし、偶然を多分に含んでいるがゆえに、「占いでゆってたもーん」くらいの気の軽さが担保されている。そのあたりが占いの人気の理由かと思う。まぁ、世間にはタチの悪い占い師や、依存といったこともあるようなので、ぜひ、とは言いにくいが。
ひとまず私の出会った占い師がそういうのではなかったのが一番のラッキー、としておくのがこの作文のオチとして適当なような。
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2015-03-03T16:28:07+09:00
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櫨畑敦子
【連載記事】鶴を下さい!
http://yosomi.jp/article.php?id=330
<h2>鶴を下さい!</h2><p class='author'>櫨畑敦子 / 2015-03-04 01:28:07</p>という人に出会った、という話。
***
その場所は阪神百貨店梅田店の地下街。
少し年配の男性が追い詰められた表情で
通行人に対してひっきりなしに話しかける
その姿を見たことがある人もいるかもしれない。
その人の存在は前からなんとなく知っていた。
それは通りがかりに見かけただけであったが
今までに会話したことはなかった。
***
土曜日の混雑した梅田の地下街。
その日わたしは疲れ果てていた。
一刻も早く家に帰りたいという思いで歩いていた。
しかしながら捕まってしまった。
「ツ…鶴を下さいッ!」
と、あの形相で語り掛けられたら
四の五の言わずに鶴を折らざるを得ない。
「はい、折りますっ」
と、折ることにした。
彼は地下街の一角を少し陣取って
通行人に対して白い小さな紙を配って
その紙で鶴を折らせている。
話を聞くところによるとその鶴は
ヒロシマ・ナガサキの原爆被害にあった方へ届けるため集めているそうだ。
彼の陣取った居場所には
白い小さな鶴を集めて貼られた色紙のようなものがあった。
「鶴の折り方を知らないのですが」
と、伝えたところ
彼はわたしにレクチャーしてくれるのだが
なんとも華麗な語り口で教えてくれる。
あっという間に鶴はできあがり
そこに名前と日付を書いておくとのこと。
***
彼は会報誌のようなものを見せてくれた。
1部300円とか、200円とか書いてある。
無料で差し上げますというのだが
もらうのは何だか悪いので買うことにした。
300円ちょうど、がなかったので500円玉を出すと
2冊とプリント類を手渡された。
これは相当インパクトのある冊子であった。
内容も文章も、なかなか前衛的である。
関東のほうに本部?のようなものがあり
全国各地に同じ活動を行う会員がいるらしい。
原爆のことについてあれこれ話してくれる。
しかし聞いたら話す、ぐらいで、すごくうるさい感じではない。
しかし悲壮感は漂っていない、なんだか不思議な感じだ。
彼はこの活動に出会って充実しているそうで
そしてこれを機にこの活動に取り組む人もいるらしい。
***
彼がいつからこの活動を行っているのか聞いてみたところ
もうかれこれ30年近いということだった。
今は日中ガードマンをやりながら
火曜から土曜日までここに立っているそうだ。
週5で年がら年中、暑い日も寒い日も。
正直、唖然とした。
新しい働き方、生き方、活動…みたいなことは
巷でいろんな情報を耳にするが
そういうものとはかけ離れた場所にいるような
でもこれはこれとしてすごいジャンルだなと
圧倒された感じがした。
鶴をひたすら集めることと、この会報誌の販売で
どうやって活動資金を集めるのだろうか…
興味本位でとても気になったが、なんとなく聞かなかった。
***
街中で大きなデモや、スピーチなどを見ることがあるが
こういった類の、いわゆる「草の根活動」にはとても心動かされる。
道行く人は道に座り込み話すわたしたちを少し見る。
なにかしらの冷たい視線を確かに感じる。
しかし全く気にならない。
むしろペラペラ話したり
なんなら話を聞いてちょっと涙ぐんだりしている
昔からの友人より話せる気さえする。
なんなんだ、これは!
ふと時計が気になり
電話の液晶画面を見てみると
終電近くなっていた。
特に連絡先を交換するでもないが
また会いましょう、と別れた。
まあ普通に考えたら勧誘っていう行為なんでしょうけどね。
で、うまく会報誌とか買うっていう、ね。
いやしかしええもん見させてもらったな、という。
そんな話。<br /><a href='file/large/Array'><img src='file/thumb/Array' alt='' /></a><br />,<br />
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2015-02-14T09:53:31+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】妖精論
http://yosomi.jp/article.php?id=329
<h2>妖精論</h2><p class='author'>山本握微 / 2015-02-14 18:53:31</p> 暑い。薄着をしても、数歩で汗まみれになる。少しでも涼しくしようとした薄着に、汗が染み渡りきる。自分でもはっきりと自身の悪臭が感じ取られる。他人からすれば尚更だろう。たまらず服を脱ぐが、これ以上は脱げないことに気付く。まとわりつくぶよぶよした肌色の何かを懸命に探っても、継ぎ目はない……。
この季節(この作文は夏に書き始めた)に限らないが今は特に……この身体が忌々しい。身体というのは厄介なもの。曲げれば折れるし、刺されば血も出る。この辺の事情は誰もが等しく抱えるとしても、僕の身体は特にひどい。平均に比して、重く、大きく、また醜い。図体はでかいがかといって腕力はなく、脚力も耐久力もない。息は臭いし、少し興奮しただけで声は甲高くなり鼻息も荒くなる。時所構わず普通にうんこは漏れるし、小便も垂れる。髪は後退しつつあるくせに、鼻毛は伸びるのが早い。
この、百キロに及ばんとする重荷を、文字通り肌身離さず背負わねばならない。ちょっと今日一日だけはシッターにでも預けて身軽にお出かけする、なんてこともできない。子泣き爺の如く張り付いて決して離れない。泣きたいのはこちらの方だというのに。
せいぜいできることは、布類で身体を包み隠す程度だが、それも却って滑稽さを強調するばかり。
こんな状況で正気を保ちながら生きていくとしたら、この思想に頼るしか無い。即ち「心身二元論」。心と体は対をなすも、それ故に別物。ハードとソフトの関係。体の大切さを認めつつも、今や大自然の脅威を生き抜くことが全ての原始時代に非ず、有史以降、大切なのは心の方。それに体は生まれによるところ多く、つまり運、本人の性質に関係ない。人権的観点からも、身体に価値観を置いてはならない。
つまるところ、人間、外見より中身が大切。
児童文学の名作「新ちゃんが泣いた」のラストシーンで、四肢性マヒの新ちゃんは喝破する。「健全でない肉体にだって健全な精神は宿る」と。小学生の頃……そも「健全な肉体に健全な精神が宿る」という言い回しを知る前……にこれを読んで感動した。各種教科書に載る偉人たちの写真から、比較的醜い人を探し出して集め、傍証とする学生時代。
………勿論、この一連のオチとしては「そんな精神もまた、身体における作用の一部分でしかなかったのです」が用意されている。心身一元論。精神は肉体の電気信号に過ぎず、時に疲労し、患い、薬にだって影響される。
父が腎臓病を患ってから怒りっぽくなったのは、中学生の頃、衝撃だった。父が怒る時は、一応、相応の理由や筋がある、と思っていたからだ。そうでなければ不条理だ。しかし、父は内蔵の病を理由に、怒りを向けた。如何に身体を患おうと、精神は無関係なはずなのに。
いや……病や障害の例は出さずとも、己の出張った腹を見よ。それは生まれつきの不幸ではなく、不摂生の所以、精神の怠惰に他ならない。精神の純然たる所産だという、身体から切り離され偽り容易なあなたの作品や作文……そんなものを見るよりも、あなた自身の身体を眺めた方が、むしろあなたの精神がどのようなものか、よくわかる。僕がどんな人間か、身体を見れば精神ごと明らかだ。
が、本稿では今少し、幾つかの葛藤を内容しつつも、心身二元論を保留にしたまま話を進める。精神と身体は影響しあうけれど別物で、身体も大事だろうけれど、精神がより大事だということ。精神は自由で「大事にできる」ということ………
さて「妖精」について、だ。しかし、妖精について語ることは難しいので、似て非なる「アイドル」について先ず考えてみる。アイドルを妖精と形容するアイドルファンもいるだろうから。
しかし、このご時世、アイドルについての論は山程あろうし、そも僕はアイドルに興味なく知識もない。アイドルに興味ないのは「心身二元論」において、身体を前面にすることは邪道だから、と昔から考えていたからだけれど……まあより大切なのは精神であっても、肉体も良ければそれに超したことはない。アイドルも多いに結構。
「身体を売り物にする」なんて言ったらアイドルやアイドルファンは怒るだろうか。それはまた別のことで、アイドルは、勿論、美しい/可愛いけれど、それだけでは駄目で、歌や踊りや語り、といった何だか呪いめいた技術とあわせて初めてアイドル足り得る……かは知らないけれど、最近はそれに加えてそれぞれの背負った物語、なんかも併せ持つ。それは多分に精神的存在でもあるだろう。「アイドルうんちしない」というように、身体の生々しさは「無かったこと」にする。またアイドルにとって「恋愛」がスキャンダルになりうる。アイドルファンは、肉体に堕さないその精神のみを愛している。
しかしまあ……それは寧ろ「心身二元論」を前提にした後ろめたさから、精神の有り様を問題にしているだけで、アイドルが精神よりも身体的な存在として出発し/優先されることは間違いない。
美しい身体の、精神の有り様が問題となるのがアイドルだ。
一方、結論からいえば「妖精」は、精神の問題に始まり、精神の問題に終わる。身体に関する議論を不可としつつ……しかし言語化してはならないレベルで、身体が問題になってくる。
イギリスの児童書に「レインボーマジック」というシリーズがある。日本では新刊乱発で有名だったゴマブックスが翻訳・発行していた。読んだことないけれど、各巻のタイトルが「赤の妖精ルビー」「オレンジの妖精アンバー」と色の妖精に始まり、「ケーキの妖精チェリー」「お洋服の妖精フィービー」「月曜日の妖精ミーガン」……とどうも本家では150巻ぐらい発行されているらしい。「ディスコの妖精」「乗馬の妖精」なんてのもある。
このシリーズ「〜の妖精」を見る通り……妖精とは、自然現象であれ人工的な概念であれ、その、特定の何らかの「象徴」として生まれる。ただの妖精、はいない。例え小さくて羽が生えていても、ただ生きて、摂取し排泄し交配し、またそのために社会を形成して、時に居酒屋で愚痴をもらす……そんな生物は妖精とはいえない。「精神的な領域が凝縮して、人の形をとったもの」。妖精は我々人間にもささやきかける……交流可能な点において「人」と同じなのだが、人ではない。これが妖精の第一条件だ。
そして、その第一条件だけで充分、妖精なのだが。しかし暗黙の第二条件がある。条件といっても、そもそも実際には存在しない架空の妖精について、条件も何も無いのだけれど。先述したような「何も象徴しない妖精」がいてもいいのだけれど。各種の物語や図像から、多く共有されている「妖精」として、の第二条件。
それは、例えば可憐であること。或は、優れた、美しい身体を持っていること。現実の身体とは本来切って離せない生々しさがないこと。
恐らく一般的に、漠然と抱かれている「妖精」のイメージで、妖精が醜いことはない。ただ確かに、その可憐さ、については一概に言えない。そも、美的なイメージは千差万別だ。ただ、共通して「生々しさ」はない。頬に痣のある妖精はあまり想像されない。
以上、わかりやすくいえば、妖精の「精」は、精製された精神であり、妖精の「妖」は、ただならぬ美しさや可憐さ即ち妖しさ、を表す。
水の妖精が、例えば蛇口からふわりと舞って出てくることはあろう。その時、何を話すだろうか。「水は大切に使ってくださいね」「はい、わかりました」とか……? まあ多分、水の話になると思う。水の妖精だから。しかし「水の妖精さんって、滅茶可愛いですね」という話にはならない、できない。まあ、これは妖精でなくても、相手が普通の人でもそうだけれど。ただ、普通の人相手に「可愛いですね」は、かろうじて会話としては成り立つかもしれないけど、水の妖精にそう言ったとしても「?」となるに違いない。「いやそこは重要ではない」どころか、全く意味を為さない問いだ。
勿論、妖精は現実には存在しないので、厳密に言うと色々矛盾もある。水の妖精がかろうじて話しそうな人語「水は大切に使ってくださいね」の、水、はともかくとして、大切、使って、ください、は、に、ね、といった各種品詞。その精神から発せられる言葉は、全て自身の「水」のために向けられる。が、言葉自体は、水、とは関係ない、他で使える不純なもの。水の妖精がいたとしても、言葉なる不純物は使えないはず……そも、人の形……身体を纏って現れることが根底的に間違っている。「美しい身体」という妖精に許された領域も、それを構成する各器官、例えば目、髪、胸等……はそも美しい身体のために存在するのではなく多目的な不純物だ。水は、水。
斯くて、妖精はフィクションとしても危うい存在だ。別の記事で書いた「魔法と序法」 <a href="http://yosomi.jp/article.php?id=319" target="_blank">http://yosomi.jp/article.php?id=319</a> でいうなら、魔法にあたる。
しかし、稀に、現実の社会に、実在の人間の中に、妖精の如き人がいる。
フィクションでも危ういはずの妖精が人間として、目前に降臨することがある。ここからが本題だ。
「その人」のことを考えるに、その精神を語るより他は無い……のに、ただならぬ妖しい身体を纏う人が。いるでしょう、稀だけど、わりといる。その鋭利な精神に、そもそも身体なんて生々しいものは追いつかないぐらいのはずなのに、追い越しちゃっている人が。単に、美しい、可憐、だというわけではなく、身体の持つ生々しさを何処かに置いてきたような(妖精が話す言葉のように、身体であることが、生々しさを逃れ得ないのに)。
勿論、そんな人の存在は心身二元論に頼る僕の心を掻き乱す。それこそ、できることなら、人は身体と精神の美徳を足せば誰もが同じ(つまり、醜い人は心が清く、美しい人は心が醜い、そのどちらかの間で公平)として欲しいところを、何とか妥協して、身体の美徳も認めつつ、大切なのは精神よ身体も大切だけど、と不公平をも受け入れる大人らしい折り合いまでつけてきたのに。究極の精神には、妖しき身体までが付随する、精神を身体が裏付けて祝福する、なんてこと。醜い僕がどうして受け入れられようか。
これは、心身両方優れた人が羨ましい、という問題ではない。なかなかその違いを言葉にすることが難しい。ことは「心身は一元で、健全な肉体に健全な精神が宿ったね、すごいね」とは違う。二元論のまま、その精神だけが特化していることが間違いないのに、全く別の概念から身体がそこに降り立ってしまった……。
一昨年観た木村栄文のドキュメンタリー2作品「飛べやオガチ」「いまは冬」。この両作品に登場する、前田健一と江口榛一の両老人も、正に妖精的な佇まいを持つ。この場合「仙人」というべきか。前田は「人力飛行」に、江口は「地の塩の箱運動」に、その精神を鋭利に特化させ、捧げたが、この両老人の持つ妖しい身体は、その精神に沿っている。
(この作文はただの戯言ではなく、余所見の原則通り、ちゃんと作品評でございます)
また、江口の妻(撮影期間中に亡くなる)と娘二人(次女は既に自殺している)は、ほんの僅かな間しかカメラに映らないが、この三人の女性も現世の人とは思えぬ凄まじいオーラを放っている。
撮る対象がそもそもすごいのだけれど、木村栄文は、かなりその妖しい身体を(いささか、過剰に、ともすれば悪い意味で)捉えようとしている感がある。映像のこと、わからないので「そのように撮る」ことが意図的に可能かわからないのだけれど(前田健一が自宅で金太郎みたいな前掛けをしている姿、そういうのをわざわざ撮っている)。ドキュメンタリー監督として、その人の精神を撮る、ではなく、妖精としての身体を撮っている。
僕が観た他の作品では、「鳳仙花 ?近く遥かな歌声?」では芥川賞作家の李恢成、「記者それぞれの夏 ?紙面に映す日米戦争?」では活字を拾うアメリカで日本人向け新聞を発行する社主、また再び「いまは冬」では三里塚の若い活動家、たちが極めて妖しい。
そういえば木村栄文自身もまた、映像にしばしば登場するが、なかなかの妖精っぷり。
妖精論といっても、論ではなく、ただのオカルト。妖精なる現象の必然性を説明することは一切できない。ただ、現実に存在している。木村栄文という公共を持ってきたが、もっと他にも、身近に、或は著名に、いる。妖精は、わざわざこうして文章にするまでもなく、概念としてはよく普及している。この作文は「自明を敢えて言葉にする」の類になる。
誰もが心の中に自分の「二・三次元物件リスト」 <a href="http://www.yosomi.jp/article.php?id=292" target="_blank">http://www.yosomi.jp/article.php?id=292</a> を持っているように、「妖精図鑑」も持っているだろう。しかし、前者と違ってこれは共有し得ない。口にすれば、指をさせば、妖精は遠のく。こうした作文を書くだけでも本当は駄目なのだ。
※ オチが思いつかないまま下書きから数年が経過しましたので、このまま掲載。
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2015-02-10T02:21:59+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】Ingressの効用
http://yosomi.jp/article.php?id=327
<h2>Ingressの効用</h2><p class='author'>中島彩 / 2015-02-10 11:21:59</p> あまりにひどい夢を見た。
そもそも、スマートフォンのゲームに熱中していたのがいけなかった。
それは拡張現実・位置情報ゲームで、昨日は実家からの帰り道、ずっとそれをいじりながら移動していた。私が歩いているそこは、スマートフォンの画面を通して点と線と光の世界に置き換わっている。目の前に見える人々よりも、ゲームのアラート機能が知らせる、同時にその拡張現実世界を見ている人々の存在が強くなる。
ふと我に返り化粧室に行き、鏡を見て、口の周りについたチョコレートに愕然とした。
夢の中で、私は自分の部屋でゲームをしていた。
ゲームにはニューバージョンが加わっていた。従来のバージョンではポータルと呼ばれる地図上の決められた地点に焦点を合わせHACK(侵入)というアクションをするとポイントを得られるのだが、ニューバージョンではポータルは場所ではなく動物の瞳孔になっていた。まず、トレーニング機能を始めると、暗い画面に動物たちの姿が浮かび上がってくる。狸のような森の奥に潜んでいそうな動物がこちらをむき、その瞳孔が光ると同時に画面をタッチする。するとポイントが加算される。なるほどと思い、トレーニング機能を終了する。
すると、少しして自分の部屋の扉が開いて、3人の女性が入って来た。控えめな服装の、どこにでもいそうな人たち。しかし目がうつろで、精気が感じられない。
私は瞬時に理解した。そのゲームのニューバージョンの本番では、画面上に現れる動物ではなくて、実際の人間にHACKするのだ。そして、そのターゲットとなる人間が現れたのだと。
しかし、感心する間もなく3人を追いかけるように扉の端をすり抜けて、4人目の人間が入って来た。よく知っている女性だった。大学の先輩で、とても小柄だけど、キビキビしていて、鋭い。自分にも他人にも容赦なく、強い人だけれど、肉親に対してだけは甘えを見せる人だ。
その人が私に向かって、毅然と「何してんの!」と言い放ち、私は再び瞬時に理解した。3人の女性は、私がゲームを始めたがために、現実世界からこちらの世界に呼び込まれてしまったのだと。私はあわててゲームの電源を切り、すると見る間に3人の女性に精気が戻った。何してたんだろうとばかりに、部屋から出て行く。
それから4人目の彼女が、もういちど、さっきより静かに、「何してんの」と言った。
私は少し考えてから、「あまりにリア充してなくて」と答えた。
彼女は、私と私の手元のスマートフォンを見て、「そうやろうね」と言い残して、立ち去った。そこで目が覚めた。
うん、ちょっとひどい。夢の展開も、夢に出てくるくらいゲームに打ち込んでしまったのもひどいんだけど、最期の自分の答えが「リア充してなくて」って言っちゃってるとこが最悪だ。潜在意識ですか。深層心理ですか。わからないけど、そんな事言ってる自分にはなりたくないなと、うん、そろそろ、なんとか動き出さねば。ずっと画面越しじゃなく、ちゃんと目の前の物を見なくちゃと思いつつ、寒さにおののく2月の朝。
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2014-12-31T12:33:43+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【連載記事】一人チケットパーティ
http://yosomi.jp/article.php?id=326
<h2>一人チケットパーティ</h2><p class='author'>永田芳子 / 2014-12-31 21:33:43</p>余所見の企画で「チケットパーティ」というのをしてから、半券などを取っておくことを再び始めた。メール予約や当日飛び込みなどでチケット自体が存在しないイベントもあるが、それらについてはたまたま携帯に残っていたスケジュールを元に書きとめておく。
2014年は新しい職に付いたこともあり、これまでとは時間の使い方が大きく変わった。
休日は丸一日寝て過ごすことも多く、まるで出かけていないような気がしていたが、こうして挙げてみると月に一度は何かへ行っていて、あれ?と思う。
イベントについては、職場と部屋の行き来だけで日が暮れてしまうので、友人・知人に会う確立の高いものを意識的に選んでいた。
1月
11日・十日恵比寿@今宮戎神社
24日・もちより!!! 一般批評学会 (映像) VOL.1@十三シアターセブン
29日・ファイアbyルブタン@シネ・リーブル梅田
2月
なし
3月
アンドレアス・グルスキー展@国立国際美術館
アートアクアリウム展 @阪急梅田ホール
17日・おしゃれパーティー 2014 SPRING "POP!!" @難波元町ニノン
※アートアクアリウムについては、あの展示自体を見に行くもので、「金魚をしっかりじっくり見たい」という自分の欲にはあまり向いていないようだった。水槽に仕掛けられたライトの色が変化するので、種類、個体ごとの色をよくよく眺めていられないのだ。ただ、浅めに作られた、金魚を俯瞰で見られるようにしてある水槽についてはアリだと思った。
4月
ターナー展@神戸市立博物館
6日・FLOAT図書室開放日@西九条FLOAT
25日・もちより!!! 一般批評学会 ( 映像) @十三シアターセブン
※ターナー展、今となってはポスターやグッズ類の「紅茶感」でグイグイ押してくる印象のほうが強く残っている。
5月
26日・DCPRG「WAR & POLYRHYTHM REGION 2014 / NEW DCPRG SPRING CIRCUIT」@梅田AKASO
※新曲は「プレイメイト・アット・ハノイ」等のコズミック感・エロい感より、何かスポーティーな曲やな、と聞きながら思ってたような。あらためてCDが出たらどういう印象を持つんだろう。「Hey Joe」の多幸感はもうどうしようかという感じだった。また関西に来たら見に行く。
6月
なし
7月
24日・「カオスライヴシリーズ Roarology 02―裏フジロック―」@京都アバンギルド
27日・アサダワタルディナーショー@四貫島PORT
31日・杉浦康益展「陶の博物誌―自然を作る」@西宮市大谷記念美術館
8月
うるしの近代「京都、「工芸」前夜から」@京都国立近代美術館
※作品数が自分には多すぎたようで、見終わるころにはぐらぐらになっていた。
9月
28日・高嶋清俊 「併置することと連続することII」 @会場1: SOMA gallery 会場2: ミミヤマミシン
※写真展。「視覚がいったん写真という状態になること」「それを視覚として再び見ること」の間柄について考えているのかな、という感想。
10月
窓の外、恋の旅。@芦屋市立美術博物館
19日・見っけ!このはな2014@大阪市此花区梅香・四貫島エリア
19日・Tokyo Zawinul Bach・Special「Change Gravity」Tour 2014@京都アバンギルド
※貸しギャラリー勤務のせいか、「窓の外、恋の旅」で展示されていた下道基之「日曜画家」にぐっときてしまう。谷川俊太郎の朗読(録音物)については、写真などでおじいさんなのは知っていたが、舌のもつれやちょっとした不明瞭さに「ほんとにおじいさんだ…!」となぜかアワアワした気持ちになった。ファンというわけでもないのに。
あと、館内に置かれていた椅子が、座ってみたかった椅子だったので得した。
11月
22日・「華 いのち 中川幸夫」@第七藝術劇場
27日・SIMON DOLL四谷シモン@西宮市大谷記念美術館
※朝、職場に着いて展示室の扉を開けると、こもっていた祝い花の香りがする。夜の間に開いたユリの雄しべを摘むのも、地味ながら必要な仕事だ。早いうちなら、まだ花粉が外側に出てきていないので指を汚さない。夏にひまわりがたくさん届いたときも花台がわりにしていた彫刻台や床が花粉まみれになり、掃除機でガーガー吸ってまわった。植物といえばしおらしいような言われ方をしているが、ご冗談でしょう、と思う。
他にもいろいろあって、花に面白みを感じていたので中川幸夫のドキュメント映画を見に行った。そうしたら、やはり「花は植物の性器なのでエロスがうんぬん」という言説が入って、またか!と、ちょっとげんなりした。誰か花について違う回路でうまいこと言うてくれんかな。
12月
29日・「燃えよ、ファイアー!年末ロケットシマガン鍋!!」@西九条FLOAT
※もう二度とくさやに箸を付けることは無い。
その他、番外として友人の結婚パーティが印象深い。花嫁姿の友人がずっと笑っていて、良かったと思う。
本年の反省としては、まぬけが加速した点だ。お酒を飲むとさらによろしくない。お酒がおいしいことについては、製造している人たちの素晴らしい結果なので大変嬉しくてありがたいが、酔いやすくなった体を認め、善処したいと考える。
<br /><a href='file/large/1420026808.JPG'><img src='file/thumb/1420026808.JPG' alt='' /></a><br />,<br />
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2014-11-30T13:31:59+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】集団集団ストーカーストーカー
http://yosomi.jp/article.php?id=325
<h2>集団集団ストーカーストーカー</h2><p class='author'>山本握微 / 2014-11-30 22:31:59</p> 会社を辞めたいので、代わりになる食い扶持についてよく考える。一度会社を辞めるとまともな収入にはありつけそうにないので、この際、詐欺師になっても良いので何かネタはないか探している。オレオレ詐欺も今から参入するには敷居が高そう……。そこで最近、思いついたのは「集団ストーカー」被害者と関わって金を巻き上げられないか、ということ。
集団ストーカーとは何か。これについては検索すれば色々出てくる。僕なりに解説すれば「かつては狐、今は電波、最近は専ら集団ストーカー」。ある種の精神異常の「拠り所」として表象する得体の知れない黒幕として機能する概念。
この「集団ストーカー」、独特な設定ながらもネットで流布される効果もあって、今やかなり広く共有されているようだ。時折、実際にストーカーによる殺人事件が発生し、社会問題となるのも彼らを裏付ける。多数、被害者の会もできて、相互に連絡しあっている。業界、界隈が出来ている。そこで専門用語も形成され、それが更に新たな妄想を固着していくのだろう。なかなか恐ろしい話。
彼らに寄り添う形で接近し、その妄想を承認し、不安を取り除くようつとめれば、金を巻き上げられるかもしれない。これはうまいアイデアだククク、と調べて行くうちに、どうも既に同じことをやっている人がいるような感じ。あらゆる市場が荒らされてますねー。
集団ストーカー解決専門のサイトもある。そのために独自ドメインをとった専門業者があるように見えるけれど、実体は探偵社の一部門のようだ(別に隠しているのではなく、どこそこ届出、れっきとした探偵社です、と信頼を得るための要因にもなっている)。その探偵社も、本業は復縁工作がメインらしくて(そして恐らく、主要な稼ぎは、工作そのものでなく、それに比べると安価なマニュアル本=情報商材)なかなか良い感じ。
しかし実際、集団ストーカー被害者から依頼があったら、この人たちはどのように解決へ運ぶのだろう。被害妄想をどのように解決するのか。彼らは別途、精神科医的なスキルを保持していて、被害妄想を承認しつつ、依頼から解決、というフレームの中で巧みにカウンセリングを行い、妄想を沈めるのか。
……いや……もし僕なら……。実際に、集団ストーカーを「仕掛ける」。妄想ではなく、形として仕掛け、操作し……そして収めて、見事解決したようにする。これだろう。
被害者心理として……「気のせい、でも気のせいじゃない」レベルより、よりはっきりした集団ストーカーの被害があれば、或る意味で嬉しいだろう。「気のせいじゃない、やっぱり本当だった」と。より補強された、実際の被害と、その解決。美しい構図だ。
しかし、そう考えたら、そうした探偵社に限らず、ネットで散見される各種の被害報告や被害者の会など、既にそうした暗躍の結果かもしれない。被害妄想を金づるにするために、実際の被害として形を為す作業。
あれ……だとしたら実際にあるじゃん! 集団ストーカー。夢だけどー、夢じゃなかった!
これはこれは……ミイラ取りがミイラに、精神が題材らしいドグラマグラな展開となってきました。でもまあ、よくある陰謀論ですけど。セキュリティソフトの会社が裏でコンピューターウイルスをまくような。消防士が放火してまわるような。
うーむ……まあ、しばらくは普通に働こうっと。
附記
集団ストーカーの被害妄想は、統合失調症の類と考えられるので、冗談といはいえ、あまり嗤いものにするのはどうかと思われる。でも、業界としての集団ストーカーは、某宗教や、在日某人などに対する偏見を肯定することで形成されているようなので、あんまし同情はできない。そういうのやめてよね。被害妄想、それ自体にはお悔やみ申し上げます。
附記附記
は! こんなことを書いていたら、集団ストーカーの黒幕が僕になってしまうのでは? まあ、偏見よりそっちの方がいいかも。そう、僕が皆様に集団ストーキングをけしかけています。カルトナンバーの車を執拗に配し、子供の笑い声を街にふりまき、布団を執拗に叩いて干し、すぐそばで携帯を使って思考盗聴しています。そうすることで最終的にはお金を巻き上げようと思っていたのだけれど……。難しそうなのでやめます。<br />
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2014-10-24T15:52:16+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】食は九里を超える
http://yosomi.jp/article.php?id=324
<h2>食は九里を超える</h2><p class='author'>山本握微 / 2014-10-25 00:52:16</p> もし突然「キュウリ好き?」って問われたら……多分、僕は「いや、そんなに」と答えるだろう。いや、別に嫌いじゃないし、大人だから食べられるけど。
キュウリ……って言われて、最初に連想したのは、輪切りにして、タコとあわせて酢漬けにしたもの。あれ、あんまり好きじゃない。そして、河童巻き。百円均一の回転寿司で、あれを注文するのは、すごおく勿体ない、あり得ない、そんなわけない。次に想像したのは「となりのトトロ」田舎暮らしを描写する序盤のワンシーン。畑でもぎたて、川で冷やしたて、のキュウリを、かじる、の。あんな新鮮なキュウリを食べたこと無い、あれは美味しいんだろう、ってことはわかる。けれど……あれは「田舎ではキュウリすら美味しいよ!」という描写で、それは、通常のキュウリの、まあまあさ、を逆に表現しているのではないか。それにはすごい共感する。あのキュウリは美味かろう、でもそれは、キュウリ普通めちゃ美味いわけじゃない、ことを意味する。
お子様舌の僕としては、キュウリが食べられない、苦手じゃないだけ上等。まあそんなものよね、キュウリだし。
と思っていた。
しかし、ある時、ある瞬間。「あれ、僕、めちゃくちゃキュウリ好きだ、もともと」と思いました。
居酒屋で出てくるたたき、のキュウリ。サラダに含まれる、斜めに切ったキュウリ。素麺や冷麺、にあわせる細切りのキュウリ。大根や人参と一緒にスティック状になって味噌につけるキュウリ。白菜キムチより、大根キムチが好き、そしてもっと好きなのはキュウリのキムチ(オイキムチ! あの形状!)。
それら「いや、そんなに」どころか「好き」どころか「大好き!」。なんとまあ……盲点だったよ。幸せの青い鳥は、緑のキュウリは、こんなところに。それにしても! 昔からキュウリ好きだったはずなのに、何故、今迄(わりと最近まで)自分をとても「キュウリ好き」とは思えなかったのだろう?
これほどまでに「切り方」によって感触がかわる食材があろうか。輪切り、でさえなければ、僕にとってキュウリは素晴らしい。やっぱ食感は大切。
(しょうもない話シリーズにつき、オチや文体による特色はありません。実はキュウリ好きやったということで、これにて筆を擱きます)<br />
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2014-09-21T13:17:34+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】また、山に登る。
http://yosomi.jp/article.php?id=323
<h2>また、山に登る。</h2><p class='author'>中島彩 / 2014-09-21 22:17:34</p>金がなくて時間があったときよりも、今のほうが時間の使い方が下手になった。
いや、そもそも時間を「使う」ものとして考えてしまうくらいに、どう過ごせば無駄がないかにとらわれて、不自由になってきている。そんなことを思って、こなさなきゃと思っていた予定をキャンセルし、山に登ることにした。
しっぽの切れたトカゲ、カナブン、息が切れては休み休み、水音を聴きながらサンドイッチ、蜘蛛の巣をくぐる、きのこ、彼岸花は田畑を彩っていて、すすきと稲穂はこうべを垂れている。もみじは青くて紅葉にはまだ早い。甘い匂い、何の植物かは思い出せない。
<br /><a href='file/large/1411306541.JPG'><img src='file/thumb/1411306541.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/'><img src='file/thumb/' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1411306303.JPG'><img src='file/thumb/1411306303.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1411306593.JPG'><img src='file/thumb/1411306593.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1411307164.JPG'><img src='file/thumb/1411307164.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1411307122.jpg'><img src='file/thumb/1411307122.jpg' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/'><img src='file/thumb/' alt='' /></a><br />,<br />
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2014-08-23T17:38:20+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【連載記事】ホットロード
http://yosomi.jp/article.php?id=322
<h2>ホットロード</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2014-08-24 02:38:20</p>ホットロードが実写映画で公開になってる。映画は見てないんだけど、予告を見た。原作の漫画は、小中学生のころどっかしらで目にする機会の多い作品だった。本屋とか喫茶店とか友達の家とか。けど、読んだ事はない。不良っぽい少年少女が出て来る漫画のようだってことは知ってる。
不良とかヤンキーって存在を初めて認識したのは兄の友達のひろしだったと思う。兄が小学校の頃仲良くしていたひろしが中学校に上がってヤンキーになった。兄と5歳離れているので小さかった私は兄の真似をして同じようにひろしって呼んでた。親同士もわりかし仲が良かったし私も一緒に遊んだりしてたんだけど、当の兄達は中学校に入ると全く違うタイプの人間になっていったので関わりが薄くなってしまって、それ以来私も関わりがなくなってしまった。兄の卒業アルバムでは小さな眉毛と変形ズボンの立派なヤンキーになったひろしを確認した。
その次に出会ったのは、中学で仲良くなった友達のお姉ちゃん。お姉ちゃんは多分3歳くらい年上で、学校の先生によると相当なワルだったらしい。卒業式には真っ赤なハイヒールと真っ赤な口紅で現れて中川先生にどつかれたらしい。中川先生は野球部の顧問でムッキムキの男の先生だ。お姉ちゃんは中学を卒業すると高校には行かず、近所のスナックで働いていて、家に遊びにいくとリビングのソファーで寝てたりして、茶色い髪の毛とすだれ前髪がいかにもっぽい感じだった。
中学のとき塾で一緒になったやいちゃんは、勉強ができるらしく小学校のころはかしこいクラスにいたんだけど、中学にあがって同じクラスになった。何がきかっけだったか忘れたけど、何でか仲良くなって、出会った当時からそういう素振りはあったんだけど時間が経つにつれどんどんヤンキーになっていった。やいちゃんはわりかし早い段階からそういう世界に対する憧れみたいなものを口にしていて、本人にもその素養みたいなのは備わっているように見えた。なんていうか、そういうふうに変化していく同級生がいっぱいいるなかで、飛び抜けてそうなっていく子っていうのが何人かいて、やいちゃんはそういう子だった。中学3年のころには「なっちゃん、なんかあったらうちにいいやー、うちがしばいたるからなー」と舌ったらずの喋り方で言ってくれていたのを覚えている。
中学生になると、そういう変化をする同級生が出て来る。前髪が長くなってきて、制服の着方が変わって来る。上靴はかかとを踏む。どこかから先輩のお下がりという変形された制服を手に入れて来たりする。地元には二つくらい名の知れた暴走族があって、誰それがそこに入っているとか、どこどこ中学の誰がすごいワルだとか、そういうコミュニティーの情報を耳にする。コンビニの前にたむろしてみたりする。
私は臆病者なので、そういうふうな変化に乗り切れていなかったのだけど、さっきのやいちゃんみたいに、友達が徐々にそういう変化を遂げて行った子が何人かいて、結果割りと近くでそういう世界を見ていたように思う。乗り切れてはいなかったけど、そういうことに対する憧れみたいなのも私の中にもあったのだと思う。
ホットロードは読んだ事がないんだけど、表紙の絵は印象的で、あの頃の私の周りにいたそいう人たちのことを思い出すときはあの絵の感じとセットで。あの絵みたいにきらきらしてるってことでもないんだけど、読んだ事もないのになんとなくセットにして記憶してるってことは、なんかしら共通する部分があるんだろう。そういう人たちの記憶はけっこうな強度で一定量私の中に残っていて、思い出すのは割と楽しい。<br />
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2014-08-17T05:57:16+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】GATTACAを病院でみた
http://yosomi.jp/article.php?id=321
<h2>GATTACAを病院でみた</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2014-08-17 14:57:16</p> 怒濤のお盆のピークも終盤に入った頃、出張してたスタッフたちが帰ってきた次の日、休憩するために、一人で車を走らせて温泉とマッサージ屋に立ち寄った。お腹がすいたような違和感をかかえながら、DVDを借りに「GATTACA」と「フラッシュバックメモリーズ」を探し当てるが、レンタルカードを所持していないため、借りることができず諦める。お腹の違和感がまだ残ってるので、うどんでも食べようとしたが、違和感から痛みとなったお腹はどうも受け付けそうにない。トイレにいってみたけど収まらず、たみに帰っても人がいっぱいいるから、車の中でお腹が痛くなくなるのを待ちつつ、原因をスマホで探した。下痢じゃない腹痛は急性っぽくて焦ってきたので、たみへ帰って少し寝ることにしたが、痛くて寝れないし、トイレにいっても何も出ない。このままみんなが眠ってしまったら、頼れる人がいないかも。と察知し、スタッフに緊急病院へ連れていってもらう。病院に到着して書類を書いてしばらくすると名前が呼ばれて、なんだかテンションが高いドクターが、二三質問してきて「もうちょっぽいね!もうちょっぽい!」と大声を出す。どうやら「盲腸」のことらしい。ナースさんが無駄なドクターの大声にイラっとしながら、CTスキャンと血液検査の準備にとりかかり、その状況がおかしいのと、不安なのとで、半笑いで言われたようにする。
診断の結果、やはり盲腸だったらしく、別の先生からも報告され、即入院、絶食、点滴生活を通達される。とりあえず、病室で一晩寝て、次の日にいろいろ持ってきてもらうことに。真夜中、パソコン、パジャマ、歯ブラシもろもろ伝えて、借りれなかったDVDのことも伝えると借りてきてくれた。入院初日で何が起きるかわからないので、映画を見る気にはなれず、状況を観察した。早朝と夕方、夜に点滴を突然調べにくる。それとはズラした時に突然三回、熱と血圧を計り、その間、同じ質問をしてくる。もちろん寝てるときも、映画を見てるときも構わず突然カーテンを開けて、やさしい声をかけてくる。やさしい声だとしても、カーテンを突然開けられてる時点で全然やさしくない!と心の中で怯え怒りながらも、言われるままにする。ごはんは食べれないけど飴とガムはいいとの許可で、隣からくる食事のにおいを耐えるために、飴やガムを摂取したり、昼寝したりする。夢のなかで食べ物の買い物をする夢をみたり、寝起きにベーグルの味を思い出したりと、食事を奪われる不自由さにげんなりしながら、我慢する。
二回目の朝がきて、起こされてすぐにまた同じ質問と行為をされ、血液検査が終わると、ドクターがやってきて「よくなってきたので、明日からご飯食べていいよ」と許可がおりる。今日はみそ汁ぐらいならいいとのこと。テンションあがったところで、映画「GATTACA」をみる。(見てない人はネタバレ注意)
この映画は、生命の遺伝子組み換えが可能となり、夫婦がどんなこどもを生み育てるか遺伝子から選ぶのがあたりまえの社会設定から始まる。主人公は遺伝子組み換えをされずに、神の子として生まれ育ってきたけど、遺伝子組み換えをしてる人に比べると明らかに劣っていることが多く、遺伝子差別があり職業も限られる。でも、主人公には「地球を離れて宇宙へ行きたい」という夢があって、叶えるために別の遺伝子を獲得して、宇宙へ行くGATTACAに所属し生活をする。GATTACAでは、毎日血液検査でチェックされ、尿検査や身体検査でその人を判別し、宇宙へ行く人が決定される。ようやく主人公は、一週間後に土星に行く権利を獲得するんだけど、その日GATTACAでおきた殺人事件によって、唾液や尿、血液の検査がGATTACAに限らず町中で頻繁に行われる。主人公は警察に怪しまれ追いかけられるが、最後まで逃れようとする主人公。
この映画をみているわたしが管理された病院の病室で、空腹感をがまんしてるせいからか、検査で出てくる欠陥や個人のデータって、ほんとうにその人を映しているかって言われると疑問がある。毎日同じ質問をして、血圧と熱を測って、間違えないように腕にコードを巻き付けて、データを見ればわたしかもしれないけど、ぬいぐるみのような身体がかわったらどこまで人は見抜けないものだろうか。顔ももうすでに「ざわちん」ていう顔を化粧で物まねをするタレントがいるほどだから、ごまかせそう。そしたら、記憶がその人であることを意味づけるのかな。記憶はどんなに覚えていたとしても、記憶を忘れていくわたしにとっては不確かな気もする。信じられるものは、この映画でも表現されているけれど、その瞬間にその人がどんな行動をうつすか、なのかもしれない。うーん、まだ自分の回答にはっきりとした自信はないけど、わたしが人間とやりとりしてて、おもしろいと思うのは、そこに尽きる。その行動がどんな醜くても、どんな背景があるのか可能な限り想像したいし、わたしと違う行動をうつす人に興味が湧くようになった。
映画「フラッシュバックメモリーズ」でも記憶に関することがドキュメンタリー映画になって表現されてるので、話はそこにもつながるが、もしも、このぬいぐるみのような身体をなしにした場合、最後に人間に残るものは、なんだろうかな。そしてわたしは、何を残したいだろうかな。
しかし、登場人物が数少ないのにも関わらず、重要な要素はそろっていて、最後の1分まで、誰がどんな行動をうつすか予測できない映画でドキドキさせられる。この映画のメッセージは明快すぎるぐらいだけど、映画ならではの伏線が明快さに陰影をつけていて、よく出来た映画! そんな映画を見終わった私は、管理されてる病棟を抜け出して、許可がおりたインスタントのみそ汁といっしょに、食べたかった「酢昆布」をこっそり買って、主人公みたいな気持ちで平然と病室に戻るのであった。
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2014-06-01T04:46:27+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】魔法と序法
http://yosomi.jp/article.php?id=319
<h2>魔法と序法</h2><p class='author'>山本握微 / 2014-06-01 13:46:27</p> 魔法の「魔」の字は複雑なので、手書きだと广の中、木・木・鬼の部分を「マ」と略すことがある(風の中を「ム」と略されたりするように。「機」の旁をキと略されたりするように)。手書きのファンタジーゲーム設定資料集にあった「魔法使い」の魔がそのように略されて、それを読んだ中学二年生の僕は「魔」を「序」と誤読した。「序法使い」だ。
序法……。ふーん、このゲームには、魔法使いの他にも序法使いなる者が存在するのか。知らなかったな。序法……なかなか魅力的な言葉に思えるけれど、どのようなものだろう? と想像した。
魔法使いは、古代から伝わる呪文を詠唱して、世界に満ちる不思議な力を呼び起こし、例えばドラゴンをも一蹴する強大な火球や吹雪、稲妻を生み出す。または非力なカエルに変身させてしまう。魔法使いになるためには、修学と、何より生来の素質が必要であるが、それは古代より伝わる技を継承する「稽古」に属する。実際のところ、どうしてそのようなことが可能になるのか、魔法使いにも実はわからない。どうしてヒヨコではなくカエルになるのかも。
対して序法使いは……その根源に疑問を呈し、「魔法」を解析してきた。「世界に満ちる不思議な力」を元にするのは同じだけれど、それを主体的に操れないか、を試みた。そして「序法」を独自に組み立てた。序法使いは、魔法使いのような火球や吹雪、稲妻を生み出すことはできないが、木片を発火させたり、水を冷やして氷にしたり、静電気を発生させることはできる。カエルに変身させるには力には今は足りないが、いつかきっとヒヨコにも変身させられる。また、微妙な加減で調整することができる。それも長々とした詠唱はなく、合理的な手続きで、疲労や秘薬の代償少なく。また、生まれ持った素質はなくとも、修学のみで行使が可能だ。
その世界では、(きっと)魔法使いと序法使いは反目している。魔法使いは序法使いの小賢しいと、序法使いは魔法使いを野蛮だと。ゲームとしては「強大だが行使する代償が高く抑制が効かない魔法」か「非力だが手軽に行使できて小回りが効く序法」の長短でバランスがとられている。
誤読から生まれた「魔法」と「序法」の概念だが、これは今も有効に使っている。
魔法は、主に所謂「ファンタジー」的な世界の産物だけれども。そのフィクションの舞台によって「魔法」に相当するものは変わる。例えば現代物なら、魔法の代わりに超能力や霊能力などがそれに相当するかもしれない。「超常的な力」が背景となる世界によって名称が変わるだけだ。
その中でも、魔法的なものと序法的なものがある。例えば透視・瞬間移動・念動などを駆使する超能力は「魔法」と思える。でも、それは今のところ生来の素質だけが可能とする不可思議な能力なだけであって、ソ連の超能力研究所では、合理的な解析が進んで、人工エスパーが育成されているかもしれない。霊能力なんかも、それが証明できないだけで、死後の念が霊となって……とむしろ根拠は合理的に説明されている。
こう考えると、フィクションにおいて、本当の意味で「魔法」であるものは少ないわけだ。そもそも、最初の設定である魔法使いと序法使いにしても、将来的には序法が魔法を解析し尽くせば、魔法は序法の偶発的ショートカットに過ぎない。
そこで僕がよく例に出す「魔法」の例は「セーラームーン」。(あんまりしらないけれど)天体の名を冠する正義の味方が宿命を背負って超常的な力を行使する、までは序法で説明できる。しかし、それが「セーラー服」を模したコスチュームを纏う点だけは無理でしょう。何故宇宙規模の戦いで、セーラー服がシンボルになるのか。
まあ、宇宙にセーラー服がある以上、何らかの必然性で宇宙規模の戦いにおける標準服になる序法的可能性も見出せなくはないけれど。
勿論、魔法が悪いわけではなく、序法に還元されてしまいがいなフィクションの設定の中で、魅力的な魔法というのは希有です。童話なんかだと変な「魔法」が出てきますね。例えば昨日「としょかんライオン」という絵本を読みましたが、図書館にライオンがやって来た理由は一切不明。魔法的です。
「神話」もヘンテコ祭りで、魔法の宝庫と言えますが、一方あれは古代の人達が寧ろ世界の序法を解析しようとする試みでもありますから、微妙なところです。
他にも、魔法と序法という概念が役に立つ(?)こともあります。
赤瀬川原平の「トマソン」。非作為によって偶然生まれる一定の趣を持った明確な作者なき街頭の造形物……これを「超芸術トマソン」(野球選手の名前が由来)と名付けるのがまさに魔法的。これにより「トマソン」の概念は「強力に」普及するわけですが。
まあ、それはいいんだけれども、こういう芸術の視線というのは魔法的な鋭角の切り口がセンセーショナル過ぎて、僕としてはもっと汎用的であって欲しいと思います。
それはつまり「作者無き芸術」を発見した時、そこに凄みを感じて特別視するだけでなく、既存の芸術を「作者有る芸術」と発見し直すこと、「作者無き芸術」の突飛さだけを強調せず、「作者有る芸術」と並列に捉えること。
他にも「アウトサイダーアート」は魔法か序法か、などあります。
創作における魔法は魅力的だが、批評においては序法が大切……という結論も面白みに欠けますが、魔法めいた批評も魅力的ですが、時々は序法使いのことを思い出してやってください。序法使いの門戸は、魔法使いに比べれば開かれているのだから。
補足 一
そうそう、今や「セーラームーン」より遥かにメジャーな「魔法」があった。ワンピースの「悪魔の実」。あれは「魔法」に属しますね。悪魔の実自体には何かと定まったルールがありそうですが、種類や効果は自然や状態だけでなく、例えばドアドアの実など、人工物をイメージしたものがある。単に、ゴムとか炎とかなら序法的かもしれませんが。ニキュニキュの実が一番わけわかりません。
補足 二
魔法を単に受け入れるのではなく、序法的な態度で解析へ……と思いきや、根源が「魔法」であることもあります。或は、それが全てかもしれません。
例えば、「漢字」。日常使用しているだけでも、その合理さは感じられますが、これをただ単に使うだけでなく、序法的に解析してみよう、と勉強したところで、その根源は「呪い」なわけです。
今、混沌に見えている事柄も、序法的な成果かもしれません。根源に遡れば序法が見えてくるとは限らず、寧ろ意図的に組み上げて果たして序法が出来る……。さすれば序法こそが、反自然的な魔法かもや。まあ、ある種の人々が既に使っている文法ですが。<br />
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2014-06-01T03:38:40+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】ウィザードリィとダンジョンマスター
http://yosomi.jp/article.php?id=318
<h2>ウィザードリィとダンジョンマスター</h2><p class='author'>山本握微 / 2014-06-01 12:38:40</p>「さて問題です。ウィザードリィとダンジョンマスターの決定的な違いは何でしょう?」
「……。いづれも古典的な3Dダンジョンロールプレイングゲームの名作に違いないけれど、違いを挙げればキリないでしょう」
「決定的な違いヨ!」
「ウィザードリィが所謂ターン制であるのに対し、ダンジョンマスターはリアルタイムで時間が進む、アクション要素もあるってこと?」
「ブー。そんなのは些事ヨ。正解は……ダンジョンマップのデーター形式の違いです」
「どういうこと?」
「いづれもダンジョン(地下迷宮)を探索するゲームで、その間取りは方眼紙で現すことができます。プレイヤーは迷わないように方眼紙を用意してマッピングしながらゲームしますもんね。でも、迷宮を形作る最も基本的な『壁』の捉え方が違う。ダンジョンマスターの方がわかりやすいけれど、方眼紙の升目一つ一つが『壁』であったり『通路』であったりする。それに対し、ウィザードリィは、方眼紙の罫線に対し『壁』が描かれるのです」
「ふうむ?」
「例えば、ダンジョンマスターのマップは、多分データ上ではこんな感じになっていると思うのよ」
111111111
111000111
111000111
111000111
111101111
111101111
「1が壁で0が通路ね。これは細道から部屋状の空間が続いている感じだけど」
「なるほど」
「まあグラフと一緒で、プレイヤーの位置をX軸とY軸の座標で現し、その前後の情報を参照して、画面を描いたりしていると思われる」
「うんうん。わかりやすいね」
「一方、より時代が古いウィザードリィだけど。これは例示しにくいな。これなど。<a href="http://cagami.net/dansyaku_blog/091104_01.JPG" target="_blank">http://cagami.net/dansyaku_blog/091104_01.JPG</a> 何故ならこの文字も方眼紙でいうなら升目にしか書けないわけで……」
「まあ、言いたいことはわかる。でも、データも究極的には文字じゃない? 隙間をどうやって表現していたんだろう?」
「これは予想ですけど。升目の四方の「壁」の有無パターン、4×3×2=24種の記号を、整合性がとれるように振ったんではないかしらん?」
「そんなややこしいことしてるんかなあ?」
「でもウィザードリィには、升目を遮るだけの「細い壁」もあるわけ。そういうのは単純な方眼紙の0と1じゃ現せないでしょう」
「確かに……」
「この、微妙なようで決定的な違いを、日常でもよく痛感します。例えばスケジュールを切っている時。時間軸を升目で現した場合、14時、という升目を置くのか? 升目の境に14時を置くのか。会議の時間を現すのなら14時という升目に「会議」と堂々書けばよいでしょう。しかし14時に電車に乗る、のなら、14時の境目に書いた方が腑に落ちる」
「会議みたいに一定時間を占める予定なら升目、瞬間の時間を現すなら境目ってことかしら」
「まあそれを、アナログで紙に書くのなら何とでもなるんだけど、データに落とすとなると、同じフォーマットになるじゃん? 午前の予定をA君に、午後の予定をB君に、それぞれ計画してもらって後で統合しようとすると、結局こっちで形式あわせなくちゃならん!」
「A君は『10時 バス乗車』って書いてて、B君は『13時〜14時 工場見学』って書いてある、と。ほんなら、『10時〜11時 バス乗車』って書き直すか、『13時 工場見学 14時 工場見学終了』って書き直すか」
「というか話戻して、例えば『ダンジョンマスターのシステムでウィザードリィの懐かしマップが探検できる!』みたいな企画が出た時、どうするのかなと」
「そんな企画出ないよ(チャンチャン)」<br />
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2014-05-13T02:26:18+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】島はぼくらと、故郷、墓の話
http://yosomi.jp/article.php?id=317
<h2>島はぼくらと、故郷、墓の話</h2><p class='author'>中島彩 / 2014-05-13 11:26:18</p>辻村深月の小説「島はぼくらと」を読んだ。
物語は瀬戸内海の小さな島・冴島を舞台として、その島に生まれた高校三年生の男女4人とその周辺の人々をめぐる青春小説。冴島という名称は架空だけれど、数年前に私が旅した瀬戸内海の島を思い出すと、実際にあってもおかしくないようなリアリティがあって、立派な地方小説としても読める。
具体的に内容に触れる。
島には中学までしかなくて、高校に通うためにはフェリーで通うか、寮のある高校に進学しなければならない。主人公たちはフェリーで通える方を選択したので、一日数本しかない運行ダイヤのため、毎朝夕一緒に通学し、いろいろなことをわかちあうが、同じ島で生まれた同い年という以外、特に共通点はなく、学校での生活ではそれぞれの趣味や性格、外見にあった交友関係を築いている。
そんな状況で過疎化・高齢化は進み、数年前までは島から人は流出していく一方だったけれど、近年ではロハス思考の若者がIターン移住してきたり、住民同士が助け合う地域性が子どもを育てやすいという話を聞いたシングルマザーが引っ越してきたりと、新たな島民が増えてきつつある。しかし当然ながら、新たな島民の価値観と昔からの島民が守ってきた慣習や共同体意識との間にはズレがあり、島はそれらを抱えて新しい時代へと移行する転換期を迎えている。その中で、コミュニティデザイナー・地域活性デザイナーと呼ばれるような職種の人間が、地味に、しかし着実に彼らの間をつないでいこうとする姿も描かれている。
本当にありそうな設定で、なおかつ登場人物たちの心理描写も丁寧にされており、ときおり主人公たちの発する言葉にはっとさせられることもあって、とても楽しんで読めた。
「故郷」というものについて最近よく考える。「島はぼくらと」の主人公たちにとって、冴島は故郷と言える土地だ。高校卒業後の進路で島を出たとしても、「ただいま」と言いたい・言える土地だと考えている。
私が旅先で出会うその土地の住人たちも、それらの土地を故郷と捉えている人が多くて、若い頃は都会の方で働いていたけれども、帰ってきたという話を良く聞いた。
私は大阪で生まれて、今も大阪で暮らしているけれど、とりたてて故郷という感じはしなくて、長期家を空けてしばらくぶりに戻っても、どこでもないところにいるような妙な浮遊感があって、仕事を再開し日常的に顔を合わせる人と会ってようやく帰ってきた気分になる。けれどそれは不安定で、留守をしている間に相手の事情が変わったりして以前のような関係性に戻れなければ、私はよそ者でしかないように感じる。もっと確実な、土台と言えるようなものは何なんだろうかとこの数年ぼんやり考えていたのだけど、先月五島に行ったときに、それはお墓なんじゃないだろうかと思った。
滞在していた福江島には墓地がたくさんあって、少し移動しただけで墓を目にしない日はなかった。大阪ではあまりない感覚だ。隠れキリシタンの島だから、十字架のある墓地を期待していたのだけど、まず遭遇したのは、日本で一般的な石を四角く切り出したもので、近くの漁師町の海の見えるいっとういいロケーションに、墓標が海を見渡せるような角度でいくつも並んでいた。きっとずっと漁師をやっている家系なんだろう。潮風を受けて多少劣化はしているが、それもいい味わいになって、堂々とそりたっている。奥地の隠れキリシタンの集落にいくと、様相は異なり、十字架の掲げられたキリスト教徒の墓や、それと日本風のものとが合わさった独自な形態の墓が増える。迫害のひどかった集落では、その集落を見渡せる丘に教会があり、そのさらに奥にキリスト教徒の墓地があって、迫害され殉教した明治初期の人々の名前が刻まれた墓が並んでいた。留蔵とかツルとかヨネとかいういかにも昔の日本人な名前の上に、パウロとかガリシアとかマリヤとかいう洗礼名がついている。そういった名前の人たちは近年にもまだ残っているようで、2012年没と彫られたものもある。風化しているものと新しい墓石は混在していて、周辺の雑草は刈り込まれているが幾つかの花は残して咲かせてあるというように、常に手入れがされてきたことのわかる、とても美しい墓地だった。
きっと子どものころからこういう墓地に連れてこられ、墓に刻まれた祖父母や曾祖父母の名を見て育ったなら、自分がその土地に生まれたこと、その土地に暮らしてきた人の血を継いでいること、自分のルーツみたいなものに対してのアイデンティティを好む好まないに関わらず持たざるをえないだろうなと思った。
去年、両親が墓を買った。それまでは、私が死ねばすぐに入れる墓はなかったのだが、これからはその墓に入る事になる。もし結婚すれば、その相手によりけりということになる。それらのことは、考えてもあまり実感がない。この実感のなさが故郷を持たない感覚なんだと思う。そのことについて考えた時、寂しいともせいせいするとも思わず、ただそうなんだというだけなんだけれど、たぶんこの根っこを持たない感覚は旅に行きたいという気持ちに若干結びついている。もし旅先でこの土地に墓をつくりたいとか、この墓に入りたいと思うようなことがあったら、それは大きな転機になるだろうなあと思いつつ、それを期待するでもなく、次はどこに行こうかと地図を眺めている。
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2014-04-22T16:41:20+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【連載記事】マームとジプシー「まえのひ」
http://yosomi.jp/article.php?id=315
<h2>マームとジプシー「まえのひ」</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2014-04-23 01:41:20</p>マームとジプシー「まえのひ」の公演を見て来た。
ここ何日か、何かを見たい気分になっていて。ちょうどツイッターのタイムラインで関西で公演をするという情報を見たので、見に行ってみました。
マームとジプシーについては、名前と演劇的な団体らしいということくらいしか知らなかったんだけど。どんなことをする人たちなのか、ウェブサイトを見てもあんまりよくわからなくて、今回の公演に関してもあまり内容について想像出来る程度の情報はなかった。ただ、川上未映子さんのテキストを使って何かをするらしくいくつかタイトルが並んだあとに、会場に合わせてセットリストを変えるとあった。ぐずぐずしてたらもうすぐ開演時間で、自転車とばして会場に向かった。
会場は味園ユニバース。千日前にあるキャバレー。初めて入った。キャバレーなので前方にステージがあって、フロアにはゴージャスな柄の入ったベルベットのコの字型のソファーが幾つも配置されている。ステージ手前にランウェイみたいに細長い空間が区切られていて、その周りを客席。客席も含めてフロアの半分くらいを使っていたかな。開演ギリギリに到着したので、もう一杯にお客さんが入っていて、係の人が開いている席に誘導してくれた。ほどなくして開演。
女の人が一人細長いスペースにやってきた。赤いコートにストールは何色だったか忘れた。BGMが小さく流れて、何かを話しはじめた。台詞っていう感じでもなくて、何か文章を読んでいる様。なるほど、朗読なのだなとわかった。内容を追おうと聞く。すぐさま情景が浮かんでくるような文ではなくて、詩のような?一人称な言葉。女の人はあまり抑揚なくその言葉を話している。幼い感じの声。鼻にかかったような、なんだろ子音が良い感じnの声が良い感じ。話している言葉の内容をとらえようとして聞くのだけど、どうも言葉がとどまらない。すりぬけていく。話す言葉が速くなっていく。BGMが大きくなっていく。がんばって聞き取ってとらえようとするのだけど、どんどん速くなっていく。BGMもどんどん大きくなっていく。ロックバンドのバンドの音とボーカルの音くらいに。聞き取るのを諦めた。すると、言葉は音になって歌のような歌でないようなものになった。頭で見ていたのが体にゆだねた瞬間。
すごいスピードのそれはとても気持良くて。演者の人の声が良いのもあると思う。音楽のライブを見てるみたいな感じになっていく。ああ、なんかこの感じなんかに似てるなと思ったんだけど、井上陽水の歌を聞いてるときに似てる。言葉の意味がでしゃばらない感じ。
それでも言葉は言葉で、ときおり意味を持って耳にやってくる。意味が点滅するみたいに。ものすごく速くて何を言っているかわからなくても言葉は言葉で。意味から意識を逸らすようにBGMがあって、演者の動きがある。けど、体は反射的に言葉をとらえて断片で意味を拾う。ゆっくりになったとおもったら、さっきより抑揚のある話し方。ときどき話し言葉みたいに。すると言葉にぴたっと意味がくっついてするっと届く。意味を見せたり見せなかったり自由自在に操る感じ。
話す文の中には情景描写のようなものを、しっかりととらえられるスピードで話す部分もあった。女の子がお風呂のなかでおしっこをする話。銭湯とか信号とか女の子とかが出て来て、点滅するほど断片ではないもう少し大きなかたまり。けど、それもやっぱり全体をとらえられるスピードや話し方ではなくて、でもなんとなく銭湯と女の子とそのほか拾った言葉で組み立てた情景が浮かぶ。なんかそれは体が勝手に二次創作しているような感じ。
言葉に意味が宿るのはどういった条件のもとなんかな。スピードとか抑揚とかそういうものが言葉から意味を奪ってた。なんか言語学とかの本を読んだらわかるんかもしれないけど。なんていうか体にゆだねる感じでそれを体感できた。見終わって、なんか公演のスピードにひっぱられて帰りも自転車とばして帰ってしまった。
見て来たのは今日4月22日で、明日4月23日も同じく千日前味園ユニバースで公演があるみたいなので、まだ間に合います。<a href="http://mum-gypsy.com/" target="_blank">http://mum-gypsy.com/</a>
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2014-04-18T14:48:11+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】島を移る。
http://yosomi.jp/article.php?id=314
<h2>島を移る。</h2><p class='author'>中島彩 / 2014-04-18 23:48:11</p>前回の記事にも書いた通り、いま、五島列島に来ている。
五島列島はその名の通り大きな5つの島と、その周辺の大小さまざまな140程の島々から成っている。
ひとくくりに五島列島と考えてしまいがちだが、それらの島々は個々に特有の風土や習俗があって、隣り合う島でも行ったことがないという住民も案外多いみたいだ。
五島列島を大きく2つに分けて上五島と下五島という呼び方もあるのだが、これらは行政区も違っていて、上五島は長崎県南松浦郡、下五島は長崎県五島市。
昨日まで私は下五島の福江島にいて、今日昼過ぎに上五島の中通島に移動してきた。
まだそれほど上五島を歩き回ってはいないのだけど、港周辺の集落だけでも雰囲気はなんだか違って。まず地形が違って、家の建て方が違う。石垣、瓦や壁の色、道。
でもまあ民宿の畳の部屋で荷物を広げ、コタツに入ってテレビで全国放送の番組なんかを見ていたら、ここがどこかなんてあまりわからなくなる。(受信できるチャンネルは4つしかないのだけど)
で、ぼんやりと過ごしていた、21時。
窓の外から、けっこう大きな音で、あるメロディが聞こえてきた。
「ねんねーん、ころーりーよ、おころーりーよー」
あの誰もが知っている子守唄である。
これ、なんていうのかしら。音楽時報?
都会では聞いたことはないけれど、地方へ旅行に行くとしばしば耳にする。朝7時とか、12時、17時みたいな区切りの時間に集落内のスピーカーから流れるアレである。
昨日までいた福江島では、朝の7時にエーデルワイスが流れていて、早起きして散歩の途中にそれを聞く、というのがこのところの日課だった。いつか山道を歩いている時にその時刻になり、山に反響し自分を取り囲んでいくつもの方向から聞こえてきた時は、なんだかすごく遠い、それこそアルプスくらいのところにトリップしてしまったような気分でおもしろかった。
今日は夜中に子守唄。スピーカーはあまり調子が良くないらしく、くぐもった音で、ちょっとおどろおどろしい雰囲気。
福江では夜の音楽時報はなかったし、エーデルワイスと子守唄を思い出してもらえればわかると思うけれど、だいぶ趣が違う。
ああ、昨日とは違うところにいるんだな、とその時とても強く感じた。
この音楽時報、たぶん地域ごとで流す時間も曲もだいぶ違って、その地域の特性をあらわしているんじゃないかと思うんだけど、だれか調べてまとめてくれていたりしないかなと検索してみたが、それらしきものが見つからない。もし、詳しい方おられたら、ぜひ教えて下さい。
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2014-04-17T16:08:38+09:00
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藤井菜摘
【連載記事】リング押さえ
http://yosomi.jp/article.php?id=313
<h2>リング押さえ</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2014-04-18 01:08:38</p>ミシンでビニールとかエナメルとかを縫うとき、表面にミシンの押さえがくっつく感じでひっかかってうまく縫い進められないんだけど、これはそういうトラブルに対応した押さえです。白い四角いところと輪っかの部分がファスナーのギザギザみたいなのでくっついていて、縫い進めてひっかかるときにはそのひっかかりによって輪っかが向こう側に回り、四角いところが輪っかの上を歩いていくようになっています。ハムスターがくるくるのなかを走ってるみたいな状態です。これ、ほんとすごく便利なの!!こないだはじめて使って、なんで今まで使ってなかったんだってもう目から鱗状態でした。きれいに縫えなかったところを、これ使って縫ったら、あら不思議!!自分が縫ったんじゃないみたい〜!これ、最初に見た時、なんとアクロバティックな形なんやとびっくりしたんやけど使ってみるとよくできてて、その見た目と便利さと両方でインパクトのあるアイテムでした。
道具の形って、見たままの使い方のものもあればちょっと使い方が検討のつかない形のものもあって。自分がミシン使ってる立場から考えると、この形は一足飛びには思いつく形ではないと思うんだけど、なんていうか発想の軽やかさみたいなのを感じる形のように感じました。
余談ですが、この押さえを買ったのはミシン館というウェブサイト<a href="http://misinkan.com/" target="_blank">http://misinkan.com/</a>で、このサイトがまたなんというか素敵なテンションで好感がもてます。押さえやアタッチメントは別に他のサイトでも買えますが、なんとなくここで買いたくなるサイトです。
みなさんもよかったら一度、リング押さえ使ってみてください。<br /><a href='file/large/1397746367.JPG'><img src='file/thumb/1397746367.JPG' alt='' /></a><br />,<br />
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2014-04-10T13:17:02+09:00
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中島彩
【連載記事】金魚の夢を見る
http://yosomi.jp/article.php?id=311
<h2>金魚の夢を見る</h2><p class='author'>中島彩 / 2014-04-10 22:17:02</p>いま、車の免許を取りに、五島列島の福江島(長崎県五島市)というところに来ている。
ここへは、教習所があること以外にも見たいものがあってきて、いま、順調に見て感じることができていて、その話もしたいのだけど、まだまとまらない。
そこからは少し離れ、ここでこの目で直接見たものとは言えないけれど、確かにここでだから見たものの話をする。
金魚の夢を見た。
それはたまに夢に現れる。
もともと夢はよく見て覚えている方で、夢の中でこれが夢だと気づいてコントロールしたり、夢の中でしゃべっていることを実際に口に出したり(=寝言を言ったり)、時にはその自分の声で目を覚ますくらいなのだけど、たいていその日あった出来事の一部が繰り返されたり、関連づけられる事象があらわれたりする。
ちなみに、ここの教習所の寮に入って最初の晩には「にゃあ」と寝言を言っていたと、そのとき相部屋だった女の子が教えてくれた。教習所に猫がいると事前に聞いていたのに、来てみたら猫はいなくなってしまったと知ったことや、夕方の散歩ですばしっこい猫を見かけたことから、夢の中で猫と遭遇していただろうことが推測される。
ところが、金魚には縁があまりない。子どもの頃に実家で飼っていたことがあるけれど、そのときはそれほど可愛がっていた記憶もなく、今現在思い出すこともないし、接する機会もない。
どういうときに金魚の夢を見るかというと、大学受験の試験前日や、仕事がまったくもって忙しく何日か徹夜が続いているような余裕がないとき、ふと金魚があらわれるのである。
夢の中の金魚は大概良くない状態にいる。
金魚の夢は大概鮮やかで、目が覚めた後しばらく布団の中で絶望的な気分を味わう。コーヒーを飲むかして、少し落ち着いた後、まだ明けきらぬ空を見て、また布団に戻る。朝がきて、朝食を口にし、人と会うような時刻になってもはっきりと思い出すことができる。
今度の夢の中では、ふちが割れた金魚鉢にかろうじて水が入っていて、そこに赤い金魚が三匹なんとか泳いでいた。金魚鉢は兄が持っていて、兄が金魚鉢を割ったという認識なのか、私は兄に「あんた、ええかげんにしいや!!」と叫んで、その声で、目が覚めた。
教習所の寮に入って一週間。最初は相部屋だったのが、シーズン的に学生が減っていき、部屋をひとりで使え、よく眠れるようになった二日目の夜のあけ頃の夢だ。よく眠れるようにはなったものの、翌日には仮免許の試験を控え、試験に落ちることで大阪へ戻ることが遅れ、仕事に支障を来すかもしれないことや、指導して下さっている教習所の先生方、応援して下さっているスタッフの方々、落ちれば気遣ってくれるだろうここでできた友達たちの手前、何より自尊心のかたまりみたいな自分の性格から、落ちたくない、と無意識に強く思っていたのだろう。
心配事があると金魚の夢を見る、というのが私のこれまでの経験からくる解釈で、私はけっこうそれを信じている。星占いや血液型占いは信じないけれど、自分の夢は信じるし、世間でされている夢分析や夢占いも真剣に見てしまう。
夢は自分の脳内で実際に起こっている出来事だと思うからだ。
結局、仮免許試験は合格したののだけど、金魚の夢を見たことから、「思いがけない悪いことが起こる」(夢解釈によると、金魚自体は幸運の象徴だが、鉢が割れていたり、水が汚れていたりすると、不吉なことにつながるらしい)と、普段以上に、自分でも信じられないくらいに緊張した。
現実の反映であろう夢を見ることによって、それが現実に影響を与えていくなんて、なんだかイヤな悪循環。
と思いつつ、今読んでいる本に、こんな一文があった。
現代人は、自分の夢の中に誰かが出てきたら、自分がその人のことを気にしているからだろうと考える。平安時代には、自分の夢の中に誰かが出てくるということは、その人が自分を思っていることを示すと考えられていたという。(『脳と仮想』茂木健一郎P.49 4~5行目)
なるほど、と思った。
文脈によると、前者の現代人の夢に対する考え方は、すべての因果律を科学的に明らかにしようという近代的な世界観のもとで形成されていて、後者にあたる近代化学誕生以前は仮想が現実に力を与えるものとされる世界観である、という話である。
金魚たちが私のことを思っていて夢にでてくるのだと仮想するには少し思い込みの努力が必要だけれど、金魚の夢をみると私はよくない状態にいる、と考えるのも近代的な世界観にとらわれた思い込みなのかもしれない。少なくとも、金魚が私を思っていると自然に考えられる時代もあった(それもかなり長い年月)という事実は、なかなか気を楽にさせてくれる。
馴染みない土地で、ジェネレーションギャップを禁じ得ない世代の人たちとも交流しながら、新しい技術を身につける。(教習所の先生たちは、車の操作はメカニズムを論理的に理解することも大事だけど、なにかにつけイメージすることが重要という)
それは、ある世界観では金魚の夢を見るくらいストレスの大きいことかもしれないが、違ったところでは、まったく別の世界観でものを見れるようになる機会ともなるかもしれない。
免許ひとつとっても、助手席から見慣れたはずの車からの眺めは、運転席からではまったく違う世界に見えた。
大阪に戻るまでに、できるだけいろんなものを見て帰りたいと思っている。
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2014-03-21T15:05:33+09:00
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永田芳子
【連載記事】ピエリ守山観光
http://yosomi.jp/article.php?id=309
<h2>ピエリ守山観光</h2><p class='author'>永田芳子 / 2014-03-22 00:05:33</p>〈2014年秋の改装オープンに向け、一部営業中の店舗につながる通路以外を閉鎖し、部分営業に移行の後、2014年2月28日に全店が閉店し、リニューアル工事を開始した。〉
―Wikipedia記事より抜粋―
そういえば、と検索したらこういう状態になっていたショッピングモール・ピエリ守山。『明るい廃墟』なんて呼ばれ方をして、ネットで話題になっていたからご存知のかたも多いだろう。去年の秋に余所見の人達と見に行った。
あいうえお順に境、永田、米子の3名。
JRに乗って滋賀方面へ。滋賀へ行くのはおそらく5、6年?それ以上?ぶりで、行動範囲の狭い私には旅行ギリギリの移動距離だ。
世間話の合間にくぐるトンネルで、そのつど耳がキーンとする。
最寄り駅・堅田からはバスで移動。普段バスに乗ることはめったにないので、財布に小銭があるか、降りたいところでちゃんと降車ボタンを押せるか、そもそもバス停を間違えたりしないか、とドキドキする。実際は2人も同行者がいるし、両替機だってあるのだけれど。
自動ドアが開いて中に入ると、店内音楽が妙に響いている。吸音するであろう人も何もないから。インフォメーションカウンターには制服を着た女性が1人いて、前を向いて座っている。
什器置き去りや、看板ひっぺがし(壁紙が乱暴にやぶれていて、そういうふうにしか見えない)の店舗群に混じって無印良品、crocsなど見知ったお店の跡。2階には大きなダイソーの跡。奥まっていて、どう活用されていたのか、もひとつ不明な市民ホールらしき場所。カルチャースペース。
営業中のカフェがあったので、しばらく休憩。それぞれパフェ、クリームソーダ、コーヒーを注文。窓の外は琵琶湖を望むバルコニーへ出られるようになっていて、気候がよければさぞかし気分がいいのだろう。
タブレットで過去のニュース記事などを読みながら、ピエリ守山がどうしてこんな状態になっているのか、3人で少し話す。競合店のこともあれば、親会社がどうといった記述もある。いろいろ理由らしきものは見つかるが、そこから想像するのはやっぱり憶測にすぎなくて。
辺りも見よう、ということになって外へ出る。実を言うとピエリの店内には早々に飽きてきていたのでせいせいした(もちろん異様な場景ではあるのだが、私にとってはすぐ見飽きるタイプの異様さだったのだ)。
午前中雨だったこともあってか、いかにも郊外、といった感じの道には人が少ない。ぶらぶら歩くと、マンションにしては住人の気配にとぼしい、若干レトロな外観の建物があった。全部で3棟。帰宅後調べたところ、それはリゾートマンションとかいうものであった。1階は個人経営っぽい店舗が入っていて、営業していたのはナチュラル系の服屋と額縁屋。保養地的な住まわれ方をしている土地なんだろうか、見回すと、浮世離れした風情のかわいらしい家屋が一般住宅に混じってちらほら。
やがて琵琶湖の堤防に出た。すのこを裏返したものに似た、階段状の板を利用して湖畔に降りる。長靴だとすべりそうでちょっと怖い。”近畿の水瓶”だけあってとても大きいけれど、淵の際までくるりと街が囲っていて、海の果てのなさは無い。川の分断された感じも無い。空が紫とグレーを混ぜかけて止めたような色をしていて、写真を撮りたいと思った。が、ここへ来る何週間か前にカメラが壊れていた。先に堤防の上へ戻った2人のほうを向くと、境さんがコンパクトカメラで何か撮っていてうらやましい。風が強くて、巻きスカートの裾に付けたスナップが外れた。
帰りはルートを少し変えて守山駅へ向かう。バスの中はガラガラ。昼乗ったにもかかわらず心細いので、後部座席を選んだ2人のそばに座る。バスに酔いやすいので、1人なら絶対に選ばない席だ。後ろから見るフロントガラスまでの眺めは遠近感が強くて、バスというのはこんなに長い乗り物だったかといまさらあらためて知る。
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2014-03-17T11:50:02+09:00
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境隼人
【連載記事】テオブロマ・カカオ
http://yosomi.jp/article.php?id=307
<h2>テオブロマ・カカオ</h2><p class='author'>境隼人 / 2014-03-17 20:50:02</p>仕事の帰りに立ち寄った本屋で一冊、目にとまった。
武田尚子著『チョコレートの世界史 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』中央新書
本を読むのがヘタである。
移動のお供によろしいかなと思って気まぐれに文庫など買うのだけれど、私は文章を読み込むのがヘタクソなので、どうでもよい記述に目をとめたり単語の意味を考えたりしながら、栞の続きを読み始めるのに数頁戻る。200頁足らずをひと月以上抱えて歩くのだ。日持ちが良いと言えば暇つぶしには向いているけど、内容の輪郭を掴むことに適わないので、だいたい中身を覚えてはいない。
気分を乗せられるかと思って本と一緒に沢山のチョコレートを買い込み、本を鞄に入れて2ヶ月。本を開きながら口にしたチョコレートが本の内容の記憶を今日も溶かしている。
○Trianon チョコレートスティック ミルク
原産国はオランダだそう。私はタブレット型が好きだけれど、本を読みながら口にするには良い形。手に取りやすくて気がついたら無くなってた。とっても甘い。
○森永 小枝
久しぶりに食べたけれど、こんなに小さかったっけ。
○ネスレ HOT COCOA MIX
友人のアラスカ旅行土産。本当はミルクで溶きたかったけど冷蔵庫の中にいらっしゃらなかったのでお湯。指定の量で作ったのにすごく甘い。
○ICAM カカオ32% シリアル入りミルクチョコレート
原産国はイタリア。やや分厚いタブレット。食べ応えある。
銀紙破ると食べきらないといけない気がするのはなぜだろう。
○Bear Berry Clusters
アラスカ土産その2。ダークチョコレートにキャラメル、ナッツ、クランベリーなど熊の好きなもんが入ってるんだそう。寒いところで食うからいいんだよきっと。飲み物無いと辛い。
○森永 DARS ビター
ビターって苦手だと勝手に思ってたけど食べてみたら普通に甘いじゃないか。むしろ丁度良いかもしれない。
○Cadbury DAIRY MILK
原産国オーストラリア。原材料の一番目に生乳が来るくらいミルク味。
○ブルボン TRUFFE ミルクガナッシュチョコレート
毎年冬がくるとこればっかり食べている気がする。100均の店員さんに覚えられた。
○ネスレ キットカット お徳用
タブレット(チョコレートじゃなくて)が当たるという懸賞のために買って積んであった。
本の一頁目には、1942年キットカットのラッピングペーパーが載っている。昔は青かったのね。
○メリーチョコレートカンパニー キャンディ・イン・チョコレート
人にあげるつもりで買ったけど余った。ホワイトチョコレートに飴が入ったややこしい味。かわいいとは思います。
○ジェリーベリー 20 ASSORTED FLAVOURS
チョコレートではなくゼリービーンズ。ただ、チョコレートやら抹茶やらストロベリーチーズケーキやら焼きマシュマロなど、フレーバーがおかしい。美味しくないけど色がきれい。
○VanHouten ミルクココア
定番。いつも丁度良い濃さで作れない。
○ロッテ ガーナ ミルク
コンビニで買える板のなかで一番頻繁に食べている気がする。
○不二家 LOOK+ アーモンド
新製品。ミルクチョコレートの中にシュガーコーティングされたアーモンド。美味しい。
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2014-03-14T14:39:52+09:00
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中島彩
【連載記事】11年ぶりのお水取り
http://yosomi.jp/article.php?id=306
<h2>11年ぶりのお水取り</h2><p class='author'>中島彩 / 2014-03-14 23:39:52</p>東大寺2月堂で行われる修二会、通称「お水取り」のお松明を見に行ってきた。
あわせて、奈良国立博物館で催されている「お水取り」という展示も見てきた。
この展示では、お水取りに関わるさまざまな文献資料や絵画、法具などが紹介されている。
例えば、修二会の本行に参加する11人の練行衆(れんぎょうしゅう)と言われる僧たちの着る衣装や、食事の献立などもあり、お松明以外あまり知られていない修二会の全貌を伝えようとしている。
それらによると、お水取りは西暦752年に始まり、毎年欠くことなく開催され、今年で1263回目。練行衆は前年の12月16日に選ばれ、2月20日より前行に入る。それから、和紙をあわせて衣装を作ったり、法螺貝の音合わせをしたり、仏前を飾る椿の造花作りなど準備を進め、3月1日からは本行として六時といわれる一日に6つの行事をこなす。
修二会の目的は本尊・十一面観音菩薩にわれわれが日頃に犯しているさまざまな罪過を懺悔するというものらしく、行事の中には、板に右膝を打ち付けるというような痛そうなものもあって驚いた。
また、法螺貝だけでなく錫杖や鈴など音の出るものをそれぞれの練行衆が持ち、お経とは異なる独特の節回しで過去帳を読み上げるのだが、その合わさった音色はなんとも不思議な音楽だった。
他にも知らないことばかりでフムフムと感心した。活字で紹介されると馴染みない用語が多すぎて、足踏みしてしまうのだが(東大寺の公式ホームページにもいろいろと解説してあるので、興味ある方はご覧下さい。<a href="http://www.todaiji.or.jp/contents/function/02-03syunie1-1.html)" target="_blank">http://www.todaiji.or.jp/contents/function/02-03syunie1-1.html)</a>、実物や音声、映像を交えて展示してあるので、なんとかついていける。
こうして付け焼き刃程度ではあるが前知識をつけて、17時半、いざ、二月堂へ。
近づくに連れて、焚き火のような、お香を焚いたような匂いが立ちこめる。
東大寺参道の土産物屋は夕方におおかた閉店しつつあったが、二月堂近くの売店は団子やらうどんやらがまだこれからとばかりに販売されている。韓国人の観光客相手に、売店の女性が「団子は2本から販売よ」と交渉していた。
二月堂舞台下の芝生にはもう大勢の人が詰めかけていて、予想はしていたけれど、少し離れたところから見るしかなさそうだ。それも、後から来る人々に封じられて、いちど立ち位置を確保すれば移動するのは困難。前に灯籠があって、視界は少し遮られるのだけど、あきらめて、時間を待つ。
警備の男性がスリ被害や押合いなど人混みでの注意点を呼びかける。
辺りが徐々に暗くなり、舞台下に消化隊が控え、徐々に期待が高まる。
お松明が始まるのは18時半。まだ、10分ある…。
ここに、16歳の時から2年続けて来たことがあった。
その頃通っていた芸大受験のための画塾の先生が、奈良に縁のある人で、お水取りを何度も描いている画家だった。その人が「ぜひ見に行きましょう」と生徒を連れて来てくれていたのだ。
しかし、その頃は何と言っても16歳。
奈良の東大寺やら、仏教儀礼やらの響きに興味が持てず、前を歩く先輩たちは何の話をしているんだろう(16歳の私には18歳の彼らがとても大人に見えた)、同級生たちと帰りに何を食べようか、この寒さはなんとかならないものか、そんなことばかり考えていた。
それから11年。
私は自分の意志でここに来ている。
博物館で西暦752年という年号を見たとき、それが判然としなくて、
「啼くよ(794)ウグイス平安京?ということは平安時代?あ、でもその前だから平城京?」
なんて人に聞けないようなことをなんとか思い出そうとしていて。11年前ならそれが奈良時代であることや、どういう時代であったかなど高校の歴史の授業でさんざん聞かされパッとわかっただろうに。
よくある話だが、10代の頭が柔らかいうちにはたくさんのことを習うのだけど、それは面白いことではなくて、いろいろなことを実際に経験してきて知りたいと思ったときには記憶力はずいぶん落ちている。学習に適したとされる年齢と、学習を欲する年齢は合致していない。
それでも、知識としてのみ与えられていたことが、ある程度の経験を得た後に自分の関心に繋がったり、それによって腑に落ちる感覚が少しでもあるのなら、まあそれでもいいのかも知れない。
なんて言っても、1200何年も続いている行事の前では恥ずかしくなる程のわずかな時間なのだけど。
そんなことを考えているうちに、お松明の行は始まり、無事、終わった。
遠目で見た松明は迫力にこそ欠けていたものの、燦々と火花が降り注ぐ様子がきれいだったのと、ちらりとしか見えなかったが、走り終えた練行衆の男性の達成感あふれる表情が印象的だった。<br />
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2014-03-06T13:30:24+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】大王イカとコンパは共存しない。
http://yosomi.jp/article.php?id=304
<h2>大王イカとコンパは共存しない。</h2><p class='author'>中島彩 / 2014-03-06 22:30:24</p>コンパ、という程のことではないのだけど、先日、バイト先での飲み会に誘われた。
同じ事務所に出入りしながらも、あまり顔を合わせないスタッフ同士の交流の意も含めてで、私は誘ってくれた人以外は皆ほぼ初対面の相手だった。
街中の居酒屋で、二つのテーブルにわかれ、男女半々10人程のメンツ。
「最近、日本のどこかの港で大王イカが捕れたんだってね」
ふと話題が途切れたときに、斜め向かいの席の男性がそう切り出した。
馴染みないメンツでの飲み会の、微妙な沈黙を破るために、何の気なしに選んだトピックだったのだろう。
しかし、ダイオウイカ。
そう、ちょっと気になっていたのだ。
大きいものでは体長18mを超えるという。
日本付近の海流の温度が最近低くなっていて、生息に適した水温を求めて陸地に近いところへやってきたところを水揚げされるケースがこのところ増えたのだとか、あんなに大きいのに卵は1mmほどだとか、解明されていないことが多い謎の生物なのだとか。
世界中で見つかる大王イカは見た目が異なっており、別の種だと考えられていたが、最近DNA鑑定をしたところ、差があまりなく単一種であるという説が出てきているとか、うんぬん。
それまであまり話題に乗れなかったのに、大王イカの話が出た途端、知り得たばかりの知識を得意げに、ひとりでしゃべっていた。
「中島さんて、理科とか生物とか好きなの?」
「いえ、どっちかっていうと社会の方が…」
なんか微妙な雰囲気。
またあの沈黙が訪れ、別の男性が違う話題を持ち出して、会話の中心が移り変わる。
私は再び聞き手にまわる。
文化人類学とか、民俗学とかが好きなのだ。
もとはひとつの言語であったのが方々に散らばりそれぞれの国語となるとか、とある宗教が伝播するにつれ、その地域土着の宗教と結びついて独自の宗教となるとか、グーとパーのチーム分けじゃんけんのかけ声が「グーとパー」だったり「グッパでホイ」だったり「グパーグパーじゃっしーホイ」だったりするとかいう話が好きなのだ。
大王イカのDNAの記事を読んで、単一の種でありながら環境に合わせて変化しているとの話に、「大王イカもそうなんだ!」と、ちょっと嬉しくなって。
でも初対面の人ばかりの席で、嬉々揚々としゃべる話ではなかったな。(大王イカには非はないんだけど)
第一印象が「大王イカの人」になって、「不思議ちゃん」=「距離を置いてつきあおう」と思わるのも、「不思議ちゃん」=「おもしろそう!」と思われるのも、私は嫌だ。
それでいて、大王イカやグーとパーの話にドキドキする私も受け入れて欲しいと思うのだから、我ながらワガママだと思う。
それでも第一印象というのは、やはり重要だ。まずはニコニコと相づちを打って、当たり障りのない話をして。取っ付きにくい人よりかは、差し障りのない人になりたいと思う。まずはいろんな人と話すこと、そこから大王イカな部分を小出しにしていけばいいじゃないか。つねづねそう考えているのに。
今後はコンパで大王イカの話はすまいと、心に固く誓った。
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2014-03-04T13:42:56+09:00
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中島彩
【連載記事】国立国際美術館にアンドレアス・グルスキー展を見に行った。
http://yosomi.jp/article.php?id=303
<h2>国立国際美術館にアンドレアス・グルスキー展を見に行った。</h2><p class='author'>中島彩 / 2014-03-04 22:42:56</p>アンドレアス・グルスキー。
名前に聞き馴染みない人も、作品を見れば見たことがあるという人は多いんじゃないだろうか、ドイツを代表する写真家である。東京証券取引所や北朝鮮・平壌のマスゲーム大会を撮ったものなどが有名だが、他にも、地平線まで延々と続くどこか途上国のゴミ捨て場や、商品が瀬然と並んだディスカウントショップ、マス目の囲いに何百頭もの家畜牛が詰められた牧場、というような資本主義を象徴とするような光景を題材に、画面の隅々までにピントを合わせ、引きの視点で撮ることで、イメージが反復された抽象的な絵画にも見える画面を構成している。それは、現代社会への鋭い批判のメッセージでもあると同時に、フラットでミニマルな虚構世界、純粋な美しさを追求した視覚芸術の表現でもある。
というのがたぶん一般的な見解で、ここからは私が気に入った作品や、見に行ったことで面白かった点などをいくつかご紹介いたします。
『F1 ピットストップ』
F1(フォーミュラ・ワン、世界最高峰のカーレース)大会でのピットストップの場面を撮影したもの。画面の左右下にそれぞれHONDAとTOYOTAのマシンが停車しており、それらを各チームのユニフォームに身を包んだ数人のスタッフが囲い、エネルギー補給やメンテナンスなどの作業にかかっている。上に関係者席があり、各自動車会社のスタッフがカメラを抱えてピットインの様子を撮影していたり、何やら話し込んだりしている。
F1という「最速」を最上のテーマとして掲げる世界の、とりわけピットインといういかに効率的・合理的であるかを追求する場面、そしてそれらを見守る自動車会社の社員たち。いかにもマッチョな画面なのだけど、よく見ると、画面中央のちょうど左右対称となるその折り目のところに、二人の美女が映り込んでいる。マシンやその周辺のスタッフに比べると、彼女らは日のあたらないところで、いささかぼやけて映っており、またその様子も少しけだるそうに、腕を組んで煙草を吹かしているような雰囲気である。休憩中のレースクイーンだろうか、だれか関係者の愛人なのだろうか、その正体はわからないのだけど、なんといっても、その二人、スタイルが抜群にいい。腰の辺りのきゅっと引き締まったクビレと、そこからはちきれんばかりに広がるヒップライン。まさにグラマラスな肢体である。それは、合理的な男社会とは別の価値観で動く別の生き物のようで、彼女たちが映っていることで、写真はぐっと奥深さを増している。なんともそそられる写真である。
つづいて、
『パリ、モンパルナス』
モンパルナスのアパルトマンを被写体とした写真で、近代的な真四角のフォルムの建物全体と、それぞれの部屋の真四角な窓がはっきりと映し出されていて、格子状に画面に構成されているのはまるでミニマリズムの絵画のようだ。それぞれの窓には、さまざまな色彩のカーテンや、植木鉢、荷物が積み置かれた部屋の様子が映っていて、各戸の住人の個性が表れている。離れて見てもその絵画的なリズムや構成は面白いが、近寄ればひとつひとつの窓からさまざまな人間の物語が垣間見え、見る者を空想の世界に誘う、奥深い作品だ。
カメラの語源は「カメラ・オブスクラ」、日本語で「暗い部屋」を意味する。となると、レンズはちょうどその部屋の窓にあたろうか。部屋=個人の世界と社会=外の世界の狭間にあり、部屋の一部でありながら外に向けられた窓に、同じく「窓」であるレンズを向ける。アパルトマンの住人たちと写真家との間には、撮影時に何か交渉があったのだろうか。そんなことを考えながら、ふと見つけた。
アパルトマンの左上あたりの一室の窓辺に、ほおづえをついた人物らしきシルエットがぼんやりと写っている。表情や髪型もわからないけれど、きっと若い女性だろう。
彼女は何を考えているんだろう?恋人のことでも思い出しながら、物思いに耽っているのだろうか。
なんともセンチメンタルな、それだけが画面に映し出されていたなら押し付けられた叙情感が居心地悪くなりそうな恥ずかしい情景なのだけど、他に幾つもある窓の中になら、こういうものがあってもいいんじゃないかという気がして。というか見つけれて嬉しくなっている自分があった。
そして、
『ミュルハイム・アン・デア・ルール、釣り人』
人工的な造形物が被写体とされる写真作品が大半を占める中、それらしきものがあまり映っていない、緑の樹々と川と釣り人が捕らえられたものである。川の向こうにはセメントで作られた橋も架かっており、「自然」と言ったって、人の手の入っていない自然はこの世界にはもうほとんど残っていないのだけど、それでも非造詣的な景色をとらえた写真が、他の写真と同等に並んでいたのがよかった。
とまあ、とりあえず気になった作品として以上3点を挙げる。
精度の高い、構成的・造形的なグルスキーの作品の、曖昧な部分。世界をカメラで切り取ることで生じざるを得ない、世界の不完全な部分。そういったところであろうか。
たぶん、その揺らぎもグルスキーは心得ているのだろうけれど。
さて、同時開催の「現代美術の100年の実り」と銘打ったコレクション展についても少し。
第1部「パリに集った芸術家たち」、第2部「戦後美術の新しい波」、第3部「アメリカの美術革命」、第4部「現代美術としての写真の展開」、第5部「美術は今、ヨーロッパを中心に」の5部構成で美術館収蔵作品の中からセレクトして展示。個人的に大好きなパナマレンコやカバコフの立体造形や、クリストのプロジェクトのためのドローイングが見れたのがとっても嬉しかったのだけど、それらの作品について語るのはとどめ置いて、展覧会としてはジャコメッティの「男」という絵画作品が展示されているのが良かった。
ジャコメッティと言えば、矢内原伊作という日本人男性との逸話が有名である。
彼らはちょっとしたいきさつで出会い、やがて親しくなり、画家とモデルという関係になるのだが、ジャコメッティはどうしても矢内原を自身が満足するようには描けなかった。見た通りに描けば描く程、対象から遠ざかっていく。ジャコメッティは時には発狂しそうな声を上げ、涙を見せ、矢内原はそんな彼を慰め、日本への帰国を幾度も延期する。ジャコメッティは矢内原に徹底的に向かおうとし、矢内原もそんなジャコメッティに誠心誠意応えようとした。
ジャコメッティが矢内原に向き合うなかで体得した独特の表現は、矢内原がとうとう帰国して後も彼の中に残り、高い評価を得ている。
今回展示されている「男」という作品も、矢内原がモデルとなったものなのかは知らないが、そんなジャコメッティの作品への姿勢があらわれたものだった。画面はほとんど暗く塗りつぶされ、中心にいる男と背景の輪郭も曖昧で、男の顔も明確な形とならず、目や鼻や口は厚塗りした絵の具を細い棒のようなもので円や線でかきとったような痕跡が残るだけである。
それはほとんど絵の具の固まりのようにも見えるし、とても人間らしくも見える。
グルスキーとジャコメッティ。どちらも眼前の世界に対峙して、それらをまっすぐに映しとろうとしているのだが、精緻に均質に世界が映し出された写真を見た後では、いかにモデルの本質を迫るかの過程で形象を失っていった絵画は、よりいっそう面白く見えた。
他にも心惹かれる作品があって、全体として見応えのある展覧会だったので、まだの方はぜひどうぞ。
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2014-03-01T13:24:36+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】山にのぼる。
http://yosomi.jp/article.php?id=302
<h2>山にのぼる。</h2><p class='author'>中島彩 / 2014-03-01 22:24:36</p>ときどき、山に登りたくなる。
最初に山に登ったのは、二十歳のとき。
旅先で知り合った男の子が、槍ヶ岳の山小屋の息子で、その縁で夏の一ヶ月、山小屋でアルバイトをすることになった。それまでは山登りと言えば、家族で金剛山に登ったり、中学・高校の6年間、毎年学校行事として行われた葛城山の耐寒登山だったりで、本格的な登山というものを知らなかった。
初めて登った槍ヶ岳(バイトをしていた中腹の山小屋まではヘリを使ったので、実際に自分の足で登ったのは登山道の半分だけど)と、その隣の南岳への道のりは、いまでもよく覚えている。
道の途中から、木の丈が短くなってきて、自分より背の高いものがなくなり、見晴らしが良くなる、森林限界というものが本当にあると初めて知った。
稜線を歩くと、右にも左にも何もなくて、この稜線の本当に線の真上に雨が降れば、右か左かどちらに流れていくのだろうかと考えた。転がり落ちるとしたら、右か左がどちらの方がマシだろうか。どこまで下界を覗き込んでも引っかかりそうなところはなくて、ゴツゴツとした山肌が延々と続いていた。
雲が自分の足より下にあった。雲が水蒸気でできていることをようやく目で見て確認できた。
自分の呼吸が浅かった。空気が薄かった。
その夏が終わってから、友人知人に誘われたり誘ったりで、毎年一度はどこかの山に登っている。登山者としては全然かりそめのアマチュアクライマーだけど、山に登るという行為は、「映画を見る」というような趣味よりかは確実に「する人」と「しない人」に分かれていて、「しない人」は一生しないだろう。そしてそういう人からは「いったい何が面白いの?」「何をしに行くの?」と聞かれる。
何をしに行くんだろうか。山頂でゆっくりと景色を楽しむでもないし、体力の限界に挑戦するようなスポーツ精神も持ち合わせていないので、自分で確実に登れるレベルの山を確実なペースで行くように計画する。野生の動物や珍しい高山植物に出会えれば嬉しいけれど、出会えなくても問題ない。
楽しみとしてパッと思いつくのは、事前のしおり作りと買い出しだ。
しおりにはまず、「日程」「行き方」「一日の予定」を書くべく、計画を立てる。なるべく前後に忙しい日が来ないような日取りで、乗り継ぎにも余裕を持てるよう電車やバスの運行時間を調べ、休憩も的確にとれるコースタイムを設定する。それからその季節にあった「服装・装備」。山の気温は街中よりも低いこと(標高が300m上がる毎に気温は2度下がる)、歩いてるうちに体温は上がることを想定して、調整しやすい服装を。それから、岩場が多いのか、沢があるのか、木が茂っているのか、そんなことにあわせて足下の装備を。途中、靴擦れしたり、こけて手をついたときに手のひらを擦りむいたり、鼻水が出たりするかもしれないと、絆創膏やティッシュも準備する。そして大事な「食料と水分」。山中で水が確保できるのか、できないならば2リットルは持っていきたい。冬ならうち半分は魔法瓶に温かいものを入れて。食料は、食べるところや状況がありそうなら、塩の利いたおにぎりをむすんでいきたいところ。なさそうならば、歩きながら食べることも考えて、手にもって簡単に食べれるものを。普段は憎き脂肪の元のチョコレートや飴やキャラメルが、このときばかりは優れた「行動食」「非常食」となる。
こうして必要な装備や食料が整理できたら、いよいよ足りないものを買い出しに行く。登山用品店では新製品や知らなかった商品を見て心を躍らせる。1本まるまるカタチを崩すことなく持ち運べる、バナナケース。強風でも火が消えない簡易コンロ。首からぶら下げるひも付き防水地図ケース。ドラッグストアで、カロリーメイト的な固形栄養食を見る。一日一本で必要な鉄分が取れる、ドライフルーツがぎゅっと詰まった、夕方からのがんばりに、そんな踊り文句に踊らされる。ポケット菓子コーナーで、甘い飴かしょっぱい飴か、口の中でゆっくり溶けるキャラメルか、直ちに甘みが広がるチョコレートか、登山道で息を切らしながら私はどんなものを欲しているだろう?
そんな風にさんざんわくわくして結局、予算の範囲内で、最初に決めていた分だけの買い物をする。
ここまで、もう頭の中では何度も山頂を踏破している。
そして前夜、わくわくして、眠れない。やっと眠りにつき、明け方、夢で山に登る。
なので当日の朝には、私の登山はすでにほとんど終わっている。あとは事実の確認だけが残っているような、証拠を探しにいくような、そんな心持ちで出発する。
それでも、予想している以上のことがだいたい待ち構えている。
それは一緒に登る人との間で交わされる出来事だったり、予想外の天候や地面の状態だったり、それによる肉体の思わぬ疲労や痛みだったり。
もし予想されていた範囲内のことしか起こらなかったとしても、確認作業は隅々まで送り込まれる酸素を伴って行われる。頭で考えていたことを、全身を持って受け止める。それが何とも気持ちよい。
先月、奈良の高見山に登った。大雪で、当初予定していた山へのバスが運休となり、急遽、すでに登ったことのあった高見山へ。山頂は猛吹雪で、景色も何も見れなかったけれど、雪の上で何度もすっ転んだのが楽しかった。その前日は大阪も雪で、マンションの階段で滑り落ちたときにできた太ももの痣はまだ今も色濃く残っているが、この日、山で転げた分には少しも怪我らしきものをしなかった。
山の雪は深くふわふわとクッションみたいだったけれど、都会の雪は浅く、すぐ下にコンクリートや鉄筋があって、とても痛かった。
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2014-02-23T15:26:18+09:00
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永田芳子、藤井菜摘
【連載記事】映画「ファイアbyルブタン」を観た
http://yosomi.jp/article.php?id=301
<h2>映画「ファイアbyルブタン」を観た</h2><p class='author'>永田芳子 / 2014-02-24 00:26:18</p>シネリーブル梅田で「ファイアbyルブタン」を見てきました。
※冒頭で、永田が『ファイアofルブタン』と言っていますが、そちらは間違いです。失礼しました。約40分収録。
映画公式サイト <a href="http://fire.gaga.ne.jp/" target="_blank">http://fire.gaga.ne.jp/</a>
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2014-02-09T05:54:37+09:00
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永田芳子、藤井菜摘
【連載記事】去年と今年の話、えべっさんの日に
http://yosomi.jp/article.php?id=300
<h2>去年と今年の話、えべっさんの日に</h2><p class='author'>永田芳子 / 2014-02-09 14:54:37</p>去年いただいた福笹を返しに、再び今宮戎神社へ行きました。
夜店、紅白歌合戦の感想など、今回もほろ酔いで話しております。
(藤井→ビール 永田→日本酒)
約60分収録。
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2014-01-30T15:22:24+09:00
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中島彩
【連載記事】声のはなし
http://yosomi.jp/article.php?id=298
<h2>声のはなし</h2><p class='author'>中島彩 / 2014-01-31 00:22:24</p>「イリュージョニスト」というアニメーション映画を見た。
年老いたイリュージョニスト=手品師の男性と、彼とは違う国の生まれの女の子の交流を描いた物語である。
彼らは言葉が通じない。
映画は通してほとんど台詞がない。
あったとしても、物語の進行にはあまり意味を持たない。
物語は目で見る映像によって伝えられる。
そのストーリーそのものは、個人的には腑に落ちないものだったのだけれども、無声映画の時代ならまだしも、現代の映画であって、音を使わずに(実際には音楽や効果音などは使われているけれども)映像でこれだけのことを伝えることができるのかと感心した。
それとはまったく逆の話で感心したアニメーションがある。
「じゃりン子チエ」のTVアニメ放映分を去年の夏あらためて見た。
アニメ映像としても、たとえば重要なシーンで登場人物の表情ではなく手元や後ろ姿を描くなど、映像的に優れた表現だと思うのだけど、それよりもまず登場人物たちの会話がいい。
生きた関西弁。
たとえば主人公チエの父親テツは、町のゴロツキにからむとき、「あほんだら」ではなく「あほんだら、ボケカス」と言う。そう、本当の大阪人は「あほんだら」では済まさずに、枕詞のように「ボケカス」をつける。
テツの声優は漫才師の西川のりお。監督は、本職の声優ではない彼に、脚本通りではなくアドリブを積極的に許し自由に話させたという。
他にも多数の漫才師や吉本興業の芸人らが声優に起用されている(特に劇場版では豪華な顔ぶれ)。が、本職の声優の仕事にも着目したい。
小鉄の声。
小鉄は猫である。なので、チエら人間たちとの会話は成り立たず、人間が中心に映し出されている時は小鉄ら猫の台詞は「ニャー」である。ちょっと間の抜けた「ニャー」の声。
しかし、猫同士の場面では彼らの会話は人間語に翻訳され、視聴者に届けられる。そこには猫の社会があり、人間界と同じような葛藤があることがわかる。なかなか鋭い洞察で、人間社会のことを観察していたりもする。その時には冷めたような視点が「じゃりン子チエ」の世界により深みを与えている。
私が最も好きなシーンは第6話。
お父はんが買ってくれた運動靴を履いて、チエがマラソン大会で優勝した。喜びを分かち合いたくて、チエは夕飯の支度をして家で待つ。しかしテツは帰ってこない。チエは食卓でそのまま眠ってしまう。そのチエに小鉄は「風邪ひくど」と上着を掛ける。その、なんとも優しい、小鉄の声。
小鉄はいつでもチエを見守っているのだ。しかし小鉄の放つ言葉はチエにはいつだって「ニャー」であり、ときには小鉄が重要なことを話してかけているにもかかわらず、チエに「うるさいなー、だまっとり」と邪険にされることもある。
「じゃりン子チエ」の世界は、下町の人々の人情溢れる交流を描いているように思われがちだが、そうではなくて、常にコミュニケーションは断絶され、思いはすれ違ってばかりいる。それでも一緒に生きていくしかしゃーないなーという、諦めと許容。それが魅力なのだ。
話がそれた。
小鉄です。
その小鉄の声優こそが、永井一郎さん。
サザエさんの波平役です。
他にもゲゲゲの鬼太郎の子泣爺だとか、うる星やつらの錯乱坊だとか、ハリーポッターのダンブルドア校長の日本語吹き替え役だとか、なんともなんとも味のある役をこなしてこられました。
三日前に亡くなられたと訃報を聞いて、今晩はなんとも寂しい気持ちです。
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2014-01-28T13:02:00+09:00
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中島彩
【連載記事】VOCE(ヴォーチェ)を見る。
http://yosomi.jp/article.php?id=294
<h2>VOCE(ヴォーチェ)を見る。</h2><p class='author'>中島彩 / 2014-01-28 22:02:00</p>女性ファッション誌というものがいったいどれくらいあって、それぞれがどういう位置づけなのか、どういう人が買っているのかは詳しくは知らない。きっと毎月数冊買っては比較している人や、中には研究している人もいるのだろう。
私は本屋やコンビニや美容院でなんだかんだと目を通すけれど、お金をだして買うのは半年に一回くらいという程の購買層である。
それでもなんとなく知っているのは、世代やファッションの傾向(OL系、ナチュラル系、ゴスロリ系、コンサバ系といった)、職業、ライフスタイルといった項目に応じてさまざまな種類があるということ。
たとえば10代後半から20代前半の特に強い主張のない学生やOLなら「nonno」、20代前半から後半の独身OLなら「MORE」や「with」、キャバ嬢なら「小悪魔AGEHA」、ギャル系なら「egg」など。大枠でいえばそういったところで、細分化して分類していけばきりがなく、さておき、だ。
このたび、VOCE(ヴォーチェ)を買いました。前述の分類で言うならば、20代半ばから30代前半の正統派(何が正統なのかはわからないけれど)美人を目指すメイク(化粧品)雑誌。
メイク雑誌とは化粧品やその使い方、美容法が主なトピックで、洋服やダイエット法、恋愛など他のファッション誌によく見られる要素がそれほど重要視されていないものである。
メイク雑誌として他に有名なのは「美的」や「MAQUIA」。他にも何誌かあるが、この3誌が少年マンガ雑誌で言うところの「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」「チャンピオン」といった位置づけ。(だと思う)
で、なぜこのたび買ったのかというと、新年を迎えて気分を変えたいなとか、ファンデーションがそろそろ買い替え時かなとか、なんだか最近髪にツヤがなくなってきたなとか、忙しいのが一段落して鏡を見る余裕ができてきたら、あら、こんなに毛穴が開いてたっけとか、まあ、一言で言うと、なんとなく。
本屋をふらふらしていると、
「眉を変えれば新「旬」顔」、
「メイクで美人は作れる!かわいげ美人のコツ。」
「濃くないけど「効く!」メイク」
そんな表紙の文句につい目がいってしまったのだ。
ところで、メイク雑誌を買うのは人生で2度目。前回(にして生涯で初めて)買ったのはもう何年前か思い出せない程のことである。その間パラパラと立ち読みをしたことはあったけれど、購入して手元で精読するのとはやはり情報の受け取り方も量もかなり異なる、というのは他の洋服をメインに扱ったファッション誌よりメイク雑誌特有かもしれない。
なにしろちょっと科学的。
たとえばファンデーションの比較。メーカの異なる10種類のファンデーションを取り上げ、汗や皮脂に強いかを比較するために「人工皮革にファンデを塗布して、水と人口皮脂を滴下した時の状態を観察する」との説明があり、水と人口皮脂であろう液体をスポイトでたらした写真が10点ならんでいる。また、肌の透明感は出るかのテストでは、「中身を抜いた卵の殻に、ファンデを塗布。内側から発光体で照らした時、光がどれくらい透過するかを観察する」とあり、ライトアップされた卵の殻の写真が並んでいるのである。
ほかにも、「美利き検定」というコラムでは、美に関する基本的な知識が備わっているかを簡単な質問に読者が3択の中から答えをみつける、というかたちで問うもの。今月のテーマ「幹細胞」についてはたとえば、「日本で最初に、細胞のひとつひとつを仕分け、幹細胞だけを取り出す機器を導入し、幹細胞を培養する研究手法を確立したメーカーは?」との質問。そんなの聞いたこともないよ。
他の女性誌が、「かわいい」「きれい」といった情緒的な感覚に訴える文系的な紙面づくりであるのに対し、VOCEは「科学的根拠のある裏付けに基づいた美の確立」みたいな、書いてて自分でもよくわからないけれど、なんだか理系的な匂いがするのである。
そんなわけで情報量たくさん。編集部のヒト、大変だろうな。付録づくりに精を出して中身がおろそかな巷にあふれる幾多のファッション誌と比べると、なんだかエライなと思えてしまう。まあ、付録づくりが先行しがちなファッション誌にも、相応の事情や苦労があるのだろうけれど。
でまあ、せっかくだから新しい化粧品を買う参考にと提示された品々のキャプションを見て驚き。美容液、ファンデーション、口紅、どれもこれも5千円はくだらない。1万5千円を超える美容クリームなんていうのもざらにある。そんなの使ってたらそらきれいにもなるわな。と、スナップ撮りされたキレイな読者モデルや編集部員の写真を見て思う。
毎月何万かのお金をメイクや洋服に使い、それに見合う収入が得られる仕事をスイスイとこなし、休日はヨガや友達とランチ。
ああ、別世界だ。別世界の価値観や生き方がある。
なんてことをしみじみ思いながら、購入はあきらめて、今手元にあるものでも彼女らになんとか近づけないかなと思って、いつもより眉を少し太めに描いてみたりする。(今の「旬」顔は太め眉らしいので)
まあ確かにこんな顔の人最近よく電車で見かけるな、という顔ができる。
メイク雑誌の効用ってこんなものなのかもしれない。
というわけでしばらく(たぶん1ヶ月前)眉太めの私を見かけるかも知れませんが、驚くことなくどうぞよろしく。
(余談ですが、VOCEの前に買った雑誌は男性ファッション誌「POPEYE」で、そのときはシティボーイになろうと男物の服を着ていました。こんな風に外見だけでもいろいろと自分を変えられれるのはなかなか楽しいものですね。)
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2014-01-28T02:28:59+09:00
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中島彩
【連載記事】みんぱくに行って来たこと
http://yosomi.jp/article.php?id=293
<h2>みんぱくに行って来たこと</h2><p class='author'>中島彩 / 2014-01-28 11:28:59</p>先週の土曜日に、吹田市にある万博公園内の国立民族学博物館(以下、みんぱく)に行ってきました。
久々のまる一日の休みで、洗濯物を片付けたり、レシートの整理をしたり、時間があるときにしっかり見ておこうと投げ出しているような日々の雑事をするのをやめて、この日はまる一日遊ぼうと決めていたので、前日はわくわくしながら早く寝て、朝起きたらいい天気だったので、すごくうきうきしてでかけました。
お化粧して、お気に入りのズボンとセーターとコートと首巻きをして、でかけました。
電車とバスに乗りました。
ついてから、まず万博公園の休憩所でカレーを食べました。
ダイエット中だけれど、この日はカレーも食べていいことにしました。
それからみんぱくに行くと、たまたま空調設備の工事中で見れない展示エリアが多いからということで、無料で入ることができました。
まず、ビデオテークで30年くらい前のメキシコと日本の田舎の祭りの映像を見ました。
それから、東南アジアの展示エリアを見ました。
各地の土着の宗教に用いられる偶像や道具、曼荼羅のような図柄や、仮面、精霊像を見たり、農工具を見たりしました。
休憩に館内の中庭に出たのですが、「甘いものは飲んではいけません」みたいな張り紙がしてあって、中庭においてある自販機の缶飲料も、水とお茶とブラックコーヒーしかなくて、なぜかというと、甘いものは虫が寄ってきて、虫が展示品を齧ったりする原因となるかららしいです。
休憩の後、図書コーナーに行って、検索機を使って本を探したところ、どうも検索機に表示される「場所」と目の前の図書コーナーは一致しません。よくよく案内を見ると、館内の別の場所に図書室があって、目の前のコーナーはその中ならほんの一部を出してあるだけ、コンビニの窓際に並べられた雑誌ぐらいのものなのだとわかりました。
それで、係員さんに聞いてみると、大きな大きな図書室に連れて行ってくれました。
ほんとに大きな図書室で、たくさんの本があって、すごかった。
館内の展示物も、同じなのだと思います。
みんぱくはそもそもは研究所で、博物館として人に見せる機能も持っているというくらいのスタンスなのです。たぶん。
精霊像や仮面や農工具はひとつのあらわれに過ぎなくて、その奥にはたくさんの物語があって、それを研究者さんたちが毎日毎日研究しています。研究して、何とか残そうとみんぱくに持ち帰って(買い取って)います。インドの祭りに使われる、神様の像が載った人の3倍くらいの高さがの大きな山車や、バリの身分の高い人のお墓の前に置かれる木像なんかは、どうやってみんぱくに持ってくることができたんだろうと、想像するだけで大変そうです。技術的にも、持ち主や地元の人たちとの交渉も、大変そう。
「こんなんどうやって運ぶねん、飛行機載らんやないか」
「バラバラにして運んで組み立てたらいいやん」
「おまえ、これバラバラにしたら悪霊が逃げ出すぞ」
とかね。
だから、展示されてるのは、それらのほんの一端でしかないのです。
でも、その一端には、もっともっと多くのことが詰まっています。
そのカタチにたどりつくまでに、たーくさんの人が関わっているのです。
ただの石ころや木が、実用的な道具や、洗練された装飾や、神聖な神像にいたるには、何十年、何百年、何千年もの間に何百、何千、何万人もの人たちが、ああでもないこうでもないとか、あいつらこんな方法やっとったでとか、こんないいもん持ってたから盗ってきたわとか、そういうことを繰り返してきてるのです。
たぶんね。
私は、みんぱくに行くと、そこにあるそれぞれのものにまず思いを馳せてわくわくしてるのだけど、気がつくと、もう圧倒的に疲れていて、胸が一杯で、もう帰りたくなります。それは気持ちいい程の打ち負かされ感。子どものときに大人が手を抜かずにトランプしてくれるみたいな。
きっと、めっちゃたくさんの人がむっちゃ前から、生まれては、なんかいろいろあって、死んだ、けれどこれからも当分は人は生まれるし、なんかいろいろして、死んでいく、その事実が、たくさんの、でも一端でしかない展示物を見てるうちに、直感的に理解するからだと思います。
どーん、と。
まあ、そんな風にロマンを馳せたり、世界の壮大さに感じいったりしたくなくても、ともかくたくさんのことがつまっているところだから、探せばその時の自分に必要な実用的な情報のひとつくらい持ち帰ることができるんじゃないかと思います。私は図書室で見かけた「かぶりもの」の本に載ってた、「ハンコタンナ」という手ぬぐいで作る頭巾みたいなのが気に入ったので、こんど真似して作ってみようと思います。
目のところだけ空いていて、あとは布で頭部全体を覆うのだけど、手ぬぐいだから蒸れなさそうだし、なんだかかっこよかった。夏場の日焼け対策にね。
ほら、行きたくなってきたでしょう、みんぱく。
無料入場は2月18日までみたいですよ。
それから3月20日から新構築された展示エリアが公開されるらしいですよ。<br />
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2013-12-28T04:57:38+09:00
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山本握微
【連載記事】二・三次元嗜好症
http://yosomi.jp/article.php?id=292
<h2>二・三次元嗜好症</h2><p class='author'>山本握微 / 2013-12-28 13:57:38</p> 二次元を平面、三次元を立体、とすると、二・五次元は半立体、だろうか。しかし、半立体というほどまでに立派な立体というわけでもなく、かといって、例えばエンボス処理程度の、ちょっとした浮き上がり、程度でもない。それ、を大体、二・三次元と定めよう。
僕は二・三次元の物体が好きだ。僕に限らず、みんな好きだろう。
しかし、なかなか無い。もしあったら教えてほしい。誰もが、それぞれの、二・三次元物体のカタログを持っているであろう。しかし、恐らくはそんなに数がないので、秘匿したいはずだ。しかし、何でも共有の時代ですぜ。僕が断腸の思いで、今咄嗟に思いつく、つまり二・三次元カタログを惜しげも無くお披露目するから、これを読まれた方は僕にも教えてくださいませ。
といっても二点だけだけど。
まず一点。僕が二・三次元嗜好症に目覚めた逸品。それは、堺市民会館近くの横断歩道前にあった。今は無い。もう随分前になくなった。小学生くらいの頃だ。それが現役で佇んでいた時、僕は一人の通行人だった。通りかかるたび、何とも言えない感傷を抱いた。それは物体としての機能を全うするのみ、僕はただの通行人で、今こうして「二・三次元嗜好症」と名付けてしまった以上、もうそんな自然な状態には達し得ない。惜しいかな。
後年、ネットで画像を発見する。wikipediaで。「人形」の項にあった。
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%A9%A6%E8%AD%A6%E3%81%A8%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%80%9A%E4%BA%BA%E5%BD%A2.jpg" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%A9%A6%E8%AD%A6%E3%81%A8%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%80%9A%E4%BA%BA%E5%BD%A2.jpg</a>
「ああ、二・三次元というのは、そういう安っぽい人形とかのことね」と早合点されるな。まあ、概ねそうなんだけど。
この写真では伝わりにくい。ので文章で説明すると。この交通安全人形は、婦警と子供を模した珍しいデザインで(だいたい交通安全の図示って子供単体が多いので)、単に注意を促すだけでなく、横断の際に掲げる「横断旗」を収納するのが主目的だ(なので二組で一セット)。いずれにせよ、機能としては看板(平面)に小箱(立体)でも事足れり。それでも、立体感のある人形にしているのは、まあインパクトあるからか。
で、勘所はここから。この人形は、見た目通り、看板でも良い、から、平面的な作り。
しかし、実は正面から見たとき、婦警の正面の顔、がちゃんと成り立っている。平面的な作りのまま、ものすごい細面で! 一方、子供は、構造上、婦警の後ろ一歩下がっているので、正面の顔、が構成されていない。正面から見ると、裂けている。
この「平面的なものが立体であろうとする時、何かしらちぐはぐなものが発生する趣」が、二・三次元の勘所。
残念ながら、この人形、ネット上でもいくつか写真は見当たるのに、何故だか正面から撮った写真はない(また、婦警と子供、というデザインで共通しつつ、幾つかバリエーションがあるようで、顔がきちんと立体なものもある。子供は割れたままだが)
この写真が、かろうじて雰囲気が感じられる。
<a href="http://www.geocities.jp/kogata79/hanazono/fukeisan3.jpg" target="_blank">http://www.geocities.jp/kogata79/hanazono/fukeisan3.jpg</a>
さて、何年か前、堺、高須神社近くの古物屋で色褪せたこの人形と再会した。値段は(値切って)一万円。悩みに悩んで買わなかったけど。そして、この古物屋も閉まってしまった(中年の店主、名も無き店で、市での販売が中心、その古びた店舗は元理髪店、倉庫兼用で、滅多に開かない店、とのことだった。僕は幸運にも三度店を訪れることができた。モーター系にも詳しく、店主はオート三輪で店に通っていた。非常な、というか恐らく病的なレベルでの話し好きで、淡々とした調子で二時間ぐらい絶え間なく喋り続けた)。
これよりレベルはぐっと下がるがもう一点。これは最近、会社へ通勤する際に見つけた。
ファッションブランド、マークジェイコブズの心斎橋店。僕はブランドについては皆目わからないが、この仮説のような看板、何となく雰囲気はわかる(少なくとも過剰に装飾的ではない、ぐらいですが)。そしてこの、取ってつけたような階段。わかりますわかります。それぞれの部品、その佇まい方に、共通性がある。まあ、だからこそのブランドなわけだが。
さて、この階段。もしやと思い、近づいてみると。
(本記事の画像をご参照)
いやはや。細すぎて実用的ではないとはいえ、一応階段かな、と思いきや。細いどころか、この構造では階段から折り返しができない。そして階段にも通路にも底がない。これもまた、立体であろうとしながら、その辻褄が合わぬ例。
まだまだあるでしょう、二・三次元物件。教えてください。<br /><a href='file/large/1388206372.jpg'><img src='file/thumb/1388206372.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1388206386.jpg'><img src='file/thumb/1388206386.jpg' alt='' /></a><br /><br />
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2013-10-05T17:13:14+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】銭湯で出会った、おばちゃんとの髪型の話
http://yosomi.jp/article.php?id=291
<h2>銭湯で出会った、おばちゃんとの髪型の話</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2013-10-06 02:13:14</p>「こんばんはー」
「こんばんは…(顔をのぞきこんで)あれ?髪型がちがうからわからなかったわ。」
「気づいたら、めっちゃのびました」
「わからんかったけど、声できづいたわ。それでも、髪型がころころ変えられる人ってすごいと思うわー。」
「なんでですか?」
「ワタシは洋服や口紅ならその日の気分で変えるけど、髪型はよう変えられない。」
「なんでですか?周りの目が気になるから?」
「だって、あたらしい髪型にしても、やっぱり気にいらなかったら、伸びるのに時間がかかるし、かつらをかぶるわけにはいかないでしょう?だから。」
わたしは外見をそこまで考えたことないから、なんかいいなーと思いました。あと、いつもお風呂で挨拶だけやった人が、自分の話をしてくれたのもちょっと嬉しかった。いつもは聞き取れなくて曖昧やのに、このときはなぜか、言葉もいつも以上に聞き取れたし不思議な感じでした。
コレ書いていて思い出したけど、前に標準語の脚本を大阪弁に翻訳して遊んでたら、ぜんぜん言葉がちがっておもしろかったよ。<br />
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2013-09-23T00:07:02+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】東郷池のしじみをいただいたので、しじみ汁にして食べた
http://yosomi.jp/article.php?id=290
<h2>東郷池のしじみをいただいたので、しじみ汁にして食べた</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2013-09-23 09:07:02</p>磯のかおり、しじみの栄養いっぱいありそうな濃厚なうまみ、めっちゃおいしい!毎日飲みたい!<br />
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2013-09-23T00:04:19+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】村川拓也「ツァイトゲイバー」を観た
http://yosomi.jp/article.php?id=289
<h2>村川拓也「ツァイトゲイバー」を観た</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2013-09-23 09:04:19</p>鳥取県の鹿野町を拠点にしているNPO法人鳥の劇場が、毎年開催している「鳥の演劇祭」は国内外の演劇が観るができて楽しい。パフォーマンスもあれば、劇、サーカスなどもあって、当日予約でもふらっと見れるのがよい。会場キャパもほどよくて、おいしいコーヒーが飲めるカフェがあったり、劇場のまわりにある静かな町家もいい。
村川拓也「ツァイトゲイバー」は、鳥の演劇祭パンフレットの中で、写真が演劇っぽくなかったので、気になっていた。村川さんの年齢も近いし。鳥の劇場で開かれる演劇は、古典だったり、パブリックなテーマが多いので、どこかマンネリしていたけれど、この「ツァイトゲイバー」は、それとは違うかもしれない、と期待をよせた。あんまり期待をもちすぎてもアレなんで、前情報も入れずに、予約もせずに会場にかけこんだ。
大きなキャパのある、鳥の劇場では開催されず、飲食店のフラットなスペースだった。膝下ぐらいの高さのステージが8m×8mぐらいあって、観客はそれにほぼ同じ高さで座る。ステージには、ピンクのパーカーとスピーカー、マイクだけがころがっていて、照明は上からあてられていて、ステージ内でしか、空間がないようにみえて、密室っぽい。観客は30名ぐらいの、まあまあな入り。主催者の挨拶がはじまってすぐに、演出家の村川さんから、「説明」と「お願い」がはじまった。
村川さんの説明によると、この演劇は、重度の身体障害をもっているフジイさんと介護ヘルパーのお話で、フジイさんは、目だけでしか自分の意思で動かすことはできない。この演劇は、介護ヘルパーさんとフジイさんの日常の出来事です。というもの。介護ヘルパーの役は、ふだんから介護ヘルパーをしている清水さんて人だそうだ。
村川さんのお願いは、1名役者が足りないので参加してほしいとのこと。一瞬みんなドキっとして、誰がやるの〜って雰囲気がでてたけど、声をだして質問した一人のおばちゃんが、「じゃあわたしが」と元気に挙手した。おばちゃんすごい根性や。次に村川さんが4つの約束をおばちゃんに言った。「目をあけておくこと」「体を楽に寝かせること」「下を向かないこと」「願いごとを3回演劇中に発すること」。この願いごとは、今ここで決めましょう。ということで、参加者が告げた「余生を健康にくらしたい」という言葉をみんなで共有する。
それでは、始めます。と合図があった後、照明が落ちて、ステージだけが浮かびあがる。参加者のおばちゃんは、ピンクのパーカーをきて、ステージ中央に目をあけて寝転がっている。介護ヘルパーの清水さんが登場し、参加者のおばちゃんを介護していく。目だけでしか会話できないので、基本一方的にヘルパーが目をみながら、お世話をする。たまに「何かありますか?」「それではいきますね、あ、か、さ、た、な、ナ行。な、に、ぬ、ね「ね」ですね。」といったように、機械的に、フジイさんの目をみて、言葉をきいていく。フジイさんの役をする参加者は、声をかけられるたびに、目だけでなく、首もうなずいてしまっていて、ヘルパーに声をかけられるたびに、首や顔で思いを表していたが、ヘルパー役の清水さんは、まるで見えてないかのように、実際のフジイさんとのやりとりを再現する。私たち観客は次第に、おばちゃんの表情はあまり気にしなくなり、ヘルパーの洗練された機械的行為(身振り)をみて、おばちゃんを通して、いるはずのないフジイさんの目を想像する。
終始、ヘルパーとフジイさんとの接触する様子をみていると、目だけで相手の思いをすくいあげないといけないし、相手はどこまで何を思っているかなんて、気にしたら、もう時間なんてあっというまに過ぎてしまう。わかんないことを保留しながら、前にものごとを進めていくんだけど、そのものごとは、車いすまで運ぶのにフジイさんを持ち上げることや、料理をいっしょにつくるのに、相手の好みやペース、わがままをきくことなど、普通に大変そうである。わからない相手に、物理的に接触するその感覚。大変な仕事だなーと、尊敬の気持ちさえ芽生えるし、いつかこの劇中ででもいいから、二人が通じ合う機会が生まれるといいな、と期待してしまう。
でも、見ている観客には、あとひとつ心残りがあった。参加者が「余生を健康にくらしたい」を3回言わないといけないことだ。このヘルパーと被介護者のディスコミュニケーションな空気の中で、それを言うことで、この劇がどんな変化をもたらすのだろう。もしかしたら、二人が通じ合うのかしら?など、ドキドキしながら観ていたけれど、参加者は、劇が終わるまで一言も発しなかった。ただただつながらない二人のやりとりをみて、すっきりしないままに公演が終わった。
照明が消えて、拍手があがり、参加者がコメントした。「発するタイミングがわからなかった、説明不足じゃない?」と演出家に問うが、「演劇中、どのタイミングでもいい。」という説明を受けていたのは観客のわたしたちも知っていたので、その言い分が違うことは確かなんだけど、参加者のおばちゃんの気持ちもわからなくはない。観客のわたしたちは、今日、たまたま見にきて参加した、おばちゃんの達成感のないやりきれない思いに共感しつつも、観客として目撃し、被介護者のフジイさんの目つきを想像した。フジイさんは、ヘルパーさんは、どんな気持ちなんだろう。ヘルパー役の人は登場せずに、淡々と質問に答える演出家の話をききながら、想像の続きは、答え合わせできずに観客の中に残された。
久しぶりにもやもやできる作品で私は大満足。村川さんの話を聞くと、作品に対して全然ちがうこと考えてたりして、もう一回みても楽しめそうな、映画的ともいえる。もともと村川さんが、ドキュメンタリー映画も作品にしていた経験があったり、創作するよりもドキュメント手法を好んでいるあたりが、現場好きな私にとっては共感しやすかったのかもしれない。
言葉で書いても、全然書ききれない思いがあるので、ぜひ機会あるときは観にいってみてください。「KYOTO EXPERIMENT 2013」のフリンジ企画で参加されてます。<a href="http://kyoto-ex.jp/" target="_blank">http://kyoto-ex.jp/</a>
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2013-07-24T12:15:12+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩、永田芳子、藤井菜摘
【連載記事】アメ村へ行ってきた
http://yosomi.jp/article.php?id=286
<h2>アメ村へ行ってきた</h2><p class='author'>永田芳子 / 2013-07-24 21:15:12</p>6月21日、心斎橋・アメリカ村を少し歩きました。約40分収録。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1374668032.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2013-07-22T22:40:03+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】水郷祭をみた
http://yosomi.jp/article.php?id=285
<h2>水郷祭をみた</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2013-07-23 07:40:03</p>この町の昔からある夏祭りが水郷祭。今年で3回目。毎年おなじように水郷祭が開催される前、およそ1ヶ月間ぐらいは、花火の準備で男たちがあわただしく、女たちは、灯籠の準備とか、当日くるお客さんの準備とかで、忙しそう。同じ町にいる自分でさえ、どこかそわそわしている。当日は、屋台を出そうとたくらみつつも、あんまりしんどいのは嫌だから適当にしてたけど、みんなの様子をみてると、なんだか、気持ちが騒がしくなる。
水郷祭に対するみんなの浮き足立った雰囲気、町の人が一気に外にでてること、ふだん誰も通らない道が混んでること、みかけない顔をお互い確認して、話をする様子、久しぶりの再会など、ぜんぶ、水郷祭のせいだと思うと、祭りってのはものすごいエネルギーを発してるように思う。一日中、祭りの準備したり、だらだらしたりしてたけど、祭りの様子をみてるだけで、えらい疲れて、一気に夏がはじまった気持ちになる。
フィナーレになる水郷祭の打ち上げ花火は、ものすごい大きくて、距離も近い。毎年みてるのに、毎年感動する。花火が立体でできていることを確認してる。まばたきする間もなくて、ただただ目に焼き付けるみたいに、くいついてみいてる。いろんなカタチの花火があがる中で、心が踊るときは、みんな同じで、こどもがはしゃいだり、大人が思わず声をもらす。最後にみんなで拍手する。今年はともだちが水郷祭の花火の準備にかかわってるので、あの花火の下あたりで、作業着をきたともだちがいることを想う。県内のともだちも遊びにきてた。大阪からきた人もいて、知ってる人が、いろんな場所から、この花火をみてることを想像する。それでも、この花火を知らない人はたくさんいて。この花火がここに毎年あるってことを、知ってることが重要だから、来年はちゃんと準備してお知らせしようと、遠くの人を想った。<br />
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2013-07-14T12:19:51+09:00
http://yosomi.jp/
櫨畑敦子、藤井菜摘、米子匡司
【チケットパーティー!】余所見0号発行記念〜チケットパーティー!〜
http://yosomi.jp/article.php?id=284
<h2>余所見0号発行記念〜チケットパーティー!〜</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2013-07-14 21:19:51</p>余所見0号の発行を記念して開催したチケットパーティーの模様を録音しました。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1373804359.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2013-05-22T12:10:13+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人、永田芳子
【連載記事】〈初音階段・大阪ライブ!〉を見てきた
http://yosomi.jp/article.php?id=281
<h2>〈初音階段・大阪ライブ!〉を見てきた</h2><p class='author'>永田芳子 / 2013-05-22 21:10:13</p>5月11日、難波ベアーズでライブを見ました。
出演:白波多カミンバンド/Kishidashin/初音階段
いずれの出演者についても不案内な二名による感想などです。約30分収録。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1369229596.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br /><a href='file/large/1369228946.JPG'><img src='file/thumb/1369228946.JPG' alt='' /></a><br />,<br />
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2013-05-21T15:27:03+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】よく検索するキーワード
http://yosomi.jp/article.php?id=280
<h2>よく検索するキーワード</h2><p class='author'>中島彩 / 2013-05-22 00:27:03</p>私の名前は「中島彩」と書きます。本名です。
あれは確か大学一年生のとき、初めて同じ名前の人を見つけました。本屋ででした。中島彩ちゃん。年齢は一緒で、出身地も近い。
女性ファッション誌を立ち読みしていて、彼女は読者モデルとして紙面に登場していました。
コギャルを卒業して神戸の大学に通ってて、コンサバ系女子大生になろうとしているけれど、茶髪細眉、ギャルっぽさが抜けない格好のスナップで写っていました。
初めて見かけて以来、その雑誌は時折チェックしています。中島彩ちゃんはこの10年、あくまで読者モデルという立場ですが、雑誌に登場し続けています。
「aya's diary -あやのまいにち-」というブログもやっています。彼女はこの10年程で、結婚して出産もしました。ブログではファッションの話だけじゃなく、主婦目線、ママ目線での日々のことも書いています。ギャルっぽさはずいぶん抜けて、ナチャラルな雰囲気に落ち着いています。
アナウンサーの中島彩さんもいます。
年齢は私よりちょっと若いけれど、これまた出身地は大阪です。
マラソンがたいそう好きらしく、数々の大会に参加されています。
この彩さんもブログをやっています。「走ろう!彩と」。
私はときどき、「あやのまいにち」や「走ろう!彩と」を読んでいます。読者モデルの彩ちゃんが、「今度新しく雑誌に紹介してもらえることになりました」とか、アナウンサーの彩さんが「マラソン完走しました」みたいなことを書いてると、ちょっと嬉しい。
「中島彩2ちゃん」も見ます。
「ブスじゃん?」とか書かれてることもあって、そのときは悲しい。
ウェブで自分の名前を検索して、評判や自分に関連した話題を見てみることを「エゴ検索」というらしいですが、私はこのエゴ検索をしてみようとしてもうまくできません。たいがい前述の雑誌やテレビに登場する中島彩さんたちの情報が検索上位にあがるからです。他にも音楽家や大学教授や、たくさんの中島彩さんがいます。友達になれそうな人もいれば苦手そうな人もいます。でもときどき「中島彩」検索をします。
そんなことをしていると、私は「中島彩」のひとりとして生きているような気がしてきます。私は最近いまいちだけど、別の中島彩はいい感じみたいやから、総合的にはいいかとか、叩かれてる中島彩を見つけては、自分の咎を背負ってもらって悪いなあと思ったり。
だからやっぱりこれは「エゴ検索」といえるんじゃないかしら。しかもその自我は広がりがあって、全部を自分で背負わなくてよかったりする。
何とも気楽で楽しいエゴ検索です。
そんなわけで、珍しい名前の人とか、名を知られていて自分が検索トップにきてしまう人は、ちょっとかわいそうな気がしています。そういう人はそういう人なりのエゴ検索の楽しみがあるのだろうけど。
でも名前という、大概の人が自分の意思に関わらず先天的に与えられるもので、ささやかな「検索」の楽しみ(もしくは悲しみ)が左右されるなんて、ちょっとね。
なんせよ私は「エゴ検索」における自分の名前は気に入っています。父さん母さんご先祖様、ありがとう。
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2013-05-16T14:41:32+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】俑と明器、あれは。
http://yosomi.jp/article.php?id=278
<h2>俑と明器、あれは。</h2><p class='author'>中島彩 / 2013-05-16 23:41:32</p>世間にはいくつも美術館や博物館があって、メジャーなものからマニアックなものまで、私はその一握りも見てないのだけど、僭越ながら好きなところをあげさせていただくと、大阪市立東洋陶磁美術館は素敵だ。
それはもう展示台の高さとか、照明の明度どか、自分の姿が映り込まないガラスとか、逐一きゅんとなるんだけど、企画展示とか所蔵品とかもわりかしきゅんきゅんさせられることが多い。
で、最近見たのに中国古代の俑と明器の特集展があって、これまたきゅんとさせられた。
こんな陶器。
丸い柵の中に豚が一匹いて、その柵に半分乗っかかるような形で小屋が建っていて、その小屋の床に穴があいてる。
そうこれは豚トイレです。
上の小屋で人がした排泄物がそのまま穴から落ちて、下にいる豚が食べるという仕組み。この仕組みのトイレは現代でも田舎の方ではまだ存在してるとか。
このトイレ、なんか強いなと前から気になってて。
子どものころ、おじいちゃんちのボットン便所がすごく怖くて、時々夢に見たんだけど、これってボットンなだけじゃなくて、穴の下に豚たちがいてぱくぱく口を開けてるって、ほんと小さい子どもからしたら悪夢だろうなと。
そのトイレが陶器になってる。
しかも明器として。
(明器というのは、位の高い人が埋葬される時に死後の生活の道具として一緒に埋葬される物です。兵馬俑が有名ですが、俑は人型のもの、明器は道具を指します。)
うわあ、この明器をつくらせた人って、死後の世界でもトイレを使うことを想像したんだなと、そこまで死後の世界をリアルに考えられるって、どういう生き方をしてたんだろうと、
一.今、生きているのが楽しい。死んでもこの人生を続けたい。
一.今、生きてるのがつらい。死んでから充実した人生を送るぞ。
想像は膨らみます。
それからそれからこの陶器、緑釉猪圏(りょくゆうちょけん)と名付けられてるのだけど、英訳はpigsty(豚小屋)となってて、ニュアンスのずれが多分にあります。
これは他の陶器にも陶器以外の物にも言えることだけど、物そのもの、作られた国の言語でのタイトル、こちらの言語で訳されたタイトルと、ニアイコールどころか連想ゲームぐらい違う物になっていっているように思います。
器は鑑賞品でもあり道具でもあるから、ずれがひときわ大きくなるんでしょうか。
そんなことを考えた。以上、展覧会レポートでした。<br />
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2013-05-16T13:39:50+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】メールするからメールしてね、にメールした。
http://yosomi.jp/article.php?id=277
<h2>メールするからメールしてね、にメールした。</h2><p class='author'>中島彩 / 2013-05-16 22:39:50</p>ゴールデンウィークの間、ほぼ日に「メールするからメールしてね」という企画があがっていて、それはあるメールアドレスにメールするともれなくメールが返ってくるというものだった。こちらから送る内容は問われてなくて、空メールでもいい。向こうからは事前に用意されたメールっぽい文章が、600通りの中からランダムに選ばれて一通送られてくる。
会話としては成り立ってないし、こちらが送った内容を読んでもらえてるのかもわからない。
返事はわりかしすぐ来るので、自動プログラムが組まれてるのだろう。
でもこれはなんかいいなと思って、連休の間頻繁にメールを送っては返ってきたメールを読んでいた。
連休って、ありがたいときもあるし、迷惑なときもある。
今年の連休は私には迷惑で、というのも何かする気力もないし、お金もないし、バイトも勤務希望を出したけどシフト入れなくて、友達もいないし。いい天気で時間はたっぷりあるのにどう過ごしていいかわからない、イケテナイ感じ。
そんなときに「メールするからメールしてね」は、きっと日本中に同じように暇を持て余してるゴールデンウィークの波に乗れなかったイケテナイひとびとの存在を想起させられて、まあ嬉しかった。
でまあ、そこまででもよかったんだけど。
ゴールデンウィークが終わって翌日、連休明けの初仕事の日。
ああ今日からやっと戻れる、お陰で自分がイケテナイことを実感する時間が少し減るんだとほっとする反面、結局何もせずぼんやりと金ぴかなウィークを流してしまった悔しさとか、もういっそこのまま寝てたろか一生みたいな気持ちとか、そんなこんなうすらぼんやりと出勤前の空白を過ごしながらほぼ日を開けると、「ゴールデンウィークは終わったけど、おまけの一日」と、「メールするからメールしてね」がトップページに残ってるのを見つけた時の、この嬉しさと言ったら。
※ほぼ日…ほぼ日刊イトイ新聞の略
<a href="http://www.1101.com/home.html" target="_blank">http://www.1101.com/home.html</a>
「メールするからメールしてね」の企画ページはほぼ日コンテンツ一覧から見れるよ。
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2013-05-16T11:45:53+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】見て、どきっとしたもの、うちから半径1km圏内のできごと
http://yosomi.jp/article.php?id=276
<h2>見て、どきっとしたもの、うちから半径1km圏内のできごと</h2><p class='author'>中島彩 / 2013-05-16 20:45:53</p>どちらとも、今日、自転車10分の通勤途中で見たものです。
一.公園でベンチに座りハーモニカを拭くおばあさん。隣にその伴侶らしきおじいさんがいる。後ろに制服姿の小学生たちが5人くらい。曲は夕焼けこやけ。
二.熱帯魚屋の店長が店の前の植木鉢の土を掘り返して、金魚3匹を埋めているところ。
どちらとも、すごく自然に行われている光景だったんだけど、なんだか違和感があって、間違い探しみたいに何が気にかかるのか考えてみたけど、答えはまだでていません。<br />
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2013-05-01T15:05:30+09:00
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藤井菜摘
【連載記事】めためたドロップスと短歌男子
http://yosomi.jp/article.php?id=275
<h2>めためたドロップスと短歌男子</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2013-05-02 00:05:30</p>文学フリマというのが4月の半ばに大阪で開催されて、私は行けなかったのだけど、ツイッターなんかで見てるととても盛況だったようで、参加できなくて残念。数日後、出店していたというお友達から「めためたドロップス」という冊子を頂いた。私がこの冊子をもらったのは、迫り来る納期にむけてひたすらにミシンを踏んでいた時だった。なんとなく、その柔らかい感じとセンシティブさが不思議とその時の私の癒しになったようで、ミシンの横に置いて作業の途中途中で手に取って開いた。
女の子ばっかりで作った短歌の冊子。レトロ印刷の蛍光ピンクや黄色やブルーと、小さなイラストたち。それと「めためたドロップス」というタイトルでその冊子がどういうものなのかなんとなく分かるような、女の子な佇まいに仕上がっている。各筆者の扉にある小さなイラストは、陸奥A子を思い出させた。
センシティブな感覚は、多分どれだけ言葉にしようと思っても変換しきれないものなのかなと思った。ここに書かれた短歌やエッセイはなにかそういうものをアウトプットしているんだけど、でもやっぱり言葉はそれのまわりをやんわりと包むような状態でそこにあって。それの周りをなぞることでなんとかその存在を確認させるような。そのなぞり方がとても「女の子」。言葉の組み合わせでそうなっているものもあれば、例えば、「なに」ではなくて「なあに」だったり、「窮屈」ではなくて「きゅうくつ」だったり「テモテモ」だったり、ひらがな一文字単位のイデアとでもいうかなんかそういったものからでも女の子的な要素を引き出していて、それは女の子が書いたからそうなってしまうのか、それともデザインや「女の子」というくくりがそうさせてるのか何にしろその全体のまとまりがとても良くできていて。
そのまとまりの話でいえば、この本を持ってきた彼女の振る舞いにも現れていた。文学フリマの数日後に突然やってきて、「前に、約束をキャンセルしてしまったので、お詫びにこの冊子を渡したくて。これを口実に来てしまいました。」と言ったそのセリフ。そのあと、彼女の仕事の時間まで少しガールズトークのような話をしていたのだけど、その感じ。読んでから振り返ると、この冊子の導入的なやりとりに思えて、それも含めてなんていうか、良くできている。
内容は特に恋愛のことばかり書いてあるわけでもないし、限られた言葉での表現だから抽象的なものも多いんだけど、読んでいる感覚は恋愛ものの少女漫画を読んでいる感じに近くて。感情移入、同調、共感、といったことが起こっているからだと思うんだけど、それは恋愛漫画ほど具体的なディティールでなくて、全体として「女の子」な部分で起こっている感じがして、これは男の子が読むとどういう感じがするんだろう。
と、いうふうに「めためたドロップス」についての感想を書いていたら、また彼女に会う機会があって、今度は「短歌男子」という本を貸してもらった。その本を読むと、また別の視点から「女の子」について浮かび上がって来て面白い。そして「短歌男子」も面白い。
「短歌男子」は男の子、というか男性ばかりで作られた短歌の本。女の子、男子、男の子、男性、語感の違いに言及するのはめんどうだけど、なんとなくしっくりくるほうで書いてます。こっちの本がおもしろいのは、各筆者ごとにグラビアがついていて、筆者のビジュアルがわかるようになっているところ。もうなんか、「男子」というくくりや、本人の顔まで見てしまうとぜんぜんフラットに短歌を読めなくて。でも逆にいうと、何かを見るとき、作者の情報が先にありきで作品を見るのは別に特別なことでもないので、それはそれでいいのか。そう思うと、短歌は今まで作者を知って読んだことってあまりなくて、なんていうか自分のなかで匿名性の高いものだったんだなと思った。
「めためたドロップス」を読んで読む前の予想と少し違った点がいくつかあって。そのうちの1つに、なんていうか、ポエム的なものに特有の恥ずかしさみたいな感じをもっと感じるんじゃないかと思っていたんだけど、それは読んでみるとあまり感じなくて。センシティブさとポエミーな感じとはギリギリのところで近い位置にあるのかもしれないけど、そういう心の動きは実際に起こっているから外に出すまではそれ自体はまだただそれとしてあるだけのはずで、あとはそれをどういうふうにアウトプットするかなんだろうけど、そのときにポエミーにならないようにかつセンシティブな部分を表現するのは、ちょっと難しそうだなと思った。
逆に、「短歌男子」についてはなんていうか読んでてちょっとお腹の上がこちょこちょする感じというか上あごがすっぱくなる感じというか、上に書いたポエミーな感じを少し受けて、でもそれは書かれていることがそうっていうよりも男子が書いてて、読む私が女子だからかもしれないと、そこで思って。それでいくと、「めためたドロップス」に対して感じたセンシティブだけどポエミーじゃない感じって結局同調によるフィルターがかかっているからなんだろうか。それとも、男子がそういうものを書くことへの抵抗感ていうか、私の中の許さなさみたいなことなんだろうか。
「めためたドロップス」を読んでいるときのシンクロ感と「短歌男子」を読んでいるときの俯瞰した感じは比較するととても面白くて、それはそのまま私の男性に対するわからなさとか、その手前の女の子と男の子は別のものだという思い込みだとかがそのまま反映されている気がして。もしこの二冊の中にある短歌をシャッフルしてフラットに読んだら「女の子」とか「男子」とかいうくくりがもたらす作用は感じられなかったかったかもしれなくて、そういうふうにまとめられた二冊を同時に読むのはとても面白かったです。
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2013-04-04T17:23:11+09:00
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蛇谷りえ
【連載記事】サバイバルゲームにいってきた
http://yosomi.jp/article.php?id=274
<h2>サバイバルゲームにいってきた</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2013-04-05 02:23:11</p>サバイバルゲームにいってきた。というよりは、サバイバルゲームをプレイするためにいってきた。という方が正しい。
きっかけは、私の弟が昨年冬に高校受験で心が折れかけていたので、何か目標みたいなものを用意しようと、「何かやってみたいことがあれば叶えるよー」と大きなことを発言したことが始まりだった。弟はすぐに、ここへいきたい。とURLをチャットで送信してきて、情報収集のレベルの違いに圧倒されながらも、「わかった。」と強気で返事をした。しかしながら、サバイバルゲームなんて、やったことなんてほとんどないし、もはやびびって苦手な方だし、どうしようかな、ともじもじしてたら、昔に揚々とゲームセンターでサバイバルゲームをやってた米子くんを思い出して、米子氏に声をかけた。こころよくいっしょに遊んでくれることが決まって、弟と米子くんの日程を早々に調整して、あっというまに前日がきた。
だけど、遊ぶ人数が私と弟二人と米子くんと、4人は少ないかなーと思って、とっさにいろんな人に電話をしてみるが、友達はみんな忙しそうで、紹介をしてもらう。知らない名前がいくつかあがって、時代は移りかわっていることになんだか転校生気分を味わう。
最後の切り札、yosomiのメーリングリストにも前日だけど、一か八か流そう!と張り切って夜にメールを作成したのに、肝心な送信ボタンを押さずに、他の仕事がまいこんできて当日を迎えた。あんなに文章打ち込んだのに。。涙。
当日のお昼、メールを送ったと思い込みながら誰かを待ってみるが、連絡は来ず、弟二人と、米子くんと、いっしょに高橋くんという人が来てくれた。ひょろっとした背の高い人。という印象。弟たちはすぐに米子くんと高橋くんと仲良くなって、5人で会場に向かった。
トラブルがあって、一件目のサバイバルゲームフィールドには入る事ができず、高校生になる弟のテンションは駄々落ち。中学生になる弟はその姿をみて笑いをこらえてる。期待をふくらませておいて、そりゃないわなーと自分の準備不足に愕然として、おろおろしてたら、米子くんと高橋くんが他のサバイバルゲームフィールドを探してくれて、予定を大幅に変更して、場所を移動する。高校生になる弟にちくちく言われながらも、目をみて話をして作戦をたてる。落ち込みながらもちゃんと前を向いて歩いていて、随分大人になったもんだと感心しつつ、次はうまくいきますようにと会場に向かう。
心配はなんてことなく、クリアになって、ようやくサバイバルフィールドの説明を受ける。弟はみたことない生き生きした姿をしてる。すると、後ろから、「僕も参加させてもらっていいですか」と黒い格好をしたお兄さんが近づいてきた。「いいですよ」と即答して、これからはいるサバイバルゲームの会場が、貸し切りではなくて、参加者合同でプレイすることを理解する。
お兄さんは、スラッとした体系で黒い髪の毛を一つくくりにして、黒い帽子をかぶって、黒いパーカー、黒いカーゴパンツをブーツインしてる。特に目がくりっとしてて、きらきらしてて、マユゲが太くて、全体のバランスがよくてかっこいい。なんだか余裕があって、私たちにサバイバルゲームをインストラクターのお兄さんみたいにレクチャーしてくれた。何歳ぐらいなのか、さっぱりわからない。
あっというまに説明が終わって、さっそく会場へ。(説明が短いのも素敵!)会場の中は、真っ黒のコンパネでしきられた迷路みたいになっていて、広さは教室の1.5倍ぐらい。窓はなくて、うす暗い。赤チームと黄色チームの3人3人にわかれて、チーム戦。相手チームを打ってヒットさせたら終わり。コートチェンジをしてまた打ち合う。この繰り返し。コイン制になっていて、制限時間10分間が1タームとなって、1コインが必要になる。このコインを3枚、5枚、10枚と販売している。よくできたシステム。10分ごとに休憩ができるので、ちょっとした緊張感をほぐすのにちょうどいいし、まるで短距離走のトレーニングみたいだった。
回を重ねていくうちに、黒いかっこいいお兄さんの身振りをみながら、なるほどなるほどと学んでいく。弟たちは、のぼってみたかったダクトらしいところにいったり、ゲームの主人公みたいになりきっていたり、楽しそう。黒いかっこいいお兄さんは、暗闇に隠れて、不意を狙って打ってきたりして、始まってすぐにヒットする。そんなときは思わず「う!」と死んだ気持ちになった。あの気配の消し方はやばい。米子くんもたいがいやったけど。高橋くんは、背が高いのもあって、ひょこひょこ姿が見え隠れするんだけど、どこか堂々としてて、人の性格を感じた。
全部で4タームやって、日が暮れたので終わりにした。体はいい感じにだるくなった。弟たちは、駅の柱や壁など、それらしきものを見つけては空気で打ち合いが始まった。拳銃もって人をやっつけるのは、一見ハードな遊びだけど、空き家とか、町の空間を、ものの見方や身体が捉え直して振る舞う感じは、町なかでやる缶けりにも似ていて、おもしろかった。
「ヒマがあったら、またやりましょう」と次の日に弟からメールがきた。黒いお兄さん曰く、はまった人は何百万も費やす世界らしいけど、はまりはしないけど、また忘れたころにいけたらいいな。今度こそ、みんなも誘って。
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2013-04-04T12:51:31+09:00
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藤井菜摘
【連載記事】声をかけてくる人
http://yosomi.jp/article.php?id=273
<h2>声をかけてくる人</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2013-04-04 21:51:31</p>街を歩いているとき、時々人から声をかけられます。
今日は、心斎橋から大国町の自宅まで歩いている途中で50歳くらいのおじさんにナンパされました。「パチンコで勝ったからお茶おごらせて」と声をかけられて、余所見に書くネタなんかになるかなと思ってついていってみました。私は実年齢より若く見られるほうで、おじさんも私が18,19歳くらいだと思ったみたいです。「君みたいなおとなしそうな子が好きやねん。今どきぽい子はあかんねん。」と言われました。その日は、ちょうどおじさんの前に、美容師さんに髪を切らせてほしいと声をかけられたとこで、なんかこう、時代遅れなあか抜けない空気をかもしながら歩いてたんやなと思いました。おじさんは、さして面白いとこが出てくるふうでもなく「変な事せえへんから、また遊ぼ?」とか言ってくるので丁重にお断りして、遊ぶって何して遊ぶんやろ、とか怖くて聞けなかったんやけど、コーヒー1杯だけごちそうになってお別れしました。
道を聞かれるのもよくあります。自転車に乗ってても聞かれる。外国人にも聞かれる。酔っぱらいにも絡まれる。ニラ持って立ってたら「今日はニラレバ?!」ってからまれた。すれ違い様にかけ声をかけられるなんてのもよくある。深夜に千日前の坂を自転車で上ってるときバイクで追いかけられたときはすごく怖かったです。坂の途中からカナディアンのとこらへんまで着いて来た。ジュンク堂で雑誌を立ち読みしてたときは、隣の人に、「今日、遠くから来る友達をご飯につれて行かないといけないんですけど、どこかいい店しりませんか?」って聞かれました。ていうか、目の前にmeetsあるやん!なんとなく思いつく店を教えておきました。でも確かにミナミはチェーンばっかりなんよね。
カニ道楽本店の前まで連れて行ってあげたあの御夫人が実は大金持ちの奥様で、あなたのような素敵なお嬢さんをぜひうちの嫁に!なんて展開を期待するってのは多少なきにしもあらずなんやけど、そういうのがなかったとしても、街中で知らない人に声をかけられるのは悪い気はしないです。それが、酔っぱらいでもキャッチでも。一期一会的な楽しさがあります。<br />
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2013-03-31T05:21:40+09:00
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櫨畑敦子
【連載記事】さようなら、NSC道場
http://yosomi.jp/article.php?id=272
<h2>さようなら、NSC道場</h2><p class='author'>櫨畑敦子 / 2013-03-31 14:21:40</p>余所見のサイトに「NSC道場を見た」という音声記事が上がってから長い時間が経過しようとしている。
書こう書こうと思いつつも、あっという間に今日という日を迎えてしまった。
さて、タイトルにもあるようにNSC道場というイベントが先日終わってしまった。
このイベントはNSC(ニュースタークリエーションという吉本興業のお笑い芸人養成所)卒業後3年以内のお笑い芸人の活躍の場として設けられている。
毎回70組近い演者が立て続けに2分以内の持ちネタを繰り広げるという、見ているほうもなかなかに疲れるイベントである。
わたしが行き始めたきっかけは32期生という枠組みで入ったメンバーの現役生の友人ができたからである。
チケットは買取制で会社から持たされているものなので、彼らからチケットを買って通っていた。
いつものように立て続けにそれぞれがネタを披露する。ピンにコンビにトリオ、漫才にコント。
途中にMCが入るものの、3時間ほどぶっ続けでやる。最終回だからか、お客さんはものすごい数だった。
友人や身内の人も来ているのであろう、みな楽しそうに観覧している。
ここまでは普段どおり観覧していたのだった。最後の演者の出番が終了したときにMCの人が全員を舞台に集合させた。
ずらっと舞台上に並んだメンバーを見て胸がつまった。
最近単独ライブをやったコンビに、TVにもひんぱんに出ているコンビ。
売れてはいないけどどんどん面白くなるコンビに、解散して新しいメンバーでがんばるコンビ。
卒業して3年になるのか…。舞台の上の彼ら以外にもいろいろな人のことが思い出される。
スッパリと芸人を辞めた人に、吉本興業を出て移籍した人。東京に出て落語家の弟子入りをした人に、解散した奇跡の漫才師。
他にもこの舞台に出ていない元32期生がたくさんいる。亡くなった人も知る限り2人いる。
人生はいろいろだ。浮いたり沈んだり、の繰り返しなんだろう。
わたしもこの3年間いろいろあったが、この人たちと出会えて心から良かったと思っている。
誰かを応援できるのは、とてもうれしい。<br />
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2013-03-28T09:11:19+09:00
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米子匡司
【連載記事】おかえりなさい、うた/暗闇/ブラインドサッカー
http://yosomi.jp/article.php?id=271
<h2>おかえりなさい、うた/暗闇/ブラインドサッカー</h2><p class='author'>米子匡司 / 2013-03-28 18:11:19</p> 長堀通りと松屋町の交差するところから、ちょっと北に入った辺りのepocというイベントスペースにて、生西康典さんの『おかえりなさい、うた』という作品の上演がある、というお知らせをくれた方がいて。
説明によると、以前に別の場所で公開された照明と音の上映作品の再演、ということだったんだけど、今回の上映では照明はポジティブには働いていなくて。というか、ずっと真っ暗で。
部屋は完全に外光を閉ざしていて、足下に薄暗くデスクライト程度の照明が並んでいるほかには明かりはなくて、そのライトも本編がはじまると同時に消灯してしまった。
20席ほどの客席が並んだ空間に、5.1chに設置したスピーカーから物語り的な言葉と歌が流れていて、耳に聴こえるもの以外は何もない状態なので、音の鳴る位置と、その内容と、言葉の意味への意識が高まる。多くのテキストは2人以上の人間のやりとりで、物語性があり、視覚のない中で言葉を追っていると、「海」と言われたら目の前に海が浮かぶような状態になってしまって、言葉を追い続けるのに体力が必要で。後半は言葉はできるだけ意味を捕まえないようにして、音楽を聴いていた。音楽的パートにも、山川冬樹のホーミーだったり、吉田アミのハウリングボイス(久しぶりに聴いて新鮮だった)だったり、声に比重を置いていて。
目を開けても閉じても変わらないような真っ暗って、僕の生活の中にはなかなか無いものなので、暗闇はいつでも新鮮で、暗闇ということで言うと『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』って催しがあるけれど、入場料が高いみたいなので一度も行ったことはないんだけど、行ってみたいなとはいつも思ってて。
『ダイアログ〜』は、真っ暗闇の中を視覚障害の方にアテンドしてもらって進んでいくと、そこで何かが起こるらしい、ということ以外は何も知らないんだけど、それだけの事で持ち得る興味というのは、暗闇の希少さに根ざしたものだろうので、それはどうも面白いところのある事実なように思います。
暗闇と視覚障害者というと、以前に室内でのブラインドサッカー(ボールに鈴を仕込んだりして、音を目印に行うサッカー)の練習を見た事があって、ブラインドサッカーは本来屋外で行うものだけど、その時はちょっとした事で室内で練習を行っていて。
彼らは(さすがに走っている間は無理だそうだけど)歩いている分には自分の足音の反響の変化で、目の前に現れた柱を聞き分けて理解する事ができて。僕も彼らの真似をして歩いてみて、彼らのようにはうまくできなかったんだけど、そういう空間認識ははじめての体験で。
暗闇の中での、聴覚以外に何もない中での音って、とても空間的な体験で。
『おかえりなさい、うた』の『うた』という言葉はどうも、いつもどこまでも遠くまで包括しようとするので、苦手な部類なので置いておくとして、今回の公演の主体だった暗闇の中での音というのは単純だけど力強くて、短時間で気持ちの切り替わるような体験でした。
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2013-02-26T08:20:06+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【連載記事】毛やヒゲ
http://yosomi.jp/article.php?id=270
<h2>毛やヒゲ</h2><p class='author'>永田芳子 / 2013-02-26 17:20:06</p>行きがかりじょう、というやつで、ホステスの仮装をしたことがあった。どぎつい厚化粧に肩もあらわな真紅のドレス、源氏名は「アケミ」。普段の服装とかけ離れすぎていて、似合う・似合わない以前にわけがわからない。傍目に面白いのかどうかの見当もつかない。色々考えだしたらくじけそうになったので判断を停止し、その場はニッコリしてしのいだ。
この寒い中で時々思い出すのは、そのとき使ったヅラのことだ。なんというか、『ガラスの仮面』の登場人物・月影先生のような、長い黒髪のをかぶったのだが、あれはなかなか新鮮だった。
私は人生の大半をショートカットで過ごしているので、髪の毛が背中を覆う感触や、風にあおられて頬にかかる感じというのに、もはやなじみが無い。かぶっている間、案外重たいんだな、でも首がぬくくて冬場なら悪くないかも。たまにはワサワサさせてみるもんだな、うざったいけど。などと思っていた。
頭部の毛、といえばこんなこともあった。女友達と長電話をしていたときだ。「もしさー、一週間だけ男の人になったらどうする?」と聞かれた。どうしよう。カラオケへ行こうかな。その前に、出かけるにしても手持ちの服が入らないかも知れない。肩とかキチキチになるのでは。通販か。いや、そもそも背が伸びたりするのだろうか。どこから手をつけりゃいいんだと悩んでいたら、相手がこう言った。
「あたし、ヒゲたくわえようと思うねん」。
これには虚を突かれた。なるほど、それなら元手もかからないし、個人差を考慮しても一週間あればそれなりだろう。家に閉じこもっていても裸族でもOK。いいところに目を付けた。
電話の後、黒い画用紙が余っていたので、ヒゲの形をいくつか作って顔に貼ってみた。別段欲しくはないが「ヒゲ女」自体は、クレメンチーヌ・デュレほか、事例があるので他人事とは言い切れない。が、やっぱり変。見慣れないからか。紙だからか。
実際どんなもんだろうと思って、ヒゲをたっぷり伸ばしている知人ができる度に、触らせてもらった。いずれも髪の毛よりはるかにごわっごわで面白かった。
さて現在。一応女の人なので、髪を長く伸ばしても、そうあれこれ言われない立場ではあるが、結ったりなんだりするのが面倒で短髪を通している。シェーバーの世話にもなっていない。
頭→男の人寄り・あご→女の人寄りということで、頭部の体感としてはどっちつかずな暮らしとでも呼ぼうか。長髪でヒゲぼうぼうの人、どちらも剃っている人は、日ごろどんな感覚を得ているんだろう。風が吹いたときは。水に濡れたときは。まったく迷宮入りなのだった。
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2013-02-20T15:53:04+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】害のない嘘
http://yosomi.jp/article.php?id=269
<h2>害のない嘘</h2><p class='author'>中島彩 / 2013-02-21 00:53:04</p> だいぶ前に読んだのですが、害のない嘘という言葉がでてくるエッセイがあって、村上春樹が書いているのだけど、それはこんな話だった。出版社が特定した本ではなく、村上自身が選んで、なにか書評を書いてくれ、と頼まれ書かなくてはならないのだが、面白いと思う本がそのときなかったか、忙しくて新しく出版された本を読む暇がなかったかで、筆が進まない。そこで村上は架空の作家と小説をでっちあげ、その小説についての書評を書いた。多少厳しく評価したとしても、実際にはその小説も作家も存在しないわけだから、誰も傷つかない。害のない嘘。
エッセイはまだ続きがあったのだけど、さておき、この余所見という雑誌は、見たり聞いたりしたこと、それについて考えたことを集めているもののはずだけど、ほんとにそれを見たか聞いたかを検証するシステムはない。でもそれを検証しなくてはならない必要もない。というのは、見たり聞いたりした対象そのものより、どういうものを見たり聞いたりする人がいるのか、その人たちはそれについてどういう風に考える人なのか、があらわれてくることが、たぶん、この雑誌にとって重要だからだ。だったら、見たり聞いたりしたこととして、余所見に書かれることはほんとに起こった出来事でなければならない理由はないはず。
そんなことを考えて、これまでの記事を見ると、「これは作り話なんじゃないか」と思えなくもない記事がいくつか。あからさまに作り話っぽく読めるものもあれば、これが作り話だとしたら、この人はなかなか達者な嘘つきだなと思えるものまで。さあ、嘘つきはだれだ。
というようなことをいちど書いてみたら、今後、余所見を読むひとが「ひょっとしてこれは嘘なんじゃないか」と思ったり、余所見を書くひとが「見に行ってないけど見に行ったつもりで書いてみよう」と画策したり、そんな風に作用したら面白いなと思ったんですが、どうでしょう。
害になりうる記事でした。<br />
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2013-02-02T02:38:55+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】物がごみになるとき
http://yosomi.jp/article.php?id=267
<h2>物がごみになるとき</h2><p class='author'>中島彩 / 2013-02-02 11:38:55</p> 私は我ながら物持ちがよくて、今も布団に敷いて毎日寝ている毛布は幼稚園の頃からのものだ。ピンクをベースにどーんとクマさんがプリントされている。クマは青いオーバーオールを着ていて、顔の横の吹き出しから「OYASUMI!」というメッセージを放っている。縁取りの布は幾個所も糸がほどけていて、完全に布がめくれてくれば、その都度縫い合わせて使っている。もう20年以上になる。
他にも、子どもの頃から使い続けているものはたくさんある。
それらのほとんどのものに、特に愛着があるというわけではなくて、ただ、直せば使えるということと、お直しする暇もちょっとした技術もあって、お金だけがないというだけだ。それから、ここ2年くらいの間の引っ越しの際にもいくつか思い切って物を処分しているから、なおさら今家にある物は長く使えそうな精鋭隊ばかりだということもある。
そんなわけで、うちには今あまりゴミになりそうなものはないのだけど、それでもまあゴミ予備軍と言えるような物はあって、一人暮らしを始めた時に購入したタオルとか、手のひらの部分が薄くなっている手袋とか、そろそろかなと思いつつ、なんとなく決めきれなくてまだ使っている。
それらや、色んな物がゴミになるときのくるっとした転換が前から気になっている。
スーパーのレジ袋が、買い物からの帰りは道具の役目を果たしているのに、物を取り出した瞬間にゴミ予備軍になる。(レジ袋は一応とっておくけど)商品が入ったパッケージが、中身が取り出された瞬間にゴミになる。人参から切り落とされた瞬間から生ゴミになるヘタ。地面に落ちた瞬間にやっかいなゴミになるガム。
とたんに無価値な物や不衛生な物になったりする。
その、くるっとした変換は、物自体は全部見えいてるのにも関わらず、目に見えていない。
地面に落ちたガムは、「あ、今バイキンがいっぱいついたのだな。」とか。靴下にとんでもない穴があいた時は、「あ、履いても寒そうだな。」とか。まずそんな風に想像するところから始まって、でも一瞬「さっきまで使えるもの」だったのに、と躊躇する。それから、えいやっとゴミ箱に捨てる。この時は心の中で、少し投げやりな、暴力的な気持ちが発生している。でもときどき思い返して、ゴミ箱を漁って取り出し、もうちょっと洗って使おうとかなることもある。
一見、「ゴミ」と「非・ゴミ」は紙の様に裏表があって、それはくるっと転換されるもののようなんだけど、実は「ゴミ」と「非・ゴミ」は線状のメーターの端と端のような物なのかもしれない。そのメータのメモリを動かしているのは、基本的には自分の裁量で、「ピピピッ!今、ゴミに一歩近づきました!」とか、「ピピピッ!穴は修復されました。非・ゴミエリアに戻ります。」とかが頭の中で起こっているのだと思う。で、たまに計器が壊れて「ピーーー!!!全部ゴミ、全部ゴミ、捨てちゃえ!捨てちゃえ!」なんてことが起こって、溢れた物を捨てる日が来たりするのかもしれない。
なんてことを考えてたら、そういえば子どもの時はよく、「この世界は全部わたしが見ている夢で、ほんとは何も存在してないんじゃないか」とか、「ふっと目が覚めて、まったく別の世界があったらどうしよう」ってことを想像して、怖くなったことを思い出した。
というようなことを、朝散歩しながら、道に出されたゴミ袋を見て、考えていた。<br />
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2013-01-12T17:05:19+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子、藤井菜摘
【行ってみよう!】今宮戎神社へ行ってきた
http://yosomi.jp/article.php?id=266
<h2>今宮戎神社へ行ってきた</h2><p class='author'>永田芳子 / 2013-01-13 02:05:19</p>難波・今宮戎神社の残り福へ行きました。
前半は現地録音、その後はほろ酔い加減の
2名による感想などです。約37分収録。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1358011267.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br /><a href='file/large/1358009693.JPG'><img src='file/thumb/1358009693.JPG' alt='' /></a><br />,<br />
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2013-01-09T00:35:59+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】いま読んでる本と、さいきん見てきたこと。
http://yosomi.jp/article.php?id=265
<h2>いま読んでる本と、さいきん見てきたこと。</h2><p class='author'>中島彩 / 2013-01-09 09:35:59</p>いま、「アウトドア・サバイバル・テクニック」(著・赤津孝夫、出版・地球丸)という本を読んでいます。『アウトドア・シーンで生き残るために必要な知恵と技術を食べる、眠る、着る、火をおこす、身を守るなど12のキーワードで綴る野外生活人必携の書』(本書表紙の解説より)、A5判、190ページ。見開き1ページでひとつのトピック(例:マッチやライターなしで火をおこすテクニック、熊には出会わない方法をまず第一に考える、など)を取り上げ、イラストや写真とともに簡潔にまとめてあって、古本屋で100円で買った割に、なかなか良い。
『食べる』の項に入り、「自然の中で食べられるものを見つけ出す」、「先人たちに学ぶ保存食の知恵」のトピックを読み進めて、はたと気がついた。
そこで紹介されている食材や調理法は、つい先の年末年始の間、滞在し働いていた奥飛騨の温泉宿で出されていた食事の食材、調理法と、よく似ているのである。
前菜の「飛騨牛のビーフジャーキー」しかり。
小鉢の一品で、「高野豆腐」や「大豆とひじきの煮物」しかり。
メインの魚料理に、イワナのハラを抜き取り、味噌を詰め込んで、笹で包んで焼いた「岩魚の笹焼」。
ご飯のお供の「お漬け物」。
大晦日の年越し料理には「焼き汐鰤(しおぶり)」がでて、これは富山の冬の冷たい海で獲れた寒鰤に塩をまぶし、浜風で干したものだそうだ。
宿は家族経営のこじんまりとしたところで、経営者のおかみさんが調理を担当、あくまで「家庭料理」として献立をたてている。滞在中、私は下ごしらえなどの調理補助や盛りつけ、配膳などをしてそれらの料理を目にしていたわけだけど、乾物の煮物や作りおきができる料理が多いことは、少数のスタッフ、時期によってはおかみさんだけで切り盛りしなければならない調理場でも対応できるようにかなと考えていた。
もちろん、それもあるだろうけど、しかしこれらは人里離れた山奥に位置し、冬期の間は雪によってほとんど外界と遮断された奥飛騨でまさにサバイバルするために編み出された食材、調理法だったのだと、気がついたのだ。
水気を抜くことで腐敗する速度を弱め、長期保存を可能にする乾物。
漬け物は、塩分の濃度の高さで腐敗菌の繁殖を抑えている。
魚も、はらわたを取り除き、塩をまぶして味噌を詰めることで保存が可能になるし、それによって海の幸を山で味わうこともできるようになる。
竹や笹の葉など、山にあるものは調理道具になる。
などなどの理屈が、「アウトドア・サバイバル・テクニック」に書いてあって。
地方の宿なんだから、そこでの料理がその地方での郷土料理であることくらい少し考えればわかりそうなんだけれど、実際その場にいても、宿の中は暖かくて快適だし、テレビもあるし、お取り寄せで町中で流行のスイーツも時々頂いたり、外がいくら雪深くても毎朝の除雪車のお陰で街からのバスも1時間置きに運行している。車で買い出しにも行こうと思えば毎日行ける。都会からのお客さんが毎日やってこられる。
そんな中では、実感としてそこがかつては冬期は人が立ち寄れない場所だったことなどあまり考えなくて、リアルタイムで見て取れる、おかみさんの調理の手際の良さ、料理の味や見た目なんかに目をとらわれていたのだ。
ところが、大阪の自宅マンションに帰った現在に、一冊の本を読んでいたら、最近までいた土地をするっと通り越して、かつてあっただろうその土地の生活まで想像できてきて。
なんだかいい読書体験でした。<br />
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2013-01-08T06:42:36+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【連載記事】しりしり、蜂の巣、その他
http://yosomi.jp/article.php?id=264
<h2>しりしり、蜂の巣、その他</h2><p class='author'>永田芳子 / 2013-01-08 15:42:36</p>今年のお正月はなますに困らなかった。
あれはいつだったか、ずっと使っていた調理器具が本格的に壊れた。人参や大根などを削って千切り状にするものだ。
刃にあたる部分はアルミ製なのでなんともないが、土台になる木が弱ってしまって、釘を打ちなおすにもどうにも、といった具合。いざ新しいのを買おうと、探すにあたって気がついた。この道具の名前が分からない。
各家庭でなにかの道具、例えば電子レンジを「チン」と呼ぶような慣習があったりしないだろうか。
この道具は我が家では「突くやつ」と呼ばれていた。雑だ。絶対に正式名称じゃない。しかし、子供のお手伝い時分から「これ、突いといて」と野菜と一緒に渡されていたので、漫然とここまで来てしまった。店頭で同じものを見かけない、というのも一因だろう。
これではたとえ道具屋筋といえど探せない。店内をキョロキョロ歩き回る。「なにかお探しですか?」と尋ねられる。「えーと、こう、アルミの板に穴が開いていて、野菜を千切りみたいに細長くおろすやつなんですけど…」店員さんもさぞ困ったろうと思う。これを数件、お探しの商品は見つからなかった。
今考えると写真の一枚も持っていけば良かったのだろうが、もういいや、という気分になって、結局包丁で千切りにする日々を送っていた。
が、昨年の秋ついに見つけた。此花住吉商店街にある「キッチン宝島SANYO」という店にたまたま入ったとき、ふと見た棚に掛かっていたのだ。穴の大きさもジャスト。迷わず買った。宝島の名はダテではなかった。
落ち着いてパッケージを見ると商品名は「千切り器」となっていた。そんな単純なことだったか。灯台のもとはめちゃめちゃ暗かった。だが、千切り器というと一般的には刃のついた、スライサーみたいなのを指すのでは。探したときもそのタイプしか見かけなかった。
はて、と検索をかけたら意外なことがわかった。どうやら、この道具は主に沖縄でよく使われているそうで、そちらでの名称は「しりしり器」。
「しりしり」とはこの道具で作る料理の名前。テレビの沖縄特集で紹介されたこともあるらしく、ネット通販などではしりしり器と呼ぶほうがかえって通りが良いようだ。
長年使ってきたが、そんなに地方色を帯びたものだったとは知らなかった。他に、マンガナー、蜂の巣、ともいうらしい。
ともあれ、おかげで昨年末のなます作りは楽だった。刃物よりも断面が粗く仕上がるので、味のしみこみがいい。
太めなので歯ごたえも程よく残る。ツマには向かないが、炊き込みご飯やサラダの際に活躍する。じゃがいもをこれで処理してガレットにするのもいい。
道具としてはそれだけ、ローテクかつ単機能。わざわざ昔ながらのものを使い続けるのはただのなじみだ。ならそんなにこだわらなくても、と言われそうだが、この程度のことなら手に残しておいてもいいだろう。
<br /><a href='file/large/1357627123.JPG'><img src='file/thumb/1357627123.JPG' alt='' /></a><br />,<br />
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2013-01-05T10:03:35+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】時計・時計・時計
http://yosomi.jp/article.php?id=262
<h2>時計・時計・時計</h2><p class='author'>山本握微 / 2013-01-05 19:03:35</p> 仕事始めの、事務所。ああ早く帰りたい、と柱を見遣ると、そこにかかっているはずの時計がない。あれ、と思って反対の柱を振り向くも、そこにもない。ほこりを払っているのか、誤差を修正しているのか、ほんとなら仕事納め、の時にやるべきであろうことをするため、総務の人が手元に下ろしていたのだった。
時計、と思った。とけい。普段、トケー、みたいな感じで発音しているけれど。トケイ。時の、計り。時の、ケイ、なわけだ。トケー、なんてことでは、文字通り、音が溶けて意味がわからない。「トケ」でワンセットで、あとは伸びているだけって感じだ。ト・ケイ。でも、時、トキは、消えている。キが消えて、ト。トの計。トを計るもの。時が、ト、と呼び捨てられているその様は、例えが思いつかないけれど、何となくこなれた職人肌の人たちが、その言葉を呼び過ぎて、訛っているのが常になった、みたいだ。妖怪、モノノケ、のことを、怪、け、と呼ぶ村人たちみたいに。そして実際、時は、ト、と呼ぶ方が本来のような気すらする。掴みどころのない、でも誰もが暗黙のうちに、それがものすごい勢いで流れていると知っている。「ほら、そうこうしているうちにも、トが……ね」みたいに。時に、長々とした名称は危うい、それが例え、トキのようにたった二文字でも。漢字の読みとして、ジ、という一文字もあるけれど、これは目立ちすぎる。目立たなさそうで、ちゃんと耳に引っかかる、ト、がいい。「これはね、見えないトが見えるようになる計り。そう、だいたいの仕組みは台所にある計りと同じ、ト・ケイという」時計ってのは、ああ、時計のことだったか。
だいたいツイッターに書くぐらいの軽い気持ちで、余所見の記事を書いてしまう試み。あと、どうでもいいですけど、時計、と連発していると「計」の字がそのまま、ゲシュタルト崩壊?して、時計の文字盤に見えてしまいます。「言」の部分が、10時と11時辺りの文字に見え、「十」が時針と短針の交差に見え。<br />
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2012-12-31T07:59:45+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】今年のベストテン。良かったね。
http://yosomi.jp/article.php?id=261
<h2>今年のベストテン。良かったね。</h2><p class='author'>山本握微 / 2012-12-31 16:59:45</p> みんなちがってみんないい、もともと特別なオンリーワン、ですが、まあ、ごごたさんですら、ベストスリーあげてますし、ベストやランキングを考えるってのはなかなか楽しいものです。僕も、芝居をやっていた頃は、年末、レビュアーのベストなんぼかに載るの、嬉しかったし。
いやいや、それどころか。芸術は全て優劣の勝負であります。そこにあるのは、傑作か、そうでないか。それが元々、僕の信条であります。
なので、今年は僕も。しかし、体系的に記録をとっていないので、何処行ったか何観たか、だいたい忘れてる。何か行く直前にメールする「今行処」を参照しつつ。
でも困ったことに、僕も齢の所為か、あらかた「行って良かったな」ってなっている。そもそも鉄板しか行かず。そして鉄板を今更僕が言及しても、何だか意味がない(そもそも意味ないけど、余計)。本音で「みんな違って?」になっている。それに、ジャンルの違いは別としても。素直にベストを上げれば、公立美術館の人と金をかけた企画展で全て埋まる気もする。
そこらへん、いろんな係数で割算した上で、なのでベストってわけでもないけれど、心に留めておきたい、2012年の諸々作品。ジャンルは一応、「展示」「舞台」「映像」で。順不同。
【映像】木村栄文レトロスペクティブ
良かったー、良かったよー。僕が観たのは「鳳仙花 ?近く遥かな歌声?」「飛べやオガチ」「いまは冬」「記者それぞれの夏 ?紙面に映す日米戦争?」の4作品のみですが。これDVDにして一般発売しておくれよ。これは一生の思い出にできる。映画館で観た時は「飛べやオガチ」が一番面白かったけど。今は「いまは冬」が冬だからか、ジンとくる。
【舞台】「POST」GTSVL Presents
良かったよねーこれ。SjQ++(この時点ではそういう名称じゃなかったか)が。でも、界隈系音楽でこれやられちゃったら、もう他の人は生半可なことができないというか。「映像中毒現象」がこのジャンルでも。藤井先生によれば、現代人は映像の刺激が強すぎるから、注意力(アテンション)が失われており、だからリュミエール・ルールの映像(カメラを操作せずに1分間の映像を嗜む)やればいいよ、ってなっていますが。この議論には色々反論したいのだけれども(発達した界隈の人には、単にリュミエール・ルールの映像から刺激を読み取れるだけな気が)。この刺激を、どう制御していくか、が期待されます(映像、後半極まってくると、音楽関係ないように、ぐりぐり動くもん。最初辺りの、シンプルにラインが演奏に寄り添う方が格好いいやん)。
【展示】「今和次郎 採集講義─考現学の今」国立民俗学博物館
良かったねー。あらかた忘れたけど、確か良かった良かった。仕事量が多いってのは良いですね、本当に。戦時中の、節約を推奨する図が良かったね。赤ちゃんで優しいオチがついていて(いろんな世代の節約方が図示されているけど、乳幼児はケチらないで、ってなっている確か)。この手の人たちの、何処までも真面目に真面目にやって、その果てで出てくるユーモア、ってのは格好良すぎる。ワジロー先生と言えば関東大震災辺りですが、戦後のテレビ出演や、家電の広告に文章書いたりと、そういうのもあって良かった。
【展示】「晶子さんとその時代?宇崎スミカズと華やかな大阪出版文化?」与謝野晶子文芸館
良かった! 宇崎スミカズ! 菅野力男にしても、明治大正昭和初期には、やや忘れ去られ気味な、謎の人がまだ沢山いそうですね。大阪の夢二、と言われたそうですが、宇崎氏の場合は、がしがしずんずん描いている感じがあって、良い。書店の二階に住んで、そこで売るんだから、この直接的な感じ。
【映像】「演劇1」「演劇2」想田和弘監督
良かったわー。ただ僕は平田オリザの著作、発言、作品、主だったところだいたい把握しているので、映画の内容については、まあ目新しいところはない。稽古場が映っているのは良かったけれど。ただ、稽古場も、もっとせりふが入っていない時点のが観たかった。「観察映画」としてはよくわからない。観察映画にしては、ちょっとあざとい感じもするし(寝息取りましたっ!とか、ここは無音ネ!とか)。もっと観察に徹して、十二時間くらいにしてほしい。
【舞台】「NSC道場」吉本興業
良かったよー。今年に限らぬあれだけど。こういう催しが、月に3回くらいあって、高校生ぐらいの若い客から、お年寄りまで、気軽に見れる場がある、ってのは良いな、って思った。お笑い、としての大阪、に特に興味なかったけれど、こういう雑多で安価なものがあるってのは、地域文化として良い、と思いました。未熟な作品もまた、構造が見えて勉強になります。一方、上手い作品には、非常に知的で挑戦的なものもあり、とても面白い。
【舞台】山本正之「リクエストショー」
良かった! 山本正之の大ファンなので、例外措置にしようかと思ったけれど。この冬のリクエストショーは特に良かった。内容は書けないけれど。
【舞台】ゴトウイズミ(クリスマス・プチ・ディナーショー)
良かったわー。広島でうろうろしている時から気になっていて、広島で何時か聴こうとしていたけれど、結局大阪で聴くことになった。音楽も良かったけれど、構成・進行が巧過ぎて、びっくり。これが広島の界隈を代表するアーティストか……いいネ広島。広島が近所にあったら、会社帰りに毎日行くのに。と言うか、これも、うっかり学生時代に出会ってたら、はまって人生が終わりかねない感じなので、あぶねえところだった。
【展示】「ムネモシュネ・アトラス──アビ・ヴァールブルクによるイメージの宇宙」平成24年度科学研究費補助金・基盤研究(B)「ヴァールブルク美学・文化科学の可能性」
良かった良かった。まあ内容については全く理解できないけれど。「精神史を一望する」明日から使えるこの方法論。こういうの、一生使えるから。シンポジウムも良かった。内容は全く理解できないけれど。ニンファね。オーケー、ニンファ。地に落ちて舞う。そういえば、アジアの天女もあれですよね、ごごうのすりきれ。「重力」のおかげで、下降と上昇は左右対称ではない。了解。
【舞台】マームとジプシー「ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。」
良かったわい。青年団からチェルフィッチュ、ままごと、ときてマームとジプシーってのは、こう、あまりにもあんまりな気はしますが。でも良かった良かった。現代口語・負荷・リフレイン、ドラドラドラ。素晴らしい。
【舞台】Q「虫」
良かった良かった。なるほど、リフレインしなくても、負荷な演技はできまっせ、と。勉強になったよ。女性だけの劇団?だからか、客席にいる、東京特有謎の演劇マニアたちの「AKBでなくこれに萌えている俺は全知全能の神デウス」みたいな感じも良かった。
【舞台】NODA・MAP「エッグ」
久しぶりに良かった。野田秀樹、大枚はたいてちょくちょく観ていますが(よく考えれば大阪の、そこらへんの演劇人よりは見ているはず)結構がっかりすることも多い。でもこの作品は良かった。いや、やっぱり脚本・筋立にはあまりぐっとこない。役者の演技っぷりが良くて、何となく楽しい気持ちになる。一番気になるのは、本作が寺山修司の幻の原稿、ってテイなれど、寺山修司のセンスだと「エッグ」なる題名がそもそもありえないのではないか、と思ってしまう。宣伝映画作るっていうのも、他の作家ならともかく、寺山ならピンとこない。でもいいの、深津絵里が椎名林檎を歌っていれば、それでいい。仲村トオルが、不自然なほど低い声出してれば、何でもいいや。
【展示】坂口恭平「新政府展」
良かったね。今や文科系左派の象徴天皇、鉄板です。数年前、水戸でトークを見たときは、躁な感じも鬱な感じもなく、普通に理知的で面白いお兄さん、って感じだったけれど。何時からこんな躁鬱キャラになったんだろう。この調子だと、多分色々賛否もあるだろうけれど。何より仕事量の多さが全てを担保しているので、良い。自殺するまで色々やって欲しいものです。階下でやっている、森本千絵の展示と、資本主義的に正反対なのがすごい。
十三個あるな。まあ、多いに越したことねえや。<br />
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2012-12-31T03:54:13+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】手話の残心
http://yosomi.jp/article.php?id=260
<h2>手話の残心</h2><p class='author'>山本握微 / 2012-12-31 12:54:13</p> その業界では別に何てことない普通、なのだろうけれども、素人の僕から見れば、はへえふうむ、なことが二つほどあったので、その二つ目。
シンポジウムで、手話通訳が活躍する、の巻。
知的な僕は、休みを利用して、東京大学内で開催される、極めて高度な芸術学に関するシンポジウムを聴きに行きましたとさ。
会場は講義室でなくホールで、このために客席用の椅子が多数並べられていました。壁面の中心には演者用のスクリーンやらテーブルやら演台やら。お決まりの構図ですが、それをやや崩すように、端の方で、逆向きの椅子が一つ。そこに座る、スーツを決めた知的な女性。如何なる関係者か? シンポジウムが始まる前、すでに「雑談」していたのでわかりましたが、手話通訳の方でした。
「成程……さすが東大、イベント時には手話通訳までいるのか」とその時思いましたが、よく考えれば、百人程度の聴衆のため、会として手話通訳があるのでなく、飽くまで来場していた一人の学生のためにいるようです。
シンポジウムが始まりました。僕はこの会場で一番頭が悪いにも関わらず最前列に座っていたため、端の方にあった手話通訳の様子はあまり視界には入りませんが、気になってついそっちの方を観てしまいます。
最初は、「まあ、そういうのもあるわな。ないと困るわな」程度に思っていたのですが、僕自身が難解な議論についていけない中で、これ手話で同時通訳って、ちょっと無理だろう、って気になりました。内容に一切関知せず、聞いたまま音を伝える、だけに徹しようにも、手話ニュースのように話者がゆっくりはっきり喋るわけでもなく。ぼそぼそと高速で放たれる、美学用語やドイツ人名、どう処理されているのやら。
一組目の発表が終わり、休憩もそこそこに二組目の演者が登壇します。その時、手話通訳の人は普通の客席に戻り、同じくスーツを着たもう一人の女性が前の席に座りました。選手交代! そっかー、今日は4時間の長丁場。当然一人でこなせるわけはなし。今日のプログラムを見るに、計4セクション。その度ごとに交代かな。
と、思いきや! 前方では議論白熱。その瞬間、話の途中に話者がさっと、立ち上がり、すかさずさっきの一人が席に着き、手話通訳を続けます。
よくわかりませんが、「もう無理!」な瞬間には交代するようです。この、素早い交代は、この日何度も見られました(ファミコンの「キン肉マン」でリングの端で素早く選手交代する様子が想起されました)。
かくて、壮絶な手話通訳が4時間に渡って繰り広げられました。「では本日はこれにて」と司会がアナウンスして、その言葉を安堵の表情を浮かべ手話訳するのを僕も見届けました。そして、肩の力を抜き、顔も仕事を終えた表情に戻ります(表情も、手話訳の一つなんでしょうか)。
が、次の瞬間! まるで忘れ物を咄嗟に取りに行ったかのように、両方の手首を同時にくい、と上げる仕草をされました。もう仕事を終えた後の「形だけ整える」ような手話でした。
これは……今のは「終了」の合図かな? まるで武道の「残心」のよう。それ自体の通訳を終えても、すぐに終わらず、きちんと一定の型を残す。或いはプログラムにおける「end」のよう。わざわざend命令を書かなくてもプログラムが途切れたら勝手に終了するが、きちんと書くのが筋。
こういう所作に、何だかドキドキしてしまいます(本当にそういう意味だったのかわかりませんが)。
それにしても。街中で視覚障害者にはよく出会いますが、よく考えれば聴覚障害者には気付かない。その馴染みの無さか、視覚障害者に比べれば全然、と思ってしまう。生活はともかく、学術に関しては文字が読めるのだから。しかし、大学生活の中心たる講義は、聴覚中心。今日のようなイベントだけでなく。あの二人は「大学」の職員なのだろうか。でも通訳は「講義」に対してでなく、「学生」個人につかないとフォローしきれないだろう。或いは、学生個人が通学のために雇っている二人なのだろうか。いやはや。なんちゅう膨大なエネルギーが……。<br />
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2012-12-31T03:52:56+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】ショベルカーの帰還
http://yosomi.jp/article.php?id=259
<h2>ショベルカーの帰還</h2><p class='author'>山本握微 / 2012-12-31 12:52:56</p> その業界では別に何てことない普通、なのだろうけれども、素人の僕から見れば、はへえふうむ、なことが二つほどあったので、その一つ目。
ショベルカーが、トラックの荷台によじのぼる、の巻。
ショベルカーってのは、あれですね。キャタピラーで動いて、アームがついてて、その先端に土砂を運ぶでっかいバケット(というらしい)がついている、工事現場でよくみかけるあれです。こう、いざいわれてみると、これショベルカーって名前だっけ? その先端の部分はなんていうんだっけ? となりますが、ごくポピュラーなやつです。画像検索するとごついの出てきますが、僕が見たのは小さなタイプのもの。
ある夜、道を歩いていたら、工事現場からショベルカーが撤収するところでした。
ショベルカーって、キャタピラー(は正確には商標で、無限軌道とかクローラーというのが本来だそう)で動くのはわかりますけれど、よく考えたら町中の道路をガンガン移動中のショベルカーを見たことがないので、おうちに帰るときはトラックに載せてもらっているようです。
で、軽トラ?の荷台に載るところだったんですが、どれどれよっこいしょ、と膝を曲げて載るわけには行かない。たまにコンビニ前の荷降ろしとかでみかける、小さな昇降台、に載せるわけにもいかない。果たして、どうやって載せるのかしら。
まず、アームをぐいーんとさせて、荷台にピタとひっつけます。このアームと先端のバケットが、普段は力強く、掘ったり運んだりしているわけですが、その腕力を活かし、ぐっと荷台を押さえつけるのです。すると、反作用で、ショベルカーの前部分が浮き上がります。へー。いわば、キャタピラーがウィリーしているような状態。浮き上がった前輪を、荷台の後方に引っ掛けます。
このまま、ぐっとキャタピラーでよじのぼれる、わけではない。今度は運転席がぐるっと回転。反対側を向きます。アームも回転。今度はそのバケットを、地面に突き立てます。ふんぬ、といった感じで先ほどと同様、反作用で、もう片側のキャタピラーも浮き上がり、ショベルカー自体が、半ば宙に浮いたように見える状態。
一方、トラックの方もがんばって、荷台を傾斜させ、ショベルカーを迎え入れやすいようにしています。
そうして、やっとキャタピラーが駆動。するするする、と荷台に収納されていきました。
「え、そんなの常識だけれど?」と言われそうですが、まあ、普段はぶんぶん動くアームが、ああやって自らは動かずにして、他の部分を動かす様子が、なかなか新鮮でございまして、面白かったです。動でなく静でもって力を発揮しているところが。
あと、僕が見たときは、すんなりいかず、長いこと宙を浮いたまま、トラックの人とショベルカーの人と、後ろで見守る人が、わいわい騒ぎながらぐだぐだやっていて、何だか牛のお産みたいだな、と思いました。牛のお産も見たことないけれど。
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2012-11-28T03:36:52+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】アルクアラウンド
http://yosomi.jp/article.php?id=256
<h2>アルクアラウンド</h2><p class='author'>中島彩 / 2012-11-28 12:36:52</p>夜にだけ空いている児童書中心の私設図書館にでかけて、帰り、終電がなくなった。
タクシーに乗って帰ってもいいのだけど、とりあえず歩けるところまで、歩き出す。
阿倍野から天王寺まで、建設中の完成すれば日本一の高層ビルとなる「あべのハルカス」を目印に歩く。現在、鉄骨は既に300mに達しており、空にすっくとのびたそれを見つければ、方角が分かる。道は中学・高校時代の通学路とも重なるが、再開発中の地域でもあるので、懐かしさと違和感が合い混じる。
天王寺からは環状線外回り沿いに歩く。
若干下り坂になっていき、下がりきったところで賑やかさと荒廃が漂う新世界の商店街、そのまま歩いて新今宮の駅がある。駅前の西成あいりんセンターの周辺にはブルーシートや段ボールハウスが並んでいて、なるたけ静かに通り過ぎるようにする。連れの友人の牽くベビーカーが、アスファルトの道をゴトゴト鳴らせていて、寝ている人たちの眠りを妨げなければいいなと思う。
また少し行って、スーパー玉出に立ち寄る。
そういえば、最近見た「100 osaka展」とかいう展覧会で大阪を感じるところとして玉出をあげていた人が二人いたなと思い出す。深夜0時を過ぎているのにやたら明るくて、この暴力的な感じは確かに大阪らしい。隣接した自販機コーナーで、缶チューハイやコップ酒が100円くらいで売られていて、これも大阪というか、このあたりらしい。
玉出で買った缶チューハイを片手に、再び歩き始める。
ここからはよく知らないエリア。看板に「中開」とあって、此花の自宅近くに「大開」というところがあるから(大開は福島区だけど)、何を開くか知らないけど、まあつながっているんだろう。
次は「北津守」。この地名も聞きはするけど、よく知らない。そこから国道43号線沿いに歩く。
43号線は自宅の近くにも通っているから、それできっとたどり着くだろう。
車道と歩道は分けられているが、両方とも高架の道だ。壁越しの車道では車が行き交う音がするけれど、歩道は全然人通りがない。
スロープを上がって高架上にいるときは、街を見渡しながら歩く。私たち以外他に誰もいなくて、街を独占している気分になる。
大きな交差点に近づいてスロープを下れば、走る車や店の灯りや寝静まった家が同じ目線に並んで、自分が夜の街の出来事のほんの一部であることを思い知らされる。
何度かスロープを上がり、下がり、川を渡り、見たことのあるあたりにたどり着く。
弁天町。
通ったことのある商店街。
「ORC200」、高さ200mの高層ビル。あべのハルカスみたいに空にのびていて、見つけて、安心する。
弁天町から少し歩き、スロープを上る。
ここからは自宅から九条の方へ行くのに普段通るルートだ。安治川を渡り、左手に大阪港周辺の工場の灯りが煌煌と見える。右手の麓には24時間営業のラムーの灯りが、もっと遠くには梅田周辺の高層ビルの灯りが見える。
スロープをおりると、いま住んでいる此花区。公園を抜けて、いつもの商店街を通り、連れの友人親子と別れ、自宅に着く。
午前3時。
西九条から阿倍野・天王寺間は、10年以上幾度となく移動してきたのだけど、いつも電車で、初めて歩いた。
このところ遠くへ出かけられていなくて、夢で荒地を駆け巡っていたのだけれど、いつでも旅はできるということを思い出した。つまり、目的ももたず、時間にもとらわれず、気の向くままに歩き続けること。<br />
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2012-11-15T05:30:26+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子、藤井菜摘
【行ってみよう!】映画「桐島、部活やめるってよ」を見た。
http://yosomi.jp/article.php?id=255
<h2>映画「桐島、部活やめるってよ」を見た。</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2012-11-15 14:30:26</p>永田芳子と藤井菜摘が映画「桐島、部活やめるってよ」を見に行きました。少し長いです。けっこう冒頭のほうからネタバレを含む内容を話しているので、気になる方はご注意下さい。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1352957335.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2012-11-07T14:50:20+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【連載記事】尾崎放哉句集
http://yosomi.jp/article.php?id=254
<h2>尾崎放哉句集</h2><p class='author'>永田芳子 / 2012-11-07 23:50:20</p>尾崎放哉は、劇作家の宮沢章夫が著書のいくつかで書評を書いていて興味を持った。そこで紹介されていたのは、
「ひげがのびた顔を火鉢の上にのっける」
「爪切ったゆびが十本ある」
「墓の裏に廻る」
といったもの。どうも、それまで自分が持っていた俳句のイメージと違う。なんだろう、ということで句集を買ってみた。
始めは、前に挙げたような妙なものばかり拾って読んでいた。それに慣れると、ほかの句に目が止まるようになっていく。
最近なら「沈黙の池に亀一つ浮き上がる」。
沈黙の池とはどういうものだか知らないが、4月に安治川の傍を歩いていて亀が浮いているのを見た。伸ばした四肢がなんだか白っぽい色をしていて、首が波に合わせてふるふる、ふるふる、とゆれているように見える。
よもや、と思ったが見続けていても様子は変わらず、同じくそれに気付いた通りすがりの女の人と「あの、亀」「あ、なんか、ねえ」「ねえ」と、もやっとした話をして別れた。
「宵のくちなしの花を嗅いで君に見せる」。
これもこのあいだ見つけた。あんな甘いものを誰に。梔子は梅雨から夏に咲く。あちこちに植わっているので、今年も自転車や徒歩で何度も前を通った。冬の寒さの中でならあの匂いもすぐに離れるのだろうが、湿気や何やを含んでもったりとついて来る。こちらの機嫌によっては疎ましく感じるときもある。いつもいつもなぜこんな時期に、と思う。
手元にあるのは彌生書房の単行本で、選集ということもありそんなに厚くない。おおよそ10年近くこの1冊をパラパラやっているが、長く楽しめている。
<br /><a href='file/large/1352300984.JPG'><img src='file/thumb/1352300984.JPG' alt='' /></a><br />,<br />
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2012-11-01T05:48:11+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【連載記事】対岸の異国
http://yosomi.jp/article.php?id=253
<h2>対岸の異国</h2><p class='author'>境隼人 / 2012-11-01 14:48:11</p>ぽっかりと暇が空いた。
このかたいつだってもてあましている暇だけれど、唐突に降って湧いたので如何せん。何だか口寂しくも冷蔵庫も戸棚ももぬけのカラだったので仕方ない。暇をひけらかしに外へ出ることにした。
淀川の土手で朝から黄昏れるのも辛気くさいので、今日は橋を渡る。渡るぞ。思えば中津に越して数年、生活テリトリーとしては梅田から中津間を全く出ていない。地続きの道はいくらでも歩くのだけれど、川の向こうはいつも異国を見るように対岸から眺めていたのでなんだか遠いのだ。
なにぶん用事があるわけではないのでカメラと財布くらいを持って部屋を出る。向かいの小学校は授業中で静か。玄関に猫は居なかった。土手を廻って高架下をもぐってふらふら見物しながら橋の方へ。
「一級河川 淀川」
記念に一枚パシャリと撮った。ロードワークのお兄さんとバスを待つおばあさんくらいが目に入る。
中津と対岸を結ぶ十三大橋は阪急電車の線路と併走している。平日なので道路は運搬車やら社用車が多いし電車も本数が多いので、特に静かということは無い。ぼぉっと過ごすなら土手のほうが向いているなと思ったが、今日は歩く気分。なぜかイエローサブマリンが口をついたのでカラカラ歌いながら渡る。潜水艦いいな。川はきっと浅いけど。
680メートルほどを20分くらい掛けてちんたら渡り着きました十三。思えば賃貸屋に相談に行ってた時にも「川の向こうなら同じ条件の部屋でも一万くらい安くあるヨ」と勧められたのだけれど川を渡る億劫さにこちらを採ったのだ。ただ実際歩くと距離としては大したことはなく、梅田へ歩く方が信号分掛かるくらいではないかしら。
実際十三に来たことが無いというわけではないのだ。ただ川がそこに横たわっているだけで随分見え方が違うという、気分の問題。
折角だから同じように橋の端で写真でもと思って踵を返すと死角に在った低いコンクリートの小屋根に額を打った。
<br /><a href='file/large/1351751906.jpg'><img src='file/thumb/1351751906.jpg' alt='' /></a><br />,<br />
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2012-10-29T12:51:59+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】「桐島、部活やめるってよ」を見た。
http://yosomi.jp/article.php?id=252
<h2>「桐島、部活やめるってよ」を見た。</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2012-10-29 21:51:59</p>友人の結婚式に出席するために大阪へ行った。結婚式は友人らしい手作りなものや友人らしい筋の通った工夫があってとてもよかった。みんなが楽しめることを意識したエンタメな派手やかさはないけれど、それよりも大切な内なる思いが外ににじみ出ていて、出席した私はそれを鑑賞したようだった。
式が終わって、まだ日も落ちてないしあまりにも心地よい気持ちになったので、映画でも見ようということで、鳥取では米子まで行かないとみれない「桐島、部活やめるってよ」を観に行った。
8月に上映開始したのもあって大阪でも、今は塚口駅近くの映画館でしかしてなくて、わくわくしながら行った。
(ネタバレになるかもしれないので、見にいく予定の人は気をつけてください。)
舞台は現代の高校生の教室で、たった5日間ほどしか時間としては描かれていない。ある金曜日に「桐島」という人物がバレー部をやめる、という噂話から始まる。その桐島になんらか関わりのある周辺の人たち(桐島に関わりのない人も)にとってショウゲキが走った「金曜日」の出来事を、映画の中で何度も物語が繰り返されるが、桐島本人ではなくて、その周辺の人たちそれぞれの視点でその「金曜日」が描かれる。桐島が部活をやめることで、そんなの聞いてない!と激怒する彼女。その彼女の親友。他のクラスの友人。同じ部活の仲間。部活することをやめた桐島の友人。桐島の友人である帰宅部。桐島の友人に恋する吹奏楽部部長。桐島と同じクラスで映画のタイトルでさえバカにされる映画部部長。映画部副部長。などなど。桐島が部活をやめただけで、まるで自分ごとのように金曜日から日常が少しずつ狂っていくその様子と、それぞれが交差するヤキモキ感とやるせなさが、映画全体を組み立てていき、爽快なほどに畳み掛けていく。
見ている最中、私は自分の過去の記憶と重ねながら、こういうやつ居たなあ。と笑い、神木隆之介が演じる映画部独特のもちゃもちゃさにいたっては、愛おしささえ感じる。当時の私だったら、どのキャラクターにあてはまるだろうかと、それぞれの視点に感情移入してみるが、どれも「なんとなくわかる」というところで移入することは終わった。私は、ああいう世界にいることが耐えられなくて、目を伏せてどこか浮遊したところに居た気がする。そこには関与せず、ただ突っ立ってそれらをみていたような。関与していたかもしれないけれど、見てみぬふりをしていたのかもしれない。
みんながそれぞれに不幸を抱えていて、幸せであったりする小さな世界に、やるせなさを感じ、そのことを今になっても見せつけられることが辛かったりもするけれど、後半にある希望の光が差したことに関して、私はどこか作者のささやかな優しさを感じたが、それさえも妄想世界であることに、シビアすぎると、私の感情は大笑いとなって溢れ出した。笑いと涙がいっしょになってでてきそうになった。
結局のところ、なんでもやれる人はやれる。かっこいい人はモテる。かわいい女の子はそれだけで生きていける。お金がある人にお金は集まる。幸せな家庭を知ってる人が幸せな家庭を築ける。単純すぎて、乱暴かもしれないけれど、そうやって世界は回っている。でも、作者が見せた希望的妄想世界は、それでも生きていくための、残酷ながらの、唯一の救いな気がした。
桐島はきっとそんな周囲のことは気にしてないし、そんなことよりも自分のことで精一杯だということも、あたりまえだし、それも本当だと思った。
レビューをみると、「桐島とは何か」ということがかかれているみたいだけど、それよりなによりその周辺が気になったのでした。
まだ見てない人、ぜひ。
<a href="http://kirishima-movie.com/index.html" target="_blank">http://kirishima-movie.com/index.html</a><br />
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2012-10-22T17:46:22+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】バランス
http://yosomi.jp/article.php?id=251
<h2>バランス</h2><p class='author'>山本握微 / 2012-10-23 02:46:22</p> これは飽くまで例ですが。「若い頃にこそ苦労してでも勉強しておく」という意見と、「若い頃こそ遊んでおかないと」という意見が、それぞれ対立してある、とする。
若い頃に苦労して勉強したら、その分知識が身について後で役に立つだろう。その代わり、遊びを知らない、つまらない人間になるかもしれない。若い頃に遊んでおくと、それはそれで豊かな経験としてこれまた役に立つかもしれないが、一方勉強を疎かにした分、恥をかくこともあるだろう。……勿論、勉強も遊びもどっちもやったらいいんだけれど、一日が24時間である以上、各種の工夫を凝らしても、遊びと勉強(それだけじゃないけど、まあ例として)、どこかで取捨選択しなくちゃならない。
ある人は遊びを優先し、ある人は勉強を優先する。それぞれ、お互いを批判するかもしれない。「遊んでばかりじゃなく勉強しようぜ」「勉強なんかより遊ばないと」。そういう言い争いは、あるだろう。故に、二者は対立している。
が、一方で、これらは二者それぞれ価値観が違う、とも言えない。それぞれ勉強、遊びを選んだ時の長所、短所、得るもの、失うもの、についてはお互い同じ意見だろう。遊べばその分、勉強時間がなくなるし、逆もしかり。それについて意見が違うわけじゃない。同じ価値体系の中、選んだものが違うって話だ。「遊びの中に勉強を取り入れる」とか、ややこしいことを言わない限り、それは対立しているどころか、ある意味で全く同じ立場といえる。
この例を引き続き用いると。実際問題、それぞれの立場を選んだ人は「遊んでばかりじゃなく勉強しようぜ」「勉強なんかより遊ばないと」なんて、あまり言わない。「遊んでばかりきたもんだから、バカになっちまったよーん」とか「学生の頃は勉強漬けでして、世間知らずお恥ずかしいですわー」と、選んだ立場を堂々主張するのでなく、一種の謙遜に転換して提示するようになる。この状態が引き起こす問題については、僕は昔から指摘してきた(誰も僕の昔を知らないが)。
ただ最近、これをすっ飛ばして、別の、より厄介な問題が見えてきた。本日はこれが本題。
勉強か、遊びか。安易な二元論を例にして恐縮だが、安易のままにしても、勉強一筋か遊び没頭か、どちらか一極を選ぶわけじゃない。勉強6で遊び4。勉強2で遊び8。とか。前述の通り、対立しているわけではない価値体系の中で、どういう割合、バランスでいくか。それを各々決定していく。
問題というのは、勉強か、遊びか、AかBか、という結論を出すのと違い、バランスに対する結論については、色んな意味で過信されがちなこと。AかBか、だけなら、まだ前述の通り形だけの謙遜が入ったり、もし反対の立場なら、といった想像力も働きやすい。
ただ、バランスについての結論は、これはもう、本人にとってぴったりはまって、また、同じようなバランスをとった他者と突き合わせても、正にこのバランスだ、ってなる。
今気付いたのだけれど。この問題が見えてきたのは僕も年をとったからか。若い頃は、AかBか、選ぶところだったから。そっから十数年立って、積極的に選んだかはともかく、周囲の人も含め皆が皆、結果としてバランスをとってきた。そして今がある。これはもう、肯定するしかないんか。また、その過程で、似たバランスの人とつるんできたのだし。
一見、過信に見えないこの過信。自分が選んだ、バランスに対する疑いようの無さ。これはある意味で良い話にもなるもんね。ま、色々あったけれど、これが俺よ、ってな具合で。ま、そんな俺、悪くはないね、と。おすすめはしないけどね、ま、俺はこうだし、って。
でも、あらゆる物事がそうであるように、何事も絶えず疑い、検証して、違うバランスの人や、違うバランスであったかもしれない自分、などと思いを巡らす余地は必要でしょう。
多様性、を重視する文化系左派の僕や皆様も。多様性を重視するから、「勉強」派も「遊び」派も、どっちもこいや、みんな友達やで!とは言える。それは一見、その間に立つ様々なバランスのあり方も許容しているように見える。一方で、文科系左派の内輪が、似たもの同士で仲良く「排除」を発動しないですむのも、バランス感覚を共有することで、異なるバランスの人を暗黙のうちに予め排除しておけるからか。
ちょっと前の「宇宙兄弟」で、こんなシーンがあった。宇宙兄弟、そんなに知らないので人名や詳しい状況は忘れましたが。宇宙飛行士を目指す主人公は現在、地上から宇宙飛行士をサポートするミッションに従事している。それは、一人の宇宙飛行士とパートナーになるような仕事で、物語中、気難しそうな宇宙飛行士からその役を全うできるに相応しいか試される。
その最終的な試験として、宇宙飛行士は主人公に一つ質問する。「宇宙飛行士として、死を覚悟しているか」(でしたっけ?)。この質問に、僕なら、或いは脇役が実際に答えたように「はいはーい。覚悟してます。宇宙飛行士ですもの!」と安易に答えるだろう。それが相手も気に入る答と確信して。しかし主人公は「覚悟してない」と答える。「死ぬつもりは無いから。無事生きて使命を果たし帰還することを考える」と。覚悟していない、この意外な答は、しかし、気難しい宇宙飛行士が期待していたものであった。
これは「良いシーン」なんすよね。この答がパートナーとしての信頼を決定付ける。そも、この「宇宙兄弟」って物語は、弟に先に夢を叶えられ、自身は解雇の憂き目にあう(能力がずば抜けて高いわけじゃない)主人公が、その都度、絶妙な「バランス」感覚によって、各種試験を突破していくもの。「宇宙兄弟」に限らず、多くの漫画が、主人公の能力の高さでなく、「バランス」によって物語を突き抜けていく。
しかしねえ。これは全く根拠の少ない理不尽なギャルゲーでも遊んでいるようで(「中山美穂のときめきハイスクール」みたいな……あれはテレフォンサービスで情報収集するんだっけか)。別に、死を覚悟した宇宙飛行士も良いと思うんですよね。というか、どっちでも、言いようだ。宇宙船内でトラブルが発生した時、死を覚悟してるから冷静な判断ができるのか、死を覚悟していないから生きるために正しい判断ができるのか。どうとでも。
勉強か、遊びか、という選択肢が実は瑣末なように。そのバランス選択も瑣末だ。それ自体は何も結論付けるわけでなく。というか、それ以外、様々な選択が十分、あるってことだ。しかし、このバランス感覚は非常に重視され、自身のバランス感覚を過信し、共有するバランス感覚を持つ他者を信頼する。また逆に、違うバランス感覚を持つものを排除する。それはもう、安心して排除できる(死を覚悟した宇宙飛行士?そんなやつに大切な使命を任せられないね!)。「勉強」派は、「遊び」派を安易には排除しない。時に敬い、また自身の立場を後悔し、相手の立場に思いを馳せるかもしれない。だが、選び取ったバランスについては、その両者を予め汲んでいる(と思い込んでいる)ため、自身も他者も否定しにくい。
最近、色んな人と話していて、このことをよく考えます。
※ ちょっと論点はずれますが……。例えばネットの時代において、ある「作品」が多数の目に晒されるとしますやん。で、その作品は評判が良く、肯定8割やと。でも2割の人から批判される。この時、このネット時代の感覚に慣れた作者は。多様な意見を認めるが故に、2割の批判にいちいち落ち込まず、そういう意見もあるね、と大人な感じで含む。それは、2割の人にとってはダメダメである、0点である、でなく、自分の作品は「8割肯定2割否定」そんなバランスのもんさ、2割の否定はどんなもんだってあるさ、となる。まあ、それはそうなんだけれど、例えばネット慣れてない人なら、2割の人の批判を真に受けて落ち込むかもしれない。それはそれで、自身の作品を検討することにおいても、必要なプロセスであったかもしれない。バランス、って考えると、そんなもんさ、ってなるような気がする。果たしてこれは、どんなもんなんだろう。<br />
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2012-09-19T01:39:57+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【連載記事】動物のこと
http://yosomi.jp/article.php?id=250
<h2>動物のこと</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2012-09-19 10:39:57</p>この夏は夕立と雷の日が多いです。ムーミンに出て来るニョロニョロは夕立と雷のときに群れるらしくて、だったらこの夏はニョロニョロ異常発生の夏かもしれない。ニョロニョロみたいな生き物が今この世界にもいたら、こんな日はあのへんやそのへんで群れていて、水たまりがそこここにできてるみたいにそのへんで群れるんだろうか。「ああ、今日は雷雨がすごいから、ニョロニョロあんなに群れてるよ」なんて季節の会話のひとつになるんだろうか。でも、ムーミンママによるとニョロニョロの話しをするのはあまり上品でないらしいから、やっぱりあまり話題にはあげないほうがいいかもしれない。
ちょっと前に、なんかのきっかけでシベリアオオヤマネコという猫の画像を見ました。また別のタイミングでマヌルネコという猫の画像を見ました。どっちの猫も、体のバランスが私の知っている猫のそれと違って、それがなんか見ていてちょっとドキッとして実際に見てみたいと思い、王子動物園に行ってきました。動物にはあまり興味がなくて、動物園に行ってみたいと思ったのは初めてでした。動物はいろんな見た目のやつがいるけど、見た目にドキッとするのとそうでもないのがいて、その違いってなんなんやろう。オオアリクイやヤマアラシはドキッとするけど、ホッキョクグマやサル科はあんまりドキッとしない。単純によく目にしたことあるかどうかなんかな。オオアリクイを見ているとなぜか兄のことを思いだしました。一緒に行った友達は実家に動物がいたりして動物が好きな人で、動物の脱糞するところを見るのが好きだと言っていました。表情もいいし、出てくる所もいいと。私はそこに注目したことがなかったけど、何せその友達がとても楽しそうにその話をするので、その日はそこにも注目しました。種類は忘れたけどサル科のところでサルがすごい高いところから脱糞するのと、ペンギンが泳ぎながら脱糞するのを見ました。ペンギンの水槽は日差しがよく入るようになっていて、薄い水色のなかにペンギンがフワッと脱糞すると、キラキラしていました。シベリアオオヤマネコとマヌルネコは残念ながら裏の小屋にひっこんでいて、すごく遠目にしか見れませんでした。また冬毛のときにでも見に行きたい。
少し前に、京都の山奥の廃校でとても大きな蛾を見ました。昔、よく山奥のサービスエリアなんかで夜ガラスに止まっているのを見たと思うのだけど、大人になってから見なくなっていたので、あれは幻か記憶が誇張されているかなのかと思っていたのだけど、ほんとうに大きいのはいました。たくさん校舎の壁にとまっていました。 早朝、カラスがその蛾をくわえてビュンと飛んで、街灯の上に止まったのを見ました。動物の補食シーンはドキッとすますが、黒いカラスが黄土色の蛾をくわえているのは、色合いも印象的でした。黒と黄色は視認度の高い組み合わせだとそういえば学校で習いました。
今生活してる環境で路上で生活している動物は種類にしたらいくつくらいなんやろう。私が良く目にするのは猫、イタチ、雀、鳩、イタチ、蝉、ゴキブリ、ねずみかな。もう少しいるんやろうけど、そんなにノシノシ歩いてはなくて、私はあまり動物が得意ではないので暮らしやすいっちゃ暮らしやすいんだけど、ニョロニョロとかシベリアオオヤマネコとかがそのへんをうろうろしてる世界を想像すると、なんかこんなに動物に出会わない環境はちょっと極端なような感じもします。<br />
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2012-09-02T14:52:33+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【連載記事】数年越しの百間
http://yosomi.jp/article.php?id=249
<h2>数年越しの百間</h2><p class='author'>永田芳子 / 2012-09-02 23:52:33</p>梅田ロフトでの用が済んだので、帰る前にコーヒーでも飲んで一息つくことにした。かといって周りの店は賑々しいし、ちょくちょく寄る喫茶店はヨドバシの方なのでここからは少し遠い。頃合の店はどこかになかったっけ、と考えていたら、以前大阪造形センターをやや越えたあたりで一休みした事を思い出した。
小体なつくりでカウンターが5席ほど、テーブルが4人席・2人席とりまぜでやはり5つほど。でこぼこした白い柱にニッチが作ってあって、中には銅版で出来た小人の人形や額に入ったイコンなどが飾られている。多分アンティークな雰囲気として置いているのだろうが、装飾品はどれも安っぽい感じで少々ツメが甘い。
まあ、さして洒落たところへ行きたい気分でもなし、値段も普通だったしあそこでいいや。前に座った席は扉の近くで、客が出入りするたびに背中やらお尻がスースー寒かった。今日は違う席空いてるかな。と歩き出したはいいが、何がなし記憶の感触が頼りない。少しずつ気弱になって、信号待ちの間に、店の周辺はどんな様子だったのか思い出してみた。
確かもう暗くて、隣にそこそこの規模の温室があって、中の電気は消えていたけど街灯を透かして見える吊り鉢やなんかがきれいで、目印にするならそれくらい ん? 温室?
そこでようやく夢の中で入った店だと判った。信号は渡らなかった。その後どうしたかは忘れた。
こんな出来事を、内田百間(けん、の変換が出ない)を読んでいる時に思い出した。
高校生の頃、「サラサーテの盤」というタイトルが気に入って読んでみようとしたが、パラパラやってもいったい何の話やら見当がつかなくて、買わずにおいてしまった。それでも気にはなり続けていたし、好きな作家が何人か挙げているしで最近ようやく手を付けた。
で、数冊読んでみたが口の中から毛が生えたり、死んだはずの同級生とお酒を飲んで近況についておしゃべりしたり、やっぱりおかしな事ばっかり書いてある。
小説、随筆、と章を分けてあっても、口調が変わらないので油断すると、ん?という運びになる。夜見る夢もそんな風で、起きている頭からすれば無い!と言いたい事も、その中では「そのような事」として対処していたりする。台湾(行ったことない)の食堂の通貨がおはじきだった時も、地面に降りて休むときは折り紙を戻すようにパタパタと広がって薄くなる鳥を見た時も、珍しいと感じはしたけど、そのような理なのでそのように捉えた。それと少し似ている。
文庫巻末の解説など読むと、夏目漱石のお弟子さんだったらしい。どうやら私の好きなタイプの変人だが、漱石にとってはどう見えていたんだろう。そのあたりを伺える物を知っている方、どうぞご一報下さい。<br />
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2012-08-09T16:20:39+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】行き帰りのはなし。(後編)
http://yosomi.jp/article.php?id=248
<h2>行き帰りのはなし。(後編)</h2><p class='author'>中島彩 / 2012-08-10 01:20:39</p>((前編要約))行きはよいよい、帰りはなんとやら。スイスイと北海道に来た私は、ノートパソコンやインターネットやらを駆使してスイスイ帰りのチケットをとろうと思いきや、思わぬ障害が立ちふさがる。ようやく午前中に格安航空会社の北海道ー成田便と午後から成田ー大阪間を18切符で乗り切る計画を企てるも…
北海道を発つ。早朝、荷物をまとめ、滞在先の人たちとの別れの挨拶もままならぬままに、あたふたと駅へ。
電車が出るまでにトイレをすませておこうと、駅のトイレに入る。無人駅の小さなトイレは汲取式で、和式の便器の底には大きな穴が空いている。便器をまたぐ時に、ふと、いまサンダルを落として、帰れなくなったら、という妄想に取り付かれる。
サンダルを落としたら、片足は裸足のまま電車に乗るか、滞在していた民家に連絡して来てもらい、代わりのサンダルを貸してもらうか。どちらにしろ慌てて、予定の電車に乗り遅れれば、その後の飛行機にも間に合わないだろう。
そしたら、もうしばらく滞在を延期して、飛行機もキャンセルできるかな…と、具体的に段取りを考えはじめてしまう。帰りたくない、とどこかで思っているんだろうか。
心配は杞憂にすんで、無事トイレをすませ、電車に乗る。
30分ほど一車両の小さな電車に乗ったあと、小樽駅で快速に乗り換え、一時間ほどで空港に着く。離陸まで時間がなくて、慌ててチェックイン。搭乗。離陸。一時間ほどのフライトで羽田空港に到着。飛行機を降りると、湿り気を含んだ生暖かい空気が肺に流れ込んでくる。初夏の3週間を寒さすら覚えるほどの北海道の山間で過ごしてきたので、羽田に降り立ち、そこにすっかりある夏に、浦島太郎のような気分になる。
13時。空港を出て、電車に乗り換える。車内でノートパソコンをつなぎ、乗り換え検索サイトを開き、「青春18切符検索」という項目から18切符の移動に適した乗り換えを検索する。出発地「羽田空港」到着地「大阪」を入力すると、23時過ぎに大阪駅に到着するまでの乗り換え案内が表示される。1〜2時間おきには乗り換えなければならなく、それも乗り換え時間が5分とか10分とかで、18切符の醍醐味といえるだろう途中下車して駅周辺を散策したり、駅弁を買ったり、というようなことはできなさそう。
どちらにしろ、3週間分の滞在のための荷物プラスお土産で荷物は重たく、急に吸い込んだ夏の空気も重たく、寄り道したい気分じゃなかった。羽田空港から、東京、横浜と東海道本線を西進する。車内、滞在中に読もうと持って行ったが読めなかった小説を開き、ときどき窓から景色を眺め、駅のホームに並ぶ人々を観察する。昨日までなら、今の時間帯、仕事の真っ最中だったなと思い出しながら、それがもう終わったということに自分を馴染ませていくのには、一駅ずつ停車する緩やかなリズムがちょうど良い。うとうとしたり、滞在中飛ばし読んでいていたメールを確認したり。
疲れを感じ始めたのは静岡に入ったあたりで、ずっと座っていて腰が痛いというのもあるし、冷房の効いた車中と言えど暑さに馴染んでいないというのもある。それからトイレにも行きたくなっている。車両にはトイレもついているのだけど、それじゃなくて、ゆったり腰をかけたり、鏡を見て髪を整えたり、手を石けんでしっかり洗ったり、居住まいを正すためのトイレに行きたい。けれどここで途中下車して休憩すれば、今日中に大阪に着くことは難しくなる…。
悩んだけれど、静岡駅で一度トイレ休憩をとることにした。さっとトイレに行くだけなら乗り換えに間に合うかもしれない。ところがどっこい、駅に降りてしまえば、駅ナカカフェや静岡土産も置いてあるキオスクなんかがあって、トイレだけじゃすまなくなってしまう。コーヒー一杯のつもりがハンバーガーを食べ、一本のつもりのタバコも二本すって、しまいに駅を出たくなってきて。こうなればとあきらめて、静岡で一泊することも考えたのだけど、駅周辺は都会的に整備されていて歩いていて気分とあわない。一時間ほどうろうろして、再び電車に乗る。
車窓から眺める空はすっかり暗く、今晩中に大阪に帰ることはあきらめて、電車にゆられながらネットで宿を探し始める。
浜松駅周辺にビジネスホテルが多く、手頃な価格のところもあり、何しろ自分にとって未踏の地、今晩は浜松で一泊と決める。すっかり旅人気分になっている。
その夜はビジネスホテルの小さな部屋で、缶チューハイとおつまみをつまみながら、ホテルのフロント横の棚にあった漫画をだらだらと読みふけった。北海道での集団生活から、大阪に帰ってからの一人暮らしへと移行する途中に、旅の宿で一人過ごすことができたのは、ちょうどよかったのかもしれない。
翌朝、周辺を散策しようとあらためて浜松について調べてみたら、「江戸と大阪の中間に位置し、賑わいだ宿場町」とあって、なるほど、合点がいった。
そのあと、うろうろと寄り道をしつつも、夕方に無事帰宅。
長い道のりだった。
今回の大阪ー北海道間の移動に、行きは5時間、帰りは1日半かかったことになる。
そんなこんなで学んだことは、
1.格安航空などをうまく利用すれば、北海道は早く・安く行けて、距離を感じさせない場所になる。
2.けれど、距離を感じることも重要で、移動している間があるからこそ出発地で行われたことの整理や次の目的地への心構えができる。
3.ノートパソコンやスマートフォンなどを携帯し、インターネットにいつでもアクセスできる状態での旅は、格段に便利だ。
(というか、旅の性質が変わったように思う。)
4.けれど、旅をするのは結局人間で、身体の要求はかならずつきまとうし(特にトイレの問題は大きい。)、好奇心はわきあがる。そういうことに柔軟に対応した方が楽しく過ごせる。
またどっかに行きたいなあ。<br />
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2012-08-07T09:04:27+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】行き帰りのはなし。(前編)
http://yosomi.jp/article.php?id=246
<h2>行き帰りのはなし。(前編)</h2><p class='author'>中島彩 / 2012-08-07 18:04:27</p>先月、北海道に行って、しばらくして、帰ってきた。
北海道へは、高校の修学旅行以来はじめてで、自分一人で計画しての行き先としてはこれまでで最も遠いところだ。
どう行くか。
まず条件となるのは金銭的なことで、安けりゃなにより。次に面白さ。もともと移動するのが好きな方で、徒歩、自転車、自家用車(助手席だが)、電車、高速バス、フェリーetc...それぞれに楽しみがあって、迷う。
今回は、最近話題の格安航空会社の飛行機を利用することにした。これがもっとも金銭的条件を見たし、噂の乗り心地やサービスはどうかという好奇心も満たしてくれそうだった。
一週間前にインターネットですんなりと予約ができて、当日は空港内でカウンターを見つけるのに手間取ったものの、無事搭乗、1時間ほどのフライトで、確かに世間で言われている用に座席は広くはないが、短時間のことなら苦にならない。空港に到着して、そこから目的地までは電車で2時間ほど。朝に大阪を出発し、当日の昼には北海道で仕事に取りかかれるくらいのスムーズな移動だった。
滞在は3週間。帰りの日程は出発時には決めておらず、滞在中に仕事の進行具合を見て決めるつもりだった。
1週間ほど経って、おおよその仕事の雰囲気がつかめてきて、帰りのことを考え始めた。持ってきたノートパソコンとネット接続用のデータ通信端末をつないで、帰りの飛行機の便を調べる。と、まず、ネットにつながりにくい。そこは北海道は小樽方面の農村で、滞在しているところは山の麓の民家なのだが、大阪ではスイスイと繋がったものが、接続にとても時間がかかっている。日本国内なら大体のエリアをフォローしていると聞いていたのだが…。
気長に待ってようやく画面が表示されると、今度は行きと同じ航空会社なのに、帰りの北海道-大阪便の値段がグンと値上がりしている。時期は7月末、観光シーズンに突入しているのだ。それでもまだ他の交通手段よりかは割安と、チケットを予約しようとするも、支払い方法を選択する場面になって、支払いができないことに気づいた。
というのも、旅先で失くすと大変そう、とクレジットカードを持って来ておらず、コンビニ払いに対応するコンビニが付近になかった。(コンビニは徒歩30分ほどのところにセブンイレブンがあったけどこの航空会社は対応しておらず。もう1件、北海道でのみ展開しているであろう聞いたことのないコンビニ=セイコーマートがあったけれど、こちらも対応していない)銀行も隣町まで行かねばならず、仕事の合間にちょっと行ってくることが難しい。
あきらめて、別の格安航空会社を探してみると、こちらはセブンイレブンでのコンビニ払いに対応している。しかし、北海道ー大阪便がこの時点で就航しておらず、成田止まりだ。こうなれば丸一日フェリーに揺られようかと悩んでいると、同じ民家に滞在していた人から、成田からJRの青春18切符を使うのはどうかという案がでた。ご存知かと思うが、青春18切符はJR全線が一回あたり一日乗り放題となる5回分の回数券である。ただし、有料特急は使えない。試しに、東京ー大阪間を普通列車で一日で移動できるものか調べてみたところ、9時間で移動したという体験談がネット上にあがっている。
北海道から成田まで、格安航空会社の飛行機で午前中に移動し、午後から青春18切符で大阪へと向かう。その時考えられるプランの中で、それが最も安くあがるし、面白いと思えた。
さっそく搭乗券を予約して、支払いに徒歩30分のセブンイレブンへと向かう。セブンまでは一本道。広くて、車はビュンビュンと通るのに、信号機は一台もない。人にも会わず、右も左も畑ばかり。空がすごく大きくて、支払いが終わって帰りには満点の星空が広がっていた。
さて、ようやく帰りのプランが決まった。日によっては全く繋がらないネット環境に悪銭苦闘しながら、決まるまでに、5日ほどかかっていた。
大阪からは、スイスイとネットで予約、スイスイとクレジットカード払い、怖いくらい簡単スムーズに決まって、自宅から空港まで電車でスイスイ、そこからは飛行機でスイスイ。
あんまりすぐに来れたものだから、なかなかつかめていなかった北海道に来た実感が、この5日でようやくわいてきた。
ああ、遠いところに来たんだな、と。
(つづく)
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2012-07-23T18:20:31+09:00
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永田芳子
【連載記事】くじら(Qujila)の事など
http://yosomi.jp/article.php?id=245
<h2>くじら(Qujila)の事など</h2><p class='author'>永田芳子 / 2012-07-24 03:20:31</p>なにかしら再発売というと「オヤジホイホイ」「懐かし商売」といった物言いが付いたりする。旧版のほうが出来がいい、という意見もある。それでも見つけづらい状態よりはずっとまし。それに、プレミアが付きすぎと思えるときは、ややこしい気持ちになる。
使える額が今よりもさらに少なかった中・高時代に入手できなかった色々が多い身としては、再発物に結構お世話になっている。
少し前、余所見の共同作業中に私のipodを鳴らしていたら、何人くらいだったか、『この曲誰の?』と反応があった。
その時かかっていたのはくじらの「火の玉」という曲。リリースは1990年。この時期の音源は、誰の物にしろ音色(というか、加工?)に変なクセがあるような気がしているので、発売当時から継続して聴いている自分はともかく、その曲を知らない人の耳をひいた、という所が少し意外でもあり、でしょう!という気分でもあった。
このバンド、ちょい前の言い回しでいうなら「うたもの」という呼び方になるんだろうか。現在もボーカル・杉林恭雄のユニットとして活動しているが、アマゾンを見た感じほとんどが廃盤になっているようで、itunesでも販売されていない。
初めて聞いたのは中学生の頃。眠れずに深夜テレビをつけたら、たまたま演奏していた。曲目はたしか「DRAGON」「たまご」「NUDE」「ピアノ」。やけに艶っぽくキリキリした音楽に思えて、集中して聴きたいやら、親が起きてきたらどうしようとハラハラするやらで大変だった覚えがある。
さかのぼって調べると結成は1982年。なにせ歴史が長いので、アレンジの傾向もアルバムごとに変わる。一貫しているのは、映画ではなくスチルに似ているところ。楽曲が素朴で大らかな感じのと、緊張感のある、内側へ潜りこむ感じのに大別できるところ。
もちろん聞く人によって感想は違うのだろうが、雑誌なり何なりに取りあげられる際、前者がクローズアップされている事が多くて違和感を持っていた。初めの印象が強すぎるせいか、私は後者の曲のほうが少しだけ余計に好きだ。おもいっきり寒いか暑いかの極端な季節だとより雰囲気が増すようで、ちょうど今頃はいつも出ずっぱりとなる。
高校に上がってからは、CDよりもライブのチケットを優先していたので買い逃しが何枚かある。
ここ近年、くじら周辺の(と受け取っても良さそうな)音源が再発されている。たとえば、くじら結成前の杉林のソロや、ドラムの楠均が参加していたプレッシャーが収録されたオムニバス「Electoro,Dub&Breaks」。この二人が参加していたバナナリアンズ「BONER」。くじらのごく初期に在籍していた佐藤幸雄のすきすきスウィッチ。ちなみにベース/ギターのキオトが参加していたというピヴィレヌはまだ無い様子。にしても。
もうそろそろなんか出てもいいんじゃないかと思っている。
※その後、2013年に「ふたりのラジオを鳴らそうよ」を発売。続いて初期のアルバムが3枚再発、くじら結成前の杉林のソロ作がCD化され(「The Mask Of The Imperial Family」アブストラクト感のある電子音楽で、人に歴史ありと思わされる)、さらにピヴィレヌ「ピヴィレヌone」も今年再発された。にぎやかなことだ。(2015年追記)
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2012-07-12T05:36:14+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】自動車免許の合宿へいく〜その5〜
http://yosomi.jp/article.php?id=244
<h2>自動車免許の合宿へいく〜その5〜</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2012-07-12 14:36:14</p>残り卒業試験までは、あまり日がなく、残された学科授業と模擬テストをクリアしなければいけなかった。卒業してしまって、顔見知りがいなくなったけど、また新しい人たちが入っていて、雰囲気も変わっていた。恐らく卒業が近いだろう人と残りの模擬テストについて教わる。私の場合、模擬テストを受ける時間が実質1時間しかなく、しかも、このテストの所有時間は早くても30分はかかる。明日、その一時間の間で100問中90点以上をとらないと卒業試験を受ける事ができない。失敗は許されない。うーん、プレッシャー。早くやっておけばよかった。
でも、試験を終えた人の情報によると模擬テストといっても、学校がつくってるのもなので、そんな堅いものでもなく、「デカモン」と呼ばれる学校で渡されたドリルの1ページまるまるがテストになってるらしい。しかし、テスト用紙は2部しかないから、二人以上でいくと違うページのテストを渡されることになるから、絶対に1人で受けな。と下調べ抜群。情報の集め方は、男子寮だけあってとてつもない連携っぷりだった。ドリルのあるページだけを勉強して、模擬テストに挑んだ。見事100点。他のみんな100点で合格している。
無事に路上運転での卒業試験も合格し、校長室へ向かい、校長先生から卒業証書を受け取った。「交通安全、譲り合う気持ちが大切です。」と、うんぬんかんぬんお言葉をいただき、ドラマのラストを飾るかのような展開。しかも、その校長は今私が住んでる町の親戚だし、アイコンタクトをしながら、「お疲れさま」と笑って見送られた。鳥取から大阪までの特急列車のチケットを受け取り、今までの合宿のことを思い出しながら眠った。
大阪へ帰って、次の日、門真市にある免許試験場で本免許の筆記試験を受けにいった。朝10時に受付して、13時前に試験開始。2時30分に合格発表が出る。受かればそのまま免許証の発行の段取りをし、夕方まで手続きは続く一日作業。最近テスト三昧だったし、受かるだろうと甘くみたために、惜しくも88点の2点差で、不合格。自分の受験番号が表示されてないあの感じ、いつ経験しても恐ろしい。今までのこういう安易な考えで経験してきた苦い思い出がフラッシュバックしながら、自宅へそそくさと帰る。
その次の日、再度朝から門真へいって受け付けて、試験を受ける。何度も勉強して今度は完璧だろうと、不安も抱えながら合格発表が出るロビーで眺めてると、「おい。蛇谷」と後ろから声がする。「え!」と思って、振り返ると合宿で鼻から血を出したお兄さんがいた。免停のための講義を数日受けていたらしく、今日が初日の試験だったらしい。「昨日、ひとみが受けにきてたらしいぞ。」と、Sさんのことをひとみって呼び捨てにしていることにドキッとする。「昨日、私も来てたよ」「すれ違いか!どんくさいのー。」と、電話をすちゃっとかけて、「おい、ひとみか?蛇谷が来てるぞ」「えー。まぢで!」と電話から小さく声が聞こえた。
免許証が完成したら、お茶でもしようと約束をして、夕方、門真のガストで待ち合わせをする。大阪で会うSさんは、少し女の子らしくなっていて、やわらかい印象を見せた。鼻から血を出したお兄さんとその友達と、私とSさんと、たわいもない話をして、ちょこちょこ話が通じないときもありつつも、Sさんはやわらかい笑顔をして私をみてた。
雨がやんで駅までの帰り道、「Sさんのこと、かわいすぎる!」って恋してる十八歳の男の子が自動車学校にいて、食堂で相談を受けたよ、って笑いながら話をすると、「行動がまるでなってない!若すぎる!」と言って呆れてた。かといってなんて断ればいいのか、わからず会話をしているようでもあった。私なら、どうするかなーと想像してみるけど、すぐには思いつかなかった。でも、そういう気持ちってあったよね、と懐かしくお互いうなずく。
駅に到着して、反対方向なのでもう一度お別れをする。「また会いましょうね、運転がんばってください」と言って笑顔をくれた。またどこかで出会えたら、この話のつづきを書こうと思う。免許証を手にして鳥取へ向かった。<br />
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2012-07-11T14:43:31+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】自動車免許の合宿へいく〜その4〜
http://yosomi.jp/article.php?id=243
<h2>自動車免許の合宿へいく〜その4〜</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2012-07-11 23:43:31</p>時は過ぎて、あれから仮免許は取れて、無事に卒業した。過去ってものは怖いもので過ぎてしまうと、あのときのドキドキ感が一気に薄れる。薄れるというか、鮮明な箇所とうるおぼえな箇所が出て、鮮明なところだけになってしまう。鮮明に覚えていることが、まるで大事そうな顔して存在する。記憶に残ってることだけが別に大したものでもないのに。
仮免許の試験日、Sさんは緊張して朝ご飯を食べた後、じっとしてらんなくて、食堂をうろうろしていた。私はもうどうにでもなれってな気持ちで、力を抜いて座っていた。おじさんは、「なるようにしかならん。」といって雑誌を読んでいた。時間がきて、コース場へ向かう。いつものコース場の端にある建物の一室へ案内される。少し薄暗く、カビ臭い。見慣れた先生によって試験コースの説明を受ける。使い回されたOHPフィルムに文字が書かれてて、先生の手もいっしょにプロジェクターに映り込む。コースはある程度決まっていて、試験を受ける私たち3名で一台の車に乗る、同時期に入ったSさんとおじさんと私の組み合わせになった。順番は忘れてしまったけれど、なんとかコースでの試験を終えて、ロビーに戻る。
極度の緊張がほどけて、Sさんは大笑いしてた。お互いの運転を目の当たりにしたので、「蛇谷さん、一時停止のとき、セカンドだったでしょ。」「Sさん、あのとき合図出してなかったやろ。」と二人ともダメだったところをツッコミながら「お互い落ちたなー、」と大笑いしてすごした。おじさんの運転はさすが経験者だけあって安定していた。余裕の表情。それでも、昔とちがったルールを守らないといけなかったり、スピード出てたりして、注意をされてた。
数十分たって、ロビーにある電光板に合格した人の番号が光るのを待つ。どきどきしながら、みんなで眺める。普通免許だけでなく、大型免許の試験もあったらしく。チャイムがなった後、光った電光板をみて自分の番号が光ってなくてがっかりしてたら、「ちがう、これは大型の試験の結果。」と驚かされる。「まあ、光ってなかったら『ちょっと番号の電球が外れてるんちゃいますかー?』っていったらいいわ。」とおじさんが冗談を言って和む。また電光板が光って眺める。「あー、だれかまた受かりはったなあ」とぼんやりSさんと眺めてたら、「あれ?これ仮免の結果じゃない?」と一人が気づいて、私たちももう一回じっくりそれを見て、見事にみんなの番号が光っていたのを確認し、「やったー」と背伸びして声を出した。電光板に背中向けておしゃべりをしてたおじさんも、その声を聞いて思わず振り向き、番号を確認して「余裕や。」とどや顔をみせて、みんながみんな安堵した。その次は学科試験があり、模擬テストを何度もやっていたのもあって、楽勝だった。みんな100点だったんじゃないか、ってぐらいそつなく終えて、無事仮免許を取得した。あの緊張はなんだったんだろうか。
その日の午後、早速路上に出る第二段階というステージにランクアップし、先生も変わり、ビシバシ厳しくなる。車の操作ができてある程度ルールがわかっただけの人間が一般道路に出るなんて、怖くて発狂しそうだったが、そうも言ってらんない。それに授業も4時間ぐらいあって、朝から夕方まで身体も頭もパンパンになる日々が続いた。「公共性を持ちなさい」「目先のことを考えるんじゃなくて、遠くの情報を読み取って考えなさい」「一気に全部しない、ひとつひとつすればいいから」「半クラッチの意味をわかってないのは素人以下だ」とあれやこれや心にグサグサ刺さりつつ、毎回入れ替わる初対面の先生とマンツーマンで1時間授業受けるプレッシャーとか、もう身も心もへなちょこになったけど、毎日食堂で話を聞いてくれるSさんや他の人たちがいて、明日もがんばるぞーと応援しあった。
二週間が経つ頃、私は関東へ行く予定があり、みんなと同じ卒業試験に受けることができないことがわかった。これでお別れになるかもしれないから、Sさんとおじさんに名刺を渡した。Sさんはあのときみたいに静かに微笑んでくれて、おじさんは「宿するんか、ええな。行かせてもらうわ。」と揚々とした顔を見せてくれた。
さようならをして、3日間ほど関東から鳥取へ戻り、駅から出る自動車学校へ向かう送迎バスを待っていたら、卒業して帰ろうとしてる面々がエスカレーターをあがってきた。「あれ?蛇谷さんじゃないですか?」と驚くSさん。「どうやった?」ときくと「高い下駄を履かせてもらいました。。」と恥ずかしそうに卒業を喜んでいた。おじさんも意気揚々と「さあ、これからが本番やでー」と、なんかのドラマみたいなセリフを言う。みんなの帰りを見送って、私は自動車学校へ向かう車に乗り込んだ。<br />
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2012-06-21T13:07:09+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】自動車免許の合宿へいく〜その3〜
http://yosomi.jp/article.php?id=242
<h2>自動車免許の合宿へいく〜その3〜</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2012-06-21 22:07:09</p>一日が早く過ぎていくけど、まだ木曜日。午前中に学科を受けて、昼間に車の運転をする。車の操作は覚えたけれど、安全確認に注意が散漫としてスピードが速いと慌てる。心配ごとを減らしていかないとなあ。頭でっかちで体が重い。
学力テストはそこそこわかってきたものの、実技の運転になると「ギアチェンジが遅い」「スピードが出てない」「ギアの使い方が間違ってる」「落ち着いて」「頭でわかっていても体ができてない」「目の前じゃなくて遠くをみなさい」と、毎回先生に的確なツッコミをいただいて、もう一歩も動けない精神状態となり、落ち込んでは二十歳のSさんとくよくよしながら夕飯を食べる。Sさんも「運転が荒い」「スピード出し過ぎ」と言われたらしく、スピードが出せない私、スピード出し過ぎのSさんで「はあーあ」とため息つく。二人で教科書とにらめっこをしてると、以前、鼻血を出したお兄さんが「そんなん読んでもしゃあないで、慣れや慣れ」と言われ、まったくその通りだけれど。と、二人で口をもごもごさせる。
そんなお兄さんは、私よりも少し年上で同じMTの免許を取るために合宿している。昔はMT免許を持ってたけどスピード違反で免許が取り上げられて、そのまま無免許で仕事のために運転してたとか。無免許で二年ぐらい乗ってたらしい。すごい度胸。そりゃ怖くないだろう。Sさんいわく、あるブランドものの服を毎日着ている彼は、建築業をしているせいかむきむきの腕をして、大きな傷を鼻につけてギラギラした目している。ぴたっとしたTシャツからむきむきな黒い腕をみせる。ああ、そんなことが出来ちゃう世界でもあるのか、確実に私と見てきたものが違いすぎて、唖然というか、その見てきた何かがすぐには想像できなくて少し怖ささえあったけど、そのときは深く考えないようにした。
たかが免許。されど免許。守らなきゃいけないルールとか覚えなきゃいけないことがたくさんあって埋もれそうだけど、ここの合宿にいる人たちがたまに口走る、「免許はとったもん勝ち」ってのは、結構あたってるかもしれない。なんだかたくましさというか、根性みたいなものをもらったと思う。
帰りの送迎バスの運転手さんのギアさばき、クラッチ具合を、二人で覗き込んで復習をする。やっぱり想像以上にギアの手元は急がしそうに切り替えてる。もちろん、その運転具合は教科書通りではなく、二人で「ふふふ」と小さく笑う。「そんなもんなんですよ、やっぱ」と、にやにやした顔で小さく言う。仮免許の試験は月曜日。明日もがんばって運転するぞ。<br /><a href='file/large/1340283978.JPG'><img src='file/thumb/1340283978.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2012-06-18T13:30:55+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】自動車免許の合宿へいく〜その2〜
http://yosomi.jp/article.php?id=241
<h2>自動車免許の合宿へいく〜その2〜</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2012-06-18 22:30:55</p>通い始めて3日目。時間が経つのは遅い。朝、寝ぼけながら送迎バスにのると、奥には初日に遅れてきた女の子と、元気なかわいらしい女の子がいて、「おはようございます!」と声をかけてくれた。静かに挨拶して、しばらくすると「どこから来たんですか?おいくつですか?」と質問され、答えるとおなじみの仰天した顔になる。もう数字的には若く認められないんだなあ。としみじみ。
学校について、3人で同じテーブルに座り、朝ご飯を食べる。自己紹介をして、なんでここの学校を選んだのか質問し合う。元気な女の子はTさん。もう1人はSさん。Tさんは実家がこの町だけど、大阪で勤務していて、Sさんは大阪生まれ大阪在住。ここの学校が一番安かったらしい。Tさんは残り3日ほどで学校を卒業するから、今までの学校のことやホテルの使い方に慣れていて、先輩のようにいろいろ使い方を教わる。それと同時にやんちゃな男の子たちのいろいろも聞く。
少し前は、18歳のコスプレ好きな女の子が来てたらしく、回りの男の子はウハウハだったらしい。それで、その女の子もいっしょに遊んでたそうで、ラブホテルまでいけたとか、いってないとか。しかも他の男の子もその子を好きだったとかなんとか。たった二週間の間に、そんな進展があるなんて、朝から動揺してしまった。
そうこうしてたら授業が始まり、教科書を広げて先生を待つ。五十分授業、十分休憩の三回分。先生は毎回代わるが、教室は同じなため、じっと同じ席に座っているとまるで演劇をみているような気持ちになる。先生ひとりずつ、教科書の使い方も、要点のまとめ方も全然違う。しかも、質問形式でもないので、淡々と先生は五十分間話し、私たちは聞き続ける。聞き続けるってのは、なかなかストレスも生まれるんだけど、先生によってそれがあまり感じないときがある。先生ってのも難しい仕事だな、と同情してみるけど、時折みせる権威に気が触れつつ、笑けてくるほどだった。例えば、これが山本握微くんの授業だったら、きっと楽しめただろう。米子くんだったら、かんちゃんだったら、境くんや松本さんだったら、となぜか余所見のメンバーを思い出したりして、終始半笑いで授業を受けた。
お昼ごはんも三人いっしょに食べたが、今度は頭の中が授業の内容と妄想でいっぱいでぼんやりしながら、話しをした。効果測定だっけな。そういう模試テストがあって、今週中に四回以上合格(九十点以上)取らないと仮免許の試験に受けられない。この効果測定ってのがくせ者らしく、Tさん先輩もいろんなアドバイスをくれた。二人でヒヤヒヤしながら、今度は実技の授業で、練習コース会場へ移動する。今日の先生はまた雰囲気が違って、私より恐らく年齢は若い。若いからってどうなのか、ってのはない先生は先生だし、と生徒らしく指導を受けるが、なかなかの突っ込まれようにどんどん自信はなくなって、この間までできてたクラッチ裁きも、自信なさげ。ブレーキもよわよわ。スピード出したら超こわいし。あげくの果てには、「あと2週間で路上コースですが、大丈夫ですか?」だって。こんちくしょー、そんな言い方ないじゃん!と、けちょんけちょんになって車を降りたら同じようにフラフラになったSさんが現れた。
はあー、とマニュアルを選んだ自分を自分で攻めながら、夕ご飯を食べに食堂にいく。TさんはいないのでSさんと二人で、まだ開いたばかりで人が少ない食堂の端っこで無言で食べる。なんだかこのままホテルで一人になるのも嫌なので、実技の出来なささをさらけ出して話しをする。「スピード出すのがこわくてさあ」と私が言うと、「私はスピード出し過ぎって言われて、」と落ち込んでる。
「スピード、早いのが平気なんだ」
「うん、お兄ちゃんが走り屋だからよく乗ってたの、オートマチック型は乗れてたんだけどね。」
「スピード出して、山を下るの。初めはこわいけどすっごい楽しいよ」
「そうなんや、何キロぐらいだすの?」
「180キロ」
「ひゃーー。でも、なんでマニュアル免許がいるの?」
「シビックっていう車にのりたいの」
「シビック?どんな車?」
「うーん、早い車(笑)」
そうかあ。と話は中断して、停止の仕方がわからなくて復習しようと、教科書を広げてあーでもない、こーでもないと話しをしてると、「なあなあ、どっからきたん?」と男の子の声が一つした。「大阪。」「大阪のどこ?」「大阪市」「なんの仕事してるん?」「パチンコ屋のバイト」「マニュアル免許を取るとかヤンキーやん」となんだか聞いてるこっちが会話に我慢できず、不意にマニュアルの停止の仕方を知ってるか聞いてみると、「俺、マニュアル免許であと三日で卒業やぞ!任せろ!」と自信満々に言うので、教えて教えてと話をきくと、とても上手に真剣に説明してくれた。なんだ、ちゃんと話ができるんじゃんか、と悪いやつじゃないんだね。と内心思っていると、送迎の時間がきて慌てて食堂を出る。
そしたら、さっきの男の子がいっしょに食堂を出てきて、「なあなあ大阪で遊ぼうや、電話番号教えて。」とSさんに近寄ってきたので、思わず「会いたかったら門真のパチンコ屋を探し歩いたらいいよ、そっちの方がロマンチックじゃない?」と笑顔でいうと、「うーわ!やられた!」と大きい声で残念がった。あはは、と笑いながら送迎の車にのって、しばらくすると、かっこいいデザインの車が止まってる横を通過し、二人ともそれを見た。そしたら女の子が「あんな車ですよ、シビック。」
「へえ、いいね。かっこいいね」
「でしょ。」
「その車からSさんが出てくるのがまた、たまらないね。」
「でしょでしょ。ただそれだけの理由なんですけど」
「十分でしょ。何色にするの?」
「ピンクか紫、青とか黒もいいけど人とかぶるから」
「うんうん、似合いそう」
彼女は静かに一瞬微笑んだ。愛想笑いではなく、温かい微笑んだ顔だった。160cm足らずの小さな体、胸やおしりのはっきりしたシルエット、金髪のストレートヘア、黒い服がよく似合って、個性的なつけまつげをした彼女が、大きな車の中から出てくる風景はすぐに想像できた。漢字もろくに読めないらしい彼女はそのために今頑張ろうとしていて、私も何か目標をつくって頑張ろうと思った。<br /><a href='file/large/1340026045.JPG'><img src='file/thumb/1340026045.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2012-06-17T12:06:07+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩、藤井菜摘
【行ってみよう!】今和次郎採集講義 考現学の今 を見て来た
http://yosomi.jp/article.php?id=240
<h2>今和次郎採集講義 考現学の今 を見て来た</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2012-06-17 21:06:07</p>国立民族学博物館にて開催されている特別展『今和次郎採集講義 考現学の今』を見に行って来た帰りに録音しました。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1339934657.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2012-06-16T15:38:16+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】自動車免許の合宿へいく〜その1〜
http://yosomi.jp/article.php?id=239
<h2>自動車免許の合宿へいく〜その1〜</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2012-06-17 00:38:16</p> この町に移る前から、「車がないと仕事もあげれないよ」と地元のおかあさんから言われてたので、免許をとるために貯金してた(何度も使ってしまっていたけれど)のを必死にかき集めて、合宿できるタイミングを見計らいながら、おかあさんたちは隣町の自動車学校の申し込み書を持ってきて、言われるままに判子を押した。不安だし、車もってないし、いろいろ準備不足だけど、躊躇してる場合じゃない、なにかに背中を押されながら、必要な荷物を揃えて倉吉駅の改札口に12:35分に集合した。
自動車学校の看板をもったおじさんが、ぼんやりたってる。「蛇谷です。」と名乗ると、三行ぐらいしかない名簿を軽く探して、「あ、はい。少々お待ち下さい」と、名簿をみながら返事をする。残りの人たちが改札口に訪れるのを待つ。そうこうしてると、大きな荷物をもったおじさんが目の前にやってきて、受付のおじさんが「Kさんですね」と声をかける。もう一人いる雰囲気を残しながら、「それでは車に乗りましょう」と話を進める。運転手兼受付のおじさんの背中を追いかけながら、知らないおじさんと目も合わせず、歩く。いつも高速バスで乗るターミナルも、いつもと違って見える。私は、これから何をするんだっけな。体と頭が追いつかないまま、大きなワゴンに乗って車が動き出す。「これから自動車学校へ向かい、入校の手続きを行っていただきます。必要な書類のご用意をよろしくお願いします。」と私たちだけに大きな声でアナウンスする運転手。いつも買い物にいく道も通りすぎていく。車の移動は、誰と乗るかでほんとに風景が違ってみえる。
30分ほどして自動車学校に到着。車の外で髪の毛の茶髪でアンシンメトリーな髪型をした、腰パンなファッションの男の子グループがいて、大阪弁を話してる。一人の男の子はさわやかな笑顔をしてこちらをみてる、一人はニタニタしてそわそわしてる。私とおじさんが車を降りると「女の子二人来るっていったやーん!」と運転手さんに男の子たちがやじった。
こそこそとそのまま、事務所にいって手続きをして、待ってる間、一人のかわいらしい女の子が現れて「ああ!女の子だ、私一人でさみしかったんです!どうぞよろしく!」と元気に近寄ってきたのだけれど、全然そんなテンションじゃなくて、苦笑いをしてしまう。そして適正検査室へ移動する。騒然とした一つの部屋に、バランスよく配置された四角い箱。一つは視力検査のマシンっぽい。椅子に座って待っていたら、受付のおねえさんがやってきて、「かるく運動をしましょう。手をぐーにしてのばして、前へ、下へ。」行為を言葉にされると、ほんとに頭をつかって動かすしかできない。そこに感情やリラックスは微塵もなく。真ん中にあった箱は写真撮影のマシンだったらしく、プリクラみたいにモニターをみて撮影し、視力検査をする。メガネを外すと一個目のアレもなにもぼやけて見えない。のび太っぷりに思わず情けなくて笑ってしまったが、メガネをかけたらちゃんと見えてた。
次に、教科書や学校のルールを説明をうけ、漢字のふりがなを書き込むテストをして、早速学科が始まる。とてもキレイとは言えない、どこか夏休みの諸学校みたいなガランとした人気のない校舎。遠くの方でさっきの男の子たちの大きな笑い声が聞こえる。
指定の部屋の前で待ってると、チャイムが鳴って少ししてから、まゆげが濃いめのひょこひょこと現れた。教室に入ると3人掛けするようなデスクがズラリとたくさんならんで、二人だけで後ろの方に座っていると「前に座ってください」と誘われ最前列に座る。まゆげのその先生は、自分の名前を名乗ることもなく、用意された冊子もののテストを説明し、二人に配布する。
テストの内容は、「始め、終わり」の先生の合図に、△マークを時間内にいっぱい書いたり、間違い探しをしたり、たくさんの質問をはいといいえで答えたりしていくものだった。時々、ストップウォッチを持った先生は「はい!ここでラストスパート!」とか「ここからスピードあげて〜」と小さい声で急かしてくるが、その力の抜けように二人とも笑ってしまったりする。
休憩時間になって、おじさんが「ここの寮に二週間宿泊して三十万円かあ。」とため息をつく。「えっそんなにするんですか?」と思わず反応してしまい、「ねえちゃんはいくらや」と聞かれ、迷いながら「二十一。」と小さく答える。少ししてから「若い子は二十一でホテル住まいで、なんで年寄りが三十払って寮暮らしやねん」と少し機嫌が悪くなった。何も言えずだまってうつむいていたら、遅れて集合に参加できなかった女の子が後ろの方に入ってきた。三人目はあの子なんだ。と二人ともさりげなく後ろをみた。
次の授業は、学科と実技のスケジュールの説明。学科は一段階、二段階とあって、まずは一段階を合格しないと二段階に進めない。一段階を合格するには、授業に受講することと、試験筆記テストに四回以上九十点以上とらないといけない。あと、実技(運転)もある。この話を何度聞いてもまゆげの先生が、前後しながら話をするので、三人とも混乱してそれぞれに質問をする。知らない人に囲まれて、相手に質問をするっていうのは、こんなにも緊張したっけな。声がやたらと跳ね返ってきこえる。三人目の女の子も大阪の人らしく、少し低い声で質問する。大阪の女の子は声が低いので少し怖く感じる。先生は、特に感情的になるわけでもなく、淡々と返答をする。時には同じ内容の返答も同じようにする。先生と生徒の関係ってたしかに先生を頼るしかないし、先生も見放すわけにもいかないし、そりゃ恋心とか勘違いもしちゃうよね。と、関係性から勝手に妄想して遊ぶ。何かを把握してる人、してない人がいる状況で、信じるしかない感じはちょっと怖いけど、自分もたまにそんな覚えがあるなあ、と思い返してみたり。
次は「運転安全センター」という施設へ移動して、ゲームセンターみたいなドライバー座席が並ぶ部屋へ移動する。そこに座るとモニターがあって映像が流れる。車の構造、原理、各種名称を解説を受けて、実際にハンドルを回してみたり、鍵をひねってアクセルやブレーキ、ハンドブレーキ、クラッチを踏んでいる。ギア、ニュートラル、ロー、バック、、ミッションの免許なので部品がいっぱいあって、覚えるのが大変。これも言われるままに体を動かす事しかできず、終わったら頭で体を動かしてた。半クラッチで、ロー。アクセルふんで、前方確認。ぐるぐる言葉が回りながら、授業は終了。食堂へ案内され、送迎バスが来るまでに夕飯を済ませる。食堂のおばちゃんが一人いて、男の子たちは相変わらず大騒ぎしていて、おばちゃんにもからむ。「おばちゃん、スプーンどこー?」と子どもみたいな声に、「おばちゃんちゃう、おねえちゃんや!」とすばやくツッコミ男の子。大阪。。
送迎バスが来たらしく、食堂を出るときに、おじさんも遅れて入ってきて、夕飯のお盆を持ってぺこりと笑顔をみせてくれた。おじさんはここの男子寮で一夜を過ごす。声もかけられず、笑顔で返した後、私と三人目の女の子と二人で送迎バスに乗ると、初めにあった男の子たちがニヤニヤして乗ってきて、男子寮も途中までいっしょに便乗するらしい。三人目の女の子をよくみると、茶髪で髪の毛が長くて、つけまつげをキリっとさせてダメージパンツをはいている。男の子たちは、後ろに振り向いて「どこからきたの?」と素早く聞く。お女の子「大阪」男の子「大阪のどこ?」女の子「門真市」男の子「おぉ!」。と、さらりと会話して男の子はご機嫌に途中下車した。「やんちゃな子らが多いけど適当に交わしてね」と運転手さん。「ノリが若いですね」と女の子。
車に揺られて指定のホテルに到着。私もひょんなきっかけで車の免許を取るわけだけど、女の子も、あのおじさんも、なんでここにいるんだろう。大阪の匂いがぷんぷんする合宿初日。これからどうなっていくのか、明日もドキドキする。
<br /><a href='file/large/1339861072.JPG'><img src='file/thumb/1339861072.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2012-06-06T16:14:36+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【連載記事】窓を開けた部屋
http://yosomi.jp/article.php?id=238
<h2>窓を開けた部屋</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2012-06-07 01:14:36</p>今ぐらいの時期になると、部屋にいるとき窓をあけて過ごします。4月、5月の半ばまではまだ夜中開けているのは少し寒くて、けど6月になるとさすがに朝まで開けていても心地いいです。
窓を開けているのと開けていないのとでは、部屋の雰囲気がずいぶん違って。ステレオの音が逃げて、隣の室外機の音が入って来て。風が入ってきたら外と室内の温度の差が縮まります。こもっていた埃っぽさの代わりに裏の家の煮物の匂いが入ってきたり。何かしらが外と行き来している感じが、部屋を外と繋がっている空間に変化させます。
中でも音はその役割が大きくて。何が聞こえてくるわけでなくても、夏の夜の外気の音ともない音は、ぼーっと一晩中でも聞いていたくなります。
時々具体的な音が混じってきて、そういうのも良いです。昨日は前の道路で誰かがお金の話しをしていました。話しの内容は聞こえないけど、何十万とか単語だけ聞こえました。
この家の周りは、救急車の音と消防車の音が本当に多くて。こんどカウントしてみます。
車の音でいうと、近くにゴミ収集車の拠点のようなところがあるので、夜遅くにゴミを収集する車の音もよく聞こえます。マンションとかは多分市の収集日の他に収集するんよね。
屋台のラーメン屋さんの音は、ここいらを廻っている人の音はちょっとアレンジがきいています。チャラリーラリ♪チャラリラリラー♪の後半のところがなんかフェイクとか入っている感じで、それがなかなか哀愁あるメロディーで。
向かいのマンションの一室のベランダでは、風で揺れるとカラカラカラと音がなる竹かなにかでできたやつが時々鳴ります。
こちらはというと、ミシンの音、ラジオの音、畳を歩くときの音、アイロンが暖まる音。ときどき人と話す声。そんな音を外に提供しています。
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2012-06-02T12:14:44+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】彼女たちと私のこれからの話
http://yosomi.jp/article.php?id=237
<h2>彼女たちと私のこれからの話</h2><p class='author'>中島彩 / 2012-06-02 21:14:44</p>それまでこういうものだとしか見えなかったものが、ある時にまったく違ったものに見えてくることがある。毎日通っているはずの通勤路沿いに小さな食堂や猫の抜け道を発見した時みたいに。
そういう瞬間は、身近であればある程おもしろい。
5月の大型連休の間、愛知県のとある小さな島の観光ホテルで仲居のアルバイトをした。観光地として名が知れたところではなく、私もアルバイトをすることになって初めて知った土地で、島の美しい砂浜の海水浴場を売りに夏がメインの稼ぎ時である。あとは年間を通じて釣り客が途切れない程度に来るくらいで、島民たちのほとんどは漁業で生計を立てている。なので、宿泊施設も漁業と兼業しての民宿が多く、ホテルと名がつくものは私がお世話になったところを含めて5〜6件しか見かけなかった。
そんなところだから、テレビドラマに描かれるような、支配人がいて、フロントマンがいて、仲居さんがいて、客室清掃係がいて、厨房にもそれぞれ役割の異なる何人ものコックがいて、というような多くの人間があちこちの場所で同時多発的にドラマを生んでいるホテル、ではない。
支配人である女将さん自ら客室清掃もこなすし、送迎のマイクロバスの運転手がアサリの炭火焼き係でもあったりする。必要最少限の従業員でホテル全体の仕事を手分けしているようなところだ。
仲居さんもオフシーズンには一人で十分事足りるのだけど、大型連休と夏休みの繁忙期にはさすがに人手不足で、私のような短期バイトが雇われたり、あとは島民の主婦たちがその期間だけ手伝いに来る。
なので、もしあなたが、着物を着こなし髪を結い荷物を両手に抱えてすたすた歩く仲居さんを予想してこのホテルに行ったなら、実際に迎えてくれるのが、数十年変わっていないだろうレトロなデザインのエメラルドグリーン色をしたエプロンドレスに、くるくるパーマ(島には一件しか美容院がないので、島の主婦は皆同じパーマになるのだそうな。)、慣れぬうちは聞き取れない島独自の発展を遂げた愛知弁を話す年配の女性が、「えっこらしょっ」と荷物を持ち上げてポテポテと歩く姿に目を見張ることだろう。
といっても、少人数には少人数の人間模様が描かれる。働き始めて2日程で、ようやく彼女たち先輩の仲居さんたちの顔と名前を見分けられるようになってきた。
小柄でつやつやとしたほっぺたが愛らしい丸顔のアサエさん。
はっきりした物言いで目鼻立ちの通ったトモミさん。
痩せて力はなさそうだけれど、物覚えが良くて若い頃はさぞ頭が切れたんだろうと思わせるシゲコさん。
のんびりした雰囲気に島民パーマと島方言がいちばん強いハツエさん。
アサエさんとトモミさんは見たところ五十代前半、シゲコさんとハツエさんは六十代後半か、七十に入ってるかもしれない。
仕事内容は、料理の給仕、宴会場の清掃、客室清掃とルームメイクが主で、「あれ、箸が足らん」「あんた、あそこに置いてあった醤油知らんかね」「菊の間のお客さんもう着いたわー。はよ行かにゃ」「オレの(担当の)部屋、どこやったけーなー」とかなんとか言いながら賑やかに駆け回りながらこなしていく。普段は小さな島の住人同士の間柄、待機時間には孫の話や島に週一度行商に来る八百屋の話なんかをおしゃべりし、仕事中も気兼ねなく言いあいながら働いている。(「あれ」や「それ」やと指示語の多さと、島の方言とですべては聞き取れなかったり、理解するのに時間がかかったりもするのだが。)
また2日程経つと、言葉ははっきりと聞き取れ、一日の仕事の流れもわかるようになってくる。そうして余裕がうまれてきたのか、あることに気がついた。
対等のように見える先輩たちの間にも、上下関係や敵対関係のようなものがある。誰かが誰かの陰口を叩いているところを目にすることが増えてきたのだ。
「あのひと、またオレの用意した醤油勝手に使ったよ」とか「あのひと、いつも雑巾使っても洗わん。結局後片付けはオレばっかりや」とか「あのひと、今日も(担当の部屋が)少ないね。楽ばっかしてね」とか。
けれど、私にはその陰口となる原因が仕方のないことにしか見えなくて、なぜそんなに怒っているのか理解できなかった。
というのも、割り当てられる部屋が少ない先輩は腰が曲がっていて力仕事は大変そうだし、「都合のいいことしか聞いていない」と言われる先輩は耳がよく聞こえてなさそうに何度も聞き返してきたし、「掃除が雑で手抜き」な先輩は瞳が白く濁り白内障に見受けられた。
そう、私には「おばあちゃんだから、そういうもんだろう」とできなくても仕方なく思えることに、彼女たちは腹を立てている。
なぜか。
ああそうか、彼女たちにとっては「おばあちゃん」ではないんだ。
という答えにいきついた時に、ハッとした。
ひとはある瞬間に急に「おばあちゃん」になるのではない。
私は最初から「おばあちゃん」として「座席を優先される人」「携帯のメールが打てない人」「ATMが苦手な人」と見ているけれど、若い頃から継続して親交のある者同士では、なだらかな歳月のもたらす変化に区切りを付けることは難しいだろう。
去年はできていたことが今年はできていない。それもすべてができていないのではなくて、「筋肉」からの人も「記憶力」からの人も「目・耳」からの人もいる。
老いの段階はそれぞれに異なる。
どこかしらかが老いていて、その程度が強かろうと、まだ仲居の仕事の声がかかるうちは「現役」であり、「同僚」である。「同僚」であるのは私も一緒で、私も「おばあちゃん」ではないとどうして言い切れようか。
当たり前のことかも知れないが、今まで実感としてわからなかった。
自分がどんな「おばあちゃん」になるかを想像してみたことはあるけれど、それはすっかり「おばあちゃん」になった姿だ。現在の自分の延長線上にあり、どういう課程を通って「おばあちゃん」になっていくのかは考えていなかった。
初めて優先座席を譲られるのはいつだろう。
以降しばらくは譲られたり譲られなかったりすることが続くんだろう。
同世代の友達といたのなら、どちらが座るべきか「あんたの方がおばあちゃんよ」と譲り合う(もしくは「おばあちゃん」というレッテルを押し付けあう)のだろうか。
自分はおばあちゃんになったと自覚するのは、かなりの確率で譲られるようになってからか、それとも電車やバスに乗ることさえできなくなったときにようやく認められるんだろうか。
それとも一生自覚しないまま過ごせるだろうか。
そういう、現在から「おばあちゃん」になりきるまでの間の部分の想像が、その狭間にいる彼女たちと同僚になることでさまざまに浮かんできたのである。
しかし、それらは老いへの不安とか恐怖とか、そういったマイナスのものではなかったということを最後に付け加えておく。
島のホテルの仲居の先輩たちがそれぞれにどこか老いを抱えていようと「現役」として働いている姿は、なんだかよかった。お茶を汲みにお勝手に下がったはずが「あれ、何しにいったんやっけ」と照れ笑いしながら戻って来る仲居さんに、お客さんが笑顔で再度お茶を依頼する光景はとても好ましい。力づくではなくて、長年の仕事を経て得たタイミングやコツで布団を上げ下ろしする姿は格好いい。
こんな風に歳をとるにはこれから先どういう風に過ごしてけばいいのだろう、と今までより長いスパンで生き方を考えてみることも増えた。
本人たちには酷かもしれないが、彼女たちにはこの先もできるだけ長く働いていて欲しい。そうして、「同僚」としてその働きぶりを様々な年代の人に見せてもらえたらと思う。
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2012-05-27T14:38:31+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【連載記事】戦争の話
http://yosomi.jp/article.php?id=235
<h2>戦争の話</h2><p class='author'>小田寛一郎 / 2012-05-27 23:38:31</p>何ヶ月か前、うちのばあちゃんが入っている施設(介護老人保健施設)にて、ばあちゃんが布団に入るのを見届けてさあ帰ろうかというとき、ひとりのおばあさんを職員さんに紹介されました。このおばあさんがぜひ私と話したいとのことで、最近この施設に入ってきたとおぼしきおばあさん。私とうちのばあちゃんとのやりとりを見ていて話をしたくなったそうで、しばらくこのおばあさんと職員さんと私の3人でお話をしました。
主に戦時中の話で、長崎・大村の工場に学徒動員で行って、兵器をつくっていたこと。そこに戦闘機が飛んできて、機銃掃射をするために低空飛行をするのだけれど、そのとき戦闘機の風で竹林の笹がざわざわっと揺れたこと。裸足履きの下駄で4里(約15.7km)の道を女学校まで通ったこと。食べ物がなく、大豆の絞りかすを少量の米と一緒に炊いたものを食べたこと。機銃掃射で亡くなった同級生を弔うために、女学校の見える場所に石碑を建てたこと。本当は先生になりたかったのだけれど、戦時中のことでなかなか思うようにいかず、周りに気兼ねもしたりして、先生になるための学校に行かなかったことを今でも後悔していること。子どもは5人、孫は10人。などなど。おそらく認知症の影響かなと思いますが、それぞれのお話を3回か4回ほど繰り返して話されました。繰り返すときの内容はだいたい同じですが、ちょっとだけディテールが違うことがあったりして、そういう時は前回よりも詳しく思い出したのかなと思います。話すエピソードの順番も特に決まっているわけではないようでした。
また、時々、一代記を書いてみたいと思うことがあるそうで、ぜひとも書いてくださいと言いました。あと、書くのは大変かもしれないから、こういうふうに誰かを相手に話してもらったことを録音するといいかもしれない、ともお伝えしました。このおばあさんはほんの一時期だけ施設に来ていたようで、今はもういないようです。また、一代記が書き上がるかどうか(そもそも書き始めるかどうか)も定かではないので、私が聞いた限りのことをここに記しておこうと思います。<br />
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2012-05-17T14:42:07+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】便利屋さんに会ったこと。
http://yosomi.jp/article.php?id=234
<h2>便利屋さんに会ったこと。</h2><p class='author'>中島彩 / 2012-05-17 23:42:07</p>4月の末に引っ越しをした。正確にいうと、レンタルトランクルームに置いてあった荷物を、すでに入居済みの新居へ運び出しただけで家から家の「引っ越し」ではないのだが、新居にはその時はまだとりあえずの着替えや荷物しか持っていっていなかったので、収納していた家財・私財を運び出したという点からすると、それはやはり「引っ越し」だった。
引っ越しというのは、家を変えるだけでなくて、通勤ルートや行きつけのスーパーや銭湯を開拓し、ご近所さんとの関係を築き始めることであり、これまで部屋内の景色として馴染んでいた物をいちど引きはがして分類し、箱につめ、見知らぬ部屋に連れて来ては再び景色づくっていけるよう配置していくことである。そこには、新しいものを築いていく「わくわく」と、すでに出来上がっていたものを崩さねばならない「だるだる」とが含まれる、一大イベントなのだ。
その「わくだる」をひとりで受けてたとうと思える程の根性を持ちえない私は、かといって周りの友人たちに頼むこともできず(なんと言ってもこれは私の独り立ちへの第一歩で、のっけから甘えてなるものかと意地を張っていた。この引っ越しの前に占い師のところへ赴き、「独り立ち」を諭されたことも影響しているのだが、この初めての占い師体験については別の機会があれば書いてみたいと思う。)、自分が働いた分の給料から人を雇って手伝ってもらう、ということで折り合いをつけようとしていた。
それで、まずインターネットにて引っ越し屋を何件か検索、見積もりをだしてもらうも、マニュアル的な電話対応や、まだ完全に荷造りできずにもやもやとした粘土の塊のようであった荷物を「どのサイズの段ボール何個分か」はっきりとさせなければならないこと、またその個数によって値段が変わっていくこと、昼間は仕事なので夜間に引っ越したいとなるとオプション料金、運び出すところの建物は2階で、引っ越し先は3階でとなるとまたオプション料金、オプションに次ぐオプションで、いったいほんとはいくらになるのか、恐ろしくなって決定できない。「だいたいの一人暮らしの20代の女性の荷物量とそんなに変わらないと思う。家具・家電はほぼないけど、本がつまった段ボールが沢山ある。」、そんなアバウトな説明で、値段はこれだけといったらほんとにそれだけで、はいはいと来てくれる人はいないものか。
それなら何でもオッケーな便利屋さんはどうかと「大阪 便利屋」で検索を開始。検索エンジンが表示するいくつかの便利屋のホームページを見てみて、「格安1万円のミニ引っ越し」それ以外に「但し〜の場合は別途見積もり」の表示なしの、気になったところに電話をかけてみたら、中年の男性らしき声につながった。標準語でも関西弁でもない訛のある話口調で、「はいはいー。引っ越しねー。××日なら空いてるよー。夜?夜でも大丈夫よー。」と、友達とちょっと食事に出掛ける約束でもするような軽いノリで、と言ってもチャラさや危うさとは違う妙に安心を感じさせる対応で、こちらも知己の友人と再会するような感覚でその人に引っ越しを依頼することにした。
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引っ越し当日、まず夕方にその便利屋さんから電話があって、「初めて行くところだから念を入れて早めに出発したら、約束の時間より早く来すぎてしまって、近くの散髪屋さんで髪を切ってもらってるんだけど、ちょっと遅くなりそうで…」という内容で、こちらもなんだかんだと荷造りに時間がかかったりしていたところで、快諾する。
といっても、さほど待たされることもなく、便利屋さんが到着。
軽トラックから降りて来たのは、刈りたてですっきりした短髪に愛嬌のある目元、ポロシャツにチノパンの50歳くらいの男性。人のいい親戚のおっちゃんとして以前から知っていたかのような親しみやすい風貌だ。遅れて来た詫びをいれつつ、早速仕事に取りかかる。荷物をざっと見通して、これから運んでいこうかと大きめの衣装ケースから荷台へ載せていく。ケースの後は大きめの段ボール、それから小さめの箱もの、間に布団やクッションの包みなど不定形のものを挟んで、全体を毛布で多い、ロープでしっかりと固定する。
その間、私も荷物をトランクルームから運び出す作業を行なう。過去に大手の引っ越し屋に依頼したときは「お客さんはじっとしていてください」的な、気遣いとも邪魔者扱いともとれるムードがあって、今回も任せっきりでも良かったのかも知れないが、特に邪魔者されることもなく、むしろ「こういう風に積んだら荷崩れしないんですよー」とか「ロープはね、こうやって結ぶとはずれない」とかいったことを教えてもらった。
荷物を載せ終わり、移動にうつるまえに、「ちょっと休憩しましょか」と立ち話をする。今日昼間の引っ越し先でこういうものもらってきたんですよ、とタイガースの優勝記念のパネルや、額装された虎の絵を見せてもらう。
「宝塚の方のお宅でね、引っ越すのに処分するからって。お客さん、タイガース好き?」
とか、
「漫画読むのが好きで、待ってる間に車の中でよく読むの。あ、これ読み終わってんけど、いる?」(と、漫画をくれる)
とか。
移動の車中では、便利屋ならではのおもしろかった出来事や、大阪で便利屋をする前の身の上話なんかを話してくれた。(この話もおもしろかったのだけど、ここまできて、「秘密の仕事も承ります」の便利屋さんの話なので、書いてはいけないような気がしてきました。フォローするわけではありませんが、義理堅そうな人なので、私に話してくれたことは話せる範囲のことで秘密厳守の訳あり仕事は、ほんとに厳守してくれそうです。)
引っ越し先に到着後、荷積み同様いっしょに荷下ろしを行なう。車中でのおしゃべりで和んだのか、こころなしかチームワークがうまれてきたかのようにスムーズに。
全部の作業が終わって、再び立ち話。
どういう経緯で便利屋の仕事を始めたか。
?今の仕事をどう思っているか。
年中無休24時間で依頼を受け、主にひとりで、働いているという。けれど、仕事が辛いと思ったことはなくて、楽しいと。できるかぎり続けたいと思っているそうだ。
かたや聞いている私は、就いている仕事は好きではなく、仕事が楽しいものだという感覚も今まであったかどうかさえあやふやになってきていて、(たぶん仕事が楽しかった時期もあったはず)、できれば仕事をやめたいと思っていたところで、(ちょうどこの前日に上司に退職の相談をしたところだった)、なんだか本当に楽しそうに仕事の話をする彼に、爽快に打ちのめされた。
引っ越しをする、というのは先にも書いた通り、自分の周りの環境が変わる一大イベントである。変わりたいから引っ越しをするのか、引っ越しをするから変わるのかは、卵か先か鶏が先かの話で、ともかく、それは人生の節目なのだ。
その、節目節目を見て来た便利屋さんはかくも痛快で、その人に引っ越しを手伝ってもらったことで、私はこれから荷解きしなければならない段ボールの山を前に、しかしさほどのだるさは感じずに、まあ明日からでいいかと、少し遅い夕飯を兼ねて「近所の行きつけの居酒屋」開拓にでかけた。
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もし、この話をここまま読んでくれたあなたが環境を変えたくて引越を決意した時、気がつけば借金に追われて夜逃げしなくてはならなくなった時、様々な理由で住み続けられなくなった時、余所見の読者って自分で引っ越ししてしまえる人の方が多そうなイメージがあるけれど、すべて自分や友人知人の間でやってしまわずに、それまでまったくつながりのなかった人に手伝ってもらってみてはどうだろうか?
もしその最中に、知らない人間同士の気楽さで人生を語ったり、聞かせてもらったりすることができれば、節目にふさわしい一日を送ることができるかもしれない。
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2012-05-07T12:44:35+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩、藤井菜摘
【行ってみよう!】マンガミュージアムに行ってきました。
http://yosomi.jp/article.php?id=232
<h2>マンガミュージアムに行ってきました。</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2012-05-07 21:44:35</p>国際マンガミュージアムに行った帰りに録音しました。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1336394671.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2012-05-02T10:55:34+09:00
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永田芳子
【連載記事】「こま」のこと
http://yosomi.jp/article.php?id=231
<h2>「こま」のこと</h2><p class='author'>永田芳子 / 2012-05-02 19:55:34</p>ここのところ、余所見の山本さんの記事を読んでいると『みんなこま(?)に行くんでしょ』という一節が何度か出てくる。
「こま」は天満のおすし屋さん「春駒」のことで、知人間にもファンが多い。彼らは略してこまと呼んでいる。その「こま」の話。
祖母はもともと中崎町に住んでいて、天満の和菓子屋で働いていた。私が生まれてから今の場所に引っ越したのだけれど勤めは続けていた。小さい頃、ときどきおみやげとして、うまい屋のたこやきや、勤め先のおだんご、別のお菓子屋で売っていたカステラのはしっこなど、天満の何かを買ってきた。春駒のおすしもその中のひとつで、こちらは家で食事の用意がされていることもあり、頻度としては低かった。
家でよく作っていたいわしのおすしと違って、春駒のそれは小振りで可愛らしく思えた。味についてどう思ったのかは正直覚えていない。それより、他のおみやげよりも、なにか特別に良い物のようにして食べていた祖母のほうが印象に残っている。
その祖母が他界してしばらくした頃、「こま」ファンの知人に誘われて初めて店に入った。テレビの天六特集みたいなので見たことはあったが、店内はずっと騒々しく、昼間から出来上がっている客もいて。
「お前はこんな所に住んで、かわいそう」とよく言われた。確かに場末ではあるし、結構な土地柄とは言えないにしても、普通といえば普通の町だ。あんなに賑やかな所にいた人だからそんな風に思うのかな、と子供の頃は考えていたが、長じるにつれてそうでは無いと分かってきた。何かにつけ私を呼びつけては繰り返し、こと細かく話す祖母の天満は、おもに祖父が生きていた時期に限定されていて、実際に連れられて行く天満よりも華やかで、例えるなら「大阪人」辺りにでも載っていそうなものだった。
「こま」へは三度行った。知人と二回、一人で一回。先に書いた和菓子屋とお菓子屋はもうない。買い物の荷物持ちに駆り出された天満市場もずいぶん様子が変わった。うまい屋は一度火事になったし、特に何事も無さそうなのはここぐらい。
葬儀のあと、母に祖母から聞かされた「天満の頃」の話をしてみたら、ずいぶん齟齬があった。会った事もない祖父のこと、写真を見ても古すぎて実感の湧かない親族、当時の母や伯父との暮らし、いろいろと勘違いレベルで済ますにはおかしい点がでてきた。問題は祖母が呆けていなかったこと。
記録もなく、終わったことを相手にするには、娘で孫の私に両者の話の正しさをジャッジする材料が無い。周りの客も知人たちも皆おいしそうに春駒でおすしを食べていた。時間が経って、運よく晩年といえる頃、記憶はどんな要素によってどんな風に歪むのか、私の頭に残るものとどれくらいかけ離れるのか想像があまりつかないけど。<br />
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2012-04-06T13:55:54+09:00
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境隼人
【連載記事】3月の観た聴いた行った読んだ買ったその他
http://yosomi.jp/article.php?id=229
<h2>3月の観た聴いた行った読んだ買ったその他</h2><p class='author'>境隼人 / 2012-04-06 22:55:54</p>3月のアクセスログというか消費メモです。自分でも忘れる。
レイアウト度外視の箇条書きです。見やすくするには画像とかにするべきかもしれませんがひとまずこのまま。
その都度、或は思い出したら随時加筆。
○行った
3日
太陽感謝プレ祭・第二部・謝謝謝
at 大阪府 福島pinebrooklyn
[LIVE] 大友良英×七尾旅人 /ムーン♀ママ BAND(PIKA☆×坂本弘道×ナスノミツル)/TAIYO33BIGBAND
[DJ]コーヒールンバ/威力
[TALK]木村真三(放射能衛生学)/特別対談 木村真三×大友良英
9日
” HEADZ× IN/SECTS ” 蓮沼執太 『シーシーウーツアージャパン』大阪
at CONPASS
[Live]蓮沼執太チーム(蓮沼執太・石塚周太・イトケン・葛西敏彦・木下美紗都・斉藤亮輔・Jimanica) 劇団 子供鉅人 / 木下美紗都 / 腹八分[ 森雄大(neco眠る)+栗原ペダル(neco眠る) ]+BIOMAN(neco眠る)
20日
日本橋ストリートフェスタ内AT-X Presents「咲-Saki- 阿知賀編episode of side-A」声優トークショー
at 日本橋でんでんタウン・中ステージ
〔出演〕松永真穂、manami
25日
「堀江由衣をめぐる冒険?〜Secret Mission Tour〜」
at 神戸国際会館こくさいホール
[出演] 堀江由衣
29日
「子どもオーケストラ ワークショップvol.2」
at 大阪市立南津守小学校2階多目的室
[講師(指揮)]大友良英(音楽家)
[参加ミュージシャン]小島剛・森山ふとし・山路知恵子
31日
梅沢和木「大地と水と無主物コア」展
at CASHI°
アートフェア東京2012
at 東京国際フォーラム展示ホール
○聴いた&読んだ&その他(買った)
岡田利規 - コンセプション(書籍)
磯部涼 - プロジェクトFUKUSHIMA!(書籍)
伊藤 計劃 - The Indifference Engine(書籍)
Gold Panda - Companion(CD)
キルミーのベイベー!/ふたりのきもちほんとのひみつ【起】盤(CD)
livetune feat 初音ミク - Tell Your World EP(CD)
堀江由衣 - 秘密(CD)
スープ-メッセンジャー - サッポロKOROSHIYA KILL ME BABY状態(CDR)
藤和エリオBEACH QUEENS(フィギュア)
BFDeco(ドラム音源)
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2012-03-28T16:19:26+09:00
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山本握微
【連載記事】一日を棒に風呂う。
http://yosomi.jp/article.php?id=228
<h2>一日を棒に風呂う。</h2><p class='author'>山本握微 / 2012-03-29 01:19:26</p> こんにちは、こんばんは、おはようございます。本日もやって参りました、生活マルトク情報バラエティーウェブマガジン、余所見です。今日も、とっておきの街の情報、これをご覧のハイソサエティ層にこっそりお届けしますね。周囲と差をつけましょう。合言葉は……せーの「余所見たことか!」
さて、皆さんは、お風呂に入りたいけど家にお風呂がない、ってことありませんか? ありませんか。そうですか。僕はあります。お風呂がないです。じゃあ、どうする? まあ、入らないですね。基本は。当然、社内では噂になります。必然、窓側行きです。換気的に。でも、社内はいいんですが、取引先とか訪問する時、困りますね。なので、たまには入らないとならない。
で、銭湯に行きます。幸い、比較的近所に一軒あります。徒歩10分もないくらい。今、大阪市では一ッ風呂四一〇円。ふうむ。余談ですが、銭湯には高齢者割引デーだっけか、みたいなんあるんですが、今大阪市の首長が云々で補助金が打ち切られる見込みらしくて、今、各銭湯で署名活動やってます。実に色んな余波と署名活動があるんですね。でも銭湯で署名活動って、すごおく、あれですよね、数じゃないのに数じゃないのに、って感じで。
それはそれとして、この銭湯、夜は12時までやってます。結構、遅くまでやっていますね。でも、会社から帰って、途中コンビニで週刊漫画雑誌読み耽ったりしていると、間に合いません。で、少し足を伸ばすと、日を超えてやってる銭湯が数軒もあります。素晴らしい。でも、ここへ行く途中、うっかりコンビニで「ミナミの帝王」とか読み出すと、もう間に合いません。もう同じ話何回も読んでるのに! と後悔しても手遅れ。さあ、どうする?
(♪ピコーン・ピコーン)お、鳴りましたね。注目のベル。ここからが本題です。アルス・メモリア(記憶術)の準備はいいですか?
朝風呂やってる銭湯も探せばあるんですが。曜日が限られていたりします。そこで、知る人ぞ知る、カプセルホテルの朝風呂を利用しましょう。
サンプレイン長堀。地下鉄長堀橋駅徒歩数分。電車内で宣伝文句を聞いたことある型もいらっしゃるのではないでしょうか。大阪市のなかなか中心部、比較的安めの値段な、優良カプセルホテルです。……まあ、これをご覧の皆様にはカプセルホテルなんて縁はないでしょうが(みんな「こま(?)」に行くんでしょ)、況や旅先でなく地元のホテルをや。確かに宿泊はしないですが(やってみたいけど)、ここの裏メニュー(サイトには載ってないな)として、朝風呂、あるんです! あんまり他の人は言わないでくださいね。
まあ、この手のホテルって、ビジネスマン向けの仮眠利用とか、サウナだけとか、よくあるんですが。でも、この「朝風呂」って枠、7時から9時だっけか、10時だっけか?忘れたけども、五〇〇円なんです。
へー。普通の銭湯が四一〇円で、カプセルホテルの共同浴場が五〇〇円ねー。この手のホテルの定石ですが、風呂は最上階、展望風呂と銘打ってまして、風景は、まあ雑居ビル群が多数を占めますが、通天閣も見えたりとなかなかの眺め。そして何より、タオルは拭き放題で歯ブラシは磨き放題、髭は剃り放題で、シャンプーもボディソープも泡立て放題ヨーロレイヒー。これで五〇〇円はなかなかですぜ。
あれは数年前……長堀橋の某劇場で公演していた時。劇場に泊り込んでいたのですが、あまりの忙しさに風呂へ入る時間がなく、だのに汗は死ぬほどかいている、という最悪な状態。これはまずいと本番の早朝、あちこちの風呂屋回るも開いてない。朝風呂やってる、という噂を聞きつけて尋ねても、曜日的にやってない、ところばかり。「そんな……風呂に入りたいのに、入れないってのか……そんなことってあるのか……この21世紀の経済大国日本で……」と絶望していたところ、サンプレイン長堀を発見……なんで発見したんだっけかな、朝風呂やってます、って看板出してたのかな、駄目もとで尋ねたのか……「はいどうぞ」と入れたんだった。
記憶では、あの時七〇〇円だった。朝風呂、というか、「4時間休憩」の一種として入ったんだっけか。後に「1時間休憩」という枠があると知り、五〇〇円で入るようになる。でも、今朝行ったら、特に何時間となく、「朝風呂」と明言して、五〇〇円だった。時間も朝風呂枠内でゆっくりしてもいいみたい。
しかも、後四〇〇円払ったら、ホテル用の朝食(和食バイキングだっけか)も食べられる。
「真っ昼間の、銭湯上がりの生ビール。 これに勝てるヤツがいたら連れて来い!」とは、エッセイ「昼のセント酒」(久住昌之)の惹句ですが、よござんす、「朝っぱらの、カプセルホテル展望風呂に、朝食バイキング(食べたこと無いけど)」同伴で迎え撃つ、って話ですよ。同エッセイの冒頭に確か、風呂や酒は、夜やるとどこか言い訳くさく後ろ向き(がんばったから、とか、疲れたから、とか)だが、昼やると、それはもう行動そのもの、みたいな趣旨のことが書かれてあったと思います。これは素晴らしい見解ですが、そこへ行くと朝風呂はそれ以上。加えて、もう酒も飲みましょうか。一日を、始まる前に終わらせる。一日を、無かったことにする。
と、そこまで退廃的な楽しみでなくてもいいですか。一日の始まりを、出先朝風呂で済ませる、ってのはなかなか乙です普通に。いや家に銭湯あるし、って方。そうそう。そういう人、夜に行く銭湯には確かにあんまり意味ないですが、朝はいいです。
朝風呂、家でできても、それは家の中だからまだ始まる前というか。玄関を出て、初手が風呂。これ。
今回の余所見も、明日朝から即実用可の充実した内容ですね。いやほんと助かりますサンプレイン長堀。しかし、個人的に一番惹かれるのは、朝風呂よりも「カプセルホテル的雰囲気」かもしれません。あの、独特の、サラリーマン臭さといいますか。あ、それで思い出しましたが、女性客は朝風呂利用できません。悲しいかな。サンプレイン長堀自体は、女性も宿泊できる施設なんですが、展望風呂は男性用のみ。まあ、完全に男性文化ですねこれは。<br />
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2012-03-23T19:57:37+09:00
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永田芳子
【連載記事】「三日月ロック」を聴いてたら
http://yosomi.jp/article.php?id=227
<h2>「三日月ロック」を聴いてたら</h2><p class='author'>永田芳子 / 2012-03-24 04:57:37</p>時間が出来たので久々にスピッツのアルバム「三日月ロック」を聴いていた。
1曲目「夜を駆ける」の歌詞をあらためて読んでいたら気が付いた。ずっとこの曲を、“どこかから逃げ出した犬(か何かの動物)2匹の歌”だと思っていたが、どこにもそれらしき記述が無い。かといって人だと示す描写も無いのだけれど、なんで犬的なものと思ったんだろう。
そういえば、初めてスピッツの曲を聴いたときあんまり物言いが乱暴だったので、それに驚いたんだった。
当時働いていたシルク刷り工場にはラジオがあって、作業中ずっとFMがかかっていた。版を取り替えるときに使い終わった分のインクをふき取る作業は、特にこれといって気を配ることもない。せいぜい版を破らないようにするくらいなので少しはラジオに気をとられていても大丈夫。
そんな時に「ハチミツ」という曲がかかった。スピッツという名前くらいは知っていたので、ふーんこれがそうか、ギターバンドなのかな、随分さらさらした声だなー、なんて考えながらなんとなく聴いていたら、どうも歌詞が気にかかりだした。なんだろうなと思っていたら「珍しい宝石が拾えないなら 二人のかけらで間に合わせてしまえ」という部分で引っかかった。無邪気、とか純粋、とかを表す際に子供っぽさを用いるのは常套手段だけども、これだけ強引ならいっそ幼児なんじゃないか。しかも不完全さが不完全のまま野放しだ。その日、仕事が終わってからレンタル屋でリリースされていた分を全部借りた。それ以来、今でも新しいのが出るたび聴いている。
1枚目辺りははわざわざ変わった言い回しをしようとしたのかな、という部分がある。それよりも普通の言葉使いになってからのほうが、たまに入る不穏な単語や歪さが際立って面白い。
ラブソングが多いのだが、アルバムごとに聴き進めるうち、昔テレビで見たゾウリムシの交接を連想した。うろ覚えだけれどもゾウリムシは何回か単独での分裂を経ると、性別らしきものを持つのが発生するらしい。で、逆の個体とくっついて細胞から1つに混ざってしまい、その後当初の成り立ちとはまったく別の個体2つに別れ、それぞれ新しいゾウリムシとしてやっていくらしい。なんて直截で、てらいが無いんだろうと感心した。どうも歌の端々にこうした、原始的なありようへの志向があるような。
このあたり、大島弓子のマンガと合わせてみてもいいかもしれない。死生のごたまぜ感や、ほんとうにハッピーエンドなのかどうなのか1歩立ち止まる感じもなにか似てる。
どうやら歌詞を取り違えたのはこうした所が原因かと思われ。
ま、このアルバムには「ハネモノ」という不定形上等とでもいうような歌もあることだし、犬みたいなものでいいか。
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2012-03-18T01:39:49+09:00
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山本握微
【連載記事】0人いる!
http://yosomi.jp/article.php?id=226
<h2>0人いる!</h2><p class='author'>山本握微 / 2012-03-18 10:39:49</p> 「ダンジョンマスター」というコンピュータゲームがある。……といっても、余所見の如きハイソサエティなウェブマガジンの読者諸賢に、コンピュータゲームなんて俗悪なものに興じる人はいないと思うけれど(みんな「こま(?)」に行くんでしょ)、ましてや一昔前の海外製リアルタイム3DダンジョンRPGで遊ぶ人はいないと思うけれど。今ここでゲームの話を書きたいわけじゃない。ゲーム・レビューなどではない。或る、お伝えしたいことのために、このゲームの話を通過しなくちゃならない。それも、ちょっと微妙な道を通るため、軽く概要だけ触れるわけにもいかない。
「ダンジョンマスター」というコンピューターゲームがある。もちろん、僕も遊んだことあるが、詳しくはない。プレイヤーは、4人のキャラクターを編成して、迷宮に潜り込み、罠や怪物の襲撃など各種の困難を乗り越えて、諸悪の根源的な要人を倒す。こんなゲームだったと思う。迷宮に罠や怪物、ってんだから、現代日本のお話でなく、西洋中世風ファンタジー。
プレイヤーが操作する「4人のキャラクター」は、予め用意された総勢24人の中から選択する。それぞれ、力が強いとか、器用だとか、個性があり(あると思う)、それを考慮しつつ、または趣味に応じて、自由に選択できる。そんな流れは、この手のゲームでは珍しくない。
この「キャラクターを選ぶ」は、ボードゲームで駒の色を選ぶみたいに、単に事務的に選ぶってのもあるけれど、古くは「ウィザドリー」、メジャーなところでは「ドラゴンクエスト3」では、「酒場でたむろしている連中から仲間を募る」という体裁をとる。現代日本に於いて国運を左右する決死隊を募る時、和民の客に声をかける、ということは想像しにくいが、ファンタジーな世界において酒場は、百戦錬磨のフリーランスな人がたむろしているのが相場となっており、物語にかなっている。
でこの「ダンジョンマスター」には、もう少し「キャラクターを選ぶ」のに物語がある。実は、ゲームが(物語が)始まる前、既にこの24人は決死隊として潜っており、返り討ちにあっている。黒幕は、見せしめに、魔法の力か何かで、鏡みたいなのに彼ら閉じ込めて「牢獄」に入れてしまった。「牢獄」には、まるで美術館のように、人が封じ込められた鏡が並んでいる(怖いね)。それから色々あって、再挑戦するために、この「鏡」から4人を選んで助け出す(=ゲームに使用するキャラクターを選ぶ)という体裁になっている。
この「ダンジョンマスター」ゲーム画面はひたすらダンジョンの中なんだけど、このキャラクターを選ぶ「牢獄」もまた、ダンジョンなので、
【キャラクターを選ぶ前、つまりゲームが始まる前から、キャラクターが誰も居ない状態から、ゲーム本編と同様のインターフェイスで操作する】
長くなりましたが、今回この記事で書きたかったことはこれ。
一人目のキャラクターを選ぶと、今度はそのキャラクターが「牢獄」を歩くことになります。で、その一人目が次の二人目を選ぶ。同じ感じで、三人目、四人目と選び、「牢獄」を抜け出せば本編の迷宮が始まります。
このゲーム、一種のギャグか、間違って壁のある方向に進もうとすると「オフッ!」って呻き声とともに、ごくごく軽傷を負います。壁に頭でもぶつけたんですな。
しかし、キャラクターを選ぶ「牢獄」。一人目のキャラクターが二人目のキャラクターを求めて彷徨う時、勿論壁にぶつかって軽傷を負うこともあるんですが、肝心要「一人目」を選ぶ前、彷徨う「主体」は、まだいないのでそういったことはありません。
ゲーム開始直後から一人目を選ぶその瞬間、短い間ですが、「0人目」なのに「主体」がある、という不思議な状態。この、「ダンジョンマスター」抜きには理解し辛いこの感覚。これが、ごくたまに、日常の何かで連想したり、或いは役に立ったりもします。
例えば、誰にも行き先を告げず一人散歩していると、こんな感覚に陥ることがあります。道行く人にぶつかったりしなければ、自分は今、周囲から存在しないも同じ。夢中で前を向いて歩いていると自分の身体も見えないし、自分自身の存在も忘れてしまう。ああ今、誰でもない存在が、ふらふら彷徨っている。ダンジョンマスターみたいだな、とか。
よく認識論?とかで「地球に落ちた最初の雷に音はあったか」「世界は本当にカラフルか」という問いがあったかと思います(多分)。音も色も、人間の五官が各種の振動を受けて、脳内でしかるべく変換しているので、今認識できる世界は、飽くまで人間にとって。そこで、「世界本来の姿」を想像する時(んなもの無い、でもいいんですが)、「0人目の主体」が役に立つかもしれません。
もう少し実用的なところでは。何か「作品」を作るとき。作品の種類によりますが、ハードとソフト、というかベースとメロディといいますか、この土台と実体が揃わないと作り始めることが難しい。で、大抵の場合、それがうまく揃わないで頓挫してしまう。で、取り合えずハードの方を先に整備しますわな。でも、この土台からして難しい。
そこで「0人の主体」が「一人目に先駆けて動く」ことを参考に。敢えて「ソフト」の方から走らせる、とか。或いは「ソフトはないけど走らせる」とか。これ「取り合えず悩むより始めてみよう」的なメンタル仕事術の類でなく。「始める前から始まっている」「始める前を始めることができる」というか、事例によるんですが、割と具体的で画期的なアイデアになったりします。
「さすが余所見のプロ、山本握微。一昔前の海外製リアルタイム3DダンジョンRPGから、こんなに含蓄の深いことを見出す。これが巷間話題のゲーミフィケーションというやつか」いや全く。
こういう、それ以上分解できない概念といいますか、感覚といいますか、パターンといいますか(僕は「運動」と呼んでいますが)これを収集・整理・一覧化できないものか、と以前から考えています。すぐ忘れるのでなかなか。
これは「0人の主体」という、「ダンジョンマスター」から得たマニアックな「運動」ですが、もっとメジャーなのも沢山あります。そも「ハードとソフト」とか。ハードとソフトは、単なる二元論でなく、役割が正反対というよりずれているところが面白いですね。
或いは「ハードとソフト」という概念と「0人の主体」という概念では、そもそも種類が違うのか。まあ、僕の出来が悪いオムツではこれ以上はよくわかりません。
※ 24人のキャラクターのうち2人は、特別に強力なキャラクターとなっており、牢獄の中でも隠し部屋に閉じ込められています。その隠し部屋に進入するためには、(確か)スイッチを押したりしなけりゃならない。「0人目」には、その操作が不可能です。押す指がないし。そこで、強力なキャラクターを戦列に加えるためには、予め最低一人選ぶ必要がある。その一人が、隠されたキャラクターを探しにいけるわけですが、隠し部屋にはモンスターも沢山待ち構えています。ああ、0人目ならモンスターに噛み付かれる心配もないのに……。この葛藤もたまんねえ。
※ 古いゲームは、現実世界の再現能力に限りがあるため、また単にゲーム作りの経験や慣習が蓄積されないため、独特の「運動」を持つことがよくあります。
※ 文体が途中で変わっているのは日付変更線を超えたためです。
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2012-03-11T06:54:15+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】「定期購読」のための雑誌
http://yosomi.jp/article.php?id=225
<h2>「定期購読」のための雑誌</h2><p class='author'>山本握微 / 2012-03-11 15:54:15</p> 雑誌が休刊になる度、残念だ、という声を聞くけれど、実際その人がその雑誌を「定期購読」していたか、というとそうでもないことが多い。雑誌が休刊になる理由は、単に実売数が減ったから、だけではないのでけれど、買わないことには成り立たないので、残念も無念もないもんだ。
まあ、残念だというからには、一応その雑誌を買ったことぐらいはあるんだろうけれど、特集によって買ったり買わなかったりしているんでしょう。酷い時には、自分が書いたり関係したりしている記事が載っているから、というだけで嘆いているんだから、ただのナルシズムより身銭を切らない分、性質が悪い。
出版社にとって雑誌は、実売以外に広告で収入があるから、単価を安くして利益を上げることができる。書店にとっては、毎月毎週発売されるので、同じ種類の雑誌なら実績から安定した仕入れをすることができ、次号が出れば前号は返品と、長期的な在庫管理をする必要もなく、単価は安いけど利益率が高い。良いことづくめ。
でも今、売れないだけでなく定期購読という風習自体が失われつつだから、その「生産/仕入れ部数の安定」という柱がない。気の利いた特集で「買ったり買わなかったり」普段より売れ数は増えても、見込みが違えば返品は増大、結局赤字なんてこともあるかもしれない(実際のとこ知りませんけど)。
前置きが長くなりましたが、雑誌が売れない状況を堂々と嘆く為、そのアリバイ作りとして何か「定期購読」してみたいけれど、年間で考えるとやっぱ高いし特にこれといった雑誌が思いつかない……本日は、そんな貴方に、とってつけたようにうってつけ!「定期購読」目的に相応しい雑誌をご紹介しましょう。勿論、僕も定期購読しています。
「こどものとも0.1.2」
福音館書店発行/月刊誌
流通形態上、雑誌ですが、まあこれ絵本ですね。それも「赤ちゃん絵本」という、誌名通り0歳から2歳向けの絵本です。頁はぶ厚く、よだれが垂れても大丈夫。
世の中「雑誌」というと、多数の記事寄せ集め、つまり文字通り「雑」なところにポイントがあるんですが、もう一つのポイントは「定期刊行」されることです。定期刊行されていれば、内容が「純」(この場合は絵本)でも、そこそこ雑誌。まあ雑誌の定義はいいのですが、確かに「絵本」というのは、定期的に刊行されると育児上、便利です。パズル雑誌なんかもそうかも。あれもいろんなパズルがあって雑ではありますが、別にパズルがあればいいわけで、用途としては「純」。でも一度に沢山は要らない、と「定期刊行」にそぐった代物です。
でも何で赤ちゃん絵本? まず、価格が安い。本体390円。月刊誌なら安い方でしょう。あと、他の雑誌と違い、ボリュームは表紙併せて22頁と、文藝春秋に比べればやや少なめではありますが、読み切れない心配がありません。
多少気合入れて雑誌を定期購読してみたら、多くの記事を読みきれず、どんどん溜まっていく内にゴミ感が出てきて嫌んなって止める、って人、これ真面目な話多いと思います。「読み切れる」ってのは内容問わず雑誌を定期購読する人の必須条件でしょう。
内容についても、僕はそもそも活字の本を読むのが苦手なので、これくらいが丁度良い。活字いっぱいの本をガンガン読む人にとっても「赤ちゃん絵本」で描かれる世界は、赤ちゃんにもウケるほどプリミティブというか、感性の根幹を狙ってくるので、なかなか面白いかと思います(でも突き詰めたら三周回って赤ちゃん絵本の世界は深いわー、って読み方はやめましょうね。素直に楽しむか、微妙なシュールさに突っ込む程度にしときましょう)。
そして、僕如き年齢になると、周囲にも赤ちゃん生む人が沢山。で、この雑誌をそのままプレゼントできます。普通「本のプレゼント」って素敵ではありますが、もらった方は読むプレッシャーとか保存のこととか考えると気が重くなりかねません。しかし、これは雑誌でもありますから「赤ちゃん飽きたら気にせず処分してねー、ぼろぼろになるだろうし」と、雑誌故の消耗品であることを強調して贈ることができます。まあ多分は喜ばれて、自分も雑誌が溜まらない。まさに三方良し。
更に。この絵本には小さな折込み小冊子「絵本のたのしみ」が付録として挟まれています。PR誌ですが、コラムも幾つかあり、時々今をときめく系の人が記事を書いてたりします。その内の一つ、連載「あのとき、この本」。思い出の絵本を取り上げるコーナーで、これも面白いんですが、こうの史代の四コマ漫画付き!「ときこの本」というタイトルで、漫画の内容も、その時取り上げられた絵本にちなんでいて、滅茶面白い(これちゃんと単行本になるんだろうか……)。実はこれが一番楽しみ。
いやあ、今回の余所見は即実用可のお得記事でしたね。買ってよし、読んでよし、贈ってよし、こうの史代にキュンとしてよし。早速定期購読して、何か雑誌が休刊になった時とか「雑誌冬の時代やのう」と思い切り嘆いてやりましょう。すると山本某が「そういうてめえは何か定期購読してんのか!」と怒鳴り込んできますから、「いやあ『こどものとも0.1.2』とかね、去年から」と出鼻くじいてやりましょう。
※ 赤ちゃんに読んであげるとき、付録の挟み込み冊子を抜いておくの忘れないようにご注意を! 話が途切れて、赤ちゃんも興醒めしてしまいます。下読みがてら’、抜いておこう。<br />
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2012-03-04T20:29:51+09:00
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藤井菜摘
【連載記事】両親の話し
http://yosomi.jp/article.php?id=224
<h2>両親の話し</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2012-03-05 05:29:51</p>両親の話しをいくつか聞きました。
実家は自営業を営んでいるのですが、去年の末ごろからその店の近くに足の短い猫が二匹うろうろしてるらしいです。2匹は柄は違うようですが、二匹とも足が短いので兄弟ではないかと両親は言います。足が短いというのは、恐らくマンチカンとかそういう猫の血が混じっているのだと思います。うちの両親は特別動物が好きというわけではなくて、その話しをする口ぶりもちょっとぶっきらぼうで、けど全体通して聞いているとまんざらでもないような、そんな距離感です。私がその猫に興味をしめすと、次に帰ったときには携帯電話で動画を撮っていました。近所にはまた別の猫がいて、その猫は飼い猫風で少し大きいらしく、その猫が来ると二匹はすぐ逃げてしまうそうです。とにかく両親いわく、二匹は「あかんたれ」だそうです。特に面白かったふうでもなく、ただ日常の中で起こった事を報告するくらいの感じが良かったです。
少し前、両親が知人のお通夜に行ったという話しを聞きました。誰のお通夜かと聞くと、「ほら、あんた昔店に座ってたらお年玉1万円くれた社長の奥さんおったやんか。その社長が亡くならはってん。」とのこと。この通称『お年玉に1万円くれた社長の奥さん』は家族の中で『他人の子供に1万円もくれたお金持ち』という記録とともに記憶に残っている人なのですが、もう私の中では遥か昔のことなので顔も名前も覚えていません。話しは続きます。「行ったらな、○○の○○さんも来てたわ。あそこの服昔からよう買うてはったからな。」○○の○○さんというのは、昔近所にあった市場の服屋の人のことらしいです。「奥さん1人で来てはってな、旦那さんが車運転しててんけど、道わからんからて奥さん途中で降りてタクシーひろって来てんて。せやけど、お通夜終わるまで旦那さん結局来んかったわ。なんであんな簡単な道で迷うねんて笑ててん。しかも旦那さん携帯忘れたらしいねんけどな、ちゃんと家帰れたんやろか。」お通夜で泣いてたけど、笑けてもたという話しでした。登場人物の詳細がわからなくても面白く聞けた話しでした。
人と話すとき、その内容に少なからず自分の社会性が反映されると思います。それは精神的な距離感や物理的な距離感によって変化すると思うのだけど、できるだけそういうものを意識しない会話というのが好きです。ようするに話しても話さなくてもいいような話しが好きです。家族の間には割とそういう会話が多いように思います。
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2012-03-04T16:27:44+09:00
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山本握微
【連載記事】明くる日のアクリル
http://yosomi.jp/article.php?id=223
<h2>明くる日のアクリル</h2><p class='author'>山本握微 / 2012-03-05 01:27:44</p>「あれ、ここの店員、みんな顎を骨折して治療中なのかな?」
と、一瞬思った。近所の、チェーンの立ち食いうどん屋さん。店員が皆、顎を、プラスチック状の何かが覆っている。よく見ると、顎から透明のアクリル板?が伸びて、口元を覆っている。
これは……矯正器具ではなく、マスクのようだ。口のまわりにぴっちり付く布のマスクではなく。口の下の部分からプラスチックの支えが伸びて、口からほんの一定距離を保ち、アクリル板が遮っている。
何故?普通のマスクじゃ駄目なのかしら。普通のマスクだと、顔面を覆ってしまうから、営業上よくないという考えで、アクリル板にしたのかな? 確かに、表情はよく見えるが、すぐ顎のプラスチックが目について、とても奇妙。
或いは、口から距離が保たれることで(マスク本来の役割を一部果たさないような気がするけれど)息苦しくならないためにあるんだろうか。僕も、マスクすると息苦しさに耐え切れなくなるので、楽そう、とは思ったが。
なんとなく、タクシー運転座席に付くようになったアクリルの防護壁を思い出した。透明でも、存在感がすごいというか。それを存在させる、状況の凶々しさか。
または、近所のローソンで最近あった「からあげくん増量中」のベストも思い出した。「感情労働」という言葉があったっけ。作業だけでなく、笑顔とか、それも労働に含まれて大変だなあ、という話。これら更に一歩踏み込んで、奇妙な格好をさせられる感じ。おそらくは、衛生上の観点からやっているのだろうけれど、それだけに、もう止められないような。
あれも思い出した。くら寿司(ッて、ここの読者層に、くら寿司行く人いなさそうだけれど。みんな「こま(?)」に行くんでしょ)。皿にバーコードつけて、鮮度管理する、とか潔癖な発明をしていたけれど、ついに、皿をとるのにも、何か最近加わった、あれ。ベルトコンベアを流れる時に、外気に触れぬよう、皿を囲むケース、皿を取るときも、それに触れずに済むんだっけか、これも奇妙な。
ベタな未来人のイメージに、顔の上部分を覆うグラスのモニター、みたいなのがあるけれど、ここでは顔の下半分を覆っているという。未来人には変わりないですけれども。<br />
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2012-02-29T15:09:07+09:00
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山本握微
【連載記事】首位浮上
http://yosomi.jp/article.php?id=222
<h2>首位浮上</h2><p class='author'>山本握微 / 2012-03-01 00:09:07</p> ボールペンは、胸ポケットに挿しておく、ようにしていて、他人から借りたペンも気がつけば胸ポケットで我が物顔している始末。
だが、最近は経年の所為か、それすら覚束ない。何時の間にかハイチャイしている。気がつけばペンがない。仕事中、ボールペンは必須なので、困る。たかがボールペン、されどボールペン。これがなければ伝票を切れないし、不在にしている人の席にメッセージを残せない。
職場には、ボールペンなぞ誰のものでもなく溢れているのが常だが、こうした紛失と失敬を繰り返した結果、戒厳令の城塞都市如く、周囲で浮いているボールペンが見当たらなくなった。困る。
で、必然的に「ペンからひもを垂らして首に巻いておく」という発想が生まれた。これなら、失くさない。
そういう、ストラップつきのペンがないかな、とネットで探したけれど、これが意外と無い。あるにはあるんだけれど、ペン自体が安物風で短かったり。そういう、状況限定的な、控え選手的なペンにのみ、ストラップ付きがある。僕はホンチャンでこれを使いたいのに。
ま、こんくらい作ればいいんだけれど。そんなこと考えながらふと寄った書店併設型の文房具店にて「ペン・ストラップ」が売ってあった。ストラップだけ、ちゃんとペン専用。しかも、ちょっとおしゃれなものとして。高かった。500円くらい。
それこそ自分で作れば、という感じなのだけれど。ストラップのみが堂々と商品化して高値がついている、というホンチャン感が、僕の心をくすぐった。銭湯では使用済みの石鹸とシャンプーをかき集めて使うような生活をしているが、嬉しくて買っちゃった。一刻も早く、ボールペンがないだけで仕事できない、という状況も打破せねばならなかったし。
おかげさまで、僕はいつ何時でもペンがすぐ出るという、ずば抜けたビジネスマンになることができた。
ただ、ちょっと心に引っかかるのは……。僕が今持っている携帯電話、何度も落としたぼろぼろのやつで、これからもガンガン落とすつもりだが、それで壊れたら今をときめくスマートフォンにしたいと考えているのだけれど、あれ落とすとすぐガラスが割れそうなので、実際割れてるの使っている人やたら多いので、それこそネックストラップで下げることにしよう、とかねてから思い描いていたこと。
さすがに、首からペンやら電話やらブラブラぶら下げていたら、ちょっとうるさい気がする。
と言うか、身体のあらゆる部位、または衣服にカバン、それら全部ひっくるめて「もの」を持っておく、には「首から下げる」ってのが一番安心確実至極便利ってことに気づいた。肩からずるりと落ちる心配もなく、胸ポケットからぼとぼと落ちることもなく、指で保持しておく必要もなく。必要とあらば、すぐ手が届くし。
ペンも、携帯も、身分証も、財布も、定期入れも、名刺入れも、文庫も、カッターも、定規も、鍵も、USBメモリも、カメラも、お箸も、何もかも全部首からぶら下げておきたい!
だのに、だ。首に下げる不本意の定番は、ネクタイ! 何にも役に立たないくせに、S席グリーン高砂玉座で堂々としてやがる! あれを外して、他に二、三有用なものをぶら下げたいところ。
でも、現実的に考えて、それは無理だから。仮にノーネクタイにしても、ぶら下げまくったらおかしいから。で、発案したのが「裏にポケットとストラップがついたネクタイ」。ネクタイの締める部分からストラップがついてて、ネクタイの本体部分(なんつーのかしら?)裏側のポケットに収納する。これで多少なりともネクタイ、役に立つ。XXXX(収納のカリスマ主婦とか実用書方面で有名な人の人名を後で調べて代入)もびっくり、奇跡の収納術。まあ、ネクタイの先がペン先になってる、とかでもいいけれど。<br />
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2012-02-27T12:48:47+09:00
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山本握微
【連載記事】純粋文房具店
http://yosomi.jp/article.php?id=221
<h2>純粋文房具店</h2><p class='author'>山本握微 / 2012-02-27 21:48:47</p> 地方都市に行って、何か面白いおみせやさんないかな、とウロつき回っていると、まあ、そう都合よく面白い店に出会うことないのだけれど、ふと気付いたことがある。それは「文房具屋」の存在。
大阪で文房具を買おうと思ったら、書店の併設、ホームセンター、ハンズやロフト、はたまたヨドバシカメラ、ショッピングモールの売り場、となる。勿論「文房具屋」もあると思う。小学校の前にあるような小さな店とか。或いは、同じ小さな店でも雑貨屋みたいなお洒落な感じのところとか。または、本町界隈辺りには、コンビニみたいな構えで、まあ文房具屋と同じような店はある。
でも、それらと違う。それほど、おしゃれではない、またチビてもいない、どーんと店を単独で構えて、2フロアぐらいあるような、そんな文房具屋。
先日、高知に行って、そこでもあった。内田文昌堂。最初は本屋かなと思った。でも、文房具屋さん。表通りに鉄筋二階建て、その佇まいからして、ただの文房具屋さんなのに、何かしら、この違和感、と上述のようなことを思った。
で、入った。勿論、レトロとかそういうのでもなく、ごく普通。筆記具があり、ファイルがあり、はさみやのりがある。奥の方には、もう少し専門的な商品があって「未決箱」とか「提案箱」とか、やたら用途が既に限定されているようなスチールボックスがあって、誰がわざわざ買うのか、なかなか高いお値段。
二階は、画材や紙類があった。あと、コミック用品。高知は、まんが文化に力を入れているので、或る意味ご当地的な。まあ高知に限らず、どこにもあるでしょうが。
閉店間際に行ったので、一階のカウンター内でマイクを持って「まもなく閉店します」と館内放送していた。放送設備まである。
そういえば、堺市にもあった。こういう文房具屋さん。その名も「田中誠文堂」。この「姓+何とか+堂」が文房具の屋号ルールか?山之口商店街の北側入り口に面して、どんと店を構えていた。
最初、父が買い物をする時についていったんだっけか。こんな大きな文房具屋さんがあったのか、と感動して、あれこれ見回ったのを覚えている。画材や紙類は、ちょっとした離れみたいなところにあって、そこへ移動するのも、普通の店じゃない感じがして面白かった。
後に、ここで度々、厚いケント紙を買った。それでよく工作した。中学生の頃から自作の手帳を使っていたが、表紙となるケント紙はここで調達していた。このケント紙で、高校入学の頃、定期入れも作った。文化祭の展示、感想を入れるための箱もこれで作った。養護学校交流会の時、双六に使う大きなサイコロも、これで作った。僕が知る限り、最もぶ厚い紙はこれだった。僕は手先を使う物造り全般苦手で、やる気も起こらないが、紙ぐらいなら何とかなるだろう、と思っていた。
また、高校三年生の頃、最初で最後の文芸部に出た予算は、ここでだいぶ費やした。先ず、大きなホッチキス。50枚くらい止めれるタイプのやつで、今でも重宝している。これは確か、取り寄せしたんだっけか。二階でカタログを見たのを覚えている。あと、A3サイズの紙が入るケース。これは最近使っていないけれど、今もどっかにある。いずれにせよ、部員は僕一人だけなので、私物の積もりで買った。
他にも、劇団絡みで、何人かと行った記憶もある。何時、何を買いに行ったんだっけか。稽古場である青少年センターから、自転車でそんなにかからない。でも、それほど便利使いできなかったのは、閉店が早く、しかも日曜日は休みだったからだ、確か。目的を定めて行った。
正に、思い出も思い入れもある店だけれど、数年前尋ねたら閉店していたんだった。名前からして老舗って感じだし、手堅い商売だとなんとなく思っていたのだけれどよく考えたら全然そうではない。まあ、ごく普通の時流に沿って、閉店しちゃったんだろうか。最後に、何かのためにと思って買ったケント紙は、今でも事務所にある。
まあ……勿論、あの店で買えたものってのは、今、他で買えないわけじゃない。残念ってわけでもないけれど。ただ、高知の「文房具店」というドッシリした店構えを見て、そういえば今見かけないな、と思った次第。
※ 今調べたら、「田中誠文堂」は滋賀に会社があるとのこと。堺の店舗との関連はわからないけれど。
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2012-01-16T19:09:43+09:00
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境隼人
【連載記事】その街の辺りのこどもだったこと
http://yosomi.jp/article.php?id=220
<h2>その街の辺りのこどもだったこと</h2><p class='author'>境隼人 / 2012-01-17 04:09:43</p>意識的にあまり振り返ることの無い事。
1995年10歳の私は兵庫県西宮市に住むこどもだった。
人の誘いに便乗して映画「その街のこども」を観た。
NHKによるドラマの放映時も、劇場公開時も、気にはしながら結局自分で触れる事が出来なかった。特別な理由があるわけでは無かったけれど、割り切り相対化して観るのも、自分の記憶に感傷的になるのも嫌だな、みたいなことだと思う。
内容は割愛するが、物語はあくまで「その街のこども」に充てられていて、主演二人の話に終わらないよう関係が上手くはかられていた。台詞と言葉の境が妙で、変な言い回しかもしれないけど、ぎこちなさが自然な感じ。
二人から語られる素朴とも言える会話を呼び水に、自分の姿が駆り出される。
そもそも、とても久しぶりに震災の映像を見た。TVをつける習慣も久しく、毎年いくらかあるであろうドキュメントや追悼式の模様の中継やらも目にする機会がなかった。身のまわりの人も出自がばらけていて、それほど自分たちの体験した震災の事をどうこう言う機会もなかったので、もっぱら毎年1月17日という暦が周期と私の年齢を伝えるくらいだった。
何が変わったとも言えないし、正直未だに距離の取り方が解らない。
2階が沈んで抜けなくなったシャッターのレール。割れて扉を外したままの食器棚。倒壊し、更地になったまま何も建たない隣の敷地。ほとんど脱がなくなった帽子。手放さなくなったラジオ。いつでも背負い何でも入れておいて安心する為の鞄。今もそのまま全部抱えて生きていることを、静かな神戸の夜を歩く二人の映像に連れられながら確認した。
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2012-01-05T12:32:44+09:00
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中島彩
【連載記事】おもんかなったらドームすいません
http://yosomi.jp/article.php?id=219
<h2>おもんかなったらドームすいません</h2><p class='author'>中島彩 / 2012-01-05 21:32:44</p>いえいえ、おもしろかったです。
というのは関ジャニ∞の年末コンサート、「EIGHT×EIGEHTER 五大ドームツアー (サブタイトル)おもんかなったらドームすいません」の話。
年内の仕事納めも無事終了し、年越しを別の場所で迎える同居人と同居猫を送り出し、いざ、年末の大掃除、とひとり残った家でこたつ布団やシーツの洗濯に取りかかるも気が抜けてなかなかはかどらずにいたザ・年末12月30日のこと。
友人から急なのだけどチケットが入ったので今から行かないかとのメールが入った。
はて、関ジャニ∞。
たしかそれが関西出身のメンバーによるジャニーズのグループだという程度に、まったく知らなくはないが、メンバーのひとりの名前とて、歌っている曲のワンフレーズさえ、思い浮かばない。
とはいえ、こちらはコタツ布団や台所の油汚れと戦う気力も十分にないどころか、どんどんと虚脱感がわきあがっていたところだ。
それに、「ジャニーズ」という人たちやその周辺にいる人たち、その間に起こるできごとを実際に見てみたい、
二つ返事で誘いを受けた。
会場は京セラドーム。
自宅から自転車で10分程の距離だが、「ジャニーズ」→「熱狂的なファンがいっぱい」→「混雑」→「自転車が置けない」と連想して、電車で行くことにする。
最寄りの駅で友人と待ちあわせ、電車に乗り込む。
着飾っている女の子を見ると、この人も行くんだろうかとそわそわする。
「ドーム前」の駅に着く。やはり、先ほどの女の子も降りている。他にも降りる人たちはめいめいおしゃれをしていたり、うちわのようなものがのぞいた紙袋を下げていたりする。
ホームから改札、地上の出口にかけてどんどんと人が多くなる。
中学生くらいから30代くらいの割合が多い。
ほとんどが女性。たまーに男性。
駅をでると、予想通り、多くの人でごった返している。ドームの入り口まで、直進距離はさほどないはずだが入場整理のための看板にそってドームの周りを迂回しながら歩いていく。
途中、チケットを手に入れなかったのであろう女の子たちが何人も「チケット譲って下さい!!」のプラカードを下げ、会場へ向かう人に呼びかけるのを見た。
必死に懇願する彼女たちを見ると、ほら、とたなぼたで手に入ったチケットを譲ってあげたくもならなくもないのだが、しかしすでに私もその気になってきているのである。ごめんね、と内心つぶやきながら、彼女たちの前を通り過ぎる。
これでもう後戻りはできない。
入り口が近づくにつれ、いっそう混みあってくる。
来場者を間近で見ると、別々のグループでありながら同じ衣装を着た人たち(野球のユニフォームやパンダの着ぐるみ)を見かける。何かのコスチュームなのだろうか。手にしているうちわやフリースのブランケット、バッグなども同じ柄のものがあり、どうやらグッズ売り場で買えるものらしい。
他にどういうグッズがあるのか、それらがどれくらいの値段で取引されているのか見てみたかったが、大混雑の中、ひとまず席を確認しようと会場内に入る。
京セラドームに来たのは2度目、10年ぶり。(一度目もたまたまチケットをもらった、やはりあまり知らない、バックストリートボーイズの公演だった。)なんとなく見覚えがあるような売店が並ぶ廊下から、ドーム内に入る。
すごい、ひと。
こんなに、どこからやってくるのか、まあ。
芸能ニュースによると翌日の千秋楽・昼夜2公演で9万人の来場とのことだから、この時も4万人くらいはいたであろう。
そんなにたくさんのひとが集まっている。
それからほどなくして、照明が落とされ、静まり返り、メンバーの映像がどーんと映し出され歌いだした後は、パステルカラーの巨大なカタツムリみたいな車が会場内を周遊したり、ステージが動いたり、気球船が飛んだり、火が噴いたり、水が出たり、予備軍(これがジャニーズJr.?)がでてきたり、めまぐるしくいろんなことが起こった。
パフォーマンスも、メンバー自身がバンドをしたり、プロのバンドがついての歌になったり、ロック、ラップ、バラードにパンダの着ぐるみ帽をかぶってNHKの子ども番組さながらの歌があったりと多岐に富んでいた。
観客の多くはファングッズの緑のライトを持っていて、それらを曲にあわせて振ったりしている。観客の歌うパートが決まっている曲もあるみたいで、その部分にさしかかると自然に大合唱になる。
関ジャニ∞は結成して7年になるらしく、それまでのコンサートでファンとのやりとりも幾度となく繰り返されたのであろう、事前になんのアナウンスもなく、それらははじまる。
毎年の終わりに、集まり、共通の憧れを抱いた大勢の人々と声を合わせ歌い、踊る。憧れの対象であるアイドルたちも、何万人のも視線を浴びながら、必死に歌い、踊り、観衆に応える。
テレビを中心としたメディアの創造物に過ぎないジャニーズに憧れるファン心理というものを、私は今まで理解できないものと思っていたが、この日、目の前で置きていることを見て、わかるような気がした。
それは疑似恋愛というよりかは、宗教(信仰)の感覚なのではないかと思う。普段はテレビの中でさほど近くはなくても身近に気配を感じており、年に一度の祝祭(コンサート)でより近くに存在を感じることができる。彼らにまみえる喜びを複数の他者と分ち合いながら、心の澱のようなものを浄化していく。
ここで神の役割を果たすのが20代の若者であることは驚きであるが、(何万人もの観衆の前にたつことは私には想像もできない)、これが本当に宗教的なものならば、神そのもののカリスマ性より神格化のシステムにこそ着目すべきで、実際に彼らの歌が格段にうまいかとか、容姿が際立って優れているかとかはさほど問題ではないのだろう。
それにしても、コンサートが始まってから、ずっと気になり、最後まで疑問が解けなかったことがあった。
オープニングの映像が始まって、関ジャニのメンバーがひとりずつ画面に映し出される。
1,2,3,4,5,6,7…
映像が終わって、舞台にメンバーが現れる。
1,2,3,4,5,6,7…
そして歌が始まり、2度のアンコールも含め、すべての公演が終わるまで3時間程。
その間中、何度も数え、幾度となく数え直したのだが。
1,2,3,4,5,6,7…
7人。
関ジャニ∞(エイト)。
コンサートタイトルは「EIGHT×EIGHTER」。
なのに7人。
それがずっと気になって、しかし周りに同じように疑問に思っていそうなひとは誰ひとりおらず、本人たちもそのことについて一切話さないし、何のアナウンスも流れない。
最初は演出のひとつで後から登場なのかもとか、急病で休みなのかもしれないとか、いろいろ考えていたのだが、その後も一向にあらわれないまま、アナウンスもないまま、終了した。
後から調べると、最初は8人でスタートした関ジャニ∞だが、メンバーのひとりは随分前に未成年での飲酒発覚事件のあと、活動休止、ソロで再開、グループ脱退となっていた。
そういえば、そんなニュースを聞いたことがあったような気もするが、もともと興味がないものだから、まったく思い浮かばなかった。
そのことは、熱心なファンはもちろんのこと、さほど執心ではなくとも何かと多忙な年末のコンサートに訪れる観客なら、ほぼ間違いなく全員が知っていたに違いない。
わざわざアナウンスするほどでもない「常識」で、私だけ(もしかしたら、他にも同じようなひとが数人はいるかもしれない)が知らなかったのだ。
考えてみると、あれだけ大勢の人々がいるなかで、たぶん自分だけが共通の記憶を持っていない、圧倒的少数派になることはそうはないだろう。
そう思うと、あのときは私は宇宙人だったのだと、おもしろく思えてくる。
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2011-12-14T16:17:30+09:00
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山本握微
【連載記事】色彩について
http://yosomi.jp/article.php?id=218
<h2>色彩について</h2><p class='author'>山本握微 / 2011-12-15 01:17:30</p> Internet Archiveなどまで駆使して暇潰しをしていたら、十年以上前に書いた文章が出てきた。友人達と身内で読むために作っていた冊子に掲載した文章だったと思う。当時はワードプロセッサ専用機を使っていて、この文章がネット上にかろうじて残存しているのは、友人が自分のサイトに、わざわざ印刷物から打ち直して転載したからだ。それほどまでに世に広めるべく素晴らしい文章だった、というわけでは勿論なく、当時まだサイトを作るのが珍しく自己目的化していたから、なんしか載せよう、ということになったんだろう。ともあれ、僕にとって初めてオンライン上に載った記念すべき文章がこれになる。非常に頭の悪い文章だが、何分十年以上前といえば小学生……じゃないな、それなりの年齢、ですが、まあ、恥を忍んで恥じらい掻き捨て、再発見の記念に転々載。これで後十年は残るだろう(?)。一応、当時の「余所見」的な内容でもあるしで。
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色彩について
で、いきなり専門外から入るわけだ。下手の横好きというやつね。デザインに詳しい人は読みながら突っ込んでください。
色って薄い方が良いみたい。
薄い、というより淡い、かな。とにかく、もちろん用途によるけど、そういうほうが良いみたい。
テレビゲームが一番よい例だ。こぅ、続編がたくさん出てるシリーズものとかって色が薄くなってるよな。最新作の画面写真が、ゲーム雑誌で載せられる。で、となりに「前作のシステムでは・・・」とかなんとか、前作の画面写真が載せられている。この、二つの画面写真、画面構成とか似てても、色は最新作の方が薄い。で、見ていて「こりゃ最新作だなあ」と思う。
続編ってのは、前作より面白くて、そして綺麗な作品を創ろうと、スタッフは必死だろう。で、大抵、色が薄くなってるんだったら、そりゃ色が薄いってのは概して綺麗ってことだろう。
だから、「第四次スーパーロボット大戦は第三次スーパーロボット大戦より色が薄くなっている、つまり面白くなったな。しかし、最新作であるスーパーロボット大戦αは濃い。これは、面白くないな」と、ゲームの出来を判断する。
因みに、これはソフトだけでなく、ハードにも言える。
ファミリーコンピューターは、白と赤。赤が濃い!そしてスーパーファミコン、ええ感じに薄い!初めて人の家でスーファミを見たときは、その薄さに胸が躍りました。
そして注目の次世代ブーム。セガサターン、暗灰色!プレステ、淡い紫(多分紫だよな)!世間では、セガサターンがプレステに負けたのはソフトの所為だ、宣伝の所為だと騒いでましたが、密かに「色の所為だな」と思ってたのは私だけか。あ、黒い任天堂64は論外ね。
普通、作品を創るのに次回作のことは考えないよな。その、今創ってるやつに心血を注ぐべきだ。だから、いつも思うんだけど、最初っから色を薄くしたらいいのに。もしかして、だんだん薄くしようと目論んでるから、最初は濃いのか。
私が昔読んでいた「小学五年の科学」の6月号(ドラクエ3が発売、アニメ三銃士が全盛の頃)特集「今やテレビは大忙し」「テレビはどんどん進化するぞ」の項目に「より薄く!壁掛けテレビ」の試作品が載ってあった。
薄いってのは、そのテレビ自体が薄くて、だから壁にかけられるのだが、これを読んだ小学一年生の私はすでに「さすが最新のテレビ、色が薄い」と思っていた。いや、このときが最初で、以後、その幻想に捕らわれたままだったりして。確かに、写真のテレビに映っている相撲の映像は「薄い」。
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以上。
補足ですが、「小学一年生の私」が「小学五年の科学」を読んだっていう揺らぎ現象は、姉がいた故。<br />
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2011-12-11T17:15:26+09:00
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中島彩
【連載記事】「映像発信てれれ」
http://yosomi.jp/article.php?id=216
<h2>「映像発信てれれ」</h2><p class='author'>中島彩 / 2011-12-12 02:15:26</p>大阪を中心に、一般に自主制作の映像を募集して、カフェなどで上映してまわる「映像発信てれれ」という団体/活動があります。
映像は一作品5〜10分くらいのものが多くて、それら5〜6本をまとめてプログラムを組んで、一ヶ月の間にいろいろな場所をまわって上映しています。
「てれれ」のことは前から知っていて、数回見に行ったことがあるのだけど、今回は半年ぶりくらいの参加でした。
というのも、今住んでるうちにはテレビがなくて、でも子どもの頃はずっとテレビがついているような家で育ち、今働いている職場の昼休みではテレビの話題も多く、ときどきすごくテレビもしくは映像が見たいという衝動に駆られるのです。
それは、レンタルDVDで映画を借りてみるのではまかなえなくて、もうちょっとライブな情報であってほしくって。
You TubeとかUstreamだと、ネット上に膨大にありすぎてどれを見たらいいかわからないし。
今回も、前日に映像が見たい衝動に駆られていて、ちょうど「てれれ」の上映会があるのを知って、しかも会場が前から行ってみたかった「ファレ*ティプア」という布ナプキンを専門に扱っているお店で、すごくタイミングがいいと、でかけることにしました。
上映時間より少し前に会場についたので、布ナプキンを見せてもらいます。布ナプキンって、知らない人もいるかと思うので一応説明しておくと、生理の時に使うもので、よくある市販の使い捨てのものとは違って、コットンやネル生地でできていて、洗って繰り返して使うものです。肌触りが良くて生理中の不快感が軽減されるという評判を聞いていました。それに、使い捨てだと自分からでているものが不潔なゴミに思えてくるのが嫌だなと思っていました。古来から生理中の女性は不浄で、神聖な場所には入れないなんて信仰もあるけれど、動いた時にかく汗みたいに生きているから当然のことと受け止めたくて、自分で洗濯したいなと。
それで前から気になっていたのでした。
さて、そうこうしているうちに上映時間になりました。
お店のひとりがもうひとり増え、4人で大きなテレビ画面で見ます。
最初の作品は「ここにおるんじゃけえ」という脳性麻痺の女性の方の元気な生活をおったドキュメンタリー映画の予告編。
次に、東北で被災されたグループホーム職員の女性のインタビュー。
3番目は、地元の人が名古屋の守山城跡を廻った探検日記みたいな映像。
4番目に、外国人(主にアジア)が多く居住する新長田の商店街で月一度開かれるアジア横町ナイト屋台というイベントのレポート。
5番目に瀬戸田名物のせんべいを焼く女性へのインタビュー。
最後に同性愛、性同一性障害などの性的マイノリティの人たちが自分たちの感じていることを話す座談会みたいな映像。
作品と作品の間に転換時間があまりないので、消化できないまま次々に違う映像を見ることになります。
前述の通り、映像を普段見ることが少ないので、情報の多さも驚くくらいで、最初は圧倒されてしまいました。
話す人とその内容だけでなく、画面に写った目的の被写体以外のものにもそれぞれ情報がつまっていて。
情報を発信するものとしてすごく強い媒体だと思いました。
それから、「てれれ」の場合、編集者がいない感じと言うか、話したい人が話している感があります。
テレビだと、撮影者と被写体以外の人がいて、それはディレクターなのか、視聴者なのかだれかわからないけれど、見る人に「こう見せてこう思わせよう」という意志が働いている気がするのです。
たとえば、いま「県民ショー」みたいなご当地番組が流行っているみたいだけれど、それはほんとにそうなのか、それともその地域はそういう所だと思わせようとしているのか、疑わしいと思える所がありますよね。
「てれれ」の今回のいくつかの作品は、ほんとにそこにいる人がそこのことを話していて、そこにいる人がそれを撮影している感じでした。
5番目の映像で瀬戸田の煎餅のおばさんが、この煎餅が経済産業大臣賞を受賞した時に、いろんな企業からいろんなところで手に入るような商品化の話があったけれど、自分で焼けないし、ここに来たら食べられるでいいかと断ったという話をしていましたが、そうそう、地方の特産品って、ほんとはそのはずなんだと思います。
テレビ番組も、個人の集まりが作っているものなのに、どこでも同じように見れるようになっていることで、個人の手を離れてしまっていて、百貨店での地方物産市や主要駅に行けば手に入る「○○特産□□まんじゅう」みたいに、個性的でありえなくなっているように思えます。
さて、見終わってから、見た人たちで感想を話したりするのですが、2番目の作品についての話から、被災者の中にはナプキンを頻繁に買いにいくことができないので布ナプキンが欲しいのだけど、救援物資を取りまとめている市役所の人に言いづらいという女性がいて…、という様な話や、最後の作品からは性同一性障害で、心は男性なんだけれど、身体は女性の人が生理をどううけとめているかみたいな、布ナプキンの専門店というこの会場ならではの話も聞けて面白かったです。
上映会終了後、会場が鶴橋なので、駅近くのコリアンタウンを店の人に案内してもらうことになりました。
そのひと曰く、ここ10年程鶴橋がコリアンタウンとしてテレビで紹介され、観光客が増えたり、それらしい韓国風の店が増えてきているけれど、昔はこうではなかったとのこと。
たしかに、焼肉店、キムチ店など韓国料理の店や、韓流アイドルグッズの店、韓国風カフェなんかもあるけれど、昔からあるというよりまだ新しい店構えです。
とはいえ、賑やかな商店街のムードや立ちこめる焼き肉の匂いにひかれて、ついつい見て廻ってしまいました。
今の時代に、映像を見にでかけなくてはならないのって、わざわざ感があるかもしれないけれど、だからこそそこに行かなければ見れない制約された映像があることや、行ったついでに付近を散策したりすることができるのって、いいなと思います。
よければ、「映像発信てれれ」、見に行ってみて下さいね。
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2011-12-10T08:35:14+09:00
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永田芳子
【連載記事】見に行った話ではないけれど
http://yosomi.jp/article.php?id=215
<h2>見に行った話ではないけれど</h2><p class='author'>永田芳子 / 2011-12-10 17:35:14</p>よく道を歩く。なにか見に行って余韻をもう少し残しておきたいとき、ちょっと太ったかというとき、とにかく行く所も帰る所も欲しくないとき、その他その時で色々。たいがい一人でうろうろしているが、誰かと歩くのもそれはそれで面白い。
たとえば、「決まらない事態」というのがある。なにか食べようか、という話になってちょうどいい店を探すのだがまるで見つからない。いや、実際には店はいくらでも並んでいるのだ。米なら米、ケーキならケーキ、さっさと決めればいいものを、どうしてかそうしない。さんざんどうしよう、と歩き回ってやっと入るに至っても、ほとんどの場合何の変哲もない店だったりする。「帰れない事態」もそう。お互い明日には何かしら用があるのに、駅から遠くも近くもない辺りでぐるぐる歩く。あの、分からない時間はなんだろうと思う。普段そこまで優柔不断ではないし、特定の相手とだけそうなるといった話でもない。なにかの弾みで、そのような事態になってしまうのが面白い。
時間があれば方向音痴に付き合うのも楽しい。一人なら大して迷わないが、人が居るとつい道を任せてしまうクセがあるので、相手がそのような質だとそうなる。いつだったか旅先で、目的地ときっちり真逆の方向へ40分ほど歩いたりした。さすがにそろそろ言った方がいいかな、と思って違うんじゃないか?と聞いたら 『寄り道は人生のよろこび』 と返された。間違った論ではないにしても「故意に違う道を選ぶ」と「うっかり迷子になる」のは別だ。言った人がこれを読むかどうか知らないが、ここでもう一度書いておく。
ともあれ、ここ、どこ?といい大人が途方にくれるのは状況として可笑しい。なんとなくあったであろう意向もなにも吹っ飛んでチャラになるのはわりと気分がいい。そうした事にイラつくような相手ならそもそも一緒に出かけない。ここでGPSなど出すのは仕事や約束があるならスマートだが、単にぶらぶらしてるときなら野暮に思える。どうせなら、さんざんおかしな方へ曲がりまくって、自分一人なら通る予定すら無かった場所をたくさん見せて欲しい。
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2011-12-06T11:55:03+09:00
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藤井菜摘
【連載記事】BLACK MAGIC M-66
http://yosomi.jp/article.php?id=214
<h2>BLACK MAGIC M-66</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2011-12-06 20:55:03</p>BLACK MAGIC M-66というアニメを見ました。1987年に製作されたもので、近年では攻殻機動隊の原作者で知られる士郎正宗さんが脚本、監督、絵コンテを努めたアニメです。原作の漫画もあるようですが、それは読んだ事はありません。
機械と人間が合わさったような見た目の女の子について調べていて。漠然とそういうキャラクターにどういったものがあるのか見たかったのだけど、どう検索していいかわからなくて、名前のわかるキャラクターから検索していました。すると、そういうキャラクターについてなんとなく呼び名のようなものがあるらしいことがわかりました。ロボ娘、機械っ娘、メカ少女などなど。メカ少女についてはウィキペディアの項目もあって、その種別にはガイノイドとかサイボーグとか巨大ロボの女性型のものも含まれていました。で、その種別のガイノイドの例として具体的なキャラクター名の一つとしてM66の名前が上がっていました。
このことについて調べ始めてから、何かすっごく昔の記憶をこちょこちょされる感覚がずっとあって。こういうキャラクターが出てくるアニメだかゲームだかで昔すごい怖い思いをしたような気がするのです。で、BLACK MAGIC M-66について検索して出てきた画像で少しその記憶が具体的になりました。けど、ぴったりこれだーってほどには記憶は合致しませんでした。気になったので、動画で全編見てみたのですが、どうもばっちりは合わさらなくて。全体的には見た覚えはないのだけど、部分的にはなんか見たような気はします。M66が収納されていたケースとか、M66の動きとか、エレベーターでの緊迫のシーンとか。調べると『アニメだいすき!』でも放映されていたようなので、見ている可能性は高いです。
子供の頃の記憶で、特別に怖かった記憶というのがいくつかあります。凄く怖いというのではなくて、印象に残っているという意味での特別です。お化け屋敷で怖かったとか、そういうわかりやすい怖さでなくて、不気味な怖さというか。今回引っ張り出された記憶はそういうもので、なんか女性型ロボットのようなものに追いつめられる映像でした。そのロボットの無表情さと動きが怖かったというのが印象的で、それはM66のそれと近いように思います。
けれど、今回通しで見てみて全然怖くはなかったんです。なんだろ。違う記憶と混ざってるんでしょうか、それとも大人になってしまったからでしょうか。今回呼び起こされたような、「なんだかわからない不気味な感じ」って子供の頃特有の記憶なんでしょうか。そういう記憶が近々では無いなと思うのです。そして、そういう記憶をぶり返されるのが好きです。
そんなふうに出会ったこのアニメなのですが、とても良かったです。アニメーションが良かったです。M66の動きがよくできていて。格闘シーンはジャッキーチェンを思い出しました。あと、80年代くらいに描かれた未来とかが好きなのでそれも良かったです。Youtubeなどで見られるので、興味がある人は見てみるといいと思います。通しで見てもそんなに長くなかったです。
あと、まだこの記憶がこのアニメについての記憶なのか曖昧なので、BLACK MAGIC M-66的な何かに覚えのある方、ご一報ください。<br />
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2011-11-16T12:40:42+09:00
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中島彩
【連載記事】国立国際美術館 世界制作の方法を見に行きました。
http://yosomi.jp/article.php?id=213
<h2>国立国際美術館 世界制作の方法を見に行きました。</h2><p class='author'>中島彩 / 2011-11-16 21:40:42</p>国立国際美術館の企画展「世界制作の方法」を見に行きました。
といっても、展覧会の作品の感想からはちょっと離れて、展覧会を見に行く事自体について、ちょっと考えて見ようと思います。
というのは、私は以前はよく美術館に展覧会を見に行っていたのだけど、今年にはいったくらいからかあまり行かなくなって、それには今年の春に大学を卒業し、学生料金で見れなくなったということと、芸術系大学にいれば自然に入ってきた展覧会情報が自発的に獲得しなくちゃならなくなったことが大きな理由です。
今回はたまたまコンビニで雑誌を見ていて展覧会の記事を目にし、しかも近くに行くついでがあったから見に行くのに至りました。
思い返すと、卒業以降で自腹の大人料金で展覧会を見に行ったのは初めて。
チケット売り場で850円のチケットを買って、850円は一日の食費代だなとか、それだけの価値がこの中にあるかなとか失礼なことを考えながら展示場に向かいました。
「世界制作の方法」はいま活躍している日本の作家さんの作品展。
それぞれの作品は干渉しあわないように、可動壁で区切られています。
映像や暗闇でのインスタレーションもあって、そういうのはきっちりと閉じられた部屋になっています。
そうでない部屋は幅1メートルくらいの入り口があいていて、中の色合いが漏れだしていて、どの部屋から見ようかとどの部屋に入ろうかと選ぶのが楽しい。
と、思っていると、監視の人に「こちらからどうぞ」と声をかけられました。
それがなんだか嫌で、「見る順番が決まっているんですか?」と聞くと、そうではないということだったので、やっぱり魅かれた色合いの部屋から見始めました。
そのあと、暗い部屋に入る時に、今度はまた別の監視の人に「足下が暗いので」と懐中電灯で足下を照らしてもらいながら中に入ったのだけど、そんなに暗くはなくて照らしてもらわなくても見えるくらいで、(見える見えないは個人差はあるとおもうけど)、その後もその部屋にいると新しいお客さんが来る度懐中電灯の光も近づいてきて、暗い中に光が効果的な作品だったのでなんだか気になってしまった。
最後の方に見た作品でも、真っ暗な中に光がパッとつくインスタレーションで、その瞬間を心待ちにしていると、「もうすぐ(光が)つきますよ」と案内されたり。
ほっといてくれ、と。
私は私のペースで見てたいんだ、と。
もちろん、親切でやってくれていることなんだろうし、そういうナビゲーションを必要とする人もいることはわかっているけれど、その監視の人たちには給料が支払われていて、私が美術館に入る時に払った入場料の少なくともいくらかはそれに充当しているのかと思うと、なんだか面倒くさい仕組みだなと思わざるを得なかった。
作品を見た。
いい時間を過ごしたと思えた。
だから、それを作った人を応援する気持ちでお金を払う。
路上のパフォーマーへの投げ銭のように。
それでいいと思う。
美術館のエントランスで入場料を支払っても、まわりまわって作家の応援になるのかなと思うけど、なんだかまわりくどい。
その間にはっきり見えない仕組みがあるようで、割り切れんなあ。
というのが、初の「割引なしの大人料金で展覧会を見た」感想でした。
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2011-10-26T14:37:14+09:00
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永田芳子
【行ってみよう!】男性向けコミック同人誌即売会へ行ってみた(終了後)
http://yosomi.jp/article.php?id=212
<h2>男性向けコミック同人誌即売会へ行ってみた(終了後)</h2><p class='author'>永田芳子 / 2011-10-26 23:37:14</p>ATCのタリーズで待ち合わせ、入場前の座談会を録音して席を立つ。
開場前の行列はどうだったんだろう。先に会場入りしていた境さんに連絡をとって、とりあえずぞろぞろ見て歩く。確かに聞いていた通り売られているものは本以外にグッズ的なもの、雑貨、CD、DVDなどいろいろあるので、適度に気が散る。本だけ見るとシティでは「アレっていいよね!」といった気分の共有に軸を置いたような、こちらは研究成果や主張についての発表に近いような。
会場で一番長く時間を取って見ていたのはコスプレコーナー。珍しい服はおもしろいので今日の目当てでもあった。誰なのか分かる格好なら、あのパーツをその生地で作ったかぁ、とか、靴は再現が難しいだろうな、とかそういった辺りを観察する。ちょっと考えたことは、登場人物が普通の格好をしている何かのコスプレというのは成り立つのかどうか。作家性の強いブランド服とかじゃなくて、ほんとにその辺で買ったような。特定のキャラだと分かるならあり得るのではと門外漢は思うが、多分そういうことではないんだろう。
今回使用しているのは4号館と5号館だけ。面積が狭いので移動は楽だが、置いてあるものが結構賑々しいのでなんだか疲れた。外のベンチでコーヒー。ぼんやり周りを眺めると、やはりぞろぞろしている。シティの、欲しいものを買うぞ!と意気込んだ空気はそんなに無い。いちいち比べるのもどうかと思うが、この違いはどこから来るんだろう。やっぱり朝から並ぶんだったかな、と思っていたら「おもしろい本見つけた!」とメールが入った。行かなくちゃ。
再びATCで終了後の座談会。近くを通った、おそらく何かの式典に出かけていただろう着飾った女の人をコスプレと見間違える。あれも当事者によっては対象の定まらないなにかの○次創作かも、それは考えすぎ、でも、といったりきたりしている間に話に乗り損ねた。皆いろいろとよく考える。速度に付いていけなくて、途中からその座談会の様子を眺めることに切り替えた。自分の話したことはよく覚えていない。
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2011-10-18T08:00:51+09:00
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藤井菜摘
【連載記事】エンディングノート
http://yosomi.jp/article.php?id=210
<h2>エンディングノート</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2011-10-18 17:00:51</p>10月1日は映画の日だそうです。余所見のメンバーに教えてもらったので、私も何か映画を見ることにしました。大阪でその日上映している映画を一通りチェックして、そのなかから「エンディングノート」という映画を選びました。(多少、内容にかかわることを書くかもしれません。知りたくない方はこれ以降は読まないほうがいいかもしれません。)
ステージ4のがんを宣告された父の死ぬまでを、娘の監督が撮っているドキュメンタリー映画です。父は元来段取り屋な気質で、自分の死ぬまでの日も段取りを決めて過ごす事に決めます。
この映画の感想は、「直後はとても感動して少し後にこれについて考えたときはなんだかわからないもやっとした感じ(少し否定的なニュアンスを含む)を覚えた」というのが初期の感想でした。
その経緯が不可解で、けれど何かしらアウトプットしたい気持ちだったので、余所見のメンバーを誘って別の映画の感想とからめて話しをしてみました(録音が記事としてUPされています)そう感じた要因の候補にあがるような事柄はいくつか上がりましたが、その時点でもいまいちはっきりしませんでした。
すっかりそのことは忘れてたんだけど、別の記事を書こうとして管理画面を開いたらこの事について書いた下書きが残っていて、読んでるうちになんかふと腑に落ちる結論が出ました。
私がこの映画から受け取った見所は大きくわけて二つでした。
お父さんのキャラクターについてと、お父さんの死についてです。
おそらく私はこの二つを一つの映画の見所としてうまくつなげられなかったのではないかと思います。
お父さんはとても聡明でウィットに富んでいて、言葉や行動も魅力的でした。編集もうまくできていて場内から笑いが起きるような場面もありました。お父さんのキャラクターについてはお父さん個人の唯一無二の事柄です。それに対して、お父さんの死ももちろんお父さんだけの死なのですが、最後お父さんが本当に死んでしまうとき、その際になると私の中にあったのは普遍的な感動で、もうそれがそのお父さんかどうかということをおしのけていたと思います。無茶な言い方をすると、死に方は普通だったと思います。いや、どんな死に方であったにせよ、「死」が普遍的な事柄なのでその時点で、それに揺さぶられるときはその個人の事柄から切り離されるのではないでしょうか。録音のなかで私は、「普遍的なものをあえて撮るのはなぜか」というようなことを言っていましたが、普遍的なものを撮ったのではなくて、結果的に普遍的なものになったというのが正しいような気がします。
結局、ずっとお父さんのキャラクターによる唯一無二の事柄を見ていたのに、最終的に揺さぶられたのはお父さんではなく「死」であることから、ストーリーの一貫性が私のなかで無くなってしまったように感じたのではないかと思います。お父さんのキャラクターについて、本当にうまくそれを際立たせるような演出や編集ができていて、その良さも必要な部分もわかるのですが、それゆえに実際の死に際におこった普遍化といまいち繋がらない感じがあったのだと思います。
そんなわけで、私の中で見所が乖離してしまっていたため「監督が何を伝えたかったかわからない」というようなことになってしまっていたのですが、編集はさておきすべて実際に起こったことなのでそのまま見たらいいかと腑に落ちました。ドキュメンタリーにしてはかなり演出された映画なんじゃないでしょうか。
あー。なんかひとまずすっきりした!
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2011-10-17T14:59:53+09:00
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永田芳子
【行ってみよう!】女性向けコミック同人誌即売会に行った(終了後)
http://yosomi.jp/article.php?id=209
<h2>女性向けコミック同人誌即売会に行った(終了後)</h2><p class='author'>永田芳子 / 2011-10-17 23:59:53</p>朝6時頃インテックスに着いて、外周を囲む長い行列に並ぶ。入場ゲートが開くのは10時30分。することが無いので缶コーヒーを買ったり喫煙コーナーに行ったりして時間をつぶす。周りではパンフレットを見つつ効率のよいコースを計画しているグループや、三角座りで仮眠を取る人、スタッフの仕切りを評する古参らしき3人連れ、『ここのサークル、今日18禁で出すかもやってー。うちら買われへんやんー』とぼやきあう若い人など、色々。
売られている本はほとんどがBL、やおいと呼ばれる二次創作の漫画や小説。他には身近なことを描いたコミックエッセイ、いわゆる普通の小説や何かについての研究書なども置かれているが、割合は全体からすると少ない。雑貨、服飾雑貨、文具もある。
本を何冊か買ってベンチでぼんやりしていると余所見メンバーからメールが入った。11時40分。すでに完売したブースが撤収作業を始めている。
行ってみた感想をみんなで話す。もうだいぶ時間が経っているので詳しい内容は忘れたが、BL・やおいについての違和感や、それ以外の内容で参加しているサークルの傾向だとか、売り手と買い手の関係性、そんな話が主だったような覚えがある。たしかに初めてああいう創作物をまともに見るんじゃ違和感あるだろうな、と昔の事を思い出す。中学生のころに、同人界で人気のあるサークルのやおいパロディ漫画をアンソロジーに仕立てた単行本の出版ブームがあったのだ。クラスの子が貸してくれた。自ら買うほどハマりはしなかったが、借りた分はとりあえず全部読んだ。
ひょっとして、目にしてきた漫画がメンバーとずれてるんだろうか。生まれてから中学卒業まで住んでいた家の隣のおねえさんが、読み終わった雑誌を私にくれていた。なかよし、別冊フレンド、別冊少女コミック、mimi、ぶーけ、マーガレット。自分で買うようになってからは、りぼん、花とゆめがそこに加わった。雑誌としては特にマニアックなものでは無かったように思う(ぶーけ、花とゆめは毛色が違ったが)。学園ものや恋愛もの、SF、ホラー、いろんな設定のものが載っていて、そんな中に「ちょっと変わった設定」として主人公や脇役が同性愛者という漫画がちょいちょい混じっていた。女装男子のはしりの様なキャラもあったと思う。回し読みしていた子のなかには、『なんでこんなん載ってるのー、気持ち悪い!』という反応もあったが、その辺りは私にはどうでもよかった。たしかに自分の趣味とは違うけど、作者がその設定を選んで出来上がっているならもう仕方ないし、描かれたそれが結果おもしろい漫画だったなら別によかった。
何か手に取るときのやりくちがきっと雑なのだろう。「元ネタになるものがないと・元ネタがあると公言しないとありよう自体が困難」という感じに興味を持って、カバーアルバムやトリビュートをよく聞いていた。同じくらいの時期に、発生はネットなんだろうか、腐女子という名称がなんだか目に付くようになった。そういうものを描いている人達は昔から居たわけで、新しい名称がうまれた、という事に対してまた?そんなに?という感想を持っていた。じゃあ、パロディ同人誌を読んでみたら二兎が一兎にまとまるかな、というので読んでみた(結局まとまりゃしなかったが)。
嗜好としてそれなりに特化したジャンルなので、以前読んだことがあってもやはり違和感はあった。目が慣れると昔見たそれとの違いや、描かれた時期ごとの傾向、その世界でのマナーらしきもの、それぞれのポリシーなり事情なりが見えだして、おもしろい作品はおもしろいし、つまらない作品はつまらない。書き手の人と「萌え」を共有できていないので、失礼な読者かも知れないな、と思うこともあるけど。
そんな具合なので、余所見メンバーはいろいろ困っている様子に見えたけれど自分で描いているわけでもないし、ジャンルに関わらず同人誌を作っている知人もいないし、渦中の人達が何を考えてそれをしているのかと聞かれても、正直どう答えていいやら分からない。
まあ、とりあえず行ってみたいと思っていた場所へ行くきっかけの役は果たしたようだし、そこにあるのは単なる本なのだから、あとは、個々で。
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2011-10-15T05:25:44+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ、藤井菜摘
【連載記事】映画の日に映画を見た
http://yosomi.jp/article.php?id=208
<h2>映画の日に映画を見た</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2011-10-15 14:25:44</p>蛇谷りえ・藤井菜摘・渡邉智穂の3人に、またたびくん・水玉くんを加えて、どちらも死を扱ったドキュメント映画『監督失格』『エンディングノート』の話をしました。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1318656340.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2011-10-15T05:23:07+09:00
http://yosomi.jp/
櫨畑敦子、藤井菜摘、米子匡司
【行ってみよう!】NSC道場を見た
http://yosomi.jp/article.php?id=207
<h2>NSC道場を見た</h2><p class='author'>米子匡司 / 2011-10-15 14:23:07</p>この録音は、吉本興業のライブイベントNSC道場を見た後に、3人に加えて、一緒に見ていたナカイさんとヨシダさんにも加わって頂いて収録しました。
<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1318656182.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2011-10-15T05:20:59+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘、山本握微、米子匡司
【連載記事】渡辺文樹「罵詈雑言」を見た
http://yosomi.jp/article.php?id=206
<h2>渡辺文樹「罵詈雑言」を見た</h2><p class='author'>米子匡司 / 2011-10-15 14:20:59</p>ゲリラ的な映画上映で知られる映画監督・渡辺文樹の大阪での上映を見に行きました。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1318656043.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2011-10-15T05:18:20+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎、境隼人、蛇谷りえ、永田芳子、藤井菜摘、山本握微、米子匡司
【行ってみよう!】男性向けコミック同人誌即売会に行った(終了後)
http://yosomi.jp/article.php?id=205
<h2>男性向けコミック同人誌即売会に行った(終了後)</h2><p class='author'>米子匡司 / 2011-10-15 14:18:20</p>この録音は、男性向けコミック同人誌即売会『ComicTreasure17』の終了後に収録しました。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1318655856.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2011-10-15T05:12:46+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎、蛇谷りえ、永田芳子、藤井菜摘、山本握微、米子匡司
【行ってみよう!】男性向けコミック同人誌即売会に行った(入場前)
http://yosomi.jp/article.php?id=204
<h2>男性向けコミック同人誌即売会に行った(入場前)</h2><p class='author'>米子匡司 / 2011-10-15 14:12:46</p>この録音は、先週の女性向け同人誌即売会に続いて、男性向けコミック同人誌即売会『ComicTreasure17』のイベント会場に入る前に、はじめて男性向け同人誌即売会に行く6人で収録しました。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1318655552.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2011-10-15T05:11:11+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ、永田芳子、藤井菜摘、米子匡司
【行ってみよう!】女性向けコミック同人誌即売会に行った(終了後)
http://yosomi.jp/article.php?id=203
<h2>女性向けコミック同人誌即売会に行った(終了後)</h2><p class='author'>米子匡司 / 2011-10-15 14:11:11</p>この録音は、女性向けコミック同人誌即売会『COMIC CITY 大阪82』に行った後に収録しました。
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2011-10-15T05:05:35+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ、藤井菜摘、米子匡司
【行ってみよう!】女性向けコミック同人誌即売会に行った(入場前)
http://yosomi.jp/article.php?id=202
<h2>女性向けコミック同人誌即売会に行った(入場前)</h2><p class='author'>米子匡司 / 2011-10-15 14:05:35</p>この録音は、コミック同人誌即売会『COMIC CITY 大阪82』のイベント会場に入る前に、同人誌即売会をはじめて見る3人で収録しました。
コミック同人誌即売会には女性向けのイベントと男性向けのイベントがあるそうで、この日の『COMIC CITY』は女性向けのイベントです。
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2011-10-15T05:03:30+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎、永田芳子、松本渉、山本握微、米子匡司
【ブック・オン】ブックオンを終えて
http://yosomi.jp/article.php?id=201
<h2>ブックオンを終えて</h2><p class='author'>米子匡司 / 2011-10-15 14:03:30</p>この録音は『ブック・オン - 一日で書店の本棚を全て見る -』の終了後に収録しました。
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2011-10-15T04:59:39+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎、境隼人、永田芳子、松本渉、山本握微、米子匡司
【ブック・オン】昼休憩
http://yosomi.jp/article.php?id=200
<h2>昼休憩</h2><p class='author'>米子匡司 / 2011-10-15 13:59:39</p>2010年12月19日に行った企画『ブック・オン - 一日で書店の本棚を全て見る -』の昼休憩前に収録した音声記事です。
これを録音した時点で既に巡回予定は大幅に遅れていて、どう取り返そうかというところです。
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2011-10-15T04:41:23+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎、境隼人、永田芳子、松本渉、米子匡司
【連載記事】ガンダム、美術などの事を話した
http://yosomi.jp/article.php?id=198
<h2>ガンダム、美術などの事を話した</h2><p class='author'>米子匡司 / 2011-10-15 13:41:23</p>最近見聞きした事。ガンダム、仮面ライダー、アニメや、美術などの話をしました。
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2011-10-15T04:40:04+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎、永田芳子、松本渉、米子匡司
【連載記事】予算委員会、ひも、2010円展などの事を話した
http://yosomi.jp/article.php?id=197
<h2>予算委員会、ひも、2010円展などの事を話した</h2><p class='author'>米子匡司 / 2011-10-15 13:40:04</p>最近見聞きした事。予算委員会の中継、ひも、2010円展などの事を話しました。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1319299073.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2011-10-15T04:38:04+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子、松本渉、山本握微、米子匡司
【連載記事】【インタビュー】元ノミ屋・競輪選手の松本幸雄さんと話した
http://yosomi.jp/article.php?id=196
<h2>【インタビュー】元ノミ屋・競輪選手の松本幸雄さんと話した</h2><p class='author'>米子匡司 / 2011-10-15 13:38:04</p>この録音は、人に話を聞きに行こうシリーズの第一回、元ノミ屋・競輪選手の松本幸雄さんへのインタビューです。<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1319615989.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2011-10-14T17:36:26+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【ブック・オン】ブックオン覚書
http://yosomi.jp/article.php?id=195
<h2>ブックオン覚書</h2><p class='author'>永田芳子 / 2011-10-15 02:36:26</p>開店前に書店近くのファーストフード店に集合。コーヒーを飲みつつ、今回の企画者・山本さんからブック・オンのしおりを片手に大体の手ほどきを受ける。予定のうち一人遅れているが、定刻が来たのでビルの入り口へ移動。余所見の人達とはミーティングやどこかのイベントでばったり、という会いかたしかしないので、「自然光+屋外」という状況で姿を見るとものすごく変というか斬新というか。
初めは雑誌コーナーからぞろぞろ見ていく。写真集、歴史、小説、気にかかった物についてあれこれ言いながらなので、思った以上に進まない。いきなり先行きが怪しいので団体で動くのはやめにして、個々のペースで廻る方式に変更。
軽くお昼を済ませてから、買うつもりにしていた文庫本を探して目を凝らすのだけれど、どれも似た感じでなかなか見つからない。出版されてからある程度経つと表紙が見える形で置かれることは少なくなるのだから、背表紙こそ何色だったかくらいは覚えておかないと不便だと強く思う。ハードカバーなら少しは表紙の書体などが反映したりしていてマシなんだけれど。文字を読むのが少しずつ嫌になってきたので背表紙の色と紙質だけ眺めた。高いところに並んだ文庫は、ツヤのあるコーティングがしてあると照明が反射して書名の部分が白くなる。
文庫のブロックを出て、まだ広い書店を見る。ここからは実用書が広がる。どれも自分の生活に何らかの形で関わる事柄。ふと、もしこれらを全部読んだらその分くらいは賢くなれたりするかしらなんて考えがよぎるが、棚には「○○すべき」と「○○すべきでない」が隣り合わせて置いてある。両方を同時に買って読むのは可能としてもジャッジするための知恵はその行為で手に入るんだろうか。しかもそれらの本の内容は徐々に古くなり、中には要らなくなるものもある。ウニタ・ミニマというユニットの曲の、『何が正しいのか全て知ってる人を誰か知らないか』という一節を思い出す。きっと、何もかも読み終えるには私の人生の長さが足りない。
棚を見上げる体勢を続けたからか腰が痛くなってきた。なるべく棚の低い所でしゃがんだり伸びをしたりしてみてはいたが、やはりこうなった。健康のコーナーに行けばきっと腰痛関係の書籍があるに違いないが、店内マップでは位置的に遠くてしょうがないので、たまに出くわすメンバーにちょっかいをかけて気を紛らわせる。意にかけなかった本について何か聞かせてくれるので楽しい。時間が足りないので普段よく行くコーナーは飛ばす。閉店の合図が鳴り、座談会を録るころにはみんなぐったりしていた。
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2011-10-12T16:06:36+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】四天王寺の大古本市
http://yosomi.jp/article.php?id=193
<h2>四天王寺の大古本市</h2><p class='author'>中島彩 / 2011-10-13 01:06:36</p>四天王寺の大古本市に行ってきました。
四天王寺は中学・高校時代に通っていた美術のアトリエの近くにあって、馴染みの場所だったのだけど、その頃は学校が終わると盲目的にアトリエに向かっていたので、古本市や骨董市で人がごった返していても、人が多くて通りづらいぐらいな気持ちで、足が出向くことはなかったのですが、随分たった今になって、ふと新聞欄に紹介されているのを見て、懐かしがてら見に行きました。
門をくぐると境内見渡す限りにテントが立ち並んでいて、その下にずらりと本棚。最初の印象は「茶色い」でした。
一冊一冊はいろんな色をしている本の背表紙が、並ぶとなんだか茶色の色面に見えます。
あまりに沢山のテントがあって、それぞれが異なる古本屋のブースとなっているのだけど、とりあえず全体を把握しようと一周します。
一周しながら、どんな本があるのかを見ていくのだけど、一冊一冊がどうしても目に入りません。群れにしか見えないというか、タイトルが読めないというか。
もちろん字は読めるのだけれど、普段本屋や図書館で目にする本はジャンルや著者別で別れているので、ある程度どういうものかが想像できて、その中でのタイトルを見て、一冊の本として対面することができます。
けれど、古本市では隣り合った本がまったく別のジャンルのものだったり、棚の括りが値段や本の大きさ・形だったりするので、一冊の本がまったく文脈のない状況で置かれているみたいです。
少しウロウロして、やっと目に入ったのが「暮らしの手帖」の山積みで、今までに何冊か読んだこともあり、見たこともあり、魅かれてもいるので、「暮らしの手帖が沢山置いてある」と認識することができました。
それがきっかけになって、「茶色い色面」だったのが、少しずつほどけてきて、絵本のかたまり、雑誌のかたまり、文庫本のかたまり、雑誌のかたまり、と、もうちょっと群れで見るようになりました。
今度はそれが「雑誌のかたまり」が多いのはこのテント、「図鑑のかたまり」が多いのはこのテント、とテント=古本屋としてみれるようになってきて、この古本屋は何々系の本が充実してるとか、古本屋毎の特色が見えるようになってきて、その古本屋の特色が本屋や図書館のジャンル分けされた棚の役割を果たしてることに気づきました。
ないように思った文脈も、その古本屋での文脈というのがあるみたいです。
といっても、圧倒的多数の本の並びは今まで知っている本棚の文脈と違っていて、まったく本が見れません。
それに、読みたかった本を見つけても、もしかしたら他のテントにもっと安くあるかもなんて思ったりして、買うことがためらわれてしまいます。
魅かれる本があっても、もっといい本があるのではと思えたり。
そこは大きすぎる森で、大きすぎて木が見えなかったり、どれも同じような木に見えたりする、そこで迷子になった、そんな気持ちになりました。
けれども、本を買っている人はもちろんいて、その人たちには本として見えているわけです。
その人たちはパッと見で木の品種を見分けられるに違いない。
それには、今まで沢山の木を見てきたのに違いない。
私は本が好きなつもりだったけれど、きっとある程度興味ある本棚にしか行っておらず、その中からしか本を選んでこなかったんでしょう。
もちろん、大古本市という広大な森からいつも見ているような本なら見分けることはできるけれど、せっかくジャンルが解体されて隣には普段目にしない本がある状態なのに、いつもと同じものをてにとるのもちょっとなあ。けれど、かといって買ったはいいが読まなくては元も子もないし。
結局私は何も手に取らず、本の中をさまよって歩いて帰ってきただけでした。
あらためて、本に出会うには本棚、あるいは本の並びが重要なんだと思いました。
図書館。個人経営の本屋。チェーン店の本屋。古書店の本棚。キオスクの本棚。ブックオフの本棚。セレクトショップの本棚。
amazonの本の並び。
なかでもやはり古本屋は、売る人間がいないと成立しないわけで、古本屋の店主の思惑がそのまま反映はしないわけです。
それが一堂に会した大古本市…。
いつか、大古本市でいい買い物をしたと言えるような日が来ればいいなと思いました。<br />
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2011-10-09T01:27:00+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】たのやく
http://yosomi.jp/article.php?id=192
<h2>たのやく</h2><p class='author'>山本握微 / 2011-10-09 10:27:00</p> 以下の記事は、先日、余所見編集部用メーリングリスト、つまり内輪向けに投稿したものの転載となります。文体やテンションが、内輪向けの何かとアレなものになっていますが、ご容赦ください。
記
やあやあ。皆様。ご機嫌麗しゅうクリーム。山本握微です。
最近は、何かとご無沙汰してすみません。
昨日も昨日とて、FLOATに押しかけ劇の稽古し、夕方新幹線に乗って広島へ、仮眠をとって深夜労働、今くたくたで東横イン、といった按配なんですが。
この客室に、聖書のほか、なかなか面白い本が、雑誌がおいてありまして、皆さん、常識かもしれませんがお知らせいたします。
客室専用紙「たのやく」とかいう雑誌です。
これは、機内専用紙、的何かを狙っているのでしょうか。昔から、こういうのあるんでしょうか。
発行は「たのやく出版」とかなってますが、どうも東横インが実質出してるみたいです。広告は東横ばっか。
でも、こういう体裁ということは、どっかのホテルにも卸してるんでしょうか。それはわかりません。
で、この雑誌なんですけど、今みたらもうvol.88とかなってるんですが。
特集「人生を豊かにする本との出合い第六弾・読みたい!珍書」と、まあ、ありがちなブックガイドかと思いきや、今回の場合、全32媒体(書籍・雑誌、ネットもあるかも)から「転載」してるんです。
で、どうも、この雑誌、毎回そうやって、既存の書籍・雑誌から「転載」で成り立ってるみたい。
面白いことに、目次にはさまざまな雑誌のロゴが目次として並んでいる。
ラインナップとしては、冒頭に「ワンダージャパン」と、いかにもな筋にもベタに対応しつつ、中盤には、パズル雑誌の転載(=だからこれ、情報の転載というより、まんまパズルのページ)他、短編小説とか。スポーツ誌の引用で、女子プロレスラーのインタビュー2頁とか、普通に読んでしまえる。
紙面自体がまんま転載だから多分、総合誌が「各ジャンルからもってきました。興味をもってね」というよりも、専門雑誌読者のための空気をちゃんと持っていて、読める。
とくに(このメールを書き始めてから気づいたけど)パズル誌の転載ってのは面白すぎる。
転載、から普通にイメージする何か、よりも直接的に機能するから。
他、オライリーの「子どもが体験するべき50の危険なこと」という、理系方面からの読み物。
「こんなに厳しい!世界の校則」とかいう、雑学的新書から転載。
と思いきや「ペット風水」がどうとか、ちょっとスピリチュアル入ってる記事も。
普段読まないから読もうといいつつ読まない、的なのを、誰かの紹介でなく、転載で読める、というか読んじゃった感。「金魚の死体をトイレに流す人がいますが、せめて包んで生ごみに出しましょう」とか。
末尾にはひらがなタイムスなど、語学記事も。
基本、雑誌のビジュアル重視の紙面からの転載が多いけど、新書を割付した文章など、雑誌紙面が、ほんの少し縮小されて、紙面に収まっている、チョコナンとした見た目もいい。
いや、こんな長文でひたすら褒め上げるようなもんでもないかもしれませんが、いやこれ皆さん知ってました?類似がありそうななさそうな。もしかしたら既にミーティングで話題になりましたっけ。
ホテルのベット脇にある、そういう限定的なキッカケも微妙な作用か。
紙面のいくつかに「客室専用誌につき書店売りなしです」というアピール。
だが、一般の定期購読はできるみたい。
月刊で300円。だいたい100ページくらい。
各媒体からの転載が成り立つのも、普通の出版とは違う軸ゆえか。別のビジネス。
まあ、とりあえず、そんなものがありましたので、一応。
おやすみなさい。
以上
追記
「たのやく」はサイトも確かあったと思います。詳しくはご検索くださいませ。
あと、たのやく内の東横インの広告記事に「小学生の出張体験」という、地域還元的な企画があって、それもなんだか面白かったです。小学生に、サラリーマンの出張を体験してもらおうという企画で、でも、東横インは飽くまでホテルなんで基本的には泊まるだけという。でも、小学生にとっては、チェックインやチェックアウトも冒険ですもんね。<br />
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2011-10-09T01:04:41+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】救急車はタクシーじゃない、的な
http://yosomi.jp/article.php?id=191
<h2>救急車はタクシーじゃない、的な</h2><p class='author'>山本握微 / 2011-10-09 10:04:41</p> 先日のある夕方、僕は所用で阿倍野区役所の駐車場にて車を待たせていた。ようやく用事を終えて、車に乗り込んだ。運転手は、友達の伯母さん。車に乗ってから気づいたけれど、駐車場内に救急車が来ていて、救急隊員と一人の男がなにやら押し問答している。
「あれ、何かあったんすか」
友達の伯母さんは一部始終を見ていた。
「あの救急車、2度目やねん。あの男が、足をくじいて動けない、っつって救急車を呼んで断られ、もっかい呼んでまた来て同じことしてる。救急側も、全然内部で連絡取れてないな。また3度目も来るんちゃうん」
はあ、なるほど。これが「救急車をタクシー代わり」というやつか。男は、まだそこそこ若く、ぴんぴんしているように見える。身なりは、汚い。救急隊員に対して、凄んでいる。でも、本当に足を挫いたのかもしれない。しかし、タクシー代わりっつっても自宅や目的地に運んでくれるわけではないだろう。夜なら宿代わりだが、まだ日も暮れないうちに、異様な光景だ……
そんなこと考える間もなく、車は発進して、道路に出た。そこでやっと気付いた。
「あ、あの人、いつぞやの【宇宙人は出て行きましょうね】の人だ」
<a href="http://yosomi.jp/article.php?id=160" target="_blank">http://yosomi.jp/article.php?id=160</a><br />
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2011-10-08T20:07:47+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【連載記事】テレプシコーラ
http://yosomi.jp/article.php?id=190
<h2>テレプシコーラ</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2011-10-09 05:07:47</p>テレプシコーラ全10巻を読みました。
テレプシコーラは山岸凉子作のバレエ漫画です。全10巻というのは第一部のことで、そのあとに第二部が5巻出ています。
この漫画はバレエをやっている姉妹のお話です。とても詳細にバレエをとりまく様々なことが描かれていて、ぐいぐいひきこまれるような漫画です。
「ぐいぐい引き込まれるような面白さ」については、他の名作で感じた事があるそれと同じなのですが、この漫画について何か書くなら、特別印象に残っていることがあって。
物語などを読んだときに、登場人物に感情移入するというようなことがあると思いますが、この漫画でもそんな感覚がありました。終盤、ショッキングな出来事が起こるのですが、それに対する感覚が実際に感じたことが有る感じで、疑似体験といったらおおげさかもしれませんが、ほんとうに自分がそれを体験したかのような気分になったのです。ほんとうにショックだったんです。
そこまでの感じは、私は他の漫画で体験したことがなかったので、とても印象に残っています。
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2011-10-05T14:04:00+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【連載記事】川上弘美、「真鶴」
http://yosomi.jp/article.php?id=189
<h2>川上弘美、「真鶴」</h2><p class='author'>中島彩 / 2011-10-05 23:04:00</p>歩いていると、ついてくるものがあった。
という書き出しで始まる、川上弘美の小説「真鶴」を読みました。
この「ついてくるもの」が何なのかは最後まで言及されていないけれど、この世のものではない存在、ほとんどの人には見えないものであることは確かで、幽霊だともとれるし、主人公の思いが彼女だけに見せている、ただの幻なのかもしれません。
前半に登場する「ついてくるもの」は不特定の無名の存在なのだけど、後半、それは失踪した彼女の夫となり、彼への未練によって彼女自身が「ついてくるもの」になってしまいそうになります。
読み進むに連れて、彼女の夫を「ついてくるもの」にしたのは彼女自身かもしれない。わかりやすくいえば、彼女が夫を殺害したのかもしれないということがほのめかされ、そう読むとミステリー小説のようにも思えてくるのですが、そこにある怖さは「殺人」の恐しさではなく、はっきりと断定しないがゆえの曖昧でしっとりとした、「怖さ」です。
さて、その怖さを引き出しているものというか、川上弘美の表現の独自性は、その、「読点」の打ち方にあるんじゃないかと常々思っているのですが、たとえば、
「夜目に、白い花びらが落ちてゆくのが、きもちいい。ゆっくりと、花びらは地面に届く。一枚、ちぎり、もう一枚、ちぎる。」
といったように、そこに読点がなくても意味が通る文節でも、そこに読点があることで、間合いをつくりだしています。
その間合いは、文の勢いやリズムで読者を巻き込むものとは違い、作家と読者の距離を意識させるようなものなのだけれど、その突き放され感があることで、読者はその立場を保証され、小説を楽しむことができるように思います。
というようなことで、私は川上弘美の小説を読むのが好きなのだけれど、さておき。
読点のことを考えるといつも思い出す、ある知人のメールがあって、その人もたぶん意識的に使っているのだけれど、その人の場合は、強調したい所や間を置きたい所のみならず、「てにをは」の度に必ずつけているんじゃないかというくらい、読点が、多い。
その文章を読んでいると私はいつも読点につまづいてしまって、次第に内容がわからなくなり、何度も読み返してしまうことになります。
もっと少なくてもいいのに。
いっそなくても意味は通じるのに。
と、思っていると、友人が「ちょっと見てよ、最近メール教えてんけど…」と彼女のお母さまからの携帯メールを見せてくれた。
「くろごまかってきてしょうゆかってきてしごとおつかれ」
やはり、読点は、必要ですね。<br />
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2011-09-27T05:27:12+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】第五福竜丸展示館にいった(続き)
http://yosomi.jp/article.php?id=182
<h2>第五福竜丸展示館にいった(続き)</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2011-09-27 14:27:12</p>と、27歳にして行って初めて理解したこの事件。でも、「福竜丸」っていう名前は知っていた。ヤノベケンジが、岡本太郎が、作品の中でモチーフにしていることは知っていて、でもその意味はなんとなく、原子爆弾に関係しているんだろう的なぐらいで、それ以上に説明していた機会がトークだったり、テレビ特集だったりであったのかもしれないけど、私はそこまで受け取れてはいなかった。
だから、友人に福竜丸の展示館って聞いて、それと一致して、そんなのあるんだと興味が湧いて、足を運んだんだけど。アートで初めに知ったのは、私のひとつの大事な経験だったんだと思う。それがないと、「ふくりゅうまる?」ってなってるところだったし。アートで、展示館の役割全部を背負う必要もきっとない。
展示館があるってことが重要で、大阪、東京のアートの現場で「福竜丸」という言葉を流れることが重要で。しかもそれが、都会の真ん中で言葉にされたことはやっぱりとても効果的なんだと思う。まあ、もっと地方とよばれる町でもあればなおいいんだけど。
福竜丸展示館は、決してやな感じがしない。やな感じっていうのは、息苦しさというか原爆推進!っていえない空気ではない。大きな声でしゃべってもいいし、微笑んでもいい空気が流れてる。ときに、こどもたちが大騒ぎして遊んでいたり、ベンチで寝てるおじさんもいるみたい。とてもニュートラルで、敷居が低い感じがやな感じじゃない気にさせているのかもしれない。
メモリアルではないのよ、触ってはいけない封印したい空気はない。むしろ「いま」として捉えやすいようにしてる気がする。展示館といいながらも、展示に留まってない、アーカイブ(収集・保存資料)とか言葉もあるけど、それともまた違う、生き物に触れているような気がしました。資料が死んでない。
学芸員さんがいて、企画などをたまにやっているんだけど、こういう場所での「学芸員」ていう役割は楽しそうだなあと、いきいきとお話されているのを聞いていて感じました。
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2011-09-27T04:51:42+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】第五福竜丸展示館にいった
http://yosomi.jp/article.php?id=181
<h2>第五福竜丸展示館にいった</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2011-09-27 13:51:42</p>東京にいったときに、ずっと前から第五福竜丸展示館のハンカチが素敵だよ。と話を聞いていて、その教えてもらった友人と東京で会ったときに、ハンカチをちょうど持っていて、ほんとにかわいかった。次の日、美術館をみるのも、誰かに会うのもなんだか違う気持ちだったので、朝からモーニングして散歩しながら、あ、そうだ第五福竜丸展示館にいこう!と思い立ち、3人でいった。
新木場駅に降りて、東京でも千葉より(いや、千葉県なのかな?)にある埋め立て地「夢の島」があって、ゴミ処理場があって、植物園もあって、プールや体育ホール?みたいなのもある。だだっぴろい場所。でも、なぜか緑地公園みたいにみどりがいっぱいで、埋め立て地であることを一瞬忘れる。
その夢の島の、はしっこに他の施設とくらべても大きいとは言えない赤い三角の建物が第五福竜丸展示館だった。「入場無料」と遠くから見てわかり、9月のまだ暑い中、涼しさを求めて早足に入る。
中に入ると、むあっとカビかな、木材かな匂いがあって、入ってすぐに、福竜丸がどーんとまるごと展示されている。福竜丸は1954年3月1日にアメリカの水爆実験の最中に、近くでマグロ漁業をしていた船で、宣告されていた危険エリアからずいぶん離れていたにも関わらず、大量の放射性降下物を浴びた。その船には23人の乗組員がいて、みんな重傷だったけど、中でも船長が一番重傷で、医者や看護士にあらゆる治療を受けたが、同年秋に亡くなる。「放射能症」という死因。水爆が、どんな原料でできているのか、わかれば治療法も考えられたけど、どんな構造であるかはアメリカは一切公開せず、患者がどんな状況なのかをレポートしろ、と言う始末。当時は新聞で船長の名前はもちろん、家族も公開され、全国から励ましの手紙などもあったそうな。その、水爆実験による事件にまつわる、社会的背景、当時の日本、アジアの様子、家庭の様子などがパネル展示でアーカイブされていて、1時間30分ほどで胸がいっぱいになった。
水爆実験は、その船一艘だけの話ではなく、放射能物質のはいったマグロを大量に処分したり、雨に放射能がまざっていると新聞が知られていたり、もちろん野菜も大騒ぎだった。被害は日本だけに留まらず、水爆実験が行われたエリアにあるバニラ島の島民も一斉避難を要され、それでも残ったものは、数年後に身体の異変が出る。人間だけでなく、植物もおかしな成長をしている。そんな写真やインタビュー記事もたくさんある。そんな事件があったにも関わらず、その後も2000回以上の実験が世界中で行われ、いいかげんもう止めようということで水爆実験を禁止することになるけど、今度は地下で実験がたくさん行われている。
日本は原爆も、水爆も巻き込まれているのにも関わらず、「平和利用」を理由に、それでも原子力発電が開設され、原子爆弾は日本ではつくってもない、もってない、もちこんでもないけど、海外での製作に加担していたりする。
今と、おんなじ、いやそれ以上の社会現象が起きていたにも関わらず、またこんなことになっていて、ほんとに呆れて死にたくなるけど。とりあえず、生きなきゃいけない。もう、ほんとに二度と同じことをさせたくないし、この小さい国での出来事を糧に、未来に、もしくは、世界に、学んで前に進めないといけない。まだこの出来事は終わってもいないけど、まだ渦中だけど、「放射能症でまだ死んではいない」その「こと」が起きないと身の危険が気づかない大人が多すぎて、みんなしばいたろかって感じやけど。
言うとくけど、第五福竜丸の事件では、船長だけがその年に死んで、その他の乗組員は40代、50代で癌になって死んでる。長生きしてる人は70代まで生きて、癌で死んでる。長生きっていっても、その時代はもっと長生きやったはずやけど。癌は最近ではあたりまえになってる病気やし、70代まで生きたら十分やと思う感覚かもしれんけど、自分で勝手に煙草とかすって、偏食やったり、働きすぎで自分で選んだ人生で死ぬのはいいねん。でも、それが知らない間に、誰かの都合(しかも有利な)で巻き込まれていることが原因で、自分の生きることを、大事な人の生きることを奪われるのは、ほんまにむかつく!ゆるされへん。
と、感情的になりますが、感情的になったらいいと思ってる。冷静な理屈でくつがえせる力は私たちにはないけど、感情はだれでも表現できると思うし、感情は後にのこらへん。理屈や論理は、考え方をへし折る事ができるかもしれないけど、感情は、傷をつけるぐらいで、相手をまだ尊重できる。相手をつぶすことにはならないから。こどものときにケンカしたけど、すぐ仲直りするのとおんなじ。だからとりあえず、自分と、自分のともだちと、できれば家族と、もしくは半径3mぐらいの人たちには、まっすぐにぶつかって、お互いの価値観を大事にしながら、意見が言いあえる環境を、つくっていこうと思う。
みんな行ったらいいと思う。<br />
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2011-09-27T03:58:34+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】チェルフィッチュ「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」を鳥取でみた
http://yosomi.jp/article.php?id=180
<h2>チェルフィッチュ「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」を鳥取でみた</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2011-09-27 12:58:34</p>鳥取にある鳥の劇場という演劇場が、自分の拠点から車で50分のところにあって、以前からDMが来ていたのもあって、ちゃんと行ったことはないけど、存在だけは知っていた。山の向こうで今ごろ演劇祭がやっていることが知っていて、いつか行こうと住人と話をしていた。
ほんとは23日にアンドロイド演劇をみようとしてたんだけど、相変わらずのぎりぎりスケジュールでは、車の移動速度までは計算できておらず、上演時間に間に合わず、悔しいから鳥の劇場内に設置している「まる達コーヒー」を堪能する。劇場内には、演劇祭というのもあって、こういった臨時カフェもあるし、劇場スタッフが運営してるカフェ食堂、キッズルーム、セレクトショップなどがあり、劇場といってもそんなにたくさんを観たことはないけれど。廃校になった場所をこんな風に過ごせる機能があるなんて、演劇って意外と身近なのねと親しみやすくなった。その日は、正直演劇もみてないし、珈琲一杯飲んだだけなんだけど、それをよしとしてくれる空間はすごいと思った。帰りは鹿野温泉を立ち寄って、のんびり過ごした。
で、やっぱり悔しいから見よう。そして、よくよく考えると、やっぱり、「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」がもう一回観たい。実は去年渋谷で見たけど。なんだかもっかい。ということで、アンドロイド演劇はやめてソレをみることにした。
予約は前日までで、当日ははやめにお越しくださいということで、余裕をもって再度鳥の劇場へ訪れる。会場は鳥の劇場ではなく、近くにある集会所?ホールみたいなところで。鳥の劇場のある町・鹿野は、町家造りで有名で、補修したり、保存の活動が盛んで、町家をそのままに若い人たちがカフェしたり、休憩所にしたり、いろいろな使われ方をしている。その中に、あの劇場がある。
当日券は早めに来たのも甲斐あって、無事にチケットをゲット。待ち時間の間また珈琲を飲みにいく。夜も19時すぎても、校庭は車でいっぱいで島根、大阪、姫路、鳥取ナンバーがある。
開演時間が迫り、会場に戻る。前列に、見上げるように座る。鳥の劇場の代表より今夜最後の公演です。とさわやかな挨拶。会場内に初めから音楽はなかったけど、照明が一度暗転し、明るくなり、始まりを表す。役者が3人出て来て、テーブルにつく。一度見ているので初めてみたときよりもさほど衝撃は軽いけど、ディティールがじっくりみれて楽しい。
「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」は、それぞれ1章ごとの短編になっていて、話の軸はつながっている。派遣社員の話なんだけど、しゃべり方は、どこかで聞いたことがあるような口語体の、日本人のよくあるまわりぐどい、意見があるようで、ないようで、あるような、曖昧な話し方。「〜があるじゃないですか」「〜みたいな」「そういうのも、いいとは思うんですけど」など。自分もつい口走ってるような気がして、ドキドキする。それに付け加えて、身体の振り付けがまた独特で、派遣社員の女性、男性それぞれ性格があって、その性格もどこかで知ってる雰囲気で、かつ、その人たちの振り付け(振る舞い)も、見た事ある。それが、言葉で発しているのとは、分解されたタイミングで、身体が動いていて、違和感があるんだけど、それが言葉、身体、それぞれに表現の意味がなくなっていく瞬間があって、でも、意味がわかる。という、不思議な感覚に陥る。ストーリーはもちろん、送別会は何料理にするか、クーラーの温度設定が低すぎる、エリカ先輩のお別れの挨拶、とそれぞれに論点は一点張りで、そこから何も話は進まないのだけれど、その中での言葉や身体の意味が、それ以上のことを伝えていて、くすぐったくなる。
あれは一体なんなんだろうなあ。もはや(私の知ってる中での)演劇じゃない気がする。演劇っていうのが何なのかは知らないけれど、私が数少ない見てきた演劇とは全然違うところの感覚で受け止めてる感じ。演劇じゃない、っていうのは言葉としての受け止め方であって、否定してるんじゃないけど。今までに見た事無い感覚の、パフォーマンスだった。音楽と、言葉、振り付けがリンクしている瞬間なんて、ダンスのようにも見える。これはビデオではきっと感じれない。写真でも。ライブじゃないと、この感じは味わえないと思うから、また次の作品が見れるときがあったら是非行こうと思う。他の過去の作品も、再演してほしいなあ。新しい作品も見たいなあ。何度でも、作家が生きている限り見れる可能性があるという、現代の表現、鑑賞の在り方はほんとにすごいと思う。
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2011-09-27T03:45:53+09:00
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藤井菜摘
【連載記事】小山先生のアレ
http://yosomi.jp/article.php?id=179
<h2>小山先生のアレ</h2><p class='author'>藤井菜摘 / 2011-09-27 12:45:53</p>専門学校時代の学校関係の集まりのお酒の席があるというので参加してきました。
私の通っていた専門学校には「アシスタントスタッフ」という学校のイベントやら先生の仕事やらのサポートをする生徒会のようなものがあって、そのOB会という感じの会でした。私はその会の人ではありませんでしたが、友達から誘われてその周辺の人でも参加していいとのことだったので、おいしい話しでもころがってないかと参加してみることにしたのです。
第一ビルの地下にある「百番」という居酒屋での開催でした。総勢40人から50人くらいで、生徒は私の学年を基準にいうと、上が3年、下が6年くらいの世代。先生も何人かいらっしゃいました。4年のときの担任の先生がいらっしゃって、お会いするのは卒業以来だったのですが名前を憶えていてくださって、とても嬉しかったです。専門学校の先生は1人の先生をのぞいて特別親しいわけでもなかったので憶えていらっしゃらないかもしれないと思っていたのです。
会全体でいうと直接面識のあったのはその先生だけでした。あとは、全然知らないか、顔を見た事あるなぁという程度です。昔から、上下の繋がりを築くのが不得意で、学生時代の先輩とか後輩とか繋がりが全くありません。不得意、というかそういう上下にわたったコミュニティーに属したことがないからかもしれません。
何かと思うところの多い会だったのですが、一番衝撃だったのが、小山先生のパフォーマンスでした。宴もたけなわになってきて、幹事の方が「ではそろそろ、小山先生のアレをお願いします!」というようなことをおっしゃって、開場がざわつきました。すると小山先生がおもむろに中心にやってきて挨拶的なことを述べた後、「頑張ってるかー、と言いましたら、オー!とお願いします」というようなことを言いました。その後、なんて言ったらいいんやろ、あのアニマル浜口とかアントニオ猪木とかがでかい声でかけ声をかけて聞いてる人がそれに答えるというような応援(?)みたいなパフォーマンスが始まりました。内容が今でも脳裏にやきついてるのですが、「がんばってるかーー?!!がんばってるかーー?!!文○がなんじゃい!!マロ○エがなんじゃい?!!上○がなんぼのもんじゃい!!モードが一番なんじゃい!!!社会でて暴れたれやぁ!!!」というようなことを震えながらドスのきいた声で、ヤクザか一世風靡セピアかというような勢いで叫ぶのです。じゃいじゃい叫ぶのです。このパフォーマンスの衝撃はすごかったです。何が衝撃だったかというと、最近見たどのパフォーマンスよりエネルギーがでかかったのと、その内容が他校に対抗するような形での自校賛美だったことです。私も、私の周りの同級生からも、あまりスクールアイデンティティというようなものを感じたことがなかったので、そういうものをあからさまに見せられてびっくりしました。しかしながら、そんな私でも拳をあげて「オーッ」とかけ声をかけずにはおられないほどのエネルギーだったのです。
とてもインパクトのあったパフォーマンスなのですが、おそらく関係者しか見られないのでみなさんにおすすめできないのが残念です。世の中には、こういった名も無い名パフォーマンスもたくさんあるんでしょうね。
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2011-09-20T13:16:34+09:00
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蛇谷りえ、中島彩、藤井菜摘
【行ってみよう!】連れ立ちストリップ
http://yosomi.jp/article.php?id=178
<h2>連れ立ちストリップ</h2><p class='author'>中島彩 / 2011-09-20 22:16:34</p>初めてストリップというものを見に行きました。
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目的の劇場の最寄り駅は地下鉄の天神橋筋六丁目。
そこから近いとは聞いていたけれど、地上にでて見渡すと、[ナニワ ミュージック]の電飾看板を見つけることができた。
周辺にはコンビニや大きなビデオレンタルショップがあって、古めかしい電飾看板はあまり目立たない。
友人と落ち合って中へ入ると、踊り子さんのポスターや手書きの公演の案内、入場料の案内といろいろなものが壁に貼ってあり、植木やらなにやらいろいろな物が置かれており、気になったけれどなんだかじっくり見ることができなくて、入場料を手早く払って中へ入った。
劇場には奥のステージ、その中央からのびる花道、そしてその先にも丸いステージがあって、その花道と丸いステージを取り囲む形で座席がある。
私たちは友人、またその友人と誘いあっての10人の大所帯なのだが、奥のステージを向いて左側の花道沿いの席に隣り合って座る。
座席はどれも古くて、布が破けてスポンジが見えていたりする。
低めの椅子で座るとステージの床が目線くらい。
入ったときはちょうど「タッチショー」という、踊り子さんとの触れ合いタイムだった。
席に着くなり、踊り子さんに声をかけられ、順番に胸を触っていく。50代前半くらいに見える踊り子さんの胸は、形こそ重力に負けてきてはいるものの、しっとりとなめらかで、普段銭湯で見かける同年代らしい女性のものとは随分違う。
触りながら、踊り子さんから「どこから来たの?」「初めて?」と声をかけられたり、別のお客さんにはコミカルな喘ぎ声を聞かせたりと、触る人と触られる人、皮膚を接触させながらのコミュニケーションをとっているようだ。
「タッチショー」が終わると踊り子さんは一度舞台裏にさがり、衣装を替え、ポラロイドカメラを持って現れる。「ポラロイドタイム」というもので、一枚500円で踊り子さんを撮影することができる。これは踊り子さんを単独で撮影する人と、踊り子さんと一緒に写る人とがいた。私たちは後で別の踊り子さんと一緒に数人で旅行の記念写真の様な並びでとったのだが、踊り子さんのみを撮影する人は、「記念」とは別の意味で撮っているように見えた。
その後、「オープンショー」なるものがあり、これは踊り子さんがそれぞれのお客さんの前に行ってアソコをご開帳するというもので、よくよく思い返すと、女性である自分のものももちろん人のものもはっきりと見たことがなく、見たものに対してどうと思うことはないけれど、見ること自体が不思議な感じがあった。
自分のからだにも同じようなものがあるはずだけれど、見ることのないもの。うなじとか、耳とかは見ようと思っても肉眼で見れないが、アソコは見ようと思えば見れる、けれど見たことがない。そう考えると、自分のことは自分がわかっているようでそうでもないのかなと思う。
「オープンショー」が終わり、踊り子さんが交代となる。次は業界最高齢という70歳近い女性の番。今回の見学にあたって事前に噂を来ていた人だ。
元は全国を巡業する旅役者であったが、事故に遭い、経済的な事情からやむにやまれずストリップの世界にはいったという。
その経歴からか、最初は着物姿、大衆演劇のような化粧で、舞を見せる。着物を脱いではいくものの、ただ裸を見せるというだけではない、磨き込まれた芸という感じがした。
舞いながら衣を脱ぎ、裸を見せた後、一度引き下がり今度は「タッチショー」、「ポラロイドタイム」、そして「オープンショー」。
これでまた別の踊り子さんに交代する。
次は若い女性。先の二人と違って、踊りは未熟な感じだけれど、裸になって丸いステージに上がってからは、足が吊りそうな体勢や身体の柔軟性が必要そうなポーズは随分練習しているんだろうという感じだ。
その次の踊り子さんも若い女性。
若い人は身体が引き締まっていてラインが綺麗で、それを見せるだけでこと足りて、年をとるにつれて芸の熟練や客との会話や掛け合いなどで魅せているいるように見受けられる。
厳しい様でもあるが、いい年の取り方だなとも思えた。
ショーは、「ダンス」「タッチ」「ポラロイド」「オープン」そして交代という順で朝から夜まで何巡か公演し、私と一緒に見に行った女性の友人はあらかた一巡した後に劇場をでた。
見ていて、女性の裸を男性が見ていることに対し嫌悪感ははなかったけれど、女性客がいることで他の男性客が居心地の悪さを感じているのではと思うことがあったり、邪魔をしてはいけないように思ったりもした。
女性客に対しても踊り子さんは気さくに接してくれているけれども、私たちとの間柄と男性客とのそれとは異なるように感じる。踊り子さんと男性客の間に流れる空気は親密な男女関係のようにも、母と子の関係のようにも見えた。
「タッチショー」で触るオッパイは、赤子が慕う母親のオッパイでもあり、「オープンショー」でまじまじと対面するアソコは、赤子が生まれてくる場所でもある。
男性が金を払ってストリップに来るのは、もう戻ることのできない密接な母と子の関係を求めているのではと思えるのだ。
私たち女性はこれから「母」になる可能性があるから、それほど入り込めないのかもしれない。
もしストリップの踊り子が男性で、女性が客というならどうかという話を劇場をでた後に行った中華店でしたけれど、それは女性の踊り子と男性客という関係と対照の「父」と「子」の関係になるようには思えなかったし、たとえそうなるとしても「父」と「子」の関係は人が余暇に求めたいものではないのではないだろうか。
一緒に来た男性の友人たちを劇場に残してきて、女性だけで感想
言い合ったので、彼らの感想も聞いてみたいと思いつつ、その日は解散した。
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2011-09-11T05:14:36+09:00
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永田芳子
【連載記事】料理の本
http://yosomi.jp/article.php?id=177
<h2>料理の本</h2><p class='author'>永田芳子 / 2011-09-11 14:14:36</p>先日知人と、どう秋を満喫しようかねと言う話題になり、食欲かお月見あたりが手頃かなと話がまとまった。なので、料理に関する本を少し。ビジュアル中心に選んでみた。
○週刊朝日百科 世界の食べもの
創刊されたのは昭和55年、祖母が買った本。きりがないと思ったのか飽きたのかフランス編だけが家にあり、子供のころ気が向くとパラパラやっていた。料理本というよりは食文化に寄った本で、コラムも世界の機内食や絵画の中の料理について書かれているものなど、今読んでも十分面白い。写真もこの時期に発行された洋食の本の中ではかなり良いものだと思う。レストランや市場の様子から始まるのだが、食肉、特に子羊の脳(生で店先にずらっと)や、鹿の血抜き中の写真などはなかなかのインパクトがあった。
○イタリア料理の本 米沢 亜衣
これは図書館で見つけた。装丁はクウネル等を思わせる雰囲気なのだが、写真のトーンが少し怖くて印象に残った。イタリア料理と聞くと盛り付けから陽気でパァッとしたイメージが浮かぶが、この本ではどれも暗く静かでいっそ冷めてそうに見えるページもある。スープに浸っている鶏を見たときにはローラ・パーマーを連想してしまった(確か『世界で一番美しい水死体』とかいう、本人的にはどうなんだろうというキャッチコピーが付いていた覚えがある。スチールしか知らないが)。レシピがシンプルで実用性もある。
○Cinema Table [映画の中のレシピ] Cinevine編
おそらくこの本で取り上げられた作品の中でもっともメジャーであろう「クレイマー、クレイマー」ですら見たことがない、というくらいふだん映画を見ないので、紹介されている料理がストーリー上のどんなシーンで出てくるのかさっぱり分からない(もちろん軽い解説はあるにしても)。そんな状態でも面白く眺めていられるのは、料理を一時置き去りにしてみんなどっか行ってしまったような空気が写真にあるからだろう。ここでうっかり独裁スイッチを思い出すのは可愛らしさが吹っ飛んでしまうのでよす。ちなみに、奥付を読むとスタイリングは岡尾美代子さんだった。未だ「オリーブの呪い」が解けていないことを実感した瞬間の一つ。
○夜想23/飽食
今の「YASO」ではなくてペヨトル工房時代のもの。1988年刊。 佐藤修という料理家のインタビューが載っていて、そこで話題になる1986年に開催されたパーティーの様子がなかなかすごい。会場に並んだ雉や猪の剥製の皮をはぐと中からよく焼けた肉が現われたり、装飾に見えた葉っぱはチョコレート、それらも喰えると気づいたお客が本当に飾りとして添えた生のザリガニまで食べてしまったり。千人ほどが集まったそうだが、いくらバブル期だったとはいえちょっと状況のケタがおかしいんじゃないのか。文中には食べる前と食べられた後の料理の写真がそれぞれ添えてあり、余裕ゼロな喰い尽くされっぷりが野蛮で素晴らしい。その衝動と、それを起こさせるものに出会った事について少しうらやましく思う。
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2011-08-30T21:03:45+09:00
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永田芳子
【連載記事】ローマンガラス
http://yosomi.jp/article.php?id=171
<h2>ローマンガラス</h2><p class='author'>永田芳子 / 2011-08-31 06:03:45</p>今年もなんとなく行きそびれたなぁ、と「石ふしぎ大発見展」の事を思い出した。
毎年、天満橋のOMMビルでゴールデンウィーク辺りに開催されている鉱物や化石の展示即売会だ。いわゆる少年趣味というのか、例のああいった感じも無くて好感がもてるし、立派なものから手頃なものまでたくさんの品が置かれるので、ちょっとした買い物にも眼福を求めるにも都合がよかったのだが、年々細工物やスピリチュアル系の入った店が増えてきて足が遠くなった。カット済みの宝石も多く販売されていて、奥様と娘さんがじっくり品定めしていたりする。
ちょっと調べてみたら秋に京都のほうでも開催されるとウェブサイトにあった(<a href="http://www.mineralshow.jp/index.html" target="_blank">http://www.mineralshow.jp/index.html</a>)。
石は好みのをいくつか持っているので、今の所これ以上はいらない。ただ、最後に大阪会場へ行ったとき買ったローマンガラスのかけらが部屋の隅から出てきたので久しぶりに行こうかどうしようかと迷っている。
ローマンガラスは名の通りローマ帝国の遺跡から発掘される、当時のガラス製品だそうだ。長年土に埋まってる間に成分が変化して表面に銀化が起きている場合が多く、その反応が鮮やかであったり、作られたときの形を残している物は特に珍重されている。たぶん土中つながりという事だろうか、たった一件だけがそれを扱っていた。
実物を見たのはその時が初めてで、たとえ小さな壷であってもその色彩や質感の壮麗さには感心した。手元のかけらは些細なものだが持つには十分足りているので、買うかどうかはまぁ別としても、あれらが並ぶ様はまた見たい。しかしまだ京都会場の出展社はサイトに発表されていないし、店舗の名前も忘れてしまった。
うちにあるコップや花瓶も埋まれば何かのはずみでいくつかは銀化を起こすのだろうか。観察してみたいものだが大体二千年ほど待たなくてはならないようで、そこまでの長寿はごめんだな、などと益体もない事を考えている。
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2011-08-07T17:46:43+09:00
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ひろゆりか
【連載記事】adandaさんのお手伝い・その1
http://yosomi.jp/article.php?id=170
<h2>adandaさんのお手伝い・その1</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2011-08-08 02:46:43</p> コーポ北加賀屋に、元AD&Aギャラリーさんが移転オープンする。
そう聞いたのは7月の初め頃だったか、どうだか、まぁそのあたり。
私はちょうど春から住之江区にある会社で働いている。コーポ北加賀屋から徒歩5分ほどの場所だから、たまにふらりと立ち寄ったりする。こないだふらっと寄ってみたら、焼肉パーティーしてたので、そのままおじゃましたほど。
肥後橋にあったときは、二ヶ月に1.2回の大阪ギャラリー巡りの際には必ず立ち寄っていたギャラリー。気になって、何度かコーポに様子を見に行ったりtwitterで連絡をとってみるも、すれ違いまくっていた。
土曜日、午後から会社で勉強することがあったので、出社したあと、また、帰りにふらっと寄ってみた。そしたら、ちょうど壁の石膏ボード貼り&パテ塗り最中。ようやくお会いできた。時間も遅かったので、翌日、手伝いに来ることを約束して、コーポをあとにする。
日曜日夕方、家での用事を終わらせて、19時にコーポ北加賀屋に着。小西さんがひとりで石膏ボードのカッティング作業をしていたので、作業着に着替えて、パテ塗りをする。壁用のパテを使うのは初めて。あれこれ話をしながら塗る。
就職してから忙しくて余裕もなかったけれど、最近は少し慣れてきて、忙しさの中にもメリハリをつけよう、としている。社会人になって、規則的な日々を送るようになり、休日の過ごし方が変化した。休日はとにかく体をやすめたり、仕事の予習復習、身の回りを整理することが多くなり、どうしても美術やアートとの距離が離れがちになってきた。よく言われる、「アートを通じて日常の中の非日常に触れる」なんていうライフスタイルに染まったらどうしよう…なんて思っていた今日このごろ。
そんな中、レイ・ハラカミ氏が急逝した。小西さんも言ってたけど、「人生、いつ死ぬかわからない」、そう思った。あとにしよう、今度行こう、と思っていたら、事故して足を怪我して行けなかった、なんてこともありうるかもしれない。3・11の後にも思ったけれど、さらにそう感じた。ユーストがあるや、なんて思ってても、やはり現場の空気って大切だ。何かが起こっている場所にはできうる限り、足を運びたいと思っている(しかし、最近余所見のミーティングには行けてない)。
今回、adandaさんができるのがとても嬉しい。それは自分の毎日通っているテリトリーにそうした刺激的な場所ができるから、そして、その出来ていく姿を間近で見れるから。どんな小さな関係性であっても、「その時だけ起こっている事」に敏感でいたいと思う。ひとさまのお手伝いなので、ただの自己満足なのかもしれないが、今日は「作業」ではなく、ある時間を「作っている」という感覚だった。
なんだかうまく文章がまとまらないのだけど、新鮮な気分なので書き記しておく。最初は、お手伝いしてきたことを書き記す予定だったのだけど… 写真がiPhoneに入っているので、また後日まとめます。
そういえば、日曜日って、週の始まりなんだなぁ。久々に手を動かし、新たな場所の到来にわくわくできた、週のはじまり。残業を控えめにできるよう、仕事にもメリハリをつけようと思います。
明日明後日も、早めに仕事が終わったら寄ってみるつもりです。
adandaさんは13日土曜日にオープン予定。<br />
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2011-07-24T17:01:00+09:00
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境隼人
【連載記事】まちをスキャンする
http://yosomi.jp/article.php?id=169
<h2>まちをスキャンする</h2><p class='author'>境隼人 / 2011-07-25 02:01:00</p>森山大道展「オン・ザ・ロード」@国立国際美術館
時間が出来たので午前中に観に行く。
街のにおいと人のにおいが沢山あった。
箇々の、写っているもの自体は特に問題じゃない。
沢山集まった街の断片や人の営みの痕跡が、およその街のようにみえる。
たくさんの人と目が合い、沢山の物が目を引く。
あるいは動いていて見えない。近すぎて見えない。
面白かったのは、自分が街を歩いていて見落としそうな光景の写真を、やっぱり見落としてしまった事。
年表的な作品群にあちこちの街を歩かされ、抜け出すと新宿に帰って来てハッとする。
不思議な「目」の追体験だった。
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2011-07-10T15:23:15+09:00
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ひろゆりか
【連載記事】蟲
http://yosomi.jp/article.php?id=168
<h2>蟲</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2011-07-11 00:23:15</p>漫画「蟲師」を初めて本屋で見たとき、虫と言う字が3つになると、風流さえ感じる雰囲気のいい漢字だと思った。しかし、やはり、それは漫画の雰囲気だったのだ。
実際、虫が三匹、三種類、三つ巴… となると、正直見たくない夏の風物詩となる。
今年春から働き始めた住之江区にある会社の帰り道、会社から駅までの数分の間に、そんな光景をみてしまった。
異常な速さでゴミ捨て場と足下を駆け抜けていった虫。(伊坂幸太郎風にいうと、「せせらぎ」。コックローチです。)。
誰かがプッと吐き出していったあとの路上の飴玉の周りにうごめく、無数の小さい、でも、蟻ではなさそうな虫。
横断歩道の傍で見た、色の黒い、巨大な、しかし全く飛ばないバッタ。
これから、彼らをみるのが常態化しそうだ。
今や黒くて小さい動きの早い虫にヒステリー反応さえ起こす私は、実は、小さい頃、昆虫大好き少女だった。バッタやコオロギ、蝉、カブトムシなど、夏になると、炎天下の中、昆虫網片手に出かけていた。蝶はとらなかった。鱗粉が手に着くのと、網で捕まえた時に一度、網から出す際に翅がもげてしまい、残酷な子供時代の事とはいえ、心が痛んだからだ(あと、一緒にいた友人に「動物虐待!」と散々からかわれたのにムカついたから)。蝉なんかは、目玉や脚が網にひっかかったり、大変可哀想な目にあわせてしまった。当時、私は、友人らとママゴトで「セミ捕り会社」を作り、毎週のようにセミをとるという活動をしていたほか、昆虫図鑑丸写しの豆本を手書きでかいて、それを同級生に売っていた。100円とかで。
蝉を見ると、その頃を思い出す。
今日、飴に群がる無数の小さい虫を見たとき、思わず、もう蝉の亡骸に虫が群がるのか、と勘違いしてしまった。季節的にはもう少し先のはず。でも、思わず確認してしまった。
と、いうのも、蝉の亡骸に小さい虫がうごめく、その食物連鎖な風景が、子供心の生理的感覚を刺激し続けていたからだ。気持ち悪い、ではなく、何故か惹かれた。もうそろそろ、またよく見る季節になるんだろう。
書きながら、セミの脱け殻に着色してニスコーティングして作った何かを夏休みの宿題に提出したことも思い出した。今や、蝉やカブトムシは今でもさわれるけど、何故かバッタが触れない。血吸いバッタと名付けた、赤い粘液を出すバッタが家の近所にいて、よくとって遊んだものだけど。
去年に引き続き、家の前の飲食店からコックローチが流れてくる事を思うと、少し憂鬱になる季節がやってきた。
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2011-07-08T20:09:46+09:00
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永田芳子
【連載記事】パン屋
http://yosomi.jp/article.php?id=167
<h2>パン屋</h2><p class='author'>永田芳子 / 2011-07-09 05:09:46</p>4、5年前だったか、よく行くパン屋があった。いつものようにお盆とトングを持って店内へ向き合うと、急に薄皮1枚ズレたような感覚に襲われた。なんだろうこの感じ、と原因を探すが、模様替えしたわけでもないし、新商品もない。パンの並べ方も変わっていない。店員さんもおんなじ。なのに、なにかが絶対におかしい。グラッとくる。
どうしたことかと思いながらうろうろしていたらレジの近くにはり紙があった。文面はもう忘れてしまったが、そこには『原料である小麦粉の価格が高騰しているが当店としてはどうにか値上げを避けるため、すべてのパンを従来よりサイズダウンする対策を採った。了解願いたい』という事柄が書かれていた。あわてて棚をふりかえると、言われてみれば、なレベルで全体的に小さい。違和感の理由はこれで明らかになったが、その感じの記憶ごと解消される訳ではない。きっとサイケデリックというのはこういう状態を指すのだな、と1つ賢くなったような気持ちで店を出た。
先日ニュースを見ていたら、当時よろしく小麦の価格が上がったらしい。大手メーカーも7月からパンの値段を引き上げるとのこと。
件のパン屋は本業のケーキ屋に専念するために閉店してしまった。けれど、まだまだパン屋はたくさんある。上記と同じ方法でやりくりする主人もいるだろう。いつかの昨日と同じようにうかうかと買い物へいく客もいるだろう。そうしたらその中の、何人かは、多分、グラッと。<br />
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2011-06-17T12:20:41+09:00
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蛇谷りえ
【連載記事】風穴展に弟たちといった
http://yosomi.jp/article.php?id=166
<h2>風穴展に弟たちといった</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2011-06-17 21:20:41</p>国立国際美術館の風穴展の最終日、小学5年生の弟と中学2年の弟と3人でいく
。私はいろんな都合で2回ぐらい行った。最終日だし、いっしょに行きませんか?と声をかけたら、行く!と言ってくれて、実行することになった。
図工の時間で習ってるような美術作品じゃないと思うから自由にみてみてね、そんでどうしても意味分からんかったり、聞きたい事があれば声かけてね。って簡単に言ったら、中学2年の弟は美術が苦手らしく、なんだかうかない顔してる。でも来てくれただけでもうれしい。小学5年の弟は好きでもきらいでもない感じ。
はいってはじめは、中学2年生は早速げんなりしてた。笑。理解がどこに落とし込んだらいいかわからないようす。なんとなく、コレはこれで、と説明しても少し意味がわかっただけで、ピンとこなかったみたい。で説明を諦めた。小学5年の弟はなんか匂いをかぐように見渡してる様子。なにも話をしない。次に島袋さんの作品で、距離がぐっと近くなってた。輪ゴムを通す作品は、小学5年の弟は、さっそくやってみようとするけど、中学の弟はこわがって途中で諦めようとして、やいやいいいながら、やってみろよーと誘導して、輪ゴムが通ってよろこんでた。
次に箱から話が聞こえる作品をみていたら、中にラジオがはいってるな、って2人とも反応して、何を話してるかな?と聞いていると、小学5年の弟が「人生やな」とぼそっと言った。そのあと別の人が「愚痴やな」とぼそっと言った。
次にGonZoの部屋にいったら、たまたまシルクでTシャツを作っていて、たまたま持ってたレインコートに記念に刷ってもらったら、小学5年の弟も刷ってもらうとシャツを脱いだ。変わりにわたしのパーカーを貸してしばらくシャツを乾かした。Gonzoの展示物や映像を弟たちはずっと見てた。あれがなにかとか、言葉にせずに、居心地よさそうに見てた。次に、プレイの雷の作品に、中学2年は「雷!」と声出して驚いてた。「しかも10年以上やで」と兄弟で笑った。ドキュメント映像をしばらくみてた。
あと、クッションのあった部屋は居心地よかったのか、座って休憩がてらじっとみて、最後はささーとながめていった。最後にカメ先生と出会う。カメ先生は小学5年が気にいったみたいで、中にはいって近づいて声かけて遊んでたら、カメ先生は嫌がって逃げて、しまいには空の中にはいった。小学5年は動物がすきだけど、動物にはよく逃げられる。なにか、興奮というか、パワーがあふれてるせいだと思う。
最終日というのもあって、Gonzoが最後にパフォーマンスがあったので見る事にした。弟たちはそれぞれバラバラにすわって、声だすこともなくじっと最後までみてた。パフォーマンスが終わったあと、中学2年は満足そうに、「すごーすげー」の連発してフラフラして、小学5年は真似して早速中学2年の弟に体当たりして暴れてた。その気持ちわかる。閉館時間になった美術館のざわついた中で、3人でGonzoしながら帰った。<br />
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2011-06-17T11:41:25+09:00
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蛇谷りえ
【連載記事】化粧品売り場でお化粧のレッスンを受けた@近鉄百貨店
http://yosomi.jp/article.php?id=165
<h2>化粧品売り場でお化粧のレッスンを受けた@近鉄百貨店</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2011-06-17 20:41:25</p>もうすぐ友達の結婚パーティがあるので、準備のため買い出しにいく。結婚式にかしこまって着る服は唯一1着だけあるんだけど、パーティって程くだけたときに着る服がないので、買っておこうと思って。安くするのに、ワンピースにしたものの、靴下は、靴は、髪型は、お化粧は、メガネは!と決めないといけないことが多い。男の人なら、スーツとシャツ、靴でいいかもしれないが、女の子ってこのあたりが面倒であり、楽しみなのかもしれない。
わりと、楽しんで買い物して、服が決まって、インナーも見つかって、近鉄百貨店の品揃えで順調に進んだので、化粧品売り場に行ってみた。化粧品売り場には、イスがあって、お化粧をレッスン受けられる。それが無料なのか、どんなことを教えてもらえるのか、わからない。ただ、昔っから鏡にむかってエプロンみたいなのをつけて、女の人が一人と店員さんが一人で何やらプライベートな空間をつくってるのをよくチラチラみてたので、私もやってみようと足を止めた。
たくさんあるお店のブースの中で、なんとなく雰囲気が好きだったshu uemuraというブランドの化粧品。アイシャドウのカラフルさが目に留まって、じっくり見てたら案の定店員さんが近寄ってきた。私は洋服をみるにも、店員さんに声をかけられるのがほんとにこわくて、うつむくんだけど、がまんして「お化粧品を探していて、迷っています」ともやもや思いを伝えたら、「では、どうしたいですか?」と率直な質問がとんできて、お!ってなった。「どうしたいって言われたら、一重まぶたに合う化粧方法が知りたいです、あとファンデーションの使い方が知りたい」と伝えると、「今度イベントがあって、メイクアップアーティストがレッスンしてくれる時があるから、そのときに来てくれてもいいし、私たちもお教えできますよ。」と選択肢が出たので、「今、教えてください」と、こうして、あの昔から見ていた風景に自分もなることができた。イスに座って、エプロンをつける。スッピンのわたし。これは誰かに見られたらどうしたら良いものか、髪の毛を切られるときに少しにてる。
shu uemuraのクレンジングでスッピンの顔をさらにきれいに汚れを落として、化粧水、ホワイトニング、乳液の順番にスキンケアされる。次に、ようやくファンデーションの下地をぬって、リキッドファンデーションをぬって、パウダーファンデーションをぬる。この時点で顔色が全然ちがう。顔の感覚もなんか一膜ある。次は目元で、アイシャドウをぬる前に、ベースっていうのを塗ってノリをよくする。そんで、ハイライトシャドウを大きく広めにいれて、つぎに、3色ぐらい、グラデーションにぬる。これで十分ステキな目元になるんだけど、ここからアイラインをいれて、マスカラして、したまつげもきれいにして、最後にほっぺたにチークいれて、上からパウダーファンデーションでかぶせて、口紅を軽くいれて、完成!!
ぜんぜん違う、いままでの化粧の仕方は間違ってたんだわ!あれもこれも全部ちょうだい!って言いたいところだけど、そんなお金はなく、頑張って5000円を予算にしても、ファンデーション1つ買っても足りないぐらい。なんてこった!しかもさ、考えてみると、これとおんなじメイクが化粧品買ったからってできるわけではなく、日々のレッスンが必要で、うまく化粧ができるのに時間もセンスも、技術も必要なんだよね、きっと。それを、彼女たちは自分たちのお金で費やして、自分の体つかって、あの化粧品を使いこなそうとしてる努力は、なんかのアーティストよりもシビアで、その評価は社会にあって、下手すれば出世や結婚にもつながってるなんて、。すごい。
っていうかモデルとかメイクさんついてる有名人とかの、あの人形気分はなんか勘違いする気持ちわかる。自分は身体を磨いていれば、お化粧や洋服などの飾り付けはプロがしてくれるんだもの。そんな手放しな自分の存在、いや、むしろ依存なのか?わからないけど、その商売はすごいわ。極みだわ。カリスマだわ。そんな環境じゃない人たちが世の中にはたっくさんいて、そんなカリスマに憧れたり、参考にしながら生きている女の子。たくましすぎる。
メイクを使って生きてる人がいれば、そうじゃない人はもちろんいるし、メイクしてるからすごい!っていうわけでじゃないけれど、女の子の隠れた表現の努力(きっとたくさんある内のひとつに過ぎない)を身にしみた1時間でした。
で、最後メガネかけて帰った。<br />
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2011-06-17T10:51:08+09:00
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小田寛一郎
【連載記事】梅の種
http://yosomi.jp/article.php?id=164
<h2>梅の種</h2><p class='author'>小田寛一郎 / 2011-06-17 19:51:08</p>5月の終わりあたりから、齢30にして普通自動車免許を取得するべく自動車教習所に通っています。先日、仮免検定に合格し路上での教習をやっていて、今日は担当教官のおじさん曰く「特別コースです!」とのことで、教習所から15分くらいのところにあるなんとか岳(名前を忘れました)に行きました。山道を登って中腹あたりにある公園の入り口をすこし入ったところで止まってください、という指示があり、なにをするのかとおもいきや、助手席の前にある物入れからビニール袋を取り出して、種を取りに行きます、とのこと。公園の入り口には梅の木がたくさん生えていて、教官は梅を嬉しそうに集めていました。20個くらいで、このくらいかな、と戻ってきたので、何に使うんだろうか、梅酒でもないしな、と思い、帰りの車中で尋ねてみたところ、そこらで拾ってきた梅の実(種)を庭に埋めておいて、芽を出すのだそうです。芽が出るかどうかはまったく分からないらしく、たくさん埋めたからといって必ず出るわけでもなく、(梅にも)雄と雌があるのかもしれない、とのこと。いままでにそうやって芽を出した梅が8本くらいあり、20年くらい前に埋めて芽が出た梅に今年、3つくらい実がなったそうです。梅以外にも、きゅうりやなんかも種から植えたりしていて、苗を買ってくることはなく必ず種から植えるらしいです。奥さんからはビワは絶対に植えないで欲しいと言われていて、カラスなどの鳥が来て近所迷惑だから、とのこと。
梅を拾ってきて庭に埋めて芽が出るかどうか楽しみに待つ(そして芽が出たら育てる)、という趣味は、はじめて聞いたのですが、面白そうなので私もやってみたいと思います。なんというか、どこか釣りに似ているような気がしなくもないです。実(種)を埋めても必ず芽が出るとは限らない、というところと、海や川で釣竿をたれても必ず魚が釣れるとは限らないというところなんかが似ているような。必ず○○とは限らない、という偶然性が面白いのでしょうか。必ず○○とは限らない、という条件の下だと、結果的に○○になったときの喜びもひとしおだから面白いのかなと思いますが、これはスポーツ・ゲーム・ギャンブルなど、いろんなことに共通して言えることかもしれません。<br />
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2011-04-07T15:34:59+09:00
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永田芳子
【連載記事】空港
http://yosomi.jp/article.php?id=162
<h2>空港</h2><p class='author'>永田芳子 / 2011-04-08 00:34:59</p>仕事で関西空港へ行ってきた。11年前、友人に誘われて香港へ旅行して以来なので懐かしく思えたりするのだろうかと期待していたが、空港自体の記憶が「なんか広かった」くらいしかなく、しみじみとは程遠い事となった。折角なので多少は情緒的な感じを味わいたかったのに、他に覚えていることといったら、ハワイ絡みだったか大橋巨泉の巨大なポスターが貼られていたな、というくらいで、時事的にはともかくそういう意味では何かしらのだいなし感がある。これに関してはものすごくヒマな時にでも考えてみたいような件ではあるが、とりあえず巨泉は脇に置く。
関西空港に関してはやや残念な結果となったが、旅行自体の思い出はそれなりにある。一番印象深かったのは、台風の直後だったせいか飛行機を降りた途端空気がじっとりと暑くて、ピータンとマンゴーを一緒に嗅いだような濃い匂いがしていた事だ。なにやら癖のある、正直いい匂いと言い難いそれは眼鏡が曇るほどの湿度と相まって大変グラマラスなものに感じられた。景観に関しては割とすぐに見慣れてしまったので、滞在中の、今、知らないところに居るという実感はその匂いによってもたらされていた。
その香港の空港はどうだったかというと、これも夜に着いたせいか「なんか暗かった」程度にしか覚えていない。白夜でもない限り、おそらくどこに行ってもそうではないかと思う。
今思い出したが、関空で出国の際ベルトなど全部外していたのにも関わらず、金属探知機に引っかかって検査を受けた。首をひねっていると、友人に『しょうがないよね。君、電池で動いてるから』と気遣うような笑顔で言われた。
別にそう思いたいなら思っていてくれて構わない。しかし、なんとなく単1は勘弁していただきたい。根拠はないが、単3を4本くらいのイメージを希望する。人としてのスケール感を考慮するとそれくらいが妥当だろう。
むしろ、巨泉こそ単1ではないだろうか。これも根拠はない。実際の電池としての威力が単1と単3でどう違うのかも知らない。それでもやはり単1を推したい。もしもボタン電池だったりしたら、そもそも巨泉に対して思い入れがあったかどうだか疑問だが、どこかがっかりした気持ちになるのではという気がする。初めは何を書くつもりだったのか、結局巨泉の話になった。
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2011-03-06T05:17:50+09:00
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山本握微
【連載記事】宇宙人は日本から出て行きましょうね。
http://yosomi.jp/article.php?id=160
<h2>宇宙人は日本から出て行きましょうね。</h2><p class='author'>山本握微 / 2011-03-06 14:17:50</p>ついさっきのこと、昼ごはんを食べに、天神橋2丁目辺りを散歩していたら、20代後半ぐらいの屈強そうな男が、「宇宙人は日本から出て行きましょうねえええ!」と叫びながら歩いていた。
宇宙人っていうから電波系の人かな、と思いつつ「日本から」というフレーズが気になったのでついていきながら聞いたら、「在日は出て行こうねええ!」「アメリカや中国も出て行け、迷惑しとんじゃ!」と、宇宙人はそれらの暗喩らしいことがわかった。
下半身のジーンズは大きく破け、その下にはいている黒い股引みたいなんが露出していた。肌は浅黒く、一見浮浪者になりたてといった感じだが、上半身の身なりはそうでもない。男は、一人叫び練り歩きつつも、基本通行人にすれ違うと、誰彼関係なく一瞥しながら「宇宙人は日本から出て行きましょうねえええ!」とやった。
「関係ないやつはどっか行けえええ!」
一瞬、後ろについていっている僕のことを言っているのかと思ったが、実際にそうだった。もうしばしして彼は後ろを振り向き「さっきから何ついてきとんじゃあああ!」と叫び立ち止まった。僕に最初一瞥くれて以降、一回も後ろを振り返っていないのに恐るべきカンだ。
「何話しているのか聞きたかったから」
「お前には関係ないやろ!気色悪いんじゃ。ストーカーか!」
「(ストーカーじゃない、とは言い切れない)関係はある。話を聞きたいから、だってそっちが往来で話してるんだもの」
「お前のことなど知るか!頭のおかしい奴が叫んどる、そう思っておけばいいだろ!」
「(そう言うからには)頭おかしくないでしょ」
「知らん人間がついてくるのはストーカーやぞ!警察行くぞ」
「そうですね、行きましょう。すぐそこに交番がある。そこで話しましょう」
「何でお前と警察いかなあかんねん!」
「じゃあ、そこの喫茶店で話ましょうよ。僕がだすから。宇宙人ってどういう意味なのか聞きたい」
「だから見ず知らずのお前になんでおごられなあかんねん!」
「見ず知らずの人たちに話かけてるわけでしょう」
これを何度も繰り返す。途中、車が通りかかり、道の真ん中に突っ立ってたので、避けるよう促したら、逆に車に突っかかって「ちょっと降りてきてこの人止めてくれや」とドライバーに働きかける始末。
車は、男が正面から扉に移ったすきにやりすごしたが、人の良さそうなおじさん通行人を捕まえ「こいつについてくるなって言ってやってくれ」と訴える。
おじさんが困惑したところを僕がフォローしている隙に男は歩き出し、道を曲がった。再び僕はついていこうとしたが、すぐに見失ってしまった。が、道行く通行人が「宇宙人って言われてもねー」とか言っていたので、同様のパフォーマンスをしていたようだ。
「僕は外国人なんですが、日本を出てけっていうのはどういうこと?」という振り方なら、別のコミュニケーションができたかもしれない。が、流石に怖くてそれはできなかった。
「往来で何か訴えている人」というのはしばしば出会うけれど、叫ぶ人と道行く人には残念ながら断絶がある。彼自身が言っていたように「頭のおかしい人」で意識から切り捨て処理される。街でしばしば入るノイズに過ぎず、意味内容も伝わらない。しかし、そこに断絶があるなら、そもそも叫ぶ意味はない。
しかし、かといって、こちらから積極的にアクセスしても、先方は叫ぶ以上のことは話したがらない。普通の反対デモだって、以前、音声が割れてたから行列の先頭に「何言ってるかわからん!」と躍り出たが、「どけ!」と一蹴されてしまった。
ディスコミュニケーションの午後。<br />
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2011-02-24T21:23:22+09:00
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山本握微
【連載記事】ダムタイプ神話
http://yosomi.jp/article.php?id=159
<h2>ダムタイプ神話</h2><p class='author'>山本握微 / 2011-02-25 06:23:22</p>これ↓に行って来ました。
<a href="http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20110222" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20110222</a>
山中透氏のコメントを聞きながら、「pH」「OR」「S/N」を流し見る。
冒頭に、「とかく神話化されがちなダムタイプを再評価する」みたいな趣旨のひとつが語られたように記憶するけど、それ前もどっかで聞いたことあっぞ。これだ。
<a href="http://www.kama-media.org/japanese/blog/2010/04/4181930sn.html" target="_blank">http://www.kama-media.org/japanese/blog/2010/04/4181930sn.html</a>
権利関係でソフト化が難しいかわりに、上映会はしばしば行われている様子。で、最近は「神話化されがちなので?」といった前説がよくあるらしい。ダムタイプの(元)メンバーも自身もそんな風に言ってるよ?みたいなこと、↑の上映会では矢鱈と強調されていた。
でも、映像見る度、もうこれ神話でよくないですか、と思う。無理矢理故事つけて神話「化」されてるのでなく、単に神話(神様の話ではないけど、すんごいって意味で)であるだけで。
メンバーが当時の苦労話や内輪話を披露したところで、その神話が強調されこそすれ解体はされない。まあ、それでいいかと。
滅茶格好良いですもんねー。更にこれが20年ぐらい前、ってことを考えたらば。
「神話解体」し得る要素があるとすれば(ほんと解体しなくていいけど)、何故、これこれらが「格好良い」のか。まあ「Dumb(=言語能力を失った、口のきけない、無口な、ばかな、まぬけな)とType(=型、 類型、タイプ)から成る造語Dumb Type」(wikipedia引用)なので、言語化するのが野暮なのだろうけれど。
これは僕にとっては、例えば「煙草は何故格好良いのか。特にライターで火をつける瞬間」とか「襟をたてると何故、ハードボイルド映画の主人公みたいになるのか」みたいな領域と一緒。
というか、多くのアート(それも比較的良質な)には、この問題がある。作品を、物語や、モチーフとなる社会的な問題意識、用いられている独特の技法、などから言語化することは取り急ぎできる。だが、そこでは語られない、ぱっと見のあの各種格好良さ。これは何だろう。
逆にその格好良ささえあれば「物語や、モチーフとなる社会的な問題意識、用いられている独特の技法」云々は無くても別によかったり。
映画に出てくる襟を立てたハードボイルドな主人公は格好良い。だが、それを観て、襟を立てて映画館から出てくる兄ちゃんは果たして格好良いのか。いや別にいいのか。
神話云々であるなら、この謎の襟について考える必要がある。でもそれは……本当に謎だ。
(まあ襟に関しては色々考えられますが)
今回、その点でヒントになっていたのは、古橋悌二が漬かっていたクラブカルチャー。映画。また、その方面のトレンドを、どんどん取り込んでいく、のを良しとしていた事(後に、トレンドはもう追わなくていい、という風になる事。トレンドがかつて面白かった時と、そうではない今)。
ああ、しかし、これもよくあるなー。ダムタイプのような、それ自体は「大衆的」でない、ハイな、作品の源泉は、むしろ大衆的なカルチャーである点。この場合は、クラブカルチャー、映画ってな按配だが、今これからは、コミック、アニメーション、ゲームとなるのだろうか。
素人疑問だが、何故、大衆的カルチャーを源泉にしてハイなのができるのだろう。言い換えれば、何故、主な大衆的カルチャーの需要層である多くの大衆が、ハイなのを作ら(れ)ないのだろう。
ふうむ。<br />
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2011-02-13T14:36:41+09:00
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永田芳子
【連載記事】ルーシー・リー展
http://yosomi.jp/article.php?id=158
<h2>ルーシー・リー展</h2><p class='author'>永田芳子 / 2011-02-13 23:36:41</p>なんだかよく話題になっているし、ポスターの器のピンクが可愛かったので実物を見に行ってきた。
会場は普段行く展覧会と違って初老の方が多く、夫婦連れもちらほら。陶芸の勉強をしているのか、何かメモを取っている学生らしき人もいる。
展示品の雰囲気は、何というか、弥生式土器などのスッキリ系遺跡にアフリカンを混ぜたような感じ。
「碗やカップはふちの薄いものを」と他界した祖母がよく言っていた。厚焼きだと口当たりがまずくて好きではないと。
自分用にマグカップなど、ころんとしたのを買って帰ると、こんな野暮ったいの、と眉根を寄せていた。ルーシー・リーの器は薄手のものが多い。彼女が見たら欲しがるかな、と好みを思い出しながら館内を回る。
おかげでウインドーショッピングをしているような気分になった。ものが器なせいか、実際使うことを想定して見てしまう。いちおう洋食器なんだろうに和食が似合いそうなのも一因か。あれは和え物、これは小芋、あの大皿は多分鮎がいい、と勝手に決めつけるのは楽しい。ただ、それが自分で作る普段のおかずでの空想なので、ルーシーごめんね上等なのに、とも思う。ちょっと触ってみたかったがまあ無理だろう。
物販コーナーはポスターやTシャツ、本、記念アクセサリーなど。折角なのだし複製が売られていたらな、と少し考える。本物ではないにしろ、花瓶なり器なり、あのいい感じの陶器がうちに来たら、景色がどう変わるか試してみたかった。
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2011-02-02T17:10:45+09:00
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境隼人
【連載記事】よりみち。うたをさがして。
http://yosomi.jp/article.php?id=156
<h2>よりみち。うたをさがして。</h2><p class='author'>境隼人 / 2011-02-03 02:10:45</p>大阪港での仕事が早く終わり、なおかつ行こうと思っていた催しの時間に間に合わない事がわかって持て余した気持ちと時間。ザッピング的にぱらぱらwebを見ていたら、メモしたイベントを思い出し、近所の上、丁度始まる時間のようだったので立ち寄る事にした。
うたをさがして vol.1
安治川floatは1階が全部フロアで2階が受け付けとラウンジ的な使われ方になっていた。寒空の表に放り出された本棚に隠れる猫としばらく遊んで受付に上がる。
到着時点でパフォーマンスは始まっていた様子だったけど、上がってすぐに勧められるがまま水餃子を頂く。水餃子。久しぶりに食べたけど美味しい。下から何かすごい音が聞こえる。
Toshio Kajiwara × 東野祥子(BABY-Q)
ステージ階に降りてみたが、どうやら人がいっぱいで入れない。
中から執拗に周期的な音の呻きが漏れている。
仕方がないので、猫が用を足し、砂を掻いて隠す姿を始終見守った後、また2階に上がる事にする。
ラウンジも人が多く、皆顔見知りかの様な雰囲気に見えた。たばこの煙か、料理の湯気か、窓から差す光で靄がかかっている。特に挨拶をするような相手も見あたらないので、しばらく様子を観察した後、椅子に座って本棚から本を読むことにする。伊藤計劃のハーモニー。買おうと思ってたけどここで借りようかしら。
contact Gonzo × 梅田哲也
屋上に上がることを勧められたのでトイレの奧の階段から屋上へ向かう。今更思うけど不思議な建物。屋上は平らに広く、とてつもなく寒い。逆さを向いたレジャーテーブル(?)、椅子等が点在し、真ん中の物干し竿にぶら下がったハンガーが風で揺れる。どこまでが生活の痕跡なのか、演出なのかは解らないけれど、パフォーマンスのシチュエーションにはなんだか合っているように思う。
全体、どこから始まっていたのかわからなかったが、屋上かとなりの駐車場をのぞき込むとcontact Gonzoはもうパフォーマンスをはじめている。がたいのいい男たちが体をぶつけ、ペットボトルを投げ、至近距離でフラッシュを焚く。お互いを挑発し続けているようにも見える。
おもむろに屋上から投げ込まれるテープレコーダー。梅田哲也はメガホン、段ボール、火の玉(!)色んなものを竿にぶら下げ、駐車場へぶつける勢いで投入する。避けたり利用したり、投入したものに対するリアクションはどこか気が抜ける。
下の誰かにマイクでも仕込んでいたのだろうか、屋上に設置されたスピーカーから物音がなったりしていたが何の音だかはわからなかった。天井視点からモニタリングするこの光景、テレビゲームのプレイを観ている様な気持ち。
見学者らと共に投下されたゴムボートに乗ってgonzoのメンバーが宵闇の安治川に流れていくところでパフォーマンスは終着する(屋上から火を点したサッカーボールをボートに向かって蹴り込もうと試みられたが、これは成功しなかった)
焚き火の熱が屋上の寒さを際立たせる。
クリトリック・リス
場所を再び一階フロア内に移してのパフォーマンス。潔い、電飾輝くパンツ一枚が、むしろステージの温度を上げる。
「アートを見るような目でオレを見るな!」
ハードでチープなダンストラックにカミングアウト・シャウト。股間のテルミンの様な装置をまさぐりながら男の哀愁をはき出す。
そのままDJ 自炊のプレイをしばらくフロアで聴いた後、空腹に耐えかねて一度floatを離れた。
向かった九条の商店街は、遅い時間でも比較的飲食店が営業しているよう。いくつかお店を眺めながら自分の腹具合と相談していると、一角にタバコ屋のような小さい窓口と、小さなヒートストックの中の焼き鳥が目に入った。おばあさんがちょこんと座って仕舞いの支度をしてるようだったけれども、看板は点いていたので声を掛ける。一本70円。半端で勘定するのも面倒だったし、あるだけ全部の串を包んでもらった。いいにおいがする。
floatに戻ると、MC B-BOY × DJ ぷりぷり × VJ 小田島等のパフォーマンスの途中のようだった。ギーク・ボーイ風のMCと、何故か妙に音の小さいトラックによるラップパフォーマンス。勘ぐり過ぎだろうか、芸達者さでひきこもり感がフェイクに見える。
鉄割アルバトロスケット
野球やろうぜ!ヤクやろうぜ!
主催者挨拶を聞いた後、イベントを振り返りながら、
もとのfloatの姿を取り戻す様子を見送り、猫に挨拶をして帰った。
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2011-01-28T07:56:38+09:00
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小田寛一郎
【連載記事】ゴムベラとブラシ
http://yosomi.jp/article.php?id=155
<h2>ゴムベラとブラシ</h2><p class='author'>小田寛一郎 / 2011-01-28 16:56:38</p>先日、陶磁器メーカーに勤務されている方に、最近なにか楽しかったことなどないですかと尋ねてみたところ、困っていることならすぐ思いつく、とのことで、最近困っていることについてのお話を聞くことができました。
最近困っているのは、自分の使い方に合ったゴムベラの「換え」がない、ということ。すりばちですった絵の具を取るときにゴムベラが必要になるそうで、いま使っている、前任者がどこかから買ってきたゴムベラは非常に使いやすいけれど、「換え」がない、どこにも見つからないので困っている、とのこと。絵の具を落とすために(すりばちに?)トントンとぶつけていたら、柄からヘラがとれてしまったが他によいものが見つからないので応急処置をして使い続けているそうです。どういうヘラが自分の使い方に合っているかというと、よくあるシリコン製のものだとやわらかすぎるので、適度な堅さのものがよいらしいです。また、ヘラの部分にロゴが入っていたりするとそのロゴの凹みに絵の具がつまるし、ケーキ用のヘラはなかなかよかったけれど、最近イボイボがついて使いにくくなったとのこと。イボイボというのはおそらく生クリームかなんかがくっつきすぎないようにするためのものだと思われます。柄とヘラのつなぎ目も絵の具がつまるので、できればない方がよいようです。後日、いま使っているゴムベラを見せて頂いたところ、アルファベットの小さいロゴがあったので、Pなんとかだったと記憶していますが、そのロゴらしき文字列をネットで検索してみても、確かにいまひとつ情報がありませんでした。
あと、その方にはもうひとつ困り事があるそうで、そちらも同じく仕事で使う道具の困り事です。石膏を混ぜるためのブリキバケツを洗うのに使うブラシの毛が偏って減っていくのがなんとなくもったいない気がするとのこと。アルファベットの「J」のような形のブラシでその先端にカーブに沿って下向きに毛がついているブラシだそうです。ブリキバケツの底の角にブラシのカーブと逆になるように当てて洗っているので、ブリキバケツの底の角に当たる部分(ブラシの先端)の毛だけが減って短くなる、とのこと。
お話を聞いていて興味深かったのは、道具には道具を使う人のやり方が蓄積されていて、そういう「やり方の蓄積」はブラシの例のように道具の摩耗の偏りとして現れたりすることです。あと、今回発見だったのは、面白かったことや楽しかったことではない「いままさに困っていること」を通してその人の活動を見てみるのはなかなか面白いということです。質問のやり方が増えてよかったです。
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2011-01-14T11:26:51+09:00
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ひろゆりか
【定点観測メモ/梅田哲也】オールナイト11 とりあえずメモ
http://yosomi.jp/article.php?id=154
<h2>オールナイト11 とりあえずメモ</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2011-01-14 20:26:51</p>31日。大晦日。21時頃ARTZONEに到着。
今回、私は、余所見の取材と共に、京都ランカイ屋さんのお手伝い(雑用と撮影)としても関わる。技術的にはさっぱりなのだけど、気づけば、撮影枚数は2台のデジカメ合わせて600枚近く、twitterでのツイートは60近く。
21時半ごろ、出演者・スタッフ挨拶。
22時開場だけど、まだ会場は用意中でゆるゆるとした感じで始まる。
23時頃、人がわりと入っている。
23:15、始まる。まずは、企画の挨拶。餅つきDUB(DUB餅×植野セッション)始まる。お正月っぽい曲を植野さんが弾く中、スタッフが餅つき。餅をつくと、倍音で音が広がる。会場は???という感じだったけど、カウントダウン&お正月ムードなので、皆まぁいっか、という感じで、進む。カウントダウン間近に少し会場トラブルがあったものの、梅田哲也とテニスコーツのセッションと共に、年越し。
お馴染みの扇風機のかさを、LEDライトを使って会場内を照らしていく。その中で歌う、テニスコーツ・さやさん。幻想的な年越しを迎える。
梅田哲也から新年の挨拶と豊富。
その後、餅つきDUBでついた餅がお雑煮として振舞われる。
休憩、というかまったりモード。
2階に戻ると、ビデオレターの上映が始まっている。ビデオレターはほとんど集まっていなかったそうで、スタッフ制作らしい学祭の映像??が流れる。
会場、笑いはあるものの、???な雰囲気は若干ぬぐえないような…北海道に行くはずだったけど行けなくなった人のビデオレターも面白かった。でも、照明が暗く、よくみえず。
KBS京都でラジオ生放送中の大友良英さんと生中継セッション。バタバタと準備する。
セッションできていたんだろうか…??こちらの側からは、向こうの様子はノイズとしてしか聞こえず。誰か聴いていた人いたら、どうだったか教えてください。
このあと出演の山本精一さんは、ちょうどKBS京都で大友さんとセッションしたあと、生電話中に移動、ARTZONEに到着。
東岳志×山本精一除夜の鐘鑑賞の予定が、東さん雪により時間に来れず。
植野さん、梅田さんとセッション。
山本さん、3時にまたどこかへと帰られた。
ビデオレタータイム。
堀尾寛太さんのビデオレターがかっこいい。
山路さん、さやさんによる、麺打ちセッション。
室内の温度が高く、うどんにできない柔らかさになってしまう。のちにすいとんになる。即席でうどん一本つくり、梅田さんのアルミ風船で空飛ぶうどん。米子さんがキーボード。植野さんが空飛ぶうどんをキャッチ。梅田さんにも釣られる。
4時半松本さん到着。
テニスコーツオールフレンズの演奏すこし。
5時少し前、東さん到着!
除夜の鐘鑑賞(?6:10ごろ?)
テニスコーツオールフレンズ
初日の出をみにいくも、さむい。
8時15分ごろには見れたらしい。
9時すぎ、皆でタリーズを朝食をとり、解散。
もう少し詳細に書きたいけれど、取り急ぎ。
<br /><a href='file/large/3_1295004398_0.JPG'><img src='file/thumb/3_1295004398_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1295004399_1.JPG'><img src='file/thumb/3_1295004399_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/'><img src='file/thumb/' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/'><img src='file/thumb/' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1295004401_4.JPG'><img src='file/thumb/3_1295004401_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1295004402_5.JPG'><img src='file/thumb/3_1295004402_5.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1295004404_6.JPG'><img src='file/thumb/3_1295004404_6.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1295004405_7.JPG'><img src='file/thumb/3_1295004405_7.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1295004407_8.JPG'><img src='file/thumb/3_1295004407_8.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2011-01-12T14:05:19+09:00
http://yosomi.jp/
松本渉
【定点観測メモ/梅田哲也】8月28日「AD&Aオールナイト解体」
http://yosomi.jp/article.php?id=153
<h2>8月28日「AD&Aオールナイト解体」</h2><p class='author'>松本渉 / 2011-01-12 23:05:19</p> 肥後橋にあったAD&A galleryの閉廊記念オールナイトイベント。AD&Aでは梅田哲也氏の早朝イベント「BREAKFAST FAST」が行われていたが、それの16時間拡大バージョン。夜8時から翌日12時まで。「BFF」と同じく、美味しいゴハンを食べながら、楽しいライブを満喫するという趣向。
実は、この日、会場に5時間位しかいなかったんですが、そういう経緯も含めてのレポートになってます。
10時過ぎまでバイトだった。会場に着いたのが11時過ぎ。観客は30人以上いて、結構一杯。菊池誠氏、森靖弘氏、NyaniQさん のライブを見たはずである。しかし内容が全然思い出せない。さらにコンタクトゴンゾまで見たはずだが、これもよく憶えてない。もはや半分寝ていたのだろう。全部寝てないのは、立って見ていたから。
去年の夏はモノスゴク暑く、連日ほとんど寝ていなかった。暗く涼しいところでは瞬時に寝る。そういう体になっていた。このままでは、もうどっちにしろ寝る。バイト先でのスラックスとワイシャツ姿だったので、散歩を兼ねて着替えに戻ることにした。
谷町四丁目に「谷町空庭」というカフェがある。そのビルの4Fに共同オフィス「常盤ソース」があって、さらにその中に「OFFICE2.0」というグループがある。着替えをそこに置いてあった。
肥後橋から谷四まで歩くうちに目が覚めてきた。御堂筋、堺筋、松屋町筋、と来たところで、標識を見ると「まつやまちすじ」と書いてある。「松屋町筋」の正式な読み方は「まつやまちすじ」だったのか。「まっちゃまちすじ」だとばかり思っていた。だって商店街のとこは、わざわざ「まっちゃまち筋商店街」と書いてるしな。大阪で松屋町を「まつやまち」と発音する人に出会ったことがないよ。深夜散歩の小さな発見。
それで読み方がわかったからどうだ、ということも特になく、谷四の事務所に到着。このイベントは、京都ランカイ屋のUstream配信があった。5分ほど観た、と思ったら1時間位経っていた。何故だ。寝てたんだろうか?起きてたはずだが、もう時間がどういう風に過ぎているのかよくわからない。4時になっていた。そろそろ戻らんとマズい。
というのは、5時からこの「定点観測」的にはメインイベントの、「堀尾寛太+梅田哲也+うずはち養蜂園」の3氏によるパフォーマンスがあるから。戻ってみると、AD&Aの前に、何人かの人が倒れていた。皆、寝ている。ギャラリーに入ると、床の上にまた何人もの人が倒れている。そして階段の通路の上にも累々と。
昔、「八甲田山」という映画に、凍死した兵の群れが拡がる雪原で、北大路欣也が「天は我々を見放した」と叫ぶ場面があったが、なんとなくそれを思い出した。酷暑で寝不足だったのは自分だけではなかったのかもしれない。
多田ひとみ氏の上映のあと、1Fのフロア全体を使って3氏のパフォーマンスが始まった。堀尾氏と梅田氏はそれぞれのパフォーマンスでよく使う装置を組み立ててはセッテイングしてゆく。いろいろやって全部で1時間弱の大作になった。すみません。詳細は憶えてません。
梅田氏のこれほど長時間のパフォーマンスを自分は初めて観たことになる。これまでに観た最長は、アーバンギルドで岩下徹氏とやった鳴り釜のパフォーマンスだった。そういえばあれも1時間位あったかもしらん。うろ憶えですみません。うずはち養蜂園の蜂たちは結局飛び立たず、やはり蜂も寝ているのか?堀尾氏が「蜂が怖かった」と言っていたのが印象的。
そろそろ明るくなってきた。ちょっと、コーヒー飲んで新聞でも読もうと、喫茶店を探して外に出た。このあたりはビジネス街だし、すぐ見つかると思ったわけだ。しかし、すっかり忘れていたが、早朝と日曜ということもあり、どの店もすべて閉まっていた。
歩いてるうちに心斎橋までやって来た。うちの近所では、日曜の早朝は、喫茶店どころか、風呂屋まで開いてるぞ。そう思うと、一旦帰ったほうがいいかも。そうしようと地下鉄に乗ってしまった。
案の定、地下鉄で寝過ごして、朝風呂に入ってモーニング食って戻ってきた。11時頃だったと思う。辻並麻由さんにおにぎりの残りをもらったように記憶している。
しかしもう、なにもかも曖昧だ。この日のいろいろをメモしたmacbookは6日後にぶっ壊れて、もう動かない。4万数千円の修理代を払うと動くが、高いので払わない。
いや、そんなことより、12時になり、長時間のAD&A最終イベントもついにフィナーレとなった。みなさんお疲れ様でした。なんとなく流れ解散という風だった。
小西小多郎さんに挨拶してギャラリーを出た。AD&Aはadandaとしてコーポ北加賀屋に移るという。祈成功。
自分はこのあと「京都芸術」のシンポジウムを聴きにいくため、渡辺橋駅に向かって歩いていた。そうすると、後ろから不意に声をかけられ、振り返ると「オールナイト解体」でヨガを指導していた松本典子さんだった。初対面だったが、「オールナイト解体」の話やらを何やらをした。
この「オールナイト解体」は最初から最後まで通して観ると、実はものすごく面白いイベントだったと思う。
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2011-01-11T10:06:37+09:00
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松本渉
【定点観測メモ/梅田哲也】8月15日「あいちトリエンナーレ搬入録」
http://yosomi.jp/article.php?id=152
<h2>8月15日「あいちトリエンナーレ搬入録」</h2><p class='author'>松本渉 / 2011-01-11 19:06:37</p> 青春18切符で名古屋に来た。昼前に到着。そのまま会場の二葉ビルまで歩く。会場内で梅田氏とボランティアの女性とがダンボール箱の片付けをしていた。手伝う。昼になる。キュレイターの原さんが来る。梅田氏の担当らしい。この会場はオーナーの好意で期間中無償で借りているとのこと。梅田氏の案内で近所にランチを食べに行く4人。500円。安い。会場に戻り、原さん帰る。2時頃。梅田氏はまだ展示内容を決めかねている様子。この会場はアパレルメーカーの倉庫なのだが、何故かやたらと排水設備が多く、いたるところにマンホールがある。これらを使った作品になるのは間違いない。排水溝などの掃除をする。いろいろあって、自分がホームセンターに買出しに行くことになる。4時頃、二葉ビルを出る。「カーマ黄金店」は名古屋駅の向こう。名古屋駅まで歩いて、そこからJRに乗ろうとする。しかし、最寄り駅はJRではなく近鉄名古屋線の駅だった。結局、全部歩く。暑さでバテる。店内でウロウロして買い物を終えた。近鉄の駅まで結構歩く。近鉄名古屋線の各停は1時間に3本とか4本とかしかない。地下鉄とのあまりの違い。結局7時頃、会場に戻る。帰り道、ボランティアの女性とすれ違う。帰りが遅くてスミマセン。結局、梅田氏がこの日までに確定していた作品は、「土に竿が突き刺さる」部分だったと思う。全貌はまだ見えない。18切符の各停で帰阪するため、8時に会場を後にする。梅田氏はまだ残っていた。この日は日曜で、隣の会社が休みのため、遅くまで作業できる日だった。ひょっとしたら違うかも。ちがってたらすいません。帰りの電車が大阪に着く前、入り口近くで、顔に絵の具を塗りたくった人が寝ていた。谷内一光氏だった。この日、自分が作業していた二葉ビルの数十メートル先でライブイベントがあったとのこと。バッタリ出会う。次の展示は「其の延長」だそうでDMをもらう。8月、谷内氏は毎週どこかで展示している感じだった。22日に観に行きました。イイ感じ。(改行なしでスイマセン)。
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2011-01-07T09:20:51+09:00
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松本渉
【定点観測メモ/梅田哲也】7月15日「あいちトリエンナーレ記者会見」
http://yosomi.jp/article.php?id=151
<h2>7月15日「あいちトリエンナーレ記者会見」</h2><p class='author'>松本渉 / 2011-01-07 18:20:51</p> 梅田さんについて
梅田さんの作品を初めて観たのも、初めて会ったのも多分、2007年だと思います。それからわりとちょこちょこ観てます。ご本人とは会えば挨拶はしますが、特に話をしたということもなく、普通に知人という感じ。梅田さんの作品とご本人にはどちらも好印象を持っています。
7月15日「あいちトリエンナーレ記者会見」
中ノ島の国立国際美術館にて。はじめにディレクターの建畠氏や他のキュレーターから「あいちトリ」の概要の紹介。
会見に出席した作家は敬称略して、秋吉風人、梅田哲也、平田オリザ、山川冬樹、の4名。山川冬樹氏が大阪で会見した理由は知らない。
作家のプレゼンは、秋吉氏が展示作品のスライド。
梅田氏の展示は現地で作るので、6月の京都LABORATORY「デッドストック」のスライドとFLOATでやったパフォーマンス、安治川にラジオと電球を放り込んで引き上げる、という映像。
平田氏はロボット演劇の売り込み。しかし、この人は全くごく自然に、ものすごく大げさな売り込みを始めるが、あのおつりを渡すときに「はい200万円」とかいうような、意味なく何でも誇張する文化は大阪以外にも日本中にあるのだろうか?平田氏の宣伝トークは面白いと思う。
山川氏も自身のパフォーマンスのプレゼンではなく、民族楽器を弾きながらのホーメイを2曲披露。何故か民族衣装も着ていたし大サービスな感じ。山川氏は自己紹介に関連して、自分は声をテーマにした表現をしており、展示作品である「the Voice-over」は自分と遺伝情報を共有するものの声を扱った作品である、と解説。東京都現代美術館の展示では、なんかノスタルジーをテーマにした作品みたいに扱われていたんで、意外な発見。
その後「中ノ島4117」で米子氏、梅田氏と合流。
梅田氏はそこにあったマドレーヌとわらびもちのうち、わらびもちを食べていた。フィリップ氏のわらびもち運動が拡がっているのか。LABORATORYで出していたカルピスの牛乳割りは梅田氏の愛飲ドリンクだそうだ。そう考えると、もともとわらびもちが好きな人のかもしれない。
実はこの時、というか今でも、この「定点観測」という企画が何をしているのか、筆者はよくわかっていなかった。「定点観測」は梅田哲也氏紹介のための企画ではない。しかし、紹介しないにせよ、取材したほうがいいのか?アーティストの観測って、いったいどういうことなのか?いろんな謎を抱えつつ「観測」がスタートしていた。<br />
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2011-01-04T16:04:50+09:00
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ひろゆりか
【定点観測メモ/梅田哲也】オールナイト11・とりあえず写真だけ。
http://yosomi.jp/article.php?id=150
<h2>オールナイト11・とりあえず写真だけ。</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2011-01-05 01:04:50</p>写真をとにかくいっぱい撮ったのだけど、私のカメラの腕がついていかず、ブレまくり。気づけば500枚位撮ってた中から、なんとなく選んでみました。
後日ちゃんと選んで更新しますね。
充実した年越し。
<br /><a href='file/large/3_1294157084_0.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157084_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157276_1.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157276_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157086_2.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157086_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157087_3.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157087_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/'><img src='file/thumb/' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157089_5.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157089_5.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157277_6.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157277_6.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157279_7.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157279_7.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157281_8.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157281_8.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157636_9.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157636_9.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/'><img src='file/thumb/' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157282_11.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157282_11.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157284_12.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157284_12.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157285_13.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157285_13.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157287_14.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157287_14.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1294157637_15.JPG'><img src='file/thumb/3_1294157637_15.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2011-01-02T20:15:43+09:00
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ひろゆりか
【定点観測メモ/梅田哲也】観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する WS2回目 後半
http://yosomi.jp/article.php?id=149
<h2>観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する WS2回目 後半</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2011-01-03 05:15:43</p>京都精華大学公開講座GARDEN 『観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する』
<a href="http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html" target="_blank">http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html</a>
【第2回】 11月20日(土)14 : 00 〜 18 : 00「制作 1 /観察する」
14時半から山に行き、下山・休憩したのは16時すぎ。広いミーティングルームのようなところに戻ると、お菓子や飲み物など、つまめる物が沢山あった。そういえば、今回の持ち物に「たぶんお腹がすくので、何か軽く食べるもの」とあった。私もおにぎりをつくっていった。
後半はミーティングと簡単なワークショップをする。
最初の15分は、前回のWSの様子を撮った映像をみる。ボールを投げている。
「演じないこと」、偶然性から生まれる動きを導く為のワークをすることに。
梅田チームとgonzoチームに分かれる。
梅田チームでは、車座になって、ひらがなを一文字ずつそれぞれ言っていく。それが何かの言葉になるまでつづける。となりの人が次はこうつなげるであろう、と願って、発語されていくも、それが裏切られたりする(ルール、間違っていたらすみません)。予測できないことの面白さ。自分の氏名の文字が出たら、リセット。途中、スキップ機能も発動される。
梅田チームの中でも、ペさんという方は「妖精」として、室内で好き勝手なことをしている。
誰かが何かをしていても、自分のルールに固辞した動きを続ける。
後半から梅田さんも釣竿で遊んだり、好き放題し始める。
対するgonzoチームは、神様ごっこ。ロープで室内にいる人を捕まえてきて、台上に寝かせ、願い事を言わせる。叶えられない願い事なら、台上から放り出される(文字通り)。叶えられる願い事なら、それらしき事をしてもらえる。
梅田さんも途中捕まり、「宇宙遊泳」と言ったら、youtubeで宇宙っぽい映像をみながら皆にかつぎあげられていた。
「空気を読む」、という言葉があるけど、今回のWSは「空気を読み換える」ように見えた。ある個人の意志や希望という偶然性に頼って、皆で行動や動きを導きだしていく。でも、人数が多いので、その行動にはそれぞれズレが起こってくる。そのズレが面白く、いわゆる「演じる」というところから離れて、思いがけなくプッと笑ってしまったような、そういう自然な動きが出てくる。
結局、この後半のWSがどうつながっていったのか見れずじまいなのだけど、この過程をみるのが面白かった。完成されたものより、完成される以前のものの方が面白く、見る意義と愉しさを感じるのは、私のなのか、世間の最近の風潮なのか・・
このあと、スタッフの高山さんが豚汁をつくってきてくださった。
ロケハンをすると聞いていたけど、用事があり途中で帰ってしまった。次回は何か持ってこよう、ということで終わる。どうなったんだろう。
<br /><a href='file/large/3_1293999338_0.JPG'><img src='file/thumb/3_1293999338_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293999339_1.JPG'><img src='file/thumb/3_1293999339_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293999340_2.JPG'><img src='file/thumb/3_1293999340_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293999341_3.JPG'><img src='file/thumb/3_1293999341_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293999391_4.JPG'><img src='file/thumb/3_1293999391_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293999342_5.JPG'><img src='file/thumb/3_1293999342_5.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2011-01-01T13:24:36+09:00
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ひろゆりか
【定点観測メモ/梅田哲也】観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する WS2回目 前半
http://yosomi.jp/article.php?id=148
<h2>観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する WS2回目 前半</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2011-01-01 22:24:36</p>京都精華大学公開講座GARDEN 『観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する』
<a href="http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html" target="_blank">http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html</a>
【第2回】 11月20日(土)14 : 00 〜 18 : 00「制作 1 /観察する」
※2回にわけてメモします。
当初、私は私用があったりで、この講座を連続して観測することがかなわないので、行くつもりにしていなかった。2回目だけ見るという中途半端な形になてしまうけど見ておきたいと思ったので、予定を調整変更。少し遅れるけどすみません、ということで、前日に米子さんとGARDENの方に連絡して、急遽、京都精華大学に向かった。到着したのは14:15位。遅刻。
ちょうど梅田さんやgonzoの方々、WS参加者の方々(見事に女の子だらけ)が集合してさぁ出かけようかというところだった。着替えもそこそこに、荷物を置いてついていく。
精華大には何度か行ったことがあった。とりあえず「裏山に登る」とだけ聞いていて、「あー確かに山あったよねー」と鹿がいる側の山を想像していたら、違った。バス乗り場の横から登っていくところだった。
女子たち、どんどん登っていく。木の根っこや枝などを足がかりに、落ち葉だらけの地面と斜面に挑んでいく。「こういうとこ登るは得意。ぼく早いよ。」と梅田さんもすいすい登る。途中、スタッフのカメラが転落する。ロープやなんやかやを使って登るのだけど、なぜかすでに誰かが同じようにここを登ったのか、ところどころにロープがある。
参加者の女子たちはいかにも美大生っぽいひとが多い。でも、聞いてみると、すでに卒業生だったり、他大学の学生だったり、社会人の方だったりと幅広い。あとでチラシを見ると、参加費は7500円と高い印象を受ける(でも全4回と考えると妥当、むしろお得)。
まさに森。
発表の際に使うために、朽ちた感じの何とかすれば折れそうな木を見つけ、それをどうにかして下まで持って降りるのが、今日のWS前半の流れ。
山を無理矢理登って行く時、木をどうにかして折る時、それを運ぶ時、その時に生まれてしまう動きに目をむける。例えば、折れそうな木を折って持って帰る為に、どう折るか考える。石をなげる、ロープをくくりつけて引っ張る、体当たりする、など。そして、実際にやってみる。
どうやら、今回のキーワードは、「演じない」ということでもあるようだ。「恣意的」ではない動きを探る。木を折る、山を登るために発生した動き自体に着目してみる。それを別の場所でやるとどうなるか…?
卒業制作になるらしい誰かの作品のようなツリーハウスがある。
給水塔がある。
ここ、学校の敷地内だよね?と思う。
しばらく進んだところで、折れそうな木を見つける。ちゃんと写ってないけど、gonzoメンバーの方が側の木にのぼり、折りたい木にロープをひっかけようとする。見ていてハラハラする。精華大の職員さんも怪我したらどうしよう、とハラハラしている。うまくひっかかったところで、周囲の折れそうな朽ちた木も2、3人がそれぞれ掛け声と共に蹴りながら、1、2、3!といった感じで目当ての木を折った。それぞれ、回し蹴り、楽しそう。中学ぐらいの時にはまった空手漫画を思い出した。
二本の木を持って下山。
一部階段上に丸太が組まれているものの、勾配がきつい。注意しながら降りる。木を持って斜面を降りるのはなかなか難しそうだ。山中にはなぜか紅茶の空き缶が沢山おちていた。しかも、現在のデザインではない。
下山した地点は、陶器棟の裏だったようで、作品がたくさん置いてあった。gonzoの方と数人で、鳥小屋を見にいく。7年前ぐらいにこの大学のオープンキャンパスに来た時に、鶏とアヒルの合いの子みたいな鳥がいたのが印象に残っていたのだけど、まだいた。
<br /><a href='file/large/3_1293888272_0.JPG'><img src='file/thumb/3_1293888272_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293888273_1.JPG'><img src='file/thumb/3_1293888273_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293888273_2.JPG'><img src='file/thumb/3_1293888273_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293888274_3.JPG'><img src='file/thumb/3_1293888274_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293888275_4.JPG'><img src='file/thumb/3_1293888275_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293995327_5.JPG'><img src='file/thumb/3_1293995327_5.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293995328_6.JPG'><img src='file/thumb/3_1293995328_6.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293995329_7.JPG'><img src='file/thumb/3_1293995329_7.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2011-01-01T12:11:11+09:00
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ひろゆりか
【定点観測メモ/梅田哲也】中尾さん祭り5回目
http://yosomi.jp/article.php?id=147
<h2>中尾さん祭り5回目</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2011-01-01 21:11:11</p>少し雨の降った日。遅れてFLOATに着く。雨が降ると、やはりここは冷える。
1階での中尾なんとか通りによるセッションが終わったあと、今度は2階でふいごの演奏inコタツ。なごやか。その間、梅田さんは1階にてセッティングをしている。
2階の演奏が終わり、みんな下に降りてくる。
開始直後、いきなりショートする。でも、動揺したのは観客だけで、梅田さん自身は「しちゃった」という感じで、淡々と調整。
梅田さんは姿を見せない。
中尾さんが管楽器や打楽器を操り、江崎さんも楽器や石やいろんな物を使っている。奥にあるシャッターから、見覚えのある、ヌンチャク式の釣竿が顔を出す。釣竿がスーパーのビニール袋を弄ぶ。
江崎さんの貝殻や、いつもの3連貯金箱も姿をみせる。
写真の角度からもわかるように、今回私が陣取った場所は隅っこだったので、会場全体を俯瞰できない。見る場所によって、視覚的にはもちろんだけど、音の感じ方、伝わり方が変化しそう。
梅田さんが色んな物を使うことによって生み出す音に、会場にいる人は耳をすます。普段よりも注意深く。かすかな物音に対して集中しようとするとき、目をつむる人もいるけれど、目をつむるのはもったいないと感じる時もある。今回のように(いつもだけど)、空間の中を物が行き来して音が生み出される場合。もちろん、音だけで想像する楽しみもあって、会場にいる人たちの表情をみると実に様々な表情をしている。
シャッターの奥から、梅田さん本人は姿をみせないまま、シャッターの奥からは色んな物がでてくる。私の見ていた位置からは、ゴソゴソしてる姿が見えてしまう。興ざめにはならないけれど、真ん中、もしくはシャッター付近でみている人の方が面白いのではないかと羨ましくなった。
終盤、シャッターをガラガラ、と閉めて、表側から、再登場した梅田さんは、お気に入りの停電EXPOのつなぎのジッパーであそびながら、中尾さん江崎さんとアイコンタクト。「終わる?」と小声で相談して、終わった。
この時は本当に見る位置を間違えたなぁと思った。ひとつの楽しみ方としては、面白かったけど。
中尾さん祭り、コンダクターは中尾さん。どういう風に絡みあっているのか、もう少し見れたらよかったな、と。
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中尾さん祭り5回目
2010年11月19日(金) 19:30くらい - (開場19:00)
会場:安治川FLOAT
出演:LOW FISH (船戸博史:コントラバス、関島岳郎:テューバなど、中尾勘二:管楽器や打楽器)
ふいご (古池寿浩:トロンボーン、中尾勘二:サックスやクラリネット、関島岳郎:テューバ)
中尾なんとか通り (中尾勘二:管楽器、みやけをしんいち:ソプラノサックスとか)
中尾勘二(管楽器や打楽器?) × 江崎將史(トランペット) × 梅田哲也(自作の何か)
<a href="http://float.chochopin.net/event.php?day=20101119" target="_blank">http://float.chochopin.net/event.php?day=20101119</a><br /><a href='file/large/3_1293883869_0.JPG'><img src='file/thumb/3_1293883869_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293883870_1.JPG'><img src='file/thumb/3_1293883870_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1293884463_2.JPG'><img src='file/thumb/3_1293884463_2.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-12-26T17:06:40+09:00
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ひろゆりか
【連載記事】冬のアートツーリズム@東京・その1
http://yosomi.jp/article.php?id=146
<h2>冬のアートツーリズム@東京・その1</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2010-12-27 02:06:40</p> 「アートツーリズムでいこう」たしか、アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)の3年ほど前のキャッチコピー。その後、思えばこの3年ほど色々ご縁もあり、アートツーリズムばかりしている。この夏は東北にもいってきた。
東京の美術館めぐりには定期的に行くようにしている。単純に好きだから、というのもあるけど、美術館めぐりという大義名分の元、東京をうろつくのが好きというのがある。東京は私の中でいつまでたってもAWAYな場所であって、いつも行く度にドキドキしてしまう。美術館や知り合いのスペースを足がかりにして、ちょっとずつ足をのばしていくのが楽しい。ちなみに、この文章は横浜で書いている。横浜の方がなんだか落ち着く。知り合いもいるせいか、どことなく自分のHOME感覚を持ちやすい(ここで使うHOMEとAWAYというのは、私の中の移動概念)。
この文章は「余所見」というWEBマガジンに掲載するのだけど、私はふだん余所見してばかりな気もする。同じ美術館を観るということにしても、近畿圏で何やってるのかあまり知らない。余所を見ることは、結局自分をみることと変わりない気がする。余所をみても興味がなければ、忘れてしまうから。
今回は1泊2日の滞在。何回かに分けて、アートツーリズム録を綴ってみいようと思う。今回行った、行く予定のところや展示は1月もやってると思うので、誰かのアートツーリズムの役にでもたてていただけたら、と思う。
今回は、東京都現代美術館での「トランスフォーメーション」展と森美術館での「小谷元彦 : 幽体の知覚」展を見ようと思って予定を立てた。小谷元彦は、好きかどうかというよりも、何年か前に大阪で個展を見たときに感じた感覚が忘れられなくて、あれを今見たらどんな感じを受けるんだろうっていう思いがある。
ついでに東京の友人や知人にも会うことにしたり、2日目には後輩も合流することになったりした。Twitterやメーリングリストで色々面白そうな情報も入ってきた。
そんなわけで、今日一日目は、東京都現代美術館→歌舞伎町でのアートプロジェクト、歌舞伎町クリスマス・ガーデン→横浜・ART LAB OVA →その真上の映画館ジャック&ベティで「ハーブ&ドロシー」という映画を見て、今、横浜のホテルに至っています。明日は、森美術館に行き、知人に会いにアーツ千代田3331、それから友人と会う予定。
横断的にいろいろみたせいか、さて、どこから書こうか、と言うかんじのところで眠気が来てしまいましたので、後日、それぞれの模様をお伝えしたいと思います。<br />
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2010-12-26T09:27:20+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】第十四回音楽祭
http://yosomi.jp/article.php?id=145
<h2>第十四回音楽祭</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-12-26 18:27:20</p>札幌は歩道が凍結しています。
この日は全国的に寒波が来ていて、大阪でも寒かったけど、札幌もこの冬一番の寒さになったらしく、地元の人は靴に滑り止めをつけているそうなんだけど、僕には用意がないので、転ばないようにすり足で歩道をすべって歩きます。
とにかく空気が冷たいけれど、風がないのがまだ救いで、大阪の寒い日とはまた違って、クーラーの強く効いた部屋か、冷蔵倉庫かなにかにいるようです。ふとした瞬間に、周囲がものすごく冷たい事を感じる。
19時半、会場は札幌市街のなかの古いビルにあって、一室にはレコード屋さんや、北海道冒険芸術出版というグループ(詳細はわかりません、編集長は全国を原付で行脚しているそうです)などが入っていて、古さが良い雰囲気だし面白そうなビルです。6F、会場のOYOYOに到着。
この日は高橋幾朗+植野隆司、さや、神田聡+永田塁+古立太一、梅田哲也、大城真と5組のパフォーマンスがあって、なかでも高橋幾朗さん+植野隆司さんの演奏の前半は印象に残る内容でした。
高橋幾朗さんは鈴や高周波、植野隆司さんはギターを演奏していて、お互いを意識しながらも、別の場所を向いているような、別の方向を見たまま相手に手を差し伸べるような演奏の距離感と緊張感が良かった。植野隆司さんは12弦のギターをオープンコードにチューニングしていて(ほかにもあと2本ギターを用意していました)、つまびいてから回転する、と、(ドップラー効果で)音を揺らします。
さやさんはギターやピアノを弾きながら歌って、神田聡+永田塁+古立太一さんら3人はそれぞれに、ドラム缶、スピーカー、紙と牛乳瓶を使ったパフォーマンスで、地面に置かれたスピーカーから音の鳴るなか、ドラム缶が転がって、ビンが割れる、危険なパフォーマンスでした。
梅田哲也は、“ファンタスティック光皿”( <a href="http://www.yosomi.jp/teiten.php?id=134" target="_blank">http://www.yosomi.jp/teiten.php?id=134</a> )で見たときとほぼ同じ内容の、ボウルやライトや扇風機のシンプルなセットを用意していました。
セットはほぼ同じでも、パフォーマンスが始まってみると印象は大きく違っていて、音楽的にどっかに進んでいくというよりは、いくつかの要素を行ったり来たりするように見えて、回る扇風機と接触して火花が飛んだり、ペンライトで作られる影や、途中途中美しい瞬間があって、でも僕は全体としてはとらえどころを掴み損ねて、楽しみきれなくて残念でした。
最後の大城真さんのパフォーマンスは、円筒や鉄板をマイクやスピーカーにしてフィードバックを操作したり、壁を鳴らしたりするもので、僕の中ではその2人の対比が面白くて、できごとの起こし方のようなことについて考えていました。札幌でのイベントは、明日も明後日もあります。
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2010-12-25T10:22:07+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】BREAKFAST FAST EXTRA
http://yosomi.jp/article.php?id=143
<h2>BREAKFAST FAST EXTRA</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-12-25 19:22:07</p>BREAKFAST FASTは、梅田哲也が大阪・AD&Aギャラリーで開催していた、朝ごはんを食べながら主催者の用意したゲストや飛び入りのプレゼンテーションを見る、というイベントです。
朝からお昼前までプレゼンテーションが行われた(朝ごはんも食べ終わった)そのお昼からは、たいていの場合、発明家や技術者をはじめとした様々な方をゲストに迎えた『創意工夫の工作』と題するトークイベントが一緒になっていて、それも含めてとても良いイベントでした。なによりまずやはり朝なのがよくて、朝からわざわざ集まって話す、あの感じがとても良かった。
けれど、会場となっていたAD&Aギャラリーは今年8月を持って休廊してしまって、残念ながらひとまず、少なくとも定期的な開催は行われなくなりました。
この日は,岐阜県・大垣公園のイルミネーションイベントの企画のひとつとして、そのBREAKFAST FASTのバリエーションを開催するということでした。会場は、公園の中に建てられたビニールハウスで、その周囲には大垣市・芭蕉元禄イルミネーション(大垣市内各地にイルミネーションを展示する催しのようです)のオブジェが点灯されています。
イルミネーションでもあるし、時間は朝ではなく夕方から夜のイベントで、今日の梅田哲也はイベント企画と進行のほかDJとして活躍していて、数十年前の古い音源(今聴くとなにかしら面白いもの)から、前後の出演者を意識してつなげるような音源まで幅広く選曲をしています。
その司会進行とDJにつながれて、cavilll、Phirip、栗原ペダル、HADA、akamar22!、元山ツトム a.k.a.mots、Gofish、村上ゴンゾという人たちが出演されて、どれも良い演奏でした。
ほんとにどれもとても良くて、掛け値なしに全体的に良いライブばかりだったんだけど、音楽ライブとなると、良かったから今度行くといいよ、という以上に言うべき言葉がなくて、残念です。それぞれ大阪や名古屋で活動されてる人たちなので、ご存知ない方は、ぜひまたライブを聞きに行ったり、ウェブサイトで音楽の聴ける人たちもいるので、一度お聴きください。
なかでも栗原ペダルさんの「歌手の地獄」「デビュー」という歌がとてもよかった。akamar22!も、今まで何度も聴いたことがあって、もともと好きだったんだけど、この日はそれを更に超えて良い印象でした。また聴きに行こうと思った。
栗原ペダルさんはエレキギターと歌、akamar22!はギター弾き語りの方です。
飛び入り参加や、Phirip(ワラビモチ愛好会)さんによる、わらび餅と交換する一芸の撮影があり(まとめたウェブサイトはこちらのようです <a href="http://phirip.com/choja2010/" target="_blank">http://phirip.com/choja2010/</a> )揺らぎの心地良いイベントでした。
<br /><a href='file/large/1_1293272984_0.JPG'><img src='file/thumb/1_1293272984_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1293344407_1.jpg'><img src='file/thumb/1_1293344407_1.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1293344412_2.jpg'><img src='file/thumb/1_1293344412_2.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1293343473_3.jpg'><img src='file/thumb/1_1293343473_3.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1293343477_4.jpg'><img src='file/thumb/1_1293343477_4.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1293343766_5.jpg'><img src='file/thumb/1_1293343766_5.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1293343770_6.jpg'><img src='file/thumb/1_1293343770_6.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1293343482_7.jpg'><img src='file/thumb/1_1293343482_7.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1293343487_8.jpg'><img src='file/thumb/1_1293343487_8.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1293344417_9.jpg'><img src='file/thumb/1_1293344417_9.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1293344421_10.jpg'><img src='file/thumb/1_1293344421_10.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1293343492_11.jpg'><img src='file/thumb/1_1293343492_11.jpg' alt='' /></a><br /><br />
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2010-12-24T14:21:20+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】鶏の丸焼き会@有佐くん家
http://yosomi.jp/article.php?id=142
<h2>鶏の丸焼き会@有佐くん家</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2010-12-24 23:21:20</p>北加賀屋に住む友達の家で、鶏の丸焼き会が開かれたので食べに行った。
となりでは写真展が開催されてそれを見たりした。
知らない人たちがざわざわしていて、ダッチオーブンの中に
かぼちゃ、さつまいも、じゃがいも、キャベツのピクルス、
みかん、ビール片手に食べまくる。
メインの鶏の丸焼き。1200円もしない鶏の丸焼きはおいしすぎた。
ケーキも焼いてクリスマス。
みんながざわざわしてる中で誰とも特に話すこともなく
ヒョウヒョウと過ごすのが好きだと思った。
いい夜だった。
<br /><object classid='clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000' codebase='http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=9,0,0,0' width='474' height='356' id='movie' align='middle'><param name='allowScriptAccess' value='sameDomain' /><param name='allowFullScreen' value='true' /><param name='movie' value='http://yosomi.jp/swf/movie.swf' /><param name='FlashVars' value='key=GoHRkHZPmdU' /><param name='quality' value='high' /><param name='bgcolor' value='#000000' /><embed src='http://yosomi.jp/swf/movie.swf' quality='high' bgcolor='#000000' FlashVars='key=GoHRkHZPmdU' width='474' height='356' name='movie' align='middle' allowScriptAccess='sameDomain' allowFullScreen='true' type='application/x-shockwave-flash' pluginspage='http://www.macromedia.com/go/getflashplayer' /></object><br /><br />
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2010-12-24T13:38:54+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】ひがしのさんの紙芝居
http://yosomi.jp/article.php?id=141
<h2>ひがしのさんの紙芝居</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2010-12-24 22:38:54</p>神戸のCAPHOUSEの企画で「twist&shout」のトークイベントにお呼ばれしてもらった。おしゃれな空間、神戸っこ。
一番こころが動いたのは「ひがしのさんの紙芝居」だった。
チャイを飲みながら、フロアの端っこでソレは始まって。
読み聞かせで、泣きそうになったのは人生の中で2回目。
<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//11_1293197933.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br />
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2010-12-23T07:11:49+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【連載記事】京都の鳥居
http://yosomi.jp/article.php?id=140
<h2>京都の鳥居</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-12-23 16:11:49</p>これは8月の事。
京都にある知人宅に3日ほど泊まっていた。レンタルサイクルを借りていたのでどこへでも行けるがあては無い。
ごはんを食べ終わって知人はこれから仕事。さてどうしよう、と思っていたらチラシをくれた。「これからなんにでも。」とあり、鳥居のような神事に使うような建造物のモデル写真がプリントされている。裏面に添えられた地図は手書きだ。聞くと、知り合いが京大の寮の庭にそれを建てて、今日はそのおひろめ的な祭りだという。よく分からない。
数時間ほど自転車でうろついて、多少おかしな道へ入り込んだが一応会場に着いた。京大熊野寮。ガヤガヤするほうへ向かうと、なにか準備をしている人がいた。で、件の鳥居は浅い池の中に建っていて高さ約5.5メートル、横は約7メートル四方というなかなか立派な物。周りでは楽器が運び込まれたり、こどもが跳ねたりしている。まだ客もまばらでゆるんゆるんな雰囲気。その辺に座ってビールを2杯ほど飲んだところで仕事を終えた知人が着いた。残念な事にオープニング・ほら貝の演奏は済んでしまったが、ライブには間に合った。鳥居の上にドラムセットが組まれ、足場は少し狭そう。
チラシに出演者の名前がなかったので誰だか分からないが。シンセがからんでしばらくすると、寮から女の人が出てきて苦情を言った。どうも、その祭りについての知らせが寮内に行き渡っていなかったらしい。
しばし休憩の間に、この鳥居はどういう謂れで建てられたのか訊ねると、「熊野寮には代々、寮生の健康を願ってみかんを投げ合い的を倒す‘みかん祭り‘があり、そのモニュメントとして」との事。答えを聞いても聞かなくても分からなさはあまり変わらないな、と思う。
話し合いの後、演奏はアコースティックに切り替えということで落ち着いたらしく、男の人が鳥居中央のステージで演説とも即興ともとれる唄を歌いだした。何と言うか、いろいろと丸腰な感じがずいぶん面白い。知人にそれを伝えると、彼はマイアミという人で、しかも以前から知り合いだという。マイアミはポッドキャスト「スキマ芸術」で紹介されていて、その時も面白いと思っていたので驚いた。
そうこうする内に別の、やはり仕事帰りの知り合いが何人かやってきた。しきりに「左京区!左京区っぽい!」と楽しんでいる。観客もウロウロと増え、池では子供が2人全裸で泳いでいる。確かきんぎょ、亀、カエル等が住んでた気がするけれど。小学生の女の子が寄ってきて、ジュエルペット?とかいうキャラクターのカードで占いをしてくれた。結果は忘れた。
とりあえず、付随するご苦労もあるのだろうけど「やっちゃえる人達がやらかすと、やれちゃう」の好例と思えばいいのだろうか。京都っぽいといえば抜群にそうだという気がする。様として素晴らしくもある。でも、京都っぽさってなんだろう。ますます分からなさが増す。
<br /><a href='file/large/5_1293088309_0.jpg'><img src='file/thumb/5_1293088309_0.jpg' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/5_1293088309_1.jpg'><img src='file/thumb/5_1293088309_1.jpg' alt='' /></a><br />,<br />
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2010-12-22T16:56:57+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【連載記事】大学に行ってきた。
http://yosomi.jp/article.php?id=139
<h2>大学に行ってきた。</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2010-12-23 01:56:57</p> 前日に友人とやりとりをしていたら、「ちっちゃい火を囲む」ミーティングが大阪大学である、ということを知った。「ちっちゃい火を囲む」は、私の先生でもある小山田徹氏の「作品」。「ちっちゃい火」を囲みながら、皆でいろいろ持ち寄ったりお話したりして、ゆっくり過ごす時間をつくる、というもの。以前から気になってたのに、これまで行けてなかった。今回はミーティングから参加してみたくなった。
ミーティングは夕方から始まっていたようだけど、私は卒業式の振袖なんかを見繕いに行ったり、家の諸用を済ましていたら、遅くなってしまった。卒業できるかどうかがまずは心配。
7時ごろ、友人と石橋駅で待ち合わせて初めて大阪大学のキャンパスに足を踏み入れる。
私が通ってる大学は、とても小さいので、大阪大学のような総合大学に行くと、それだけでもの珍しくて何だかウキウキしてしまう。私の大学はひと学年200人足らずで、講義を受ける机は高校生が使ってるものと変わらない。ふたつの講義室だけが、「大学!」って感じの講義室だ。建物自体のつくりも、5年も通えば愛着がわくけれど、なんだか、寒々しいし、いまどきエレベーターもついていないので、大阪大学のそれぞれの棟にエレベーターがついているという話を聞いて、心底驚いてしまった。私の大学の教授達は、4階の自分の研究室まで、毎日階段を駆け上がっている。
今まで行ったことあるのは、センター入試で地元の大学や神戸女学院大学、神戸大学、京都精華大学、遊びに行ったのが、京都造形芸術大学、東京藝術大学、授業受けに行ったのが、京都大学、京都工芸繊維大学。どの大学も大きくて、掃除が行き届いている。でも、ところどころに大学生の落書きやチラシがあふれている(神戸女学院はそうでもなかったけど)。先日、定点観測の取材で京都精華大に行ったときには、教官用の研究室が並んでる光景に驚いた。
要するに、ついつい自分の通う小さな大学と比較してしまうのだ。小さいというのは悪いってことではなく、必要最小限(京都市の予算的にも)ってことだと解釈している。そこに在籍している人たちのことは別として、大学という入れ物の必要最小限を私の大学は地でいってるのではないか。そこから大きくしていく、キレイにしていく、ってことには本当に際限がないのだなぁと他の大学を見ながら思った次第。大学の校舎の設計とか面白そうだ。
小学校なんかは勝手に入ると怒られてしまうけど、大学はそんなこともなく、ウェルカムな感じ。今更だけど、他の大学、それもなるだけでっかいとこ、を勝手に探検してみたくなった。
そうそう、肝心なミーティングは、用意された薪に火がつくかどうかの実験(薪割りしないとダメっすね。)とチラシ制作などが主な内容。出前のピザを食べつつ、ちゃっかり「部外者」の意見をあーだこーだ言ってきました。大学にピザの出前を頼むということにも驚いた。<br />
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2010-12-21T14:58:57+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【ブック・オン】ブック・オン、に、した。
http://yosomi.jp/article.php?id=138
<h2>ブック・オン、に、した。</h2><p class='author'>山本握微 / 2010-12-21 23:58:57</p> 斯くして、開店の10時から閉店の9時まで。昼に十分ほどパン食べに中座したくらいで、殆ど休みなし丸々11時間、大型書店の棚を隅から隅まで隈なく、見て参りました。それでも時間が足りなかった!
※当日のtwitter中継。
<a href="http://togetter.com/li/80966" target="_blank">http://togetter.com/li/80966</a>
この「ブック・オン」の様子や所感、企図については、また別途に他の参加者と記事にする予定です。ネット上でなく、できればブックで。
この企画は、面白かった本を探す、紹介する、とは多分に毛色が違うけれど、個別の本に触れないわけにもいかない。部分なくして全体なし。
予告編として、理由は各種さまざまだが、とにもかくにも僕が途上で「書き留めた」ISBNをば。
4591121283
4845988747
4840132718
4309264662
4806138563
4777105489
4777108930
4787233219
4780801477
4326653214
4890136285
4840010584
4822806361
4794940785
4769820079
490178496X
4253008136
4758012010
4323264972
4902269376
4062149754
4768468268
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4152090829
4344016637
4532167554
4620605530
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4797360899
4560058741
4582853099
4582851823
4106103323
4334035914
4334035815
4022599728
4344415154
4150503680
4022615916
4569778280
4903147154
4408617459
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4072738443
4534047700
4796677592
4140814543
4495589414
4827205886
4781603445
4492556115
4893469625
4763130967
4806137528
4861461965
4774144689
4806134725
4526064296
4796678957
4884971137
4774134314
4532260651
4163722108
4492535300
4896283976
4532133528
4805903834
4474026001
4433531063
4761266523
4532353912
4813236894
4905176008
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4198626020
4492393703
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4827109825
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4873805689
4794217752
4305202460
4768456316
4839924614
4621045730
4762020407
4777515592
4791762584
4815806392
4896946451
4526052493
4860204037
4425302311
4061541625
4525503219
4392935514
4894448896
4808309350
書名まで書くと大変だしね。似た書名の本も多いし。僕は特に悪筆なので絶対にわからなくなる。上記の数字も危ないけれど。
ISBNは数年前に13桁になったけれど、今のところ(これから先もしばらく)最初の978-は同じだから無視。和書なら最初の4も固定。あと、末尾はチェックデジットだから省略しても後追い可能。
なれば実質、8桁の数字を記録しておくだけで本は特定できる(ISBNを持つ本限定だけど)。数字だけなんで携帯電話でもメモ機能等を取り出すまでも無く、通話として「発信履歴」で記録することも可(まあこれだと記録数に限界があるが)。
あとはこの数字の羅列を、自動的に書誌に変換してくたら楽なんだが。多分、蔵書管理ソフト?なんかではそういうの、あるんだろうけれど。あと、スマートフォンならカメラでバーコードを解析したりもできるとか。まあ地味に検索したりして、思い出します。<br />
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2010-12-21T01:52:34+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【連載記事】尾道にいってきた
http://yosomi.jp/article.php?id=137
<h2>尾道にいってきた</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2010-12-21 10:52:34</p>尾道に行って来た。案内人は尾道で空き家再生プロジェクトというのをやってる人。一見、聞こえのいい活動だけれど、実際はおもしろい空き家を見つけては改修工事をして、そのあと自分たちでおもしろいことしよー。っていうもので、マイペースで手作りっぽくて、事業っぽくなくて、いい。
森の家は尾道に住むみんなの夏のたまり場で、五右衛門風呂とかある。公民館も改修したり、絶景のすきてな物件もキープしてたり、大家さんと直接やりとりできるプロジェクトなだけに、建築系の強さを感じる。建築系って大体はやっぱりハードに興味あったりするし、そこの知識が強いから、中身を運営するのにはアレらしく、そのあたりをおもしろい人たちで何かできないかな。って悩んではった。
他にも尾道在住のアーティストも居て、私より年上の落ち着いた感じの。一周回って尾道でレジデンスプロジェクトやってる感じがよかった。自分たちがおもしろい、会ってみたい、と思うアーティストを招いて、半年ぐらい時間かけて、尾道に滞在してもらって、展示するというもの。今度はスイスの夫婦+こどもの家族で滞在するらしい。それは絶対おもしろいに違いない。
尾道には若い人たちがお店をちらほらやってたりもして、小さいパン屋さんやおそば屋さん、雑貨屋さんなどもある。どれも店構えが丁寧でよかった。みんな時間をかけて改装するらしい。
あと、尾道を歩くときに「かつお」と呼ばれる中学1年生に出会った。その活動してる人たちのたまり場で卓球場があって、そこに彼は現れて。卓球部一年というのもあってうまい。「かつお」と少しだけ卓球をする。「かつお」は本名ではなくて、仕方がない感じで振る舞ってる大人なこどもで、犬が苦手で、尾道の細い路地に向こうから犬が歩いてくると、ダッシュで脇に逃げる。あと、平気で尾道の路地に空き缶をポイ捨てしたりする。あと、瞬発力に長けていて写真をとろうとシャッターを切ると瞬時に逃げてフレームアウトする。
「かつお」はアディダスのジャージを来ていて、メガネをかけて、顔が落ち着いてる。「ここ、俺の家」って通り過ぎる家に指を指したり、ボケにのっかったりする。
尾道を案内してもらった後、卓球しようぜ。と盛り上がったのに、大人の人の話を切ることができず、随分待たせて帰ってしまった。今度いく時はかつおと卓球しに行こうと思う。かつおにまた会いたいな。
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2010-12-20T21:31:26+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【連載記事】クロスレコメンドラウンジ第2回 「”買う” ワクワク感は自分磨き! アートからファッションまで」
http://yosomi.jp/article.php?id=136
<h2>クロスレコメンドラウンジ第2回 「”買う” ワクワク感は自分磨き! アートからファッションまで」</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-12-21 06:31:26</p>【ファッションとファッション周辺の様々なテーマ(本・音楽・アート・旅・料理・仕事 etc.)について、参加されるお客様自身がそれぞれのお薦めのアイテムやエピソードを持ち寄り、互いに語りあう参加型サロン。毎回のテーマに合わせ、主に関西で活動するクリエイターを招いてのトークライブも行います。】・・・・阪急メンズ館サイトより抜粋
アートコレクターとしてのおかけんたさんを招いたトーク。知人に誘われたので行ってみた。サロンとかラウンジと付いているのでてっきり穏やかな座談会かと思っていたのだが。
定刻に開始、とほぼ同時に参加者のだれかが風邪をひいていたようで、咳だかクシャミだかをした。逃さずおかさんがそれを拾い、効果のあるうがいの方法をレクチャー、さっとお客をつかむ。
そこからは百貨店を考慮した小ネタであろう「買い物の時店員につかまらず、かつ双方気分良く去るコツ」や、少々癇症で虚弱だった子供時代に病院で見た東郷青児の思い出、仮面ライダーカードの交換で「集める行為の気分」「物に付随する価値と変動」を知ったことなど、本題の買い物とアートについて順良く話していく。ただ、それが会場を歩き回り、ほとんど座ることなく進められるのでまるで独演会のよう。買って持つことのマニア的な快感、手に入れた1点から徐々に視線や意識が広がっていくくだりは身振りもあってかなりの疾走感。もちろん例の「ええ声」も合間にちょいちょいと入れる。収集はアート作品に限らず眼鏡やレコードほか多岐にわたり、ほんとに買い物好きなんだなと思う。
傍にいた司会者はうなずき役代表、という感じになっていたがあのシャベリの勢いを止めるくらいなら、いっそその方がいい。
おかしかったのは、画廊界隈ではコレクターで通ってしまっているので、とっておきの作品を薦められ、しかもそれが好みを突いていたりして買わずには引けない事も多いそう。私には絶対にありえない事態で、名のある人、通な人はその辺り大変そうだなぁと思ったり、でもそれで滅多に見られないものを見られるなら少しうらやましい気もしたり。
終盤は、現代美術からさらに自分の見聞を広げてくれるものとして古美術、骨董を観だした最近の話で終了。
2部はお客が持ち寄った何かしらの作品をそれぞれ紹介しあう。シルクスクリーン、自作のネックレス、岡本太郎のオブジェが作中登場するマンガなどさまざまで、それらについておかさんが尋ねたりエピソードを語ったり。全体は2時間30分、アートをテーマに据えてあってあんなによく笑うトークは初めてだった。
終演後、梅田の幸福飯店で数名と食事。やっぱり芸人さんは腕が違うねと感心しきり。カエルのから揚げを山椒(?)で味付けした料理がおいしかった。こちらも食べたのは初めて。<br />
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2010-12-20T20:58:46+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【連載記事】クリスマスの飾り付け
http://yosomi.jp/article.php?id=135
<h2>クリスマスの飾り付け</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-12-21 05:58:46</p>うちから徒歩1〜2分のところにある銭湯が、もう数ヶ月前からお休みされていて不便です。
他にも銭湯はあるんだけど、深夜まで開いているところはそこだけで。
なので、遅くに風呂に行きたくなった時には時々、近くの温泉に行っています。700円。高いけど、そもそも銭湯からして410円なので、それやったらもうええかな、と思えてしまって。
上がった後に、庭でクリスマスの飾り付けを見ました。
<br /><object classid='clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000' codebase='http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=9,0,0,0' width='474' height='356' id='movie' align='middle'><param name='allowScriptAccess' value='sameDomain' /><param name='allowFullScreen' value='true' /><param name='movie' value='http://yosomi.jp/swf/movie.swf' /><param name='FlashVars' value='key=VfFYmOcWBIc' /><param name='quality' value='high' /><param name='bgcolor' value='#000000' /><embed src='http://yosomi.jp/swf/movie.swf' quality='high' bgcolor='#000000' FlashVars='key=VfFYmOcWBIc' width='474' height='356' name='movie' align='middle' allowScriptAccess='sameDomain' allowFullScreen='true' type='application/x-shockwave-flash' pluginspage='http://www.macromedia.com/go/getflashplayer' /></object><br /><br />
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2010-12-20T16:55:30+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】ファンタスティック光皿
http://yosomi.jp/article.php?id=134
<h2>ファンタスティック光皿</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-12-21 01:55:30</p>会場は、長堀橋にあるライブハウス地下一階。
バンド演奏があって転換にDJが入る、音楽ライブイベントの構造の中でのパフォーマンスで、FUTA9082というバンドの演奏があり、梅田哲也の前には、DJてにをは、という方がDJをされています。
DJのあいだに、彼は客席で準備をはじめました。会場は小さめのライブハウスで、そのうえ彼はステージを使わなかったので人との距離が近い。
準備を眺めていても、なにかがどっか新鮮に思えて、考えてみると、彼が一人でパフォーマンスをするのを見るのが久しぶりでした。ここのところ僕が見ていたものでは、Contact Gonzoや参加者とのワークショップだったり、テニスコーツ+梅田哲也の組み合わせが多かったから。
会場の照明を暗転して30分ほど、ほんのいくつかの要素が、シンプルな流れに乗って、なんというか、すっきりしていて面白いパフォーマンスでした。
イベント主催者の方が「子供にも説明無しに見せて面白がられると思える人たちを出演者に選んだ」というような事を言われていたけれど、ちょうどその選択を証明したような内容で、すっと準備して、すっと印象的な出来事を起こして、突然に終わった。できごとは一つ一つシンプルで、関係がはっきりとしていて、複雑でなかった。
観客のなかに、何が起こってもそのたびに「すごい!」と声にだして反応する初老の男性がいて、さながら感想のパフォーマンスのようで面白かった。梅田哲也と感想。電気が消えて「わぁ!」、ペンライトで影を写し出して「すごい!」。
吊られた椅子がスピーカーに当たり音が止まって(「すごい!」と感想が入って)パフォーマンスは突然終わりました。
<br /><a href='file/large/1_1292873049_0.jpg'><img src='file/thumb/1_1292873049_0.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292873137_1.JPG'><img src='file/thumb/1_1292873137_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292871226_2.JPG'><img src='file/thumb/1_1292871226_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292871231_3.jpg'><img src='file/thumb/1_1292871231_3.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292873213_4.jpg'><img src='file/thumb/1_1292873213_4.jpg' alt='' /></a><br /><br />
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2010-12-18T07:21:52+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【ブック・オン】「 ブック・オン - 一日で書店の本棚を全て見る - 」
http://yosomi.jp/article.php?id=133
<h2>「 ブック・オン - 一日で書店の本棚を全て見る - 」</h2><p class='author'>山本握微 / 2010-12-18 16:21:52</p> 余所見の企画として、次の如き企画を行いますので告知をば。
「 ブック・オン - 一日で書店の本棚を全て見る - 」
開催日時 ; 12月19日(日)
集合時間 ; 9:30 (最初から参加される場合)
場所 ; JRなんば駅 OCAT地下一階 マクドナルド
(その後書店へ移動。途中見物はお問い合わせください)
お問合せ ; bookon@yosomi.jp
中継 ; <a href="http://www.twitter.com/yosomi_jp/" target="_blank">http://www.twitter.com/yosomi_jp/</a>
在庫百万冊規模の大型書店を、一日かけて計画的に隈なく見回り、棚に並んでいる全ての書名に目を通します。小説などの読物は勿論、専門書から馴染みのない資格試験問題集や学習参考書まで。買いもします。
書店は時に森に例えられますが、これは登山に近いかも。或いは、本の概念を一段ズラせば、書店自体を本に、棚を頁に、書名を本文に見立てた一冊の読書に他なりません。
あらゆる事物は「本」の記述対象に成り得ますが、実際に出版される本は、ましてや「新刊書店」で陳列されている本には、限りも偏りもあります。
が、それなりに広く、また場合によっては深い世界だと想像しています。本であるが故に、独自で深い世界もあるだろうし。
ともかく、書店でごく普通に、手に入れ得る本にはどのようなものがあるのか。それを知る意義がどれだけあるかわかりませんが、故に一生に一日で済ませてしまいたい。
この行為を「ブック・オン」とするネーミングセンスに一考の余地ありますが(新刊書店に行くのでブック・オフの反対であるは勿論)、話題の電子書籍のスイッチをオンにする前に、個人的には未踏のままである紙の本を「オン」にしたいと思います。
この試みは以前思いつき、個人的に計画していましたが、この度、機があって「余所見」の企画として有志と一緒に行うことになりました。
更に参加者がいればとこうして告知する次第ですが、元より休日の選択肢候補、もし興味ありましたら、独自に最寄の書店で是非。<br />
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2010-12-16T06:33:22+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【連載記事】カラオケ
http://yosomi.jp/article.php?id=132
<h2>カラオケ</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-12-16 15:33:22</p>知人とカラオケに行くのはけっこう好きだ。各自の選曲やカラオケになった際の楽曲のアレンジも見所だが、やっぱり一番興味深いのは声だ。
話すと歌うではだいぶ違っていて、普段特に気にもしていなかった声が急に良いものに思えたり、その逆があったり、いずれにしても新大陸発見、といった気分になる。コンサートに行ってMCが入ると、この人喋るとこんなふうなんだ、と得した感じがするのに似た面白み。
そもそも2つの事を1度にやるのが向いていないようで、話している相手の声に興味を覚えて聴き入っているとその内容から注意がそれる。話し方のクセやその人の鳴り方のようなものは聞き取れても会話としてはちぐはぐになり、「聞いてなかったでしょ!」と叱らせる破目になる。
かといって、聴いていたいから、と独り言を続けてもらう訳にもいかない。ひょっとすると歌というのは(話し声とは変わってしまうにしろ)その声をただただ聴くための良い手段の1つなのかな、と時々思う。
そういえば、自分の声が嫌いだ というのは割とよく聞く話で、書店に行くとやたら『好感を持たれる発声法』のような本が並んでいる時期があった。もしも美容整声外科なんてのが現れたらどうだろう。自分自身カラオケに行って、男性のいかついロックの曲が好きでもこの声ではどうにも間が抜けるので選曲から外すことは多い。もしその時ごとに、自分の望むような質感の声に取り換えられるとしたら、その手術を受けるだろうか。どうだろうか。
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2010-12-12T09:20:26+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】みんなのストーブ
http://yosomi.jp/article.php?id=128
<h2>みんなのストーブ</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-12-12 18:20:26</p>新宿で、女性車両に反対する演説を聞きながら切符を買って、渋谷で乗り換えて代官山へ。
イベントの開演は15時からで、会場は以前も「みんなの氷」が開催された、代官山のsedona催事場というスペース。大きなところです。
設置された楽器類は会場に散っていて、観客はダンボールに座っていて、頭上には大きな風船が浮かんでいます。ほんとに大きな風船。この風船は休憩時間中に割れてしまいました。
なんといっても今日の目玉は微々ちゃんという人でした。
彼女は、お母さんのバイオリンと、テニスコーツと一緒に「タマシー」という歌を歌います。賢そうな可愛らしい子で、両親とも音楽をする環境もあってだろうけど、どうにもすばらしい作詞家です。
そのお父さんはウォン・ジクスーさんという方で、この日はこの家族が何とも素晴らしく、ウォンさんの娘さんの可愛がり方が面白くて、「おまえ自分の事かわいいと思ってるやろ」とかなんとか、自分の娘によくわからない絡み方をするんだけど、家族への愛情がこぼれ出していて、そういうのはもう見てて幸福感がありますね。
歌の中に、
たましい、たましい、たましい。
というリフレインがあって、彼女のお母さんまーやんさんのバイオリンとテニスコーツの演奏と、僕の位置からではちょうどその向こうに見えるウォンさんが誰よりも体を動かして乗っているのが、なんとも良い光景でした。
<br /><object classid='clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000' codebase='http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=9,0,0,0' width='474' height='356' id='movie' align='middle'><param name='allowScriptAccess' value='sameDomain' /><param name='allowFullScreen' value='true' /><param name='movie' value='http://yosomi.jp/swf/movie.swf' /><param name='FlashVars' value='key=G8I0X49q6Ns' /><param name='quality' value='high' /><param name='bgcolor' value='#000000' /><embed src='http://yosomi.jp/swf/movie.swf' quality='high' bgcolor='#000000' FlashVars='key=G8I0X49q6Ns' width='474' height='356' name='movie' align='middle' allowScriptAccess='sameDomain' allowFullScreen='true' type='application/x-shockwave-flash' pluginspage='http://www.macromedia.com/go/getflashplayer' /></object><br /><br />
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2010-12-11T11:38:08+09:00
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米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】梅田哲也 + Contact Gonzo : 第1回
http://yosomi.jp/article.php?id=127
<h2>梅田哲也 + Contact Gonzo : 第1回</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-12-11 20:38:08</p>7月のはじめ、この定点観測を始めて間もない頃。梅田哲也とContact Gonzoが講師となって京都精華大学でワークショップを行う予定だ、という話を聞いて僕がまず気にかかったのは、彼らがそれをどのように行うのかという事はもちろん、それに参加しようと思うのはどういうなのかな、ということで。
その疑問というのは、梅田哲也とContact Gonzoという人たちに共通して感じるできごとの不定形さみたいな事に発していて。おそらく、そのワークショップで何が行われるのかが事前に明確になる事はないだろうから、大人って、そういう形の無いものに動機を持って参加できるのか(できるなら良いな)みたいな疑問があって。
おそらく、そのワークショップに参加するには、講師たちの事が好きであるのはもちろんの事として、今日帰ってカバン置いたらあそこに集合して遊ぼうぜ──何するかは決めてないけど。あそこ行ってみようぜ、どうなってるのか全然わからんけど、だからこそ。みたいな無根拠なモチベーションが必要な気がして。
僕は、モチベーションと好奇心はかけがえの無いものだと考えているので、そういう、自分のごく周囲にすら自分の知らない事がたくさんあると思えているような感覚。とりあえず遊ぼう。でも何して遊ぶかは決めてない、というような種類の、おそらくは好奇心にだけ後押しされる無計画性。ともかくそれに参加する人は、そういう遊びかたをできる人だろうという気がして、その点にすごく興味を持っていました。
ただし、ふたを開けて告知されたワークショップの名称は、現代美術+身体表現講座「観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する」というもので、なるほど身体表現講座というような名前がついていて、すこしその点についてははぐらかされたような気持ちになると同時に、まあそうやんな、何かとっかかりはつけないといけないよね。と納得するところもあって。
それでいうと「身体表現」の要素を強く求めて参加された方が一名、初回途中で帰られて、以降来られなかった、という事もあったようです。
(それはそれで、自分の求めるものがはっきりわかっている、これは違うとわかる。というのは素晴らしい事ですね)
で、やはり、参加された方はそれぞれ興味深い方でした。
当日、開講は14時からのところ僕は精華大学の学内で迷ってしまって、10分ほど遅れて講座の行われている部屋につきました。この日の参加者は14人で、女性が多いようです。そこに、イベント協力もされている山崎伸吾さん、Contact Gonzoの4人と、梅田哲也。彼らはカーペットに車座になっていて、講師2組が自己紹介をしています。
全4回のこのワークショップの初日の予定には「自己紹介」とあって、事前に参加者には、いままでの体験のなかで自分を形成したと思う事柄5つと、今後やってみたい事柄5つを考えてくるように連絡があったようでした。その発表がはじまり、それぞれ自分の原体験のような事について、順番に話します。
一番多いのは家族や友人の話で、食事や料理、音楽、柔道、一輪車、恋愛、風景、ライナーノーツ、学校、スポーツなどについて。梅田くんは大阪の話や外国映画、妄想や引っ越しについて。Contact Gonzo塚原くんは、海外体験や料理などについて。
それらは率直な告白だったり、構成された物語だったりして、特に梅田くんはContact Gonzoらの話に「それは格好つけてんじゃないか」と絡んで、たとえば中学校の時にしていたアレは言えなくて、小学校の時にしていた昆虫採集は言っても良いというような、今の時点での上書きがあるんじゃないか、率直じゃないんじゃないか、というような事を言って。確かにそれは誰しもそういう事があるかもしれない。
履歴は選択されていて、特に研ぎ澄ませてどこかに向かおうとしている時はそうかもしれないし、自分自身を選択するような事があればあるほど、その事後から以前の事を思い出すのは困難ですね。僕自身、話す段になってしどろもどろになってしまって。
概ね参加者のみなさんは、自分の事を率直に話されていた印象で、特に自分の女性性についての違和感の話や、ある人が5つの項目から1つの自分のストーリーを取りまとめようと(たぶんそうするべきなのだと思って)しているようだけれど全然取りまとめられなくて、そのストーリーの一つ裏側にその人が覗いているように感じた事が印象に残っています。梅田くんは、この自己紹介から、もうパフォーマンスになっているように見えた。というような事を言いました。
全員が話し終えた後に、その自分の上げた概念を表現して動く、というようなゲームをはじめました。
まず3×3のストラックアウトがあり、9つの番号には全員それぞれ自分の言葉を当てはめていて、当たった番号の言葉の意味を一度分解してアクションする、どうしてもできなければ言葉を読上げるだけでもいいし、やりたくなければしなくても良い。というような遊びで。順番にボールを投げて、当たった番号の自分の言葉をそれぞれ、一斉にアクションします。
ボールが当たって、誰かが歌をうたいはじめる、誰かが柔道のふりをする、誰かが「ライナーノーツ」と言う。誰かは机の下に隠れている。次のボールが当たって、また次のアクションがはじまる、というような、とっちらかっていて面白いものでしたが、これはなかなかうまく言い表せません。
※2010.12.20 訂正
参加者人数を間違えていましたので、訂正しました。
<br /><a href='file/large/1_1292125107_0.JPG'><img src='file/thumb/1_1292125107_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292125303_1.jpg'><img src='file/thumb/1_1292125303_1.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292123140_2.jpg'><img src='file/thumb/1_1292123140_2.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292123144_3.jpg'><img src='file/thumb/1_1292123144_3.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292123149_4.JPG'><img src='file/thumb/1_1292123149_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292123154_5.jpg'><img src='file/thumb/1_1292123154_5.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292123159_6.JPG'><img src='file/thumb/1_1292123159_6.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292122030_7.jpg'><img src='file/thumb/1_1292122030_7.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292122035_8.jpg'><img src='file/thumb/1_1292122035_8.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292122040_9.jpg'><img src='file/thumb/1_1292122040_9.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292122044_10.jpg'><img src='file/thumb/1_1292122044_10.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292122049_11.jpg'><img src='file/thumb/1_1292122049_11.jpg' alt='' /></a><br /><br />
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2010-12-11T11:20:06+09:00
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米子匡司
【連載記事】台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき
http://yosomi.jp/article.php?id=123
<h2>台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-12-11 20:20:06</p>犬島は、岡山からすぐ近くの小さな島です。
どのくらい小さいかというと、歩いて回って1時間ぐらい。
ほかの瀬戸内海の島と同じように、大阪城の石垣の切り出し場にもなった島で、大阪城の石垣といえば思い起こすのは各地に時々散らばっている残念石だけど(運ぶ途中に落ちてしまって石垣になれなかった。残念。)残念石の話はともかく、犬島には今でも岩がゴロゴロと多くて。
岩のほかにも、島の中には明治・大正頃に使われていたという銅の製錬所の建物や煙突が残っていて、維新派のセットはその景色と一体になって組み立てられています。
客席もステージも含めた野外劇場自体がこのために組み上げられた大きなセットで、木材で組まれたたジェットコースターみたいな傾斜のスロープを歩いて、客席が段々になっているその一番上まで登って客席につくと、もう演劇がはじまる前から状況ははじまっているようです。
僕は演劇をみる事がほとんどなく、維新派の演劇を見るのもこれがはじめてで。
維新派について具体的なイメージを持っていたわけではなかったけれど、公演がはじまってみると、ともかく予想外のエンターテインメントだったので驚きました。具体的なイメージは持ってなかったけど、なんとなく維新派というのにはアングラとか、そういったキーワードが関連しているように思い込んでいたからです。
夜、まだ辺りが見えるぐらいの明るさから、暗くなるのに合せてセットの照明がつき、前半の舞台は音楽コンサートのように歌がずっと続きます。
この形式が、維新派が確立してヂャンヂャンオペラと名前をつけているものだ、という事すら帰ってきてから人に教えてもらったんだけど、なんかほんとに、心地よく構成されたエンターテインメントでした。集中力を切らさないようにもなっているし、見てて困る事が何もありません。
2曲目の歌が気に入って、印象に残っています。
みずたまり みずたまり みずたまり みずたまり
というような歌詞です。
芝居には、テーマとしているアジアや20世紀や島のフレーバーだけがあって、瞬間的に美しかったり、謎めいていたりして、中空のまま音楽だけが流れています。
今まで演劇を見た時にまず困るのは、枕もなく突然にはじまるその設定だったり、舞台上で演劇的な喋り方をしている人たちへの違和感で、それでいくと今回の演劇も(特に口語的な表現や普段と変わらない喋り方を意識したものではなくて)登場人物たちは演劇的に話しているんだけど、しかしなぜか抵抗感はあまりなくて。
なぜかと考えるに、たぶんセットの実在と、それによる説得力がすごいからかと思います。
せっかくずっと中空で、そこにもかしこにもフレーバーだけが漂っていて心地よかったのに、最後にはヒョコっと霧を晴らすようにストーリーが出てきたのが僕にはうまく処理できなくて、それだけが残念でした。あと、クライマックスはワーっとなって終わったんですが、そのワーの高揚感、快感が、どうも僕には強すぎてムズムズしました。
維新派の公演は出店の屋台やライブが有名で、そこには大勢の人が関わっていて、そういう大勢の人が関わる状況ってどうやって作られているのだろうと気にかかり。このとても多くの人の関わる祝祭空間を作り出すには、できごとは中空で無いといけないのかもしれなくて、その辺りの事はもう少し考えてみるべき点のように思いました。
<br /><a href='file/large/1_1292962455_0.JPG'><img src='file/thumb/1_1292962455_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292962460_1.JPG'><img src='file/thumb/1_1292962460_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292962465_2.JPG'><img src='file/thumb/1_1292962465_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292962470_3.JPG'><img src='file/thumb/1_1292962470_3.JPG' alt='' /></a><br />,<br /><a href='file/large/1_1292962475_4.JPG'><img src='file/thumb/1_1292962475_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292962479_5.JPG'><img src='file/thumb/1_1292962479_5.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292963550_6.JPG'><img src='file/thumb/1_1292963550_6.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-12-10T09:00:25+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【連載記事】地ノ味をながめる / 夏池風冴
http://yosomi.jp/article.php?id=120
<h2>地ノ味をながめる / 夏池風冴</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-12-10 18:00:25</p>京都・上桂のスペース、Collective Parasol にて、夏池風冴さんの展覧会『地の味をながめる』を見ました。夏池さんという方の事は全く知らなくて、たまたま目にしたものです。
Collective Parasolは、住宅地の一階にある一室だけのスペースです。そのまま八百屋や魚屋が入っていそうな場所とサイズで、入り口は、通りに向けて全面ガラスの引戸になっています。
ホワイトキューブというわけでもないけれどフラットな部屋ではあって、床は藍色一色に染まっていて、なんというか、塾みたいな白い壁紙がついています。
見聞きした事について書く、というコンセプトのウェブマガジンでなんなんですが、どうも状況の描写をするというのが苦手で。一回見にいってもらえたら良いんですが、そういうわけにもいかないし、そもそも残念ながら12月3日〜5日の3日間で終わってしまったようです。
小説を読んでても状況の描写がきちんとしてるのと、もう一つよくわからんのとありますよね。
でも、この展示については、状況はすごく簡単なものです。
部屋には主に写真を展示してあって、入ってすぐに以下の文章があります。
---
地の味をながめる
誰かが育てていた植物は枯れてしまって、その後に
空気と、そこにあったものとのかかわりと、出来事の中から、
この場所ではこういうものが発生してくる。
全ての場所が持つ個有性が、その上に現れる物に、影響を及ぼしていくことを
ながめることは、ものごとに対して普段と違う距離を取ることを味わう事だと思う。
---
壁には、どれも植木鉢やプランターから生えた雑草を撮影した、20点ほどの写真がかかっています。
ああこれは草やなあ、と思うところから、文章によるサジェスチョンによってこちらの視点の解像度をさっと切り替えられて、雑草がその鉢植えなどの環境によって、それぞれの形に定着して存在している状態を──そこには形状の妙があったり、いくらでもディテールに入る事ができて──心地よく眺められました。
どうもそうしてみると(植物が好きな方は、何を今さらと言うだろうけど)雑草というのは面白くて。どんな環境にあっても一定の使命的で絶対的なルールに沿って形を取っている様がどうも素晴らしい。無理して表現しようとすると擬人的になってしまって、健気だとか超然としてるとかいうような言いかたになってしまうんだろうけど、そんな風に言わなくても、なんともなく生えてるのがいいですね。
また、特に雑草には、簡単に人間の力が及んでしまうところ、写真の草は触ったり抜いたりできないので、その事も良かったのかもしれません。
植物を普段あまり眺めないもので、良い機会でした。
<br />
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2010-12-10T08:44:36+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【連載記事】砂時計
http://yosomi.jp/article.php?id=119
<h2>砂時計</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-12-10 17:44:36</p>中崎町にあるコモンカフェというカフェ/レストラン/イベントスペースのようなところで、砂時計を見ました。
砂時計は典型的に砂時計的な形をしたもので、ひっくり返すと、まず砂はくびれから落ちて底に跳ねて、壁までは届かないぐらいの半径でデタラメに飛び散っていきます。
後発の砂は、先客の砂とぶつかるために、だんだんと遠くまで飛ぶ事ができなくなり、やがて砂は中央からは少し距離を取って輪を描きはじめます。その半径は徐々に狭まって、ふとある瞬間から中心に山が作られはじめます。その瞬間ははっきり知覚できません。
山はある程度高くなると不規則に小さな雪崩を起こして、高さと半径を順番に広げていきます。
それらの状態が動的に遷移するのがとても気持ちよくて、何回でも見ていられました。
砂時計は一つ持っていた事があるんだけど、それはこういうふうに末広がりになっていなくて。
くびれの上下はストンと真っすぐ円筒になっていました。そのために砂の振る舞いが違って、こう興味を持たなかったのだろうと思います。
ただし、この砂時計はあかん事に、時々くびれにつまって砂が止まっていました。キッチンに置いてあったので、それはまずいと思います。
<br /><a href='file/large/1_1291972768_0.jpg'><img src='file/thumb/1_1291972768_0.jpg' alt='' /></a><br /><br />
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2010-12-05T16:48:37+09:00
http://yosomi.jp/
登久希子
【連載記事】公園で
http://yosomi.jp/article.php?id=118
<h2>公園で</h2><p class='author'>登久希子 / 2010-12-06 01:48:37</p>ただいま、ポーランドに滞在中。ワルシャワ市内のはずれのほうにブルドノ公園(Park Bródnowski)というところがあって、昨年から徐々に作品が設置されています。近隣に住む子どもやお年寄りが散歩しているような、のんびりした公園でとくに用事がなかったらわざわざ行かないようなところ。友人曰く、ワルシャワの果て。
この9月に新たに加わったKasia Przezwanskaの作品は、公園にもともとあるものに彼女がいつも使うような鮮やかな色彩を加えたもの。階段の側面など目に付きやすいところから、写真のような、下をみて歩いてなかったら見落としてしまいそうなアスファルトの割れ目まで、公園中にぽつりぽつりと点在している。ピンク色のは、クリストのミニチュアみたい。全部でいくつくらいペイントしたのか、本人も覚えていないらしい。
<br /><a href='file/large/4_1291567714_0.JPG'><img src='file/thumb/4_1291567714_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/4_1291567716_1.JPG'><img src='file/thumb/4_1291567716_1.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-11-30T16:21:02+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【連載記事】友達が少ないので一人でよく飲む
http://yosomi.jp/article.php?id=117
<h2>友達が少ないので一人でよく飲む</h2><p class='author'>山本握微 / 2010-12-01 01:21:02</p>アーケードのある商店街を歩いていると、両脇に賑わう店構えに情緒を感じるわけですが、しかしながら、それは氷山の一角に過ぎず、逆か、氷山であるならその底に過ぎなかったりも、ありうるわけですよね。ちまり、アーケードが覆うことで、実はそこそこ高いビルディングの二階辺りより上が、誰にも見えなくなる。一方、視覚的に露な一階、せいぜい二階ぐらいは、まるでそこまでしかありません的暢気な佇まいで、店など構えている。でも、ふとした瞬間、例えば、高架線路の電車に乗って車窓から商店街を眺めた時など、アーケードを突き抜けて天高く伸びるビルを見たとき、何だかもやもややもした気持ちになる。その空間では一体、何が行われているのか。利便性が高い立地ながらも、存在自体が外部から認知されにくいその場所で。何してるの。まあ、ただのマンションであるってことも多いけれど。
アーケードでなくとも。これはこの前、広島の破茶滅茶繁華歓楽街、薬研掘界隈で一週間ほど滞在した折、犇く雑居ビル群をひたすら歩き回りながら、きらびやかな門構えの各種おみせやさんに心を奪われながらも、薄暗い上空の方、曇りガラスに閉ざされた数多の部屋に、同じような印象を受ける。一体全体そんなところで、何があるのか。その部屋で、街の来訪者でなく、街の住人たちが、寛いでいるところを想像する。そんな部屋、ないと思うけど。そんな余裕も。でも、事務所でもなく、物置でもなく、まして誰かの私的な住居でなく、どうせ外部の人間には知りえないところ、わけのわからない空間が広がったりはしていないか。雑居ビル如きに、そんな余地はないのか。
建物は、普通、在処を明確にするためにある。よくわからんけど。郵便、という「機能」が詰まるところとしての郵便局、というのがある。外から誰でも確認できてしまう。でも、建物が建物を囲って隠してしまえば、それは、何だか、よほどおかしな空間として、成り立つような気がする。
四方を建物で囲まれてしまった建物、ってのが、日本にどれくらいあるんだろう?あるんだろうか?<br />
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2010-11-30T11:15:34+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】和光大学
http://yosomi.jp/article.php?id=116
<h2>和光大学</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-11-30 20:15:34</p>11月30日、夕方。
新宿から小田原線に乗って、鶴川駅で下車。
駅から住宅地を抜けて15分ほど歩き、会場の和光大学に到着しました。
学内では美術展のような催しが行われているらしくて、ところどころにそれらしい展示品があるものの、時間も遅いからかあまり人はいなくて。
大学の掲示板には、深夜校舎のテラスで騒いだ事で住民から強い苦情がきたとの注意の貼り紙(今後テラスの使用について考えます)や、サークルのお知らせ(みんな初心者からはじめました・空手部)、北朝鮮の韓国攻撃に関するポスター(北朝鮮の攻撃に断固抗議します)が貼られていて、まるで僕の想像する大学というものの見本のようです。
会場は、新しい校舎にある大きな食堂の机を端に寄せただけで作られていて、他に出演するグループのリハーサルが行われています。梅田哲也は道具を準備していて、テニスコーツは打ち合わせ中。
イベントは、出演者でもある和光大学の学生の方が企画しているらしく、進行の緩やかさだったり、会場の雰囲気だったり、なんとも大学のイベントらしい、とても牧歌的だけど、刹那的なところもある、穏やかなような不安なような空気が流れていて。
そんななか、先生らしい方が「それ、カメラ、ニコンですか。D5000ですか。僕もニコンです。ニコン仲間ですね」と話しかけてくれたものの、僕は全然カメラに詳しくないもので、それ以上話を続けられませんでした。
開場され、入って来たお客さんには学生の方が多いようでした。リハーサルから途切れなく、最初のバンドの演奏がはじまり、終わります。次の出演者は佐藤実さんという方で、同じ2つガラス管の共振周波数を増幅してフィードバックする、という説明を丁寧にされてから、じゃあやってみます、と演奏をはじめて。お話が落ち着いて上手なので、大学でもあるし、講義みたいな雰囲気でした。
佐藤さんの演奏が終わると、お客さんのうち10人程度の方が機材の仕組みを見に、彼に近づいて歓談していて、やはり何とも穏やかな雰囲気のイベントではあって、彼ら/彼女らはその流れのまま梅田哲也の設置している機材を見たり、音響機器を眺めたりしていて。
その空気が流れているまま、ふいにテニスコーツの何気ない演奏からはじまったテニスコーツ+梅田哲也のライブは、僕にとってはここのところ何度か見た彼ら3人のライブの中で一番良い内容でした。
ステージの無い会場では、その場所の空気はできごととは不可分で。そもそもステージがなければ、どこからどこまでが見るべきできごとかもわかりません。さきほど声をかけてくれたニコン仲間の先生は、随分テニスコーツに近づいて写真を撮られていて、彼を見えない事にするのも難しい。
その会場の空気に、この時のテニスコーツ+梅田哲也はすんなり混ざるでもなく、単に別の場所からたまたまやってきた、そう遠くない国から来た外国人ぐらいの距離感で、異物として淡々とパフォーマンスをはじめて、空気は行ったり来たりしながら徐々に混じり合っていくようでした。
最初、彼らは何ともアウェイに感じられたし──おそらくは、彼らのファンだったり、彼らの事をよく知っている人の割合は少なかったような気がします──そこに緊張感があって。
1時間ぐらいだったか、どうもちょっと長いパフォーマンスだったと思います。
テニスコーツは会場を横切りながら、時にはテーブルの下に隠れたり、少し離れた階段の方まで行ってしまったり、広い会場を使って演奏していて、梅田哲也は自分の楽器を演奏するほか、会場端に寄せられた机でバリケードを作ったり、照明を操作したり。
彼ら3人名義でのパフォーマンスについては、彼らが主体となって観客を呼び込んで遊びに巻き込むような、観客を同化するようなところがあって、その流れに彼我ともに乗れれば気持ちよく過ごせるし、乗れなければ退屈する、というような感想を持っていたんだけど、今回のパフォーマンスはまた違って、観客と同化せずに、でも時間の共有感はあるもので、僕にはとても良い時間でした。
※ライブ後に、年末の梅田哲也企画イベントの告知映像の撮影がありました。
その映像は、こちらで公開されています。
<a href="http://allnightoneone.blogspot.com/" target="_blank">http://allnightoneone.blogspot.com/</a>
<br /><a href='file/large/1_1292447897_0.JPG'><img src='file/thumb/1_1292447897_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292447500_1.JPG'><img src='file/thumb/1_1292447500_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292447504_2.JPG'><img src='file/thumb/1_1292447504_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292447822_3.JPG'><img src='file/thumb/1_1292447822_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292447514_4.JPG'><img src='file/thumb/1_1292447514_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292447518_5.jpg'><img src='file/thumb/1_1292447518_5.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292447523_6.jpg'><img src='file/thumb/1_1292447523_6.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292447527_7.jpg'><img src='file/thumb/1_1292447527_7.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292447532_8.jpg'><img src='file/thumb/1_1292447532_8.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292447536_9.jpg'><img src='file/thumb/1_1292447536_9.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1292447902_10.jpg'><img src='file/thumb/1_1292447902_10.jpg' alt='' /></a><br /><br />
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2010-11-28T04:08:45+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】アンサンブルズ・フェス
http://yosomi.jp/article.php?id=104
<h2>アンサンブルズ・フェス</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-11-28 13:08:45</p>12:10
12時より少し遅れて、10分ごろ開場した。
開場を待っていたのは100人ぐらい。
12時から18時までの長時間のコンサートということで、会場内の喫茶スペースなども行き来して、のんびり過ごす事が推奨されていて、出演者らも割合のんびりしている。
七尾旅人/カヒミカリィのお2人だけは演奏時間が告知されているけれど、他の出演者はいつどこで演奏が行われるのか発表されていない。
展示は全7室が連なっている。
YAMAHAの自動演奏ユニットのついた、ゆっくりと、音の鳴らないぐらい緩い打鍵で動いているグランドピアノがあって、その前で男の子がスーパーマリオブラザーズの曲をずっと口ずさんでいる。
ピアノの自動演奏は鍵盤が実際にへこむ。5度ぐらいの(片手の親指と小指ぐらいの)幅で鍵盤がへっこんで、なぜかその時だけとっさに、彼は鍵盤を押さえようとした。触っちゃいけないと言われているし、触らなかったけど。
13:00
会場内に戻った。缶をカラカラ地面にこすりつけている人が台車に乗って運ばれていく。和装の男性が尺八を演奏している。さきほどのピアノを大友さんが演奏している。
どこかでドラム演奏がはじまった。尺八はそちらと混ざる事にしたようだ。ジャズフルートみたいに軽快にえらくがっちりしたセッション。大友さんは台車に乗って低い鐘を鳴らしながら押されていく。
さきほどまでは、えらく吸い取られるような静的な展示だな、と思っていたけれど、一転してゆるやかで動的な音楽フェスになった。
急な変化に、ついていくのが難しい。心地良い場所を探して移動する。
尺八は童謡を演奏している。もみじ。
13:40
ドラム演奏に、梅田くんが手袋をつけた棒でからんだ。
さっきマリオを歌っていた男の子が、飛び出してきて棒を捕まえた。
14:00
いままでの演奏者はどこかに行って、七尾旅人やテニスコーツが、それぞれ離れた部屋で演奏をはじめた。
14:30
七尾旅人さんの部屋にほとんどの人が行っているので、人のいなくなった部屋で展示を聴く。
いくつもの小太鼓や、ターンテーブルや、ワイヤーが不規則に鳴って、心地よくなったところで七尾さんがお客を連れて移動してきた。なかなかいろんな人のいろんなタイミングが交錯する。今日はフェスティバルだから、展示を聴くにはもう一度来ないといけないみたい。
15:00
七尾さんは演奏しながら部屋を移動し続けている。コンサートの折り返し。
15:45
外に出てボヤボヤしていたら、テニスコーツ+梅田哲也がやってきた。
噴水前で、歌いながら縄跳びやなんかをして遊ぶ。
16:15
テニスコーツ+梅田哲也は七尾さんらと演奏中。
別の部屋では、尺八がカノンを演奏している。
テイクファイブに変わった。
それらのどちらからも離れた部屋で、遠くでいろんな音が鳴っているのを聴いていると心地よい。
16:30
イベントの関連で昨年行われたパレードの記録が流れている部屋があって、ブラスバンド、鼓笛隊、チンドン屋さん、民族楽器隊などのパレードと、それらのグループが大友良英さんの指揮で一緒に演奏しているシーンを見る。
16:45
カヒミカリィの演奏がはじまって、また展示が空く。
17:30
演奏が終わってしばらくして、大友良英、テニスコーツ、梅田哲也で最後のパフォーマンスがあった。
<br /><object classid='clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000' codebase='http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=9,0,0,0' width='474' height='356' id='movie' align='middle'><param name='allowScriptAccess' value='sameDomain' /><param name='allowFullScreen' value='true' /><param name='movie' value='http://yosomi.jp/swf/movie.swf' /><param name='FlashVars' value='key=IkSgoqkmfdg' /><param name='quality' value='high' /><param name='bgcolor' value='#000000' /><embed src='http://yosomi.jp/swf/movie.swf' quality='high' bgcolor='#000000' FlashVars='key=IkSgoqkmfdg' width='474' height='356' name='movie' align='middle' allowScriptAccess='sameDomain' allowFullScreen='true' type='application/x-shockwave-flash' pluginspage='http://www.macromedia.com/go/getflashplayer' /></object><br /><br /><a href='file/large/1_1290947712_0.JPG'><img src='file/thumb/1_1290947712_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1290947714_1.JPG'><img src='file/thumb/1_1290947714_1.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-11-26T07:11:47+09:00
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永田芳子
【連載記事】高柳恵里 「Little Prince」
http://yosomi.jp/article.php?id=103
<h2>高柳恵里 「Little Prince」</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-11-26 16:11:47</p>そろそろ毛玉の時期が来た。セーターはまだ薄手の物しか袖を通していないので大丈夫だが、ひざ掛けや座布団カバーには既にちまちまと出来始めている。生地が痛むので毛玉刈り機は使わない。何かのときに、まぁこんなもんかな、と思えるだけ指で毟る。丁寧な人はきちんと鋏で切るらしい。
高柳恵里さんの「Little Prince」という作品がある。2005年、大阪府立現代美術センターで行われたストック・コラボレーションvol.2という展覧会でSAI GALLERYが展示していた。その時見たきりなのでおぼろげになっているが、青い毛玉の毛足の部分を接着剤でいくつも留めて、確か円錐のような形だったかに仕立てた、ちいさな立体だ。
ほわほわの点で出来たそれは吹けば飛ぶようで、アクリルケースに守られた様子や稚さは可愛らしいような凛々しいような、なるほど、王子様かもしれないなと少し可笑しかった。それ以来毟った毛玉を見ると、王子様の素。と思ってしまう。
そういえば初対面の時に、一体どうしたのかというぐらい大量に毛玉の付いたセーターを着ている人がいた。あれだけあれば王子どころか、彼を襲う化け物だって作れるだろう。黒いセーターだったので色味もばっちりだ。今でも着ているのだろうか。もう化け物の素は落ちたろうか。<br />
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2010-11-11T16:38:32+09:00
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登久希子
【定点観測メモ/梅田哲也】あいちトリエンナーレ搬入録
http://yosomi.jp/article.php?id=102
<h2>あいちトリエンナーレ搬入録</h2><p class='author'>登久希子 / 2010-11-12 01:38:32</p>2010年8月16日晴れ
名古屋に到着したのはお昼の12時頃。
なんだかすごくお腹がすいていて、とりあえず何か食べてから行こうと、ふらふらお店を探す。暑いし、味噌カツって気分でもないし、あんかけパスタでもないよなあ、と名古屋駅と伏見周辺を歩きまわっているうちに、微妙に道に迷って軌道修正。
気付いたら、周りにあんまりお店もなくなってきてしまい、くやしまぎれに目に付いたインド・カレーのお店に入る。インドっぽい音楽のかわりにNHKがついているのは、サラリーマンが多いからか。カレーをたべながら、みんななんとなく「ゲゲゲの女房」をみている。
地図をたよりに、とある会社の倉庫をめざす。わたしがお邪魔したのは、3日目の制作現場。お盆休みでうまく連絡がとれなかったりしたせいで、その日の午前中からやっとスムーズに制作がすすみだしたとのこと。
現場となるのは、普段服飾系の会社の倉庫になっているところ。中に入って、まず目についたのは、マンホール。全部で四つあり、そのうちのひとつには、砂がいっぱいつまっている。梅田さんも、ふたを開けて驚いたそうだ。
倉庫は、半分くらいのところで白い壁によって仕切られている。
梅田さんとしては、この壁べつにいらないのだが、この場所を提供している会社的に必要らしい。壁のむこうには、山積みのダンボール、ディスプレイ棚、ヘルメットなどなど。
件の白い壁は、天井までは届いていないので、はしごにのぼったら、壁の向こう側がみえる。梅田さんは、壁の向こうのダンボールの山を押しのけて作品を仕掛ける。
天井近くにある巨大な空調のはしっこに、ちょこんとペットボトルがのっていて、なんだろう、作品か?と思ってたら、冷蔵庫がわりに梅田さんが置いたものだった。
その日の終わりのほうには、入り口の扉のうえに、五円玉がついたぴょこぴょこうごく何かよくわからないものを並べる。こっちは作品。梅田さんは五円玉が好きらしい。たしかに、穴のあいた硬貨って、実はめずらしいのでは。日本以外であんまりみかけたことがないかも…。
マンホールの蓋とかロープ張りとか、重かったり大きかったり空間全体にかかわる作業と、例のゆれる五円玉みたいな空間のなかのディテールを同時進行でつくりあげていく感じは、わたしには予測不可能。つぎはなに?とつねに思っていたような。もっとも、なにが大局的で、なにがディテールかというのは、わたしの印象で、梅田さんにはすべてが等価的に大事なのかも、とか、溝の掃除を手伝いながらふと考える。
梅田さんの作品のつくりかたはちょっとかわっていて、最初にこれ、というふうにできあがりを決めてしまわない。というのが、タイトル「反イメージ進法」にこめられた意味らしい。場所と相談しながらできあがっていくような感じ。たぶん、インスタレーション的な作品って、そういう側面が大きいと思うけど、梅田さんの場合はそこがもろに全面にでている感じ。はじめに場所とか空間がありき、なのだ。
それと、梅田さんの場合はライヴと展覧会のちがいも気になるところ。そのあたりを伺うと、展覧会はもっと時間をかけてゆっくり観てもらうものだけど、ライヴは観にきている人との一騎打ち的な感じとのこと。一騎打ちかあ。
半日ほどしかお邪魔できなかったので、出来上がりがまったくもって謎のまま会場をあとにしました!
<br /><a href='file/large/4_1289493512_0.JPG'><img src='file/thumb/4_1289493512_0.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-11-07T06:33:18+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【連載記事】本棚について
http://yosomi.jp/article.php?id=101
<h2>本棚について</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2010-11-07 15:33:18</p>FLOATにも図書館がある。いろんな人が持ち寄った、大量の本。来る人の、人とナリがなんとなく想像できる本棚。
ここ半年位関心を持ってるのが、本棚。
いや、半年と言わず数年だろうか。
本の内容というよりは、本が好き、本フェチなように思う。
そして、その本が収められている本棚にも関心がある。
写真は友人宅の本棚だが、この友人宅には、この容量の本棚があとふたつあり、あとカラーボックス3つ分の本がある。眺めているだけで楽しい。(12月にもうひとつ同じ容量の本棚が増えたらしい。)
彼女のすごいところは、その蔵書量と集め方にあって、気に入った作家の本をAmazonなどでで大人買いする。手に入る限りを。そして、本棚に並べる。しかも、できるだけ美しく。ちょうど行ったときも、私が1ヶ月前に薦めた作家の本達がピシッと揃っていて、彼女はまだ読んでいないのに、貸してくれた。
私は実家暮らしだけど、最近の「捨てるブーム」に乗っかって、結構処分してみた。でもまだまだある。カラーボックスの圧迫感が嫌でひとつ処分したので、床に直積みの本も大量にある。しかも、読んでいなかったり、半分読んで放置。いわゆる「積ん読」。
何しろ収納の乏しい家なくせに、本フェチなので捨てられない。
他人の本の収納方法と集め方に興味がある。
・・・
じつは、この記事は11月位に書いて、下書き保存していたものである。
今は1月3日。
我が家の狭い部屋には、そろそろどうにもこうにも本の置き場がなくなってきたので、ブロックに板を載せただけの簡易棚が増設された。自分の部屋に関しては、置ければ、それでいい。
FLOATには図書館と図書館の日があり、先日私は参加できなかったけど、余所見メンバーによるブックオンも開催された。今日たまたま入った喫茶店で、本特集の雑誌をいくつか見た。2011年読んでおくべきはコレ!って言う感じの。電子書籍がうんぬん言われてる時代でも、皆本が好きなんだなぁと思う。<br /><a href='file/large/3_1289111598_0.JPG'><img src='file/thumb/3_1289111598_0.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-11-03T15:41:07+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【定点観測メモ/梅田哲也】あいちトリエンナーレ搬出録
http://yosomi.jp/article.php?id=100
<h2>あいちトリエンナーレ搬出録</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2010-11-04 00:41:07</p>朝10時、梅田さんを車で迎えに行き、名阪道に乗って、名古屋へ向かう。伊賀インターで運転交代。伊賀には忍者だらけ。古い道である名阪道を昔よく使っていたそうで、名阪道沿いのB級スポット的廃墟やインターチェンジに詳しい。
名古屋に13時頃到着。鍵の受け渡しを待ちがてら、近くの定食屋さんで500円の定食をたべる。梅田さんは生姜焼き定食、私はすき焼き丼定食。名古屋の味。梅田さんはこの2ヶ月で友人の結婚式やライブなどで5回ほど来たので、名古屋名物は一通り食べつくした模様。でも、あんかけスパゲッティはまだみたいだ。
双葉ビルの方に鍵を開けてもらい、搬出作業開始。
壁の裏側には、スタッフ向けの細かい指示書。
施工屋さんが来て、金具を外したり、壁の解体を始める。ものの20分もかからず壁はきれいさっぱり解体され、施工屋さん達は去っていった。天井の金具やマンホールを外す作業を彼らも楽しんでいるようにみえた。
搬出作業はとてもあっさりしていた。
物を外して、回路を直して、軽く掃除して。
到着したのが13時、16時には鍵を締めて、豊田市へ向かった。
豊田市に向かいながら、豊田市美術館での展示の時の話をきく。17時までしか作業が出来なかった上、お酒を飲まない梅田さんは自転車で近所のシネコンに3回も映画を見に行っていたそうだ。車でちょうどその前を通ったけれど、結構距離がある。
豊田市美術館で「建築家」石上純也の個展をみる。学芸員の方にも話を伺いつつ、あいちトリエンナーレの話もする。
豊田市での展示でも使われ、今回の双葉ビルでも使われていた、マンホールの中から出てくるネオン管の「3」。あれは、アルテ・ポーヴェラの作家、マリオ・メルツの作品のレプリカだそうで、ちょうど豊田市美術館が作品購入検討のために使用したものを展示に使ったそうだ。
あいちトリエンナーレのボランティアスタッフさんは、当番で長い時間を双葉ビルで過ごすことになる。今回の梅田さんの作品の最も贅沢な作品鑑賞者ともいえる。2、3時間あの空間にいると様々な発見があったようだ。「この展示には0から4までの数字が隠されている」と言ったボランティアさんもいたそうだ。
記事編集中
<br /><a href='file/large/3_1289124340_0.JPG'><img src='file/thumb/3_1289124340_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288798860_1.JPG'><img src='file/thumb/3_1288798860_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288798861_2.JPG'><img src='file/thumb/3_1288798861_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288798861_3.JPG'><img src='file/thumb/3_1288798861_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288798862_4.JPG'><img src='file/thumb/3_1288798862_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288798863_5.JPG'><img src='file/thumb/3_1288798863_5.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288798864_6.JPG'><img src='file/thumb/3_1288798864_6.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288798865_7.JPG'><img src='file/thumb/3_1288798865_7.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288798866_8.JPG'><img src='file/thumb/3_1288798866_8.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288798867_9.JPG'><img src='file/thumb/3_1288798867_9.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1289126751_10.png'><img src='file/thumb/3_1289126751_10.png' alt='' /></a><br /><br />
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2010-11-03T12:45:18+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【定点観測メモ/梅田哲也】台所音楽 @Social Kitchen
http://yosomi.jp/article.php?id=99
<h2>台所音楽 @Social Kitchen</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2010-11-03 21:45:18</p>雨が降っていて、底冷えする京都。同志社大の裏手にある、Social Kitchenへ。ちょうど、梅田さんとテニスコーツのお二人は打ち合わせ&腹ごしらえ中。ドリンクをもらって、二階のライブスベースへ。
矩形を組み合わせた台の上には、スピーカーやファンなどおなじみの物が並ぶ。天井からは、ダンボール箱が釣ってある。
17時になり、ゆるやかにライブが始まる。
お客さんは30?40人ほど。ここに来る前に私は京都芸術センターのマレビトの会の公演を見に行っていたのだけど、そこでもみた顔が3人ほどいる(もちろん知らない人)。不思議な符合。
太いT字パイプで作られた楽器を3人が吹きはじめる。テニスコーツのさやさんは裸足。雨の音がだんだんと強まっていく。時折、窓を叩く梅田さん。ライブのお客さんの子どもの声まで取り込まれていく。
風邪気味だというテニスコーツの植野さんは、iPhoneでギターを弾いたりして楽しそう。
後ろに置いてあったホワイトボードに「第二部ブルース編」と書き込み、その後も「ソロ?」と書き、順番にソロをしようという無茶ぶりをする梅田さん。
梅田さん、さやさんも客席に座ってオーディエンスとなり、植野さんソロをしようとするも、途中で吹き出して笑い始めて中座。植野さんは風邪ひき気味。
休憩を挟んで第二部。
梅田さんとさやさんは例のT字管楽器でセッション。そこに、水のはいったコップをストローでぶくぶく言わせながら植野さん登場。お客さんの子どもと遊んでいる。雨音がさらに強まっていく。スピーカーの上で松ぼっくりが暴れる。
本番中にいろいろ決めているようだ。
吊るしてあったダンボール箱に入っていたコップが落ちてきても、気にしない。子どもの声。子どもに笑いかけ、話しかけるように歌うさやさん。落ちてきたコップでギターを弾く植野さん。LEDライトで二人をライティングする梅田さん。
偶発的なできごとがどんどん3人のペースに取り込まれていく。CDを聴くだけでは絶対に味わえない、独特のゆるくてやわらかい空気。このスペース、天気も関係してる。
終了後、来ていたお客さんにいろいろと質問を投げかけられる梅田さん。
「感電したりしないんですか?」と聞かれている。
個人的な話。休憩時間にトイレで並んでいた女の子に思わず話しかけてしまった私。ほんわかしたした雰囲気の女の子だったので、テニスコーツファンなのか、梅田哲也ファンなのか、はたまたこのスペースのファンなのか気になって。
東京から展示の搬入の為に来ていたそうで、テニスコーツのライブを何度かみていて、東京でのテニスコーツ×梅田哲也のライブを見て、その空気感にはまったそうな。テニスコーツのふたりにいつもお菓子を渡しているらしい。
テニスコーツ×梅田哲也を初めてみた時には、「後ろでいろいろやってる梅田さんのことは、スタッフの人が何か準備をしてるのかと思っていた。音の発生源が最初はどこかわからなかった。いろんな音を出しているのが梅田さんと知ったときは驚いた。」らしい。
終わったあと、ARTZONEスタッフと年末イベントの打ち合わせ。
<br /><a href='file/large/3_1288788281_0.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788281_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788284_1.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788284_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788285_2.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788285_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788288_3.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788288_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788292_4.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788292_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788292_5.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788292_5.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788296_6.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788296_6.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788299_7.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788299_7.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788302_8.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788302_8.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788306_9.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788306_9.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788306_10.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788306_10.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788310_11.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788310_11.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788313_12.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788313_12.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788317_13.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788317_13.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1288788318_14.JPG'><img src='file/thumb/3_1288788318_14.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-11-02T19:35:39+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】ARTZONE 設置準備 8月
http://yosomi.jp/article.php?id=95
<h2>ARTZONE 設置準備 8月</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-11-03 04:35:39</p>20時ARTZONE。
会期未定の個展に向けた、デッドスペースを利用した展示の企画。
展示会場は四面に白い壁のあるギャラリーで、元来の構造に後から壁を付けているために、いくつかの壁の後ろにはデッドスペースがある。
入り口すぐには、試着室ほど大きさの小部屋がある。以前この場所は無印良品の店舗で、そこは実際に試着室だったそうだ。
彼はまず、その試着室にオブジェクトを設置しようとしている。ほかにもいくつかのポイントは、下見の時に目をつけてあった。
幅の計算が違っていたそうで、棒が長くて入れにくい。
忘れたワイヤーの代わりを、天井から見つけ出して使う。ともかくあまり手を止めない。人が見ているからかもしれないけれど。
夜遅く、買い出しに出た。
ミニストップの前で「ハロハロがあるよ、コーラだよ」と、コーラのフローズンにソフトクリームとドンパッチが入った食べ物を買って食べている。
「少し眠くなってきた」と言うので、何か楽しい話をしようと促すと「もうすぐベストキッドが公開されるね」と言った。よく映画の話をする人だ。
共通の知人の話から、サウンドアートについて少し話す。知らないことをいくつか聞いた。
ギャラリーのスタッフは隣の部屋で眠っている。
彼はどうもバランスのいい人で、バランスが良いというのは特筆すべき特性だと考えさせられる。
軸足がなくてバランスだけ取ろうとしてもうまくいかない。先に軸足は定めていて、他にも気を配ろうとしているように思える。そこまでならきっと、特筆すべき事ではなくて、誰でもそう行動するしかないのかと思うけれど、彼にはまだもう少し気が利いているところがある。
彼がある人物の事を評して「あの人は他の人の事に興味がないんじゃないか」みたいなことを言っていたことがある。たしかに彼自身はそうじゃない。没頭していても他の事に興味を持っているし、そうでないとできない事をやっている。
なんというか、外に対して内向きなアプローチをしているような印象を持った。おそらく、そのためには外側を理解しようとする必要がある。
朝、電車が動くまで作業して、京橋で別れた。
<br /><a href='file/large/1_1288786313_0.JPG'><img src='file/thumb/1_1288786313_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288786318_1.JPG'><img src='file/thumb/1_1288786318_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288786323_2.JPG'><img src='file/thumb/1_1288786323_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288786328_3.JPG'><img src='file/thumb/1_1288786328_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288786332_4.JPG'><img src='file/thumb/1_1288786332_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288786336_5.JPG'><img src='file/thumb/1_1288786336_5.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288786341_6.JPG'><img src='file/thumb/1_1288786341_6.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288786346_7.JPG'><img src='file/thumb/1_1288786346_7.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288786350_8.JPG'><img src='file/thumb/1_1288786350_8.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288786354_9.JPG'><img src='file/thumb/1_1288786354_9.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-10-31T23:50:00+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【定点観測メモ/梅田哲也】あいちトリエンナーレ搬入録・その2
http://yosomi.jp/article.php?id=92
<h2>あいちトリエンナーレ搬入録・その2</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2010-11-01 08:50:00</p> 搬入最終日、内覧会前日。午後に名古屋に到着。今日は余所見班の米子さんもいる。
初日はまだ荷物をといて会場内のマンホールを開けて、という段階で、何もなかったけれど、さすが搬入最終日。奥の壁や天井にロープがはりめぐらされ、それぞれが相関関係を生み出し、マンホールの蓋が揺れ、時間差でタオルが顔を出したりする、梅田流空間になっていた。初日に格闘したマンホールは結局開かず。
おつかいを頼まれた部品でシャッターの仕掛けづくりをする。タオルの水のしたたり具合などが気になるそうで、何度も微調整。開けてある手前のマンホールにためた水をポンプで入れ替えたりする。
その後、キュレーターの方が草間プリウスで颯爽と現れ、風船とモーターの小品をトリエンナーレの拠点でもあるATカフェにも置いてはどうか、という話になり、19時頃から取り付けに向かう。ATカフェまでは徒歩5分位。なんだかんだで二往復ぐらいしたのだけど、取り付け位置のバランスや人の動線との兼ね合いから、結局設置はやめることに。ATカフェも前日ということでばたばたしている。設置相談中に風船が割れて、スタッフの人達は驚いていたけど、梅田さんはもはや全く気にしない。ATカフェでバタバタしてる間、オートロックということで鍵をしっかりしめたハズの展示会場だったが、シャッターの自動開閉の仕掛けだけが作動していたようだ。セキュリティ的には申し訳ないけれど、たまたまビルの前を通った人に、夜の21時に自動で開閉するシャッター、ゆれるマンホールのふた、タオルなんかはどんな風にうつったのだろう。
ATカフェから戻ってきて、微調整や荷物の整理、掃除などをして、搬入完了。夜1時。お疲れ様でした!
近くの味噌煮込みうどん屋で晩ごはん。夜の1時過ぎても開いてるって、もはや深夜のラーメン感覚なんだろうか。
※画像は後日<br />
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2010-10-31T23:36:24+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【定点観測メモ/梅田哲也】あいちトリエンナーレ搬入録・その1
http://yosomi.jp/article.php?id=91
<h2>あいちトリエンナーレ搬入録・その1</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2010-11-01 08:36:24</p> 今日からあいちトリエンナーレの搬入がはじまる。東北旅行に行っていた私は、その足で夕方、愛知に立ち寄った。会場となる双葉ビルは、伏見駅から歩いて少し、名古屋市科学館の球体を望む場所にある。
到着したときは、ちょうど会場となる倉庫が片付けられ、いくつかのマンホールの蓋があけられていた。梅田さんとボランティアの方は、会場奥の扉下のマンホールをどうにかしてあけようとしているところだった。どうやら、よっぽど塞ぎたかったのか、縁をわざわざパテのようなもので埋めてある。他のマンホールも、砂がつまっている部分がある。果たして、ここには何があるのか…3人で格闘する。
埒があかず、ホームセンターにバール等その他必要品を買いに行く。愛知にはあまりないようだけど、関西人にとっては、やっぱりコーナンPROは聖地のように感じられる。帰ってきて、再度挑戦するも、やはり太刀打ちできず…
縁のパテはだいぶとれて、おそらく作業者の期待のためか、若干動いたように感じて一喜一憂するも、やはり開かず。いったいここには何が埋まっていて、なぜ埋められたのか、そして、どんな締め方と埋め方をすればこんなに開かないマンホールになるのか…
電車の時間があったので、最後まで見届けられず。後日、結局開かなかったというのを聞いて、ますます中身が気になってしまった所存。
※画像は後日<br />
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2010-10-29T14:34:49+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】テニスコーツ+梅田哲也 in 名古屋
http://yosomi.jp/article.php?id=90
<h2>テニスコーツ+梅田哲也 in 名古屋</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-10-29 23:34:49</p>17時40分、二葉ビル着。
梅田くんの展示再訪。しかし、あまりゆっくりと見られなかった。
蚊取り線香が増えている。短い時間にしてはたくさんの来客がある。
18時20分、AT cafe。
テニスコーツは打ち合わせ中、梅田くんは準備中。
会場は地下の真っ白な部屋。角に流し台がある。
風船とファン、ドライヤー、青いマル(○×で答えを教えてくれるドラえもんの道具みたいな)、台車と水槽、まわるスピーカー、愛知トリエンナーレの矢印。
開場は18時30分の予定。ちょっと空気がピリっとしているみたいに感じる。
18時30分開場。
19時25分、会場に戻ってくるとすでに何とない演奏がはじまっていた。
演奏に重ねて、スタッフのアナウンスが入った。
演奏はアンプラグド(大きなアンプを使わずに、楽器から出てくる音だけ)だった。
テニスコーツはキーボード+歌、ギターの編成の2人のグループで、それぞれ一人一人は、できるだけ細い線を描くように演奏しているように聴こえる。音は埋め尽くされなくて、まとまってしまわない。
梅田哲也は扇風機や、照明を演奏している。照明の明滅と同期して、ラジオノイズのような音が鳴る。
2人がある程度の距離を保っていて、そこに加わる梅田哲也にも音楽的な空間は広く残っている。
ライブパフォーマンスとしての軸は、まずは自分たちの曲を演奏するテニスコーツにあって、そこを梅田哲也が撹乱する、という風にも見ようと思えば見える。けれど、もう少し独立した3者のように捉えられると気持ちが良い。
曲が2曲演奏された終わりに、梅田哲也が「ブレーカーを飛ばしちゃった」と言った。そういえば、しばらく前から電気が消えて、ペンライトで影を作ったりしている。
ステージの段差がない会場は、演奏者と観客の精神的な距離が近い。演奏者の空気が途切れずに流れてくる。なんか変な間があって、10分休憩となった。ブレーカーを復帰する。
ステージには色んな要素があって、音はもちろん鳴っているし、歌があるので歌詞もある、色んなオブジェクトが動いている。3人の見た目もある、電気が明滅して影ができる。
どんなライブパフォーマンスでも、ステージにいる人たちの関係が見え隠れする事はあるけれど、今日のパフォーマンスは、ずいぶんはっきりと関係がパフォーマンスの中に乗っていた。
「曲変えてもいいですよ」「それは時間かかるって事ですか?」「いや、そうじゃないけど、もっとノリの良いヤツ」というような会話から関係が音楽に乗る。ステージで見ると,なんかヒソヒソ耳打ちなんかしてると打ち合わせ不足なのかと見えるけれど、会話がパフォーマンスに乗っていると関係も観客に作用する。
梅田くんは大縄跳びをまわしはじめて、テニスコーツ植野隆司さんがギターを弾きながら跳んだ。
良いライブでした。
<br /><a href='file/large/1_1288379725_0.JPG'><img src='file/thumb/1_1288379725_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288379729_1.JPG'><img src='file/thumb/1_1288379729_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288379734_2.JPG'><img src='file/thumb/1_1288379734_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288379738_3.JPG'><img src='file/thumb/1_1288379738_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/'><img src='file/thumb/' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288380499_5.JPG'><img src='file/thumb/1_1288380499_5.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288379747_6.JPG'><img src='file/thumb/1_1288379747_6.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288379752_7.JPG'><img src='file/thumb/1_1288379752_7.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288379756_8.JPG'><img src='file/thumb/1_1288379756_8.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288381796_9.jpg'><img src='file/thumb/1_1288381796_9.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288379760_10.JPG'><img src='file/thumb/1_1288379760_10.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288379765_11.JPG'><img src='file/thumb/1_1288379765_11.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1288380504_12.JPG'><img src='file/thumb/1_1288380504_12.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-10-26T10:43:58+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【連載記事】再生ボタンフェチ
http://yosomi.jp/article.php?id=89
<h2>再生ボタンフェチ</h2><p class='author'>境隼人 / 2010-10-26 19:43:58</p>Oval Japan tour 2010 @ 京都メトロ
マックをまさぐるマーカス・ポップの顔が面白くて見入ってしまった。
楽器の演奏と違って、いや、ラップトップを楽器と考えたときには、トラックプログラムの再生とかコントロールがライブ演奏ということになるのだろうから、必然的にその少ない運動に演奏性の様なものが宿り集中するのだろう。ともすれば楽曲の展開に呼応する、またフロアに対するスイッチングによるモードチェンジというのは、特別な気持ちよさがあるに違いない。Enterキーを意味なく「パチン」と叩くような。世界観が変わるようなプログラムが走り出すような。えー。
特にダンスミュージックという趣でもないので、フロアに棒立ちしながらマーカスのアヘ顔を凝視し、飛躍した妄想で過ごした。なんかごめんマーカス。
これは私のラップトップ演奏に対する偏見でしかないのだけれど、ラップトップでのライブステージやDJというのはいつも、どこを見ていてよいやらと悩む。コンピューターでの演奏、というところが私には技術的にも視覚的にもよくわからないので、どうしてもステージ上でのフィジカルな反応やパフォーマンス性に、ライブ感、的なものを探してしまう。
物販でアルバムを買って帰る。
再生ボタンを押すのを楽しみにしている。
<br /><a href='file/large/8_1288089835_0.JPG'><img src='file/thumb/8_1288089835_0.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-10-23T03:03:28+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】Out of Place 2日目
http://yosomi.jp/article.php?id=88
<h2>Out of Place 2日目</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-10-23 12:03:28</p>9時起床。ホテル近くの店で朝食を食べる。プルコギ。3日連続プルコギを食べているらしい。食事はどれもおいしい。
ホテルとアートセンターの間には川が流れていて、付け替えか何かの工事をしている。
商店街を散策する。登り坂に、食品や雑貨の店が続いている。
おもちゃと文具の店で、幼稚園児ぐらいの子供のおしゃれな制服を集めた。ウインターコレクション2010、という本があって、誰が読むんだろうと話す。彼は大きめのネオジム磁石(1つ1000ウォン)を買った。
外国に来ると,知っている人がいないところが良い、というような事を話す。11時ごろホテルに帰る。
12時過ぎにホテルを出て、アートセンターへ。
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2010-10-22T15:57:48+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】Out of Place 1日目
http://yosomi.jp/article.php?id=87
<h2>Out of Place 1日目</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-10-23 00:57:48</p>14時gimpo空港着。15時にsuwon行きのバスに乗って、16事半にsuwon着。タクシーに乗ってナム・ジュン・パイク・アートセンターまで。
タクシーの運転手さんは日本語を話してくれたけど、ナム・ジュン・パイク・アートセンターと言っても伝わらなかった。観光案内に聞くと、ペク・ナム・ジュン・アートセンターと言えと言われる。
17時アートセンター着。梅田くんは水曜日から現地入りしていて、設置はほぼ完了している。天井からつり下げられた缶。風船、電球、その他の物品。
1面には常設らしい展示がある。彼は調子が良さそうに見える。
18時過ぎ開場、開演。観客には子供が多い。
ほぼ真っ暗な中で、アートセンターのキュレーターからのアナウンス。アナウンスの内容は韓国語でわからない。
風船が回転して、羽が金網を叩いて、電球が明滅して、彼は会場を動き回ってアクションが多い。
会場にはいくつものオブジェクトが準備してあって、わりあい速いテンポで出来事が続いていくように感じる。
何か出来事が起こったり、変化する時、たいてい起こる事は重い物が重いがゆえに落ちるような現象で、そこに彼の行為を意識しない事が多いけれど、今日はいつもよりフィジカルな印象を受けるパフォーマンスだった。
<br /><a href='file/large/1_1287764629_0.JPG'><img src='file/thumb/1_1287764629_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287771266_1.JPG'><img src='file/thumb/1_1287771266_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287763785_2.JPG'><img src='file/thumb/1_1287763785_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287771270_3.JPG'><img src='file/thumb/1_1287771270_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287763974_4.JPG'><img src='file/thumb/1_1287763974_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287764634_5.JPG'><img src='file/thumb/1_1287764634_5.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287763799_6.JPG'><img src='file/thumb/1_1287763799_6.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287763014_7.JPG'><img src='file/thumb/1_1287763014_7.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287763019_8.jpg'><img src='file/thumb/1_1287763019_8.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287763024_9.JPG'><img src='file/thumb/1_1287763024_9.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287763029_10.JPG'><img src='file/thumb/1_1287763029_10.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287763034_11.JPG'><img src='file/thumb/1_1287763034_11.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287763039_12.JPG'><img src='file/thumb/1_1287763039_12.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287763044_13.JPG'><img src='file/thumb/1_1287763044_13.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287763049_14.JPG'><img src='file/thumb/1_1287763049_14.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287763054_15.JPG'><img src='file/thumb/1_1287763054_15.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287771275_16.jpg'><img src='file/thumb/1_1287771275_16.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1287771279_17.JPG'><img src='file/thumb/1_1287771279_17.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-10-12T00:44:18+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【連載記事】草間さかえの描くところ
http://yosomi.jp/article.php?id=86
<h2>草間さかえの描くところ</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-10-12 09:44:18</p>大型古書店で、ずいぶんこのテの本が増えたなぁ、流行ってるのかなぁとBLコミックの棚を横目に歩いていたらひときわ地味な色合いの表紙が目にとまった。
「はつこいの死霊」という。興味を引いたので読んでみた。
小説にしろマンガにしろ恋愛物をあまり読んでこなかったので、そういう意味では良いのかどうか分からないが、なかなかトリッキーな話で面白い。なにより、この人の描く家が気に入った。
自分は今まで文化住宅やマンションといったシンプルな間取りの家にしか暮らした事がないので、一風変わった住居に憧れがある。このマンガの主人公はビル群の間にぽっかり取り残された集合住宅に1人きりで住んでいて、出入り自体は縁側からしている。正規の入り口らしい箇所もコマによっては描かれていて、その梁がアーチになっているのだ。こういうのにとても弱い。
例えば新梅田食堂街にあるYCという喫茶店によく行くのだが、その理由の半分は店のなかを横切るアーチと、変な造りに惹かれてのことで、まあ、それぐらい弱い。
作中、人物と同等の描線で表わされる家具や部屋の散らかり具合もかなり好みで、あらためてページごとにしげしげ眺めていると、ある日、本棚のところに「よくわからないネジ」が1本描かれているのを見つけて頭が冷えた。これは、いくらなんでもちょっと変だ。
作者は一体どういう人なんだと思ってインタビューを探して読むと着眼点が独特なようで、昔の革が鋲で留めてあるタイプの理髪椅子が描きたくて短編を1本仕立てたり、理容ハサミのベアリングについて語っていたりする。人物を立たせる背景のために、最初は地図を書くそうだ。
ネジで驚いてからというもの細かく見る癖がついた。その後も単行本を全部そろえてしまい、よく読み返すのだけれどもその度になにか見つけてしまうのではと思ってしまう。9月に出版された「地下鉄の犬」で、それほど大きくもないコマに脇役の女性の足元がでてくるのだけれど、そのパンプスのつま先、足の指が長いのか、甲革から付け根がすこしだけ覗いている様を発見したときにはなんと言っていいのか分からない気持ちになった。そして家には坪庭がある。<br />
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2010-10-12T00:33:15+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【連載記事】倉地久美夫と日比谷カタンの夜 覚え書き
http://yosomi.jp/article.php?id=85
<h2>倉地久美夫と日比谷カタンの夜 覚え書き</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-10-12 09:33:15</p>弾き語り二人のライブ。
倉地久美夫は何度かライブを観た事があり、CDも何枚かある。初めて聴いたのはオムニバス『誓い空しく』。声がとても恐かったので、実際に足を運ぶまで何年か間があった。今でも恐いが、気になるので仕方が無い。
カバーあり、朗読あり、インストあり、1曲ごとにチューニングが変わるので、そのつど曲についてのエピソードなどMCる(と、本人は言う)。ある日大型カメラ店と大型電気店が共同で便利なデジカメを開発・発売したCMソングを夢で見た、タクシー運転手との「相撲取りは移動が大変ですよね、大きいから」「鬼だったらもっと大変ですね」「角ありますしねー」といった会話から出来た等、少々拍子抜けするような話なのだが、そこから出来るものには、えもいわねぬ不穏さを感じる。曲の中で、関わりあう事物や妄想、何人ものひと、いくつもの時間が等価に現れるので、この人の頭の中はどうなってるんだろうと思うが、もし開けて見せてくれたとしても間違いなく遠慮する。見ないほうがいいような気がする。
日比谷カタンは初見。四谷シモンを連想させる名や、チラシの襦袢姿からアングラ耽美系のドロっと煮詰まった感じを予想していたけれど、意外とそうでもなかった。本人は劇場型、と言っていたが、合間の擬似マダムな振る舞いや、やけに笑いをとりにいったりする様子には若干のお茶の間感がある。演奏はざっくり書くとジプシージャズ風のギターにシャンソンが乗った感じ。酷い、または非道い(と字をあてて欲しいそうだ)歌詞の曲を唄うのだが、物語性があるので倉地久美夫を聞いていた時ほどかき回されることもなく、ショウとして楽しめた。<br />
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2010-10-12T00:29:15+09:00
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永田芳子
【連載記事】Terri Weifenbach写真集 「In Your Dreams」
http://yosomi.jp/article.php?id=84
<h2>Terri Weifenbach写真集 「In Your Dreams」</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-10-12 09:29:15</p>近視と乱視が混ざっていて、しかも左右でその具合が違うので視界はかなりボケている。不便といえばそうだが、コンタクトレンズを使うと、いろんな物がのべつまくなしに見えてしまう感じがやかましくて好きではない。それよりも、メガネをかけた際の「くっきりした所」「フレーム」「フレーム外のボケた所」の3種盛りのほうがよっぽどお気に入りだ。
そんなふうな事もあって、この人の、どの風景もぼんやりとしていて、たまにどこか1点だけピントの合った写真には親しみを覚えそうになる。ただ、自分の裸眼の景色はこんなにきれいだったかな、と思う。撮影場所が違う、と言われればそれまでだが、近視遠視乱視、それぞれに度合いが異なるなら、その人の視力に忠実な写真は撮れないのだろうか。よくよく探せばどこかにそんな作品もあるのだろうか。その目はどう見えないのだろう。<br />
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2010-09-29T18:26:14+09:00
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ひろゆりか
【定点観測メモ/梅田哲也】愛知の梅田さんの展示を再度見に行くはずが・・・
http://yosomi.jp/article.php?id=83
<h2>愛知の梅田さんの展示を再度見に行くはずが・・・</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2010-09-30 03:26:14</p> 9月26日日曜日。
見たい公演があったので、あいちトリエンナーレに再度足を運ぶ。まだ梅田さんの展示をみていない友人と共に、日曜日の午前中、展示開始間際に展示会場の双葉ビルの前を通る。先日、メンテナンスに行っていたようなので、何か変化があるかと思って楽しみにしていたけれど、会場前には、ピンクのTシャツのスタッフが2、3人携帯電話片手に大わらわ。どうやらシャッターが開かない模様。 嫌な予感がするなぁと思って、名古屋市美術館を見たあとに再訪したら、「調整中」の表示。
展示の一部として使われている大きいシャッターの方ではなく、人が出入りするシャッターの方が開かないそうな。次の日には見れるようになる、という説明を受けたけれど、こんなこともあるんだなぁとちょっとびっくり。鍵を忘れたのかな。
そのかわりなのか、朝にはなかった10月のモリリンビルとATカフェでのライブのお知らせが掲示されていた。まだトリエンナーレのHPにはUPされていない。運営も大変なんだろう。
(写真を撮るのをすっかり忘れていました。8月のあいちトリエンナーレの搬入の定点観測に関してはしばらくお待ちください。)<br />
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2010-09-25T16:07:45+09:00
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小田寛一郎
【連載記事】たこ焼き屋の庇
http://yosomi.jp/article.php?id=82
<h2>たこ焼き屋の庇</h2><p class='author'>小田寛一郎 / 2010-09-26 01:07:45</p>先日、近所のスーパーで買い物をして帰る途中、帰り道にある一坪ほどの敷地のプレハブ小屋のようなたこ焼き屋に寄りました。すでにおばちゃんがひとり待っていて、10分くらい待ってもらうけどいいか、とのこと。いま焼いているのはおばちゃんの分。別に急ぐ用もないので、待つことにして小屋の前のベンチに座る。一年くらいまえに出来たたこ焼き屋で、元はなんだったか、空き地だったような気がします。川沿いで、その川にかかる橋の横。バス道に面しているのでバス停も近く、スーパーも近い。小屋に庇がついていて、庇を支える支柱がなにかのパイプのようで、サイズやらなんやらの規格がプリントしてあり、庇じたいも土嚢のビニールのような素材。気になったのでおじさんに、この支柱は?と聞くと、おお、それね!水道のパイプなんですわ。すぐそこのロイヤル(ホームセンター)に売ってるやつ。角のジョイントもあるしね。とのこと。続けて、(庇を支える支柱の)パイプがささってる金具あるでしょ?これ旗たてるやつなんですわ。これに気づいた時はうれしくてね。とのこと。出来すぎちゃうか、とまで思ったらしい。この前は別のお客に、庇部分のパイプのたわんだカーブがいいですね、と言われたらしいが、それは勝手に重さに負けてたわんでるだけで、なんとかほめようとしてそこしか思いつかんかったんちゃうかな、とのこと。改めてその庇について説明すると、お店の建物の幅に合わせた長さのパイプが2本、それより短いパイプが2本、計4本をジョイントで繋いで土嚢みたいなビニールを張った横長の長方形の庇があり、その庇がどのように固定されているかというと、庇を構成する長い方のパイプの1本が屋根近くの壁についたフックのようなものにひっかかっていて、庇を構成する短い方の2本のパイプの屋根近くの壁から30センチくらいのところに金属のジョイントでそれぞれ支柱のパイプが固定されていて、その支柱のパイプがお店の壁についた旗を立てる用の金具にささっています。
たこ焼き屋のおじさんは、こういうのプロに頼むと高いやろ、と言いつつも、お金の問題もあるとはいえ、「工夫」を楽しんでいる感じがあります。この庇はすべてが「転用」でできていて、その転用のなかでいちばん鮮やかなのが、おじさんも言うとおり、旗を立てる用の金具を支柱を支える(建物の壁に水道パイプの支柱を固定する)金具として使ったことだと思います。庇を壁と支柱で支えるには「角度」がいるのですが、旗を立てるのにも「角度」が必要で(まっすぐ立ててしまうと風がない限りだらしなく垂れ下がります)、旗用の金具には角度がついています。また、旗をつける棒と水道パイプはどちらも「棒」状です。
おっ、こうしたらうまくいくんじゃないか?!とか、おっ、これはこうにも使えるんじゃないか?!というような思いつき、工夫は、人間に独自のものなんじゃないかと思います。もちろん人間以外にも、棒をつかって魚をおびき出す鳥や、棒をつかってアリを食べるアリクイや、くるみを車に轢かせて実を食べるカラスなどもいますが、自分の作り出した道具をさらに転用できるのは人間くらいだろうなと。それゆえ、その「工夫」の嬉しさ、喜び、というのは、人間に必要なものなのかなと思います。<br />
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2010-09-22T16:22:18+09:00
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ひろゆりか
【連載記事】『またもけだるい灰色のデルタデー』
http://yosomi.jp/article.php?id=80
<h2>『またもけだるい灰色のデルタデー』</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2010-09-23 01:22:18</p>
伊丹・アイホールに久しぶりに行ってきた。
アイホールは私の家からとても近くて、歩いて15分ほど。ダンサーや演劇をやってる友人とアイホール前でバッタリ会って「え なにしてるん?」「いや、地元やし」ということもしばしば起こる。アイホールで観劇する際にいつも見かける人や名前思い出せないけど顔は知ってるという人ともよく出会う。
今日はヤン・ファーブル『またもけだるい灰色のデルタデー』を見てきた。
ヤン・ファーブルというと、昆虫や血液などを用いたグロテスクで皮膚感覚をぞわっとさせるような美術作品を作る大御所、といった印象がある。今まで2、3回見たことある程度だったので、彼に関しての知識はほぼない状態で観た。
今回の公演は、事実上ヤン・ファーブル演出作品の関西初演となるらしく、観客層がいつもより濃かったように思われる。前述の「よく見かける人」や「顔は知ってる人」をたくさん見かけた。カンパニーメンバーによるアフタートークの際の質問者らの語り口を見ていると、美術や演劇の玄人だらけといった感じで、いつもの市井の素人くさい質問が飛ばないのが少し淋しくも感じた(ある公演で役者が全裸になった際のアフタートークで、市内に住む主婦から「恥ずかしくなかったですか?」というストレートな質問が飛んだことが印象的)。
ボビー・ジェントリーの「ビリー・ジョーの歌」という歌がこの作品の発想の源となっている。私はその歌を知らなかった。
ヤン・ファーブルは自身の経験や感情を元に作品をつくる。その制作過程は「上書き保存」の繰り返しで、開演の10分前まで変更することもあるという。アフタートークでカンパニー・メンバーの語った「彼は最後までカオス(混沌)を信じている」という言葉が印象に残っている。
さて、ヤン・ファーブルの作品を美術館でしか見たことのない私は、舞台作品もさぞエキセントリックでグロテスクで鳥肌が立ってしまうのだろう、と予想していた。フライヤーにある「激しく、挑発的な表現の多いファーブルにとっては異例ともいえる、ナイーブで美しく、…」という宣伝文句をあまり信じずに観始めた。
とても優しく、繊細な作品だった。
舞台上には炭鉱のイメージシンボルとして用いられた石炭の小山、そこを走る鉄道模型。それから天井から吊るされた10個の鳥かごと10匹のカナリア。アメリカ的な光景をバックに上手にロッキングチェアで手紙を見つめる、黄色いドレスの女性。現代的な要素と中世的な要素が入り混じる。
途中、「意外とエンターテイメント性が高いなぁ」と感じて、見たことあるものになるかな、と斜め目線で見ていたら、ある瞬間を境に急に引きこまれて、見たことのない、感じたことのないものへと変わった。どのあたりだっただろうか。
ソロダンサーのアルテミスがピンヒールのパンプスを放り投げ、セクシャルながらも明るく奔放に舞台を駆けまわる場面だったか、石炭の小山と鉄道模型で滑稽な遊びをする場面だったか、ビール瓶を下着の中に突っ込んで立ち小便を模倣して観客を湧かせた場面だったか… 何かの思い出をなぞるような、慈しむような、繊細な振り付けだったように思う。半裸になったダンサーが石炭の炭で自分の体を塗りたくり始めたときに、ようやく「そういえば、ヤン・ファーブルの演出だった」と思い出した。体に走った、あのワクワク、ぞくぞくする感じは、振付と衣装の賜物のように思う。同じような感覚は、数年前に同会場で黒田育世/SHOKUの公演で味わったことがある。まだ学校を出てまもないという若いアルテミスが、この情感あふれる振付で踊るからこそだったのかもしれない。
アフタートークの質問コーナーの際に、玄人っぽい観客からの「カナリアが鳴いていないように聞こえた」という質問に、ダンサーは驚きながら「すごく元気に鳴いていましたよ」と答えた。「鳴いていたカナリアが鳴いていないように見えてしまう…なんて逆説的な、、、うんぬんかんぬん(聞こえなかった)」という質問者。視覚情報に集中するあまり見えなく聴こえなくなっていたのだろうか。ちなみに、私の席(最後列・真ん中)からは、よく動くカナリアたちが見えていた(動物愛護団体に何か言われそうだと余計な心配までしてしまった)。これからはアフタートークなんかの質問者の観察をしても面白いかもしれない。
帰り際、散々迷った挙句、知り合いの学芸員さんと共に「おそらく今買わないと買わないだろう」と言って、戯曲集『変身のためのレクイエム』を買った。本作のテキストが掲載されていたのだが、こんなにセリフがあっただろうか、歌っていたから気付かなかったのだろうか。おそらく演出上、脚色も多少されているのだろう。15ページほどの詩文。これを舞台上でアルテミスが朗読し、詠う。
最後に、舞台上で終盤に読まれた一文を引用しておく。
観客それぞれに響く一文があるように思うが、私にはこれがこの作品を作った一番の理由のように感じられた。
「13:59
僕の出発を悲しい事件として受け止めないで
ありふれた体験として受け止めて
この場面に
もうずっと前から僕はここにたどりつきたかった
あらゆる演劇は
死の学習ではないか
(ヤン・ファーブル『変身のためのレクイエム』/書肆山田)」<br /><a href='file/large/3_1285172537_0.JPG'><img src='file/thumb/3_1285172537_0.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-09-15T09:20:58+09:00
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蛇谷りえ
【連載記事】岡山で弟たちとボートにのる
http://yosomi.jp/article.php?id=78
<h2>岡山で弟たちとボートにのる</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2010-09-15 18:20:58</p>
岡山城のすぐ近くに手こぎボートがレンタルできて、弟ら(小4と中1)と三人でとのる。
じりじりと日差しが強かったけど、川風が気持ちよかった。
三人ともボートを漕ぐのは初めてで、始めはきゃあきゃあ騒いでいたけれど、そろそろ暑いし帰りたいと思い、順番交代で漕ぐものの全然うまく進まなくて途方に暮れて、リタイアもよぎった。けれど、おもむろにこぼした「最後までやってみようよ」という言葉に、私と弟(小4)でオールを片方ずつ持って声を合わせて漕ぎ、一人は方向を確認して指示をする。
途中、手を動かしつつもだまりこんでいたので、体力も集中力も限界かなーと顔のぞきこんでみると弟(小4)は一点を見つめて無心に漕いでいて、何も話しかけられなかった。指示をしてる弟と2人で後少しや!と声を出して、遠くの方に目を向けて、見事にたどり着く。
この映像はまだ呑気に漕ぎ始めた頃のその弟の映像。<br /><object classid='clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000' codebase='http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=9,0,0,0' width='474' height='356' id='movie' align='middle'><param name='allowScriptAccess' value='sameDomain' /><param name='allowFullScreen' value='true' /><param name='movie' value='http://yosomi.jp/swf/movie.swf' /><param name='FlashVars' value='key=FHtFVefsaDI' /><param name='quality' value='high' /><param name='bgcolor' value='#000000' /><embed src='http://yosomi.jp/swf/movie.swf' quality='high' bgcolor='#000000' FlashVars='key=FHtFVefsaDI' width='474' height='356' name='movie' align='middle' allowScriptAccess='sameDomain' allowFullScreen='true' type='application/x-shockwave-flash' pluginspage='http://www.macromedia.com/go/getflashplayer' /></object><br /><br />
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2010-09-15T08:53:33+09:00
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蛇谷りえ
【連載記事】映画「the COVE」を観た。
http://yosomi.jp/article.php?id=77
<h2>映画「the COVE」を観た。</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2010-09-15 17:53:33</p>大阪九条にあるシネヌーヴォにて、「the COVE」を観る。
9月26日まで上映されているので、機会があれば是非。水曜日はレディースデイなのでラッキー。あらすじはざっくりしたままに私の感想として書き残す。
和歌山県の太地町でイルカ漁業が盛んで、くじら博物館などもあるほどくじら漁業も当たり前。そんな中、イルカを愛する人たちが「事実」を知るために乗り込む。まるで映画のようにドラマティックに。
イルカやくじらを観光として開かれている町なのに、ある特定のエリアには立ち入り禁止、撮影禁止の看板があること。太地町のイルカが全国、世界中の水族館などで売買されていること、日本人の一部の人がイルカを食べていること(そのことをほとんどの人が知らないこと。)など、イルカにまつわる「事実」が海外の学者、日本の水産省などの調査によって出てくる。
国際捕鯨委員会では、イルカは範囲外として規制されていないこと。クジラも調査を理由に捕まえてもいいことになっていること。いろんな事実。
立ち入り禁止のエリアに乗り込む際に、地元の漁業のおっちゃんたちがビデオカメラを片手に抵抗する。片言の英語と感情まじりの方言。それでも忍び込んで撮影に成功し真実を目の当たりにする。イルカを槍で殺すシーン。アメリカ映画のへなちょこな悪役のように映り込む日本人。日本人のおっちゃんたちの声はその映像に拾われることなく、一方的に悪い事実として見せつけられる。
おっちゃんたちのやってる行為は、おっちゃんたちの考えだけでもなく、日本だけの考えだけでもないもっと大きなサイクル、資本主義だとか、歴史とかそういった背景が問題なはずなのに、事実だけが問題化させてる。偏見。あまりもの偏見さに少し笑ってしまう。
映像ってほんとすごい。編集次第で攻撃できる。こっちサイドの映画ができたら是非観てみたい。
この映画のwebサイトには賛否両論なコメント集があって、その中で「なぜ、イルカの言葉が理解できる制作チームが、同じ人間のしゃべる言語を理解しようとしないのか?戦争はなくならないなと、永遠の絶望の崖っぷちにたたされました。」
<a href="http://thecove-2010.com/" target="_blank">http://thecove-2010.com/</a>より一部抜粋)
というのは、ほんとにそうで対話しようとも、理解しようともしない態度は怖かったです。
でも、こういう映像メディアは日本だけでなく、対象が中国だったり、朝鮮だったり、そのほかの国だったりするときもあるわけで、冷静に情報を捉えないとな、と考えさせられました。
また、イルカ漁業については機会があったら話を聞いてみたい。イルカ漁業に関わってる人はもちろん認識しているだろうし、いまのところ関わってない私はそれをどう捉えるだろうか。話はそれからになりそうです。<br />
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2010-09-13T14:08:37+09:00
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ひろゆりか
【定点観測メモ/梅田哲也】旧神戸生糸検査所
http://yosomi.jp/article.php?id=76
<h2>旧神戸生糸検査所</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2010-09-13 23:08:37</p>2010年9月4日16時から旧神戸生糸検査所で梅田さんのパフォーマンスがあると聞いて向かう。情報がほとんどなく、あるのは、梅田さんのHPの情報のみ。そこにある「※公開されている情報が見当たりませんが、我々は確実に赴くのでイベントはおこなわれるでしょう」という記述をたよりに16時少し前にたどり着く。
趣のある近代建築である検査所内を散策していると、ところどころでゲームやアニメのコスプレイヤーたちの撮影会に遭遇し、面食らう。どうやら【堀尾貞治+現場芸術集団「空気」 あたりまえのこと「同時空間四角連動」】という展示のパフォーマンス企画として、毎日16時から「何か」やるらしい。しかし、15分ほど所内を散策するも、肝心の会場が見つからない。どうしよう…と途方にくれかけたところで、梅田さんに入り口でばったり会う。入ってすぐの部屋が会場だった。他にも何人かがさまよっている。
やはりサインがない!ということで、その場でサインを制作、設置し始める出演者たち。
30人くらいの観客。
おなじみな人はすでに会場に来ているが、何人かは私と同じくさまよっていた模様。
坂出さんのサンポールを使ったパフォーマンス。
続いて、梅田さんのパフォーマンス。
実は、梅田さんのパフォーマンスを見るのは始めてだ。箒や缶、洗濯ばさみにタオル、おなじみの風船なんかが次々と現れ、淡々と始まる。
余談だけど、このボウルを貼り合わせたボール、てっきり梅田さんが使うものだと思っていたら。このあとの別の方の「はしっこからはしっこまで蹴りながら行って帰ってくる」というパフォーマンスに使われたものでした。
堀尾さんパフォーマンス。
最後には、たわしが動き出す。
このあと、場所を変えて「空気」の方々のパフォーマンス。変わらないこと、変わらないでいることの強さとおかしみを感じる。楽しい。
画用紙のビニール袋で作られた即席案内板。ビニールなので、中に空気が入り、風にはためく、まさに「空気」の案内板。
ノリノリだけど礼儀正しいコスプレイヤーさん達に「さっき何やってたんですか??」と声をかけられ、言葉に窮して「大人が子供みたいに楽しく遊ぶパフォーマンスライブ」と応えてしまった。
帰り際にも所内をもう一度散策してみたのだけど、やはり、どういう構造なのかいまいちつかめない。大きい。ところどころがアトリエになっている。これからここで何かするらしいという噂を聞いている。
それにしても、9月に入ったというのに、めちゃくちゃ蒸し暑い一日で、会場にいた全員のTシャツがぐっしょりだったことが一番記憶に残っている。
<br /><a href='file/large/3_1284835623_0.JPG'><img src='file/thumb/3_1284835623_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1284665480_1.JPG'><img src='file/thumb/3_1284665480_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1284665481_2.JPG'><img src='file/thumb/3_1284665481_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1284665482_3.jpg'><img src='file/thumb/3_1284665482_3.jpg' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1284665482_4.JPG'><img src='file/thumb/3_1284665482_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1284665483_5.JPG'><img src='file/thumb/3_1284665483_5.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1284665483_6.JPG'><img src='file/thumb/3_1284665483_6.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1284665484_7.JPG'><img src='file/thumb/3_1284665484_7.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1284665485_8.JPG'><img src='file/thumb/3_1284665485_8.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/3_1284665485_9.JPG'><img src='file/thumb/3_1284665485_9.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-09-09T11:14:20+09:00
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永田芳子
【連載記事】西條八十 著 「西條八十詩集」
http://yosomi.jp/article.php?id=75
<h2>西條八十 著 「西條八十詩集」</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-09-09 20:14:20</p>「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」で始まる「ぼくの帽子」や、近年ネットでおかしな噂になった「トミノの地獄」辺りが有名かと思われるが、今回取り上げるハルキ文庫版にはあいにくどちらも載っていない。
何かの本で「梯子」という詩が途中まで引用されていて続きを読みたくなった。その程度の興味だったので、選集という形がかえってありがたい。傾向は章によって変わるが、どのページをくっても黄金(きん)や銀、植物、獣に飾られて、書かれている風景が田舎や上野であってもどこか豪奢な印象がある。特に、詩集「砂金」のあたりはゴス趣味の人に薦めてみたいような気になる。
そうやって綺麗だなぁ、と読み進めていると後半、童謡の章で思わぬことになった。「毬と殿さま」という唄の歌詞なのだが、なぜかぐっときてしまった。内容は、どこかから飛んできた毬が行列を組んでいた殿様のかごに乗っかってしまい、そのまま一緒に紀州まで旅をして山のみかんになったげな、というものである。曲調もそこそこアップテンポで楽しげだ。正直なんでこれでぐっときてるのか分からない。しかもツボに入ったのが「金紋先箱供ぞろひ/お籠のそばには髭奴/毛槍をふりゝやつこらさのさ」というくだりである。通常ヒゲと泣きはそれが赤いか白いかの時に結びつくもんじゃないのか。おそらく髭奴はどんぐり眼ではないかと考える。ますます感動とかそういったアレとは遠ざかる。毛槍をふったからどうだ、と思う。鼻をぐしぐしいわせながら困るこちらとは関係なく、毬を膝に乗せた殿さまと従者の列は紀州へ向かう。絢爛な道具の数々と共に、遠目にはそれ自体おもちゃのように見えるだろう。<br />
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2010-09-09T06:27:40+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【連載記事】行列ランド
http://yosomi.jp/article.php?id=74
<h2>行列ランド</h2><p class='author'>境隼人 / 2010-09-09 15:27:40</p>ComicTreasur16
インテックス大阪4号館&5号館
先頭は開場何時間前から居たのかわからないけれど、30分前時点では屋根の外まで列が伸びていた。
何度目かわからないほど聞いた、この夏一番の暑さという言葉をあらためて噛み締める。コンクリート暑いよ。
不慣れでいまいち体力に自信がない自分に比べて、汗を流しながらもじっとカタログを睨んで、競馬新聞よろしく目当てのサークルの位置情報をチェックする人、夏コミ(C78)の話に盛り上がる人、日に射されながら一心不乱にラブプラスに興じる人、なぜか受験勉強してる人、など、ネタなのか本気なのかわからないけど皆並び慣れている(ように私には見える)上、無駄に元気。
お祭りとはいえ、ざっくり言って大半の人は買い物をする為に並んでいるのだと思うとやっぱり不思議な景色だと思う。
贔屓の作家が居るわけでも、目的の新刊が有るわけでもない私は、開場前から居る必要が無い、ということに並んでから気づいた。
以下、ぼんやり観察。
○入ってしまえばある程度ゆったりみれる
○ゾーニングは微妙
○整列マナーが共有されている
○並んでいると色んな人に話し掛けられる
○5号館は東方、けいおん各離島
○年季の入ったミリタリー、鉄、一般創作同人誌もコミック寄りに溶け込んでる印象
○企業ブースは空気
二次創作については割愛。
自分は暑さに完敗し、軽度の熱中症で早退。
翌日も部屋でおとなしくしていました。
なんか思い出したら追記するかもしれませn・・・
<br /><a href='file/large/8_1284013637_0.JPG'><img src='file/thumb/8_1284013637_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/8_1284013639_1.JPG'><img src='file/thumb/8_1284013639_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/8_1284013642_2.JPG'><img src='file/thumb/8_1284013642_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/8_1284013645_3.JPG'><img src='file/thumb/8_1284013645_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/8_1284013648_4.JPG'><img src='file/thumb/8_1284013648_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/8_1284013651_5.JPG'><img src='file/thumb/8_1284013651_5.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/8_1284013654_6.JPG'><img src='file/thumb/8_1284013654_6.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/8_1284013657_7.JPG'><img src='file/thumb/8_1284013657_7.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-09-08T15:42:25+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【連載記事】ひとりかくれんぼ
http://yosomi.jp/article.php?id=73
<h2>ひとりかくれんぼ</h2><p class='author'>小田寛一郎 / 2010-09-09 00:42:25</p>先日、彼女とはなしをしていたら、「ひとりかくれんぼ」という儀式、というか、「こっくりさん」のような怖い遊び、とでもいうようなことについて教えてもらいました。ネットで都市伝説について調べていたら出てきたそうです。
まず、ぬいぐるみを用意し、中身(綿?)をすべて取り除き、替わりに米を詰めます。その中に自分の身体の一部、たとえば髪など、を入れて閉じます。次に、水を張った浴槽にぬいぐるみを沈め、近くにカッターや包丁などの刃物を置きます。浴槽に沈んだぬいぐるみに向かって「わたしが隠れて、あなたが鬼」というような(うろ覚えらしいので、詳しく知りたい方は検索してみてください)宣言をして、家のなかのどこかに隠れます。その際、塩水を口に含んで、ぜったいに飲んだり吐き出したりしてはいけないそうです。この儀式(怖い遊び?)は、ぬいぐるみとかくれんぼをする、というよりも、儀式によって霊を集めるのが目的らしく、集まってきた霊の影響がわかりやすいように、テレビやラジオをつけておくとよいとのこと。かくれんぼを終えるときは、ぬいぐるみに口に含んだ塩水を吹きかけて「かくれんぼは終わり」だか「あなたの負け」だか、そういうような(うろ覚えらしいので詳しく知りたい方は検索してみてください)宣言をして、最後にぬいぐるみを焼くそうです。ああ、忘れていました。これらの儀式は丑三つ時に行う必要があるらしいです。
彼女のはなしによると、実際にやってみたレポートなんかもネットにはあるみたいです。そういうふうに実際やってみても怖いとは思うのですが、話を聞くだけでも十分怖いといいますか、実際にやるためのものというよりもむしろ「これこれこういう儀式がある」という話をするためのものなのかなと思います。もろもろの細かい手順を聞いていて思ったのは、この儀式・遊びにどのくらいの歴史があるのか分かりませんが、「儀式としてのもっともらしさ」の改良の過程が感じられるなあということです。「ひとりかくれんぼ」という儀式・遊びの「話」が伝播する過程でそれぞれに「もっともらしい」手順が追加されていったような感じがします。たとえば、ぬいぐるみを沈めた浴槽の近くに刃物を置く、とか。こうすることで、刃物を持ったぬいぐるみが迫ってくるような怖さが生まれます。裏を返せば、刃物を置くことに、儀式としてのもっともらしさ以外の意味はないように思えます。とすると、儀式っていうものはなにかの目的のための手段というよりも、それ自体が目的なんだろな、というごく当たり前のことに思い至りました。<br />
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2010-09-01T17:06:27+09:00
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ひろゆりか
【連載記事】なつやすみのしゅくだい
http://yosomi.jp/article.php?id=72
<h2>なつやすみのしゅくだい</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2010-09-02 02:06:27</p>私が余所見に参加しようと思ったのは、これまで自分の日記帳やメモ帖にとどめておいたものを出したいと思ったからであった。しかし、いざ公開しようか、となると、自分でも意外なほど遅筆であることに気づいた。下書きがたまっています。うむむ。
それでも、最近みたことあったことを何やかやと、書いていこうかと思います。さて、余所見において、私はどこへいくのか。
8月はいろんなことがあり、いろんな場所に行きました。
なので、これから数日、8月の出来事についてつらつらと書いていこうと思います。
大学5年生の夏休みの宿題です。
・梅田哲也さんのおうちに行って焼肉をしたこと
・京都精華大学の授業にもぐりこんだこと
・夏バテしたこと
・東北への一週間の旅行
・梅田さんのあいちトリエンナーレ搬入の観察と手伝いをしたこと
・おじいちゃんがうちに引っ越してきたこと
・それに伴い、自宅がカオスとなり、その上、私の部屋の模様替え計画を練りに練っている最中なこと。
・友人の図書館のような家に行ったこと
・人とのつながりや出来事がどんどんつながっていって、枝のようになってきたこと。
実は熱帯だったのではないかというぐらいの京都から、湿度80%でも涼しく感じる東北へ行き、そこから南下して東京、愛知へと下り、大阪に戻ってきた数日後、見事に熱中症になりました。テレビで「室内でも熱中症!」と言うているのはほんとです。
皆さま、お気をつけて。
(ところで、夏休みがいつまでなのかわりません。)<br />
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2010-08-31T06:39:39+09:00
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永田芳子
【連載記事】風邪
http://yosomi.jp/article.php?id=71
<h2>風邪</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-08-31 15:39:39</p>ここ数年風邪をひいていない。丈夫で結構、無事が何より。生活上問題は無いのだが、少し惜しいとも思う。熱を出すのが嫌いでないのだ。
熱といっても微熱とかのハンパなのではなく、39度ぐらいの高熱。体質なのかなんなのか、夏と冬に一度ずつ決まり毎のように出していた。確かにそれなりの消耗はするが、あれは面白い。予測のつかないところが敏感/鈍磨におもいっきりふれる。印象的な事を挙げると、まず話し声や電話といった日常音から意味がごっそり消えた。うっかりテレビなんかついていようもんなら、寝床でガタガタしながら大爆笑である。やたら抑揚のついた、でたらめにも程がある奇妙な音でしかないものがこれでもかと聴こえてくる。今思ったが、よく赤ん坊がガラガラなどのにぎやかなオモチャを相手に笑っているのはこの感じなのだろうか。育ってしまったのでもう分からない。
皮膚の感覚が微細になるのも独特だ。ふだん着慣れたパジャマの生地がひどく不躾に思える。汗をかくのに合わせて何度着替えても、ちりちりする。体も痛い。そのくせ甘ったるくふわふわして痛む場所が特定できない。熱いのに寒い、という矛盾もいっそダイナミックだ。
で、たいがいはよほど仕事が忙しいとか延ばせない予定があるとかでない限り、病院には行かない。薬も飲まない。もちろん程度を計りつつではあるが、経験上長くて3日ほどで治る。混乱が収まり、徐々に元の、にぶさで保持された体に戻っていく。
東洋医学に明るい知人に聞いたところ、風邪というのは疲れや季節に体が順応できていないとき、リセットするような現象なのだそうだ。とすれば、この何事もない数年はそれらに合わせていけているという事か。それとも、反応できないほど変化に鈍感になっているという事か。
重病と縁が無いからこんなのんきなことを言える、というのは重々承知しているつもりだと思っていたいが、もし後者だった場合、それは健康と呼べない気がする。それでなくとも人一倍うすらぼんやりしているのだし、ここはひとつ体側にがんばって頂いて、支障の際には思い知らせて欲しいもんである。<br />
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2010-08-31T06:24:41+09:00
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永田芳子
【連載記事】時間とコーヒー
http://yosomi.jp/article.php?id=70
<h2>時間とコーヒー</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-08-31 15:24:41</p>先日京都のバーで飲んでいて、古い喫茶店の話が出た。その店は「クンパルシータ」という。今はもう無い。
用も終わり、どこかでお茶をと思っていたときにたまたま通りかかったので入った。後日調べた所、注文してから品が置かれるまで数時間かかる事で有名だったらしい。待っている間に時計を見るのを放棄したので定かでないが、後ろの席から電話でもしているのであろう『俺、もう1時間半待ってるんやけどー』という泣きの入った声が聞こえてきたので、まあ、例に漏れずだったのだろうと思われる。
印象深いのは、その待ち時間も確かにそうだが、コーヒーが来てからのことである。自分は猫舌なので、熱いものをそう早く飲める方でない。フーフーいいながらちみちみ頂くのが常である。なのに、その時はやたら減りが早い感じがした。カップは一般的なサイズで上げ底でもなんでもない。自分だけが早回しで動いているようなチグハグさがある。あれ?と思っている間にあっけなく空にしてしまい、わけの分からないまま勘定を済ませて外に出ればとっぷり日が暮れていた。
帰りの車中、頭クラクラしながら考えたのは時間の主導権のようなことである。まず、入店してからコーヒーが置かれるまでの間。これはクンパルシータの時間である。次のコーヒーを手にして飲み終わるまでの間。こちらは自分が身に付けた間合いで行われるので自分の時間、ついでに書くなら待ち時間を長い、と感じるのはそれまでの経験からくる判断なのでそれも自分を主軸にということだろう。外が暗くなっていたのは宇宙側の事情なのでお手上げだ。ひょっとすると、たまに音楽書などで目にする「タイム感」というのはこれの事だろうか。楽器を演奏しないので憶測だが。そういえば、店主である老婦人は、タンゴ愛好家だったそうだ。多分あの現象とはまったく関係はないが。<br />
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2010-08-29T14:28:44+09:00
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小田寛一郎
【連載記事】野球のことを質問される
http://yosomi.jp/article.php?id=69
<h2>野球のことを質問される</h2><p class='author'>小田寛一郎 / 2010-08-29 23:28:44</p>先日、うちの姉ちゃんに最近なにか面白いこと・うれしいことがあったかどうか聞いてみたところ、普段そんなに連絡をとるわけではない友達からメールで野球のことを質問されたのが嬉しかったそうです。どうやら、その友達はぜんぜん野球に興味はなかったけれど、テレビで逆転の試合(どことどこの試合かは聞きそびれました)を見て興味を持ち、せっかく関西に住んでいるのだから阪神の試合を甲子園に見に行こうと思い立ったとのこと。ちなみに姉ちゃんはプロ野球ファンでときどき甲子園に試合を見に行っています。とはいえ、今シーズンはまだ行っていないと言っていた気がします。かつては「阪神ファン」だったらしいのですが、最近は「野球ファン」だそうです。
姉ちゃんが友達からされた質問の内容は、甲子園のどの席がおすすめか、気分を盛り上げて観戦するにはユニフォームとタオルとメガホンがあればいいのか、チケットの購入方法、鳥谷選手と林(りん)選手とどちらのユニフォームを買うか迷っている、などなど。それに対して姉ちゃんは、あまり前の方はフェンス(金網?)で見えにくいのでおすすめしない、チケットはヤフーオークションで買うとよい、鳥谷と林だと鳥谷の方が試合に出ていて、いつも試合に出ている選手の方が応援しやすいので、鳥谷をおすすめする、というふうに答えたそうです。林選手はケガがちでなかなかスタメンに入らないとのこと。
姉ちゃん曰く、自分が興味を持っていることに友達なり誰かが興味を持っていろいろ質問してくれるのは嬉しいし楽しい、ということでした。やはり私たちには、他人と共通の話題を持ちたい、話し合いたい、という欲求があるのだなと思いました。<br />
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2010-08-29T06:59:47+09:00
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山本握微
【連載記事】新刊検品;「浪華の古本屋 ぎっこんばったん」(坂本健一 著,SIC)
http://yosomi.jp/article.php?id=68
<h2>新刊検品;「浪華の古本屋 ぎっこんばったん」(坂本健一 著,SIC)</h2><p class='author'>山本握微 / 2010-08-29 15:59:47</p>天五中崎通商店街にある老舗古書店「青空書房」のご主人、坂本健一さんの著作。
直筆画つきの随筆集。
青空書房については、もっと詳しい人がいるだろうし、本についても読んでいないので、僕は何時か、青空書房で見た風景について書くことにします。
店のこじんまりさと、その硬派な品揃えと、意外な安さに吃驚して、店番をしていた奥様に話しかける。ご主人は不在だった。
奥様は笑顔で、この書店の老舗っぷりと、ご主人が如何に各所で信頼されているか、まるでアメリカ人がワイフ自慢をするかのように、ストレートに話しかけてくれる。その清々しい誇りに、長時間聞き入ってしまう。
そうしているうちに、ご主人が颯爽として店に帰ってくる。奥様は、ご主人に僕を紹介してくれる。ご主人が、また満面の笑みで、僕に挨拶してくれる。その挨拶の真っ只中に、奥様はすかさずブラシで、ご主人の髪を整える。
この「奥様にブラシで髪を撫でられながら挨拶する」という光景はちょっと印象的で、今でも焼きついている。
ちなみに、この書店の品揃えと安さの秘密は、大御所作家の蔵書や、やってくる献本が流れてくるからだとか。これもご主人の信頼のなせるわざ。
小さな古書店には珍しく、新刊雑誌が数点だけおいてあった(今は知らない)。ご主人、販促のためか、表紙の絵を、自分で描き写して軒先に吊るされていた。絵も趣味だったみたいだ。そうした味わい深い筆致は、挿絵としてこの本にも多数収録されている。
前書きを読んで、奥様が亡くなられたことを知る。
<br /><a href='file/large/10_1283065187_0.jpg'><img src='file/thumb/10_1283065187_0.jpg' alt='' /></a><br /><br />
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2010-08-24T18:25:53+09:00
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山本握微
【連載記事】Time Traveler × 5
http://yosomi.jp/article.php?id=66
<h2>Time Traveler × 5</h2><p class='author'>山本握微 / 2010-08-25 03:25:53</p><a href="http://collective-parasol.blogspot.com/2010/08/time-traveler-5.html" target="_blank">http://collective-parasol.blogspot.com/2010/08/time-traveler-5.html</a>
京都・上桂、Collective Parasolで行われた、5人の映像作家による上映会。仔細経緯コンセプトなどはウェブサイトの告知をご覧くださいませ。
5つとも面白かったけれど、これやっぱり、永岡大輔「私の痕跡」が一番いいジャーン。
「ドローイングアニメーション」?というジャンルにしちゃっていいんでしょうか。最近、わりと目にする気がする。ネットの投稿動画から、海外の作家作品まで(資生堂ギャラリーだったかで見た気がする)。アニメーションって普通、画面それ自体やセルそれ自体が切り替わってアニミズム、みたいなノリだが、ドローイングアニメーションは、同じ画面=素材上で、それ自体を消したり書き加えたりしてどろどろドローイングしながら、アニメーションする、そんなん。
この手法自体、観るのは慣れても作るのは検討もつかないアニメーション、という表現を身近に感じさせてくれる面白いものだが、「私の痕跡」は2つの点で、僕が見たこれまでの類より楽しかった。
ひとつは、描きかえ、描き加え、掻き消し、描き込む、かきくけこ、の工程がそのまま提示されてたこと。つまり、作家の手も出てくる。早回しだが、最初は特に、作家が線を描く様子をゆっくり見せるので、即座に、身近さが感じられる。他のドローイングアニメーションって、初見だと、じっくり見ないと気付かないもんや。軌道が微妙に残ってるぞ、ってことで消して上書きしてるんだな、って気付くくらい。
さて、もうひとつ良かった点は、描かれている様子そのものが、なんでもない光景だったこと。こういうのって、如何にもそれらしい物語が多いから。モーフィング自在なモンスターの絵だったりとか。諷刺画みたいに戯画化されてたり(なんか前京都の美術館でやってなかったっけ、あれ誰だっけ)そんなんばっか。
「私の痕跡」では、何処かしらオフィスの休憩所?みたいなところで、椅子に座って談笑する様子を描いたもの。この、自販機とテーブルと椅子がある、という空間、まるで平田オリザが舞台にする「セミパブリックな場」。折角のアニメーションだというのに、二人の女性が椅子に座って、一人の男が自販機で飲み物を買う、といった極めて地味な様子のみ描く。だが、それが良かった。とってもキュート。
一応、アニメらしい表現として、この三人の会話を、言葉を表すらしき黒いゴニョゴニョが、話者の口から出て相手の耳に入る、というのがあったけ。まあ、これはなくてもよかった。
<br /><a href='file/large/10_1282674353_0.jpg'><img src='file/thumb/10_1282674353_0.jpg' alt='' /></a><br /><br />
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2010-08-21T12:49:53+09:00
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蛇谷りえ
【連載記事】FLOAT近くのお祭り
http://yosomi.jp/article.php?id=65
<h2>FLOAT近くのお祭り</h2><p class='author'>蛇谷りえ / 2010-08-21 21:49:53</p>今日はFLOATの図書室の日で、18時ぐらいに遅れてきて屋上で休んでいたら、
風にのっかって、演歌が流れてきた。
寛ちゃんが「あのお祭りにいくとタダで焼きそばとかベビーカステラがもらえるよ」と
言うけれど、そんなハズないよー、と話を切る。
しばらくたって、図書室の今日の企画「怖い話」をする。
米子くんが用意してくれてたろうそくを立てて、
おもしろ怖い話をテープレコーダーで聞いて、爆笑してたら
赤井さんがFLOATの暗闇の中で現れて、それが一番こわかった。
ふと、静かになったときに、今度は風にのって壮大なオーケストラみたいな爆音が
聞こえてきた。これはただのお祭りではないぞ、ということで
音の聞こえる方に向かった。歩いて3分。
煌々と赤い提灯がぶら下がり、赤いやぐらのような柱を中心に
群がる若い家族たち、テントの下にはおばあちゃんたちが浴衣姿で座ってる。
ヒューヒュー歓声が聞こえる視線の向こうに
20名ぐらいの小学生たちがブレイクダンスをかっこよく踊っていた。
それはとても大人びていて、腹筋なんかも割れていて、かっこいい。
爆音の中、ブレイクダンスを踊る。ビデオを回す母たち。
ダンスが済んで、次はステージをモデルチェンジ。そうしている間に
端っこにあるテントの中で焼きそばや焼きおにぎり、コロッケ、串カツなどが
作られていて、近づいてみるとほんとにタダでもらえた。
半信半疑でいただき、食べた焼きそばはおいしくて、
食べながら、次のhiphop調の音楽が流れてきて目を配る。
そしたら、さっきの小学生たちが今度は全速力で走って、空中バク転をしてる。
次々と、体育の跳び箱みたいに一列になって、バク転が続く。
ときに、ひねりをいれたり、危なっかしいかったり、安定してたり、
一人一人に個性を感じながら、ひやひやしながらみる。
時折、先生らしき外国人と日本人の男性が、宙を舞う。
ちょっとしたショーだね。と寛ちゃんともぐもぐしながらみる。
打ち上げ花火の連続みたいな、アメリカンなショー。
最後の最後までひやひやさせられ、私は興奮しながら焼きそばをほうばる。
ステージが終わって、近くでPowerArtsというスタジオに通う
こどもたちだということが判明し、大阪女子プロレスの人が宣伝したりして、
世界館とか、九条の地域を感じさせた。その後、市会議員の人がきて
みなさんといっしょに、まちをつくっていきましょう=!!!!と活の入ったあいさつ。
氷川きよしのズンドコ節を2回目のループあたりで、FLOATにかえる。
もうすぐ市会議員選らしい。
写真はない。
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2010-08-19T17:44:51+09:00
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山本握微
【連載記事】新刊検品;「謎の探検家菅野力夫」(若林純 著,青弓社)
http://yosomi.jp/article.php?id=64
<h2>新刊検品;「謎の探検家菅野力夫」(若林純 著,青弓社)</h2><p class='author'>山本握微 / 2010-08-20 02:44:51</p>諸般の事情で、平日はほぼ毎朝、開店したての書店へ行く。
そこでは荷解きされ、仕分けられたばかりの、新刊が並べられている。まだ多くは、棚に入りきっておらず、作業用の台車に積まれていたりする。
今どれくらいだっけ、平日1日に250点近くの新刊が発行されている。所謂「新刊洪水」という状況で、売上は年々下がっているのに、新刊だけは溢れかえっている状態。
こうした状況下、書店の棚は常に入れ替わり、酷い時には一瞬も棚に入らぬまま返品されることもある。
学生の頃、古書店ばかり利用していた僕は「新刊買うなんてアホや」と思っていたのだけれど、こうして日参していると、新刊の切ない魅力が、少しだけわかる。
普通の本屋、というのは実は全く普通でなく「新刊書店」である。勿論、古い本もおいてあるけれど、ほぼ全て「稼動」している商品だ。「本」全般から見れば極めて特殊な形態のひとつでしかない。
前置きが長くなりましたね。
「新刊検品」と題しまして、この新刊大洪水の中から気になった本をご紹介申し上げます。できれば、そのまま水没し、藻屑となりかねない本を、特に。
また、気になっただけで、僕は本を滅多に読まないし、まして買わないので、ただの第一印象を頼りにしています。
では一発目。
(早速趣旨と若干外れて少し発売から日が経つけれど)
「謎の探検家菅野力夫」(若林純 著,青弓社)
この表紙と題名なら、もっと話題になってもよさそう。
絵葉書コレクターの間では有名らしい明治期の探検家「菅野力男」を紹介した一冊。当時はもっと、大衆の間にも知られた有名探険家だった様子。だが、時代の流れに忘れ置かれた。
当時、探検家それ自体の職業というのは世間に認知されていて、今でも名が残る人はいる(僕はもとより知りませんが)。菅野は、むしろこの時流に乗ったX番煎じだったが、絵葉書と講演会といった各種メディア戦略を駆使することで一定の名声を築いた。
こんなインパクトのある表紙の本も珍しいけれど、沢山入荷するような性質の本じゃないから、折角の表紙をお披露目せぬままそっと棚指しにされている店が殆どでしょう。まさしく一見の価値があるので、是非、問い合わせて手にとってみてください。
<br /><a href='file/large/10_1282239891_0.png'><img src='file/thumb/10_1282239891_0.png' alt='' /></a><br /><br />
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2010-08-12T21:47:30+09:00
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永田芳子
【連載記事】冷蔵庫、野菜
http://yosomi.jp/article.php?id=63
<h2>冷蔵庫、野菜</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-08-13 06:47:30</p>夏なので怖かった話を。
学生の頃、家族の仕事が忙しくなったので久しぶりに台所に立った。とりあえず冷蔵庫をチェックする。たまごある、味噌ある、マヨネーズ買う、ケチャップ保留。
順に点検をして、最後に野菜室を開けて見た。が、すぐに閉めて冷蔵庫から、数歩ではあるが本当に走って逃げた。
玉ねぎの芽がネットを突き破ってわけの分からない形に伸びてたんである。例によって顔にも声にも出やしないが、気持ちとしては「キャー!」といった所か。
玄関辺りで少しして、いや、玉ねぎじゃないか、と思う余地ができたので夕食は何とか用意した。
玉ねぎという野菜はは汎用性があるので、いちいち逃げてもいられない。それに、そのままではおかしな人である。思い返せば怖かった、というよりはもう少し色々混ざったキャーだったような気もする。今後の事もあるので、よくよく考えてみた。気持ち悪い、も確かだがもっと見ただけでマズい、言うならおぞましい寄り、どこが?
地味につめた結果、どうも自分は食べ物は死んだもの というイメージを強く持ちすぎていたらしい。小さい頃から魚を捌いたりしているせいか。そんな目で見れば、冷蔵庫という冷たい場所で、土も無いのにじりじり芽を伸ばし続ける玉ねぎなんて、ゾンビのようなもんである。
食べ物扱いをしていたものですっかり忘れていたが、魚や肉といったものとは死んでる/生きてるの線引きがまったく違うのだ。そんな事があって以来、買ってきた野菜は、植物の姿に戻る前にさっさと調理してしまう事にしている。そのほうが味も良い。
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2010-08-07T12:04:24+09:00
http://yosomi.jp/
登久希子
【定点観測メモ/梅田哲也】梅田哲也さんのおうち
http://yosomi.jp/article.php?id=62
<h2>梅田哲也さんのおうち</h2><p class='author'>登久希子 / 2010-08-07 21:04:24</p>わたしが関わっていた某所の展覧会に梅田さんが参加されたときのこと。ある日、工具とか木の枝とか、よく分からないものが現れたり消えたりするようになる。なんだこの缶は。なんだこのハンダは。そう思ってるうちに、梅田さんの作品は仕上がっていた。まるで「こびとのくつや」みたい。
そんな梅田さんがどんなところに住んでいるのか、いまいち想像がつかなかったけれど、おうちにお邪魔して(想像できなかったくせに、想像どおりというか)、妙に納得してしまった。片隅にあった、昔懐かしい小型の扇風機なんて、作品の一部みたいに見えてしまう。
梅田さんは、おうちに帰ったらぱちんとオフ・モードになるらしい。
梅田さんは、夏になると桃をハコ買いするらしい。
梅田さんは、調味料にけっこうこだわりがあるようだ。
近所でもうすぐ夏祭りがあるらしく、商店街には提灯がいっぱい。梅田さん的には、駅前の辺りは「東京っぽい」とのこと。いっしょに行った某氏は「高松っぽい?」と言っていた。たこ焼き屋が多いわりには大阪っぽくない一画。
なんだかそういう、ここどこだろう、という雰囲気は、梅田さんにぴったりな気がするのでした。
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2010-08-04T09:17:28+09:00
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ひろゆりか
【定点観測メモ/梅田哲也】ARTZONE
http://yosomi.jp/article.php?id=59
<h2>ARTZONE</h2><p class='author'>ひろゆりか / 2010-08-04 18:17:28</p>7月26日月曜日。盆地らしい蒸し暑さの京都、三条河原町のスペースART ZONE。
春にここで梅田哲也さんの個展が開かれる、そしてその打ち合わせがある、と聞いてお邪魔させていただいた。歩いて5分もしない場所には、6月に個展をされていたラボラトリというスペースもある。この三条河原町というスペースは、あちこちに隙間があり、あらゆる店が軒を連ね、混沌を生み出している。
私は今まで梅田さんの展示は何度か見たことがあった。でも残念なことに、まだライブは見たことがない。だから、本人にお会いするのはこの日が初めてだった。どんな人だろうか、と思っていたら、とても自然体な雰囲気の人がふらっと現れた。彼が梅田哲也さんだった。
打ち合わせは終始和やかにすすむ。
折しも、京都造形大の学生らによる展示の最中。脚立を出して、手探りで空間を探し始める。私は彼の展示を見るたびに、彼がどんな風にして空間を見つけるのか非常に気になっていた。ARTZONEの中の使っていない物置スペースなどを見せてもらい、しばらくしてから、建物のモルタルと展示用の壁の間に、ある隙間を見つけた。ARTZONEの人も知らなかった場所のようだ。子どもなら登ってそこに寝ることができるぐらいの小さな隙間。ちょっとした秘密基地のような隙間。ここに、作品を設置することに決めたようだ。
おそらく彼にとって壁や天井の梁なんてものは単なる建物の付属物でしかないのだろう。本来建物の構造体である部分と、その付属物(壁)の間の隙間を見つけるのがとても上手い。人が使いにくいから、と裏方にまわしたり、物置にしている部分をあっさりとさらけ出す。
4月の個展に向けて、少しずつひっそりと展開されていくこの隙間な隅っこ展示。告知も隅っこでこっそりと。 近日開催の建築学科の学生の展示の際にももちろんあるらしい。その際には、建物の外をつくる人、中を探る人、両方見ることができる。
隙間だらけの三条河原町の隙間のアートスペースの隅っこで、これから半年ほどの間、なんだかすごいことが起こりそうである。
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2010-08-03T14:36:20+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【連載記事】エクスペリア
http://yosomi.jp/article.php?id=57
<h2>エクスペリア</h2><p class='author'>小田寛一郎 / 2010-08-03 23:36:20</p>昨日、彼女の弟(システムエンジニアをやっています)に、「これはいい!」とか「これは楽しかった!」というようななんかある?なんでもいいけど、と聞いてみたところ、質問が漠然としているので戸惑わせてしまったのですが、しばらくして、いまハマっているのはこれだけど、と最近買ったドコモのスマートフォン「Xperia」を見せてくれました。
いままでの携帯となにが違うのか聞いてみたところ、常時フルブラウザなのがよいとのことでした。フルブラウザがなにか分からなかったので聞いてみると、携帯用サイトではなくパソコンで見るウェブサイトの状態で見れる、ということでした。携帯用簡易ブラウザではない、ということのようです。
また、アプリの追加でいろんな機能を自分好みに追加できるのも特徴だそうで、とりあえず大量のアプリを入れてみているとのことでした。googleの「羅針盤」という電子コンパスを利用した、世界の有名観光地がいまいる場所からどの方向のどのくらいの距離にあるかを表示するアプリは非常に面白いなと思いました。めちゃくちゃ遠いとしてもこっちの方にずっと行けばエッフェル塔やらなんやらがあるんだなーと。あとはカメラを通して見る風景(の映像)にエアタグと呼ばれるタグを貼り付けることのできる「セカイカメラ」というアプリも見せてもらいました。最初、モノなり建物なりの形状からそれがなにかを特定してタグを表示するのかと勘違いしたのですが(たとえば、無印の「超音波アロマディフューザー」をカメラ越しに見ると「超音波アロマディフューザー」というタグが表示される、とか)、そうではなく現在地の座標とカメラの向きによってタグの場所を特定しているそうです。「東のエデン」というアニメに似たような検索エンジンが出てくるので勘違いしたのでした。そっちの方は人間や動物など動くものにもタグを貼り付けることができるようで、電子コンパスによる座標と向きに加えて、画像解析による対象の同定も加われば、「東のエデン」に出てきた検索エンジンはより拡張したかたちで実現可能だと思いました。
彼女の弟によると、電子コンパスという仕組み自体は新しいものではなく、アウトドア用の時計にもついていたとのことです。ちょっと前に米子君からも、いまいる場所からどんな星が見えるかを表示するiPhoneのアプリを見せてもらったのですが、電子コンパスによる座標と向きの情報は、液晶画面によるビジュアル表示とくっつくことでいろんな遊び方が出てきているところなのだなと思いました。<br />
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2010-07-26T12:03:04+09:00
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登久希子
【連載記事】バナナから考える有機なアート
http://yosomi.jp/article.php?id=56
<h2>バナナから考える有機なアート</h2><p class='author'>登久希子 / 2010-07-26 21:03:04</p>インドネシアやフィリピンなど、いろんなところで
フェスティバルに参加しているパフォーマンス・
アーティスト白井廣美さんの作品に、バナナを
つかったものがある。
数年前インタビューしたときに、そのお話を聞かせて
もらったってから、みてみたいなあ、と思いつつ、
予定がつかなかったり、ちょっと遅れて行ったら
すでに終わっていたり、わたしのなかでは、なかなか
遭遇できない「幻のパフォーマンス」みたいな位置づけ
になっていた。
おもむろにバナナの房をかぶった白井さん。
その場にいる人が、あたまからひとつひとつバナナ
をもぎとっていく。
今回は白井さんのお話と、有機野菜をつかった
おいしいごはんつき。しかも、そのお料理も、
バナナにちなんでいる。
白井さんからシェフへのお題は、「バナナをつかった
お料理(デザート除く)」だったそうで、バナナが
ほわんと香る甘辛なチキンのひとさらをいただきました。
「バナナ」からゆるゆる広がる話題や想像、妄想を
満喫できた夜でした。
<br /><a href='file/large/4_1280145781_0.JPG'><img src='file/thumb/4_1280145781_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/4_1280145782_1.JPG'><img src='file/thumb/4_1280145782_1.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-07-25T04:08:44+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【連載記事】かえる目
http://yosomi.jp/article.php?id=55
<h2>かえる目</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-07-25 13:08:44</p>音楽を聴く時、タイトルや歌詞に示唆される場景をなんとなく浮かべている事が多い。
かえる目 「書架に消えた人」 を聞いていた。いつもなら図書館めいた場所が背景になっていたが、その日は気が付くと、キラキラするような緑の少し濃いような、そんな風景にすりかわっていた。どうも、ボーッとしているうちに「書架」を「初夏」に聞き違えていたらしい。発語の上ではどちらも「しょか」だからか。
いっそ、両方採用してはどうだろう。 「初夏の書架」 なにか、みずみずしい感じだ。早めに手を付けて100冊達成するつもりなのか。しかし、目当ての本は。
「書架の初夏」 間違いなくサライの特集だ。選者が誰であれ、池波正太郎は必ず入っていると思う。賭けてもいい。
手元の辞書にはあと3つ「しょか」があるが、キリがないのでよす。
かえる目の曲はそういった言葉の使い方が多々してあるので、うっかりするだけ、語彙の数だけ、歌が増える。
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2010-07-22T17:05:55+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【連載記事】小人のはなし
http://yosomi.jp/article.php?id=54
<h2>小人のはなし</h2><p class='author'>境隼人 / 2010-07-23 02:05:55</p>
借りぐらしのアリエッティを観た。
移入先がどちらかというと小人側だったので、
「自分ちにも小人居ないかな」というよりは、
「自分が小人ならどんなもんかな」という気分。
大きいものって怖いよな。
とかく何かと色んなものを借りて生きてるのだけれども、
返さなきゃいけないものまで抱えてることをなんとなく思い出す。
帰りに友人に食事を奢られ、借りをつくってしまった。
自分が小さくなった気がした。
<br /><a href='file/large/8_1279818350_0.JPG'><img src='file/thumb/8_1279818350_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/8_1279818352_1.JPG'><img src='file/thumb/8_1279818352_1.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-07-20T15:31:25+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【連載記事】徘徊記録1
http://yosomi.jp/article.php?id=48
<h2>徘徊記録1</h2><p class='author'>境隼人 / 2010-07-21 00:31:25</p>電車には乗らず家から歩いて行けるところへ。
○巡回したギャラリーとか
北村章展「兄弟乃墨」/Gallery wks.
杉尾信子展「音の記憶・かたちの記憶」/AD&A gallery
鈴木祐之展「ナンセンス余白」/millibar gallery
○道中シャッフル再生した音楽
Hymie's Basement / You Die
Ground Zero / Where is the Police? + The Bath of surprise
Aoki takamasa / Photons from my window
54-71 / Sunday Moning
Astor Piazzolla / Balada Para Un Loco
The Beach Boys / Trombone dixie
Determinations / Gold Star
eufonius / メグメル -cockool mix-
桃井はるこ / reimei ni raimei
坂本龍一 + 中谷美紀 / ちいさい秋みつけた
Caural / Lake
野坂昭如 / 沖縄鎮魂歌(飛べヂンヂン)
○食べたもの
隣で売っていた50円のシュークリーム
KIRIN スイカソーダ
ローソンおにぎり昆布
カットフルーツ
SABOTEN えび玉定食
写真はギャラリーの玄関と、道中であったいろいろ
追記)記事統合しました
<br /><a href='file/large/8_1279711827_0.JPG'><img src='file/thumb/8_1279711827_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/8_1279815766_1.JPG'><img src='file/thumb/8_1279815766_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/8_1279815769_2.JPG'><img src='file/thumb/8_1279815769_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/8_1279815772_3.JPG'><img src='file/thumb/8_1279815772_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/8_1279815774_4.JPG'><img src='file/thumb/8_1279815774_4.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-07-20T15:19:55+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【連載記事】冷凍枝豆
http://yosomi.jp/article.php?id=47
<h2>冷凍枝豆</h2><p class='author'>小田寛一郎 / 2010-07-21 00:19:55</p>先日、うちの妹に、最近「よかった」というようななんかあった?と尋ねてみると、冷凍枝豆がよい、とのこと。最近うちの妹は姉と一緒に夕飯のあと、「冷蔵で1週間持つかんたんお惣菜」だったかそういうレシピ本を見ながらお惣菜を作り何種類か冷蔵しておいて、朝すこし早起きしてそれらを弁当箱に詰めて持っていっているようで、そういう弁当をつくるときに冷凍枝豆が便利だそうです。
便利な点は、まず「彩りになる」、次に「一品増える(ような気がする)」、最後に「メインのおかずを入れるときにできてしまう弁当箱の隙間埋めになる」の3つ。火を入れるお惣菜ばかりでどうしても彩りに欠けるので、重宝しているとのこと。いまさっき冷凍庫を見てみたら、冷凍のブロッコリーもありました。同じ用途かと思われます。
こういうちょっとしたことであっても、工夫を凝らすということは面白いんだろうなと思います。あと、一石二鳥、一石三鳥、みたいなことは人間にとって気持ちがいいことなんだろうなとも思いました。
追記(10.8/3)
今日聞いたところによると、冷凍枝豆は凍ったまま入れて自然解凍なので、保冷の効果もあるとのこと。<br />
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2010-07-16T08:00:20+09:00
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永田芳子
【連載記事】福井優子 著 「観覧車物語―110年の歴史をめぐる」
http://yosomi.jp/article.php?id=41
<h2>福井優子 著 「観覧車物語―110年の歴史をめぐる」</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-07-16 17:00:20</p>高くて不安定なところが嫌い、おまけに乗り物に酔いやすいので遊園地に行ってもほとんどする事が無い。
ただ、ジェットコースターなり何なり、大きな乗り物が動いているところを眺めるのは大好きだ。近くのベンチに腰掛けて「ああ、今タカハシはあのループの頂上で逆さまなのだな」 などと考えるのは楽しい。
この本は図書館でみつけた。工業書のコーナーだったか、博物学系の背表紙が周りから浮いていて目に付いた。
観覧車もやはり乗れない物の1つだ。そして、眺めるに良いものの1つだ。あれがあると場が締まるというか、むだに幸福そうな景色に見える。
内容は著者が1994年、語学の勉強で渡米したときに手にした本から観覧車にハマり、以後、欧米・日本の観覧車の歴史をたぐる様子が344ページにわたって書かれている。実際に製作会社を訪ねた際の話や、エキスポランド、HEPといった所の観覧車の話は、自分が関西住まいという事もあって興味深かった。
図版も観光絵葉書、玩具など多数あって、なかでも「観覧車の写っているステレオ写真」が裸眼立体視できるレイアウトで掲載してあるあたり、きちんとしている。
これからも進んで観覧車に乗る事は無いが、どこかからそれを見る時に、何かしら今までとは違う趣が加わればもうけものだな、と思う。
追記: 後日図書館で確認してみたら、観光事業のコーナーだった。それはそれで、違和感のあるようなないような。
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2010-07-14T18:44:22+09:00
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米子匡司
【連載記事】成和ビルの雨樋
http://yosomi.jp/article.php?id=39
<h2>成和ビルの雨樋</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-07-15 03:44:22</p>大阪府大阪市西区安治川2丁目2−5[成和ビル]の雨樋の音を聴きました。
<a href="http://www.mappin.info/map?lat=34.677783&lng=135.464886&z=19&t=normal" target="_blank">http://www.mappin.info/map?lat=34.677783&lng=135.464886&z=19&t=normal</a>
<br /><embed src='http://yosomi.jp/file//1_1279272775_6.mp3' autoplay='0' style='width:474px; height:30px'/><br /><br /><a href='file/large/1_1279272766_1.JPG'><img src='file/thumb/1_1279272766_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1279272771_2.JPG'><img src='file/thumb/1_1279272771_2.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-07-14T18:44:04+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【連載記事】AluOluiluE at エーボン
http://yosomi.jp/article.php?id=38
<h2>AluOluiluE at エーボン</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-07-15 03:44:04</p>天王寺と寺田町の間にある喫茶店、エーボンで音楽とパフォーマンスのイベントを見ました。
<br /><a href='file/large/1_1279207099_1.JPG'><img src='file/thumb/1_1279207099_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1279207103_2.JPG'><img src='file/thumb/1_1279207103_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1279207107_3.JPG'><img src='file/thumb/1_1279207107_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1279207112_4.JPG'><img src='file/thumb/1_1279207112_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1279207116_5.JPG'><img src='file/thumb/1_1279207116_5.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-07-02T20:38:36+09:00
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米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】Pulp展示/東京行き道中
http://yosomi.jp/article.php?id=35
<h2>Pulp展示/東京行き道中</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-07-03 05:38:36</p> 2日の日中、展示を見にPlupに行く。
ほかの方の展示も含めて、お寺の1階、2階の各部屋と、本堂までを展示スペースに使った大掛かりな展示で、僕は祖母のところの墓参り以外に仏教にはあまりご縁はない方なんだけど、ある作品が本堂の仏像に映像を投射していたので、これはなんか、さすがにお寺的にほんまにええんかなと思った。いろんなお寺があるもんですね。
梅田哲也は写真の一室に火花を散らす扇風機と断片的に再生される映像を展示していました。
一度会場を離れて、22時。
明日からライブイベントのために東京に行く彼の車に同乗するために、もう一度Pulpへ。
彼は展示の一部を修復していて、一通り整理のついたところで一緒に東京に向かうパフォーマンスグループContactGonzoが一部合流して、車で出発。
23時、ContactGonzo塚原君宅へ。ほかのメンバーも集まる。
物販用の黄色と青のTシャツがずいぶんビビッドな、ドラえもんとドラミちゃんみたいな色なので、それについてワイワイと言う。
24時、大阪出発。名神を経由して東京方面へ。
東京に入ってから少し渋滞した。
渋滞中、僕らのどちらかが運転席と助手席に座っていて、コペル21(公文の出していた雑誌)の話をした。
昔の記憶って、どこかの時点の断絶を隔てて忘れていくものだと思うんだけど,彼は昔の事をよく覚えている。たまたまコペル21の事をよく覚えてただけかもしれないけど。断絶がないのかもしれない。賢い小学生がそのままサイズが大きくなってるような印象のある人ではあって、ただ賢い子供は、たいてい内を探求するか、外に出て行きたがるものだと思うけれど、その点はバランスが良さそう。
8時、東京着。駅前で解散して梅田くん友人の家へ。僕は一緒に泊めてもらう。仮眠する。<br /><a href='file/large/1_1279715413_0.JPG'><img src='file/thumb/1_1279715413_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1279715418_1.JPG'><img src='file/thumb/1_1279715418_1.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1279715422_2.JPG'><img src='file/thumb/1_1279715422_2.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-07-01T18:10:30+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】Pulp 『NON FICTION - See You Across the Border - 』展示準備 1/2
http://yosomi.jp/article.php?id=18
<h2>Pulp 『NON FICTION - See You Across the Border - 』展示準備 1/2</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-07-02 03:10:30</p> 大阪・南堀江のオルタナティブスペースPulpでの展示『NON FICTION - See You Across the Border - 』の設置準備を見に行った。
Plupはお寺の裏にあるギャラリースペースで、今回の展示とライブはお寺の中で行われるらしい。
日が変わって7月1日になったころにお寺を訪ねると、境内にある一室で、彼と彼の友人数人が展示の準備を手伝っていて、僕はカメラを向けて写真を撮りながら、なんか、どうしたもんかなと思ってた。
カメラを向けるといっても長丁場なので、そうそう撮影ばかりしてても仕方がないし、手持ちぶさたになってるなら手伝わないと悪いな、と思ってしまって。
しかし観測というなら、手伝うとそこからはみだすしてしまうように思う。どんな観測にも観測問題があって、そこにいるからには何かしら出来事に関わってしまう。存在を消して観測だけする事は難しい。カメラを向けただけで、そこに映るのはドキュメンタリーではなく演技だと言ってた人もいた。結局、存在を消せるわけでもないので、この企画中、必要な事は自然な範囲で手伝う事にしようかと思った。
彼は、展示で使うという大きな袋を作っている。ビニールシートを張り合わせて、なんだかだいぶん大きい。
この日は未明まで作業して、解散した。<br /><a href='file/large/1_1280597010_0.JPG'><img src='file/thumb/1_1280597010_0.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1278793820_2.JPG'><img src='file/thumb/1_1278793820_2.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1278793825_3.JPG'><img src='file/thumb/1_1278793825_3.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1278793827_4.JPG'><img src='file/thumb/1_1278793827_4.JPG' alt='' /></a><br /><br /><a href='file/large/1_1278793830_5.JPG'><img src='file/thumb/1_1278793830_5.JPG' alt='' /></a><br /><br />
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2010-06-30T18:44:09+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】Pulp 『NON FICTION - See You Across the Border - 』展示準備 2/2
http://yosomi.jp/article.php?id=32
<h2>Pulp 『NON FICTION - See You Across the Border - 』展示準備 2/2</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-07-01 03:44:09</p> 1日夜。
お寺の駐車スペースで、前日に作った袋が扇風機にたなびいている。
だけど結局、この袋は展示には使われなかった。
<br /><object classid='clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000' codebase='http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=9,0,0,0' width='474' height='356' id='movie' align='middle'><param name='allowScriptAccess' value='sameDomain' /><param name='allowFullScreen' value='true' /><param name='movie' value='http://yosomi.jp/swf/movie.swf' /><param name='FlashVars' value='key=4kzCmuN1C-U' /><param name='quality' value='high' /><param name='bgcolor' value='#000000' /><embed src='http://yosomi.jp/swf/movie.swf' quality='high' bgcolor='#000000' FlashVars='key=4kzCmuN1C-U' width='474' height='356' name='movie' align='middle' allowScriptAccess='sameDomain' allowFullScreen='true' type='application/x-shockwave-flash' pluginspage='http://www.macromedia.com/go/getflashplayer' /></object><br />扇風機にたなびく袋<br />
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2010-06-30T17:57:28+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【定点観測メモ/梅田哲也】梅田哲也さんについて
http://yosomi.jp/article.php?id=31
<h2>梅田哲也さんについて</h2><p class='author'>米子匡司 / 2010-07-01 02:57:28</p> 梅田哲也さんについて今の段階で僕が知っている事は、彼ができごとを扱う作品をする人だという事です。その作品はたとえば、風船だったり磁石だったり、拾ってきたものだったりタライだったり、僕らの身近にある物の働きを借りて組み立てられている事が多いようです。
彼がそうやって組み立てた物を見ると、多くの場合、僕はその物と物の作りだす状況をまず単純に気持ち良く感じて、次にちょっとした違和感のようなものを感じます。
快感の方は単純なもので、説明できることもないんだけど、違和感のほうはもう少し言える事があるかも知れません。その違和感は、そこで目にしたできごとと、自分の知っているできごととの差分のようなものから現れてきているようで、遠すぎず近すぎず、いつもなんか変な、将棋でいうと桂馬の通り道みたいな、変な距離感を持っています。角や飛車のように遠くから利いているのでもなく、金銀歩ほどにはストレートでもなく、ごめんよ、ヒョイっと少しだけ飛び越えてくる。
彼を興味深い人物だと思う執筆者が4人集まって、この企画の第1回目の対象に梅田哲也さんを選んで、お願いする事になりました。今の認識は今後3ヶ月間でくつがえるかもしれないし、このまま強まるかもしれません。
彼の作品は、いまのところ主に現代美術の展覧会などで見る事ができます。音楽イベントの枠組みの中で、ライブパフォーマンスをする事もあります。
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定点観測は、この後期間を6ヶ月間に延長しました。
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2010-06-30T02:58:53+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【連載記事】ディスコライト
http://yosomi.jp/article.php?id=17
<h2>ディスコライト</h2><p class='author'>永田芳子 / 2010-06-30 11:58:53</p>我が家にはディスコライトがある。友人が旦那さんの妹から誕生日プレゼントに送られた品なのだが、本当に、ものすごくいらない様だったので引き取ってみたのだ。
早速、部屋でスイッチを入れた。するとこれが、予想以上に破壊力を持っていたので驚いた。
考えてみて欲しい。色とりどりの水玉模様がいっぱいに広がり、しかもくるくる回っているのである。回り灯篭なら魚なりなんなり、像に意味を与えてある場合が多いので風情に逃げる事もできるだろうが、ディスコライトにはその余地は無い。あまりといえばあまりな光景に、半ば感心してそのまま見ていた。「いい大人が自室で水玉くるくる」という状況については馬鹿の一言で良いだろう。
しかし、当事者でもあるのでそれもどうかと思い、試しに音楽をかける事にした。ペリー&キングスレー、寺尾聡、バッハ、近年はyoutubeがあるのでさらにやりたい放題だ。思いつくままにかけてみたのだが結果は上々、大変に満足のいく事態となった。
ただ一つだけ問題がある。いろんな人にこの話をすると、面白そうだねぇ と言ってくれるのだが、誰一人「貸してほしい」と申し出てくれないのだ。
その事だけは残念に思う。初めに試してから8年が経っている。<br />
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2010-06-22T08:38:51+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】Presentation66.5 「コードシンコーミュージック」
<h2>Presentation66.5 「コードシンコーミュージック」</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年6月27日</td></tr></table><p>会場・・・京都/ shin-bi<br>出演・・・安田謙一、細馬宏通(かえるさん)<br>進行・・・もぐらが一周するまで<br>開場・・・19:00 開演19:30<br>料金・・・前売1500円 当日1800円<br><br></p></div>
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2010-06-23T05:28:29+09:00
http://yosomi.jp/
【】Art Court Frontier 2010 #8 トーク
<h2>Art Court Frontier 2010 #8 トーク</h2><p class='author'></p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年6月27日</td></tr></table><p>1) ギャラリートーク <br> 6月26日[土] 14:00?16:00<br>◎出展作家によるプレゼンテーション + 推薦者のディスカッション<br>◎場所:アートコートギャラリー<br>◎参加費:500円(1ドリンク付) <br>◎要予約:メール または 電話(06-6354-5444) にて、<br> お名前とご参加人数をお知らせください。<br><br>◎6月26日[土]<br>内田文武 × 東井嘉信<br>大西康明<br>木内貴志 × 荒川昭男<br>キスヒサタカ<br>佐藤 貢 × 高橋善丸<br>田中朝子 × 横山広充<br>森末由美子 × 藤巻和恵</p></div>
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2011-09-29T20:57:13+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】NON FICTION - See You Across the Border -
<h2>NON FICTION - See You Across the Border -</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月2日 - 2010年7月4日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>Plup<br><a href="http://pulpspace.org/" target="_blank">http://pulpspace.org/</a></td></tr><tr><th>展示</th><td class='dot'>:</td><td>岩井主税/梅田哲也/塩田正幸/鈴木ヒラク/永井英男/ニコラ・ルリーヴル/20TN!<br></td></tr><tr><th>ライブ</th><td class='dot'>:</td><td>山本精一/DOWSER/LLAMA/神崎えり/トウヤマタケオ</td></tr></table><p>大阪・南堀江のスペースPlupのオープニングイベント。<br>ライブ出演者は各日によって別。</p></div>
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2010-06-22T09:01:39+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】鈴木昭男 『SOUND REPORT』
<h2>鈴木昭男 『SOUND REPORT』</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月4日</td></tr></table><p>会場・・・大阪/ nu things JAJOUKA<br>出演・・・鈴木昭男<br> 第一部 トーク 第二部 パフォーマンス<br>開場18:30 開演 19:00<br>料金・・・前売2500円 当日3000円 (各ドリンク代別途 500円要) <br><br></p></div>
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text/html
2010-07-08T02:05:53+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】パラモデルの世界はプラモデル展
<h2>パラモデルの世界はプラモデル展</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月8日</td></tr></table><p>西宮市大谷美術館<br><a href="http://www9.ocn.ne.jp/~otanimus/" target="_blank">http://www9.ocn.ne.jp/~otanimus/</a></p></div>
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2010-07-07T16:14:58+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】Trouble in Paradise/生存のエシックス
http://www.engagementkyoto.jp/index.html
<h2>Trouble in Paradise/生存のエシックス </h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月9日 - 2010年8月22日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>京都国立近代美術館</td></tr></table><p>美術館に安心できる美術作品を観に行くのもいいけれど、美術館は本来感覚を揺さぶるための空間なのだと思う。<br><br>会期中に、ワークショップをはじめとしてシンポジウム、レクチャーなど様々なことが起こります。会期の始めと最後で、様相が大きく異なる予感がする展覧会。写真撮影可、鉛筆使用可、体験型作品もあるので、動きやすい服装でどうぞ。</p><p><a href="http://www.engagementkyoto.jp/index.html" target="_blank">http://www.engagementkyoto.jp/index.html</a></p></div>
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text/html
2010-07-08T15:23:24+09:00
http://yosomi.jp/
【】ART OSAKA 内覧会
<h2>ART OSAKA 内覧会</h2><p class='author'></p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月9日</td></tr></table><p>@堂島ホテル</p></div>
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text/html
2010-07-08T15:23:49+09:00
http://yosomi.jp/
【】ART OSAKA
<h2>ART OSAKA</h2><p class='author'></p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月10日 - 2010年7月11日</td></tr></table><p>@堂島ホテル</p></div>
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text/html
2010-07-12T08:37:32+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】AluOluiluE
http://www.oct.zaq.ne.jp/e-bon/
<h2>AluOluiluE</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>7月11日 17:00 - (開場16:00)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>エーボン(大阪・天王寺〜寺田町間)</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売2,000円 (1ドリンク付) / 当日2,300円(1ドリンク付)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>道下 慎介 (LSD March, オシリペンペンズ, カスミトリオ, XIRAXIRA FANTASTIC)<br>水内 義人 (巨人ゆえにデカイ)<br>DODDODO<br>ahillbuk to Mt. padhy a.k.a ダダリズム<br>土足 - 田中 真人 + T. K from 下山 -<br>宗友 馨子<br>ATSUHIRO - 広瀬 梓子 -<br>// fast, first, host / AVON_PARALLEL // <br>// PA 吉田 涼 // </td></tr></table><p><a href="http://www.oct.zaq.ne.jp/e-bon/" target="_blank">http://www.oct.zaq.ne.jp/e-bon/</a></p></div>
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2010-07-09T18:11:12+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】国際宇宙ステーションの観測(大阪)
http://kibo.tksc.jaxa.jp/letsview/visibility1/osaka/index.html
<h2>国際宇宙ステーションの観測(大阪) </h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>7月12日(月) 20:59分ごろから数分</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>大阪など</td></tr></table><p>20:59分ごろから数分、国際宇宙ステーションが見えます。北西から。</p><p><a href="http://kibo.tksc.jaxa.jp/letsview/visibility1/osaka/index.html" target="_blank">http://kibo.tksc.jaxa.jp/letsview/visibility1/osaka/index.html</a></p></div>
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2010-07-10T17:14:41+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】Art meets vories
<h2>Art meets vories</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月12日</td></tr></table><p>◆開催◆2010.7.10 (sat) ? 8.8 (sun) <br>◆OPEN◆10:00?17:00 <br>◆場所◆神戸異人館 ヴォーリズ洋館 (旧ナショナルシテ ィ銀行神戸支店社宅)<br> 神戸市中央区北野町1丁目2?1 2</p></div>
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2010-07-14T11:19:46+09:00
http://yosomi.jp/
登久希子
【】身体の記憶とテキスタイル 石垣陽子作品展
<h2>身体の記憶とテキスタイル 石垣陽子作品展</h2><p class='author'>登久希子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月15日</td></tr></table><p>7月8日?15日(午前9時?午後4時)<br>於:奈良女子大学記念館<br><br>あ、もうすぐ終わっちゃう!</p></div>
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2010-07-14T11:25:13+09:00
http://yosomi.jp/
登久希子
【】「有機なアート」 白井廣美
<h2>「有機なアート」 白井廣美</h2><p class='author'>登久希子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月16日</td></tr></table><p>オーガニックシェフの八百屋「はたんぼ」<br>19時から21時<br><br>おいしいごはんが食べられるらしい!<br></p></div>
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2010-07-16T11:34:50+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】横尾忠則の全ポスター展/束芋展
<h2>横尾忠則の全ポスター展/束芋展</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月16日</td></tr></table><p>at,国立国際美術館</p></div>
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2010-07-18T08:17:32+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき
http://www.ishinha.com/ja/2010index.html
<h2>台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月20日 - 8月1日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>犬島(岡山県)</td></tr><tr><th>劇団</th><td class='dot'>:</td><td>維新派</td></tr></table><p><a href="http://www.ishinha.com/ja/2010index.html" target="_blank">http://www.ishinha.com/ja/2010index.html</a></p></div>
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2010-07-20T07:46:39+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】北村章展 ‘兄弟乃墨’
http://www.sky.sannet.ne.jp/works/
<h2>北村章展 ‘兄弟乃墨’</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>7月31日迄<br />
</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>Gallery wks.</td></tr></table><p><a href="http://www.sky.sannet.ne.jp/works/" target="_blank">http://www.sky.sannet.ne.jp/works/</a></p></div>
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2010-07-20T09:27:14+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】鈴木祐之「ナンセンス余白」展
<h2>鈴木祐之「ナンセンス余白」展</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月17日(土)から7月24日(土)<br />
7月21日(水)休廊<br />
11:30?20:00(最終日24日は18時まで)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>millibar gallery <br>大阪市西区立売堀1-12-17</td></tr></table></div>
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2010-07-16T09:02:45+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】トークショー「サウンド/アートの臨界点」
http://www.baikado.org/
<h2>トークショー「サウンド/アートの臨界点」</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>7月23日(金) 19:30 -(19:00開場)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>梅香堂</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>500円(+1ドリンク300円)</td></tr><tr><th>ゲスト</th><td class='dot'>:</td><td>畠中実(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]主任学芸員)</td></tr><tr><th>聞き手</th><td class='dot'>:</td><td>中井康之(国立国際美術館主任研究員)</td></tr></table><p><a href="http://www.baikado.org/" target="_blank">http://www.baikado.org/</a></p></div>
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2010-07-26T11:35:42+09:00
http://yosomi.jp/
登久希子
【】ラウンドテーブル「流れ出るアート 場所とアートについての4つの発言」
http://artarea-b1.jp/schedule.html
<h2>ラウンドテーブル「流れ出るアート 場所とアートについての4つの発言」</h2><p class='author'>登久希子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月24日15時から18時</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>アートエリアB1</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>芹沢高志、黒田雷児、山田創平、雨森信<br></td></tr></table><p><a href="http://artarea-b1.jp/schedule.html" target="_blank">http://artarea-b1.jp/schedule.html</a></p></div>
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2010-07-09T16:34:48+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】光る音のつぼにわ
http://www.pulppictures.asia/
<h2>光る音のつぼにわ</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>7月25日 12:00-21:00(ライブは15:00から複数回)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>Pulp(大阪・堀江)</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1,000円 (1drinkつき)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>(ライブインスタレーション)松尾宇人<br>(ライブゲスト)音遊びの会 梅田哲也</td></tr></table><p><a href="http://www.pulppictures.asia/" target="_blank">http://www.pulppictures.asia/</a></p></div>
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2010-07-14T13:53:13+09:00
http://yosomi.jp/
登久希子
【】Alternative Humanities 新たなる精神のかたち:ヤン・ファーブル × 舟越 桂
<h2>Alternative Humanities 新たなる精神のかたち:ヤン・ファーブル × 舟越 桂</h2><p class='author'>登久希子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月25日</td></tr></table><p>金沢21世紀美術館<br>2010年4月29日(木)から2010年8月31日(火)<br><a href="http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=19&d=853" target="_blank">http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=19&d=853</a><br><br>あと、金沢でおいしいものを食べたいのです。<br></p></div>
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2010-07-28T19:15:32+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】藤森照信トーク「土と建築」
<h2>藤森照信トーク「土と建築」</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>18:00~(※先着200名、当日17:00から整理券配布)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>京都国立近代美術館1階ロビー</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>たぶん無料。</td></tr></table><p>関西でなかなか聞けない(?)藤森さんのおはなし。20時ごろまでだと思います。<br><br>関連URL:<br><a href="http://www.engagementkyoto.jp/report.html" target="_blank">http://www.engagementkyoto.jp/report.html</a><br><a href="http://www.engagementkyoto.jp/event.html#lectures" target="_blank">http://www.engagementkyoto.jp/event.html#lectures</a></p></div>
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2010-07-28T19:13:37+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】【レクチャー】ミロスワフ・バウカ
http://www.engagementkyoto.jp/report.html http://www.engagementkyoto.jp/event.html#lectures
<h2>【レクチャー】ミロスワフ・バウカ</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>15:30〜</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>都国立近代美術館3Fワークルーム</td></tr></table><p>なかなか来日機会のない(?)ポーランドの現代美術家ミロスワフ・バウカによるレクチャー。ここ数年、東欧の現代美術の動向が気になってます。<br>前日のシンポジウムにも参加。</p><p><a href="http://www.engagementkyoto.jp/report.html" target="_blank">http://www.engagementkyoto.jp/report.html</a> <a href="http://www.engagementkyoto.jp/event.html#lectures" target="_blank">http://www.engagementkyoto.jp/event.html#lectures</a></p></div>
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2010-08-05T02:12:00+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】中田桃子・渡邉順子・オオノ介 展
http://web-gallerykaze.com/archive/100802-10_keshiki1/top.htm
<h2>中田桃子・渡邉順子・オオノ介 展</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>8月10日迄</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>ギャラリー風</td></tr></table><p><a href="http://web-gallerykaze.com/archive/100802-10_keshiki1/top.htm" target="_blank">http://web-gallerykaze.com/archive/100802-10_keshiki1/top.htm</a></p></div>
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2010-08-05T02:21:22+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】桃園会 第39回公演『a tide of classics ?三好十郎 浮標』
http://www.toenkai.com/index.htm
<h2>桃園会 第39回公演『a tide of classics ?三好十郎 浮標』</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>8月8日迄</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>精華小劇場</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>サイトにて詳細</td></tr></table><p><a href="http://www.toenkai.com/index.htm" target="_blank">http://www.toenkai.com/index.htm</a></p></div>
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2010-08-03T15:47:32+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】第3回swimy協同企画展おんさ sewing gallery
http://www.swimy.info/
<h2>第3回swimy協同企画展おんさ sewing gallery</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>7/28 - 8/8</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>sewing gallery(<a href="http://sewing-g.com/)" target="_blank">http://sewing-g.com/)</a></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr></table><p>彼女の友達の、たなべかずみさん、中川貴雄君や、コンテンポラリーダンサー・振付家の高野裕子さんが出品しているので、行ってみます。</p><p><a href="http://www.swimy.info/" target="_blank">http://www.swimy.info/</a></p></div>
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2010-09-16T19:35:40+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】岩木遠足2010
http://www.iwaki-ensoku.com/
<h2>岩木遠足2010</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年8月7日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>岩木山</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>生活の時間:佐藤ぶん太(横笛奏者)、三原寛子 (南風食堂)、土岐司 (岩木山ガイド)<br>音楽の時間:二階堂和美、オオルタイチ+YTAMO</td></tr></table><p><a href="http://www.iwaki-ensoku.com/" target="_blank">http://www.iwaki-ensoku.com/</a></p></div>
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2010-08-14T00:16:41+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】ツナガルシクミ
http://www.acac-aomori.jp/
<h2>ツナガルシクミ</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年8月7日(土)〜9月5日(日)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>国際芸術センター青森</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr><tr><th>参加作家</th><td class='dot'>:</td><td>藤浩志・小山田徹・高嶺格</td></tr></table><p><a href="http://www.acac-aomori.jp/" target="_blank">http://www.acac-aomori.jp/</a></p></div>
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2010-08-14T00:18:10+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】千年湯治
http://1000toji.com/
<h2>千年湯治</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年 8月1日(日)?8月31日(火)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>鳴子温泉郷(宮城県大崎市)</td></tr></table><p><a href="http://1000toji.com/" target="_blank">http://1000toji.com/</a></p></div>
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2010-07-20T00:03:41+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】テニスコーツwith 山本精一、梅田哲也 / かきつばた / アリナミン[森本アリ+白奈民(パクナミンa.k.a.DODDODO)]
http://www.club-quattro.com/shin_info.php?year=2010&month=08&id=148840
<h2>テニスコーツwith 山本精一、梅田哲也 / かきつばた / アリナミン[森本アリ+白奈民(パクナミンa.k.a.DODDODO)]</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年8月12日 19:00 -(開場 18:00)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>心斎橋CLUB QUATTRO</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売 ¥2,300 / 当日 ¥2,800(ドリンク別)</td></tr></table><p><a href="http://www.club-quattro.com/shin_info.php?year=2010&month=08&id=148840" target="_blank">http://www.club-quattro.com/shin_info.php?year=2010&month=08&id=148840</a></p></div>
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2010-08-14T00:20:56+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】マン・レイ展 知らぜらる創作の秘密
http://man-ray.com/
<h2>マン・レイ展 知らぜらる創作の秘密</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月14日(水)〜9月13日(月)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>国立新美術館(東京)</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>(当日)一般1500円/学生1200円</td></tr></table><p><a href="http://man-ray.com/" target="_blank">http://man-ray.com/</a></p></div>
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2010-08-19T16:49:24+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【】"コレクション・パブリッシュ・コモンズ"アートと所有の関係を考える
http://collective-parasol.blogspot.com/2010/08/blog-post_17.html
<h2>"コレクション・パブリッシュ・コモンズ"アートと所有の関係を考える</h2><p class='author'>山本握微</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>19時</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>Collective Parasol</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>300円(資料コピー代)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>[司会] 作田知樹 (Arts and Law)<br>[ゲスト] 岡本光博 藤井光</td></tr><tr><th>内容</th><td class='dot'>:</td><td>Arts and Lawがcampと共催で東京で開催してきたトークシリーズ「アートと公共性の関係を考える」の特別編。<br><br>今回は半公開ミーティングとして、表題のテーマについて、ゲストのアーティストの活動を参照しながら、ここまでのシリーズで見えてきた論点のブレインストーミングを行ないます。<br>その結果から浮かび上がるものを参加者とともに考えていきます。<br><br>自分たち自身が行って来たものを含め、近年日本で行われてきたアートと公共性についての研究や議論を俯瞰します。さらに、いままたこの問題に取り組む研究会やイベントを手がけている複数のグループに対して、今問うべき論点、残すべき試みは何かを考えます。</td></tr></table><p><a href="http://collective-parasol.blogspot.com/2010/08/blog-post_17.html" target="_blank">http://collective-parasol.blogspot.com/2010/08/blog-post_17.html</a></p></div>
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2010-08-21T13:09:34+09:00
http://yosomi.jp/
蛇谷りえ
【】森村泰昌モリエンナーレ まねぶ美術史
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/bijyutu/special/22-2.html
<h2>森村泰昌モリエンナーレ まねぶ美術史</h2><p class='author'>蛇谷りえ</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年7月17日(土)〜9月5日(日)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>高松市立美術館</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>一般 800円(640円)/大学500円(400円)/高校生以下無料</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>森村泰昌</td></tr></table><p>行って来た友人が図録を持ってかえってきた。図録だけでも買った方がいいよ。というくらい。どんなけすごいか見てみたい。</p><p><a href="http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/bijyutu/special/22-2.html" target="_blank">http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/bijyutu/special/22-2.html</a></p></div>
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2010-08-20T01:28:56+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【】Social Kitchen (ソーシャル・キッチン)オープン
http://hanareproject.net/infomation/event_822_party_social_kitchen.html
<h2>Social Kitchen (ソーシャル・キッチン)オープン</h2><p class='author'>山本握微</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>13:00〜17:00/ガレージセール<br />
18:00〜21:00/Party</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>Social Kitchen</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>パフォーマンス contact Gonzo<br>労働相談 POSSE<br><br>ガレージセール出店予定者<br>・高橋涼子さん...洋服、雑貨<br>・contact Gonzo...カット&シルク印刷したカスタマイズT-シャツ<br>・三木さん...40代〜60代向けの婦人服<br>・NOT PILLAR BOOKS...ジン、アート本の販売<br>・Social Kitchen Office ...いろいろ<br>・hanare ...いろいろ<br><br>運営:hanare</td></tr></table><p>8月22日(日)、hanareが運営を行うSocial Kitchenが、ついに無理矢理オープン。<br>Social Kitchenは21世紀型公民館として機能することを目指しています。多様な背景を持つ人たちが、集まり、会話し、議論し、学び、実践する場になればと考えています。<br>オープンを記念して、以下の概要でパーティーを開きますので、是非遊びに来てください。<br></p><p><a href="http://hanareproject.net/infomation/event_822_party_social_kitchen.html" target="_blank">http://hanareproject.net/infomation/event_822_party_social_kitchen.html</a></p></div>
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2010-09-14T16:23:07+09:00
http://yosomi.jp/
【】KAVC 1floor2010「質朴/技術」
http://kavc.or.jp/art/1floor/index.html
<h2>KAVC 1floor2010「質朴/技術」</h2><p class='author'></p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>8月28日(土)〜9月20 日(月・祝)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>神戸アートビレッジセンター</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>出品作家:柴田精一、中村裕太</td></tr></table><p><a href="http://kavc.or.jp/art/1floor/index.html" target="_blank">http://kavc.or.jp/art/1floor/index.html</a></p></div>
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2010-07-16T17:25:02+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】Girls dead monster starring LiSA / live tour 2010
http://key.visualarts.gr.jp/lisatour/index.html
<h2>Girls dead monster starring LiSA / live tour 2010</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年9月1日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>場所:『なんば Hatch』<br><a href="http://www.namba-hatch.com/" target="_blank">http://www.namba-hatch.com/</a> <br>住所:大阪市浪速区湊町1-3-1</td></tr></table><p>Girls dead monster starring LiSA<br>live tour 2010追加公演<br><br><br></p><p><a href="http://key.visualarts.gr.jp/lisatour/index.html" target="_blank">http://key.visualarts.gr.jp/lisatour/index.html</a></p></div>
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2010-09-02T05:25:36+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】comic treasure16
http://www.aoboo.jp/
<h2>comic treasure16</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>11:00?15:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>インテックス大阪</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>700円(カタログ代)</td></tr></table><p><a href="http://www.aoboo.jp/" target="_blank">http://www.aoboo.jp/</a></p></div>
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2010-09-14T16:31:37+09:00
http://yosomi.jp/
【】中澤雅子 個展「ラクエンカラ クチブエガ キコエル」
http://www.cap-kobe.com/studio_y3/2010/08/18181115.html
<h2>中澤雅子 個展「ラクエンカラ クチブエガ キコエル」</h2><p class='author'></p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>9月11日(土)〜26日(日)<br />
*月曜休み、ただし9/20(月・敬老の日)は営業。翌日9/21(火)振替休館となります。</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>CAP Y3(神戸)</td></tr></table><p><a href="http://www.cap-kobe.com/studio_y3/2010/08/18181115.html" target="_blank">http://www.cap-kobe.com/studio_y3/2010/08/18181115.html</a></p></div>
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2010-09-05T01:21:47+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】竹内光輝コンサート
<h2>竹内光輝コンサート</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>19時開場/19時半開演</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>Bridge Gallery & Bar [FINNEGANS WAKE]1+1<br>大阪市中央区東心斎橋1-6-31 リードプラザ心斎橋5F<br><a href="http://fw2010.blog117.fc2.com/" target="_blank">http://fw2010.blog117.fc2.com/</a></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1,000yen+1drink</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>○出演:<br>竹内光輝(フルート)<br>○演目:<br>George Brecht - flute solo<br>Marcus Kaiser - anatom(5)<br>Radu Malfatti - düsseldorf solo [zwei]</td></tr></table><p>『マーカス・カイザー、おそらく日本初演ではないでしょうか…。ヴァンデルヴァイザーグループの中でも一際ユニークな作家だと思います。』とのこと。ヴァンデルヴァイザーグループについてはとりあえずこちらを。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/</a>ヴァンデルヴァイザー楽派</p></div>
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2010-09-14T16:26:31+09:00
http://yosomi.jp/
【】築山有城展「アイアムスカルプター」
http://www.sakoda-art.com/gallery/schedule/index.html#100914
<h2>築山有城展「アイアムスカルプター」</h2><p class='author'></p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010.9.14(火)〜26(日) open 10:00〜19:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>サコダアートギャラリー [西宮]</td></tr></table><p><a href="http://www.sakoda-art.com/gallery/schedule/index.html#100914" target="_blank">http://www.sakoda-art.com/gallery/schedule/index.html#100914</a></p></div>
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2010-10-04T17:14:53+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】2010 ADC展
http://www.dnp.co.jp/gallery/ddd/
<h2>2010 ADC展</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年9月14日(火)−10月30日(土)<br />
11:00a.m.-7:00p.m.(土曜日は6:00p.m.まで)<br />
日曜・月曜・祝祭日休館</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>dddギャラリー <br>〒550-8508大阪市西区南堀江1-17-28 なんばSSビル</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>入場無料</td></tr></table><p><a href="http://www.dnp.co.jp/gallery/ddd/" target="_blank">http://www.dnp.co.jp/gallery/ddd/</a></p></div>
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2010-09-14T16:38:31+09:00
http://yosomi.jp/
【】加藤元展「PINK Shadow」
http://www.gallery-301.com/
<h2>加藤元展「PINK Shadow」</h2><p class='author'></p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>9.17(fri)〜9.28(tue) 12:00〜18:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>ギャラリー301(神戸)</td></tr></table><p><a href="http://www.gallery-301.com/" target="_blank">http://www.gallery-301.com/</a></p></div>
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2010-08-30T08:47:35+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】Damo Suzuki ( ex. CAN ) in DAI・OSAKA
http://www.sunsui.net/
<h2>Damo Suzuki ( ex. CAN ) in DAI・OSAKA</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>開場17:30<br />
開演18:30</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>鰻谷Sunsui<br></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売り2500円 当日3000円</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>Damo Suzuki 、森雄大(neco眠る)オーガイナイズドセッション<br>Damo Suzuki、 もぐらが一周するまでオーガナイズドセッション</td></tr></table><p><a href="http://www.sunsui.net/" target="_blank">http://www.sunsui.net/</a></p></div>
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2010-08-16T04:42:29+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】ヤン・ファーブル『Another Sleepy Dusty Delta Day 〜またもけだるい灰色のデルタデー』
http://www.aihall.com/
<h2>ヤン・ファーブル『Another Sleepy Dusty Delta Day 〜またもけだるい灰色のデルタデー』</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年9月22日(水)19:30/23日(祝)15:00 </td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売一般3800円/学生&ユース2800円</td></tr></table><p>9/22の公演終了後、カンパニーメンバーによるアフタートークあり。ヤン・ファーブル自身は出席なし。</p><p><a href="http://www.aihall.com/" target="_blank">http://www.aihall.com/</a></p></div>
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2010-09-22T15:38:37+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】series “EXISTENCE” vol.57
<h2>series “EXISTENCE” vol.57</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>19:30</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>chef d'oeuvre (シェ・ドゥーブル)大阪府大阪市西区阿波座1-9-12</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1000円</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>梅田哲也</td></tr></table></div>
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2010-09-22T15:28:36+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】アントニア・ベアー『Over The Shoulder』
http://aichitriennale.jp/artists/performing-arts/antonia-baehr.html
<h2>アントニア・ベアー『Over The Shoulder』</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>16:30開場/17:00開演</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>愛知芸術文化センター ギャラリーG</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>?2000(自由席)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>アントニア・ベアー</td></tr></table><p>関連インスタレーション『N.O.Body』<br>ポーリーン・ブードリー、レナーテ・ロレンツ<br>9月28(火)-10月3日(日)<br>アントニア・ベアーの分身のひとりであるパフォーマー、ウェルナー・ヒルシュにより再演された《ひげのある女》をテーマにしたフィルム・インスタレーションを上演する。<br><a href="http://www.boudry-lorenz.de/" target="_blank">http://www.boudry-lorenz.de/</a><br>助成:ドイツ文化センター(京都) </p><p><a href="http://aichitriennale.jp/artists/performing-arts/antonia-baehr.html" target="_blank">http://aichitriennale.jp/artists/performing-arts/antonia-baehr.html</a></p></div>
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2010-09-19T07:41:43+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】30歳以下の若手建築家7組による建築の展覧会
http://www.aaf.khaa.jp/u30/
<h2>30歳以下の若手建築家7組による建築の展覧会</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年9月29日(水)〜 2010年10月11日(月)<br />
12:00〜20:00<br />
[ 13日間 ] 会期間中無休</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>ODPギャラリー<br><a href="http://www.osaka-design.co.jp/" target="_blank">http://www.osaka-design.co.jp/</a></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>入場無料</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>大西麻貴(大西麻貴+百田有希)、大室佑介(大室移築アトリエ)、岡部修三(upsetters architects)、西山広志 奥平桂子 (nishiyamahiroshiokudairakeiko)、藤田雄介(CAMP DESIGN INC.)、 増田信吾 大坪克亘(増田信吾+大坪克亘)、米澤隆(HAP+associates) </td></tr></table><p>大西麻貴+百田有希しか知らないけれど、80年代生まれの人達の建築は気になる。上の世代とどう違うのか。主催は今年設立された京都の建築NPOの模様。</p><p><a href="http://www.aaf.khaa.jp/u30/" target="_blank">http://www.aaf.khaa.jp/u30/</a></p></div>
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2010-09-19T07:44:23+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】U-30 記念シンポジウム 1
http://www.aaf.khaa.jp/u30/
<h2>U-30 記念シンポジウム 1</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010 年 10 月 3 日(日)<br />
15:30-19:30</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>ODPギャラリー<br><a href="http://www.osaka-design.co.jp/" target="_blank">http://www.osaka-design.co.jp/</a></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>建築士会会員・学生 500 円<br />
一般 1,000 円 <br />
要申し込み。公式サイトにて。</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>五十嵐淳(北海道)× 藤本壮介(関東)× 平沼孝啓(関西) × 三分一博志(中国)× 塩塚隆生(九州)<br>meets U-30 出展若手建築家</td></tr></table><p>メンツがけっこう豪華です。19:30-20:30までレセプションパーティ。パーティ・・。</p><p><a href="http://www.aaf.khaa.jp/u30/" target="_blank">http://www.aaf.khaa.jp/u30/</a></p></div>
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2010-09-19T07:47:24+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】U-30 記念シンポジウム 2
http://www.aaf.khaa.jp/u30/
<h2>U-30 記念シンポジウム 2</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010 年 10 月 9 日(土)<br />
15:30-18:30</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>ODPギャラリー<br><a href="http://www.osaka-design.co.jp/" target="_blank">http://www.osaka-design.co.jp/</a></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>建築士会会員・学生 500 円<br />
一般 1,000 円 <br />
要申し込み。公式サイトにて。</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>伊東豊雄(建築家)<br>meets U-30 出展若手建築家</td></tr></table><p>メンツが豪華です。18:30-19:30までレセプションパーティ。パーティ・・。</p><p><a href="http://www.aaf.khaa.jp/u30/" target="_blank">http://www.aaf.khaa.jp/u30/</a></p></div>
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2010-10-04T17:03:14+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】Vincent de Rijk
http://www.pantaloon.org/hoi.html
<h2>Vincent de Rijk </h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年10月9日(土)ー11月7日(日)<br />
金曜〜日曜の13:00〜19:00<br />
その他の曜日はアポイントメント制</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>PANTALOON</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr></table><p>『デザインアカデミーアイントフォーヘン卒業後、ヴィンセント・デ・ライクは1987年にロッテルダムに彼のスタジオを構え活動を開始。ポリエスタレジンやセラミックによる自身の器シリーズと共に、レムコールハースやMVRDVなどの建築家からの依頼をうけてモデルの製作、また新しい素材のリサーチなどをおこなっています。最近では研究してきた透明レジンによる家具を多く手がけるなどその活動は多岐にわたっています。』とのこと。5カ所にわたって行われるオランダデザインの展示の一環。</p><p><a href="http://www.pantaloon.org/hoi.html" target="_blank">http://www.pantaloon.org/hoi.html</a></p></div>
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2010-10-04T17:04:52+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】Werkplaats Typografie
http://www.pantaloon.org/hoi.html
<h2>Werkplaats Typografie</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年10月9日(土)ー11月7日(日)<br />
金曜〜日曜の13:00〜19:00<br />
その他の曜日はアポイントメント制</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>PANTALOON</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr></table><p>『カレル・マルテンスやアーマンド・メーフィスが教鞭をとるヴェルクプラーツ・タイポグラフィは、実践的な業務と自主的な企画に重点を置いたカリキュラムが特徴的な教育機関です。クライアントや印刷所との折衝、コストとスケジュールの管理などの実務を行い、教師との対話を重ねながら仕上げてゆく作業が「授業」とされており、このように、デザイナーとしての基盤を形成することを目的とした、柔軟で創造的な教育環境からは多くの優秀なグラフィックデザイナーが輩出されています。』とのこと。5カ所にわたって行われるオランダデザインの展示の一環。</p><p><a href="http://www.pantaloon.org/hoi.html" target="_blank">http://www.pantaloon.org/hoi.html</a></p></div>
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2010-12-10T12:32:30+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】軽音楽とジャンボリー3
http://www.nedogu.com/blog/archives/444
<h2>軽音楽とジャンボリー3 </h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年10月9日(土)open 13:00 start 13:30(end 21:30)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>旧グッゲンハイム邸(JR/ 山陽塩屋駅徒歩5分)<br>〒655-0872 神戸市垂水区塩屋町3丁目5-17</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>予約 ?3,000 / 当日 ?3,500</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>PAAP<br>popo<br>ペ・ド・グ<br>泊<br>LE TON MIT (McCloud ZICMUSE)<br>川端稔(ゲスト:宇波拓)<br>かえる属(かえるさんa.k.a細馬宏通 / 中尾勘二)<br>川手直人<br>梅田哲也(愛知より遠隔操作参加)<br>山路知恵子<br>BRAZIL<br>core of bells<br>Ett<br>水内義人<br>水谷康久トリオ(水谷康久+稲田誠+半野田拓)<br>〈いろはにほへと順〉</td></tr><tr><th>音響</th><td class='dot'>:</td><td>西川文章</td></tr><tr><th>FOOD</th><td class='dot'>:</td><td>山路製めん / ネリKitchen / キタサンド / yugue 他</td></tr></table><p>[定点観測]神戸・塩屋のグッゲンハイム邸での大きめのイベント、軽音楽ジャンボリーにて、梅田哲也のパフォーマンス。ただし、この日に彼は名古屋にいるため、名古屋からの遠隔参加になるそうです。</p><p><a href="http://www.nedogu.com/blog/archives/444" target="_blank">http://www.nedogu.com/blog/archives/444</a></p></div>
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2010-08-30T08:32:26+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】『倉地久美夫と日比谷カタンの夜』
http://musicaja.info/
<h2>『倉地久美夫と日比谷カタンの夜』</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>開場18:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>ムジカジャポニカ</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売り2500円 当日3000円</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>倉地久美夫 日比谷カタン</td></tr></table><p><a href="http://musicaja.info/" target="_blank">http://musicaja.info/</a></p></div>
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2010-10-04T17:29:12+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】StitchandSew 2011ss Collection Exhibition
http://www.stitchandsew.jp/
<h2>StitchandSew 2011ss Collection Exhibition</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>10月10日(日) 10:00-19:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>chef d’oeuvre<br>大阪府大阪市西区阿波座1-9-12 </td></tr></table><p><a href="http://www.stitchandsew.jp/" target="_blank">http://www.stitchandsew.jp/</a></p></div>
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2010-09-02T05:51:48+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】Oval Japan tour 2010
http://www.metro.ne.jp/schedule/2010/10/17/index.html
<h2>Oval Japan tour 2010</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>18:00開場、18:30開演、22:00終演予定</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>京都clubMETRO</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売り3,500円(ドリンク別)<br />
当日4,000円(ドリンク別)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>Special LIVE: oval(from Germany,Berlin)<br>Guest LIVE:PsysEx(shrine.jp)<br>DJ:Dj Tatsuya(Night Cruising)<br><br><br>HP: <a href="http://www.faderbyheadz.com/release/headz143.htm" target="_blank">http://www.faderbyheadz.com/release/headz143.htm</a></td></tr></table><p><a href="http://www.metro.ne.jp/schedule/2010/10/17/index.html" target="_blank">http://www.metro.ne.jp/schedule/2010/10/17/index.html</a></p></div>
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2010-09-02T05:33:27+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】Borofesta2010 大前夜祭
http://borofesta.ototoy.jp/v/top/
<h2>Borofesta2010 大前夜祭</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>会場18:00、開演19:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>京都KBSホール</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売 3,300円 / 当日 3,800円(1ドリンク代別)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN<br>ときめき☆ジャンボジャンボ</td></tr></table><p><a href="http://borofesta.ototoy.jp/v/top/" target="_blank">http://borofesta.ototoy.jp/v/top/</a></p></div>
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2010-12-10T12:26:26+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】Out of Place, Out of Time, Out of Performance
http://www.njpartcenter.kr/ff.html
<h2>Out of Place, Out of Time, Out of Performance</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年10月22日 18:00〜<br />
2010年10月23日 18:00〜</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>韓国・水原市ナム・ジュン・バイクアートセンター</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>梅田哲也</td></tr></table><p>[定点観測]ナム・ジュン・パイクアートセンターにて、4週連続日本から人を招いてのパフォーマンス月間の2週目、2夜連続して梅田哲也のパフォーマンスがあります。</p><p><a href="http://www.njpartcenter.kr/ff.html" target="_blank">http://www.njpartcenter.kr/ff.html</a></p></div>
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2010-09-22T15:34:05+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】マレビトの会『ヒロシマ・ハプチョン』
http://www.marebito.org/
<h2>マレビトの会『ヒロシマ・ハプチョン』</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>10月28日(木)昼の回 15:00?18:00 / 夜の回 18:30〜21:30<br />
10月29日(金)昼の回 15:00?18:00 / 夜の回 18:30〜21:30 <br />
10月30日(土)昼の回 13:00?18:00 / 夜の回 18:30〜21:30 <br />
10月31日(日)昼の回 13:00?17:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>京都芸術センター講堂</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>一般前売1,800円/一般当日2,300円(リピーター割引2回目以降は1,000円)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>生実慧、川面千晶、桐澤千晶、黒坂祐斗、児玉絵梨奈、駒田大輔、島崇、武田暁、チョン・ヨンドゥ、西山真来、F.ジャパン、山口惠子、山口春美</td></tr></table><p>東京公演が11月に自由学園明日館でもあるそうです。</p><p><a href="http://www.marebito.org/" target="_blank">http://www.marebito.org/</a></p></div>
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2010-12-10T12:13:27+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】テニスコーツ+梅田哲也 in 名古屋
http://aichitriennale.jp/events/post-363.html
<h2>テニスコーツ+梅田哲也 in 名古屋</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>10月29日(金)19:30?(開場 18:30?)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>名古屋・あいちトリエンナーレ長者町会場(ATカフェ・万勝S館地下1階)</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>2,000円(1ドリンク付) </td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>テニスコーツ+梅田哲也</td></tr></table><p>[定点観測]あいちトリエンナーレでの会場にて、テニスコーツ+梅田哲也のライブパフォーマンスです。</p><p><a href="http://aichitriennale.jp/events/post-363.html" target="_blank">http://aichitriennale.jp/events/post-363.html</a></p></div>
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2010-10-31T14:19:43+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】et 2
http://ompasha.blog.shinobi.jp/
<h2>et 2</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>19:00open 19:30start</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>中崎町 common cafe</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>¥1000 +drink order</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>□作曲/出演<br>江崎將史<br>竹内光輝<br>□ゲスト<br>小田寛一郎</td></tr></table><p>「“et” は実験的な作曲をして、それらを演奏するコンサートシリーズです。」とのこと。<br><a href="http://complusposition.futow.net/et/" target="_blank">http://complusposition.futow.net/et/</a></p><p><a href="http://ompasha.blog.shinobi.jp/" target="_blank">http://ompasha.blog.shinobi.jp/</a></p></div>
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2010-10-31T14:13:53+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】林勇気展「the world and fragments of the world」
http://www.gyfa.co.jp/
<h2>林勇気展「the world and fragments of the world」</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>11:00−19:00 ※13:00−14:00は昼休み<br />
休廊:日・月曜日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>ギャラリーヤマキファインアート</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr></table><p>映像作家、林さんの個展。通っていた大学の助手であったり、かつて映像と音のバンドを一緒にやっていたりした。</p><p><a href="http://www.gyfa.co.jp/" target="_blank">http://www.gyfa.co.jp/</a></p></div>
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2010-12-10T11:56:19+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する : 第1回
http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html
<h2>観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する : 第1回</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年11月6日 14:00~18:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>京都精華大学</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>7,500円(ワークショップ全4回分)</td></tr><tr><th>講師</th><td class='dot'>:</td><td>梅田 哲也<br>contact Gonzo</td></tr><tr><th>協力</th><td class='dot'>:</td><td>山崎 伸吾(hanare / Refsign Magazine)</td></tr><tr><th>定員</th><td class='dot'>:</td><td>30名</td></tr></table><p>[定点観測]梅田哲也 + contact Gonzoが講師となってのワークショップと公開発表会の第一回です。</p><p><a href="http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html" target="_blank">http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html</a></p></div>
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2010-12-10T12:06:32+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】中尾さん祭り 5回目
http://float.chochopin.net/event.php?day=20101119
<h2>中尾さん祭り 5回目</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>11月19日 19:30くらい - (開場19:00)<br />
</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>FLOAT</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>予約2,000円 / 当日2,300円</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>LOW FISH (船戸博史:コントラバス、関島岳郎:テューバなど、中尾勘二:管楽器や打楽器)<br>ふいご (古池寿浩:トロンボーン、中尾勘二:サックスやクラリネット、関島岳郎:テューバ)<br>中尾なんとか通り (中尾勘二:管楽器、みやけをしんいち:ソプラノサックスとか)<br>中尾勘二(管楽器や打楽器?) × 江崎將史(トランペット) × 梅田哲也(自作の何か)</td></tr><tr><th>食事</th><td class='dot'>:</td><td>カレー妻(イノウエトモエ)のカレー</td></tr></table><p>[定点観測]大阪・FLOATで開催される音楽イベント、梅田哲也と中尾勘二さん、江崎將史さんの3人の組み合わせでのライブがあります。</p><p><a href="http://float.chochopin.net/event.php?day=20101119" target="_blank">http://float.chochopin.net/event.php?day=20101119</a></p></div>
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2010-11-11T16:16:56+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】お引越とお葬式:life and death of schtucco
http://www.pantaloon.org/schtucco.html
<h2>お引越とお葬式:life and death of schtucco</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年11月20日(土)-12月26日(日)<br />
[金・土・日のみ一般公開 13:00-19:00]</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>PANTALOON パンタロン<br>大阪市北区中津3-17-14</td></tr></table><p>『美術・写真・建築・批評等の書籍やエキシビジョン・グラフィックで、グラフィック・デザイナーのみならず、多くのアーティストや建築家からも注目を集めているデザイン・オフィス「schtucco」(シュトゥッコ)の、最初で最後のエキシビションをパンタロンで開催いたします。<br>シュトゥッコの中心メンバーである秋山伸と堤あやこは、第一子の誕生を期に今年いっぱいで組織を解消し、秋山の故郷である新潟の農村に引っ越します。その引っ越しの経路を大きく迂回して大阪のパンタロンに滞在し、過去作品の展示(ワーク・イン・プログレス/公開制作)だけでなく、オフィスを丸ごとパンタロンに開設、通常のデザイン作業の公開やトーク、ワークショップなどで、多角的にシュトゥッコ・デザインのコンセプトと手法を、その死の前に明らかにします。』とのこと。</p><p><a href="http://www.pantaloon.org/schtucco.html" target="_blank">http://www.pantaloon.org/schtucco.html</a></p></div>
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2010-12-10T11:57:05+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する : 第2回
http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html
<h2>観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する : 第2回</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年11月20日 14:00~18:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>京都精華大学</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>7,500円(ワークショップ全4回分)</td></tr><tr><th>講師</th><td class='dot'>:</td><td>梅田 哲也<br>contact Gonzo</td></tr><tr><th>協力</th><td class='dot'>:</td><td>山崎 伸吾(hanare / Refsign Magazine)</td></tr><tr><th>定員</th><td class='dot'>:</td><td>30名</td></tr></table><p>[定点観測]梅田哲也 + contact Gonzoが講師となってのワークショップと公開発表会の第二回です。</p><p><a href="http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html" target="_blank">http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html</a></p></div>
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2010-12-10T09:23:40+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】フェデリコ・レオン『未来のわたし』
http://kyoto-ex.jp/program/program-official/202/
<h2>フェデリコ・レオン『未来のわたし』</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>11/21(Sun) 18:00<br />
11/22(Mon) 19:30(ポストトーク)<br />
11/23(Tue) 15:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>京都芸術センター 講堂</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>一般/前売 3,500円<br />
一般/当日 4,000円<br />
ユース・学生/前売・当日 3,000円<br />
高校生以下/前売・当日 1,000円</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>ヒメナ・アンガヌッチ、エリザベス・バニェス、オスカー・マリアーノ・グリリ、フリアン・ラクイエル、イザベラ・ギアラ・ロンギターノ、ディナ・ミンスター、マリアネラ・ポルティーリョ、ベレン・アブリル・プルヴィレンティ、コンラド・バレンスエラ<br>製作 : コンプレホ劇場(ブエノスアイレス) / 共同製作 : クンステンフェスティバルデザール(ブリュッセル)、HAU劇場(ベルリン)、コリン・トリネッシ・フェスティバル(トリノ)、スタイリシェル・ヘルブスト・フェスティバル(グラーツ)主催 : KYOTO EXPERIMENT</td></tr><tr><th>スタッフ</th><td class='dot'>:</td><td>創作 : フェデリコ・レオン & マリアネラ・ポルティーリョ、フリアン・テジョ、ヒメナ・アンガヌッチ、エステバン・ラモーテ / キャスティング : マリア・ラウラ・ベルチ / 音響 : カトリエル・ヴィルドソラ / 編集 : マルティン・マイノリ、カテリーナ・リンコン / ヘアメイク : ネストル・ブルゴス / 衣装 : ヴァレンティーナ・バリ / 舞台デザイン : アリエル・ヴァッカロ / 映像アート・ディレクター : マリエラ・リポダス / テクニカル・コーディネーター : フリアン・テジョ / 映像制作・技術 : アレハンドロ・ソレル / 映像・写真撮影 : ギィエルモ・ニエモ / 照明デザイン : アレハンドロ・ル・ル、ギィエルモ・ニエモ / エグゼプティブ・プロデューサー : フェデリコ・レオン / ツアー・マネージャー : タチアナ・サフィル / アシスタント・ディレクター : マレーナ・ファナティ / 制作 : ナディア・ジャッキー</td></tr><tr><th>上演時間</th><td class='dot'>:</td><td>60分</td></tr></table><p>普段、演劇をあまり見ませんし、この方のことについては何一つ知らないのですが、松本亘さんにチケットを譲って頂いたので見に行きます。</p><p><a href="http://kyoto-ex.jp/program/program-official/202/" target="_blank">http://kyoto-ex.jp/program/program-official/202/</a></p></div>
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2010-10-06T11:03:39+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】イメネ - 高木正勝ピアノソロコンサートツアー
http://www.greens-corp.co.jp/schedule/info/index.php?event_id=2121
<h2>イメネ - 高木正勝ピアノソロコンサートツアー</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年11月23日(火・ 祝日)<br />
open17時/start18時</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>神戸芸術センター 芸術劇場</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>全席指定5000円</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>高木正勝</td></tr></table><p><a href="http://www.greens-corp.co.jp/schedule/info/index.php?event_id=2121" target="_blank">http://www.greens-corp.co.jp/schedule/info/index.php?event_id=2121</a></p></div>
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2010-10-26T12:37:35+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】MilkLariat みるくらりあっと vol.3
http://www.milkrecord.jp/mlt/index.html
<h2>MilkLariat みるくらりあっと vol.3</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>11月27日(土)、11月28日(日)<br />
13:30開場14:30開演</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>名村造船所跡地 STADIO PARTTITA</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>一日 5900円(税込)当日ドリンク代別途</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>■2010.11.27(土)【出演アーティスト】※50音順<br><br>ARTERY VEIN(喜多村英梨・今井麻美)<br>ave;new feat.佐倉紗織<br>いとうかなこ<br>小坂りゆ<br>榊原ゆい<br>Little Non<br>加瀬愛奈<br>佐咲紗花<br>yozuca*<br>lily-an<br>MOSAIC.WAV<br><br>and more!<br><br>MC:ジョイまっくす<br><br><br><br><br>■2010.11.28(日)【出演アーティスト】※50音順<br><br>ave;new feat.佐倉紗織<br>喜多村英梨<br>小坂りゆ<br>Suara<br>ミルキィホームズ<br>MOSAIC.WAV<br>桃井はるこ<br>yozuca*<br><br>and more!<br><br>MC:ジョイまっくす<br><br>【Special contents 】<br>ミルキィホームズ ライブ&トーク!<br></td></tr></table><p><a href="http://www.milkrecord.jp/mlt/index.html" target="_blank">http://www.milkrecord.jp/mlt/index.html</a></p></div>
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2010-11-10T12:09:09+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】妹島和世講演会
<h2>妹島和世講演会</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年11月27日(土) 14:00〜</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>兵庫県立美術館ギャラリー棟3階ギャラリー<br>(神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1)</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>一般1,000円 高校生以下500円<br />
※チケットは、兵庫県立美術館ミュージアムショップ、またはローソンチケット(Lコード52629)にて購入。</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>▼講演 「建築と環境」<br>講師:妹島和世<br><br>▼対談 「美術館がまちを変える」<br>講師:妹島和世 蓑 豊</td></tr></table><p>先日プリツカー賞を受賞したSANAAの妹島和世の講演会。『第一部の講演会では、建物と環境とのつながりを大切にする妹島さんの美術館建築にかける思いなどをお話いただきます。第二部の対談では、妹島さんと蓑豊当館館長が金沢21世紀美術館を始めとするミュージアムを核としたまちの賑わいづくりについて語り合います。』とのこと。</p></div>
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2010-11-11T16:13:33+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】大阪市中央卸売市場本場 市民消費者感謝デー
http://www.city.osaka.lg.jp/shijo/page/0000099297.html
<h2>大阪市中央卸売市場本場 市民消費者感謝デー</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>平成22年11月28日(日)午前10時?午後1時</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>大阪市中央卸売市場本場 市場東棟1階</td></tr></table><p>『大阪市中央卸売市場では、市民に親しまれる「開かれた市場」として、生鮮食料品の流通拠点である市場の役割や機能を知っていただくとともに、生鮮食料品の普及と消費拡大をめざし、市民や消費者の皆様に市場を開放するイベント「大阪市中央卸売市場本場 市民消費者感謝デー」を開催します。<br><br> 「まぐろの解体ショー」や「せりの体験(模擬せり)」のほか、市場で取り扱う新鮮な生鮮食料品の即売なども行います。<br><br> 大阪市民の「食」をまもる中央卸売市場にぜひお越しください。』とのこと。</p><p><a href="http://www.city.osaka.lg.jp/shijo/page/0000099297.html" target="_blank">http://www.city.osaka.lg.jp/shijo/page/0000099297.html</a></p></div>
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2010-12-10T09:33:30+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】アンサンブルズ・フェス
http://www.artmetoo.jp/ensembles/#anchor03
<h2>アンサンブルズ・フェス</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>11月28日(日)12:00 〜 18:00頃</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>水戸芸術館現代美術ギャラリー</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売2800円、当日3300円 10/28(木)発売開始<br />
※小学生まで無料<br />
※中・高生:前売り1400円、当日1650円(ご購入の際、学生証の提示をお願いします)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>大友良英、山本精一、カヒミ・カリィ、テニスコーツ、七尾旅人、梅田哲也、山本達久、小林幹、duny's coke、さいとうゆい</td></tr></table><p>[定点観測]水戸芸術館での大友良英さんの展示の中でのライブイベントです。</p><p><a href="http://www.artmetoo.jp/ensembles/#anchor03" target="_blank">http://www.artmetoo.jp/ensembles/#anchor03</a></p></div>
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2010-12-10T09:36:32+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】なしくずしのC
http://www.wako.ac.jp/what_new/2010/2010-1122-1150-59.html
<h2>なしくずしのC</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>11月30日(火) 18:50 〜(開場18:30)<br />
</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>和光大学E棟4階 食堂</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1000円(ドリンク別)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>・うれしみよろこびて<br>・佐藤実 m/s,SASW <a href="http://www.ms-wrk.com/" target="_blank">http://www.ms-wrk.com/</a><br>・テニスコーツ+梅田哲也<br> テニスコーツ <a href="http://www.tenniscoats.com/" target="_blank">http://www.tenniscoats.com/</a><br> 梅田哲也 <a href="http://www.siranami.com/" target="_blank">http://www.siranami.com/</a></td></tr></table><p>[定点観測]東京・和光大学でのテニスコーツ+梅田哲也が出演するライブイベントです。</p><p><a href="http://www.wako.ac.jp/what_new/2010/2010-1122-1150-59.html" target="_blank">http://www.wako.ac.jp/what_new/2010/2010-1122-1150-59.html</a></p></div>
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2010-12-10T11:57:53+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する : 第3回
http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html
<h2>観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する : 第3回</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月3日 19:00~21:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>京都精華大学</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>7,500円(ワークショップ全4回分)</td></tr><tr><th>講師</th><td class='dot'>:</td><td>梅田 哲也<br>contact Gonzo</td></tr><tr><th>協力</th><td class='dot'>:</td><td>山崎 伸吾(hanare / Refsign Magazine)</td></tr><tr><th>定員</th><td class='dot'>:</td><td>30名</td></tr></table><p>[定点観測]梅田哲也 + contact Gonzoが講師となってのワークショップと公開発表会の第三回です。</p><p><a href="http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html" target="_blank">http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html</a></p></div>
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2010-11-25T10:28:32+09:00
http://yosomi.jp/
松本渉
【】精華大学 梅田哲也 × contact gonzo
<h2>精華大学 梅田哲也 × contact gonzo</h2><p class='author'>松本渉</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月4日</td></tr></table></div>
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2010-11-25T10:30:19+09:00
http://yosomi.jp/
松本渉
【】会/議/体
<h2>会/議/体</h2><p class='author'>松本渉</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月4日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>A'ワーク創造館</td></tr></table></div>
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2010-12-01T15:55:55+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】兼高ヘル美ロシアの旅2010 世界のいなかの写真を見る会
http://hellme.net/blog/index.html
<h2>兼高ヘル美ロシアの旅2010 世界のいなかの写真を見る会</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>18時頃開場、19時頃開演、適当に終了予定<br />
<br />
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</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>古本屋メガネヤ</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>500円(食べ物持ちこみの方)<br />
1000円(持ちこみなしの方)<br />
のみもの1杯つきの予定<br />
<br />
<br />
</td></tr></table><p>デリヘル美さんのロシア・フランス旅行の写真約2200枚をエピソードを交えながらプロジェクターで見る会。詳細はリンク先へ。</p><p><a href="http://hellme.net/blog/index.html" target="_blank">http://hellme.net/blog/index.html</a></p></div>
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2010-12-10T11:59:03+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する : 公開発表会
http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html
<h2>観察をパフォーマンスする/パフォーマンスが崩壊する : 公開発表会</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月4日 19:00~21:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>京都精華大学</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1000円(一般)・500円(学生/要学生証) </td></tr><tr><th>講師</th><td class='dot'>:</td><td>梅田 哲也<br>contact Gonzo</td></tr><tr><th>協力</th><td class='dot'>:</td><td>山崎 伸吾(hanare / Refsign Magazine)</td></tr></table><p>[定点観測]梅田哲也 + contact Gonzoが講師となってのワークショップと公開発表会の最終回。公開発表会です。</p><p><a href="http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html" target="_blank">http://www.kyoto-seika.ac.jp/garden/2010_late/g03.html</a></p></div>
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2010-12-11T04:32:04+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】しんかいあさ「もっと自由になりたいなぁ」展
<h2>しんかいあさ「もっと自由になりたいなぁ」展</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月7日 - 2010年12月12日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>難波「お茶の店TARMERRY」</td></tr></table></div>
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2010-11-25T10:32:07+09:00
http://yosomi.jp/
松本渉
【】アッパーグラウンド / 子供鉅人
<h2>アッパーグラウンド / 子供鉅人</h2><p class='author'>松本渉</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月10日 - 2010年12月13日</td></tr></table></div>
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2010-11-19T12:32:01+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】死刑台のエレベーター
http://www.cinenouveau.com/sakuhin/louismalle/loismallesche.html
<h2>死刑台のエレベーター</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>上映時間は日ごとに異なります。</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>シネ・ヌーヴォ<br><a href="http://www.cinenouveau.com/" target="_blank">http://www.cinenouveau.com/</a></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売券 : 1,300円<br />
※前売券は、劇場窓口、チケットぴあ、セブンイレブン、サークルKサンクス(以上Pコード:462-393)他にて好評発売中!!<br />
当日券 : 一般1,500円/学生1,300円/高・中・小・シニア1,000円/レイトショー割引(20:00以降の回)1,000円<br />
※連日朝より当日分の整理番号つき入場券の販売を開始します。<br />
ご入場は各回10〜15分前より整理番号順となりますので、前売券なども受付にて入場券とお引き換えください。</td></tr><tr><th>内容</th><td class='dot'>:</td><td>死刑台のエレベーター ニュープリント版<br>1957年/フランス/モノクロ/92分<br>◎監督:ルイ・マル◎脚本:ルイ・マル、ロジェ・ニミエ ◎撮影:アンリ・ドカエ <br>◎音楽:マイルス・デイビス ◎出演:ジャンヌ・モロー、モーリス・ロネ、ジュルジュ・プージュリー、ヨリ・ベルタン、リノ・ヴァンチュラ、ジャン・ウォール<br>大企業社長の側近として、その手腕を発揮していたジュリアン(モーリス・ロネ)。しかし彼は同時に、社長夫人フロランス(ジャンヌ・モロー)と不倫関係にもあった。情事の果て、社長を自殺に見せかけて殺すことを画策したジュリアンは、それを実行に移す。完全犯罪を成し遂げたかに思えたが、証拠隠滅のため再び犯行現場に戻る途中のエレベーター内に運悪く閉じこめられてしまう。一方、ジュリアンの車を盗んで、パリの街へと繰り出した花屋の売り子ベロニク(ヨリ・ベルタン)とその恋人ルイ(ジョルジュ・プージュリー)も予期せぬ殺人を犯してしまう。十数階の高所で突然停止してしまったエレベーター内で、閉鎖空間の恐怖と焦燥感に見舞われる男。恋人に対する信頼と懐疑を抱えながら、行く当てもなく街を彷徨う女。そして、自動車道を疾走する若者たち。4人は、パリの夜の深淵へと引き込まれて行く…。</td></tr></table><p>大阪/九条シネヌーヴォにて、ルイ・マル監督特集。<br>死刑台のエレベーターの音楽は聞いた事があるけれど、映画を見ていないので見に行きます。</p><p><a href="http://www.cinenouveau.com/sakuhin/louismalle/loismallesche.html" target="_blank">http://www.cinenouveau.com/sakuhin/louismalle/loismallesche.html</a></p></div>
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2010-12-11T04:12:47+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】村上隆の闘争論3(トークショー)
http://www.standardbookstore.com/archives/65928998.html
<h2>村上隆の闘争論3(トークショー)</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>会場18:30 開演19時</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>standard book store </td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>本購入により整理券配布</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>村上隆</td></tr></table><p><a href="http://www.standardbookstore.com/archives/65928998.html" target="_blank">http://www.standardbookstore.com/archives/65928998.html</a></p></div>
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2010-12-11T04:25:02+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】「Mr.のChildren大阪 やで!」展
<h2>「Mr.のChildren大阪 やで!」展</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月11日 - 2011年1月22日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>青井画廊</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>Mr.‐ 赤松晃年‐ 門眞妙‐ 田尻悠</td></tr></table></div>
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2010-12-02T06:53:53+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】ルーシー・リー展
http://www.lucie-rie.jp/
<h2>ルーシー・リー展</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月11日(土)〜 2011年2月13日(日)<br />
・開館時間<br />
9:30 〜 17:00<br />
※入館は閉館の30分前まで<br />
・休館日<br />
月曜日(12月13日、20日、1月10日は開館)、<br />
年末年始<12月28日(火)? 1月4日(火)>、 <br />
1月11日(火)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>大阪市立東洋陶磁美術館<br>〒530-0005 大阪市北区中之島1−1−26</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>一般 900円/高大生 540円</td></tr></table><p>イギリスの陶芸家、ルーシー・リーの展覧会。<br>『ディム(大英帝国二等勲爵士)の称号を持つルーシー・リーは、バーナード・リーチやハンス・コパーと並び、20世紀を代表する陶芸家の一人です。ウィーンに生まれイギリス人として半生を生きた彼女は、70年近くにもわたる創作活動の中で多くの作品を作り、独自のスタイルで陶芸の世界に新しい風を吹き込みました。無駄のないシンプルなフォルム、自由な色彩、優雅で洗練された装飾との見事な融合…。それは大都市の中の小さな工房で、一人器と向き合い続けた彼女の生き方にも似ているように思えます。』とのこと。</p><p><a href="http://www.lucie-rie.jp/" target="_blank">http://www.lucie-rie.jp/</a></p></div>
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2010-12-10T11:49:47+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】みんなのストーブ
http://d.hatena.ne.jp/veno/20101212
<h2>みんなのストーブ </h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>12月12日(日)open 2:30pm/start 3:00pm</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>東京・代官山Sedona催事場<br><a href="http://www.sedona-daikanyama.com/" target="_blank">http://www.sedona-daikanyama.com/</a></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>2500円(1drink付)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>テニスコーツ + 梅田哲也</td></tr><tr><th>ゲスト</th><td class='dot'>:</td><td>びび & 軟式テニスコーツ</td></tr><tr><th>予約受付</th><td class='dot'>:</td><td>majikick@hotmail.com<br>☆ご予約の方は会場にて特典ステッカーを差し上げます</td></tr></table><p>[定点観測]東京・代官山にてテニスコーツ+梅田哲也のワンマンライブ。夏に行われたイベント「みんなの氷」の第2回です。</p><p><a href="http://d.hatena.ne.jp/veno/20101212" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/veno/20101212</a></p></div>
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2010-12-09T10:15:09+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】双子座流星群
<h2>双子座流星群</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月14日20時を極大として、その前後</td></tr></table><p>今年の双子座流星群は、12/14 20:00ごろが極大(最も流星が多い時間帯)となるそうです。ただし、その時間はまだ月が出ていて空が明るいために、月の沈んだあとの深夜の方が観測には良いかもしれません。明け方まで観測できます。<br>その時間に限らず、極大前後1日程度は流星を観測できる事が多いようです。<br>流星の母天体はフェートン、三大流星群の一つに数えられています。</p></div>
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2011-01-14T01:28:09+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】山荘美学 日高理恵子とさわひらき
http://www.asahibeer-oyamazaki.com/tokubetu/syosai30/index.html
<h2>山荘美学 日高理恵子とさわひらき</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月15日 - 2011年3月13日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>大山崎山荘美術館</td></tr></table><p><a href="http://www.asahibeer-oyamazaki.com/tokubetu/syosai30/index.html" target="_blank">http://www.asahibeer-oyamazaki.com/tokubetu/syosai30/index.html</a></p></div>
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2010-12-20T20:25:35+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】阪急百貨店メンズ館 presents・ クロスレコメンドラウンジ第2回
http://www.hankyu-dept.co.jp/honten/hankyu-mens/
<h2>阪急百貨店メンズ館 presents・ クロスレコメンドラウンジ第2回</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>18:30から21:00まで</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>阪急百貨店メンズ館3階 メンバーズラウンジ</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1回 : 2,000円 ※5回一括申込 8,000円 (定員20名)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>おかけんた</td></tr></table><p><a href="http://www.hankyu-dept.co.jp/honten/hankyu-mens/" target="_blank">http://www.hankyu-dept.co.jp/honten/hankyu-mens/</a></p></div>
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2010-12-09T10:29:16+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】春日若宮おん祭り 遷幸の儀
http://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/1217.html
<h2>春日若宮おん祭り 遷幸の儀</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月17日 23時ごろから</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>奈良 春日大社周辺</td></tr></table><p>17日の午前0時に春日大社の神様(若宮)を山から迎え、24時間後の18日午前0時に送り出す、一日かけたお祭りの最後の儀式。遷幸の儀を見にいきます。<br>23時以前には奉納の舞や猿楽などが行われ、雅楽隊の演奏と「おぉー」という声(警蹕の声というそうです)に乗って若宮は山に戻る、という儀式です。</p><p><a href="http://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/1217.html" target="_blank">http://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/1217.html</a></p></div>
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2011-01-14T01:33:44+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】長井朋子展 木枯らしと、こんこ
http://www.tomiokoyamagallery.com/tkgk/
<h2>長井朋子展 木枯らしと、こんこ</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月17日 - 2011年2月5日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>小山登美夫ギャラリー京都</td></tr></table><p><a href="http://www.tomiokoyamagallery.com/tkgk/" target="_blank">http://www.tomiokoyamagallery.com/tkgk/</a></p></div>
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2010-12-18T06:19:25+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】私が想像する棚 音楽という記憶を持ち寄って 〜ライブ&記憶を辿るレコード鑑賞トーク〜
http://yrecord.exblog.jp/12470978/
<h2>私が想像する棚 音楽という記憶を持ち寄って 〜ライブ&記憶を辿るレコード鑑賞トーク〜 </h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月18日(土) OPEN 18:30 START 19:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>@cafe bar ポコペン</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1.500円 with 1drink</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>黒田誠二郎<br>アサダワタル(大和川レコード)<br>もぐらが一周するまで</td></tr><tr><th>進行</th><td class='dot'>:</td><td>18:30 open<br>19:00-19:30 もぐらが一周するまで(live)<br>19:30-20:00 talk1(記憶その1「高校受験時に苦楽を共にした楽曲」紹介)<br>20:00-20:30 アサダワタル(live)<br>20:30-21:00 talk2(記憶その2「初恋時 もしくは 印象深い恋愛体験と共にあった楽曲」紹介)<br>21:00-21:30 黒田誠二郎(live)<br>21:30-22:00 talk3(記憶その3テーマ“自由”)<br>22:00 close</td></tr></table><p>自分の傷口をえぐりそうなのがこわいですけど、行きます。</p><p><a href="http://yrecord.exblog.jp/12470978/" target="_blank">http://yrecord.exblog.jp/12470978/</a></p></div>
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2010-12-11T09:48:40+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】ファンタスティック光皿
<h2>ファンタスティック光皿</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月19日 OPEN:18:00 / START:19:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>地下一階(大阪・南船場)</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1500円(+1ドリンク)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>DJてにをは(melagukan)<br>スズメンバ<br>梅田哲也<br>FUTA9082</td></tr></table><p>[定点観測]大阪のライブハウス、地下一階での音楽イベントで、梅田哲也のソロパフォーマンス。</p></div>
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2010-12-16T11:59:05+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】二階堂和美のワンマンライブ
http://www.nikaidokazumi.net/live/
<h2>二階堂和美のワンマンライブ</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月19日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>広島クラブクアトロ</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>二階堂和美</td></tr></table><p><a href="http://www.nikaidokazumi.net/live/" target="_blank">http://www.nikaidokazumi.net/live/</a></p></div>
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2010-12-18T07:24:30+09:00
http://yosomi.jp/
山本握微
【】ブック・オン - 一日で書店の本棚を全て見る -
http://yosomi.jp/article.php?id=133
<h2>ブック・オン - 一日で書店の本棚を全て見る -</h2><p class='author'>山本握微</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月19日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>難波駅近辺某大型書店</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>書籍購入費</td></tr></table><p>余所見企画。大型書店に並ぶ本全てに目を通します。一日かけて計画的に。</p><p><a href="http://yosomi.jp/article.php?id=133" target="_blank">http://yosomi.jp/article.php?id=133</a></p></div>
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2010-12-20T20:58:34+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】クリスマスの飾り付け
<h2>クリスマスの飾り付け</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月21日 - 2010年12月25日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>全国各地</td></tr></table><p>クリスマスは、他のどんなイベントと比べても、町の飾り付けと雰囲気の変わり具合が面白いですね。<br>大きな所やとルミナリエ的なものから、お宅のバルコニーまで。</p></div>
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2010-12-11T09:59:56+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】ごはんイベント -BREAKFAST FAST EXTRA-
http://www.adanda.jp/event/bff/
<h2>ごはんイベント -BREAKFAST FAST EXTRA- </h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月23日 17:00-21:00<br />
</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>大垣・大垣公園 おおがきライトハウス</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>カンパ制</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>cavilll<br>村上ゴンゾ<br>元山ツトム<br>PHIRIP<br>akamar22!<br>栗原ペダル<br>他</td></tr><tr><th>ごはんアドバイザー</th><td class='dot'>:</td><td>梅田哲也</td></tr></table><p>[定点観測]岐阜県大垣・大垣公園内でのイルミネーションに関連しての企画。<br>大阪AD&Aギャラリーで行われていた食事とプレゼンテーション&ライブのイベント「BREAKFAST FAST」の出張版。梅田さんはイベント企画と、司会(?)のようです。</p><p><a href="http://www.adanda.jp/event/bff/" target="_blank">http://www.adanda.jp/event/bff/</a></p></div>
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2010-12-11T10:16:08+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】第十四回音楽祭 大城真/梅田哲也
http://d.hatena.ne.jp/ongakusai/
<h2>第十四回音楽祭 大城真/梅田哲也 </h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010.12.25 (土) 開場 19:30/開演 20:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>札幌・OYOYO<br>(札幌市中央区南1条西6丁目 第2三谷ビル6階)</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売り 2,000円/当日 2,500円/12/25-26通し券 4,000円(※)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>大城真<br>梅田哲也<br>植野隆司+高橋幾郎<br>さや<br>神田聡+永田塁+古立太一</td></tr><tr><th>問い合わせ</th><td class='dot'>:</td><td>onngakusai@gmail.com (フルダテ)</td></tr></table><p>[定点観測]札幌での梅田哲也3日間のライブ1日目。2日目とは通し券があるようです。</p><p><a href="http://d.hatena.ne.jp/ongakusai/" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/ongakusai/</a></p></div>
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2010-12-11T10:20:09+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】年末テニスコーツ@時計台
http://d.hatena.ne.jp/meddle/20101126/p1
<h2>年末テニスコーツ@時計台</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月26日 開場:18:00 開演:18:30</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>札幌時計台ホール<br>(札幌市中央区北1条西2丁目)</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売:2500円 当日:3000円<br />
※12/25-26通し券:4000円<br />
</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>テニスコーツ + 梅田哲也</td></tr><tr><th>ゲスト</th><td class='dot'>:</td><td>大城真<br>高橋幾郎</td></tr><tr><th>主催</th><td class='dot'>:</td><td>weird-meddle record</td></tr><tr><th>問い合わせ</th><td class='dot'>:</td><td>weird-meddle record 011-242-3370</td></tr></table><p>[定点観測]札幌での、梅田哲也3日間のライブの2日目。1日目とは通し券があるようです。</p><p><a href="http://d.hatena.ne.jp/meddle/20101126/p1" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/meddle/20101126/p1</a></p></div>
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2010-12-16T12:02:15+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】小谷元彦展:幽体の知覚
http://www.mori.art.museum/contents/phantom_limb/index.html
<h2>小谷元彦展:幽体の知覚</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年11月27日(土)〜2011年2月27日(日)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>森美術館</td></tr></table><p><a href="http://www.mori.art.museum/contents/phantom_limb/index.html" target="_blank">http://www.mori.art.museum/contents/phantom_limb/index.html</a></p></div>
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2010-12-16T12:05:15+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】トランスフォーメーション
http://www.mot-art-museum.jp/
<h2>トランスフォーメーション</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年10月29日(金)〜2011年1月30日(日)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>東京都現代美術館</td></tr></table><p><a href="http://www.mot-art-museum.jp/" target="_blank">http://www.mot-art-museum.jp/</a></p></div>
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2010-12-11T10:26:26+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】ハッキンオン:サッポロ編
http://d.hatena.ne.jp/meddle/
<h2>ハッキンオン:サッポロ編</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12年27日 開場:20:00 開演20:30</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>OYOYO (まち×アートセンターさっぽろ)<br>札幌市中央区南1条西6丁目 011-211-1299</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>当日のみ:1500円</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>さや/植野隆司(テニスコーツ)、梅田哲也、大城真、<br>高橋幾郎(不失者/GAQS他)、小野崎清一(アンデルセンズ)、<br>本山文朗(qodibop)、コルネリ/前田碧衣(角煮)、まるす<br>永田塁/中村亮/服部健史(MEATCOP)、<br>犬飼康太/柴田翔/麻木ギムレット八郎(むラ)、<br>神田聡、古立太一、河口洋介、秋庭孝宏</td></tr><tr><th>主催</th><td class='dot'>:</td><td>weird-meddle record</td></tr><tr><th>問合せ</th><td class='dot'>:</td><td>weird-meddle record 011-242-3370</td></tr><tr><th>チケット</th><td class='dot'>:</td><td>レコーズレコーズ南2条店/011-221-0960<br>ウィアード・メドルレコード/011-242-3370<br><br>メール予約:weird_meddle@hotmail.com<br>全ての問合せ/電話予約:ウィアード・メドルレコード 011-242-3370</td></tr></table><p>[定点観測]札幌での梅田哲也3日間のライブの最終日。<br>テニスコーツ主催の、ホームパーティー+お祭りみたいな音楽イベント「ハッキンオン」の札幌版です。</p><p><a href="http://d.hatena.ne.jp/meddle/" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/meddle/</a></p></div>
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2010-12-11T10:35:20+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】オールナイト11
http://allnightoneone.blogspot.com/
<h2>オールナイト11</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2010年12月31日(金)午後11時から<br />
2011年1月1日(土)初日の出まで(午前7時すぎ予定)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>京都・art project room ARTZONE</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>一般:前売り 2000円/当日 2500円<br />
学生:1000円/当日 1500円(要学生証)<br />
</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>梅田哲也、テニスコーツ、山本精一、生西康典、貝つぶ&江崎將史<br>東岳志、山路製麺、京都ランカイ屋<br>他</td></tr><tr><th>ビデオレターの募集</th><td class='dot'>:</td><td>全国からのビデオレター大募集!!!!!<br>応募いただいたビデオはイベント内で公開し、その模様は京都拠点のライブストリーミングユニット”京都ランカイ屋”によってUtreamで生中継されます。手書きのお手紙、サウンドレターでも構いません。内容、テーマは自由ですが、当イベントでの上映(上演)を目的に撮影(録音、執筆)されたものに限ります。また、応募者全員に当イベント特製の粗品をプレゼントいたします。<br>募集期間:2010年11月8日(月)から12月31日(金)必着<br></td></tr></table><p>[定点観測]7月からの、梅田哲也さんの六ヶ月間にわたる定点観測も最後の観測です。<br>「デッドスペース」を展示中の京都ARTZONEにて、梅田哲也企画の年越しイベント。<br>全国から募集中のビデオレター観賞、ライブ、餅つき、年越しうどん、除夜の鐘の録音の鑑賞、ビル屋上で初日の出を眺めるなど、いろいろ盛りだくさんのイベントとなるようです。</p><p><a href="http://allnightoneone.blogspot.com/" target="_blank">http://allnightoneone.blogspot.com/</a></p></div>
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2011-01-19T08:06:16+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】ロベール・クートラス作品集 「Mes Nuits 僕」の夜展
http://d.hatena.ne.jp/keibunsha2/touch/20110111
<h2>ロベール・クートラス作品集 「Mes Nuits 僕」の夜展</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>10:00-22:00(最終日は18時まで)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>恵文社一乗寺店内<br>ギャラリーアンフェール</td></tr></table><p><a href="http://d.hatena.ne.jp/keibunsha2/touch/20110111" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/keibunsha2/touch/20110111</a></p></div>
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2011-01-03T19:16:53+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】カスミトリオ / DODDODO+稲田誠
http://www.bloc.jp/shioyagu/
<h2>カスミトリオ / DODDODO+稲田誠</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>open 19:00 / start 19:30</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>旧グッゲンハイム邸</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>予約2,000円 / 当日2,500円</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>カスミトリオ (高橋幾郎/ 道下慎介[LSD March] / 植野隆司[テニスコーツ] / 梅田哲也) / DODDODO+稲田誠</td></tr></table><p><a href="http://www.bloc.jp/shioyagu/" target="_blank">http://www.bloc.jp/shioyagu/</a></p></div>
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2010-12-22T18:39:00+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】芸創→精華 CONNECT vol.4 精華小劇場公演
http://www.seikatheatre.net/osakacity.html
<h2>芸創→精華 CONNECT vol.4 精華小劇場公演 </h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年1月22日(土)19:00<br />
2011年1月23日(土)14:00<br />
*1日2団体が連続上演します。<br />
*受付・開場は開演の30分前</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>精華小劇場</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1,500円(前売・当日ともに)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>the downhill「無題」<br>●出演=白石紗知子、臼井沙代子、contact Gonzo、他<br><br>はなもとゆか×マツキモエ×ARAKIPARAMIZ「YES OR NO」<br>●作・演出=はなもとゆか、マツキモエ<br>●出演=はなもとゆか、マツキモエ、ARAKIPARAMIZ</td></tr><tr><th>チケット取り扱い</th><td class='dot'>:</td><td>精華小劇場<br>06-6643-7692(11:00?18:00)<br>ticket@seikatheatre.net<br><br>(財)大阪城ホール・文化振興部<br>06-4792-2061(平日9:00?17:00)</td></tr></table><p>「大阪市の舞台芸術活動拠点施設、芸術創造館と精華小劇場が連携して行う企画。7組のアーティストによる上演(11月、芸術創造館にて)を経て、審査員によって選ばれた2組が精華小劇場にて改訂再演。」<br>というイベントで、その11月の上演の際に見た the downhill が面白かったので、見にいきます。</p><p><a href="http://www.seikatheatre.net/osakacity.html" target="_blank">http://www.seikatheatre.net/osakacity.html</a></p></div>
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2011-01-14T10:55:02+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】「ちっちゃい火」を囲む
http://chibihi.blogspot.com/
<h2>「ちっちゃい火」を囲む</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>13:00~21:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>大阪大学豊中キャンパス</td></tr></table><p>何もっていこうかな〜</p><p><a href="http://chibihi.blogspot.com/" target="_blank">http://chibihi.blogspot.com/</a></p></div>
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2011-01-30T09:07:51+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】MusicImprovisationSeries
<h2>MusicImprovisationSeries</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2/3 (木)19:30open 20:00start</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>中崎町・コモンカフェ <a href="http://www.talkin-about.com/cafe/" target="_blank">http://www.talkin-about.com/cafe/</a></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>¥1500 +drink order</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>■矢田伊織 solo<br>■鈴木勝×小島剛 duo<br>■瀬戸信行×松永ケイゴ×みやけをしんいち trio</td></tr></table><p>出演するみやけをさん曰く『木曜日はお馴染みコモンカフェでセッション。ムラグカンがバラ売りされていたりもします。バンジョーデュオと、わりと高い音の管楽器3本のセッション。でもやはり注目すべきは伊織くんのソロでしょう。』とのこと。</p></div>
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2011-01-27T18:19:01+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】ふぁん散歩2
http://blog.jp.square-enix.com/lov/2011/01/post-177.html
<h2>ふぁん散歩2</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年2月5日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>タイトーステーション難波店</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>fan114(月刊アルカディア)、柴貴正(スクエアエニックス「ロードオブヴァーミリオン」プロデューサー)</td></tr></table><p><a href="http://blog.jp.square-enix.com/lov/2011/01/post-177.html" target="_blank">http://blog.jp.square-enix.com/lov/2011/01/post-177.html</a></p></div>
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2010-12-16T12:08:46+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】知恩寺さんの手づくり市に行く。
http://www.tedukuri-ichi.com/
<h2>知恩寺さんの手づくり市に行く。</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年2月15日</td></tr></table><p>京都に五年間通っていながら、一度も行ったことがないので、行ってみようと思います。</p><p><a href="http://www.tedukuri-ichi.com/" target="_blank">http://www.tedukuri-ichi.com/</a></p></div>
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2011-06-02T23:46:21+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】庭にお願い
会場http://www.nanagei.com/ 映画公式サイトhttp://niwanionegai.jp/
<h2>庭にお願い</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>6/25(土)から7/1(金)・・・17:10―18:35 (6月26日 日曜日は休映)<br />
7/2(土)から7/8(金)・・・21:10―22:20<br />
<br />
</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>第七藝術劇場</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売り・・・1,300円【上映初日の前日まで販売】<br />
当日料金・・・一般・学生 1,500円 シニア 1,000円<br />
</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>倉地久美夫、菊地成孔、外山明、石橋英子、岸野雄一、田口史人、須川善行 ほか<br>※公式サイトより→「7月2日(土)は、上映後に倉地久美夫ミニライヴを予定しています。お楽しみに!」<br><br></td></tr></table><p>会場<a href="http://www.nanagei.com/" target="_blank">http://www.nanagei.com/</a> 映画公式サイト<a href="http://niwanionegai.jp/" target="_blank">http://niwanionegai.jp/</a> </p></div>
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2011-06-02T23:57:59+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】アトムの足音が聞こえる
会場http://www.nanagei.com/ 映画公式サイトhttp://www.atom-ashioto.jp/
<h2>アトムの足音が聞こえる</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>19:20-20:45</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>第七藝術劇場</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td> 前売り料金・・・1,400円【上映初日の前日まで販売】<br />
当日料金・・・一般1,700円 専門・大学生1,400円 中・高・シニア1,000円</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>大野松雄、柴崎憲治、竹内一喜 ほか</td></tr></table><p>会場<a href="http://www.nanagei.com/" target="_blank">http://www.nanagei.com/</a> 映画公式サイト<a href="http://www.atom-ashioto.jp/" target="_blank">http://www.atom-ashioto.jp/</a></p></div>
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2011-07-14T02:37:27+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】服部一成二千十一年夏大阪
http://www.dnp.co.jp/gallery/ddd/
<h2>服部一成二千十一年夏大阪</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>午前11時?午後7時(土曜日午後6時まで)休館:日曜・月曜・祝日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>dddギャラリー<br>大阪市西区南堀江1-17-28 なんばSSビル1F</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr></table><p>グラフィックデザイナー、服部一成の展示。<br>『2011年までの仕事をご紹介します。<br>(一) ギャラリー入口は壁紙ポスター12種によるグラフィックの小部屋<br>(二) キユーピーハーフ、1998年?2007年の雑誌広告とポスター<br>(三) 「流行通信」2002年9月号?2004年8月号、激動24冊+1を手に取って <br>(四) ロトチェンコから横山裕一まで美術展のポスター・チラシと図録 <br>(五) 中平卓馬・ホンマタカシ・荒川洋治・蜂飼耳ほかブックデザイン <br>(六) 三菱一号館美術館、ロゴマークと封筒・包装紙・リボンなど展開 <br>(七) 平凡社のPR誌 「月刊百科」表紙の2色刷り猫グラフィック42匹 <br>(八) 「ケーキ」「七曜」「ハローキティ」「山」など展覧会作品ポスター<br>(九) 「プチ・ロワイヤル仏和辞典」「小学漢字新辞典」など旺文社辞書<br>(十) 「竹尾デスクダイアリー2006」A?Zレタリング原画と新作見本帳<br>(±) 現在13号目、季刊「真夜中」と「真夜中ブックス」・・・AND MORE』<br>とのこと。</p><p><a href="http://www.dnp.co.jp/gallery/ddd/" target="_blank">http://www.dnp.co.jp/gallery/ddd/</a></p></div>
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2011-07-14T02:40:56+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】KAZUNARI HATTORI here and there GRAPHICS
http://www.cosmicwonder.com/news/hattori/
<h2>KAZUNARI HATTORI here and there GRAPHICS</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>12:00am?8:00pm<br />
水曜定休(7月13日はオープン)<br />
7月20日(水)?30日(土)は休館</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>Center for COSMIC WONDER<br>大阪市西区新町1-13-17</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr></table><p>グラフィックデザイナー、服部一成の展示。『雑誌「here and there」とそのポスター/他を展示いたします。 』とのこと。</p><p><a href="http://www.cosmicwonder.com/news/hattori/" target="_blank">http://www.cosmicwonder.com/news/hattori/</a></p></div>
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2011-06-24T01:55:13+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】倉地久美夫、映画『庭にお願い』公開記念イベント
旧グッゲンハイム邸・・・http://www.nedogu.com/ 倉知久美夫・・・http://hirunohikari.com/kurachikumio.html
<h2>倉地久美夫、映画『庭にお願い』公開記念イベント</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>7月24日(日曜日)開場14:00 開演14:30</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>旧グッゲンハイム邸</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>予約 2000円 当日 2500円<br />
<br />
</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>LIVE:倉地久美夫 vocal, guitar 稲田誠 bass 山路知恵子 drums|<br>かえるさん vocal, guitar/(aka 細馬宏通)<br>TALK:<br>倉地久美夫+細馬宏通+安田謙一 <br><br></td></tr></table><p> 天才なんだから、しょうがない。あまりにも独特すぎるミュージシャン倉地久美夫を追った富永昌敬監督初のドキュメンタリー映画「庭にお願い」公開記念!スペシャル・ライブ+トーク!(HPより)</p><p>旧グッゲンハイム邸・・・<a href="http://www.nedogu.com/" target="_blank">http://www.nedogu.com/</a> 倉知久美夫・・・<a href="http://hirunohikari.com/kurachikumio.html" target="_blank">http://hirunohikari.com/kurachikumio.html</a></p></div>
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2011-07-18T02:37:34+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】建築レクチュアシリーズ 217 [nie - ichi - nana ] 藤本壮介
http://www.aaf.khaa.jp/217/
<h2>建築レクチュアシリーズ 217 [nie - ichi - nana ] 藤本壮介</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年7月29日(金)<br />
19:00?20:30(18:00開場、レセプション20:30-21:30)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>inter office(ショウルーム / 大阪支店)<br><br>大阪市西区北堀江1-19-1 八光心斎橋 アルファロメオショウルーム2F Tel:06-6532-7001<br><br>※大阪市営地下鉄 長堀鶴見緑地線 西大橋駅4番出口徒歩1分<br>※四つ橋線 四ツ橋駅 4番出口 徒歩3分/御堂筋線 心斎橋駅 徒歩7分</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>一般1,000円 学生500円<br />
※学生の方は学生証の提示を願います<br />
※要申込</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>講 師 <br>ゲストスピーカー : 藤本壮介(建築家)<br>メインスピーカー : 芦澤竜一(建築家) 平沼孝啓(建築家)</td></tr><tr><th>定員</th><td class='dot'>:</td><td>定員 100名(事前申込制・当日会場にて先着順座席選択)</td></tr><tr><th>申込み</th><td class='dot'>:</td><td>ホームページより受付 <a href="http://www.aaf.khaa.jp/217/" target="_blank">http://www.aaf.khaa.jp/217/</a> 要申込(7月28日(木)〆切り)</td></tr><tr><th>問い合わせ</th><td class='dot'>:</td><td>特定非営利活動法人(NPO法人) アートアンドアーキテクトフェスタ<br>URL:<a href="http://www.aaf.khaa.jp/" target="_blank">http://www.aaf.khaa.jp/</a><br>Email:aaf@khaa.jp 担当/古川</td></tr></table><p>『大阪を拠点に活動を行う2人の建築家の芦澤竜一(あしざわりゅういち)氏と平沼孝啓(ひらぬまこうき)氏がメインスピーカーとなり、2ヶ月に1度、午後7時からゲストスピーカーを招き、作家思考性を探ると共に、より本音で刺激的なトークセッションを行います。』とのこと。今回は藤本壮介。</p><p><a href="http://www.aaf.khaa.jp/217/" target="_blank">http://www.aaf.khaa.jp/217/</a></p></div>
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2011-08-04T08:22:58+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】Ur食堂!×私が想像する棚
木屋町UrBANGUILD・・・http://www.urbanguild.net/index.html
<h2>Ur食堂!×私が想像する棚</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>8月5日<br />
18:00から24:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>木屋町UrBANGUILD<br></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td> 参加費無料(会場にてドリンクやフード注文)<br />
<br />
</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>【Live&Talk】<br>エザキマサフミ<br>カメイナホコ<br>アサダワタル(大和川レコード)<br>もぐらが一周するまで<br><br></td></tr></table><p>【Talkテーマ】<br>その1:これまで借りパクしてしまった音源について<br>その2:「あの日あの時あの場所であの音楽を私に教えてくれた○○さん。ありがとう!」な音源について <br></p><p>木屋町UrBANGUILD・・・<a href="http://www.urbanguild.net/index.html" target="_blank">http://www.urbanguild.net/index.html</a> </p></div>
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2011-08-04T08:12:26+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】宝塚観光花火大会
http://www.kanko-takarazuka.jp/html/hanabi_2011.html
<h2>宝塚観光花火大会</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>8月5日(金)・6日(土) <br />
時間・・・ 19:45から20:30 <br />
</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>武庫川観光ダム一帯</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>観覧・・・無料<br />
※個人協賛の場合は個人協賛者特別観覧席へ招待、1口2,500円(当日3,000円)<br />
</td></tr></table><p><a href="http://www.kanko-takarazuka.jp/html/hanabi_2011.html" target="_blank">http://www.kanko-takarazuka.jp/html/hanabi_2011.html</a></p></div>
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2011-08-07T17:11:24+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】AD&Aギャラリーオープニング
<h2>AD&Aギャラリーオープニング</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年8月13日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>コーポ北加賀屋</td></tr></table><p>名前、変わるんだったか、どうだか。時間などわかり次第訂正します。</p></div>
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2011-08-13T02:10:48+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】平山昌尚展「本と、作品」
http://www.pantaloon.org/HIMAA_3444.html
<h2>平山昌尚展「本と、作品」</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年8月20日(土)- 9月25日(日)<br />
open 土・日 13:00-19:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>PANTALOON パンタロン<br>531-0071 大阪市北区中津3-17-14<br>T / F 06 6377 0648</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr></table><p>『パンタロンでは、2011年8月20日から9月25日まで、平山昌尚(HIMAA)展「本と、作品」を開催いたします。<br>鋭さとやわらかさが混在する特異な世界観のドローイングで、海外からも高い評価を得てきたアーティストHIMAA。今展は、彼が新たに本名の平山昌尚として発表する新作ドローイングブック"3444"を基軸に展開されます。Aurora展以来3年ぶりとなるパンタロンでの平山の展示は、平面から空間まで、彼の持つ特異な感性に満ちたエキシビションになります。みなさま是非ご高覧くださいませ。』とのこと。</p><p><a href="http://www.pantaloon.org/HIMAA_3444.html" target="_blank">http://www.pantaloon.org/HIMAA_3444.html</a></p></div>
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2011-08-22T05:16:21+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】2011 イタリア・ボローニャ国際絵本原画展
http://otanimuseum.jp/home/exhi/11bol/11bol.html
<h2>2011 イタリア・ボローニャ国際絵本原画展</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>開館時間<br />
<br />
<br />
午前10時?午後5時(入館は午後4時30分まで)<br />
<夜間開館>午後7時まで開館(入館は午後6時30分まで)<br />
8月26日(金)、9月2日(金)、9日(金)、16日(金)<br />
</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>西宮市大谷記念美術館</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>一般800円/高大生600円/小中生400円<br />
</td></tr></table><p><a href="http://otanimuseum.jp/home/exhi/11bol/11bol.html" target="_blank">http://otanimuseum.jp/home/exhi/11bol/11bol.html</a></p></div>
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2011-08-08T14:21:39+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】トラベルサマージャンボ2011
http://hellme.net/blog/index.html
<h2>トラベルサマージャンボ2011</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>8月27日(土) 17時頃開場、19時頃開演</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>古本屋「メガネヤ」<br></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>500円(食べ物持ちこみの方)<br />
1000円(持ちこみなしの方)<br />
のみもの1杯つき<br />
<br />
</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>デリ ヘル美 <br>メディアピクニック</td></tr></table><p>写真と音楽とトークで旅行をふり返る会<br>「トラベルサマージャンボ2011」<br>を開催することになりましたよ。<br></p><p><a href="http://hellme.net/blog/index.html" target="_blank">http://hellme.net/blog/index.html</a></p></div>
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2011-08-25T15:51:24+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】グッドデザインエキスポ2011
http://www.g-mark.org/expo/2011/
<h2>グッドデザインエキスポ2011</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>8月26日(金)〜28日(日)<br />
</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>東京ビッグサイト</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1000円</td></tr></table><p>お仕事で行ってきます。</p><p><a href="http://www.g-mark.org/expo/2011/" target="_blank">http://www.g-mark.org/expo/2011/</a></p></div>
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2011-08-25T15:54:57+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】ナレッジ・キャピタル トライアルイベント
http://www.kmo-jp.com/trial/
<h2>ナレッジ・キャピタル トライアルイベント</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年8月28日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>堂島リバーフォーラム/ABCホール</td></tr></table><p>ロボット演劇とアンドロイド演劇を観てきます。川上未映子のトークもみてみたい。</p><p><a href="http://www.kmo-jp.com/trial/" target="_blank">http://www.kmo-jp.com/trial/</a></p></div>
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2011-09-21T09:50:28+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】出西窯ー無自性のこころー
http://www.d-department.com/jp/project/nippon-vision/gallery/index.html
<h2>出西窯ー無自性のこころー</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年9月1日 - 2011年9月27日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>D&DEPARTMENT PROJECT OSAKA</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr></table><p><a href="http://www.d-department.com/jp/project/nippon-vision/gallery/index.html" target="_blank">http://www.d-department.com/jp/project/nippon-vision/gallery/index.html</a></p></div>
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2011-07-18T02:26:19+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎、松本渉
【】30歳以下の若手建築家7組による建築の展覧会 2011
http://www.aaf.khaa.jp/u30/
<h2>30歳以下の若手建築家7組による建築の展覧会 2011</h2><p class='author'>小田寛一郎、松本渉</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年9月9日(水)〜10月10日(月・祝)<br />
12:00〜20:00<br />
会期中無休 [合計32日間](予定)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>ODPデザインギャラリー<br><br>〒559-0034 大阪府大阪市住之江区南港2-1-10<br>アジア太平洋トレードセンター(ATC)ITM棟10階<br>ODP(大阪デザイン振興プラザ )</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>入場無料</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>大西麻貴、海法圭、加藤比呂史・ヴィクトリア・ディーマー、金野千恵、瀬戸口洋哉ドミニク、増田信吾・大坪克亘、米澤隆</td></tr></table><p>『建築模型、ドローイング、写真、映像、インスタレーションなど、様々な表現手法を用いた、多角的な展示を行う。』とのこと。</p><p><a href="http://www.aaf.khaa.jp/u30/" target="_blank">http://www.aaf.khaa.jp/u30/</a></p></div>
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2011-07-18T02:32:56+09:00
http://yosomi.jp/
小田寛一郎
【】青木淳 講演会 「建築と美術の間」
<h2>青木淳 講演会 「建築と美術の間」</h2><p class='author'>小田寛一郎</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年9月10日(土) 15:00?17:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>大阪工業大学 OITホール(大阪府大阪市旭区大宮5-16-1)</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料 定員500名(当日先着順)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>青木淳</td></tr><tr><th>問い合わせ</th><td class='dot'>:</td><td>大阪工業大学文化会建築文化研究部<br>Tel:080-3806-9458 担当/國定<br>Email:kenbunrenraku@yahoo.co.jp</td></tr></table><p>建築家、青木淳の講演会。</p></div>
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2011-09-13T18:19:27+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】水内 義人「アフリカンシロクマ、鮭の行方」
http://www.oct.zaq.ne.jp/e-bon/yoshihitomizuuchi_AVON.html
<h2>水内 義人「アフリカンシロクマ、鮭の行方」</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年9月15日〜10月9日<br />
月・火・水:休業<br />
木:11:00〜22:00<br />
金・土・日 : 11:00〜18:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>喫茶エーボン</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>喫茶1オーダー [ 300円 - ]</td></tr></table><p><a href="http://www.oct.zaq.ne.jp/e-bon/yoshihitomizuuchi_AVON.html" target="_blank">http://www.oct.zaq.ne.jp/e-bon/yoshihitomizuuchi_AVON.html</a></p></div>
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2011-09-14T19:57:55+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】余所見オープンミーティング
http://float.chochopin.net/
<h2>余所見オープンミーティング</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年9月15日 19:00 -</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>FLOAT</td></tr></table><p>余所見のミーティング。ご興味ある方はお越しください。</p><p><a href="http://float.chochopin.net/" target="_blank">http://float.chochopin.net/</a></p></div>
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2011-08-22T05:24:05+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】PREFUSE73 JAPAN TOUR powered by neutralization with ZETTA-IMU
http://musicclubjanus.com/index.htm
<h2>PREFUSE73 JAPAN TOUR powered by neutralization with ZETTA-IMU</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>open 17:30/start 18:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>Music Club JANUS<br></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売 4,000円/当日 4,500円 <br />
共に1D別途500円、必要</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>PREFUSE73 <br>共演:にせんねんもんだい / 1945 A.K.A KURANAKA</td></tr></table><p><a href="http://musicclubjanus.com/index.htm" target="_blank">http://musicclubjanus.com/index.htm</a></p></div>
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2011-09-18T16:28:16+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘、米子匡司
【】渡辺文樹映画祭
http://yunobi.blogspot.com/2011/09/blog-post_03.html?spref=tw
<h2>渡辺文樹映画祭</h2><p class='author'>藤井菜摘、米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年9月22日 - 2011年9月29日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>油野美術館</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1作品¥1000</td></tr></table><p>また街にポスターが貼られているのを見ました。<br>1日3作品ずつ上映されるのですが、今回は「金正日」がメインのようで、<br>どの日もこの作品が1回は上映されるようです。<br>詳しいスケジュールはリンク先へ。</p><p><a href="http://yunobi.blogspot.com/2011/09/blog-post_03.html?spref=tw" target="_blank">http://yunobi.blogspot.com/2011/09/blog-post_03.html?spref=tw</a></p></div>
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2011-09-18T16:49:21+09:00
http://yosomi.jp/
ひろゆりか
【】岩木遠足2011
http://www.iwaki-ensoku.com/
<h2>岩木遠足2011</h2><p class='author'>ひろゆりか</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年9月23日 - 2011年9月24日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>吉井酒造煉瓦倉庫、岩木山周辺</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td><音楽の時間>原田郁子+トンチ+カメイナホコ、オオルタイチ (ソロ)、y t a m o (ソロ)</td></tr></table><p>こけしコースに参加してきます。あと、西村佳哲さんのWSにも。</p><p><a href="http://www.iwaki-ensoku.com/" target="_blank">http://www.iwaki-ensoku.com/</a></p></div>
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2011-09-11T14:57:11+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】食べられないレストラン
http://www.workroom.co.jp/wra/exhibition/index.html#upcoming
<h2>食べられないレストラン</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年9月26日(月)〜10月8日(土)5:00pm〜9:00pm、<br />
土曜は2:00pm〜5:00pm 日曜休み</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>workroom*A<br></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>【fictions】<br>長岡綾子(プラン、デザイン)、成田舞(写真)のユニット。<br></td></tr></table><p>おいしそうなものを見ると、少し目をとめてしまう。<br>その一瞬の間に、細部のテクスチャーまで目を届かせながら、<br>そこから想像される感覚─歯ごたえ、舌触り、甘さ、香り、<br>みずみずしさ、冷たさ─などをひととおり味わっている。<br>日々の中で想像力が自然に豊かに発揮される数少ない場面。<br><br>日常生活でよく目にする、普段あまり気にとめない物も<br>食べ物として見たら、もっとじっくり味わうことができるかもしれない。<br>おいしいメニューを提供する<br>食べられないレストランが開店します。<br>(ウェブサイトより)<br><br>関連イベントもあるみたいで、そちらも興味深いです。</p><p><a href="http://www.workroom.co.jp/wra/exhibition/index.html#upcoming" target="_blank">http://www.workroom.co.jp/wra/exhibition/index.html#upcoming</a></p></div>
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2011-10-04T08:41:52+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘、米子匡司
【】攻殻機動隊 S.A.C SSS 2D版上映 と 神山健治監督“最新作”製作発表
http://www.youtube.com/ph9
<h2>攻殻機動隊 S.A.C SSS 2D版上映 と 神山健治監督“最新作”製作発表</h2><p class='author'>藤井菜摘、米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>20:30〜配信</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td> You tube PH9チャンネル</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>(制作発表会 22:30〜)神山健治監督、制作スタッフ</td></tr></table><p>3Dメガネ(赤青のフィルムのメガネ)があれば、Youtube上で3D動画が見れるとのことで3Dの予告を見ました。配信されるのは2D版だそうです。(藤井)<br>新宿バルト9にて、攻殻機動隊 S.A.C Solid State Society 3Dの上演 + 神山健治監督“最新作”製作発表のイベントがあり、Youtubeでも2D版と制作発表の中継が配信されるそうです。説明が十分になくて、2D版が2006年版なのか2011年版の2D化なのかはわかりません。2011年版を見てないので、そもそも多少とも違いがあるのかもわかりません。(米子)</p><p><a href="http://www.youtube.com/ph9" target="_blank">http://www.youtube.com/ph9</a></p></div>
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2011-08-22T05:31:15+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】raster-noton.sunsui
<h2>raster-noton.sunsui</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年10月5日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>鰻谷 燦粋 unagidani sunsui</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>ACT:<br><br>alva noto<br><br>byetone<br><br>vladislav delay<br><br>AOKItakamasa<br><br>agf ( antye greie )<br><br>anne-james chatton<br><br>nibo</td></tr></table></div>
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2011-10-05T14:47:00+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【】歌とピクニック
http://uta-pic.com/top.html
<h2>歌とピクニック</h2><p class='author'>中島彩</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年10月8日 - 2011年10月9日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>兵庫県丹波市市島町与戸字長尾 丹波うぐいすの森公園</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1day 500円</td></tr></table><p><a href="http://uta-pic.com/top.html" target="_blank">http://uta-pic.com/top.html</a></p></div>
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2011-09-27T14:30:14+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】DreamParty大阪2011秋
http://www.dreamparty.jp/event/osaka/2011a/
<h2>DreamParty大阪2011秋</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>開催時間 11:30-16:30 (11:00 開場予定)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>インテックス大阪2号館</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>2000円(前売券有り)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>未定</td></tr></table><p><a href="http://www.dreamparty.jp/event/osaka/2011a/" target="_blank">http://www.dreamparty.jp/event/osaka/2011a/</a></p></div>
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2011-10-14T03:47:54+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】トークセッション「本の未来を考える」
http://www.mebic.com/creative-expo#cexpo2011-2507
<h2>トークセッション「本の未来を考える」</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年10月24日(月)18:30〜20:30(18:00受付開始)<br />
</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>7F ブリーゼプラザ小ホール</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料(要事前申込)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>◆スピーカー<br>中川 和彦氏:スタンダードブックストア<br>堺 達朗氏:Books DANTALION<br>松村 貴樹氏:IN/SECTS編集長<br>黒田 武志氏:sandscape・本展覧会アートディレクター<br>◆コーディネーター<br>玉置 泰紀氏:関西ウォーカー編集長</td></tr></table><p><a href="http://www.mebic.com/creative-expo#cexpo2011-2507" target="_blank">http://www.mebic.com/creative-expo#cexpo2011-2507</a></p></div>
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2012-01-05T17:22:43+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】脳の中の「わたし」と情報の中の〈私〉
http://www.museum.osaka-u.ac.jp/jp/exhibition/P14/P14.html
<h2>脳の中の「わたし」と情報の中の〈私〉</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年10月25日〜2012年2月4日10:30〜17:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr></table><p>大阪大学総合学術博物館 第14回企画展<br><br>脳の中の「わたし」と情報の中の<私><br><br>―五感を揺るがす摩訶不思議なメディア技術―<br><br> 会 期:2011年10月25日(火)?2012年 2月 4日(土)<br> 10:30?17:00 入場無料<br> 日祝および年末年始(12月29日?1月3日)休館<br> ただし11月3日(木・祝),11月6日(日)は開館<br> 会 場:大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館<br> 主 催:大阪大学総合学術博物館<br> 大阪大学大学院情報科学研究科<br> 共 賛:情報通信研究機構(NICT)<br> 協 力:大阪大学大学院医学系研究科<br> 大阪大学21世紀懐徳堂<br>開催趣旨<br><br>本展覧会は、本学創立80周年協賛事業として、脳の中の「わたし」と情報の中の<私>をテーマに企画されました。 本学がリードする人間科学と情報科学の融合研究をもとにした10点余りの体験型作品を展示します。 企画を務める安藤英由樹は、国内外の著名な展覧会において視覚や触覚に関する最先端インタフェース技術を駆使した展示を行ってきました。<br>脳の中で認識している「わたし」と、インタフェース技術によって再び提示された情報の中の<私>が必ずしも一致しない・・・ そんな不思議な感覚が味わえる体験型の展覧会をお楽しみください。<br></p><p><a href="http://www.museum.osaka-u.ac.jp/jp/exhibition/P14/P14.html" target="_blank">http://www.museum.osaka-u.ac.jp/jp/exhibition/P14/P14.html</a></p></div>
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2011-10-28T14:36:02+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【】無声映画鑑賞会「瞼の母」
<h2>無声映画鑑賞会「瞼の母」</h2><p class='author'>中島彩</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>10月29日(土) 開場12:30 開演13:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>松竹撮影所試写室<br>京都市右京区太秦堀ヶ内町12-9</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1000円</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>原作 長谷川 伸<br>監督 稲垣 浩<br>出演 片岡 知恵蔵 / 山田 五十鈴 / 常磐 操子<br>女流活動弁士 ひさご亭遊花</td></tr></table><p>無声映画の上映に、ライブで声をつける、[活動弁士]さんを見たことがなくて、見てみたいのです。</p></div>
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2011-10-05T14:22:38+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】松本人志のコント
http://www.nhk.or.jp/matsumoto/top.html
<h2>松本人志のコント</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年11月5日23:30〜</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>テレビ放送(NHK総合) </td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>松本人志 他</td></tr></table><p>この日が初回のレギュラー番組です。<br>毎月第1土曜が放送日で29分番組の中で毎回2本のコントが放送されます。<br>この回2本のうちの1本に相方の浜田さんがゲストで出演とのこと。<br>コンビでのコント番組共演は10年ぶりだそうです。</p><p><a href="http://www.nhk.or.jp/matsumoto/top.html" target="_blank">http://www.nhk.or.jp/matsumoto/top.html</a></p></div>
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2011-09-27T14:04:29+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】ATAK Dance Hall
http://www.metro.ne.jp/schedule/2011/11/26/index.html#event02
<h2>ATAK Dance Hall</h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011.11.26(Sat)<br />
open 23:00?</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>京都 club metro</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売¥2,500 ドリンク代別途 当日¥3,000 ドリンク代別途<br />
</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>Live : ATAK Dance Hall set (渋谷慶一郎+evala) <br>/ MimiCof(midori hirano) / 原摩利彦(rimacona) / DJ iToy aka PsysEx<br> DJ : tsukasa / Tatsuya<br> </td></tr></table><p><a href="http://www.metro.ne.jp/schedule/2011/11/26/index.html#event02" target="_blank">http://www.metro.ne.jp/schedule/2011/11/26/index.html#event02</a></p></div>
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2011-11-24T13:10:59+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【】じないまち 農とクラフトフェア
http://agri-craft.seesaa.net/category/9108534-1.html
<h2>じないまち 農とクラフトフェア</h2><p class='author'>中島彩</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2011年11月26日 - 2011年11月27日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>大阪府富田林市寺内町</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>プログラムによる。</td></tr></table><p>富田林の農産物や工芸品に焦点をあて、紹介するフェア。<br><br>私事ですが、富田林は私が生まれ育ったところに近くて、でもなんにもないところだと思っていて(畑とチェーン店が並ぶ大きい車道があるくらい)、あえて行ったことがありません。(通るがかることはよくあるのだけど。)<br>そこが中心となって何かが行なわれるというのが、すごく新鮮で、今まで知っているようで知らなかったことが見つかるんじゃないかと、行ってみたいと思いました。<br><br>畑ばっかりの田舎と思っていたのが、その畑で何が作られているかを知ることで違って見えてくるんじゃないかとか。<br><br>楽しみです。</p><p><a href="http://agri-craft.seesaa.net/category/9108534-1.html" target="_blank">http://agri-craft.seesaa.net/category/9108534-1.html</a></p></div>
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2011-09-27T14:10:25+09:00
http://yosomi.jp/
境隼人
【】みるくらりあっと Vol.4
http://www.milkrecord.jp/mlt/
<h2>みるくらりあっと Vol.4 </h2><p class='author'>境隼人</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>詳細未定</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>STUDIO PARTITA</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>未定</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>ave;new feat.佐倉紗織<br>ULTRA-PRISM<br>喜多村英梨<br>榊原ゆい<br>桃井はるこ</td></tr></table><p><a href="http://www.milkrecord.jp/mlt/" target="_blank">http://www.milkrecord.jp/mlt/</a></p></div>
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2012-01-09T16:00:48+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】今宮戎 十日戎宝恵駕籠行列
http://www.imamiya-ebisu.net/htm/hoekago/hoekago.html
<h2>今宮戎 十日戎宝恵駕籠行列</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2012年1月10日9時40分〜</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>心斎橋、なんばあたり<br><a href="http://www.imamiya-ebisu.net/htm/hoekago/hoekago_map.pdf" target="_blank">http://www.imamiya-ebisu.net/htm/hoekago/hoekago_map.pdf</a></td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>往路と帰路があって、往路は様々な場所で行事があるみたいで、それごとに芸能人など色々な人が出演(?)します。</td></tr></table><p>十日戎<br>豊臣時代の頃になりますと庶民のえびす様への信仰はより厚くなり、また豊臣秀頼は片桐且元に社殿造営の普請奉行を命じています。またこの頃より市街が発達し、大阪町人の活躍が始まり、江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、延宝三年(1675)の現存する最も古い大阪案内の図「葦分舟」にも十日戎の状景が描かれています。<br> また文芸の分野においても江戸初期の俳人小西来山の句集で今宮のことが書かれており、中期の大田蜀山人の紀行文にも十日戎が記されています。また浄瑠璃「艶容女舞衣」では十日戎が重要な背景として設定されています。<br> 明治には、それまでの問丸が雑喉場の魚市場、材木商組合、麻苧商組合、蝋商組合、漆商組合、金物商組合等が講社を結成し、十日戎はより一層盛んになりました。<br> このように時代とともに盛大になってゆく祭礼ですが、惜しくも昭和二十年の戦災で神社はことごとく焼失しました。しかしながら昭和三十一年には本殿が復興し、再び十日戎も活況を呈するようになり、現在では年の最初のお祭りとして十日戎の3日間に約百万人を超える参詣者があります。<br>(今宮戎神社ウェブサイトより)<br><a href="http://www.imamiya-ebisu.net/htm/top.html" target="_blank">http://www.imamiya-ebisu.net/htm/top.html</a><br><br><br>家が近いので、部分的に見る感じもいいかなと思っています。<br></p><p><a href="http://www.imamiya-ebisu.net/htm/hoekago/hoekago.html" target="_blank">http://www.imamiya-ebisu.net/htm/hoekago/hoekago.html</a></p></div>
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2012-01-31T14:10:29+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】「竹田団吾衣裳作品展2012 L.E.D. EVER GREEN大阪展」
http://www.athens.co.jp/gallery/event/1202_dango/index.html
<h2>「竹田団吾衣裳作品展2012 L.E.D. EVER GREEN大阪展」</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2012年2月14日(火)?2月20日(月)<br />
12:00 ? 20:00 (最終日は17:00まで)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>ギャラリー・アセンス美術 心斎橋アセンス 5階</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr></table><p> 衣裳デザイナーとして劇団☆新感線や映画「GANTZ」の衣裳など数々の衣装を手がけるクリエイター竹田団吾の作品展「竹田団吾衣裳作品展2012 / L.E.D.」が福岡、大阪、東京にて開催され、このたび心斎橋アセンスでは、大阪展 「EVER GREEN」を開催させていただくこととなりました。<br><br>実際の衣裳をトルソーに纏わせ展示し、質感や立体感を感じていただける展示を予定しております。<br>映画「仮面ライダーシリーズ劇場版」(東映)やTV:「西遊記」(フジテレビ)などの衣装をはじめ他、多数の人気作品の衣装が一堂に展示されます。また、会場では物販も予定されております。<br>※各会場により、内容・構成が一部異なります。展示数は予定となります。ご了承ください。<br><br><br>【 竹田団吾(たけだ だんご) 】 <br>衣裳デザイナー。1961年、福岡県生まれ。<br>大阪芸術大学、映像学科入学と同時に、劇団☆新感線に参加。映像制作、小道具、俳優などを経て1990年「スサノオ?神の剣の物語」から衣裳デザインを開始。現在では数多くの舞台や映像作品等でシャープかつソリッド、繊細かつ流麗、そしてファンタステックかつエクストラバガントな衣裳デザインを提供している。また他デザイナーのアイデアやイメージを映像、舞台で俳優が実際に着衣可能なコスチュームに仕立て上げる特殊衣裳プロデューサーでもある。<br><br>(アセンスウェブサイトより)</p><p><a href="http://www.athens.co.jp/gallery/event/1202_dango/index.html" target="_blank">http://www.athens.co.jp/gallery/event/1202_dango/index.html</a></p></div>
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2012-03-03T08:18:28+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】手にとる展覧会PART1 独楽
http://www.workroom.co.jp/index.html
<h2>手にとる展覧会PART1 独楽 </h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>3月3日<br />
talk 独楽について<br />
1drink 独楽付き <br />
予約1,000円 当日1,500円</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>workroom A</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>藤本由紀夫</td></tr></table><p>独楽を廻してみましょう、<br>独楽を考えてみましょう。<br>哲学的玩具としての独楽を<br>久しぶりに手にとってみましょう。 (HPより)</p><p><a href="http://www.workroom.co.jp/index.html" target="_blank">http://www.workroom.co.jp/index.html</a></p></div>
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2012-04-18T20:48:00+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】こと座流星群の観測
http://www.astroarts.co.jp/alacarte/2012/201204/0422/index-j.shtml
<h2>こと座流星群の観測</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>4月22日20時頃から23日未明にかけて</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>暗いところ</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr></table><p>2012年は4月22日にこと座流星群が極大になります。1時間あたりの出現量はそんなに多くないですが、突発癖のある流星群らしく、突如として例年よりたくさん見えることもあるそうです。日本では15時頃が活動のピークなので、こと座が現れる20時頃には少しピークが過ぎてしまうのですが、この日は月明かりが少ないので条件としては悪くないようです。</p><p><a href="http://www.astroarts.co.jp/alacarte/2012/201204/0422/index-j.shtml" target="_blank">http://www.astroarts.co.jp/alacarte/2012/201204/0422/index-j.shtml</a></p></div>
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2012-04-09T02:43:56+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】くるり電波
http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/107471.html
<h2>くるり電波</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>4月24日23:00〜24:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>NHK-FM(ラジオ番組)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>くるり</td></tr></table><p>番組タイトルは「くるり電波」。<br>毎月最終週の火曜日、深夜23:00〜24:00の1時間番組で、初回放送は4月24日。番組内容等の詳細は未定ですが、1時間たっぷりと音楽に浸れる内容となりそうです。<br>(くるりonWEBより)</p><p><a href="http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/107471.html" target="_blank">http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/107471.html</a></p></div>
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2012-06-05T10:31:05+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】演奏会「かかのや」
http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20120524
<h2>演奏会「かかのや」</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>18:00会場<br />
18:30開演</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>Yugue(ユーゲ)<br>京都市左京区下鴨松原町4-5</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>¥1888</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>片岡祐介、川手直人、野村誠、やぶくみこ</td></tr></table><p>予約・お問い合わせ先:<br><br>naoto.kawate@gmail.com / 080-4377-5912 (かわて)<br><br>※会場は小さなカフェですので、予約をおすすめいたします。<br><br>よろしくお願いをいたします。<br><br>交通:<br><br>京都市バス205番「新葵橋」下車、徒歩1分<br><br>京阪出町柳駅下車、徒歩8分<br><br>(野村誠さんウェブサイトより)</p><p><a href="http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20120524" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20120524</a></p></div>
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2012-06-04T14:54:44+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD
http://www.allnightnippon.com/gold/mon/
<h2>坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2012年6月11日22:00〜</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>ラジオの聞ける環境があればどこでも。</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>坂崎幸之助<br>吉田拓郎</td></tr></table><p>この日はゲストに井上陽水さんが出演します。<br><br>オールナイトニッポンGOLDは関西では<br>ラジオ大阪1314kHz<br>ABCラジオ1008kHz<br>などで聞けます。<br>ラジコなどを使ってインターネットなどでも聞けます。</p><p><a href="http://www.allnightnippon.com/gold/mon/" target="_blank">http://www.allnightnippon.com/gold/mon/</a></p></div>
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2012-05-21T09:09:35+09:00
http://yosomi.jp/
米子匡司
【】桂米朝展
<h2>桂米朝展</h2><p class='author'>米子匡司</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2012年8月1日 - 2012年8月9日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>大阪/ブリーゼプラザ小ホール</td></tr></table></div>
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2012-10-14T16:38:12+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【】世界の織機と織物
http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/20120913loom/index
<h2>世界の織機と織物</h2><p class='author'>中島彩</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2012年9月13日 - 2012年11月27日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>国立民族学博物館</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>一般830円、高校・大学生450円、小・中学生250円</td></tr></table><p><a href="http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/20120913loom/index" target="_blank">http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/20120913loom/index</a></p></div>
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2012-08-21T07:55:20+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】「ファッションは更新できるのか?会議」 vol.1『DIY→DIWO→DIFO*へ、という時代に』
http://www.facebook.com/events/337005533060876/
<h2>「ファッションは更新できるのか?会議」 vol.1『DIY→DIWO→DIFO*へ、という時代に』</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2012.9.17(月)13:00〜15:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>名村造船所跡地/クリエイティブセンター大阪</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>【注意】この回はDESIGNEAST03内で開催されるイベントの一環なので、「ファッションは更新できるのか?会議」 の料金は無料。ただし、別途デザインイーストへの入場券が必要です。</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td><会議参加予定者><br>● 会議モデレーター:水野大二郎(慶応義塾大学環境情報学部専任講師/fashionista編集委員/FabLab Japanメンバー)<br><br>● ゲスト登壇者:田中浩也FfabLab Japan)、成実弘至(京都造形芸術大学)、水野祐(CreativeCommons Japan 事務局)<br><br>● 常任委員:永井幸輔(Arts and Law/弁護士)、金森香(NPO法人ドリフターズ・インターナショナル) 、幸田泰利(有限会社オープンクローズ)、岩倉悠子(Arts and Law)、山本さくら(NPO法人ドリフターズ・インターナショナル)、小原和也(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科)、小林嶺(早稲田大学繊維研究会)<br>*ゲスト登壇者については、今後変更が生じる場合がございます。<br></td></tr></table><p>ファッション/建築/パフォーマンス/アートの分野を縦断しながら「ドリフのファッション研究所」、「ドリフターズ・サマースクール」などを主宰してきたNPO法人ドリフターズ・インターナショナル、美術・映像・音楽・デザイン・パフォーミングアーツ・アートプロジェクトなどのクリエイティブな活動を支援する法律家NPO団体Arts and Lawがタッグを組み、水野大二郎(ファッション批評誌Fashionista/FabLab)を迎えて、9月9日から約半年、全7回をかけて、「ファッションは更新できるのか?」について議論するセミクローズド会議を開催します。<br>(この回はその一回目のようです。)<br><br><br><内容><br>議題(1)<br>fablab が、do it for others(DIFO)の考え方に至った道のり<br>*Do It yourself(DIY)→Do It With Others(DIWO)→Do It For Others(DIFO) の意<br><br>議題(2)<br>P2P のいくつかの形式としてのファッション業界の実例<br><br>議題(3)<br>作家性のありかについてとコミュニティデザインについて<br><br>議題(4)<br>プリントの著作権、アーツ&クラフツ運動の歴史と現在<br>形とは? など。デザインイースト会場のスピーカーズコーナーをジャックして多重音声でお届け。<br><br><br><br><会場><br>DESIGNEAST03(大阪)<br>名村造船所跡地/クリエイティブセンター大阪<br><a href="http://designeast.jp/" target="_blank">http://designeast.jp/</a><br><br><時間>13:00〜15:00<br>● 会議モデレーター:水野大二郎(慶応義塾大学環境情報学部専任講師/fashionista編集委員/FabLab Japanメンバー)<br><br>13:00-13:30<br>永井幸輔(Arts and Law)× FabFoo Kansai<br><br>13:30-14:00<br>金森香+山本さくら(NPO法人ドリフターズインターナショナル)×成実弘至(京都造形芸術大学)×田中浩也(FabLab Japan)<br><br>14:00-14:30<br>「ファッションは更新できるのか?会議」×水野祐(CreativeCommons Japan)<br><br>14:30-15:00<br>「ファッションは更新できるのか?会議」全体セッション<br><br><料金><br>無料(※ただし、別途デザインイーストへの入場券が必要です。)<br><br><その他><br>● 「ファッションは更新できるのか?会議」 vol.1『DIY→DIWO→DIFO*へ、という時代に』のイベントの議事録が「ファッションは更新できるのか?会議」公式Facebookページ<br><a href="http://www.facebook.com/fashion.koushin" target="_blank">http://www.facebook.com/fashion.koushin</a><br>にて無料公開されます。<br><br>● その他、何か不明な点・不具合が生じた場合も info@renew-fashion.org にお問い合わせください。<br><br><br>デザインイーストの入場料やその他の催しについてはこちら。<br><a href="http://designeast.jp/program/" target="_blank">http://designeast.jp/program/</a></p><p><a href="http://www.facebook.com/events/337005533060876/" target="_blank">http://www.facebook.com/events/337005533060876/</a></p></div>
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2012-10-04T07:17:15+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【】四天王寺 秋の大古本市
<h2>四天王寺 秋の大古本市</h2><p class='author'>中島彩</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>午前10時~午後5時 (最終日は午後4時)</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>大阪市天王寺区 四天王寺境内</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>入場無料</td></tr></table><p>関西の古書店約30店が出品する古本市。たくさんのテントの下に本がたーーーくさん詰まった本棚やワゴンが並ぶ様子は圧巻です。</p></div>
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2012-10-07T04:39:23+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】日本カタール国交樹立40周年 パール海の宝石展
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1207_pearl/t_1207_pearl/index.html
<h2>日本カタール国交樹立40周年 パール海の宝石展</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>7月28日?10月14日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>兵庫県立美術館 ギャラリー棟3階</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>当日料金 1300円</td></tr></table><p><a href="http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1207_pearl/t_1207_pearl/index.html" target="_blank">http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1207_pearl/t_1207_pearl/index.html</a></p></div>
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2012-10-10T14:43:58+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】広瀬香美のオールナイトニッポンGOLD
http://www.allnightnippon.com/gold/kohmi/
<h2>広瀬香美のオールナイトニッポンGOLD</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>10月17日22時〜23時50分</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>ラジオの聞ける環境ならどこでも</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>広瀬香美、ASKA</td></tr></table><p>この日はASKAさんがゲストです。<br><br>オールナイトニッポンGOLDは関西では<br>ラジオ大阪1314kHz<br>ABCラジオ1008kHz<br>などで聞けます。<br>ラジコなどを使ってインターネットなどでも聞けます。</p><p><a href="http://www.allnightnippon.com/gold/kohmi/" target="_blank">http://www.allnightnippon.com/gold/kohmi/</a></p></div>
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2012-11-06T13:15:06+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】今宮ウィンドオーケストラ第25回定期演奏会
http://music.geocities.jp/imamiyawind/03.html
<h2>今宮ウィンドオーケストラ第25回定期演奏会</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>14時会場14時30分開演</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>クレオ大阪西ホール</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr></table><p>曲目<br>第1部<br>多田直樹 指揮<br>栄光のすべてに/J.スウェアリンジェン<br>ハイランド・ラプソディー/J.V.ロースト<br>ガリバー旅行記/B.アッペルモント<br><br>第2部<br>河野健 指揮<br>ゴールド・ラッシュ/高橋伸哉<br>吹奏楽のための抒情詩「秋風の訴え」/八木澤教司<br>イギリス民謡組曲/R.ウィリアムス<br><br><br>**********************<br>「栄光のすべてに」は確か中学のときに演奏しました。<br>どんな曲やったかな。<br></p><p><a href="http://music.geocities.jp/imamiyawind/03.html" target="_blank">http://music.geocities.jp/imamiyawind/03.html</a></p></div>
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2012-12-06T03:45:25+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】菊地成孔(著) 「服は何故音楽を必要とするのか?」文庫版発売日
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309411927/
<h2>菊地成孔(著) 「服は何故音楽を必要とするのか?」文庫版発売日</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2012年12月6日</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>945円</td></tr></table><p>書籍の発売日。</p><p><a href="http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309411927/" target="_blank">http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309411927/</a></p></div>
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2012-12-06T03:39:15+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】安田謙一(著) 「なんとかと なんとかがいた なんとかズ」 発売予定日
http://www.presspop.com/jp/item/itemgenre/books/1050/
<h2>安田謙一(著) 「なんとかと なんとかがいた なんとかズ」 発売予定日</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2012年12月12日</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>2300円</td></tr></table><p>書籍の発売日。</p><p><a href="http://www.presspop.com/jp/item/itemgenre/books/1050/" target="_blank">http://www.presspop.com/jp/item/itemgenre/books/1050/</a></p></div>
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2012-12-06T03:13:57+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】上村亮太展 「星影ノーマライズ」
http://www.gallery-shimada.com/index.html
<h2>上村亮太展 「星影ノーマライズ」</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>12月15日から12月25日。<br />
ギャラリー1F deuxにて 、12:00から19:00まで。<br />
※火曜日は18:00、最終日は17:00まで。</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>GALLERY島田:神戸市中央区山本通2-4-24リランズゲートB1</td></tr></table><p>ギャラリー1F deuxにて 、12:00から19:00まで。<br>※火曜日は18:00、最終日は17:00まで。<br><br>B1Fにて、山村幸則展「神戸牛とWalk 山から海へ」も同時開催。</p><p><a href="http://www.gallery-shimada.com/index.html" target="_blank">http://www.gallery-shimada.com/index.html</a></p></div>
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2013-02-06T15:30:00+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【】工賃向上フェスタ2013
<h2>工賃向上フェスタ2013</h2><p class='author'>中島彩</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2013年3月7日(木)12:00-16:30</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>マイドームおおさか</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>入場無料</td></tr></table><p>「工賃向上」と「フェスタ」のイメージが繋がらない。チラシのデザインのポップさもつながらない。というところに、そそられて。</p></div>
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2013-02-16T06:42:51+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】とら・虎・トラ -甲子園の歴史と日本画における虎の表現-
http://otanimuseum.jp/home/
<h2>とら・虎・トラ -甲子園の歴史と日本画における虎の表現-</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>前期:4月6日から4月23日<br />
後期:4月25日から5月19日<br />
<br />
時間:10:00から17:00 水曜日休館</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>西宮市大谷記念美術館</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売り:一般600円、大高生400円、中小生200円 <br />
<br />
当日:一般800円、大高生600円、中小生400円 </td></tr></table><p>あんなに恐ろしげな大型肉食獣のくせに、耳の先が丸っこいあたり虎はずるいと思うんですよ。</p><p><a href="http://otanimuseum.jp/home/" target="_blank">http://otanimuseum.jp/home/</a></p></div>
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2013-02-16T04:47:22+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】シティボーイズミックス PRESENTS 「西瓜割の棒、あなたたちの春に、桜の下ではじめる準備を」
梅田芸術劇場 http://www.umegei.com/schedule/265/index.html アッシュ・アンド・ディ・コーポレーション http://ash-d.info/live.html
<h2>シティボーイズミックス PRESENTS 「西瓜割の棒、あなたたちの春に、桜の下ではじめる準備を」</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>19日・・・PM19:00<br />
20日・・・PM13:00 PM17:00<br />
21日・・・PM13:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>全席 7,000円 (全席指定・税込)<br />
当日券・不明</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>作/演出:宮沢章夫 <br><br>出演:大竹まこと きたろう 斉木しげる (シティボーイズ)中村有志 いとうせいこう 戌井昭人 笠木泉 </td></tr></table><p>梅田芸術劇場 <a href="http://www.umegei.com/schedule/265/index.html" target="_blank">http://www.umegei.com/schedule/265/index.html</a> アッシュ・アンド・ディ・コーポレーション <a href="http://ash-d.info/live.html" target="_blank">http://ash-d.info/live.html</a></p></div>
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2013-05-01T05:11:31+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【】メールするからメールしてね。
http://www.1101.com/ohenji2013/index.html
<h2>メールするからメールしてね。</h2><p class='author'>中島彩</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2013年4月28日 - 2013年5月6日</td></tr></table><p>ほぼ日のGW中の企画。<br><a href="http://www.1101.com/ohenji2013/index.html" target="_blank">http://www.1101.com/ohenji2013/index.html</a><br></p><p><a href="http://www.1101.com/ohenji2013/index.html" target="_blank">http://www.1101.com/ohenji2013/index.html</a></p></div>
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2013-06-07T16:20:16+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】透明な奥のほう
CAP STUDIO Y3・・・http://www.cap-kobe.com/studio_y3/ GALLERY wks.・・・http://www.sky.sannet.ne.jp/works/index.html
<h2>透明な奥のほう</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>CAP STUDIO Y3・・・2013年6月23日(日)から7月13日(土) 10:00から19:00(月曜休)/最終日は17:00まで<br />
GALLERY wks.・・・2013年6月24日(月)から7月13日(土) 12:00から19:00/日曜休/土曜は17:00まで</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>CAP STUDIO Y3(神戸)<br>GALLERY wks.(西天満)</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>無料</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>参加作家:淺野夕紀、上村亮太、桜井類、田岡和也/片山和彦(GALLERY wks.)</td></tr></table><p>CAP STUDIO Y3とGALLERY wks.で同時開催される展覧会。関連イベントあり、詳細は各会場HPへ。</p><p>CAP STUDIO Y3・・・<a href="http://www.cap-kobe.com/studio_y3/" target="_blank">http://www.cap-kobe.com/studio_y3/</a> GALLERY wks.・・・<a href="http://www.sky.sannet.ne.jp/works/index.html" target="_blank">http://www.sky.sannet.ne.jp/works/index.html</a> </p></div>
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2013-06-05T14:18:39+09:00
http://yosomi.jp/
中島彩
【】南京玉すだれ世界大会
http://tamasudare.org/event.html#b
<h2>南京玉すだれ世界大会</h2><p class='author'>中島彩</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2013年7月6日 - 2013年7月7日</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>クレオ大阪西</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>入場無料</td></tr></table><p>6日に予選、7日に決勝戦があるらしいです。個人戦、団体戦とあるらしいです。世界中の玉すだれ愛好者がエントリーし、戦い抜くらしいです。</p><p><a href="http://tamasudare.org/event.html#b" target="_blank">http://tamasudare.org/event.html#b</a></p></div>
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2013-07-06T04:55:52+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】PSYCHOLONICA presents 対談シリーズvol.0 藤本由紀夫×宇都宮泰 「音の未来」
http://psycholonica.blog.fc2.com/blog-entry-1.html
<h2>PSYCHOLONICA presents 対談シリーズvol.0 藤本由紀夫×宇都宮泰 「音の未来」</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2013年7月14日(日)<br />
開場 14:30 開演15:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>会場:Can?tutku<br>〒5570034 大阪府大阪市西成区松1-1-8 出口ビル1F<br>大阪市営地下鉄四つ橋線「花園町駅」4番出口より南へ徒歩3分<br><a href="http://cantutku.sensyuuraku.com/Welcome.html" target="_blank">http://cantutku.sensyuuraku.com/Welcome.html</a><br></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>1000円</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>藤本由紀夫<br>宇都宮泰</td></tr></table><p><a href="http://psycholonica.blog.fc2.com/blog-entry-1.html" target="_blank">http://psycholonica.blog.fc2.com/blog-entry-1.html</a></p></div>
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2013-06-05T10:42:17+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】HOWL / OWL Tour
dip HP http://dip.under.jp/dip_official/
<h2>HOWL / OWL Tour</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2013.08.31(土) 開場18:00 開始18:30</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>十三ファンダンゴ <a href="http://www.fandango-go.com/jp/jindex.htm" target="_blank">http://www.fandango-go.com/jp/jindex.htm</a></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>料金:前売り3,000 / 当日3500yen (どちらも+1drink)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>dip <br>ゲスト : noodles<br></td></tr></table><p>dip HP <a href="http://dip.under.jp/dip_official/" target="_blank">http://dip.under.jp/dip_official/</a> </p></div>
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2013-09-05T02:40:08+09:00
http://yosomi.jp/
藤井菜摘
【】君と僕のロックpresentsバーサスナイトVol.2
http://ameblo.jp/motakoo/
<h2>君と僕のロックpresentsバーサスナイトVol.2</h2><p class='author'>藤井菜摘</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>開場18:30<br />
開演19:00</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>南船場epok<br><a href="http://epok.jp/" target="_blank">http://epok.jp/</a></td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>前売り/当日〉2000/2500(別途D代500)</td></tr><tr><th>出演</th><td class='dot'>:</td><td>千野秀一・エレクトリック・トリオ<br>オシリペンペンズ<br><br></td></tr></table><p><a href="http://ameblo.jp/motakoo/" target="_blank">http://ameblo.jp/motakoo/</a></p></div>
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2013-12-10T00:43:15+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】上村亮太展 「SF」
http://gallery-shimada.com/?p=1357
<h2>上村亮太展 「SF」</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>12/14(土)― 12/25(水) 12:00から19:00<br />
*火曜日は18:00まで、最終日は17:00まで。</td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>ギャラリー島田<br>神戸市中央区山本通2-4-24 リランズゲートB1<br>TEL/FAX:078-262-8058</td></tr></table><p><a href="http://gallery-shimada.com/?p=1357" target="_blank">http://gallery-shimada.com/?p=1357</a></p></div>
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2014-02-06T04:58:33+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】PALMシリーズ36・「TASK」1巻(新書館) 発売予定日
獣木野生HP http://www.magiccity.ne.jp/~bigcat/
<h2>PALMシリーズ36・「TASK」1巻(新書館) 発売予定日</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>2014年3月25日</td></tr><tr><th>料金</th><td class='dot'>:</td><td>未定</td></tr></table><p>大河ホームドラマコミック(勝手にそう呼んでる)PALM、やっとこさ最終章。</p><p>獣木野生HP <a href="http://www.magiccity.ne.jp/~bigcat/" target="_blank">http://www.magiccity.ne.jp/~bigcat/</a></p></div>
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2014-02-06T05:00:38+09:00
http://yosomi.jp/
永田芳子
【】窓‐希望の光 松尾藤代展
松尾藤代HP http://www.fujiyomatsuo.com/index.html
<h2>窓‐希望の光 松尾藤代展</h2><p class='author'>永田芳子</p><table cellspacing='0'><tr><th>日時</th><td class='dot'>:</td><td>大阪高島屋営業時間・・・10時から20時<br />
※最終日は16時にギャラリー閉場 </td></tr><tr><th>場所</th><td class='dot'>:</td><td>大阪高島屋 ギャラリーNEXT <a href="http://www.takashimaya.co.jp/" target="_blank">http://www.takashimaya.co.jp/</a></td></tr></table><p> 松尾藤代HP <a href="http://www.fujiyomatsuo.com/index.html" target="_blank">http://www.fujiyomatsuo.com/index.html</a></p></div>